0時0分10秒。
「…うん?」
モモンガとアラネアは顔を見合わせた。
「…なんかログアウトしないみたい」
「終了延期のお知らせ、ですかね」
モモンガはコンソールを開こうと…。開かないんですけど。
「モモくん! コンソールが開けない!」
アラネアも同様らしい。
ていうか。
「アラネアさん! 信じられない、アバターの口動いてますよ!」
「はい?」
眉根を寄せて困惑顔だ。
「って、さっきからアラネアさん表情があるんですけど!?」
モモンガは大混乱に落ちいった。
「うそー!?」
アラネアは自らの両頬に手を押し当てた。ぐにぐに変顔になる。モモンガは思わず吹き出した。
「変な顔になってますよ?」
「そりゃテンパってるよ。でも逆にモモくんの表情筋仕事してないよ。いつも通りそのまんま」
「嘘でしょ! 俺が骸骨だから!?」
なんてこったい。今だ現状把握は出来ていないが、悲しいお知らせだ。感情アイコンを出せないのに。
「ホントに何が何だか…ねえ、アルベドもそう思うよね」
アラネアはかなり混乱しているようだ。NPCに話しかけても返答などあるはずがない。普段から散歩中は今みたいな感じなのだろう。
「アラネア様。至高の御方々の手足となって働くのが我ら
モモンガでもアラネアのものでもない綺麗なソプラノが響く。
「しゃ、喋った!? いま喋りましたよ!」
「立った! じゃなくて喋った!?」
モモンガとアラネアの驚いた声にアルベドは小首を傾げた。
アラネアとアイコンタクトする。ここはアラネアさんとの遣り取りで慣れ親しんだ小粋な魔王ロールの出番だろう。
「アルベドよ」
「はい。モモンガ様」
おおう。アルベドの所作に紛れもなく生物みを感じる。アラネアも息を呑んでいた。
「どうやら我がコンソールが開かないようだ。おまえは何か知らないか」
遅すぎる厨二病にかかっといて良かった。さっきまで混乱していたのが嘘のように言葉がすらすら出て来る。
「お許しください。コンソールという言葉は記憶に御座いません。不明を深くお詫びいたします」
アルベドは頭を下げた。
「よいのだアルベド。おまえが謝る必要はない。事態は新たなフェーズに移行したようだ」
厨二病の症状のひとつ。何となく、わけ知り顔で悦にはいる。ただし発言に意味がないことは多い。困った。次何話そう。
アラネアが前に出る。
「アルベドはその場で待機。セバス」
「はっ!」
「地上にのぼりナザリック周辺の探索を命じます。こちらの言葉が通じる、通じないに関わらず言語を操ると思う相手には出来る限り友好的に接しなさい。可能なら一階層入り口まで連れて来るように。探索範囲はナザリックを中心に半径1キロ又は2時間以内を目安とします。もし戦闘行為に発展した場合、欺瞞行動を取りながら撤退。セバスの撤退が困難な状況を想定してサポートにソリュシャンを同行させます。セバスは足止めを行い、ソリュシャンは速やかにナザリックに帰還し知り得た情報を報告しなさい。そのほかのプレアデスは九階層にてユリをリーダーとして警護任務を命じます。ナザリックのものを含め、何者もここへは通さないように。ここまでで何か質問は?」
なにやらアラネアがかっこいい。
「…ないようね。では作戦開始」
「承知いたしました!」
7名が一斉に行動を始める。
それを見送ったアラネアは息を吐く。
「一度こういうやつ遣ってみたかったのよね。指揮官っぽいやつ。統一した制服とか敬礼、いいよね」
「やめて! モモンガのライフはもうゼロよ!」
モモンガは自分でやる分にはいいが、他人が自分の古傷を抉るのには耐えられなかった。
「えー。かっこいいじゃない。パンドラの制服」
「ええ、まあ当時は俺も思ってました、ハイ」
モモンガは遠い目をした。
「それにしても命令に素直に従ったね。ユグドラシルと一緒」
「はい。そこは安心しました」
