そして次の日、今夜は満月である。
移動教室のために私はサタナースと一緒にいた。他愛もない話をしながら廊下を歩いていると、サタナースが呼び止められた。相手は貴族女子である。
まさか。今度はサタナースなんだろうか?
ベンジャミン……! 私はキョロキョロと辺りを見回したが、ベンジャミンはいなかった。じりじりとサタナースと貴族女子から離れて壁際に寄りながら、もしサタナースが何かを承諾する様子を見せたら、つまり卒業パーティーのパートナーを引き受けようものなら、すかさず殴ってやろうと最大の筋力の魔法を準備していた。
「次はサタナースか?」
「ゼノン王子!」
ゼノン王子がロックマンと一緒に私のそばに来ていた。ロックマンが王子の通路側を守っている。相変わらず王子の親衛隊の視線が痛い。
「ナナリーは今日は平気なようだな」
「月の雫は諦めたみたいですよ」
昨日は休み時間ごとに代わる代わるやって来た貴族女子も、今日は私を呼び出すことはなかった。
「あ!」
ベンジャミンが向こうからやって来る。貴族女子と話をしているサタナースに気づいて教科書をドサッと取り落した。大きな目をこぼれそうなほどに見開いて呆然としている。
ああぁぁぁ……ベンジャミンが……! おのれサタナース!
王子は「ほう」なんて呟いて、ちょっと愉快そうに口角を上げる。王子の気持ちもわかるけれど、少しはベンジャミンのことも考えてほしい。私は笑ってなどいられない。絶対に後でサタナースから詳しい話を聞き出してやる。
「ヘル」
やけに真面目な声が聞こえた。サタナースとベンジャミンの様子に気を取られてロックマンの存在を忘れていたからびっくりした。
「何よ?」
「頼まれても『月の雫』を取っては駄目だよ。君は関わらない方がいい」
「はぁ~? なんであんたにそんなこと言われなきゃならないの? 大きなお世話よ」
私はロックマンを睨みつけた。ロックマンは不機嫌そうな顔で溜息を
その後、結局サタナースにはのらりくらりとはぐらかされてしまい、貴族女子と何を話したのかは聞き出せなかった。私は心の中でベンジャミンに謝った。
放課後になり図書室に行くと、月の雫の本と心に作用する魔法薬の本が棚に戻っていた。その二冊を借りて、私は帰寮時間まで図書室で過ごした。
離れた席に座る背の高い金髪は目の端に入っていたが、とある令嬢が私を見つめていたことには気づかなかった。
*
寮の部屋に帰るとベンジャミンが飛んできた。
「ナナリー!! 助けて! 『月の雫』が欲しいの」
ベンジャミン、お前もか。
「月の雫?」
ニケが不思議そうに首を傾げる。
「今夜は満月でしょう? 満月の『月の雫』が一番魔力が強いのよ」
「それは知っているけど、何に使うの?」
実は昨日からずっと気になっていたのだ。
「これよ!」
ベンジャミンが可愛らしいピンク色の液体が入った小瓶を鞄から取り出した。
「何? その小瓶」
「これはねえ、告白する勇気をくれる薬なのよ」
告白する勇気をくれる薬?
私はニケと顔を見合わせる。
「好きなのに、どーしても想いを伝えられない、私みたいな子に勇気をくれるんだって」
「はぁ……」
「今日ナルくんがパートナーに誘われてるの見ちゃったのよ! ナナリーも見てたでしょ!?」
「落ち着いて、ベンジャミン。とりあえず、どんな薬なの?」
半泣きのベンジャミンが『注意書き』と書かれた紙を見せてくれた。
♢♢♢♢♢
『これは惚れ薬ではありません』
『好きな人に想いを伝えたいあなたを後押ししてくれる薬です』
『月の雫を一滴加えると効果が増します。満月の月の雫が最も効力があります』
『薬を飲むと少しずつ効き始め、半日後に最大になります。その後効果は薄れていき、一日もすれば落ち着きます』
『一回につきティースプーン一杯、飲み物などに混ぜてお飲みください』
♢♢♢♢♢
「何よ、これ。ものすごく怪しいわね」
ニケが呆れた顔で一刀両断した。
「いつもはすっごい内気な子が、この薬に勇気をもらって自分から好きな男の子をパートナーに誘ったのよ。その子がまだ使ってない薬をくれたの」
その小瓶はコルクで栓をした上に蝋で密封してあった。手に取って指パッチンをしてみたが、特に反応はなかった。容器に魔法をかけてあったり、魔法で封をしてあるわけではないようだ。中身が怪しい薬かどうかまではわからないけれど。
