トータスに転移してからも、エヒトの一日に変化はそこまで無かった。
強いて言うなら、くだらない政府への研究成果の報告を行う代わりに、原住民との交流が当てられたくらいだろう。正直、原住民がどうなろうとエヒトにはどうでも良かったのだが、仕事を放り出せば到達者全員からの制裁があるため、渋々足を運んでいた。
流石のエヒトルジュエも到達者全員を相手取って勝利を収められるほど慢心はしていない。
務めを終わらせた後は、毎日のようにシリウスに戦いを挑んでいた。いや、あれは戦いでは無く手ほどきと言っていいだろう。
未だに魔法を使わせることすら叶わないが、それでも諦めるつもりはない。それに今までは対応できなかった動きに対応できたり、相対時間が伸びていることに気付いた時の高揚感。到達者に加わるまでは誰かに挑むといったことをしてこなかったエヒトには、それだけで新鮮な感覚だった。
絶対に口が裂けても言わないが、エヒトはこの生活を気に入っていた。
最初こそ、自分の上に立っているシリウスに憎悪に近い感情を抱いていたが、戦いを挑む度に、それは尊敬や憧れに変わっていった。もちろん、超えること諦めたわけではない。
指標となる強者と、自分に勝るとも劣らない到達者の面々の存在。
エヒトは今、間違いなく充実していた。
だからこそ、信じられなかった。目の前の男が告げた言葉が……
◇ ◇ ◇
「ぐっ!?」
壁に叩きつけられたノワールの口から苦悶の声が漏れる。そんなこと知るかとエヒトはそのまま胸ぐらを掴み、壁に押し付ける。
「もう一度言ってみろ……!」
「何度だって言ってやる。俺達はもうお前達とは居られない」
その言葉に、エヒトの怒気が更に膨れ上がる。常人ならば気を失いかねない覇気を前に、ノワールはピクリとも表情を動かさない。
「なぜだ……! なぜ今になって!!」
「今になって、か。逆だ、今になったからこそだ」
「は? 何を言って……」
エヒトの追求を受けたノワールは黙って服の袖をまくりあげた。
「これがその理由だ」
「ッ!? これは……!?」
エヒトの目の前に現れたのは、無数のヒビが入り、精気を失ったかのように真っ白に染まった腕だった。まるで床に落としてしまった陶器のように亀裂が走り、今この瞬間もパラパラと欠片が溢れている。
「肉体の限界だ」
「限界……だと?」
「俺達は魂魄の強化・昇華を経て、神へと至った。だが、この肉体はただの人間のものだ」
ノワール自身も身体の不調に気付いたのはここ百年ほどのことだった。休息をとっているはずなのに、どこか倦怠感を感じ、魔力もうまく放出できない時があった。
最初は数年に一度だったそれも、数ヶ月に一回、数日に一回と、ペースが上がっていき、今ではほぼ一日中この状態だ。
ノワールが秘密裏に他のメンバーを探れば、シリウスとエヒトを除く全員がその状態に陥っていることが分かった。
「つまり、ここが俺達の限界ということだ。俺達はまもなく死ぬ」
「ならば、肉体を捨てて精神体として生きればいいではないか!!」
魂魄魔法を使えば、肉体が無くとも生命活動を維持することは出来る。
「ダメだ。多少は生きながらえるかもしれないが、それじゃあ、俺達は俺達ではなくなる」
「何を言って……!」
「人はなぜ肉体を持っていると思う?」
「おい、私の話を──」
「自分が誰なのかを忘れないためだ」
エヒトの言葉を遮り、ノワールは続ける。
自分の姿が分からない人間なんて存在しない。当たり前だ。それが自分の形なのだから。
なら、その形を失ったとしたら? 最初の内は問題ないだろう。だが、人は忘れる生き物だ。肉体を捨てれば、いずれはかつての自分の姿すら忘れる。それは、自らの記憶まで蝕み、崩壊させる。
そして、足りない何かを補うために、偽りの何かをはめ込む。
「果たして、それは最早『俺』と言えるのか?」
「──ッ!? 代わりの肉体を用意すれば……!」
「同じことだ。俺達は自らの“魂“と“精神“と“肉体“。全てが揃って初めて成立する。どれかが欠けたら、それはもう俺じゃない。別の何かだ」
はっきりと断言するノワールにエヒトも胸ぐらから手を離し、フラフラと後ずさる。
「情けないよな。俺達はシリウスさんの半分も生きてないってのに……結局、最後まであの人の後ろを必死に追いかけることしか出来なかった」
「……あいつには、何と説明するつもりだ?」
「あの人に嘘は通じないだろ。全部話すつもりだ」
「それで、あいつが泣くことになってもか?」
「ああ」
ノワールの言葉に、エヒトは無意識に拳を握りしめる。
この世界に転移してきたとき、初めてシリウスが涙を流す姿を見た。