ユグドラシルではNPCにここまで複雑な行動をさせるAIは組み込めなかった。技術的な問題ではなく仕様である。フルダイブ型のゲームで表情をリアルと同等に表現することは電脳法で禁止されているのと同じだ。リアルと仮想の区別がつかなくなる者を出さないために必要な措置だった。
すぐ近くにいるアラネアから微かな匂いが香ってきているが、嗅覚の再現も同様に電脳法に触れる行為だ。この場所がなんにせよ電脳法を無視した空間。そしてある程度はユグドラシルのルールが適用されていると考えていいだろう。
「モモくんの身体なんだけど本当に骨なのかな」
アラネアは意味ありげにモモンガを見る。
「どういう意味です?」
「幻覚かもしれないじゃない。その手の魔法もスキルもあるし。ちょっと握手してみない」
「喜んで」
アラネアとシェイクスハンド。
「なんかピリピリする。痛くはなくてむしろ気持ちいい感じ」
「ピリピリ…。もしかして
モモンガは自然と保有スキルを扱えることに気づいた。
「今はどうです?」
「気持ちよくなくなった。ただの固い骨で草」
アラネアは残念そうだ。
「スキルをオフにしましたけど、骨ですか」
「うん。見た目だけじゃなくて、現物もしっかり骨だと思いまーす」
「あー骨かー」
モモンガは俯いた。アラネアに見えないようローブを捲る。股間に見慣れたモノがない。こんなことになると知っていれば骨種族にしなかったのに。バイバイ、マイサン。
「もう一回、
「ほい」
「やっぱりこれは…」
「確かアラネアさん負属性は無効でしたっけ」
「そもそもゲームでは触覚鈍かったけどこんな感じじゃなかったはず」
「もしかしてこれフレンドリーファイアが解除されてる? アラネアさん、物理属性貫通持ちでしたよね。少し強く握ってみてください」
「うん」
アラネアに少し強めに握られると痛みが走った。
「OK。ありがとうございます。フレンドリーファイアはがっつり有効です」
今までは味方の攻撃でダメージを受けることはなかった。しかしコンソールを開けない今、これは要検証だ。そもそも味方の定義はなんだろう。ギルドに所属するもの全てなのか。それ以外は中立か敵なのか。立場の違いを分ける方法はなんだ。
「それはヤバイ。スキルが使えるということは魔法もいけそうよね」
「ええ。どっちも効果範囲を確り把握しないと最悪同士討ちになります」
「てことはナザリック内のトラップも不味いのでは。位置なんて覚えてないよー」
アラネアは顔をげんなりさせた。それはモモンガも一緒でトラップ位置を把握などしていない。味方だけがわかる都合のいいマーキングなど無いのだ。トラップの中にはモモンガも全力で遠慮したい、地獄部屋直行便の一方通行のワープトラップなどもある。
ナザリック内の移動は基本、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使うしかないだろう。
「あのねモモくん。ちょっと試したいことがあるんだけど」
少し顔を赤くしたアラネアがモモンガに近づく。
「なんでしょう?」
「モモくんに迷惑がかかるかもしれないから…でも…これからやろうとしていることで少し現状の疑問が解消出来ると思うんだ」
「え、本当ですか。なら是非やりましょう!」
やはりアラネアは頼りになる。この意味不明の事態にも迅速に対応してくれている。
「…分かった。なら一旦握手会は終了。モモくんはじっとしててね」
アラネアは更に体を寄せてくる。先ほど感じた甘い香りがはっきりとモモンガの鼻腔をくすぐる。それがアラネアの体臭だと気づいたモモンガは衝撃を受けた。女の子のフェロモンとはこういうものなのか。
「これからやることに驚かないでね」
モモンガがアラネアの匂いに驚愕している間に、アラネアはモモンガの手を掴むと自らの左胸に押し当てた。
「は?」
俯くアラネアの表情は伺い知れないが、その耳たぶは赤い。というか、や、やわらか。初めて触ったけどマジでおっぱいってこんな柔らかいの?
