ウマ娘短篇集   作:八咫ノ烏

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ネイチャさんに看取られたいよな〜と思いながら書いたものです。

※死ネタですので苦手な方はご注意してください。
※前に投稿したネイチャの幼馴染とは全く関係のない話になります


いつか、また会う日まで

 春の陽気な日差しが眠気を誘うある日、私たちはいつものようにトレーニングをしていた。私が走って、トレーナーさんがそれを見て指摘したり褒めたり。本当になんでもないはずの日常で、当たり前の光景。

 しかし、その日は。その日だけは違った。

 

 坂路トレーニングのために坂に対峙し、呼吸を整えてトレーナーさんのゴーサインを待つ。

 しかし、なかなかゴーサインは出なかった。違和感を覚えて首を捻る私の耳がドサッという鈍い音を捉え、その直後に誰かの悲鳴がトレーニング場に鳴り響く。

 誰かが転けたのだろう。トレーニング場での事故は頻度は低いとはいえ、どうしても起きてしまうものだ。しかし何度居合わせても慣れそうにない。そう思いながら後ろを振り返り、そして私は視界に入った光景に目を疑った。

 

「トレーナーさん……?」

 

 トレーナーさんが地面に倒れ込んでいた。誰かとぶつかったのか。そう思い周囲を見たけどどこにも倒れているウマ娘の姿はなく。つまりさっきの悲鳴はトレーナーさんが倒れたことによるもので。

 そう理解した瞬間、血の気が引き、衝動的に体が動いていた。

 

「トレーナーさん!!」

 

 急いで駆け寄ってトレーナーさんを介抱し、救急車を呼んだ。その後のことは頭が真っ白になっていたからあまり覚えていないけれど、後から友人から聞いたところによるとわらわらと人が集まってきて大騒ぎになっていたらしい。

 

 次の日から、トレーナーさんはトレセン学園に来なくなった。

 

 

▽ ▽ ▽ ▽ ▽

 

 

 あの日から半年と少し経った。その間、色んなことが起きた。それはもう本当に、受け入れるのに時間がかかるようなことからどうでもいいことまで、色々と。

 

 一つにトレーナーさんが入院した。倒れた原因自体はただの栄養失調だったらしいけれど、検査の際に病名は何だったか忘れたが、とんでもなく重たい病気に罹っていたことが判明して入院することになった。

 当然、私のトレーニングを見てくれる人がいなくなるわけで、それを何とかしようとトレーナーさんや理事長が動いてくれて私にはトレーナーさんの友人が臨時でトレーナーとしてつくことになった。

 

 二つに私が引退した。これは前から少しだけ話していたことで、しかしトレーナーが倒れたことでいつしか有耶無耶になった話だった。ついてくれた臨時トレーナーとトレーナーさん、そして私の三人でよく話し合って決めたことで、私にとってもはや引退するかしないかなんていうのはどうでもいい……とまではいかないが、優先順位のかなり低い話ではあった。

 

 引退。それ即ち、今までトレーニングに充てていた時間が一気に空くわけで、時間を持て余した私が取る行動は一つ。

 

「入るよトレーナーさん」

 

 無機質な白いドアをノックして病室に入る。中からは定期的に鳴る心電図の機械的な音が聞こえてきて、トレーナーさんがちゃんと生きているのだということを示す。

 お見舞いというやつだ。特に何があるでもなく、暇さえあればこの部屋に押しかけていた。多分台風だとかそういうことがない限り、ほとんど毎日。

 

「いらっしゃい」

 

 そう言って、首から上を動かし私を真っ直ぐ見つめる。半年前とは似ても似つかない、痩せ細った顔。昨日からは何かが引っ掛かっているのか、呼吸するたび何かがゴロゴロと鳴るようにもなった。

 トレーナーさんは半年前と変わらない優しい笑みを浮かべているけど、その裏で持病に苦しんでいるのだと思う度に心が強く痛む。

 

 ただ、私がそれを言っても仕方ない。せっかく笑顔でいるところを無駄にするようなことはしたくないから、意識しないように心がけている。とは言っても、どうしてもそういうことを考えてしまうのだけれど。

 

 気分を変えようと、手提げ鞄の中から一つ、真っ赤なリンゴを取り出してトレーナーに見せる。

 

「八百屋さんからトレーナーさんにってリンゴもらってさ。……もらったんだけどトレーナーさんは食べれないんだっけ」

 

 酸素マスクをつけているのに食べれるのだろうか。見舞いの品なんて久々に持ってきたから忘れていたけど、それを外したらマズいということだけはいくら医療に疎くてもわかる話。

 ちょっと良くなかったかな、と一人反省しているとトレーナーは申し訳なさげに笑って

 

