圧倒的、圧倒的感謝…!
「いいでしょ、大洗の海」
「おー」
助手席のトレーナーは感嘆の声を上げていた。若干、今日はシケているからか、白波が立っていてどこか日本画のような海だ。と、その砂浜で、結構大きな人だかりが見て取れた。
「ん?あれ、なにやってんだろ?」
「ん?どれだ?」
「あれあれ」
私が指さした先を、トレーナーは追う。
「あー…野良レースじゃないか?」
「野良レース?」
よくよく見てみれば、人だかりから離れたところで数名の人影が走っている。あ、今人だかりからまた数名、横一線で砂浜を駆け出した。
「楽しそうだね、アレ」
「興味あるのか?」
「うん。トレセン近くの河川敷とかでもよくやってたし。こっちだと砂浜なんだねー」
砂を巻き上げなら進むウマ娘達。表情は伺い知ることはできないけれど、きっと、楽しんでいそうだね。
「キャンプ場いって落ちついたら行ってみるか」
「いいの?」
「ああ。ま、お前が走るのは遠慮願いたいが…」
む、まー…そうか。砂浜、オフ。走る道具も持ってきてないしねぇ。
「まぁ、状況によるな。コースの状態を見て、あと参加者の民度を見て許可を出すよ」
私の残念そうな表情をみたトレーナーは、そう提案をしてくれていた。
「うん。お願い」
少し笑みが浮かんでしまう。レースというだけでも、かなり楽しいのだ。ウマ娘の本能というか、私の本能というか。
■
海岸線を抜けてキャンプ場に到着した私とトレーナーは、早速受付へと向かう。のだけれど、その前に一つやることがある。
「なんだその帽子」
私が荷物から取り出した帽子を見て目がテンになっているトレーナーを後目に、更にヘアゴムを取り出した。
「一応ほら、テレビで顔出てるし変装。あとほら、ゴムで髪をまとめてポニーテール。案外これでごまかせるもんだよ」
「なるほどな」
せっかくのオフ、キャンプ。だというのに、顔がバレて騒ぎになるのは避けたい所だ。なんてったって、私の歌は町でも結構流れているわけだし、URA自体がエンタメ。誰が見ているかわからないからね。処世術というやつである。…ミスターシービーだったら、多分、「気にし過ぎ」とか言いそうだけど。
「お二人ですね。お名前とご住所をこちらに」
「はーい」
早速受付でトレーナーと共に記帳を行うわけだが、ここでミスターシービーと書いてしまっては変装の意味がない。ということで。
「西崎様と、ウマ娘キャップビー様。ご予約の方ですね。お待ちしておりました」
「うん」
「ご利用になったことは?」
「何度かあります。あ、ゴミ袋2つお願いします」
「承知しました。では、軽くご説明だけさせていただきますね」
係員はゴミ袋を取り出しながら、簡単にマップを指さしながら説明を行ってくれた。ゴミ捨て場、水場、あとは売店の時間など。ま、今回はキャンプ場隣のスーパーや、市場で食材は手に入れるから問題はないだろう。門限だけだね。
「…最後に、消灯は10時です。それ以降は静かにお過ごしください」
「わかったよー」
私とトレーナーは受付を終えて、その足で適当に場所を探していた。どうやら今日は人は少ないようで、まさに貸し切り状態と言えるだろう。遠くでギターの音が聞こえる。しかも結構お上手だ。うん。あの音が聞こえる範囲でちょっと設営したいかも。
「この丘の上でいいかな」
ということで、選んだのは受付から近い丘の上。トイレ、水場も近い。ベストポジションだ。
「設営…やったこと無いんだが」
「あー。大丈夫だよ。ちゃっちゃとやっちゃうから」
今回選んだ道具たちは一人でも設営が出来る優れもの。テントは真ん中にポールを立てるだけのワンポールテント。大きく、2人の大人が寝ても余裕の一品。コットと呼ばれる簡易ベットに、ヘッドレスト付きの椅子、少し高いテーブルに、スキレット、後はディスク型の焚き火台。チタンのコップはダブルウォールで飲み物の温度を保ってくれる。
