「いやー、こんなに若いお客さん、それもこんなに可愛い女の子だなんて久しぶりだよ! 今日はどんな御用? 新しいティッピーをお求めかな? それともパーツの交換? というかお客さん、すごーくレトロなティッピー連れてるね!? これはXpetit TGFOP-04 Premium型(ティーヨン)かな? 確かに名機だったけど未だに使い続けてるとは何とも通な……。いやでも独自カスタマイズがされてる……? ねえねえちょっとこれ、もふもふしてみてもいい?」
そう言いながら店員は「もふもふ」する手の形を作り、ずいずいっとチノの方に距離を詰めてくる。
(な、なんだこの店員……)
いきなり距離感の近い店員の態度にチノは戸惑う。
「あ、あの、ごめんなさい。今日はお客さんとして来た訳ではなくて、道を聞きたかったんです。私、春からこの街の高校に通うことになったんですが、下宿先を探していたら迷子になってしまって。保登さん家ってこの近くのはずなんですけど知りませんか? 『保つ』に『登る』と書くんですけれど」
「!? 保登はうちだよ! すごい! 道を聞きに入った店がたまたまうちだったなんて、これは偶然を通り越して運命だよ!」
(い、いきなり運命感じられた……)
「じゃあ今日うちに来ることになってた、香風智乃ちゃんっていうのが?」
「はい、私はチノです。今日からよろしくお願いします、えーっと」
「私はココアだよ! よろしくねチノちゃん!」
「よろしくお願いします、ココアさん。あとは高校の方針で、下宿させていただく代わりに、その家でご奉仕しろって言われてるんですが、保登さん家ってパン屋さんだと聞いていたんですが」
「? 間違いなくうちはパン屋だよ? あっ、ちょうど焼けたみたい!」
そう言うとココアは店の奥の方に引っ込み、美味しそうに焼けたクロワッサンを持って引き返してきた。
「いや、確かにパンの匂いに釣られて入りましたけど、明らかにお店の雰囲気的にティッピーショップですし、店員のココアさんが白衣っていうのもパン屋にしてはおかしいですし、お店の面積的にもティッピー関連のものが大半を占めてますよね?」
「えー、うちは間違いなくパン屋だよ? 味も本格派で自信あるし。まあ、ちょっと私の趣味でパン屋の一角を借りて始めたティッピーショップの方が大きくなってきちゃって、最近はティッピーの売上の方が高くなってるけど」
「それもう趣味っていうレベルじゃないですよね!?」
ホット・ベーカリーの中は、薄暗い明かりの中で所狭しとティッピー関連のパーツが並んでいて、どちらかというと秋葉原の雑居ビルの中にでもありそうなパーツショップの雰囲気を醸し出している(チノはまだ実際に秋葉原に行ったことは無いのでイメージだが)。渋谷の高級住宅街のパン屋だというから、セレブなマダムの集う優雅なお店的なものを想像していたチノは面食らった。しかもホット・ベーカリーのティッピーの品揃えはとても充実している。初心者にもオススメ出来るクラシックの名機から、ピーキーで使い手を選ぶがマニアにはたまらない最新性能の一品まで、幅広く良い品が揃っていて、相当な目利きでないと揃えられないラインナップである。パン屋の片手間でやっているとはとても信じられない。なお、チノ自身も、そういうことが一目で分かってしまう程度にはティッピーに造詣が深い。チノは旧型のティッピーを愛用しているが、それは決して買い換えるのが面倒だからではなく、チノがクラシックティッピー愛好家だからである。どれくらい好きかというと、「ラビットハウス」という、クラシックティッピー愛好家向けのコミュニティサイトを運営しているくらいだ。もっともこのサイトはあまり流行っておらず、数人しか利用者はいないが。
「でも、本格派というだけあってパンの匂いは本当に美味しそうですね。このクロワッサン、一個買わせてもらっても良いですか?」
「あ、それ非売品」
「パン屋なのに!!??」
「それはお母さんとお姉ちゃんのお昼用だからねー。最近はパン屋として来てくれるお客さんがあんまりいないから、家族が食べるぶんくらいしか焼いてなくて。私とチノちゃんのお昼の分は別で作ってるから、後で食べよっか」
なんということだろう。パン屋なのにパンが非売品なんて。そういえばこの店、お昼どきなのにチノ以外に客が全くいない。少なくともパン屋としては、あまり流行っていないように見える。
実はチノの実家も「ラビットハウス」という喫茶店をしている(チノの運営するコミュニティサイトと同じ名前だが、これはもちろん自分の実家にあやかってサイト名を付けたからである)。この「ラビットハウス」だが、元々お店を開いたチノの祖父は隠れ家的お店を目指していたらしいが、どういう運命のいたずらか、今ではお昼どきともなればランチを求めて行列が出来るほどの人気店となっている。あまりに人手が足りないので時々チノもヘルプに入っていたが、その時はいつも目まぐるしいほどの忙しさだった。比較的暇な時間帯でも、お客と長話するほどの暇が出来たことは記憶に無かった。チノが保登家をホームステイ先に選んだのも、パン屋だったら同じ飲食店同士で、実家で培ったスキルが生かせるだろうと思ったからだった。しかしこの状況はどうだろう。家族のぶんくらいしかパンを焼いていないって、それはもはやパン焼きが趣味のパーツ屋なのでは。チノは急に不安になってきた。
「私、ちゃんとやっていけるんでしょうか……」
チノの不安気な様子を見たココアは、(そっか、チノちゃん私より年下なのに、家族と離れて新しい街で知らない人と暮らすことになって、不安になるのも無理はないよね……)と若干的外れな気配りをし、こう言おうとした。
「チノちゃん、私のことは姉だと思って、不安なことがあったら何でも言ってね! だから、お姉ちゃんって呼ん」
「ココアさん! 早速ですが、働かせてください! 一刻も早く新しい仕事を覚えたいんです!」