「最近ちょっと食が細くなってきてね……。今回は遠慮しておくから、私の分もネイチャが食べていいよ」

「そっか」

 

 このリンゴの味を共有出来ないことに一抹の寂しさを感じた。時間が経つにつれ、出来ることがどんどんと少なくなっているのは、やはりそういうことなのだろうか。

 気を紛らわせるためにナイフを使ってリンゴの皮を剥き始める。何度もここで皮を剥いていたおかげか、いつの間にか手元を見ずに剥き切れるのではないかと思えるほどに手慣れていた。流石に危ないのでそんなことはしないが。

 

「……ねぇ、トレーナーさん」

「どうしたの?」

 

 優しい声音で返してくる。私は言うか言わまいか少し葛藤して、それでも聞いておこうと口を開いた。

 

「病気、治りそう?」

「あ〜……」

 

 それかぁ、と困ったように呟いて少し目を逸らした。その行動に私は若干不安感を覚える。治るというのであれば、露骨に目を逸らす必要なんてどこにもないはずだ。

 つまり、おそらく医者から何かしら悪い方向の宣告を受けている可能性が高い。

 

「実はなんだけどさ」

「うん」

 

 あるいはもう治らないという宣告であったり──

 

「ちょっと難しいって。だいぶ前に……それこそ入院し始めたときくらいにそう言われてるんだ。四ヶ月保つかどうか、ともね」

「そんな……」

 

 ──あるいは余命宣告であったり。

 

 薄々勘づいてはいたことだった。日に日に健康から遠ざかっているように感じてはいたし、さっきのリンゴの件然り、出来ることが少なくなっているのもわかっていた。

 やはりそういうことだったのか。酷く衝撃を受け動揺する自分がいる側、妙に冷静になって納得している自分がいることに少し驚いた。

 

「ま、残り四ヶ月って言われたときは焦ったけど、なんやかんやで半年近く生きてるし……。もしかしたら治るかもね」

「そうかもしれないけどさ……」

 

 裏を返せば、もういつ死んでしまってもおかしくないということ。そう言いかけて口を噤む。治るかどうか、まだはっきりとしたことはわからない。なのに治るという可能性を真っ向から否定するのは、酷く残酷なように思えた。

 そんな私の心中を知ってか知らずか、トレーナーは自虐的に笑いながら

 

「まぁ、自分の体は自分が一番わかるよ。無理だろうなってことも、その時が近いなってこともね」

 

 と言う。私はあのねぇ、と思わず言葉を溢し、

 

「まだわかんないんだからそういうこと言わないの」

 

 と諌めるようにそう返す。いつしか皮を剥く手は止まっていた。正直それどころじゃないのだけれど。

 トレーナーさんは現実を受け入れなくちゃいけないから、と言って目を逸らす。自分の死が近付いているのに、どうしてこうもすんなり割り切れるのか疑問が浮かんだ。だけど、それを聞いても今の私では理解できないような気がした。

 

「今まで黙っててごめんね。悲しませるだろうなと思ったらなかなか言い出せなくてさ」

 

 やはり今までその話をしてくれなかったのはそういう理由だったのか。

 私はそれにどう返せばいいのかわからなくて、

 

「別にいいよ。薄々勘づいてはいたから」

 

 と素っ気ない返事をする。

 

「……そっか」

 

 トレーナーさんがそう返して、二人とも口を閉じた。重苦しい静寂がこの病室を満たす。

 

 トレーナーさんが死ぬ。今まで何度も何度も想像しては、まさかそんなことはないだろうと否定してきた私にとって最悪の展開。もう、逃げることはできない。真正面から向き合うより他ないのだ。

 

「……じゃあ、さ」

「どうしたの?」

 

 押し出すように、ゆっくりと口にする。動揺しているということを悟られたくなくて、平静を装うためにもう一度リンゴの皮を剥き始めた。

 

「私がトレーナーさんに会うのは三着になるのかな」

「三着? と言うと?」

 

 お手本のように綺麗に首を傾げるトレーナーさんに、私は「うん、三着」と返してから言葉を続ける。

 

「トレーナーさんのお父さんとお母さんが先に会いに行ってさ。ずうっと後……何十年も経ってから私が会いに行く。ほら、三着でしょ?」

 

 あぁ、なるほど。そう言ってトレーナーさんは頷いた。

 

「死んでから、のことなんだ」

「うん」

 

 死んでほしくないんだけどね。そう付け加えたところでリンゴの皮を剥き終えた。適当な大きさにそれを切り分け、口に放り込む。

 

「美味しい?」

「……うん。美味しい。さすが八百屋のおっちゃんって感じですわ」

 

 ただ、何かが足りない。その何かはきっとトレーナーさんのことで、一緒に食べて「美味しいね」なんてことを言い合えないことなんだろう。

 話が逸れてしまった。

 

