「それにしても、学園長さんも無茶を言いますよね」
カツラギエースは、シンボリルドルフと肩を並べて廊下を歩く。シービーは、何か話があるそうで、学園長とたづなさんの元に残っている。本来はシンボリルドルフも残ってくれとシービーから言われていたのだが、練習があるということで、それを断った次第だ。
「ああ、オープニングライブか」
ルドルフも同じことを思っているのか、少々眉間に皺が寄っていた。
「正直、シービーが躍ると言わなければあたしは断っていました。会長さんはどうですか?」
「ん?ああ、私だけに言われたことならば、私も断りを入れていたよ。無理だ、とな。だが、シービーが行けるというのなら」
私も行くしかあるまい?と言わんばかりに、口角を上げてみせたルドルフ。その顔をみたエースは力なく笑みを浮かべていた。
「シービー。彼女の背中は、なかなか、追いかける価値がある。追いかける甲斐もある。…それにしても、カツラギエース」
「はい。なんでしょう?会長さん」
改めて、足を止めてエースに体を向けたルドルフ。それに呼応するように、エースも足を止めて、ルドルフの顔を見る。
「なぜ、君は負けても負けても、シービーの背中を追うんだい?」
「それは、どういう意味でしょう?」
「いや、何、素朴な疑問だ。それに、負けても、負けても、君は私が最強だ、ウマ娘のエースだと言って憚らない。その、原動力は一体どこから来るのか。そう思っただけだ」
ルドルフの眼差しを受けて、エースもしばらく沈黙を守る。そして、少し視線を彷徨わせた後、エースはルドルフの目をまっすぐに見て、こう言った。
「憧れなんですよ。あたしの。彼女の走りを、近くで見たい。彼女の走りに、並びたい。彼女の走りを、必ず超えたい。そう、常々思っています」
「そうか」
ルドルフは、納得したように頷いていた。それは、ルドルフ自身も同じことだからだ。嫉妬するほど強いシービーの走り。それを目の当たりにして、ルドルフも必ずあの足を、私の力でねじ伏せると誓ったウマ娘の一人なのだから。
「それと…あの、会長さんご存知ですか?引退するウマ娘が多いこの学園で、シービーと一緒にクラシック三冠を走ったウマ娘は、誰もまだ、引退していないんです」
ルドルフは頷いた。確かに、それは珍しいことだ。怪我や病気になってしまったウマ娘はいる。だが、その誰もが引退という言葉を口にしない。この、シービーの世代だけが特に目立つ。
「実はその。荒唐無稽なんですが、感じたんですよ」
「何をだ?」
「ミスターシービー。彼女から、私達にずーっと、ずーっと届けられている感情を。だから、誰も、シービーと走ることを諦めません」
それは、なんだと問いかけようと思って、ルドルフはやめた。なぜならば、それは、ルドルフが言葉として聞いて、そして、行動として知っていることだからだ。
「ああ、そうだな」
納得して、頷いたルドルフ。
―誰よりも、ウマ娘を愛している『ただの一般人』だよ―
嫉妬に狂いそうな、闇に呑まれそうな時に助けてくれた、あの感情。無償の愛。ただただ、ウマ娘の幸せを願う、私が目指す、その姿。ルドルフは、満足そうに頷きを見せると、大きく息を吸い、そして、噛みしめるように、ゆっくりとそれを吐いた。
「では、改めて君に問うよ。カツラギエース。君はなぜ、シービーと共にオープニングライブを踊ろうと思ったんだい?」
「はい。別に大した理由はないですよ。ただ、シービーが躍るっていうのなら、あたしが踊らない理由はない。それだけです」
そう言い切ったエースの顔は、どこか晴れやかだ。
「そうか」
「はい。逆に聞きますけど、会長さんは、なぜ躍ると言ったんですか?やっぱり、止めるかと思ってましたよ」
エースは疑問をルドルフにぶつける。確かに、立場を考えれば、この様な不公平な事は止めるのが一番だ。もし、他のウマ娘がオープニングライブを拒否した場合、有利不利が生まれてしまうのは、当然だから。
だが、それは判っていたのだろう。ルドルフは一度頷くと、その後、改めて首を横に振った。
「止めるものか。シービーは私の先を行くウマ娘だ。彼女が行くのならば、私はそれを超えてその先に行きたい。全てをなぞり、その上で、最強になりたい。そう思っているだけだ」
強い目で、エースを見つめながら言い切ったルドルフ。どこか、その立ち姿はライオンのような怖さがあるなと、エースは他人事のように考えていた。
「では、会長さんとあたしは、ライバルですね」
「君と私が?」
「はい。だって、ジャパンカップでシービーを抜いて、最強だって宣言したいんでしょう?」
頷くルドルフ。だが、それをエースは軽く押しのけた。
「でも、それは無理ですね。だって、あたしがウマ娘のエース。最強のカツラギエースなんですから」