あの時は想像もしていなかった姿に対する驚愕と、自分の中の言い表せない感情の揺らぎで禄に思考することすら出来なかった。
だが、一つだけハッキリしていることがある。あの光景はもう二度と見たくないと思った。
「……なぜだ!? なぜそんな簡単に受け入れられるのだ!? 他にきっと方法が……!!」
「無い。もう死ぬほど探したさ。その度に絶望を叩きつけられた」
「なぜそんなに落ちついていられる!? あいつを置いていくのだぞ!? なぜ──」
「お前が居るからだ」
「──ッ!?」
自分でも何を言っているのか分からなかった。まるでワガママを振りまく子供のように喚き散らすエヒトだったが、ノワールの一言でそれらが全て引っ込む。
「俺達はダメだった。だが、お前ならあの人についていけるかもしれん」
「……貴様らとそこまで差はないだろう」
「今はな。だが、俺がお前と同じ年の時はもっと弱かったさ。それに、お前はあの人に勝つことを諦めてないだろ?」
「当たり前だ」
「それだけでも凄いんだよ。俺達は最初から諦めちまったからな」
頂上の高さを知った。深淵の深さを知った。知っただけで悟ってしまった。俺達はここには辿り着けないと。
でもお前は違う。頂上を見上げ、深淵を見下ろすだけだった俺達と違い、遠いと分かっていながら一歩前に踏み出した。それだけで俺達とは違うんだと知るには十分だった。
「シリウスさんにはお前がいてくれる。だから、俺達は安心して逝けるんだ」
「俺は……」
「それにお前、シリウスさん好きだろ?」
「……は? はぁああ!?」
「何だ無自覚か」
「わ、私があんな化け物女を好きなわけがないだろうが!?」
「そうか? 俺はシリウスさん好きだぞ?」
「は? いや…………は?」
突然の暴露にエヒトは目を白黒させる。
そんな珍しいエヒトルジュエの姿に笑みを浮かべながらも、ノワールはエヒトルジュエの肩に手を置く。
「お前だから任せられるんだ。頼んだぞ」
「……………言われるまでもない。奴を倒すのは私の役目だ」
「ああ、お前はそれでいい」
その日が、エヒトがノワールと二人で交わした最後の会話になった。
◇ ◇ ◇
到達者のために建てられた墓標の前で、シリウスは一人座り込んでいた。
(知ってたよ、こうなることは。知ってたけどさ、もう少し間隔空けようよ)
原作では到達者は一人ずつ命を終わらせていったって描写されてたのに、一人目が亡くなってから、最後のノワールが亡くなるまで一週間しか経ってない。
流石にどうよ? 君たち事前に打ち合わせでもしたんじゃない?
肉体の崩壊。それが理由で、本心から死にたいわけではないと知った時、何とか肉体の修復を出来ないかと四苦八苦したが、結果は芳しくないものだった。
彼らの肉体はゲームで言うところのHPの最大値が減っている状態だった。HPの回復は出来るが、最大値を戻すことは私には出来なかった。肉体を改造すればそれも可能だが、それはノワール達の望む形ではなかった。
ノワールから聞いた人間が肉体を持つ意味の仮説。それを聞いたときに、私は酷く納得してしまった。心当たりがこれでもかとあったからだ。
ノワール達は“肉体“の限界を迎えてしまった。恐らく私は、“精神“の限界に至りつつあるのだろう。足りない不足分を補うために、感情や記憶といった生存のためだけには不必要なものを無意識に捨ててしまっている。
(このまま私も……)
手を伸ばし、墓標に刻まれた名前を一つ一つなぞる。最後の一人、ノワールの名前に辿り着いた時、指がピタリと止まった。
何で金髪? それが、私がノワールを初めて見たときに発した第一声だった。
地球では、ノワールはフランス語で『黒』という意味を持っていた。特にフランス語に詳しいわけではなかったが、何かのアニメか漫画で見たような気がする。
この世界にフランス語なんて無いけど、もしかしたら私以外にも黒髪の人がいるかもしれない。一人勝手にワクワクしながら会いに行った私の前に現れたのは、淡い金髪をした男だった。
いきなり勝負をふっかけてきたが、多少やりすぎてしまったのは仕方がないだろう。私の期待を裏切ったノワールが悪い。
その後、どんな心境の変化があったのか、初対面の時の面影は鳴りを潜め、口調はそのままに私に“さん“付けをしてきた時は、流石にやりすぎてしまったのではと少し後悔した。
到達者の中では中堅に位置するノワールだったが、何だかんだ一緒に行動することが多かった気がする。他の到達者に比べて、軍の人間ともある程度の会話が出来たことも大きかった。
だからこそ、本当に驚いた。ノワールが私にそんな気持ちを抱いていたなんて。自分で言うのもあれだけど、年の差エグいよ? おばあちゃんと孫なんてレベルじゃないよ? 祖先レベルだよ?