「…ほお、かなり本格的だな」
「そりゃ、トレーナーと一緒に泊まるからね」
そう言いながら取り出したのはダウンの寝袋。冬の大洗は海沿いとは言え氷点下に気温が下がる。ウマ娘の私は体温が高いので-5度のライトなもの。トレーナーはー15度対応のヘビーなものを用意している。もしそれでも寒いのならば、この軍用毛布のウール96%の一品で暖を取ってもらう感じ。
「よし、こんなところかなー」
「見事だな…テントに寝袋…これ、ベッドか?ランタンも4つ…ランタン、こんなにいるのか?」
コットやテントを見ながら感心するように頷くトレーナー。新鮮でいいかも。
「うん。トイレ行くときとかに一人一つ。で、こっちの大きなのがメインのライト。調理とかの時に使うんだ。で、こっちのがオイルランタン。焚き火始めてのんびりしてきたらこれに切り替えるよ。雰囲気が良いんだ」
ランタンは使い分けが大切だ。特に、今回は荷物に制限がない車キャンプ。やりたいことは、すべてやる。
「ほー…こだわりだな?」
「ミスターシービースペシャルだよ。でも本当は、ハンモックでキャンプにしようと思ったんだ。でも寒いからね。今日はテントで勘弁して?」
「ハンモック…それも魅力的だな。じゃあ、それはまた今度」
「うん。じゃ、設営も終わったし。食材買いに行くついでに野良レース、見に行こう?」
頷くトレーナーを助手席に叩き込んで、ウキウキする気持ちのままアクセルを踏み込んだ。さあ、どんなレースが行われているんだろう。
■
「やっぱり、野良レースだ」
ダダダダ、ドドドドとウマ娘たちが駆け出す姿を見ると、なるほどなと納得することが出来る。年齢は関係ない。子供から大人のウマ娘までが参加する野良レース。直線で…1000メートルぐらいか?いや、違う。よく見ると折り返しが有るから…直線、折り返し有り2000メートルといったところか。
「うん。参加者のスタートもいいな。ゴールに…道中のスタッフもいるし…うん。これなら参加してもいいだろう」
「本当?」
「もちろんだ。ああ、ただ全力は出すなよ。軽く、アップのつもりで走れ」
「もちろん。怪我はしたくないしね。それに」
実力があまりにも違う。フォームも、コース取りも、何もない。本当の一般ウマ娘達。そこで走ろうと思えば、軽く走るほかはあるまい。
「わかっているならいい。熱くなりすぎるなよ?」
「わかってるよ」
中央のように、身体を接触させるような、相手に殺意をぶつけるような、そんなしのぎを削るレースはしない。今回は楽しく、楽しくだ。
「えーと、受付はどこかな」
「あれじゃないか?」
トレーナーが指さした先、簡易テントが設営されてそこに何名かのスタッフが居るようだ。近づいてみると『太陽ビーチ町営野良レース』と銘打たれた看板が立っている。
「あのー、野良レース、参加したいんですが」
「ああ!参加ですか!?えっと、ご確認ですが、ウマ娘でいらっしゃいますよね?」
「うん」
ミミとシッポを見せてやれば、頷きを返してくれた。そして、目の前に差し出されたのは簡単な名簿。
「ご参加の場合はこちらにお名前と…あと年齢、連絡先、連絡先の電話番号、あとはお連れ様がいらっしゃればそちらのお名前もお願い致します」
「はーい。じゃ、西崎さんもよろしく」
さてさて、なんて書こうかな。ミスターシービー、なんて書いちゃ騒ぎになるだろうし。んー…。
「ウマ娘、キャップビー様、ですね」
「うん。こっちが西崎さん。ま、トレーナーみたいなもの」
「トレーナー…?もしかして、トレセン所属の方ですか?」
「うん。参加しちゃまずかった?」
私がそういうと、受付の方は首を横に振る。
「いいえ!むしろ大大大歓迎ですよ!この野良レースにはこれからトレセンを目指す子も多く走っています。どうぞ、その走りを見せてあげてください!」
