菊花賞から2日後。私は東名高速道路を、バイクのタンデムシートにトレーナーを乗せて、府中への帰路についていた。本当は翌日に帰る予定だったのだけど、やっぱり無敗の三冠ウマ娘ということで、テレビにラジオに、雑誌の取材にと引っ張られてしまったのだ。トレーナーも同様で、正直、お互いにへろへろである。
「浜松?」
「うん、浜松。ちょっとね。せっかくここまで来たのならってことで。宿、とってるから」
インカムで繋がった私たちはのんびりと雑談をしながら、帰路に付く。そして、そのさなかで私はトレーナーに今日の目的地を告げた。直行で帰るのではなくて、道中、浜松に寄るよと。
「急だな」
「学園長とたづなさんに許可とってあるよー。夏のときと同じでおんなじ部屋。問題ないでしょ?」
ふふんとちょっと誇らしげにそう告げてみれば、帰ってきのは無言の時間。おや、もしかしてこれは、トレーナー、驚いているかな?ちょっと、おちょくってみよう。
「あ、もしかして、私に魅力感じてる?」
「…いや、そんなことはない」
あら、その反応。少しは私に魅力を感じているということだね?あっはっは。よきかな、よきかな。
「ふふーん?脈はありそうだね?」
「お前は美人だしなぁ。ただ、自由奔放なお前のパートナーに収まった奴は、苦労が絶えないだろうな」
「なぁにそれ。ひっどいなぁ」
こりゃあいい感じに反撃を食らってしまった。なんだろう。前を向いているからトレーナーの顔は見えないけれど、してやったりの笑顔が頭の中に浮かんでくるね。
「お前の自由さについていける奴なんて、そうそう居ないだろう?」
「あはは、たしかに。私が思いつくに、私の自由さに着いてこれる人なんて、トレーナーぐらいしか、知らないね」
「奇遇だな。俺もそう思う」
ははは、とインカムで笑い合う。こういう、気心知れたじゃれ合いは嫌いじゃない。
「ま、お前がトゥインクルを走りきったとき、相棒がいなけりゃ、タンデムシートに座ることぐらいはしてやるさ」
「りょーかい。気が向いたらね」
全く、いい男だね。キミは。記憶にあるあの世界の未来のスズカさんが羨ましい限りで。そういえば、この世界で私はどういう相手を見つけるのだかね。実際のお馬さんは子供を作ってるわけだし。しかも、あのトウカイテイオーと同世代に結構強いお馬さんが生まれているはず。それとも、そういうことになる前に、私の意識は世界を超えて、もとに戻るのであろうか。はてさて。
「それはそうとして、浜松で何をするんだ?まだ、日は高いぞ?」
ああ、そういえばトレーナーに言ってなかったか。ちょっと、楽しみにしているものがあるのだ。この時期だからこそ食べれる、浜松の名物が私達を待っているのだ。
「ん、ちょっと食べたいものがね」
「ほー?浜松…ってことは、うなぎか?」
「ふっふっふ。このミスターシービー様はそんな安直じゃないよ?―牡蠣カバ丼。聞いたことない?」
「牡蠣…?無いな…」
そうか、無いか。ふふふ。ならば、お店で物を見たらびっくりするだろう。食べて更にびっくりすることだろう。こりゃ、別の意味でも楽しみだ。
「そっか。ま、じゃあお店についてからの、お楽しみということで」
そう言いながら、眼に入ってきた緑看板に『西浜松』の文字が描かれていた。どうやら、目的地のインターチェンジについたようだ。
「ここで降りるよー、減速するからしっかり捕まってねー」
「おう」
腰に伝わる力が強くなる。それを確認してから、クラッチを軽く握ってギアを落としていく。エンジンの音がガオン、ガオンと高くなると共に、メーターの速度が落ちていく。さてさて、それではまずは、宿にチェックインといこうかな。荷物を部屋に置いて、早速、お店にゴーだ。
■
宿にバイクを置いて、歩くこと十分程度。ここは舘山寺温泉の一角だ。いい感じの街並みの中をトレーナーを引き連れて歩いていけば、目的のお店へとたどり着く。
「鰻屋じゃないか。ここでいいのか?」
「うん。牡蠣カバ丼のお店だよ」
うなぎ、活魚、すっぽん、ふぐ。そう書かれた看板に釘付けになっているトレーナーを尻目に、暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませー。お二人ですか?」
