チノ達が青山の液タブ探しをしたその日の夜。「ラビットハウス」メンバーのいつもの七人は、水道橋の漫画出版社近くの小さな寿司屋にいた。チノは回らない寿司屋という初めての体験と、いかにも「一見さんお断りの老舗」といった風の店構えに目を白黒させていた。リゼ・メグの二人は明らかに緊張しているように見えるが、マイペースな性格のココアと物怖じしない性格のマヤですら、若干緊張しているように見える。千夜は比較的平常どおりに見えるのは、若くしてベンチャーの女社長という立場にある貫禄がそうさせているのだろうか。そんな中でシャロは「わー、お寿司……!!」と一人子供のように目を輝かせていた。
自分たちだけだったら絶対来ないようなこんな店に来ているのは、青山が、液タブを探してくれたお礼として何かご馳走したい、と言ってくれたからである。青山が「何でも食べたいものを言っていただいていいですよ」と言ってくれたのに対し、チノは「何でもと言われましても……」と逡巡していたのだが、シャロが恥ずかしそうにしながら小声で「な、何でも……? だったら、お、お寿司、とか、食べたいです……」と言ったので、一発でお寿司に決まったのだった。さらに青山は「チノさん達のお友達のみなさんも誘っていただいて良いですよ。みなさんが集まってくれたほうが私も楽しいですし、お若い女性のみなさんと食事が出来る機会なんて中々ないので、是非ご一緒させていただきたいです」と言ってくれた。チノはこの言葉は一種の社交辞令と捉えたのだが、ココアは真正面から受け止め、あっという間にラビットハウスの他のメンバーに声をかけたので、七人+青山と、青山の担当編集だという女性を加えて総勢九人も参加する会になったのだった。
「『月刊コミックラビット』編集部の真手凛と申します。いつもうちの青山が大変ご迷惑おかけしております」ときびきびした態度で水道橋の漫画出版社のコーポレートマークの入った名刺(無論、時代遅れの紙のものではなく、ティッピー上でデータ送信するタイプのものである)を渡してくれた編集者の顔にはチノも見覚えがあった。たまにホット・ベーカリーに原稿の取り立てに来ていて、その度に青山が大人げなく隠れていた編集者と同じ人物である。凛はどこか浮世離れした感のある青山とは違い、出来るビジネスウーマンといった雰囲気をまとっている。チノは無意識のうちに凛の方が大人として頼りになりそうと思ったからなのか、寿司屋の中に入った瞬間に凛に思わずこう耳打ちしてしまった。
「あの、このお店で私たち七人もご馳走になってしまって、本当に大丈夫なのでしょうか? しかも今夜このお店貸し切りなんですよね? 『これ』がかなり凄いことになるのでは……」
と、指で丸くお金のジェスチャーを作るチノ。それに対し凛は冷静にこう答えた。
「大丈夫です。青山は弊社にとってこれからの漫画事業戦略の核となる重要な作家です。その青山が描けなくなってしまい、最悪断筆……なんてことになってしまった場合、弊社の被る損害は計り知れませんでした。みなさんは弊社にとっても命の恩人です。この場は弊社の経費で持たせていただきますので、どうか遠慮なくお食べになってください」
青山のポケットマネーから出してもらう訳ではないということで、それを聞いて多少はチノはほっとした。しかし、果たしてチノ達は本当に奢ってもらう筋合いはあるのだろうか。今回のことは、ココアを慌てて助けようとして青山が液タブを紛失してしまったという経緯なので、ある意味ココアが原因のようなものである。自分が原因でなくした液タブを自分で探し出して(しかも正確に言うとココア自身が探し当てたのではない)ご飯を奢ってもらう、それってある意味マッチポンプのようなものでは。そんなことを心の中で思ってしまうチノだった。だがしかし、いざ食事会が始まると、とんでもない狂宴になってしまったので、そんなチノの心配はどこかに吹っ飛んでしまった――