現実と並行セカイの境目ですか?   作:岸雨 三月

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5章:うさぎになりたかったバリスタ#3

「むにゃ……むにゅ……」

「しぇんぱい……もう食べられません……」

 

食事会が始まって二時間ほど。お寿司屋の中は激しい戦闘が終わった後の戦場のような静けさに包まれていた。甘海老、大イカ、しめさば、はまち。赤貝、うに、いくら、中トロ。提供された新鮮なネタのお寿司は一粒も残らず九人のお腹に等分されて収まり、凛シャロの酔っ払いコンビは寝言を言いながら眠っていた。リゼは「はぁ……お寿司は美味しかったけど、流石にツッコミ疲れた……」と放心状態になってテーブルに突っ伏していて、それを「よしよし」という感じで千夜が慰めていた(よく考えると、千夜も途中からココシャロに便乗してボケ倒していたので、リゼを疲れさせた側のはずなのだが)。マヤとメグも話すことがなくなったのか、お互いのティッピーを接続しティッピーのホログラム画面上で遊べるゲームに興じている。お腹いっぱい食べた後特有の気だるい眠くなるようなムードが全体に漂っている中で、ココアと青山の二人の会話だけが店内に響きわたっていて、それをチノはぼーっと聞いていた。

 

「青山さんの前作『うさぎになりたかったバリスタ』本当に面白かったです! ラストシーンなんか特に大好きで……、おじいちゃんのあの台詞で感動しちゃって……。ドラマ化と映画化も予定されてますしメディアミックスの話もバンバン来てるんですよね。 あ、昼間言っていた荻窪のアニメスタジオで打合せってもしかして……」

「ココアさん、読んでいただいてありがとうございます。『うさぎになりたかったバリスタ』は完結した後になって評価がどんどん上がっていて、とてもありがたいことです。まだ秘密なので内緒にして欲しいのですが、実はアニメ化の話も来ています。新作の連載と並行してドラマ・映画・アニメの監修をやるのはなかなか骨の折れる仕事なので、嬉しい悲鳴と言ったところでしょうか」

「やっぱりそうなんだー! 楽しみー! 後書きでも書いてましたけど、バリスタのおじいちゃんにはモデルになった人がいるんですよね? あとお店のモデルになった店もあるんですよね。何ていうお店なんですか? 私、聖地巡礼してみたくって」

「それが、お店の名前と場所を実は失念してしまいまして……。あのお店は、私が関西旅行をしていた時に短い期間ですが通わせていただいたお店がモデルなんです。でも、旅行中は完全にティッピーの地図ツール頼りで行動していたので、その時使っていたティッピーが壊れてしまった時に記録していたお店の情報も分からなくなってしまって。大変思い出深い場所なので、自分の手でもメモしていなかったのが悔やまれます。実は昼間探していただいた液タブ、あれを私にくださったのがその喫茶店のマスターさんなんですよね」

「そうなんだ!? 液タブって結構高いと思うけど、太っ腹ー」

「白いお髭が素敵なダンディな方でした。マスターは元々電機メーカー勤めのエンジニアで、退職金をつぎ込んで憧れだった喫茶店経営を始めたそうなんです。液タブは電機メーカーの系列会社が作っていたものを貰ってきて家にあったそうなんですが、『これは孫娘ならともかく、わしには使いこなせそうにない。持て余しているくらいならお前さんにやろう』と言われて譲っていただいたんです」

「思い出の品だったんですね! 本当に見つかって良かった~」

「ええ、本当に。この液タブを貰っていなかったら、私は漫画家になっていなかったと思います。旅行をしていたのはちょうど自分の絵の方向性に思い悩んでいる時期だったので、本当に絵で食べていけるのか、自分を見つめ直すための旅という意味もあったんです。この液タブを使うようになって初めて、私は自分の絵に自信が持てるようになりました」

「へぇえ!? そうなんだ!? 青山さんの情報はネットのインタビュー記事とかでもよく追っているけど、それは初耳だったなー。ちなみに漫画家になっていなかったら何になっていたんですか?」

「お話を物語りたい、という気持ちが漫画家を目指す原点だったので、絵がダメだったら小説家を目指していたかもしれませんね。小説を読むのも私大好きでしたから。案外、私が小説家になっている世界線も、可能性の一つとしてどこかに存在しているのかもしれません」

「あっ! それってあれかな? 青山さんの作品でも出てきた、エヴェレットの多世界解釈ってやつ! 量子力学の観測問題について、観測によって波動関数の収束が起こるとするコペンハーゲン解釈に対し、波動関数のそれぞれの可能性の意味する状態ごとにそれが実現する世界が用意されているという……、量子力学って私専門外で、青山さんの作品で出てきた知識くらいしかないですけど、凄くロマンがありますよね! 青山さんはやっぱり創作するために本を読んで勉強したりしたんですか? 量子力学について色々教えて欲しいです」

「ココアさんほどに頭の良い人にそんなことを言われてしまうと恐縮してしまいます。ですが本でしたら、ちょっと面白い仮説を取り上げているものがあってお貸しできますよ。ココアさんは、ティッピーと、スマートフォンなどの古典的な通信機器の最大の違いって何だか分かりますか?」

「ティッピーには量子通信回路が積まれていることですよね。それまでの通信では0か1かのデジタル情報、つまりオンかオフかの情報しか扱うことができなかったけど、量子通信では重ね合わせ状態を扱うことが出来る、つまり0から1の間の任意の数字を無限に扱えることになるので、飛躍的に処理能力が向上したとか」

「ピンポンです。流石ですね、ココアさん。この本で主張されている説によれば、重ね合わせ状態を扱うことのできる量子インターネットは、原理的に他の並行世界に存在する電子を計算資源として使っているため、ネットワークの複雑性がある閾値を超えると、『この現実ではない他の世界線』の量子計算機を用いた計算結果が重ねあわせ状態のままネットワークに流入してしまうのだそうです。つまるところ、ティッピーを用いた量子通信は、既に他の並行世界との通信回路を開いているのだという……」

 

「なあなあ、今日の青ブルマ、結構おしゃべりじゃない? 青ブルマって自分のことをあまり話さないイメージだったから意外だなー」

「マヤさん何ですかその呼び方!?」

 

ココアと青山の会話の途中でマヤがチノに耳打ちしてきた。青ブルマというのは青山ブルーマウンテンを略した呼び方らしい。今頃になってお酒が回って来ているのか、それともココアの人柄が青山の口を滑らかにしているのか――確かに今日の青山の饒舌さは普段のミステリアスなイメージからは意外だったが、チノはマヤの呼び方の方が気になってしまった。いや、だがそれ以上に気になることがある。ぼーっとしていて会話に割って入る機会を逃してしまったが、青山が関西旅行で出会ったという喫茶店のマスター、どう考えてもそれは亡くなったチノの祖父のことなのではないだろうか。白いお髭、孫娘がいる、元エンジニア、退職金で喫茶店を始めた。どれもチノの祖父と合致する特徴だ。そういえば昼間チラッと見えた液タブのメーカー名は、チノの祖父の勤めていた電機メーカーの系列会社の名前だったような気がする。そこまで合致する人物がこの世に何人もいるとは思えないので、つまり青山は生前の祖父と出会っていた可能性が高い。だが、チノが喫茶店のマスターの話をしようとするまさに直前、タイミング悪く青山がティッピーのホログラム画面の時計を見てこう切り出してしまった。

 

「あら、もうこんな時間ですね。凛ちゃんとシャロさんを無事お家に送り届けなければなりませんし、今日はこのへんでお開きにしましょうか」

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