思い返せば、生まれてから他人との付き合いが上手くいったことは無かった。
物心ついた頃から、少女は全てを理解していた。
少女を苦しめ続けた過剰なまでの情報体の嵐は、少女を世界の頂へと押し上げる糧となった。
一度魔法を見れば、その術理が完全に理解できる。
敵を前にすれば、その思考が鮮明に読み取れる。
卓越した才能と技術を併せ持った少女の瞳には、未来すら見て取れた。
少女が生まれ持った“厄災“は、いつしか少女にとっての“福音“へと姿を変えていた。
しかし、少女には再び地獄が待っていた。
少女の才能に目をつけた者達が居た。
彼らは少女を褒め称えた。才能を活かす場を与え、技術を広める機会を作り、さらなる世界の躍進を期待した。
少女から生み出される甘い蜜を吸うために……
笑顔で醜悪な面を隠し、振る舞いで欲望を揉み消した。
彼らは大人だった。少女よりも人生経験豊富な大人だった。才能があっても、経験が不足した少女一人簡単に欺ける技術を彼らは持っていた。
『流石はシリウス君だ。その力、この世界のために役立ててくれ』
『素晴らしい! きっと君は世界を救うために神が遣わした救世主だ!』
『まだ幼いのにしっかりしている。私の孫達にも見習って欲しいものだな』
『もう私が教えられることはないな。君を指導できたことは私の誇りだ!』
まさか、全てが少女に筒抜けであったことなど誰も気付かなかった。
『(お前は金のなる木だ。逃しはせんぞ!)』
『(この力を利用すれば、私の名を世界に轟かすことも出来る!)』
『(貴様が居なければ、我が孫の武勇が霞むこともなかったというのに……!)』
『(忌々しい……私への当てつけか? どこかでのたれ死ねばいいものを……!)』
少女に嘘は効かなかった。
言葉の裏に隠された悪意を無意識に読み取ってしまった。
大人の欲望、嫉妬。粘着質で、禍々しい負の感情に小さな身体が晒された。
少女には前世の記憶があった。しかし、それを含めても20代後半。特別な教育を受けていたわけでもない。一般家庭で生まれた、ごく普通の女性だった。
そんな少女が耐えられるわけがなかった。
いつしか“福音“は、少女の心を蝕む“厄災“へと戻ってしまっていた。
ある青年は、少女が意図的に覗こうとしない限り、人の深層心理まで読み取ることは出来ないと判断した。
だが、それは間違いだ。
少女は読み取れないのではない。読み取らないように無意識に制限をかけていただけだ。
それは少女の意図ではなく、心を守るために無意識に行った防衛本能と呼ぶべきもの。そうでもしなければ、少女はとっくの昔に壊れていた。
故に、少女本人ですらそのことを忘れ、無意識には読み取れないものと勘違いしていた。
誰とも関わらず、誰も理解しようとせず、誰にも理解されなかった。
色鮮やかに咲き乱れていた世界は、いつしか白と黒しか存在しないモノクロの世界へと変わり果てていた。
そんな世界に、ある日、一滴のインクが垂らされた。
最初は小さな波紋しか生み出さなかったそれは、何度も繰り返されることで、元のモノクロを塗りつぶしていった。
赤、青、緑、黄……少女の周りに誰かが現れる度に、繋がりが増えていく度に、世界が色を取り戻していった。
いつしか、少女の世界は再び色彩豊かに咲き乱れた。
もうひとりじゃない。
もう寒くない。
もう寂しくない。
だって、
だから、ダメだよ。それだけはダメなんだ。
君は私が君のためを想って動いていたんだと思ってるよね?
