ゼノンとサタナースに頼んである魔法薬の解析を僕も手伝わないといけない。解毒薬ができたらそれをヘルに飲ませる。
それでこの薬の件は終わりになるはずだ。
……終わりに、なってしまう。
頭とは裏腹に足は治癒室に向かっていた。昨日の夜中に薬を飲んだヘルはこれから一番薬の効果が出てくるだろう。
これは心配なんかじゃない。彼女の様子を確かめたい。薬が効いている彼女が誰を想っているのか確かめずにはいられない。
走って治癒室に行くと、扉から冷気が漏れ出ていた。扉を開けようとしても凍って動かなかった。扉を燃やさないように火で氷を解かして中に入ると、部屋の隅から壁、床はすべて凍りついていた。
「ヘル!」
床の氷を解かしながら彼女の寝ているベッドへ近づいた。ベッドを囲むカーテンも凍りついている。
「ロックマン……!」
カーテンの氷を解かして中を
「ヘル、落ち着いて。ペストクライブを起こしている」
「わかってるわよ……! でも止まらないの……!」
ヘルは両方の拳を握りしめて、悔しそうに叫ぶ。キッと僕を睨み付ける碧い瞳はいつもの彼女のもの。
「先生は?」
「他の先生を呼びに行ってるの!」
僕はヘルの回りに防御膜を張ると火力を上げ、部屋の中の氷を一気に解かした。じゅわっと水蒸気が室内を満たす。
しかし、またもや彼女の足元から氷が広がり、防御膜もバリッと割れてしまった。彼女の周りに火を放って氷を解かし続ける。指を振って窓を全部開けた。もうもうと立ち籠めている水蒸気が外に逃げていく。
このまま治癒室でヘルの氷を解かし続けるわけにはいかない。この部屋は増え続ける氷に耐えられないだろう。
「ヘル、立てる?」
「……立てるわよ」
ヘルはベッドに手をついて立ち上がる。だが足がふらついて、転びそうになった。
「無理か」
「ぎゃっ……!!」
ヘルを洗濯物のようにぶらんと浮遊させ、粉袋を担ぐように僕の肩に乗せた。
「おろしてよ!!」
背中を拳でどんどんと叩かれる。
「少しの間だから静かにして」
水色の髪に火をつけるとヘルは叫びながら火を消し始めた。彼女の両腿を片手で押さえ、彼女を肩に担いだまま僕は駆け出した。
目指すのは氷型の実習室だ。廊下を走る間も彼女を燃やし続け、彼女は火を消して僕を凍らせようとした。
六年生でヘル以外に氷型はいない。もしかしたら先生がいるかもしれないと思ったが、氷型の実習室には誰もいなかった。
実習室に入り扉を閉めると魔法が発動して防御膜が張られていく。
床にヘルを降ろした。彼女は力なく座り込んで床に手をつく。それでも僕を睨みつける瞳には強い力が宿っていた。
*
「何するのよ! ロックマン!!」
私は力なく床に座り込み、猛獣のようにロックマンに向かって吠えた。
「あのままだったら治癒室を壊すところだった。君はペストクライブを起こしている。ここならどれだけ氷を出しても構わない。時間がかかってもいい、魔力をコントロールするんだ」
ロックマンはいつになく深刻な表情で、私を諭すように言った。嫌がらせや
「魔力が……! 抑えが効かなくて! 勝手に暴れるの!」
「気持ちを静めるしかない。いつもの君に戻るんだ」
「何を考えればいいのかわからない!」
「じゃあ……試験のことでも考えればいい。僕に勝つといつも言っているじゃないか」
両腕を抱えて
試験のこと?
ロックマンに勝つ?