「あはは、そうなんだ。わかったよ。楽しく走らせてもらうよ」
「はい!ぜひ!では、あちらの列にお並びください。係員がご案内致します」
指を刺された先を見てみれば、なるほど、老若男女のウマ娘が列を作っていた。
「じゃ、俺はあっちで見させてもらうぞ」
「オッケー」
トレーナーはそう言いながら、ビーチの高台へと移動していく。さてさて、どんなウマ娘たちがいるのやら。心躍るかもね。
■
「キャップビーさんですね。えーと、では、こちらの列に」
「はーい」
「…お、トレセン所属の方でしたか。この組の皆さんは運がいいですね」
係員の声に、一緒に走るであろうウマ娘たちの顔がこちらを向いた。子どもたち、大人たち。軽く笑顔を浮かべておこう。
「あはは。ま、よろしくねー」
「それでは改めて。今回は10人で行われる非公式ビーチレースです。距離は1000メートル折り返して1000メートル。合計2000メートルの直線です。折り返し前後100メートルでは追い越し禁止となりますので、ご注意ください」
なるほど、そういうルールね。頷いておく。
「参加者はご覧の通り、子どもから大人まで混じり合っていますので、特に、大人の方は周りをよく見てくださいますと助かります。危ない場合は係員ウマ娘が割って入りますのでご了承を」
うんうん、結構しっかりしている感じ。いいね。周りを見てみれば、若い子は小学生ぐらいか。
「では、軽く自己紹介を。短いレースですが、同じレースを走るウマ娘同士ですので。では1番から」
「はい!地元の中学校三年のウマ娘、ホシイモスキーと…」
端から自己紹介をしていくウマ娘たち。干芋かぁ、実に食べたいね。ってそれはいい。私はといえば10番。ラストだ。さてさてと待っていると、思わず、振り向いてしまうような、そんな名前が参加者から飛び出していた。
「シガーグレイドです!トレセンを目指しています!!」
ん?
「ナイスネイチャです。地元は遠いところですけど、今日は旅行の途中で参加しました!今日はよろしくお願いします!」
んん?ん?そう思ってちらりと視線を向けてみれば、そこにいたのはちっちゃいウマ娘が2人。んん!?と思いながら頭に浮かべたウマ娘2人。あー…脳裏に浮かんだアニメやアプリのウマ娘の面影はあるね。彼女らの幼少期かなぁ?と、思っているうちに私の番が回ってきていた。
「…キャップビーです。トレセンに所属しているウマ娘です。遊びに来ていたら楽しそうなことをやっていたから、参加させていただきました。今日はどうぞよろしく」
改めて、私の顔を見る彼女達。明らかにシガーグレイドとナイスネイチャはキラキラとした瞳でこちらを見ている。
「あの!トレセンってどんなところなんでしょうか!?」
「あ、こら君。そういうのは…」
ナイスネイチャが我慢しきれないという感じで声を張った。静止しようと動いた係員に目配せを行う。
「大丈夫、質問は受けるよ。そうだねー。一言で言えば楽しいかな。皆が上を向いて切磋琢磨しているから、楽しくて仕方がない場所だよ」
「そうなんですね!」
「あの、トレセンに入るにはどうすれば!」
今度はシガーグレイドだ。そうだねぇ。
「前を見て全力で練習することかな。あとはしっかり勉強をすること。トレセンは真面目に走り、人々を楽しませようとする人を歓迎しているよ」
「わあ!ありがとうございます!」
彼女らの質問を皮切りに、どんどん出るわ出るわの質門。学生じゃないけどトレセンは入れるのか、とか、レースはどんな感じなのか、とか。収集がつかなそうだなぁと思った時、係員が手をたたき、その場を抑えた。
「さあみなさん。質問はそろそろ終わりにしましょう!次は皆さんの走る順番です!」
前を向けば、なるほど、前のグループがスタートラインの上で準備を行っている。ならば、向かうとしよう。