すると、間髪入れずに女将さんが私達に元気な声を掛けてくれていた。
「はい。予約していた、ミスターシービーです」
「ミスターシービー様ですね。お待ちしておりました。では、こちらのテーブル席をご用意しております。どうぞ、お座り下さい」
店内には大きなテーブルが一脚、そして、お座敷が4間程度。比較的小さなお店だ。しかし、香ってくる匂いが、バイクの移動ですっかり減ってしまったお腹にクル。案内された椅子に座れば、より一層気分が高まるというもの。トレーナーはちょっと戸惑っているけれどね。
「お料理はご予約いただいたものでよろしいですか?」
「はい。牡蠣カバ丼2つ。…あ、追加で肝焼き、あとは…瓶ビールに、グラス2つお願いします」
「かしこまりました。ビールは先にお出し致しましょうか?」
「はい。あ、できれば肝焼きを牡蠣カバ丼の前にお願いできます?」
「かしこまりました。少々お待ち下さいね」
「はーい」
女将さんと流れるような会話をしている間、トレーナーは興味津々に店の中を眺めている。確かに、おすすめの料理のポスターなんかもあるしね。でも、残念。今日はそれらは食べないんだ。
「ほー…いい鰻屋じゃないか。すっぽん…それにふぐまで…」
「そ。どれも美味しいよー。でも、今日のところは私に任せてよ」
「判ってる。ああ、ただなぁ、それにしても腹が減った。バイクのタンデムシートってやつは、結構疲れるもんだな」
「あはは。よく付き合ってくれてるよ。トレーナー。だから、お礼として今日の食事と宿代は私持ちだからさ、安心して飲み食いして」
「お、そりゃ助かる」
まぁ、私のために色々してくれてるしね。普段のお礼も兼ねてだ。そうやって、雑談を楽しんでいると、女将さんがビールの瓶を持ってきてくれていた。グラスは2つ。いい具合だ。
「きたきた。はい、グラス。注ぐよー」
「悪いな」
「いいのいいの」
早速、ねぎらいの意味も兼ねて彼のグラスを並々、ビールで満たしてやる。そして、自分の分をグラスに注ごうとした瞬間、ひょいと、ビール瓶を取られてしまった。驚いてトレーナーの顔を見てみれば、優しい笑みが私を待ち構えていた。
「じゃ、今度はこっちからだ。ほら、グラス」
なるほどね。じゃあ、お言葉に甘えて注いでもらおう。グラスを差し出せば、私のグラスめがけて、勢いよく、しかし丁寧にビールが注がれる。そうして、お互いのグラスが満たされた。
「ありがとね。じゃ、おつかれさまってことで。トレーナー、乾杯」
「おつかれさま。ミスターシービー。乾杯」
グラスを合わせて、ぐっと、ビールを流し込む。コトン、と飲み干されたグラスがテーブルに置かれた。お互いに一気だ。
「…いいね。いい味だ」
「うん。いい味だ」
ふう、と一息を付くと、視界の端に女将さんの笑顔が見える。
「こちら肝焼きです」
「お」
きたきた。うなぎの肝焼き。好き嫌いは人それぞれだが、うなぎが好きで、酒を飲む人間でこれが嫌いという人間はまぁ居ない。早速、お互いに割り箸を割って、箸をつけた。
「この苦味がいいよねー」
「ああ、酒によく合うな」
お互いにグラスを再度満たし、今度はゆっくりと、ビールをちびり、ちびりと、肝焼きをちびり、ちびりと減らし合う。
「ふふ」
「なんだ?」
「こうやって静かに、酒を飲むのもいいなって。喜びが、こう、染み入るっていうかさ」
しみじみとそう告げる。あの菊花賞から2日も経ってみれば、いよいよ、現実に私が追いついてくるというもの。それはまるで、染み入る夏の暑さのようなもの。少しづつ、少しづつ、身体に、気持ちに、心に染み入ってくる。
「はは。そうか。確かにな」
「トレーナーはどう?そろそろ現実感、湧いてこない?」
「現実感か…そうだなぁ。正直な気持ちとしては嬉しいさ。嬉しいんだが…こう…俺のミスターシービーは、変わらず眼の前に居る。でも、無敗の三冠ウマ娘だ。ギャップのせいなのか、現実味がまだないっていうかな」
苦笑を浮かべるトレーナー。うん、わかる、わかるよその気持ち。
「わかるわかる。私もようやく、ようやく自覚してきた所だもん。ライブはすごかったし、京都レース場から送り出されたときもすごい人だった。でも、バイクに、トレーナーを乗せて走った道は、まったくもって、今まで通り」
