あの後、ロックマンは一言も喋らずに私を治癒室へ運んだ。私はロックマンの顔を見たくなかったし、声も聞きたくなかったから助かった。ロックマンの顔を見たり声を聞くと胸が苦しくなって顔が熱くなるなんて、変な病気にでも
私をベッドに寝かせるとロックマンは踵を返し、外から勢いよくカーテンを閉めた。胸の苦しさが少し楽になる。それでも相変わらず頬は熱い。
治癒の先生が私の額に人差し指を当てて体温を計る。ベッドに横たわった私の手の甲に体温を示す数字が浮かび上がった。
「微熱ね。その割には顔が
「胸が苦しいんです。頬も熱くて」
「いつから?」
「十分くらい前です。授業が始まったときには何ともありませんでした」
体温の他にも脈拍や血圧などひと通り調べたが、脈拍が少し速いだけで特に異常はなかった。
「……何か薬を飲んだ可能性は?」
カーテンの外からロックマンが突然口を挟んできた。
私の心臓がどきんと跳ねる。
薬? そんなもの飲んでいない。なんでロックマンはそんなことを言い出したのだろう?
白いカーテンにロックマンの影が映っている。こちらには背を向けているのに、肩越しの視線に射抜かれる感じがした。なんでカーテンの外から視線が伝わってくるのか。眼差しだけでカーテンを燃やせるとでもいうのか。
「薬なんて飲んでないです」
「本人はこう言ってるけど。ロックマン君、何故そう思うのかしら?」
「昨日、ヘルはある薬を手に入れています。それを飲んだかもしれない」
「あれはベンジャ……友達がもらった薬です! 私は薬を調べようとしただけで、飲んではいません!」
絶対に薬なんか飲んでいない。あの薬は小瓶ごとベンジャミンが持っていって……小皿に取り分けた薬は……薬は…………あれ?
朝起きたとき……小皿はどこにあった? 中身は? 余った月の雫は? 昨日はあの後どうやってベッドに入った?
ベンジャミンが寝てしまった後のことがまったく思い出せない。記憶をかすりもしない。その事実に背筋がヒヤリとする。
「先生、私を記憶探知してください。そうすればはっきりします!」
治癒の先生は戸惑っていたが、必死の形相の私に根負けして記憶探知をやってくれた。今から遡れば朝の着替えや寝ている姿が見られてしまう。女の先生とはいえ、ニケやベンジャミンの様子まで知られてしまうのは二人に申し訳なかった。
「あら? これはどういうこと?」
先生が驚きの声を上げる。私も
記憶探知の魔法は過去の出来事を現時点から遡って、つまり逆に再生される。
先生が見せてくれた映像には寝ようとする私が映っていた。ベッドから起き上がった私が、後ろ向きに机に戻っていく。これは驚くことではない。寝るために机の前からベッドへ移動したのだ。問題はその後(実際は前の出来事)だった。
光に包まれた私が小皿を口に当てがって、何かを飲んでいた。もっと遡ると、私を包む光は机の上に置かれた氷の
「ヘルさん、貴女、この小皿の液体を飲んでいるわ」
「そんな、覚えてません!」
「この液体が何かの薬ね?」
「……はい。友達がもらった薬を調べようとしたんです」
「この光は何かしら?」
「この光は……たぶん、月の雫だと思います」
そうだ、思い出した。月の雫……月の光が氷から漏れ出して、私の髪が光っていた。
「昨夜、満月の月の雫を取って、氷の
私が小皿を持っているときの映像を戻したり進めたりして、先生が何かを探している。
「貴女の表情が変だわ」
「……え?」
「光に包まれたときは驚いた顔をしているわ。でもその後からぼんやりして、目の焦点が定まっていない。貴女の意思で薬を飲んだわけではなさそうね」
急に不穏な話になってきた。
「私は誰かに操られていたんですか……?」
先生は黙り込み、膝の上を睨みながらしばらく思案していた。
「……貴女は月の雫を取って、薬に加えた。その後、この氷の欠片から月の雫が漏れ出して、光は貴女を包み込んだ。貴女を操ったのは月の光……月の魔力だと思うわ」
「…………は?」
「月の雫、つまり月の魔力が薬を選り好みする性質を持っているのは知ってる?」
「本で読みましたけど……」
「よほどこの薬を気に入ったのでしょう。誰かに飲ませようとして、その場に居た貴女に白羽の矢が立った」
「何ですか!? それ!!」
「この月の雫は貴女が取って氷に閉じ込めたのでしょう? 貴女は月の魔力と相性がいいんだと思うわ。その代わり、影響も受けやすくなるのよ」
月の魔力が意思を持った? そんな馬鹿な。
誰かが魔法陣を使ったとか呪文を唱えたというならともかく、月の魔力が私の体を操って薬を飲ませたなんて理解できない。というよりも、理解したくない。私が寝ぼけてうっかり飲んでしまった方がまだマシだ。
信じがたくて頭を抱えて
「月の魔力がヘルを操った……?」
飛び込んできたロックマンの声に私の心臓がドキドキと早鐘を打ち始めた。月の魔力の話ですっかり油断していた。
「先生、ヘルは今日一日、治癒室で療養ですか?」
「そうなるわね。ヘルさん、貴女が飲んだ薬について教えてちょうだい」
「えーと……」
「その薬は僕が回収しました。これから魔法薬の先生に調べてもらいます。僕は教室に戻ります。ヘルのことはボードン先生に伝えておきますから」
それだけを言うと、ロックマンは治癒室を出て行った。
治癒室のベッドで一人になった私は、仰向けになり目を閉じて、ベンジャミンが貰った薬の注意書きを思い出していた。
効果が最大になるのは摂取してから十二時間後。薬を飲んだのは昨日の夜中だ。それなら今日のお昼がピークとなる。あと約一時間半、それまで我慢すればいい。
一日治癒室にいるのなら何か本でも持ってくるんだった。昼休みになればマリスかニケかベンジャミンが様子を見に来てくれるだろう。そのときに鞄を教室から持って来てくれるよう頼もう。
薬は魔法薬の先生が解析してくれる。解毒薬を飲めばこの変な症状ともおさらばだ。
ボフッと頭から上掛けを被る。清潔な寝具から
ロックマンにお姫様抱っこされて運ばれたときの感触がまざまざと蘇ってくる。服の上から伝わる力強い腕や厚い胸板。ロックマンのお日様の匂いは陽だまりにいるようで、暖かくて心地良くて──。
一気に全身が燃えるように熱くなった。ボッと顔から火が出そうなくらいに。
「う……アッ……!」
何かに心臓が破られるような感じがした。よくわからない感情が心から溢れ出している。これまで経験したことのない衝動が身の内を襲ってくる。下腹部に痺れるような痛みが生まれて、ビリビリと伝わっていく。
腿の内側が熱い。ぞわぞわとしたものがお腹を這い上がってくる。両腕で自分の体をぎゅっと抱きしめて必死に耐えた。
濁流のような何かに飲み込まれながら頭の中を占めるのはたった一つのこと。 助けを求めるように、ただ一人のことだけ考えていた。
──燃えるような赤い瞳のことだけを。