「じゃ、質問はここまでね。何か気になることがあったら、また走ったあとで」
「はい!」
返事はよろしい。といったところで前のグループがスタートを切った。うん、てんでバラバラ。素人らしいスタートだ。でも、楽しそうで仕方がない。
「では、次のグループの方!スタートラインにどうぞ!」
歩みを進めながら、トレーナーの方を見ると、どこで買ったのか既にビールを開けていた。寒空なのによくやるねぇ。でも、羨ましい。せっかくの休日だもの。此の後焚き火をしながら一杯やりたいものだ。ふと、トレーナーから親指を立てられた。健闘を期待するってことかな。こちらも親指を立てておく。
「うん。スターティングゲートじゃないっていうのも新鮮でいいね」
野良レース。砂の上に雑に引かれたライン。多分靴で引いたのだろう。ちょっと曲がっている。でも、そこに立つウマ娘たちの顔は皆笑顔で、皆真剣。
「…アップか。それはちょっと失礼だね」
ちょっと本気で行こう。右足をぐっと後ろに下げて、腰を落とす。追い込みはしない。今回は逃げていこう。
「では、位置についてー!」
ちらりと周りを見た。腰を落とすウマ娘もいれば、そのままのウマ娘も居る。ナイスネイチャとシガーグレイドと目が合ったので、軽く手を振ってみれば、笑顔を向けてくれた。
「よーい!」
前を向く。冬空と、シケの海。ざあざあとなびく風の音。息を整え、合図を待つ。
「ドン!」
ズドン、と砂を抉る。腰を捻り、右足の力で右腕を振る。その反動で今度は左足を地面に突き立て、このぬかるみとも言える海岸の砂を、パワーでねじ伏せて速度を乗せる。
「速っ!?」
「うっそ!?」
「さすがトレセンのウマ娘だ!」
「うわーえぐっ!?」
様々な声を耳に入れながら、トップスピード、とは言わないけれど、程々の速度を出して後ろをちらりと見た。
「へぇ」
なるほど、やっぱりか。私の後ろには、シガーグレイドとナイスネイチャ。そこからしばらく距離を開けて1番の子。
「ふふ」
これは楽しみが増えそうだ。そう思いながら、前を向いた。
■
走った結果は1着。当然と言えば当然だ。でも、嬉しいものはやっぱり嬉しいもので。
「一着の記念のほしいもです。どうぞ」
「ありがとう」
笑顔でそれを受け取って、トレーナーに掲げて見せた。再び、彼は親指を立てて、こちらに笑顔を向けてくれていた。
「んー、無敗記録更新、ってねー」
服についた砂を手で払いながらそう呟いていると、見慣れた2つの影。シガーグレイドとナイスネイチャが私に近づいてきていた。その後ろには親御さんであろうか、大人の女性が2人。
「かっこよかったです!キャップビーさん!」
「すごかったです、ぐーっと、ぐーんて背中が離れていって!」
「ありがと。えーと、シガーグレイド。ナイスネイチャ」
「はい!」
「あたしの名前、覚えていてくれたんですね!?」
「モチロン。私の後ろをついてきたんだ。今から、君たちの将来が楽しみだよ」
私がそう言うと、笑みを見せる彼女らと、その親御さん。ふと、シガーグレイドが興奮冷めやらぬまま、大きな声で叫ぶ。
「本当ですか!?私も、トレーニングセンターに、中央のトレーニングセンターに行けますか!?」
ほほお。いいね。そのやる気。ココロの底からそう思っている。そんな声だ。ナイスネイチャも言葉にはしないけれど、表情に出ている。私もそうなりたいと。
「シガーグレイド!またそんな事を言って。貴女からも言ってください。中央は普通のウマ娘は無理だって。この子ったら、どうしても中央に行くって聞かないんです」
「あら、ウチもです。どうなんでしょう、キャップビーさん。この子たちでもトレセンは、その、中央に行けるのでしょうか?」
