ゲネプロを終えたその足で、アタシはマルゼンスキーの元へと向かっていた。最初はゆっくりと歩いて、しかし、途中から早足で。でも、気づけばこの足は駆け足に変わり、いよいよ全力疾走といった具合にどんどん速度をあげていく。
「じゃ、嬢ちゃん。本番、楽しみにしているぜ」
彼らの声が脳内でリフレインしながら、そして、学園の風景が吹き飛びながら練習場へと駆け抜ける。バイクに乗っているかのように、自分の足音が、背中から追いかけてくるような錯覚すら覚えながら。幾人の見知ったウマ娘たちの驚く顔をちょっとおもしろいなぁと思いながらも無視して、たづなさんの声も無視して。そしてたどり着いた先に居た!
「マルゼーン!」
アタシの声に、マルゼンとマルゼンのトレーナーが驚いた顔をこちらに向けていた。ちょーっと面白いね!
「シービーちゃん?」
「マルゼン!走ろう!」
見学席を飛び越えて、ラチを飛び越えて。気分はパルクールだ。飛び越えた勢いを殺さずにマルゼンの前に転がり込んで、笑顔でマルゼンを走りに誘う。
「…情熱的なお誘いだけど、シービーちゃん。覚えてないの?アタシ、安田記念で貴女に勝つつもりよ?」
「知ってる!知ってるよ!もちろん!でもさ、それってもったいないよ!安田記念だけで決着なんて!今日からやろう。毎日やろう!」
ぐっと顔を寄せて心の赴くままに彼女に語りかける。我慢なんてしない。だってアタシは今、マルゼンと走りたい!
「落ち着いて、シービーちゃん。えーっと、トレーナーちゃん?ちょっと、外してもらえる?」
「え、ええ。じゃあ、マルゼンスキー。落ち着いたら食堂に来てくれる?」
「もち。じゃあ、また後でね?」
マルゼンのトレーナーを見送りながらも、ストレッチを忘れない。アタシは今猛烈に走りたい。
「…さて、シービーちゃん。走るのは全然いいんだけど、そんなに興奮してどうしたの?」
「それがさ、根付さんと一緒に歌ったんだ」
「…根付…あ、シービーちゃんの知り合いのギタリストさん?」
「そうそう!そうしたらもう、気持ちが抑えられなくってさ!」
「ふぅん?どんな気持ち?」
どんな気持ち?そんなの決まってるよ!
「マルゼンと本気で走りたい、毎日!」
「…へぇ?」
そんな疑問の眼で見ないでよ。マルゼン!
「それで、ああ、それでさ!私に安田記念で勝ってほしい!」
「…え?」
アタシの言葉に、マルゼンスキーは完全に呆気に取られているみたい!でも、そうじゃない。そうじゃない。ああ、違う。そうじゃないんだけど!でも勝ってほしいんだ!
「あ、誤解しないでね?アタシも負けないけど、マルゼンもアタシに勝ってほしい!」
「…えーっと、どういう事かしら?」
「全力でさ!本気で走ってさ!勝って負けたをしよう!何度でも!何度でもさ!」
アタシが食いつくように言葉を続ければ、マルゼンは困り顔を浮かべるばかり。うーん、伝わらない?伝わる?
「おいおい、シービー。それ、マルゼンスキーにだけか?」
見知った声がするほうに顔を向けた。ああ、そこにいたのは愛しのライバル!
「エース!ちょうどいい!キミも走ろう!」
「ちょうどいいってお前。そんなに興奮してどうしたんだ?」
「すっごい走りたい気分なの!ああ、それと!ルドルーフ!」
アタシの激走を見ていたからだろうか。たづなさんやルドルフも練習場へと集まってきていた。ちょうどいい、すごくちょうどいい!トレーナーも何事かと驚いた顔をしてこっちを見てる!なら、ちょうどいい!
「ルドルフも走ろうよ!絶対楽しいよ!」
「ありがたい申し出だが、どうしたんだい?そんなに興奮して。学園内は静かに移動しなければならないんだぞ?」
「それは後で謝るから!走ろう!ね?あ、トレーナー。今日からみんなと追い切りで練習してもいいよねー!?」
アタシの声に、トレーナーは一瞬困り顔を浮かべたけれど、しかたねぇなぁと言う具合に頷いてくれた。よし、トレーナーからの許可はもらった!なら、遠慮はいらないね!