衣服ごしにこれなら直に触ったりしたら…。モモンガの脳内、そもそも脳はあるのか。シュレーディンガーの猫的なやつだ。ともかく脳内で【エロゲーイズマイライフ】ペロロンチーノが深く何度も頷いていた。グッジョブ、モモンガ。『いいぞ、もっとやれ! エロは我にあり! 女の子は砂糖とスパイスと不思議なもの全部で出来ているんだ!』過激な伝道師となってエロをシャウトするペロロンチーノという名の煩悩に唆され、
「…アラネアさん、これでは不十分だと思うんです」
「え?」
戸惑うアラネアに構うことなく、モモンガinペロロンチーノはもう片方の手でむんずとアラネアの右胸を掴んだ。
モモンガはアラネア√のフラグを回収した。
「え、や、ちょっとモモく」
戸惑うアラネアの声も興奮したモモンガの耳には届かない。おっぱい最高、とモモンガがそれはもう揉みしだいた。
「ん! うぅ…」
頤を上げ声を押し殺すアラネア。
欲望の赴くまま少女の胸を好き勝手していたモモンガだったが終焉は唐突に訪れた。モモンガがのちに答えを導き出す種族特性による感情強制沈静化である。
そこにはやらかした骸骨と吐息の荒い少女。
事案である。
事態を理解し、若干震えながらゆっくり手を離すモモンガ。真っ赤な顔をしてぷるぷると震え、無言で乱れた衣服を正すアラネア。いやいや表情があるって素晴らしいよね。美少女の恥じらい顔いただきました。
どう考えても事案である。
「す、すいませんでした!」
日本古来より伝わる全身全霊の謝罪。つまり土下座だ。
「モモくんの…すけべ」
髑髏の額を床に押し付け、
「ほんっとーに、申し訳ありませんでした!」
出来心とはいえ相手の意志を無視して無理矢理はよくない。リアルで警察官のたっちさんが正義降臨を背負う姿を幻視した。この場にいれば逮捕待ったなしである。
「…まあ、私から触らせたわけだからモモくんが一方的に悪くは…ないかもだけど。はぁ」
溜息をついたアラネアは玉座の肘掛けに腰を預けた。
「ごめんなさい。内なる欲望に身を任せ、悪のりした骸骨はここにいます。でもこれだけは言わせてください」
モモンガが恐る恐る下げていた頭をあげてアラネアの顔を見上げた。
「なに?」
「たいへん素晴らしい
派手にセリフ選びを失敗した。この後に及んで韻を踏む性犯罪者。
再び羞恥に顔を紅潮させ、いつの間にかアラネアの手には
「ひゃっ、許してください出来心だったんです。なんでもしますから!」
再び土下座をかますモモンガ。
「…冗談だよ。そこまで怒ってないから。…ほんと怒ってないから」
返答するまでの一寸の間が怖い。二度言うのもまじ怖い。
「ほ、本当ですか?」
「うん、そういうことするときはちゃんと合意の上でなきゃ…嫌」
モモンガは意味を理解し、即座に沈静化した。
「それって…」
「ほらいつまでも土下座ってないで」
アラネアも過激な発言をした自覚はあるのだろう。誤魔化すようにバットを2、3回素振りする。意外にさまになっていた。モモンガ的には風切り音を聞く度に条件反射で股間の辺りがヒュンしてしまうので二度とやらないで欲しい。
「でもこれでいろいろはっきりしたね」
アラネアは神妙な面持ちになる。
「まず運営は仕事をさぼっている。か、それどころではない」
「もしくは予想通り運営そのものが存在しないのかな。あきらかに規約ぶっちぎったよね」
モモンガの発言を引き継ぐアラネアの言う通り、ユグドラシルでは18禁行為はNGだ。警告はなされるはずだがホームページ上で名前を晒され、アカウントは即停止になる。
「あ」
もし運営が存在していたら俺って相当やばかったのでは。モモンガがアラネアに問うと気まずい表情をした。
