ほどなくして、チノはココアのお父さんの研究室のある建物に辿り着いた。どうやらここは新しく出来た建物らしく、いかにも研究所、という清潔で現代的な作りの建物だ。事前に貰っていたIDで建物に入り、エレベーターで研究室に向かう。同じような部屋がいくつも並んでいる中をこれまた事前に教えられたとおりの手順で進んでいくと、「保登」の表札の出ている部屋に辿り着く。どうやらここがココアのお父さんの研究室で間違いなさそうだ。トントン。ノックするとココアのお父さんとお母さんが出て来た。慣れない雰囲気に緊張し通しだったチノは見慣れた顔にちょっとほっとする。そのまま部屋の中に案内されるのかと思ったら、ココアのお父さんはこんなことを言った。
「ちょっとこの部屋の中だと手狭だからね。教室を一つ別で抑えているから、そちらに向かおうか」
ココアのお父さん、お母さんと連れ立ってエレベーターでさらに別の階に移動する。案内されたところは「教室」とのことだが、チノの普段通っている学校の教室とはだいぶイメージが違う。どちらかと言うと小さな会議室のような場所だ。縦長の部屋の中に楕円形のテーブルが置かれ、それを囲むように十人分ほどの椅子が並べられている。机も椅子も大会社の重役が座っていそうなデザインの高級感あふれるものだ。少人数の授業で使われる教室、にしては少し場違いなような。なんだか偉い人たちが秘密の会議で使う場所みたいな感じです、とチノは思った。そしてその場所には、チノ達以外にももう一人の来客がいたのだった。
「よう、保登。遅いじゃあねぇか」
「天々座君、もう着いていたのか。借りてきた猫みたく大人しく待ってるなんて君らしくもない、ラボに電話してくれれば良かったのに」
「お、俺だってTPOってもんはわきまえてるんだよ」
ゆったりとした椅子にリラックスした様子で体を投げ出している、ワインレッドのスーツに眼帯の人物。そう、この人がリゼのお父さんにして警視庁幹部である、天々座ティッピー室長なのだった。このフランクな話し方からすると、ココアのお父さんとは友達同士なのだろうか。
「天々座君とチノちゃんは、既に面識はあるのだったね。それなら話は早い。自己紹介は抜きにして、さっそく今日チノちゃんをここに呼び出した本題の話を、僕からさせてもらおうか」
えっ? 今日ここに私を呼び出したのは警察、つまりリゼさんのお父さんであって、私に話があるのはリゼさんのお父さんなのでは――、そんな疑問がチノの表情に浮かんだのを察したのか、ココアのお父さんはこう解説を加えた。
「一応警察の名前を借りはしたが、今日ここにチノちゃんを呼び出したのは僕から伝えたいことがあるからなんだ。いや、僕から……というのは正確ではないのかな。まあ、そのあたりは話が進んでいけば分かるだろう。けど、今から伝えることは国家機密とされているティッピーの中核技術の中でも、さらに超極秘に当たる事柄でね。今日聞いたことは、ココアも含めてこの場にいない人たちにはくれぐれも口外しないようにして欲しいんだ。チノちゃんはもう気づいていると思うけど、ココアは僕とそっくりな性格でね。面白い話や好奇心をそそられる話題を聞いたら他人と共有せずにいられない性格だから、敢えてここには呼ばなかったんだ。おっと、『そんな大事な話を私に聞かせてどうするんだろう』っていう顔をしているね。でも決して身構える必要はない。むしろ今日聞かせる事は、チノちゃんは当然に知る権利のある事だ。少なくとも僕は、そう思っている。天々座君が今日ここにいるのは、オブザーバー兼監督役といったところかな。つまり今日ここで話をしたことが万一にも国の偉い人とかにバレて問題になった時に、全ての責任を取らされる役目、ということだね」
リゼのお父さんは口に運んでいたコーヒーを思わず吹き出した。
「ぶふっ! げふっ! せ、責任を取らされる役目って、本当に軽々しく言ってくれるよなぁ……」
「でも事実だろう? ここまで来てしまった以上、引き返す訳にも行かないのだし。じゃあ、本題の話に入ろうか」
そう言うとココアのお父さんはチノに席につくように促す。楕円形のテーブルを囲んでチノが一番下座に座り、ココアのお母さんが向かって右に、リゼのお父さんが向かって左に、ココアのお父さんがチノの真向かいに座る。ココアのお父さんはあまり年齢を感じさせない整った顔立ちに、理知的な印象の銀縁の眼鏡をかけていて、いかにも大学教授、という知性を感じさせる風貌だ。普段家にいる時はその風貌に似合わない変なジョークを連発したりする茶目っ気たっぷりの人柄で、それが一種のギャップになっていた。だが今のココアのお父さんは研究者らしい冷静で真剣な眼差しを備えていて、チノは「この人がティッピー学の世界的権威、保登教授なんだ……」と初めて実感するような気持ちになっていた。