『シービー!シービー!シービー!』
大雨のターフに響き渡る私の名前。ぶっ倒れたまま、拳を揚げた私に注ぐその祝福は、実に温かいものだと感じていた。
「おめでとうございます。ミスターシービー」
そして、その合間から降り注ぐのは、聞き慣れた同期の声。黒い髪をポニーテールでまとめた、愛しのライバルの一人。
「ありがと、カツラギ。どうだった?アタシの走り」
「…速かったです。まだ、追いつけない。そう思いました」
「そっか」
ニヤリと笑って見せれば、カツラギは苦笑を浮かべる。その目にはありありと悔しさが滲んでいる。うん、良い目だ。なら、その気持にはしっかりと応えないとね。
「ま、アタシはこれからも強いから。何度でも来なよ、カツラギ」
「もちろん、勿論です。それに、今回は不良バ場でしたから。良馬場なら、絶対、追いついていました」
「だろうね。カツラギは速いもん。でも、今日はアタシの勝ち」
「はい。今日は、私の負けです」
ふふ、とカツラギは笑う。私も釣られて、ふふ、と笑う。そして、お互いに自然と、こう言葉が出てきていた。
「「また、勝負しよう」」
言い合って、拳をぶつけ合う。さて、そろそろ身体も落ち着いてきた。ぐっと上半身を起こせば、カツラギが手で支えてくれる。それを頼りに、一気に視界を持ち上げた。
『シービー!シービー!シービー!』
まだまだ鳴り止まぬ声。むしろ、私が立ち上がったことでその声援は大きくなった気もする。手を振って声援に応えていた私を見ながら、カツラギは笑顔を浮かべていた。
「じゃあ、敗者はそろそろ引っ込みます。またライブで。ミスターシービー」
「うん、またライブで。カツラギエース」
軽く頷き合って、彼女と別れる。同時に、今度はオールアロングと、マルゼンスキーがこちらに歩み寄ってきていた。さてさて、おふたりともいい笑顔だ。何を言われることだろうね。
■
インタビューを受け、地下道に引っ込んだ私はトレーナーからタオルを受け取っていた。よく見れば、地下の道も外のターフと同じように泥だらけ。そりゃあそうだ。いままで走っていたウマ娘たちが引き上げた道なのだから。私も例に漏れず泥だらけ。靴は泥水でぐっちゃぐちゃ、勝負服も水を含み切って重いこと。
「おつかれ、シービー」
「ありがと、トレーナー」
頭をタオルで拭きながら、トレーナーと軽くそう言い合う。
「どうだ、気持ちよく走れたか?」
「もちろん。最高だった」
全力で走った。雨の東京レース場。勝って嬉しいは当然だけど、それ以上に、全力で競い合えた充実感が私の身体を満たしている。ふと、その時。グウと、お腹が鳴ってしまった。
「ねぇトレーナー、何か食べ物持ってない?お腹へっちゃって」
私がそう言うと、トレーナーは思案顔になる。まぁ、都合よくは持っていないか…と思ったのだが。
「あー…」
ジャケットのポケットに手を突っ込んで、歯切れ悪く、トレーナーがつぶやいた。
「レースが始まる前に屋台で買った鯛焼きならあるが…ああ、冷たくなっちまってる」
鯛焼きか。冷たくなった、鯛焼きか。
「ちょっとまってくれれば温かいのをすぐに用意するが」
「いや、それがいい」
そう、その冷たくなった、鯛焼きが良い。
「いいのか?」
「うん」
だってそれは、鯛焼きを食べるより、私のレースをしっかりと見ていてくれた、私のトレーナーの証なのだから。
「じゃあ、ほら」
包に入れられた、きつね色に焼かれたそれを受け取る。ああ、確かに冷たい。ちょっと硬くなってる。でも。
「…うん。やっぱり美味しいね」
背中からパクリとかじりつく。少し硬くなった皮、熱のない餡。疲れ切った身体に、染み渡る。思わずにんまりと口角が上がる。
「そいつは良かった。さて、じゃあ、シービー。それを食べたら、ライブの準備だ。着替えは控室に準備してあるから、着替えてきてくれ」
「判ってる。泥だらけのこの格好じゃあ、仕舞がつかないからねー」
