完全に眠り込んでいる凛シャロを起こすのは結構な重労働だった。リゼが大声で喝を入れてみたり、脇の下に手を入れて無理やり抱え起こそうとしても起きなかった。するとココアが「うーんじゃあこの目が覚める薬を使ってみようか? 成分的には日本では認可されていないけど人体に悪影響ないことは私が自分の体で試したから大丈夫だよ!」と言いながら毒々しい赤紫色の薬瓶をどこからともなく取り出したので、慌ててチノ達が必死で揺り動かして何とか起こすことが出来た。二人をそのまま帰らせるのは不安があったので、凛は青山が、シャロは千夜が家まで送って行くことになった。水道橋駅で、ココア・チノ・リゼ・マヤ・メグは中央線に、千夜シャロは三田線にと分かれることになった。凛の住むマンションはこの近くということなので、青山は駅に入らずそのまま歩いて送っていくことになる。別れる直前まで青山はココアと何事かを話し込んでいたので、結局チノは青山が訪れたという喫茶店については聞けないままになってしまった。青山とココアは今まではただのパン屋の常連客と店員の関係でしかなかったが、今回その垣根を越えて話し合ってみたら不思議と馬が合うようで、別れるときにはすっかり意気投合しているようだった。別れ際にはココアと青山はティッピーをお互いに通信させて何事かをしていた。連絡先交換かと思ったが、どうもそういう様子ではなく何かをやり取りしているようだ。またココアさんが変なことを企んだり巻き込まれてたりしなければ良いけど、後で何なのか聞かないと――チノはそう思った。
「そういえば今更だけど、シャロを千夜一人に任せちゃって良かったのかな。別にシャロと千夜って家が近い訳でもないだろ? 私も一緒に送るべきだったかな」
帰りの電車の中、つり革を握りながらリゼがぽつりとそう言った。
「確かに千夜さん、まるで家が隣同士かのような自然さでシャロさんをエスコートしていきましたね」
千夜とシャロの関係については、チノから見ると謎が多い。親同士が知り合いなので幼馴染同士だと言うが、今回のように「それにしては仲が良すぎる」と思う場面も多かった。いや、でも謎が多いと言えばココアだってそうだ。結果的に抽選落ちだったティッピーコンテストへの参加を決めた動機もよく分からないし、青山が液タブをなくした時に公園で大量のティッピーを連れて何を企んでいたのかも分からない。ココアと言う少女は天才女子高生と言われるだけあって頭は良いのだが、思考回路を何段階もすっとばして行動するようなところがあるので、常人からは何故そのような行動をするのか窺い知れないようなところがあった。今だってティッピーのホログラム画面を見て何か「にへらーっ」という表情をしているが、いったい何がそんなに嬉しいのだろうか。チノには分からなかった。だが、何がココアの「嬉しいこと」なのかは、リゼ・マヤ・メグと別れた後に渋谷駅で下りてホット・ベーカリーへと向かう帰り道ですぐに判明することになった。
「ねぇねぇチノちゃん! さっき別れ際に青山さんに貰ったこれ、いったい何だと思う?」
「はぁ、何ですか?」
ココアがチノにティッピーのホログラム画面を見せる。表示されているのは、何かの電子チケットだろうか。よく見ると、TIPPEE CONTEST 2052 SUMMER と書かれている。これはまさか――
「じゃーん!! ティッピーコンテストのチケットだよ! 後でみんなにも教えるけど、チノちゃんには先に教えたくって。これで悔し涙で枕を濡らす夏を過ごさずに済むね!」
「ええっ!? チケットを貰うって……そんなこと出来るんですか?」
「うん、出来るみたい。青山さんもティッピーコンテスト出ようと思って申し込んでたらしいんだけど、倍率が高いから友達にも頼んで応募してもらってたら、両方当たっちゃったんだって。でもその友達は自分では参加しないからダブりになっちゃって、今日のお礼も兼ねてってことで貰っちゃった!」
チノはまじまじとココアの顔を見た。なるほど、帰りの電車の中であんなに嬉しそうな顔をしていたのはこういう訳か。
「ラビットハウスに書き込んでみんなにも教えてあげないとね! さあ、これで明日から忙しくなるよー! ティッピーのチューニング、秋葉原だけでは手に入らなかったパーツの調達、ルールブックの読み込みと分析、当日の作戦の立案、ネット掲示板で行われる参加者同士の高度な情報戦……やることは無限にあるからね!」
ココアはすっかりやる気モードに入っている。やれやれ、これはまた明日からココアさんに振り回される日々が始まりそうです、忙しくなることを覚悟しないと――チノの実家とは違い夜でも煌々と明るい渋谷の空を見上げながら、チノはそう思った。