よく見れば、彼女らだけではない他のウマ娘の親御さんたちや、大人のウマ娘も興味津々なようで、こちらに視線を向けていた。ほーん。中央トレセンに、ね?ならば、ここは一つ、助言と言うか、何か、話をするとしよう。
「そうだねー。普通なら、無理だろうね?」
「やっぱり!ほら、シガーグレイド。ウマ娘のおねえちゃんもこう…」
「でもね」
言葉を遮る。ああ、そうだね。普通の親なら止めるんだろう。コツコツとやってほしいと思うだろうね。でも、成功したいのなら。頂点に立ちたいのならそれじゃあ届かない。
「普通の努力、普通の勉強、普通の生活をしていたら届くはずもないよ」
それに、だ。親の都合で決めた子どもの夢なんてものは結局、親が楽するための方便だ。子どもに苦労させられるのが親の仕事でしょ?だから、どんな夢でも、子どもの背中を押してあげて。
「きっと、今じゃキミ達は全く届かない。全く、中央には来れない」
私の言葉に目を見開く人々。なんてことを言い始めるんだと、もうちょっと言い方が有るだろうと言いたげな瞳。だが、君達が私に言葉を求めたんだし、ここは私に任せて。それに私は未来と話をしているからね。ちょっと運のいい私から、キミ達に厳しい現実と栄光の希望をプレゼントだ。
「中央は普通の人間も、ウマ娘も居ないよ。常軌を逸した努力、常軌を逸した精神、常軌を逸した情熱。『常軌を逸した行動』それを『普通だよ』と涼しい顔で言える人しかいない」
変装用の帽子のツバが邪魔だ。髪留めが邪魔だ。帽子を脱いで、髪留めのゴムを外す。素顔を晒しながら彼らをじろりと舐めるように見つめた。一部のウマ娘たちは、私の言葉と視線に一歩引いた。だが、子どもたちは、希望を抱くも者達は一歩も引かない。いいね。その精神は大好きだ。
「だから、シガーグレイド、そしてナイスネイチャ。そしてここにいる全ての未来達」
あれ、このウマ娘、どこかで見たと声が聞こえる。
「私の、私達の『普通』を、君たちが『普通だね』と笑える日が来たのなら」
まさかと、驚きの声が聞こえた。
「その時は歓迎しよう。改めて、私はミスターシービー。無敗の三冠ウマ娘だ。君たちならばきっと、私の背中を追い越してくれると信じている」
にやりと笑う。少しの沈黙の後帰ってきたのは、驚いた瞳と、しかし、力強い頷き。うん。いいね。とっても良い。そういうのは大好きだ。
「じゃ、本番はここからだよ。今日のところは思いっきり走るから、好きに挑んでくるといいよー。第一線、トップの力を魅せてあげる。いいかな、係員さん?」
「え。あ、はい!?あ、えーと!?ミスターシービーさん!?あの無敗の三冠の!?」
「あはは。本物だよー。疑うのなら、あっちで座ってる私のトレーナーに聞いてみれば?今日、時間の許す限り、全部の野良レースに出るよ。参加者募集中。いいよね?」
「あ、はい!願ってもないことです!お願いします!」
係員さんの言質は取った。あとは、参加者のほうだね。
「キミ達も、いい?」
私の周りに出来た人だかりに問えば、みんな一様に首を縦に振った。
「はい!」
「ミスターシービーと走れるなんて…でも、負けません!」
「お、言ったなー?じゃ、早速走ろうか!」
いいよね?トレーナーと目を向けてみれば、仕方ねぇなと両手を上げて頷いてくれていた。
「そういえば、シービーさんもやっぱり最初から早かったんですか?」
「ん?」
「才能っていうか。そういうのも、大切なのかなって」
ナイスネイチャがそんな事を聞いてきた。うーん。
「…んー、別に。むしろ遅いぐらい。それに、デビューも遅くてさ。トレーナーも居なくて退学寸前だったんだ。どちらかっていうと、落ちこぼれだよ」
「ええ!?」
「そうなんですか!?」
「うん。でも、諦めずに前を向いていたらここに立ってた。だから、才能も大切なんだけど、努力も大切だよ」
私がそういえば、シガーグレイドが少し不安そうな表情を浮かべていた。はて?