「話戻すけどさ」

「うん」

「何年もかけてさ。それでようやく三着な私を、トレーナーさんは受け入れてくれる?」

 

 これではまるで告白のようだ。自分で言っておきながらそう感じた。もう少し良い言い方はなかっただろうか。そんな細かいところまで考えている余裕があるのかと聞かれると首を横に振らざるを得ないけど。

 告白じみたそれを聞いたトレーナーさんは、いくらか唸った後、首を縦に振る。

 

「もちろん受け入れるに決まってる。それに遅ければ遅い方がいいよ。ネイチャには長生きしてほしいから」

「……ありがとね」

 

 礼を言うと、トレーナーさんはいやいやと首を横に振って謙遜しだした。

 

「礼を言うのはこっちの方だよ」

「と、言いますと?」

 

 いまいち何に感謝されているのかわからない。私が彼に何か感謝されるようなことをしただろうか。少なくとも私の覚えている限りだとそんなことは全くない。

 内心首を捻る私を横目に、トレーナーさんは感謝を伝えてくる。

 

「入りたてほやほやの新人で、いまいち良いのか悪いのかわからないこんなトレーナーの担当ウマ娘になってくれた。一緒に頑張ってくれた。それがとても嬉しかったんだ」

「それを言ったら私だって……」

 

 トレーナーさんがいなかったら私の戦績はもっと悪かっただろう。そう言おうとしたら、トレーナーさんがそれを遮って口を開いた。

 

「私は何もしていないよ。ただネイチャの背中を押しただけ。たったそれだけなんだよ。それに君をG1ウマ娘にしてあげられなかった。なのに、ネイチャにあれをしてやったこれをしてやった、だなんて偉そうに言うことなんてできないよ」

「……そんな謙遜しなくたっていいじゃん」

 

 ぽつりと口から言葉が落ちた。トレーナーさんは私の言葉を否定して「謙遜じゃなくて事実だよ」なんて言って天井を見る。

 

「最後まで君を見てやれなかった。引退するまで責任を持って担当ウマ娘を見守り、そして導くのがトレーナーの使命なのに、ね。そして今はネイチャを置いて先に行こうとしてる。トレーナー失格だよ」

 

 自責の念。トレーナーさんが入院してからずっと、それを抱えていることはわかっていた。言葉の端々に、私に対する罪の意識や後悔が滲み出ていたから。

 それでも。トレーナーさんがどう思っているにしろ、私からしたらかけがえのないパートナーであることに変わりはない。ここだけは、例えそれを否定するのがトレーナーさん本人であっても譲れない。

 

「私はさ。トレーナーさんが私についてくれて良かったなって思ってるんだ。何度弱音を吐いても受け入れて励ましてくれた。どんなに辛いときも怖いときも、私をずっと支えてくれた。そのおかげで私は自分に自信が持てるようになったし、重賞に勝つことも出来た」

 

 トレーナーさんの痩せ細った手を取り、その体温を確かめるように握り締めながら独白する。

 

「もしトレーナーさんがいなかったら。私についたのがトレーナーさんじゃなかったら。私はここまで成長出来なかったんじゃないかって、そう思うんだ。だから、さ」

 

 どうかトレーナー失格だ、なんて言わないでほしい。どうか自分は何もしていないのだ、と謙遜しないでほしい。

 

「私にとってトレーナーさんは、かけがえのないパートナー、だから」

 

 言葉を締め括り、トレーナーさんの反応を待つ。精一杯の感謝の気持ちを伝えたつもりではいるけれど、もしそれでもトレーナーさんが否定するのであればそれまでだ。

 少しの間を置いたのち、トレーナーさんは噛み締めるように

 

「……そんな風に思ってくれてたんだね」

 

 と言った。私はそれに首肯を返し、続きを待つ。

 

「ずっと、ずっと君に負い目を感じていたんだ。G1ウマ娘にしてあげられなかったこと、その上最後まで見てあげることが出来なかったことに、ずっとね」

 

 徐に口を開き、発した言葉はまるで謝罪でもするかのようで。

 

「なんとなく察しはついてたよ。そう思ってそうだなって」

「相変わらず洞察力が高いねネイチャは」

 

 そう言って少し口角を上げた。私は「母さん譲りの洞察力を舐めちゃいけませんよ〜?」と返し、続きを促す。

 

「でもまぁ、なんて言えばいいんだろう。さっきの言葉で肩の荷が下りたっていうか、救われたっていうか……。うん、とにかくありがとう」

「曖昧だなぁ」

 

