「お疲れ、シービー。今日も良い走りだった」
「ふふ、そっか。ありがとね、トレーナー。はい、マックスコーヒーとパイプ。今日は飛烏だよ」
「お、気が利くな」
手続きが長引いたせいだろうか。喫煙所にやってきたトレーナーは、少しだけ疲れを顔に浮かばせていた。甘いコーヒーを手渡せば、助かるといった具合に笑顔を浮かべてくれていた。プルタブを上げて、トレーナーは早速とそれを口につけた。
「ああ、ほっとする」
「はい、火」
「お、サンキュー」
トレーナーが咥えたパイプ。マッチをさっと擦って、火を付けてあげる。火口が少しづつ赤くなり、香りが漂い始めた。
「はい、ダンパー」
「ん」
コンパニオンのダンパーを出して、トレーナーに手渡してあげた。ジャグの押さえの強さは個人個人で違うから、此処から先はセルフでどうぞ。そうやって、パイプを愉しむトレーナーを横目に、私もパイプを軽く啜る。うん、熱くなりすぎたパイプも、温度が下がって美味しくなった。
「ああ、旨いな」
どうやらトレーナーのパイプも良い温度になったようだ。パイプの火口から紫煙が立ち上り始め、飛烏の香りが漂う。シンプルでタバコの葉だけの香り。バニラとかのフレーバーもいいけれど、やっぱり、このぐらいのやつが好きだ。
「さてと、シービー」
すると、トレーナーは佇まいを直してから、私に向き合った。さて、なんだろうか?
「これから先はどうしたい?」
これから先と来たかぁ。そうだねぇ。
「ま、前と変わりはないかな。ジャパンカップを目指して、そのまま有マ記念、来年は…まぁ、安田記念あたりかな?」
「そうか。じゃあ、明日からはまた中距離向けの練習を組んでいくが、良いな?」
「もちろん。ああ、ただ」
パイプを一旦置いて、こちらもトレーナーに向き合う。
「ちょっとやりたいことがあってね」
「やりたいこと?」
「うん。夏の合宿っていうか、その時間を使って始めたいことがあるんだ」
「ほう?」
トレーナーの眉が動き、煙の動きが止まる。
「ギターを習いたいなって思ってて」
「ギター?なんでまた」
聞き返してきたトレーナーに合わせて、頷いた。
「うーんとね。根付さんってギターすごかったじゃない?」
「ああ、彼の演奏、彼のバンドは凄かったな。なかなか居ないぞ」
「うん。私もそう思うんだ。で、私もあんなふうにギター弾いてみたいなぁって」
それに、貰った楽譜を弾き語りたいっていう個人的な願望もあるしね。ただ、これを実現するには時間的に制約がある。もちろん、趣味じゃなくて、ステージで弾き語りをしたい。となれば、あと1年以内には練習を重ねなければならない事は、明白だ。
「…つまりそれは、ウイニングライブで、ってことか?」
「うん。そうだなぁ。有マ記念とかで弾ければいいんだけど、ま、半年しかないから難しいと思うけどね」
多少なりは経験はある。男であったとき、ギターに憧れがあって、安いギターでコードぐらいは弾いたものだ。ただ、それから相当時間が経っているし、本格的に先生を付けたとしても、人に見せるには時間が掛かることだろう。
「ウイニングライブで、弾き語りか。それは、面白いかもな」
「でしょ?今まで、そういうウマ娘居なかったし。あ、もちろん、しっかりとパフォーマンスをやったあとで、アンコールとかでね」
「うん、悪くはないな、それ。理事長に俺から伝えてみるよ」
トレーナーの頬が緩んだ。どうやら、面白い提案だったらしい。となれば、きっと。
「じゃあ、それを含めて中距離向けの練習をしながら、ライブパフォーマンスの練習をしつつ、ギターも練習する、というイメージだな」
「うん。どうだろう。トレーナー的には行けそう?」
そう言って、トレーナーの顔を覗き込む。そこにあったのは、口角を上げて目を細めているトレーナーの顔だった。
「ん?ああ、今のお前ならきっと出来ると信じているさ。それに、体調はこちらで管理して見せる。シービー、お前は自由にやればいい」
「そりゃあ心強い。頼んだよ、トレーナー」
パイプを再び咥えて、紫煙を愉しむ。さてさて、明日からまた、忙しい日が続きそうだ。
「あ、そうだ、トレーナー」
「ん?」
「今年の夏合宿なんだけどさ。ちょっと、いくつかやってみたいことがあるんだけど」
「ほう、聴かせてくれ」
そうそう、忘れてた。せっかくルドルフも来るし、エースもいる、それにきっとマルゼンだって合宿に来ることだろう。名ウマ娘が集まる合宿。きっと、盛り上がりを見せるはずだ。ならば。
「簡易ステージをやってみたいんだ」
「簡易ステージ?」
「うん。きっと今年は、無敗の私と、無敗のルドルフがいる。それだけで盛り上がることだろうと思うんだ」
「そりゃあなぁ」
きっと、取材や、それ以外のファンも多くが詰めかけるであろう。ならば、それに対して。
「感謝のライブを開きたいなって思ってさ。あ、ただ、まだ誰にも言ってないから絵空事なんだけど」
どうだろうか?首を傾げてトレーナーの返答を待つ。パイプを一息吸い、そして少しだけ考えを巡らせたトレーナーはにかりと笑顔を見せた。
「絵空事結構じゃないか。俺は面白いと思うぞ。本気なら、それも理事長に伝えておく」
「うん。お願い。ルドルフ達には私から誘いを入れてみる」
頷き合って、紫煙を吹かす。うん、よし、これは本格的に忙しい日々になりそうだな。