「でも、才能が無かったら」
ああ、そういう事。才能がないならこうすれば良い。
「秀才になれば良い。天才を超える秀才になればいい」
シガーグレイドはどうやら納得したようだ。笑顔が浮かぶ。ふと、今度はナイスネイチャが不安そうな表情を浮かべる。うん、なんだかコロコロ顔が変わって面白いかも。
「その…天才の秀才が現れたら?」
ふむ。天才の秀才か。難しいね。確かに、彼女の同期にはあのトウカイテイオーが居る。天才で秀才。まさに最高峰。ルドルフみたいな奴だ。でも、だからこそ私ならばこうするだろう。
「その時は…そうだなー。私なら、頭をかいて誤魔化すよ」
ぽりぽりと頭をかきながら苦笑を浮かべてみせた。
「なんですかそれー!」
2人は納得いかないような顔でこちらに叫ぶ。でも実際、実力者相手にはそうするしかないのだ。おお、すごいやつが走ってるなぁ、こりゃ、敵わないかもねって。
「ふふ、他人を気にしても仕方がないってこと。勝てる勝てないとか、そんなつまらない自分の分類を気にする前に、まずはやれることを全力でやるんだ。まずはそこからでしょ」
相手の方が強い。それを理解した上で全力で勝ちに行く。それが出来るからこそ、中央で立っていられるのさ。これが、私がミスターシービーになってから学んだこと。どうか、この子達にその一遍でも伝われば。
「わかった。やってみます」
「わかりました。頑張ってみます!」
「うん。よろしい。こういうことだよ、ってことで、保護者の皆さん。走りたい子は走らせてあげてください。きっと、大きくなりますから」
そうやって彼らの目を見る。すると、どうだろう。先程までの『どこか一歩引いた目』から、燃える目へと様変わりしていた。ああ、そうだ。それでいい。自分の子を、信じてやれば良い。あとは野となれ山となれ。大丈夫、死にはしない。
「でも、もし失敗したら」
シガーグレイドの親御さんがそう呟く。ああ、その心配はあるだろう。
「大丈夫、とは言えないけど。やりたいことをやり尽くして倒れたのなら。新しい道でも力強く進んでくれますよ」
たとえ道半ばで倒れたとしても、残るのは、確かな自信と、形のない素晴らしいナニカさ。
■
野良レースの後、キャンプ場に戻ってきた私たちは、その道中で買い集めた食材とお酒で早速一杯やり始めていた。焚き火がこうこうと灯り、気づけば夜の帳が下りている。星空は瞬き、杉林のキャンプ場はまさに情緒たっぷりの場所と言えるだろう。遠くからは波の静寂が聞こえる。パチパチと、焚き火が謳う。
「いやー、それにしてもらしくないことしちゃったよ。説教臭かったかなぁ」
生ジョッキ缶を片手に、イカを食べながら苦笑を浮かべた。いや、本当、説教臭かったなぁ。どうもレースのことになると熱くなっちゃう。反省だ。
「そうか?お前らしいと思ったけどな。それに、響いたぞー?」
酒、赤玉ワインを飲み、そして肉を焼きながらトレーナーは私に笑いかける。まったく、他人事だと思っちゃって。
「響いたって、どこらへんが?」
「秀才になれ。そして、強いやつが現れたら頭をかいて誤魔化すって所だ」
「そう?」
「ああ」
言葉は多くない。だが、どうやらトレーナーは満足しているようだ。それなら、それでいい。焚き火に照らされてトレーナーの穏やかな顔が見えた。うん。ま、今日はそれを見れただけで満足としておこう。
「お、いい感じ。食べる?」
イカを差し出してみれば、トレーナーは口を大きく開けた。そこにイカを放り込む。
「おお、旨いな。肉要る?」
「あ、ちょーだーい」
口を開ければ、そこに放り込まれる肉。うん、いいね。牛肉のいい味が出てる。焚き火の直火っていうのも、実に良い。と、ふと、トレーナーがこちらを見た。なんだろう?と首を傾げてみたのだが、何かを迷うように視線を泳がせるだけだ。
「どうしたの?」
煮え切らないトレーナーにしびれを切らし、そう聞いてみると、申し訳なさそうな表情でこちらを見た。
「その、ミスターシービー。こんな夜だ。いい曲を一つ、お願い出来ないか?」
「藪から棒だね」
「浜松で聞いたお前の歌が忘れられなくてな」
「そういうこと」
まさかのリクエストか。うん。ま、確かに、酒に煙草に焚き火にこのキャンプ場の雰囲気。BGMの一つも欲しくなるか。とはいえ、前は見上げてごらん夜の星を、だったけれど同じ曲じゃあつまらないだろう。
「いいよ、じゃ、しっとりと歌ったげる」
「頼んだ」