「こんな薬を使わなくたってサタナースをパートナーに誘うくらいできるわよ」
「それができたら苦労してないわ!」
「薬師でもない人からもらった薬なんて飲んじゃ駄目よ。変な薬だったらどうするの?」
「貴族の女子の間で広まってるのよ。ニケが騎士団の試験を受けていたころ、進路のことで家に帰っていた貴族の女子が結構いたのよ。そのときに貴族の間で広まったみたい」
「はぁ? 進路って、貴族の女子生徒はほとんど就職しないじゃない。何やってんのかしら」
ニケとベンジャミンの空気が険悪になりかけたので私は口を挟んだ。
「多分これ、ゼノン王子の親衛隊の間で広まってる薬だよ」
「あー、最近おかしくなった子たちね?」
ニケが馬鹿馬鹿しいと両手を広げて鼻で笑った。
「うーん、私もベンジャミンに必要だとは思わないけど?」
「でもさー……いざとなると
ベンジャミンがしゅんと
私はベンジャミンを応援したいけれど、この薬はマリスが話していた薬だろうし、ゼノン王子とロックマンが探している薬だ。
薬自体には興味があった。心に作用する薬を作るのはとても難しい。心鏡術と同様に高度な魔法である。
今日借りてきた月の雫の本によると、月の雫は心や精神に効く薬と親和性が高く、また、より精密に作られた薬を「好む」性質があるという。この「好む」という意味がよくわからないのだけれど、効果が出やすいということだろうか。
月の魔力にはまだ未知の部分が多い。月の雫は月が出ていれば毎日取ることができるが、クリスタルに閉じ込めても一日で消えてしまう。薬に混ぜ込めばもっと
せっかく手に入れたなら調べてみたい。好奇心がうずうずと湧き上がるのは否定できなかった。
今夜は満月。窓の外には大きくて丸い月が煌々と輝いていた。
ニケはベンジャミンを早めにベッドに追い立てると、ニケもさっさと寝てしまった。
借りてきた本を読んでいるうちに夜も更けて、私の頭がかくんと落ちた。ふるるっと頭を振る。本に
「……ナナリー」
「うわっ!」
寝たはずのベンジャミンが背後に立っていた。
「べ、ベンジャミン、起きてたの?」
「お願い……ナナリー。どうしてもナルくんをパートナーに誘いたいの」
私だって親友を応援している。もしサタナースが、ベンジャミンより先に誘ってきたからという理由で他の女の子と一緒に卒業パーティーに行ったら目も当てられない。ベンジャミンはもう何年も前からサタナースを好きなのだ。
「わかった」
窓を開けて、私は外に手を伸ばした。
薄雲が少し浮かんでいるだけの夜空に、満月が最も高い場所から私たちを見下ろしている。月に向かって人差し指を掲げ、指先に魔力を込めて呪文を唱える。
間もなく私の指先に光が集まってきた。これが『月の雫』である。反対の手で角砂糖のような氷をいくつか作り、その中に月の雫を閉じ込める。
手の平の上で転がる小さな氷の
「ナナリー、ありがとう」
泣き笑いみたいな顔をしたベンジャミンは、小瓶の蝋を
小瓶の中の液体はピンクから光沢を帯びたパールピンクに変化した。水っぽかった中身が少しとろんとしている。
「薬に興味あるんでしょ? 調べてみる?」
ベンジャミンが小皿に薬液を少量注ぎ、その小皿を私の机の上に置くと、おやすみと言ってベッドに戻っていった。
注意書きによると効果が出るのは服用してから半日後。ベンジャミンは夜明け前に飲む予定だという。
薬の入った小皿を眺めながら、薬の組成や魔法の仕組みをどうやって調べようかと考えてみたが、眠い頭はよく働かない。もう寝ようと思ったとき、小皿の横に転がっている氷の
「あれ?」
氷が解けたのだろうか? 氷に閉じ込めていたはずの月の雫が外に漏れ出している。
太陽の光とは違う、淡い月の光が氷にキラキラと反射する。暗闇ならもっと美しかろうとカーテンを閉め、机の明かりを消してみる。月の雫を閉じ込めた氷は全部解けてしまい、淡い光が広がって机の周りを漂い始めた。
「え……」
私の体を淡い光が覆い始める。髪がうっすらと光を
月の光とともに、月の魔力に私は包まれ、飲み込まれていく。遠くなる意識の中で、月の光が淡い
明日も更新の予定です。(他の連載の更新ができないため)