そうだ、いつも私はロックマンに勝つことを考えていて。だからこんなに頭の中がロックマンでいっぱいなのも別に不思議じゃなくて──。
顔を上げると目の前にロックマンの真剣な顔があった。ロックマンは片膝をついて、心配そうな目で私を真っ直ぐに見下ろしている。
私は一瞬何もかも忘れて、誰よりも綺麗なその顔に魅入ってしまった。
「僕に勝つんだろう?」
真摯な眼差しでありながら、その瞳は熱をはらみ、燃えるように赤い。
「ヘル?」
低くて心地よい声が私の名前を呼ぶ。
「ロックマン……」
知らず知らずのうちに片手をロックマンに向かって伸ばしていた。私の手をロックマンが
「!?」
下腹部の底の方からじんと痺れるような痛みが込み上げてくる。カァーッと顔に血が上った。
「や、やだ……!」
手を引き抜こうと引っ張ったがロックマンが離してくれない。
「嫌なの?」
そんなこと聞き返さないでほしい。
じっと見つめられて鼓動がうるさい。目を逸らそうとするのに私の何かが邪魔をする。腰にじんじんとする疼きが溜まり、ロックマンににじり寄ろうと勝手に体が動く。
おかしいおかしいおかしい!
自分の体が、感情が、何もかもがおかしい!!
刹那、教室内に氷の
得体の知れない感覚をかき消すように、ぐわっと私の魔力が渦巻いて放出されていく。
「ヘルッ!!」
私の手を握るロックマンの手がピキピキと凍っていく。ロックマンは慣れた様子で氷を解かし、手を離した。私の背後にメリメリと氷山が作られていく。体中の血が沸騰しているみたいだ。
立ち上がれるようになった私は、まるで親の仇のようにロックマンを見据えると、何も考えずに氷をロックマンにぶつけ始めた。
冷たい氷の刃が吹きすさぶ。ロックマンの髪が吹き上げられ、頬を掠った氷の刃で白い肌に血が滲んだ。
「くっ……!」
ロックマンは体の周りに炎の檻を作り、ゴォッと巨大な炎を出して私の吹雪を解かしていく。
「熱っ……!」
咄嗟に氷の壁を作ったが、炎を防ぎきることはできず、顔を庇った腕の服が焦げた。腕がひりひりしてくる。痛みで意識が引き戻される。
「あんたのこと考えると体が変になる!!」
「……詳しく説明してくれる?」
「おかしいのよ! 体の中から熱くなって……抑えがきかなくて……こんなの変!」
「……おかしい訳じゃない」
「きっと薬が暴走してる……!」
「違う」
「なんでそんなことあんたにわかるのよ!?」
「薬で無理やり引き出されてるから、体が受け入れられないんだ」
無理やり引き出す? 何を?
ロックマンが何かを心に決めたように顔を上げた。
「ヘル、先に謝っておく。これから全力で君を攻撃する。君なら対抗できると思う」
そう断ると、ロックマンがこれまでとは比べ物にならないほどの力を
顔から血の気が引き、ぶるっと身震いする。命の危険を感じた。先ほどとは反対に、私がロックマンの炎から身を守るために大量の氷を出し続けた。巧みな攻撃というわけではない、圧倒的な強さ、魔力の大きさを前面に押し出した攻撃だ。
単純にどちらの魔力が強いか、そんな勝負だった。
治癒室同様に、氷型の実習室に水蒸気がもうもうと立ち籠める。周りは湯気で真っ白で、どこもかしこも熱かった。
頭がくらくらする。目眩がして足元がふらつく。自分の体を支えられない。床が目の前に迫ってきていた。手を伸ばす余力もない。
「ヘル!」
床にぶつかる、と思ったら体がふわっと浮いて空中で止まった。
ロックマンが走ってくる。再び重力を感じたときには彼の腕の中にいて、彼は膝立ちになって私を横抱きにしていた。
「治癒室に戻ろう」
ぼんやりとした頭にロックマンの声が響く。
「今、魔法薬の先生に薬を解析してもらっている。解毒薬ができたらそれを飲むんだ」
