4月に入って京王杯や安田記念などのレースが近づいてくると共に、もう一つの予定もいよいよ、というところまで迫ってきていた。
「えーと、フロス…あと口臭ケアはこれと…」
口のメンテナンスを入念に行いながら、更に身だしなみも要チェックだ。目やになんかついてちゃいけないし、産毛もなるべくは剃っておく。
「よし…いいかな?」
軽く頷いて鏡を見てみれば、そこにいたのは実にミスターシービーらしい女の子。しばらくこの姿に慣れてしまっていたのだが、こう気合を入れるとやっぱり美人だなぁと他人事のように思ってしまう。
「…うーん?やっぱりなんか気分がのらないなぁ?」
ちょっとだけ愚痴りながら、ヘルメットを持ち出し、バイク用のウェアを着込む。向かう場所は学園だ。
「さてと。ま、憂鬱な気分は置いとくとしようか。今日は、リハだからねー」
そう、今日は学園祭のリハーサル。それも、本番と音響やセットリストを揃えたゲネプロ。根付さんたちも来るしね。自分のもやもやはひとまず置いておこう。
■
「おう、嬢ちゃん。久しぶりだな」
「根付さん。お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」
「ああ!頼むぜ!いつもの歌声、聞かせてくれや」
私がバイクで学園に乗り付ければ、すでにそこには根付さんたちFBの面子が揃っていた。楽器なんかも持ち込んじゃって、気合十分の面持ちだ。
「えー、ではミスターシービーさんの出番は、カツラギエースの後ですね。持ち時間はトーク含めて40分。6曲のセットリストがこちらで問題ないですか?」
「…うん、大丈夫」
「判りました。では、出番となりますので、ご準備をお願いします」
■
セットリストも終わり、残り時間もわずか。さて、じゃあ最後にトークでもしながら締めるか、それとも、一曲アンコールを想定してやるか迷っていると、背中から声がかかる。
「嬢ちゃん、らしくないな」
「え?」
根付さんからだ。思わず振り向いて、彼の方向を見てみれば、なんと、彼以外のメンバーもこちらに視線を送っていた。うーん、やっぱりプロは判るのかな。
「歌がツマラナソウだ。どうした?」
頷いて、軽く私の現状を説明しておく。どうも、もやもやするんだ、と。
「…なるほど、もやもや、か」
「うん。どうしようもねー」
根付さんは頭を掻きながら、少しだけ後ろに下がる。どうやら、メンバーと何かを相談しているようだ。少しの間だけ彼らを待つと、根付さんはマイクを手に持った。
「スタッフさんよ。あと何分だ?」
「あと6分で入れ替えですね!」
「サンキュー。よし、ならミスターシービー。一曲歌うぞ」
一曲?思わず目が点になった。
「え?」
「それで、だ。この一曲はお前のためだけに歌え」
ほほう?それはまた変わったアドバイス。
「アタシのためだけに?」
「ああ。今日はファンのために歌ってたんだろ」
「うん」
「じゃあ、この一曲は自分のために歌ってみな?スッキリするぜ?」
なるほど。そういうことなら、と頷く。しかし、一曲となるとなんだろうか?レックレスファイアあたりか、それとも、ウマ娘の楽曲の中から?
「そうだな。歌は、俺達のファンなら、この曲、識ってるだろう?」
ギターとドラム、そしてベース、キーボードが鳴らされる。ああ、確かに、この曲は識っている。もう一度火を灯そうというその歌をよく知っている。思わず、口角が上がった。
「その顔、イケそうだな?じゃ、行くぜ!お前の歌を、オレに聴かせてみな!!!」
「オッケー!!!」
憧れのバンドの演奏で、歌えるとなればテンションは上がるというもの!イントロが盛り上がり、スタッフが予定してなかった演奏に焦りを見せる。でも、そんなの気にしない!マイクを強く握り、口を大きく開けた。
「歌い始めた頃の 鼓動揺さぶる想い なぜか何時かどこかに置き忘れていた」
いい曲をチョイスしてくれるもんだね!とても、好きだ、この曲は!
「ナマヌルい毎日に ここでサヨナラ言うのさ!」
「ナマヌルい毎日に ここでサヨナラ言うのさ!」
ハーモーニーを入れてきた根付さんと目が合い、頷く。こういうアドリブ、嫌いじゃないよ!
「そうさ誰も オレの熱い想い止められない!」
演奏は一気に最高潮へ。ギターはかき鳴らされ、ベースは激しく動き、キーボードは爆発する。そして。
「Dynamaite!Dynamaite!Dynamaite explosion once agein!」
「Dynamaite!Dynamaite!Dynamaite explosion once agein!」
―ああ、素敵だ!そして、私は気づけばフルで一曲を歌い切っていた。時間を見てみれば、私の出番ギリギリ。根付さんたちとアイコンタクトをして、ステージからさっと引き上げる。その途中、根付さんがいい笑顔を浮かべながら、こちらに話しかけてきていた。
「…お、結構いい顔になったじゃないか」
「そう?ありがと」
「ああ、それに。お前もいい歌歌うじゃねーか?」
屈託のない、満足そうな笑顔。私も負けじと、笑顔を浮かべてみせた。
「根付さん、貴方もね」
さて、だいぶスッキリした。スッキリしたから、マルゼンのところに行こうか。せっかく安田記念で一緒に走るんだ。今のうちから切磋琢磨しても、バチは当たらないだろうからね!