染み入ってきたけれど、まだ、まだ追いついては居ない。どちらかというと、まだ、フワフワしている感じがあるしね。
「きっと、私もトレーナーも、徐々に現実感に追いつくんだろうなって思うよ」
「ああ、そうだな」
しっぽり。そんな言葉が似合うような、そんな雰囲気だ。騒ぐわけでもなく、静かに、静かに。しかし、沈黙するわけでもない。そんな素敵な空間だ。そうやってポツリポツリと会話を楽しんでいると。ついに、女将さんが大きなお盆を持って、私達のもとへとやってきた。主役の登場だ。
「おまたせいたしました。牡蠣カバ丼になります」
「お!待ってましたー!」
「ほー…これが」
目の前に差し出された大きな丼。お吸い物。箸休めの漬物に、切り干し大根。デザートはフルーツ、いちごだ。特に、大きな丼からは、うなぎのタレの香りが立ち昇る。思わず、喉が鳴る。トレーナーは興味津々に丼を見つめていた。
「なるほど…うなぎのタレで、牡蠣を焼いているのか」
「そ。浜松は牡蠣も名産だからね。名産のうなぎと牡蠣のコラボさ。ささ、食べてみて。美味しいから。私もすぐ食べたい」
「ああ、早速いただこう」
早速と箸をお互いに持つ。そして、合わせるようにお決まりの挨拶を決める。
「いただきます」
「いただきます」
トレーナーと一糸乱れぬ動きで、軽くお吸い物を一口。そして、丼を持って、牡蠣を一口。トレーナーの顔に笑顔が浮かぶ。
「…ほお、これは美味い。牡蠣の旨味に、うなぎのタレの旨味が合わさって、米にもよく合うな」
「でしょー?牡蠣もぷりっぷりでさー。しかもこの色もいいよねぇ」
「ああ、こりゃ本当にうまい。旨いぞこれ。ああ、箸が止まんねぇ」
「お気に召されたようで。何よりだよ」
箸で牡蠣を持ち上げてみる。一見、その美しい照りをみるに、うなぎの蒲焼のよう。しかし、中身はプリプリの牡蠣。ぜんぜん違う物だ。しかし、それを口に運んで見れば、牡蠣と鰻のコラボレーションで、途轍もなく旨味を感じる素敵な丼である。そう。まるである意味、今のアタシのように。
「アタシも、コレになれたかなぁ」
ぽつりと言葉が漏れた。どうだろう。三冠ウマ娘になった。ミスターシービー。きっと、彼女と並んでも恥ずかしくないモノにはなれたはず、と信じたいものだね。
「ん?何か言ったか?」
気づけば、トレーナーが不思議そうな顔でこちらを眺めていた。おやおや、聞こえてしまっていたか。ま、ここは誤魔化させていただこう。軽く口角を上げる。
「なんにも。美味しいって言っただけだよ」
■
食事をした後、店から、宿へと徒歩で向かう。その道中、トレーナーとの会話を楽しみながら。ふと、トレーナーが、私の顔を覗き込んで、疑問を投げかける。
「なぁ、ミスターシービー。あの曲、名前はなんていうんだ?」
「ん?曲?曲名はしっかりと告げたはずだよ?歌った後に」
「いや、それはなぁ。歓声でかき消されて、聞こえなかったんだよ」
そっか。ま、確かにすごい歓声だったからねー。観客席にいたのならば、聞こえなくても当然か。ならばと、トレーナーの顔を、少しアルコールの入って赤くなったその顔を、しっかりと見据えてこう答えておく。
「
「無謀な…か。菊花賞の、お前の走りみたいだな」
「ふふ。褒めない褒めない」
ま、たしかに無謀だったと言えるしねー。実際、スタミナは使い切ったし。よく勝てたと今でも思うさ。後ろを追いかけてきたウマ娘たちの足音が、今でも、背中を強く、強く叩くようだ。
「それにしても、よくもまぁ…あれだけ、非常識なことをしたよ。俺以外のトレーナーだったら、絶対に、全力で止めていただろうよ」
「そう?」
「ああ。それに、実際、走り出した時は俺も驚いたさ。逃げる、とは聞いていたが大逃げも大逃げ。俺の隣で見ていた観客なんか、『終わった!三冠がぁ!』とか叫んでいたぞ?」
「あははは。それはちょっと見たかったかな」
そんなことになっていたなんて。後でレース映像でもあれば見てみようかな。観客のリアクション、気になるし。それに、アタシの走りも気になるしねー。