私はロックマンの服の袖をきゅっと掴んだ。
「ヘル?」
「降ろして……」
ロックマンは腰を下ろし、なぜか床ではなくて彼の膝に私を座らせた。私の背中を支える彼の顔を見上げる。
山ほど魔力を放出して、体の中はすっかり静かだ。薬のピークが過ぎたのかもしれない。
もう抵抗する魔力も──気力もない。
じわじわと心に染み渡る想いだけが残っていた。
「……好き」
「え?」
「ロックマン、が、好き……なの」
ロックマンに触れたい。その頬に、その髪に、その唇に──。
思うと同時に体が勝手に動いていた。手を伸ばして、甘く匂い立つ蜂蜜のようなさらさらの金髪に触れた。
ロックマンは目を見開いて驚いた顔をしている。でも振り払うことはなかった。
私の指先がするりと長い金髪を梳いて、彼の頬に触れると、頬を緩めて長い睫毛を伏せた。
ふわっとお日様の匂いがして、ロックマンが私を抱き締める。
抱き締められるのが嬉しい。ぬくもりを感じると気持ちがいい。胸に頭をすりすりとこすりつける。ロックマンがビクッとみじろいだ。
「好きだよ、僕も」
ロックマンの胸に頭を
「ヘルが好きだ」
そろりと顔を上げて、まじまじとロックマンの赤い瞳を見つめる。
想いがあふれて止まらないのに、言葉が出てこない。この想いを伝えるにはどうしたらいいのだろう。
薄くて形のよい唇に人差し指で触れる。するとロックマンは私の指を口に含んだ。指先を舌でペロッと舐められる。腰の辺りから甘い疼きを感じた。
────口付けを交わしたい。
柔らかい金色の長い髪が覆う首元に手をかけて、一瞬だけそっと唇を重ねる。
顔をロックマンから離すと、ロックマンは毒気を抜かれたように目をパチクリとさせていた。不機嫌そうな顔ばかり見てきたから、なんだか可愛く見える。
こんなに綺麗な顔をして、まるで夢から覚めたような
ロックマンは目を閉じて、再びゆっくり目を開けたときには、切れ長の涼し気な目が猛禽類のような鋭い目付きへ変化していた。その眼差しに心臓が射貫かれる。咄嗟に逃げかけた私の後頭部と腰はロックマンにガシッと捕まってしまう。
「目を閉じて」
言われた通りに目を閉じると、ロックマンの髪が頬に触れて、私の唇に柔らかい唇が重なる。触れるだけの口付けを繰り返した。私の頭を支える手が少し緩んで、顔を離して見つめ合う。熱を帯びた眼差しが私を捕えていた。おそらく私も同じような顔をしているだろう。
私が再び目を閉じると、ロックマンは啄むように口付けを続けてきた。人生で初めての口付けなのに、どうすればいいのか自然とわかって、何も違和感がなかった。
ロックマンはこういうことに慣れているのだろうか? だからこんなに気持ちよく感じるのか?
「ん……」
私の口から小さな吐息が洩れる。もっと欲しい──そう思ったとき、私の指がロックマンに舐められたときの感触が蘇ってきた。ぞわぞわとして、ひやっとして、どこか気持ちがいい。その感触をもう一度味わいたくて、薄く開いたロックマンの唇の隙間に自分の舌先をちょんと差し入れてみる。
「……!」
ロックマンが一瞬固まる。まずいことをしたかな、と舌を引っ込めたけれど、すぐにロックマンは噛みつくような口付けを返して、彼の舌で私の舌を探ってくる。
さらさらの長い金髪が頬に
「っん……んふ……んん……っ」
優しかった口付けは激しくなり、執拗に舌を絡め合わせていると、私の頭の中でチカチカと何かが光った。下腹部がじんじんと疼いて腰に力が入らなくなる。瞼が重くなって口元がだらしなく緩み、四肢の力が抜けていく。
このまま寝ちゃったら重いだろうな、と頭の隅っこで思ったが、体がまったく動かない。ロックマンが支えてくれるのをいいことに、彼に体重を預けて私の意識はすとんと落ちてしまった。