「それに関してはごめん。でもさモモくんだって結果いい思いしたわけだし。こんな美少女の胸をいいように
悪びれないアラネアにモモンガは脱力した。
「まあ、俺もかなり調子に乗っちゃいましたし、BANされていたとしても言い訳できません」
「じゃあ、この話はこれでおしまい。にしたいんだけどー、さっきなんでもするって言ったよね」
目を輝かせ口角をあげるアラネアはまさに小悪魔の様相を呈していた。
「いやいや! それはさっきのBANの件でチャラでは」
「あれーモモくんは嘘ついたの? そもそもBANの件はお触りと交換だからその後の発言は関係なくないかな?」
モモンガは焦った。アラネア相手に何て軽率な発言をしたのかと。さっきの自分を殴ってやりたい。土下座してたけど。
「ひとつ貸しってことで宜しく。モモくん」
前屈みに上目遣いで迫るアラネアを押し返すだけの言葉は、モモンガにはなかった。あざとい所作を無意識にやっているのだから視線に困る。二人の身長的に彼女の胸元が少々覗けてしまう。
「前々から知ってはいたけど、モモくんって意外とチョロいから、私が側にいてあげないと何やらかすか解ったもんじゃないよね」
アラネアは上機嫌でモモンガの周りを回る。確かにユグドラシルではそういう意味で色々助けられたのは確かだ。彼女は世渡り上手というかコミュニケーション能力に長けていた。
「そ、それより話の続きをしませんか。異常事態なわけだし」
「確かにモモくんを揶揄うのも楽しいけど、そうだよね」
アラネアは真面目な顔になると、
「触覚の制限が取り除かれてる。リアルと区別がつかないなぁ。匂いも感じるし、この感じだと味覚も」
艶のある唇を持つ小さな口を開き、自身の人差し指をぺろりと舐めた。
「あるね。味覚」
何気ないアラネアの行動がモモンガには淫靡な様に感じられ、連想的にアラネアのやわらかい感触を思い出していた。つい視線が、先ほどから気になって仕方がない黒いセーラー服を押し上げる胸の部分にいってしまう。あれはとてもいいものだ。ペロロンチーノ改め煩悩がシャウトするのも頷ける。
「うーん。ユグドラシルの続きじゃないことは確定。夢か現か。ちなみに私、夢の中では一人称視点で自由に動けない派だけどモモくんは?」
「俺は…殆ど夢を思い出せませんねえ。夢を見たのは覚えてるんですが」
「それ分かる。起きた時、なんかもどかしいやつ。頑張れば頑張るほど思いだせなくなる感じ」
「なんとなくですけど仮想空間っていう感じがしないんですよね。ユグドラシルも相当細かい作り込みでしたけど、これは桁が違います」
歩いた時、微かに空気が肌というか骨にふれるのを感じる。足音の強弱もある。ひんやりした室温を感じるし、纏うローブの質感は本物だ。素早くローブをはためかせても、衣擦れに何の違和感もない。
その後暫く話し合ったが情報が不足している今、答えはでないという結論になった。今のところナザリックの外を探索しているセバス待ちだ。
モモンガは試しに骨の体をいろいろ動かしたが、人間時の可動域と大差の無いことは解った。骨と骨が繋がっているだけでどうして動かせるのかとか、難しいことはよくはわからない。それに体のあちこち隙間だらけだ。調べていないのは頭蓋骨の中だが進んでかち割りたくは無い。そもそも脳みそは存在するのか。手で叩いたところ鈍い音なので伽藍堂ではなさそうだが、果たしてなにが詰まっているのだろう。どうしよう。操縦席とかあって自分じゃない小さな何かが操っていたら、シンプルに怖い。やめよう、それを考えるのは。総ては不思議パワーのおかげだ。
