痺れたね。特にレッドゾーンに回転数が行った時にさ、振動が強くなるんじゃなくて、まるで雲の上を走るように加速できたんだもん。良いマシンに良いチューニング。最高だった。本当、腕がいいよね。
うん。このまま…え?スポット参戦の話がアタシに来てる?
…へぇ?それ、面白いね。あのマシン、一度は乗ってみたかったんだ。
もちろんいいよ。あのマシンで世界を相手にすればいいんでしょ?やるやる。
汗まみれ、息も絶え絶え。そんな姿が珍しい一人のウマ娘とそのトレーナーが立っているのは、コース脇のベンチの前だ。傍から見れば座れば良いと思うのだが、どうもその気配はない。
「トレーナーちゃん。どう?貴方から見て、私は仕上がってきてるかしら」
「ああ。問題ないよ。マルゼンスキー。気持ちよく走れている」
マルゼンスキーとそのトレーナーは、どうやら練習の合間のミーティングを行っているようだ。汗をタオルで拭くマルゼンスキーに、スポーツドリンクを準備するトレーナーという、よく見る組み合わせ。だが、その顔は真剣そのもの。
「ただ…」
「ただ?」
トレーナーは言いづらそうに顔をしかめるが、マルゼンスキーが頷きを見せることによって、言葉が続く。
「正直に言う。衰えが見える。スタミナ、スピードに鈍化が訪れ始めている。自覚は、あるよな」
語りかけたトレーナー。マルゼンスキーは、小さく、しかし、はっきりと頷いた。
「そう。そうね。確かに、感じているわ」
そう言って、マルゼンスキーはタオルをベンチに置く。間髪入れずにトレーナーがドリンクを彼女に手渡し、それをぐっと嚥下する。大きく息を吐くマルゼンスキーに、トレーナーは少々苦い顔でこう告げる。
「…正直、お前のピークにしっかりとレースを走らせてやれなかった俺の力不足だ。すまない」
「気にしないの。トレーナーちゃん。そもそも、レースを走れなかった一番の理由って、私が『楽しく走りたい』ってワガママを言っていたからでしょう?それに、あなたが私のために全力で動いてくれていたのは、知っているから」
「すまない。でも、だからこそ。今回のジャパンカップ、最高の状態にお前を仕上げてみせるよ」
決意の宿る眼で、マルゼンスキーを射抜く。と、マルゼンスキーもその視線を真正面から受けるように、笑って見せた。
「頼んだわよ?本気の私を、世界に魅せつけるんだから!」
その顔を見たトレーナーも、自然と笑顔を浮かべる。そして、マルゼンスキーから空になったドリンクの容器を受け取ったトレーナーは、こう、言葉を続けた。
「もちろんさ。俺のスーパーカーは、世界に通用すると証明して見せるとも。だから、今回ばかりは、お前も全力でぶつかってきてくれ」
「ふふ。安心して。トレーナーちゃんのことは信頼しているわ。さ、次は、何をすればいいのかしら」
トレーナーの視線が坂路へと向く。つられて、マルゼンスキーの視線も、坂路へと向いた。
「世界と、そして、ミスターシービーから逃げる。そのために、スタミナを伸ばす。坂路、2000メートルダッシュの交互のインターバル。行けるか?」
「もちのろんよ!」
間髪入れずに本気で走り出したマルゼンスキー。去り際、トレーナーに写った彼女の目は、まるで狩人のような鋭い光を宿していた。
「本気のマルゼンスキーの走り、か。それはきっと、今まで見たことのない美しさなんだろうな」
しみじみとそう呟く、マルゼンスキーのトレーナー。
―ああ、ついに、ついに、彼女の前に、望むべき、望んでいた、切に渇望していた、好敵手が―
「俺の愛バは、とても、とても速いぞ。ミスターシービー」
坂路を勢いよく駆け上がる最速の背中を見送りながら、トレーナーは、口角を上げた。
■
第2練習場と呼ばれるコースでは、幾人ものウマ娘たちが周回を重ねている。やはり、鍛錬の基本は走り込みから。それを体現するように、一際目立つウマ娘とそのトレーナーの姿があった。
「もう一本!」
「やぁああああああああ!」
「まだまだ!ミスターシービーの背中はまだ遠いぞ!カツラギエース!」
「はあああああああああああ!!!!」