缶をテーブルに置いて、椅子に軽く腰掛ける。周りを見てみれば、受付のときより多いキャンパーが居る。予想よりも多い。とはいっても今日は1月の半ば。いくら海沿いとは言え夜は氷点下を切る厳しい夜だ。こんななかでキャンプをするのは、一部のもの好きしかいないだろう。騒ぐような人はまず居ない。
「ちょーっと恥ずかしいけれどね。他のキャンパーがいるのに謳うのは」
「怒られたら俺も一緒に頭を下げるさ」
「…それなら、安心して歌えるかな」
す、っと息を吸う。この夜に、この冬に謳うのは、この曲がいいだろう。
―額に感じる 澄んだ空気 吐く息が弾む―
吐いた息が白く天に登る。まさに、この冬を歌い上げた一曲を口ずさむ。
―止まること無く 歩き続けていたの ここで振り返る もうすぐだよ―
のんびりと。しとやかに。息を吐くように、静かに。
―朝日が昇る 私は旅する 新しい日に 自由を吸い込んだら―
しかし、のびやかに。冬の夜に響くように。
―あたたかい火を 囲んで座ろう たわいもないこと 話しながら―
1番を歌い上げたところでトレーナーを見てみれば、目をつむり、しかし指でリズムをとっていた。どうやらお気にめしたようで。と、思った時。
「あの、すいません。少々よろしいですか?」
「ん?はい、なんでしょう」
まさかのお声が掛けだ。もしかして煩かったか?とトレーナーと共に頭を下げようと思ったのだが。どうやら様子が違うらしい。
「素敵な歌声だったもので。どうでしょう、私のギターで伴奏など入れさせて頂きたいのですが」
声を掛けてきた男性。歳にすれば30ぐらいだろうか?丸目のサングラスをして、ギターを抱えていた。トレーナーと視線を合わせて思わず笑い合う。
「いいよー。トレーナーもいいよね?」
「お前がよければ」
「うん。じゃ、ギターの人。よろしく。あ、で、曲はどうしよう?」
「今のを」
短くそう告げたギターの人。む、この曲はこの世界に無いはずだけど。もしかして、私が知らないだけかな?
「聞いたこと有るの?」
「いえ、ですが、メロディーラインは判りましたので」
「うん。わかった。あ、でも、2番のあとにCメロ入るよ?」
「合わせますよ」
ほほう、それはすごい。自信満々だ。いいね。嫌いじゃないよ。
「あ、そういえば貴方のお名前は?私はキャップビー」
「ああ、これは、大変申し遅れました。根付と申します。根付、羽紗です」
「根付さんか。よろしく。じゃ、2番からでいい?」
軽く目配せをすれば、根付さんがギターを叩く。トントントン、と合わせたところで彼のギターがメロディを奏で始めた。
「へぇ」
少し驚く。彼の爪弾くギターの音は、まさしく、『ふゆびより』その曲のイントロだったからだ。私の歌からそれを思い浮かぶのかぁ。
「すごいなぁ」
私がそう呟くと同時に、ギターの音が止まる。
「何か?」
根付さんがこちらを見ていた。おや、聞こえてしまっていたか。気にしないでと首を横に振る。
「ううん。こっちの話。続けて」
「では」
ギターが再びメロディーを奏で始める。そして、根付さんが目配せをした。なるほど、このタイミングね。いいよ。
―鼻先に触れる木々の香り 時間も忘れて―
静かなキャンプ場に響く私の声とギターの旋律。
―いつもの生活 やることがたくさんで 少し休んでも 大丈夫だよ―
リズムを取りながら、ギターもノッていく。楽しくなってきたかも。
―星が広がる 光が流れる 優しい景色 心も包まれたら―
空を見上げた。雲ひとつ無い空。松林の合間に見えるそれは。優しいものだ。
―明かりを消して となりで眠ろう たわいもないこと 話しながら―
ふと気づけば、いくつもの視線を感じていた。周りを見てみれば、キャンパーたちがこちらに視線を向けている。なかには、身体を揺らしながらリズムをとっている人も。
―ひとりでいることのほうが好きだった けれど―
ギターは静かに。Cメロを謳う。わかっているね。
―朝日が昇る 私は旅する 新しい日に 自由を吸い込んだら―
根付さんと合わせるように、顔を見合わせて頷きあう。
―ゆるやかなとき 一緒に過ごそう 君がいれば 自然と笑顔になる―
周りを見ながら、伸びやかに謳う。少しでも楽しんでもらえるのなら、本望だよ。
―ココアを入れて 写真も取ろう 知らない世界も 歩いてみよう―
トレーナーの顔を見る。満足そうだ。そうだね、今日もこのあとは。お酒と煙草を楽しもう。
―たわいもないこと 話しながら―