「さ、練習始めよう!マルゼン最内、アタシ大外。エースはその内側でルドルフがマルゼンの隣!」
「ええーっと…」
「こうなったシービーは止まらない事しってんだろ?マルゼン。あたしも実力ウマ娘と走れるなら願ってもない事だからな。いいぜ」
「判ってるね!エース!ルドルフもこっちきなよー!」
大声でルドルフを呼べば、彼女も仕方ないなと苦笑を浮かべながらもターフへと降りてくれた。さあ、役者は揃った。ということで。
「たづなさーん!スタートの合図よろしくー!」
「えっ!?あ、はい!」
困惑するたづなさんを後目に、ルドルフがこちらに耳打ちをする。
「…全く、キミは仕方ないな?」
「うんうん。説教は後で聞くからさ!ほら、マルゼンもぼさっとしてないで!」
「判ったわ。全く、いきなりねー。でも、仕掛けてきたからには、覚悟して頂戴?」
「もちろん!でも、負ける気はないよー!」
そう言ってみんながスタート位置に着いた。逃げウマ娘最高峰のマルゼン。最高のライバルエース。最高のウマ娘ルドルフ。この3人と走れると思うと、自然と顔の筋肉が緩んでしまう。
「でも、考えてみれば願ってもないわね。ルドルフちゃんとも、エースちゃんとも走れるなんて」
「あたしもだ。最強の逃げウマ娘と、今年の無敗の皐月賞ウマ娘と練習できるなんてな」
「私も同感だ。無敗の三冠ウマ娘と練習できるのならば、そのライバルたちと切磋琢磨できるのなら、この上ない経験になる」
3人もなかなかやる気満載。でも、それだけじゃ足りない。全然足りない。だから、アタシの気持ちをブツケてもっとやる気を出してもらおう!
「でしょ?それで、みんなには私の無敗をレースでぶち壊してほしいんだ!私も負けないけど、皆には勝ってほしい!」
「ほう?」
「へぇ?」
「その言葉、本気なのね?」
3人の眼がこちらを射抜いた。おお、怖い怖い。並のウマ娘ならきっとたじろいじゃう。でもね。
「うん!だって、無敗ってつまらないんだもん!最近なんかやる気でないと思ってたんだ。根津さんと歌って気が付いた。これってつまんないんだって。だからさ!」
そう。詰まらない。詰まらないんだ。本気でやらないとさ!
「全員、毎日、死ぬ気でかかって来て?負けないから」
にやりと彼女たちを見つめる。すると、帰ってきたのは猛烈な殺気。ああ、いい、これだよ。これが欲しいんだ。この、ビリビリくるような、来るような!
「いいわよ。じゃあ、その言葉通り、ぶっちぎってあげる」
「へー…言うじゃねぇかシービー。いいぜ、本気でやってやらぁ!」
「君は相変わらずだ。こちらの都合なんて二の次。だが、だからこそ天衣無縫か。いいだろう。挑ませてもらう!」
そう言って、彼女たちは練習場のターフへと目を向けた。ああ、素敵だ。とても、とても気持ちがいい!
「ええーっと。色々言いたいこともあるんですけど、無粋ですね。では、位置について!」
たづなさんの言葉で、全員が体勢を取る。足を引いて、顔を下げて、腕を引いて、力を溜める。そして、全員の力が溜まりきったとき―。
「スタート!」
火蓋が切って落とされた。爆発的に膨れ上がる殺気。前に出るエースとマルゼン。その後ろから追いかけるルドルフ。そして、その姿をシンガリから見るアタシ。ちらりとトレーナーを見てみれば、腕を組んでこちらを眺めている。
―好きにやれ。ただ、負けるなよ―
―もちろん!―
視線のやり取りで会話を済ませて、改めて前を見た。レース本番のような殺気。熱気。ああ、実に、実に素敵だ!そうして気づけば、アタシのモヤモヤは吹き飛ぶ景色と一緒にターフの彼方へとすっとんで、ふつふつと、走ることへの楽しさが湧き上がってきていた。