そもそも、死ぬ間際にそんな告白しないでよ。そういうのが通用するのは二次元の中だけだよ。現実じゃ辛いだけだよ。
でも、一番辛いのはノワールに何も言葉を返せなかったことだった。
驚いて言葉が出なかったとか、恥ずかしかったとかそういうのじゃない。本当になんて言えば良いのか分からなかった。
ノワールの告白を聞いたとき、「そうなんだ」くらいにしか思えなかったことが辛かった。ノワール達の死が避けられないものだと知った時、「しょうがないか」と簡単に諦められたことが悲しかった。
(ああ、私はそこまでキテしまっている……)
もうきっと避けられない。いつの日か、あの夢のようなことが起こってしまう。それだけは回避しなくてはいけない。そのために……
「……エヒトルジュエ」
「何だ?」
私の呼びかけに、それまで黙って私の後ろに佇んでいたエヒトが反応を示す。
「私は明日から、君のことを本気で鍛える」
「……どういう風の吹き回しだ?」
エヒトが訝しげに問いかけてくる。そんな表情をされても仕方がないだろう。私は今までエヒトが挑んでくるのを返り討ちにするだけで、何かを教えるということをしてこなかった。
理由は単純。原作を壊してしまう可能性があったからだ。私が必要以上にエヒトを鍛えてしまえば、その分原作の展開に影響を与えてしまう。
(だが、それがどうした)
原作が壊れる? そんなことはどうでもいい。
ハジメやユエ、シアにティオ。彼らがどうなろうと知ったことじゃない。知識でしか知らない他人よりも、ずっと一緒に過ごしてきたエヒトの方が大切だ。
そうだ……今分かった。私が今まで存在し続けた理由。私がこの世界に来たくなかった本当の理由。原作に巻き込まれたくなかったわけでも、主人公達と敵対したくなかったわけでもない。
(エヒトが、ノワールが、到達者の皆が死んでいくのを見たくなかったんだ)
私は原作にいちゃいけない存在だから。到達者は皆死ぬ運命なんだから仕方がないと諦めてた。でも、エヒトの
私が私で居られる時間は限られてる。その間に、エヒトに可能な限りの技を叩き込む。
原作でもハジメ達を舐めていなければ負ける要素は無かった。最善はそもそもハジメ達をこの世界に召喚しないことだけど、私はいなくなった後に何が起こるか分からない。打てる手は全て打っておくべきべきだろう。
(やるべきことを終えた後、私はこの世界を去ろう)
別の世界はダメだ。壊れるのがトータスからそこの世界に変わるだけ。最悪、転移して戻ってきてしまう危険性もある。ならばどうするか……
(世界と世界の狭間に身を投げ出す)
異世界を捜索していたときに見つけた、世界と世界の狭間に存在する虚無の空間。
時も境界もないそこならば、私の劣化が進むこともなく、誤って別世界に流れてしまうこともない。そこで自らの命を断つ。それが周囲に一切の影響を生み出さない最善の方法だろう。
「……ノワール達が肉体の限界に阻まれたように、君もまた同じことになる可能性がある。それを避けるためだよ」
「……本当にそれだけか?」
「他に理由があるとでも?」
「……いいだろう。精々良い踏み台になるといい」
それだけ告げると、エヒトは私に背を向けて去っていく。
「……うん、もちろんだよ」
これは私のエゴだ。それでもきっと、それが私がここにいる理由なんだ。
◇
「何が踏み台だ……!」
自室へと続く廊下を歩いているエヒトは苛立たしげに呟いた。
「貴様は踏み台で終わるような奴じゃないだろうが……!」
気付かないとでも思ったか? 私が言葉そのままに受け取るとでも思ったか? 何を企んでるのかは知らんが、碌でもないことを企んでるのは間違いない。
昔からそうだ。誰よりも強いくせに、それを誇ろうともしない。自分よりも他者を優先する。そんな貴様が大嫌いだった。
なぜ他人を頼らない。なぜ私を頼らない。私はそんなにも弱いか? 未だに私は貴様にとって守るべき一人か?
『お前だから任せられるんだ。頼んだぞ』
生前のノワールの言葉が蘇り、ギリッと握りしめられた拳から血が滲む。
「当たり前だ。奴を超えるのはこの私だ。勝ち逃げなど断じて許さん」
シリウス「エヒトの延命のためだよ(嘘だけど)」
エヒト「精々良い踏み台になれ(嘘だな)」
ようやくすれ違いが収まりました(白目)