「さて、何から話して行くのが良いかな。話したいのはもちろん、ちょうどチノちゃんが東京に来た日、四月一日から発生し始めた連続ティッピー不正アクセス未遂事件のことだ。メディアでは渋谷連続違法ティッピー事件だとか呼ばれているね。この事件に関して警察から要請があり、僕と僕のラボが捜査協力していたことはチノちゃんは知っている?」
チノは曖昧に頷く。少なくともココアのお父さん本人から聞いたことはない気がするが、もしかしたらニュースでは聞いたかもしれない。ココアのお父さんはちょうどこの四月から仕事が忙しくなってしまったと言っていて家に不在がちのことが多かったが、その捜査協力と言うものをしていたのも関係していたのだろうか。
「もしかしたらリゼちゃんあたりから聞いているかもしれないけれど、このティッピー事件にはある特徴があった。確か『ゴーストティッピー』と彼女は表現していたかな。攻撃に用いられたティッピーからはティッピー機体固有登録番号が検出されないんだ。ティッピーの所有や廃棄はティッピー公社が厳格に管理しているから、その公社が付与するナンバーが無いというのは、この世に存在するはずのないティッピーと言っても良い。番号を偽装したか、一からティッピーを自作したか。いずれにせよ公社がティッピー技術を独占している現状ではあってはならないことだった。そして犯人の側は公社を出し抜くほどの高い技術力を持っていることが想定された。そこで僕のところに依頼が来たという訳だ」
ココアのお父さんは、「その僕の娘を警察は犯人扱いしてくれたんだけどね」と付け足すのを忘れなかった。リゼのお父さんは気まずそうにもごもご、と口の中で言い訳をする。
「まあ過ぎたことはともかく、僕たちは技術的なアプローチから犯人の特定を試みていた。そしてついに、『犯人』が分かったんだ」
ついに核心が来た。ゴクリ、と唾を飲みチノは緊張した面持ちで次の言葉を待つ。
「と、『犯人』の名前を言う前に、前提として説明しておかないといけないことがある。チノちゃんは、ティッピーの量子回路が、他の並行世界への通信回路を開いているという仮説について、聞いたことはあるかな?」
ココアのお父さんがそう言いながら取り出した本(今どき珍しい紙の本だ)の表紙に、チノは見覚えがあった。あれは確か、大久野島へ行く途中のリニアでココアが読んでいた、量子論がどうとか言うタイトルの本だ。それに、ティッピーの量子回路と他の並行世界の話、どこかで聞いたことがあるような――
「あ、あります! ココアさんが話してくれました。インターネットの氷山の一角の下に何が広がっているのか調べようとしたエンジニアの話、並行世界ではフランスとドイツの国境沿いの街でうさぎが大繁殖しているという話……」
思い出した。大久野島の満天の星空の下、ココアさんがシャロさんにそんな話をしていました――、チノは懸命に記憶をたどる。その前にお寿司屋さんでもココアさんと青山さんがそんな話をしていたような。確かエヴェレット解釈とコペンハーゲン解釈がどうだとか、ネットワークの複雑性が閾値を超えると他の並行世界の計算結果が重ね合わせで流入するだとか――
「ほう、チノちゃんは勉強家だね。偉いぞ。それにココアの話をちゃんと聞いてくれているなんて、父親として嬉しいよ。正直父親の僕ですらココアの話は適当に聞き流してることがあるからね。でも、この仮説を知っているならば話は早い。この本で紹介されているこの仮説、世間では嘘っぱち扱いされているけれど、実は全くの事実でね。いやこの本が世に出た当時はびっくりしたものだ。政府はトンデモ本扱いされていた方がかえって都合が良いという判断で放置しているみたいだけれど……。おっと話が逸れたね。ところでチノちゃんはティッピー大規模リコール事件のことは覚えているかな? まだ小さかった頃の話だと思うけど」
話がどんどんと切り替わっていくのは、まるでココアさんと話している時みたいです、とチノは思う。頭をフル回転させて必死に話についていく。ティッピー大規模リコール事件。それのことは、チノもよく覚えている。
「ティッピー大規模リコール事件。私のティッピーがおじいちゃんの声で喋るようになったきっかけの事件です。お父さんは、私のティッピーを渡すように説得したんですが、私が言うことを聞かなくて。でも、おじいちゃんが上手く改造してくれたみたいで、回収されずに済んだんです。でもそれとさっきの仮説と、何の関係が」
「実は関係大ありなんだ。リコールの理由は、表向きには発火の危険性があるからということにされていたが、実際にはそうではない。ティッピーの量子回路が他の並行世界への通信回路を開く現象については当時既にティッピー公社の最高クラスの幹部の間では知られていてね。単に並行世界のウェブページを閲覧できてしまう程度だったら、『よく出来た嘘』で一蹴するという選択肢も無くは無かった。だが、実際に『並行世界の自分』からのメッセージを受け取った、あるいは並行世界の家族や近しい人とメッセージのやりとりをしているという人が出てきてしまったのは、社会的混乱を招く可能性があり流石に無視出来なくなってしまった。そこで量子通信回路が間違いなく『この現実』の情報だけを受け取り、『他の現実』との通信を遮断出来るようにする研究が、急ピッチで進められた。これには政府内でも賛否両論あったようだ。安全装置と言えば聞こえは良いが、特定の属性の情報を遮断するのは一種の検閲と言っても良い行為だからね。そう、リコールはこの『安全装置』を各個人のティッピーにまで実装させるためのものだった」
ココアのお父さんはここで一度話を切った。何だか頭が混乱してきそうなくらいに壮大な話だが、チノの頭は思ったよりも冷静に話を受け止めていた。大久野島での夜にリゼと千夜の話を聞いてしまって以来、嘘みたいな話には慣れてしまって感覚が麻痺してきているのかもしれない。チノはとりあえず素朴な疑問を口にする。
「その時点で、並行世界の存在を広く世界に公表する訳にはいかなかったんですか? 並行世界と通信することがそんなに危ないこととは私には思えないのですが」
「ま、まあその点に関しては、ティッピーの中核技術にも関わるから隠しておきたいという思惑もあったんだろうね。『並行世界との通信』だなんて、利用の仕方によっては軍事利用や犯罪利用、色々と悪用の仕方も思いつくし、もし明るみに出たら外国の軍事関係者とか反社会的組織とかのきな臭い勢力も目を付けるだろうから」
チノは何故かココアのお父さんの発言に言葉を濁そうとする意図を感じ取った。何だろう、何か知られたくないことでもあるのだろうか。