他にも今までと同じ法則で魔法は使えるのかとか、装備品はどうだろうとか、あれもこれも代わりに考えることは山ほどある。
つらつらと考えているとローブを引っ張られモモンガは思考の渦から抜け出した。目の前には先ほどとは打って変わり、なにやらモジモジしているアラネアがいる。
「あの…ちょっと、さ。聞きたいんだけど…モモくんには、リアルでパートナーいるの?」
おっといきなりの豪速球。こんな話題いままで緩いキャッチボールすらしたことないのに。
今までアラネアとリアルの話をしたのは数えるほどだ。しかも殆どは好きな食べ物とか他愛もないことばかり。モモンガはアラネアが何処に住んでいるかもリアルの顔さえも知らなった。アラネアはオフ会に全く参加しなかったからだ。だからアラネアからのリアルで会おうという約束に驚いた。ギルメンでもリアルのアラネアを知るのは数名だろう。モモンガが知っているのは声とそこからの推測で自分より年下であろうこと。まあ今時はプライバシーの観点からボイスチェンジャーの使用も珍しくないので女性かどうかも怪しい。
いや確かぶくぶく茶釜はリアルのアラネアに会ったことがあるらしく、曰く『すっごく可愛い女の子だよ。会ったらモモンガさんも驚くよ〜』と自慢げに言っていた。それを聞いたペロロンチーノなどは俺にも会わせろとしつこく実姉である茶釜に迫り、その度に折檻されていたのを思い出す。結局ペロロンチーノとは会ったのだろうか。
「いるの、いないの。どっち?」
考えすぎていたようで、焦れたアラネアは若干不機嫌そうにしている。
「まったくいません」
モモンガは自分で言って悲しくなってきた。
「もしかして好きかも、付き合ってくれないかなーレベルでも?」
何故食い下がるのかわからないが有名人とか初めから無理だし、もともと狭い交友関係だ。しいていえば行きつけのコンビニの若い店員さんが可愛いかったな、くらいの感想だ。
「今のところ居ないような気がしますね」
「は? どっち?」
「全くいないです!」
アラネアのドスのきいた声に反射的に答えてしまった。するとアラネアは察したのか面白がるような笑顔を浮かべる。
「あれれ? もしかしてモモくんって童」
「童貞ちゃうわ!」
食い気味に答えるモモンガ。
「ふーん。そうなんだぁ」
なんだかアラネアは嬉しそうだ。いい子いい子されているような慈愛の笑顔が心にくる。確かに童貞だよコンチクショウ。
「そういうアラネアさんはどうなんです。恋人、いるんですか?」
「んー、秘密」
「いやいやそれって不公平では?」
「リアルではいたことないよ」
妙な言い回しだがいないらしい。
「じゃあ、な…あ!」
モモンガは気づいた。この場には二人以外の第三者がいることに。
守護者統括アルベド。
モモンガはこそこそと、
「なんでアルベドのこと言ってくれなかったんですか。まるで無視してたみたいじゃ無いですか」
みたいではなく完全に忘れていた。ひどい主もあったものである。
「ゴメン。私もすっかり」
アラネアも負けず劣らず薄情な主だった。
「上位者から許されないと発言しちゃいけない的なアレですかね」
「かも。でもなんか様子が変じゃない?」
跪くアルベドは両手で顔を隠し、私は何も見ていませんのポーズだった。ただし指と指の隙間から爛々と金の目を輝かせ、こちらを窺っていたのが丸わかりだ。彼女の腰から生える一対の翼が忙しなく羽ばたいていた。飛び立つ五秒前だろうか。
「えーゴホン。アルベドよ。随分と待たせてしまったな。なにか聞きたいことがあるなら発言を許そう」
魔王ロールを再発するモモンガ。