違うんだ。そうじゃないんだ。結局私は自分のことしか考えていないんだ。
色が無くなれば、私の世界は元に戻ってしまう。
無意味で、無気力で、無感動な世界に戻ってしまう。
君達という色彩がなければ、所詮私はその程度の存在だったんだ。
だから、私なんかのために頑張らないで。自分を捨てないで。自分を苦しめないで。
私にそんな価値はないんだ。そこまでされるような人間じゃないんだ。
私を利用しようとした大人達と同じ、欲に塗れた醜い存在なんだ。
でも、きっと君は……君達はそれでも私を助けようとしてくれるんだよね。ほんとお人好しというか、甘いというか……なんで、こんな最低な女についてきちゃったんだろうね。
だから、私も覚悟を決めるよ。
どんな結末を迎えようとも、私にはそれを見届ける責任がある。
「だから、今いくよ」
巨大な水晶体。そこに少女の姿は無かった。
◇ ◇ ◇
世界を銀の太陽が照らし出した。
「我等神の使徒は無限──そう言ったでしょう?」
人類総出で防いだ銀の太陽が、再び地上に落ちようとしていた。
連合軍は既に満身創痍。もう次を防ぐ力など残っていない。
それでも香織は諦めない。
今も神域で最愛のあの人が戦っている。それなのに、私が諦めるわけにはいかない。
「諦めない! 生き残って、ちゃんとおかえりって言うんだから!!」
香織が展開した結界は薄っぺらく、吹けば飛んでしまうほどの軟弱なもの。
銀の光はそれを容易く突破し、そのまま香織ごと地上を呑み込まんと迫り──
「良く頑張ったね」
銀の光がふっと消滅した。
「……え?」
香織の困惑するような声が漏れる。
それは銀の魔力が消滅したこともそうだが、いつの間にか目の前に佇んでいた少女の存在に対してだ。
背丈は自分よりも低く、12、3歳の子供に見える。地球で馴染み深い黒髪に、こちらを振り返った時に見えた瞳の色は黒。一見すると日本人に近い容姿だが、その整った顔立ちがその可能性を否定する。
しかし、香織は少女の顔を見た瞬間、どこか違和感を感じる。
(あれ? この人、どこかで見たような……)
初対面なのは間違いない。だが、まるでどこかですれ違ったかのような既視感を感じさせる。
そして、その答えはすぐに知ることとなった。
「……似ている?」
「え?」
「彼女は君の血縁か? どことなく雰囲気が……」
香織のそばにいたアドゥルの言葉に、香織は既視感の正体に気づく。
今、香織が使っている肉体。ノイントとどこか似たような印象を感じさせるのだ。
(というか、他の神の使徒とも似ているような……)
香織が困惑する中、ようやく神の使徒が状況を理解し、目の前に現れた少女を視界に入れる。
「何者です? 我等の魔力を消し飛ばすなど、尋常な力では──……」
しかし、彼女の言葉は段々と尻すぼみに小さくなっていき、その表情は驚愕に染められていく。それは伝染するように周囲の神の使徒に広がっていく。
「……………シリウス様?」
(え!? 様!?)
神の使徒の一人が目の前の少女に敬称をつけたことに、香織は目を見開く。
シリウス、というのが目の前の少女の名前だと言うことは分かるが、神の使徒がエヒト以外に様付けをしたことが、香織には信じられなかった。
余談だが、神域で立場が逆転した神の使徒がフリードに敬語で話していたのだが、それを香織が知る由もない。
「私のことを知ってるの?」
「「「ッ!!」」」
少女から肯定と取れる言葉が出た瞬間、千を超える神の使徒達がシリウスと同じ高さまで降下すると同時に、器用に空中で膝をつき、頭を垂れる。その姿はまさに主に忠誠を誓う臣下の姿だ。
その姿に、連合軍全員が言葉を失う。
「お待ちしておりました、シリウス様」
「……私のことをエヒトルジュエから聞いていたの?」
「一度名を呟かれていらしたことがあるだけで、詳しくお聞きしたわけではありません」
エヒトが神の使徒にシリウスの話をしたことは無い。しかし、彼女達はシリウスのことを知っている。知らないはずが無かった。
「我々神の使徒は、元々はシリウス様を失った主の心の穴を埋めるために生まれた存在です」
今でこそ、エヒトの命に従い、ただそれを実行するための兵隊としての役割を持つ彼女達だが、最初に生まれた理由は、ただ、エヒトの空虚な心を満たすためのものだった。
その心が反映されていたのか、神の使徒とシリウスは顔立ちが少し似ている。
「無礼を承知でお願い致します。どうか、あの方を……エヒトルジュエ様をお救い下さい」
「……」
「あの方は、ずっと貴方様の背を追いかけ続けていました。例え、記憶を失おうとも、思い出が色褪せようとも……ただ強くなる。その願いだけを糧に生き続けてきました」
頭を垂れている彼女らに、シリウスがどんな表情をしているのか分からない。
それでも必死に懇願する。もう、あんなに辛そうな主の姿は見たくない。
「どうか! どうかお願いします!! 我々が差し出せるものなら、何でも差し出します! あの方を……お願いします! お願いします!!」
神の使徒の瞳からポロポロと雫が流れる。
彼女達は感情の無い人形だ。エヒトの命令以外を実行することなどありえないし、本来ならば、地上の連合軍の殲滅を終えるまで、休むことは許されない。
それでも彼女達は嘆願する。そこに居るのは、神の忠実な下僕でも、命令を機械的に遂行する人形でも無かった。
──ただ、
その意志を聞き届けたシリウスはゆっくりと彼女らに歩み寄っていく。
そしてギュッと目を瞑ったまま震える先頭の神の使徒の頭を優しく撫でた。
「君達の願いはよく分かった。後は任せて。それと……今までエヒトルジュエのそばに居てくれてありがとう」
「──ッ!! もったいないお言葉です……」
その言葉を最後に、神の使徒達が光に包まれる。その場に居る彼女達だけでなく、撃墜された神の使徒の遺体も同じように発光する。
「だからもう……おやすみ」
そのまま光の粒子となって、彼女達は消滅していった。
その表情は、とても穏やかで安心しきった笑みを浮かべていた。
「あの……」
空に登っていく光の粒子を見上げるシリウスの背に声がかかる。その声に反応したシリウスが振り返ると、そこにはこちらを警戒した様子の香織の姿が。
(まあ、こうなるのも仕方がないか)
彼女達にとって、神の使徒と親しげに話すシリウスのことを敵と判断するには十分だった。
しかし、安易に手を出すことは出来ない。その神の使徒が消えたこと。連合軍が既に戦闘が続行できない程衰弱してしまっていること。何よりも……
(この子、私よりもずっと強い……!)