 ふふ、と少し微笑んで外へ目をやった。時はまだ夕刻。夜になるにはほど遠く、なのに日はもう沈みかけていた。

 そろそろ帰らないと門限を破ってしまう。けれど、私の体は椅子に張り付いて剥がれない。トレーナーさんの手を握った手が離せない。ここから離れたら死んでしまうんじゃないか。そんな考えがふっと頭を過ぎり、頭にこびりついて離れない。

 

 急に押し寄せてきた恐怖に体を強張らせていると、握った手を通してそれが伝わったのか、トレーナーさんは私の手をぎゅっと握り返して口を開いた。

 

「……ねぇ、ネイチャ」

「どうしました?」

「あともう少しだけ……一緒に居てくれるかな」

 

 門限を破ったら私のせいにしていいから。そう付け加えて天井を見上げる。その目はどこか眠たそうで、私は「フジさんに怒られるの私なんですけど」と返して浮かしかけた腰を再び椅子に落とした。

 

「さっきも伝えたけどさ。私の担当ウマ娘になってくれてありがとう。本当に、本当に感謝してる」

「……改まってどうしたの急に」

 

 私がそう問い返すと、トレーナーさんは「改めて伝えておきたくて」と答えた。その真意を知りたくて問い詰めようとしたけど、それよりも先に心電図モニターの電子音がそれを示した。

 先程までの安定した周期で鳴っておらず、脈拍低下の異常を示す。それを聞いた時、私は直感的に理解した。

 

 あぁ。トレーナーさんは死期を悟ったのだ、と。

 

「ネイチャと駆け抜けたあの五年間、本当に充実してたし、何より楽しかった」

 

 トレーナーさんの口から紡がれた、弱々しく、しかしどこか力強くも感じる言葉は死ぬ間際のそれで。

 私はそれを聞き漏らすまいと、耳をトレーナーさんの方に向ける。顔は背けていたけど。

 

「どうか、これから私が言うことを忘れないでほしいんだけど、いいかな」

「……うん」

 

 絞り出すように、ゆっくりと口にする。

 

「これから先、どんなことがあっても、なにがあっても、私が見守っているから」

 

 どんどんと声は小さくなり、力を失っていく。

 私はもう、何を返せばいいのかわからなくなって、「うん」というほとんど意味を成さない言葉でそれに応ずる他なかった。

 

「いっぱい生きて……いっぱい幸せになって……そしていつかその話を聞かせてほしい」

 

 トレーナーさんはそう言ってもう一度強く私の手を握った。

 私はその手を握り返し、小さく首を縦に振る。拒否することなんて、出来るはずがなかった。トレーナーさんはそれに満足したのか、

 

「約束、だからね……」

 

 と言って、少しだけトレーナーさんの手から力が抜けた。まさか、そんな。否定したくて、恐る恐るトレーナーさんの顔を見る。

 とても穏やかで、何か満足げな顔だった。

 

「……ちょっと、やめてよトレーナーさん。冗談にしては趣味悪いって」

 

 そう言ってはみるものの返答はなく、呼吸が止まってしまっていることはもう分かりきっていることだった。

 それでも、まだ私は認められなかった。トレーナーさんの手には温もりが残っている。心電図モニターだって、微弱ながらまだ心臓が動いていることを示している。

 

「ねぇ、起きてよトレーナーさん」

 

 こんなことをしても無駄だ。そう自覚していながら、肩を少し揺する。しかし当然と言うべきか反応はない。

 もう、ダメなのだろう。認める他ないのだろう。

 

 死んでしまったのだ。

 

 トレーナーさんはもう、目を開けることはないのだ。

 私と話してくれることも、優しく微笑んでくれることも、手を握ってくれることもない。

 

「……あれ。おかしいな……視界歪んできちゃった」

 

 気がつけば、私の目に熱い何かが浮かんでいた。熱を持ったそれは目から溢れ出し、重力に従って落ちていく。

 涙だ。私は泣いていた。自覚して、止めようと何度目を拭っても涙が溢れて止まらない。とめどなく溢れるそれはトレーナーさんの眠るベッドに吸い込まれ、シーツを濡らしていく。

 

「トレーナーさん」

 

 嗚咽で言葉を発することすらままならない。

 それでも、別れを告げることはしなくちゃならない。そう思ったから。

 

「前を向くのには時間がかかるかもだけど、長生きして、トレーナーさんが嫉妬するくらい幸せになるからさ」

 

 必死に言葉を探し、口にする。

 

「あっちで、ずっと待っててよ」

 

 一方的に約束だと言ってきたんだ。どれだけ時間が経ったとしても、トレーナーさんはニコニコしながら待ってくれることだろう。

 だから、今は一旦お別れ。

 

「おやすみ、トレーナーさん。さよなら、トレーナーさん」

 

 いつか、また会う日まで。




看取られ、私の好きな概念です。もっと増えてほしいな〜
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