そう言いながら、2人で控室へと歩みを進める。うん、私とトレーナーの関係はこのぐらいがちょうどいいだろう。勝利に湧きすぎるわけでもない。でも、祝福しないわけでもない。このぐらいの、さっぱりとした感じがたまらなく良い。
「ああ、そういえばインタビューで次は有マ、って言っていたが、本当に出るつもりか?」
「うん。出るよ。どうして?」
「ここのところ連戦だろう?休んでも、文句は言われないと思ってな」
あー…まぁ、史実のミスターシービーは休んでいたしねー。でも、ま、私の調子はすこぶる良いわけで、それに。
「んー…休んでもいいけれど、年末のお祭りでしょ?お祭りならさ、『踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々』ってことで、走らな損って思わない?」
「走らな損か。そうか、そうだな。じゃあ、明日からまた特訓だな」
「そうだね。だから、しっかりと頼むよ?ミスタートレーナー」
「判ったよ。お前こそ、しっかりと頼むぞ?ミスターシービー」
■
いけないボーダーラインを謳いきった私とマルゼン。赤と緑のライトから、通常のライトに切り替わり、大きな歓声が私達に降り注ぐ。それに答えるように、私とマルゼンは大きく、大きく両の手を振っていた。
『ありがとう!応援してくれてありがとう!』
私がそういえば、大きな声援が帰ってくる。天を仰ぎ、声援をじっくりと感じていると、マルゼンから声をかけられた。
「浮かない顔ね」
おや…判ってしまうか。うん。そうなんだよねー。盛り上がったのは良いんだけど…。ちょっと一つだけ。
「別世界の曲を持ってくる。ちょっとズルしているみたいでね」
そう。私が考えたわけでもない曲。それを専用曲として使う。どうなんだろうっていう考え。少しだけ、私の中に影を落とす。本来は、作曲でも、作詞でも出来ればいいのだけれど、そんな才能は無い。と、マルゼンスキーは、やれやれといった感じで、顔を横に振った。
「別に良いんじゃない?それでも」
その言葉に、マルゼンスキーの顔を観る。そこにあったのは、まるで、仕方ないわねぇと言わんばかりの苦笑を浮かべた彼女の顔。
「確かにシービーちゃんの曲は別世界の物よ。シービーちゃんが作ったわけでも、歌ったわけでもない」
そうだ。まったくの借り物だ。正論に、思わず、頭をかく。が、マルゼンはそんな私を尻目に、言葉を続けた。
「でも、それをここに持ってきたのは、持ってこれたのは、貴方がシービーちゃんとして頑張ってきたお陰なんだから、胸を張りなさい」
胸を張れ、か。そうだね、そうか。ならばと、大きく息を吸う。
「それでもモヤモヤしているのなら、目の前のファンたちを見てみなさい」
笑顔を浮かべ、そう私に告げたマルゼン。
言葉に誘われるまま、観客席に目をやれば、そこにいるのは大歓声をこちらに向ける人々。緑色のサイリウムが振られ、そして、声援を送ってくれている。
「…うん。いい感じに盛り上がってるね」
「そういう事。それじゃあ、最後は貴方の十八番を歌っちゃいなさい」
「わかった。ありがとね、マルゼン」
私も彼女に負けないよう、満面の笑みを浮かべてみせる。そうだな。ここまで来たなら、やりきってやろうじゃない。
「お礼はいいわ。それより、また一緒に走ってくれる?」
「勿論。お安い御用さ」
マルゼンは笑顔を浮かべたまま、ステージを去っていく。残されたのは、私一人。すると、そこに降り注ぐ、大きな声が。
『アンコール!アンコール!』
鳴り止まらないのはアンコール。気づけば、それは波及して、スタンドを緑のライトで覆い尽くしていた。
「…やりますか」
スタッフへと目配せを行う。あちらもこちらに目配せを行い、同時に頷いた。そして、ステージは『赤色』のライトが包み込む。そして、この世界で初めて披露した、あの曲のイントロが。
どこか、ラテンの音を彷彿とさせるギターの音が爪弾かれる。
『オォオオオオオオオ!』
『ミスターシービー!』
『ミスターシービー!ミスターシービー!』
言葉はいらないだろう。右腕を天高く掲げて、親指から、拳を作ってみせた。