口角を上げ、自信満々に言いきったカツラギエース。その姿に、シンボリルドルフはほう、とため息を吐いた。そして、くすりと笑うと、こう言葉を続ける。
「ならばカツラギエース。ジャパンカップ、どちらが強いか、いや。世界で一番強いのは誰か、決着をつけようじゃないか」
「ええ。望む所ですよ。会長さん。あたしが最強だと、示して見せます」
そう言い合い、目線が交錯する。が、ルドルフはどこか不満そうな顔を浮かべていた。どうしたのだろうとエースが首を傾げると。
「なぁ、カツラギエース。君と私は、同じ背中を追うものが同士だ。敬語も、気遣いも不要だ。我々は対等な関係なんだぞ?」
ルドルフの言葉に、エースは一瞬、目を見開き、口をぽかんと空けた。そして、次の瞬間には、口角を上げて笑みを浮かべた。
「じゃあ、会長さん」
「ん?なんだい?」
「これからは、ルドルフって呼んでも良いか?」
エースは試すように、にやりと口角を上げてそうルドルフに問いかける。そのルドルフはと言えば。
「構わんさ。むしろ、好ましい。私も、君のことはエースと呼んでも?」
「ああ、構わないぜ」
当然だろうと、自然な顔でそう言い切った。
「では、エース。ジャパンカップに向けて、とことん、走り抜こうじゃないか」
「判った、ルドルフ。じゃあ、お互いシービーの背中を追うもの同士。頑張ろうぜ」
「もちろんさ。無論、君に負けるつもりもないがな」
「それはこっちのセリフだっつーの!」
そう言い合いながら、エースとルドルフは固く握手を交わしていた。夕日が彼女らを照らす。そして。
「それはともかくとして、オープニングライブ。君は踊れそうか?」
「もちろんだ。シービーが出来るならあたしらに出来ない理由がないからな!」
「はは、違いない!」
にかりと、2人の挑戦者は、腹の底から笑い合った。
■
安田記念まであと僅か。流石に、今回はプレッシャーを感じてしまう。本来の距離になったマルゼンスキー、そして、短距離絶好調のハッピープログレスがいるからだ。前回の京王杯こそ勝てたけど、調子を更に上げてくるであろう安田記念は、正直、どう転ぶかなんて判らない。
「このパイプぐらい、わかりやすければねー」
コーンパイプを呑みながら、少し愚痴る。左手で包んでいるそれは、ほんのりと暖かく、適温を維持できている。今日のジャグは飛烏。ガツンと来る、良いジャグだ。
「マルゼンスキーはキャプテン・ブラックゴールドあたりかな?人気だし、香りも良いし、吸ってて飽きないし、なにより美味しい」
まぁ、脈絡もない例え話だ。飾り気のない飛烏に対して、フレーバーの良い香りが漂うジャグ。晴れやかな雰囲気はマルゼンスキーによく似合うだろう。
「ハッピープログレスは…そうだなぁ」
ダニッシュ ブラックバニラあたりだろうか。今はなかなか手に入らないけれど、あの甘さとバニラの香りに特化されたジャグは、刺さる人には刺さる。それは、短距離を選んで走るウマ娘の強さによく似ていると思う。
「となると、やっぱりアタシは」
飛烏、あたりだろうか。それとも、マックバレン?フレーバーの香りというより、いつでも楽しめるような無香料に近い、そんな例えが頭の中に過る。と、なると、多分ルドルフは。
「アンホーラ フルアロマティック」
人気銘柄。まず、外さない逸品だろうな。誰が吸ってもきっと、いい香りだと言うだろう。かと言って弱くははない。むしろ、しっかりと葉の香りが立つ。
「エースは…」
そうだな。強いジャグだろう。ハマれば、どこまでも強い。それでいて、残り香はきっと爽やか。嫌味が全く無い。そんなジャグ。
「…まだ、思いつかないや」
コレ、といった銘柄は思いつかない。ただ、こう、強くて、シンプルで、それでいて気持ちの良い…。
「…あ」
一つだけあるね。パイプじゃないけど。
「と、なると…」
パイプを置いて、喫煙所に控えている別の喫煙具をさっと取り出した。そして、それの対になっている叺を開ける。その中には、細かく刻まれたタバコの葉と、椿の葉が数枚。
「…うん、良い感じに加湿されているね」
髪の毛より細長いそれを、キセルに詰める。そして、右手にキセルを持って、それにマッチで軽く火を付けた。
そして、啜るようにそれを楽しむ。
一口。ぐっと、強い煙が来る。
二口。気持ちの良い残り香が鼻に抜ける。
三口。呑み切って、火が消えた。
「…これだね。エースは」
キセルを返して、左手を灰皿の上に。そして、その左手の人差し指にキセルの口を軽く打ち付けると、黒い、小さな灰が灰皿にぽとりと落ちた。
「フッ」
そして、キセルを咥えて、軽く息を吐く。すると、残った細かい灰がキセルの火口、先端から飛び散った。
このタバコの銘は『小粋』。まさに、気持ちの良いエースらしい、刻みだと思う。