トレーナーの言葉に反応し、更に更にと追い込んでいくカツラギエース。すでに体中から汗が吹き出し、息は上がりきっている。だが、その脚は止めはしない。1周、2周、そして何周も彼女はコースに蹄鉄の跡をしっかりと付けていく。
「…よし、今日はこんなところで上がりだ!ほい、タオルとドリンク」
「ありがとうございます。トレーナー。頂きます!」
練習の終わりは、いつも夕闇が近づく時まで行われていた。タオルで汗を拭きながら、ドリンクを勢いよく飲むカツラギエース。ふと、その表情が引き締まる。
「…どうでしょう、私の、走り」
これだけやった。日々、これだけやっている。でも、果たして、どこまで成長できているのか。その不安をぶつけるように、トレーナーに問いかける。
「いい感じに仕上がっているよ。菊花賞の時よりもパワーも、スタミナも、スピードも一回りも二回りも成長してる」
その不安を吹き飛ばすように、トレーナーは笑顔を浮かべ、そう答えていた。
「本当ですか!」
「うん。でも、それはきっとミスターシービーも同じだ。だから、まだまだ油断せずに練習を重ねよう」
「はい!頑張ります!」
笑顔を浮かべ、頷くカツラギエース。そしてポツリと、決意をつぶやいた。
「背中は遠い。けれど、きっと手は届く。必ず、勝ちます。ミスターシービーさん」
彼女は決意を胸に、空を見上げる。そこには、宵の明星が一際強く、輝きを放っていた。
■
「日本総大将、ミスターシービー」
「まあ、そうなるでしょう。無敗の三冠ウマ娘ですからね。ですが…」
2人のシニア世代が、コースのスタートラインで軽く会話を交わしている。
「キョウエイプロミス。現役世代では貴女こそが日本総大将だと、私は信じていますからね」
「ははは。メジロ家のご令嬢にそう言っていただけると、心強いよ」
カラカラと笑うキョウエイプロミス。何を隠そう、現在のシニア級ウマ娘で一番脂が乗っているウマ娘の一人だ。直前に行われた天皇賞秋は見事に先行策で勝利を納め、センターの栄誉に輝いている実力者である。
「とはいえ、君も走るんだろう?メジロティターン」
「ええ。ですが、知っての通り私は調子が上がりません。今年で、引退ですよ」
「それは。………そうか」
「はい。ですが、私は夢を叶えました。お母様から託された、天皇賞の制覇。今度は、これを、この使命を、私の下の世代のメジロに伝えるのが使命ですから」
「メジロ家の悲願、か。羨ましいね」
「ええ。だからこそ、今年の天皇賞を制覇した貴女には、メジロ家のみんなが期待しています。世界を、獲ってくれると」
そういいながら、メジロティターンはキョウエイプロミスの目をじっと見つめた。
「ふふ、あははは!それはそれは。判ったよ。その期待、背負ってみせようじゃないか」
キョウエイプロミスは天を見上げ、自信満々に笑顔を浮かべた。それを見たメジロティターンは、満足そうに頷きを見せる。
「頼みましたよ。私達の『日本総大将』」
「任された。ってことで、あと2本、合わせ頼んだよ?」
「この脚でお手伝いできる事ならば、2本と言わず何度でも」
そう言って二人は、勢いよく地面を蹴った。その風は、芝を空に舞い上げる。
「そうだ。世界に手をかけてみせよう。日本のウマ娘は、伊達じゃないってね!」
各々は、ジャパンカップに向けていよいよ、仕上げに入りつつあった。世界を相手に、マルゼンスキーを相手に、無敗の三冠ウマ娘を相手にするために、その刃を研ぎに、研ぐ。
いやー、佐藤さん。いい感じだよいい感じ。え?いやいや、私の力じゃないさ。佐藤さんとか、千明さん、それに、みんなのサポートの力があったからこその結果だよ。
痺れたね。特に最終直線の時に本気で脚に力を入れたら、滑るんじゃなくて、まるで雲の上を走るように加速できたんだもん。いい蹄鉄に加えて良い調整だったよ。最高だった。本当、腕がいいよね。
うん。このまま…え?私専用の蹄鉄を用意する話がある?
…へぇ?それ、面白いね。そういうの、一度は試してみたかったんだ。
もちろんいいよ。その蹄鉄で世界を相手にすればいいんでしょ?やるやる。