ただそこに立っているだけなのに、まるで死神の鎌を首にあてがわれているようなまでの緊迫感。これだけの覇気を纏ってなお、一瞬でも目をそらせば見失ってしまうような存在の希薄さ。
背後にいるアドゥル率いる竜人族も、それを肌で感じ取っているのか、口を挟むこともせず、成り行きを見守ることしか出来ない。
「そこまで警戒しなくても大丈夫だよ、白崎香織」
「何で私の名前を……!?」
「全部知ってる。私に君達を傷つける意志はないよ?……だから、その殺気を収めてくれないかな、ミレディ・ライセン?」
シリウスの声に香織がはっとした様子でシリウスの視線を辿ると、そこには巨大なゴーレムの肩に乗ったニコちゃんマークの仮面が特徴的な小さなゴーレム──ミレディの姿があった。
「それを信用しろって? お前何者だ?」
「シリウス。一応、この世界に君臨した神の一柱でもある」
「クソ野郎と同類ってことか……!」
「そうだね。エヒトルジュエは私の後輩みたいなものだから」
「ッ!!──“壊劫“!」
「待って、ミレディさん!?」
香織の静止も届かず、ミレディはシリウスに向けて魔法を発動した。
少女が誰なのかは知らない。それでも、先程の神の使徒の少女への態度を見れば、こいつがエヒトの関係者なのは間違いない。
なら、殺す。仲間達の仇だ。
味方か敵かなんて関係ない。神は殺す。
本来は広範囲をまとめて押しつぶす“壊劫“。それを効果範囲を一点に集中させることで威力を増した強化版。
まともに喰らえば、瞬く間に大地に押し潰される必殺の一撃。
相手がシリウスでなければ、の話だが。
──ガァアアンッ!!
その音はシリウスの頭上から聞こえてきた。
徐ろにかざされた片手。その手に支えられるように停滞する重力の塊。
「なッ!?」
「えっ!?」
ミレディと香織は目の前の光景に絶句する。ミレディの魔法によって発動した重力の塊を、素手で掴んでいる。
結界を展開するわけでもなく、回避するわけでもない。まるで棚から物が落ちてきたから手で受け止めたと言わんばかりの気軽さで止めた。
「結構重いね、これ」
あっさりと受け止めた重力の塊をポイッと捨てるシリウス。彼女にとって魔法を素手で対処する行為は、特に特別なものではなく、常日頃からの対応の一つだった。
それをやられる身としてはたまったものではないが……
「話を聞いて欲しい。私は神域に行かなくてはいけない。君達と争う気はない」
「神域!? そこにはハジメくん達が!?」
「知ってる。ユエを救出するために南雲ハジメ率いるパーティが神域に突入した」
「……エヒトの助力にでも行くつもりか?」
「違う、逆。私はエヒトルジュエを止めなくてはいけない」
「「エヒトを、止める?」」
困惑した表情を浮かべる二人を他所に、シリウスは空を見上げる。
「多分、
その横顔に溢れんばかりの悲壮感を感じた香織は、少し考え込んだ後、「なら……」と声をかける。
「貴女が私達と争う気が無いというのなら、私も神域に連れて行ってください!!」
「ちょ、君……!?」
「……」
動揺するミレディを置いて、シリウスは香織の眼をじっと見つめる。
そのまま数秒が経過すると、シリウスの身体から出た淡い光が香織を包み込んだ。
一瞬攻撃されたのかと身を固くした香織だったが、すぐに違和感に気付いた。
「え!? 傷が治ってる!? それに魔力も!?」
身体の傷どころか、枯渇しかけていた魔力が完全に回復している。
「あの状態じゃ、まともに動けないでしょ? 魔力は私のものを分けておいた」
「あ、ありがとうございます?」
「ミレディ・ライセン。君はどうする?」
「……私は」
「早くしないと、南雲ハジメが死ぬよ?」
「ッ!?」
「え、ハジメくんが!?」
シリウスの言葉にミレディだけでなく、香織も強い反応を示す。想い人が死ぬと言われたのだから当たり前だ。