「で、菊花賞が終わった直後にこんな話をするのも野暮なんだが…マルゼンスキーとのレースはもう間近だ。ジャパンカップ。世界各国から、センターを狙いにウマ娘がやってくる」
「そうだね」
「どうするんだ?また、大逃げか?」
大逃げね。ま、たしかにそう思うか。でも、世界を相手にするならば、本気のマルゼンスキーを相手にするならば、その選択は愚かだろう。
「冗談。世界を相手にするなら、マルゼンスキーとやり合うなら。私の一番得意な脚で行くよ」
全員をぶっこ抜く。ミスターシービーここに在り。それを、見せつけに行くことにする。決めた。口角を上げてみせれば、トレーナーは、やれやれと肩をすくめた。
「…世界を相手に追い込みをかける、か。面白そうだが、難しいぞ?」
「そんなことは先刻承知。でも、それが、楽しいんじゃないか。トレーナー、学園に戻ったら早速、特訓、頼んだよ?」
やっぱり、私も少し酔っている。どうも、態度が大きくなってしまう。世界を相手に喧嘩を売る。実に、実に楽しそう。
「へいへい。全く、わがままなお姫様だ。無敗の三冠ウマ娘ってやつは」
「そりゃどうも。でも、わがままなお姫様をここまで育て上げたのは、キミだよ。トレーナー。責任をもって、しっかり最後まで付き合ってね」
手のひらを上に向けて、人差し指と中指でトレーナーを指さしてやる。少しだけ驚いたようだけど、トレーナーはすぐさま笑顔を浮かべて、言葉を返してくれた。
「勿論さ。どこまでも背中を押してやるとも」
「頼もしいね」
ふふ。やっぱり、キミは良い。手を引っ込めて、彼の隣を静かに歩く。旅館までの短い道だが、不思議と、落ち着ける。ふと、トレーナーが立ち止まった。どうしたんだろう?とトレーナーの顔を見てみれば、何かを思い出したような表情を浮かべていた。
「どうしたの?トレーナー」
そう声をかけてみれば、彼は、頭をかきながら、私に言葉を投げる。
「あー、そういえばシービー。ひとつ忘れてた。実は、学園長からお前にって、相談の連絡があってな…」
「相談?なになに?」
「今度のジャパンカップなんだが、もし、マルゼンスキーとお前がワンツーでフィニッシュを決めたときのために、レースのライブとは別に、専用曲ってのを作りたいらしい」
なるほど、考えたね。学園長。たしかに、私とマルゼンがワンツーを決めたら、それはかなりの快挙ってことになるだろうねー。日本のウマ娘が、世界のウマ娘を相手に大金星を上げたということだもの。でも、なんでそれで私に相談が飛んでくるんだろう?
「…ふーん?」
「ま、二人共相当期待されているってことさ。それで、お前の専用曲、Reckless fireの出来を見て、良い作曲家を知らないか?って連絡が入っててな」
「え?作曲家…?それ、学園長のほうが詳しいんじゃない?」
「俺もそう思うんだが…。どうしても、お前に聞きたいってプッシュされてしまってなぁ…」
「えー?」
うーん?なんでだろう。不思議な感じがするねー。
「ま…詳しくはお前とサシで話したいんだとさ。後で、連絡を入れてやってくれ」
「勿論だよ」
サシ…ってことは、勘違いじゃなければ私のスマホ目当てかな?まぁ…冷静に考えてみれば、ジャパンカップまでは時間がない。つまりはこっちの作曲家が専用曲を用意する時間がないのであろう。
ああ。そうか。今回、私の用意した曲が受けも良かったってことで…多分、「異世界」の曲を使わせて欲しいということ、かなぁ?まー、こう考えれば、わざわざ私とサシで話したいっていう辻褄も合うか?
…しかし、私とマルゼンで謳う曲かー。そう考えると…デュエット曲かなぁ…。
しかも、多分、ライブで使うとなれば恋愛とかじゃなくて、こう、互いに競い合うというか、そういう感じ…かな?いいの、あるかなぁ?
「悪い悪い。悩ませちまったな。ま、この件は学園に戻ってからでいいさ」
「え?いいの?学園長からの相談でしょ?」
「かまわないさ。催促が来ても、俺が断っておく。ミスターシービーは、疲れを取るために静養中だってね」
「あはは。そりゃ有り難いね。ありがと、トレーナー」
難しいことを考える時間は、今日のところは終わりとしよう。さてさて、あとは、宿に戻って温泉に浸かろう。そんで、ゆっくりと、トレーナーと共にジャグをやろうじゃないか。