「……彼らが負けるって言うのか?」
「負ける。昨日までのエヒトルジュエなら、億が一くらいは勝てる可能性もあったかもしれないけど……さっき
まただ。シリウスの口から出てきた『至った』という言葉の意味が二人には分からない。
それでも、なぜだろう。エヒトと同類なら信じられるわけがないはずなのに、それでも、この少女が嘘を吐くとは思えなかった。
その容姿のせいか、どことなく儚さを感じさせる姿に、まるで敵視する自分が悪者になってしまったかのような居心地の悪さすら感じる。
カリスマ、と言えば良いのだろうか。相対するだけで、無意識に敵愾心を薄れさせてしまう何かを持つ少女に、ミレディは恐怖すら感じた。
「多分、この世界で今のエヒトルジュエに勝てるのは私だけ。あの子の相手は私がする。それでも君の鬱憤が晴れないというのなら……」
シリウスは香織に向いていた身体をミレディに向け──
「全部終わった後、君が私を殺せばいい」
「「ッ!?」」
舐めてんのか!? そう怒鳴ることが出来ればどんなに楽だっただろうか。
その眼を見ただけで香織ですら感じ取れた。本気だ。本気で自分の命を捨てようとしている。
「……私の魔法を素手で止めるような奴を私が殺せると?」
「あれは私が防いだだけ。私を殺す方法はある。そのトリガーを君達に引かせてあげる」
沈黙がその場を支配する。
黙ったまま睨み合う両者に挟まれた香織は途轍もない居心地の悪さを感じていた。
そもそも、中身はどうあれ、見た目がまだ幼い少女の口から簡単に殺すなどといった言葉が出ること事態、あまり聞きたいものではない。
最初に沈黙を破ったのはミレディだった。
「……分かった。私もついていく。でも、妙な真似をしたら……」
「分かってる」
何とかこの場が落ち着いたのを感じ取った香織の口から安堵のため息が漏れる。しかし、すぐにそれどころじゃないと思い出し、急いで二人を催促する。
「じゃ、じゃあ、早く空間の亀裂に……」
向かいましょう。そう続けるはずだった香織の言葉が途中で途切れる。
香織とミレディの前には、空間が揺らぎ、ひび割れるように亀裂が奔った裂け目があった。
その前で、手を振り下ろした体勢のシリウス。
「あの……それは?」
「神域へのゲート。と言っても、時間がないから無理矢理切り裂いた簡易的なやつだけど」
切り裂いた? 切り裂いたって何? もしかしてその振り下ろした手でシュパッとやったのかな? 手刀? 手刀かな?
「入り口ならあそこにあるんですけど……」
「あれは揺らぎが激しくなってきてるからダメ。作り直した方が早い」
神域へのゲートってそんな簡単に作り直せるものなんだぁ、といった視線をミレディに送った香織だったが、ミレディはブンブンと首を横に振る。
言葉を失う二人を置いて、シリウスは躊躇なく裂け目に入っていった。
「あの、ミレディさん……その、あの人何者なんですか?」
「私が聞きたいよ。エヒトの連れにしては妙に友好的だし……でも、気をつけておいた方がいい」
「何となく言いたいことは分かります」
「攻撃した私が言うのも何だけどね……あいつがその気になれば、私達は多分一秒も生きてられない」
「……ですよね」
肩を落としたまま、香織はミレディと共に裂け目に足を踏み入れた。
とりあえず、あの人からは目を離さないようにしないと。
5秒後、侵入した先で突然、「あ、やばい、神域壊れる。先行くね」と言い残して姿を消されることになるとは思ってもみなかった。
シリウスがどうやって封印を破ったのかって?
……………シリウスだからだよ?(すっとぼけ)
神の使徒にシリウスを母と呼ばせようとしてた時もあったけど、何か色々ごちゃごちゃになりそうだったのでやめました。まあ、それでも感覚的にはそんな感じですね。