「我々ナザリックのシモベ一同至高の御方々の側に侍らせていただくだけで望外の喜び。その上とても素晴らしい光景を拝見させて」
アルベドは、はっと一旦口を噤む。
「い、いえ! 私はけっしてなにも見たり聴いたりしておりまっせん! モモンガ様がアラネア様に淫らな行為をした現場の一部始終など見ていたわけがございません!」
すごい勢いで否定された。最初からいたのだから土下座を含めてモモンガの醜態からアラネアとの茶番劇まで全てを見ていておかしくない。
「頼むから現場って言うな。ウム、そうだな。これは実験の一環であり決してお前の考えているようなものとは違うのだ。ホントだぞ」
モモンガに冷ややかな視線を送るアラネア。しかし構ってはいられない。ナザリックでの社会的地位がかかっているのだ。
「実験ですか?」
アルベドは耳を傾ける様子をしめした。
「我々ギルドメンバーはここユグドラシルとリアルと呼ぶ異世界を行き来しているが、リアルは未曾有の危機に瀕しているのだ。そう、リアルそのものが消滅するかもしれないとてつもない災厄によって!」
「なんという! まったく気づきもしませんでした。愚かな私に未曾有の危機をお教え願いますでしょうか。早急に対応を図りたく思います!」
「アルベド、お前の忠義うれしく思うぞ。しかしこの危機に対応出来るのはリアルに渡れる者だけなのだ。今ここにいないギルドメンバーは決してナザリックを捨てたのではない! 今もリアルを災厄から救わんと活動しているのだ! リアルが消滅すればユグドラシルも消えてしまうがために!」
「そんな!」
決まった。モモンガは内心で渾身のガッツポーズ。なんとか話のすり替えに成功したモモンガは胸を撫で下ろす。隣ではやはりアラネアが冷ややかに見ていた。小さな声でぶつぶつ言っていたが生憎よく聞き取れなかった。
モモンガの言葉にアルベドは悲嘆に暮れ涙する。モモンガから聞かされた他の至高の方々がナザリックを捨てたのではないという事実。ああ、嘆かわしや。リアルにいけない矮小な身では至高の方々の無事を祈ることしかできないのだ。
異形の美女の肩に手を添え慰める死を象徴する骸骨。その光景を絵画にしたらさしずめ題名は『終焉前の遅過ぎる救済』だろうか。
一方モモンガは涙を流すほどとは思わなかったが嘘は言っていない。リアルはクソだ。ほとんどのギルドメンバーは日夜生きていくために企業戦士として戦っている。ヘロヘロなどはいい例だ。自然環境は壊滅的状態であり、複数の多国籍企業間での武力衝突もたえない。人類は遠からず自らの意志で絶滅するだろう。
だがしかし。
「…モモくん?」
仄暗い穴から響いてくる声音。アラネアだ。
「目の前で見せつけるように他の女と楽しそうにいちゃいちゃして。アルベドにもあんなことやこんなこと、それとも人前では口にだすのも憚られるような淫らな行為をしようとしているのかしら? アルベドの
いやいや今すっごくシリアスな愁嘆場だったよね。いつの間に修羅場に早替わりしたの。
モモンガとアラネアは暇なときいろいろなシュチュエーションでロールプレイすることがあったが、今度は束縛系彼女役だろうか。少し他の女性と話しただけで浮気を疑うとは嫉妬深すぎ、愛重た過ぎである。
アラネアは下唇を噛み締め、怒りに眦を吊りあげ凄まじい迫力だ。美人が怒ると怖いって本当だったのだな。表情があることで、より迫真の演技に拍車がかかり、真相を知っているモモンガでさえ騙されそうなほど見事なものだ。しかしモモンガも伊達に年単位でアラネアのロールプレイに付き合ってはいない。その演技力の高さに改めて感嘆するも余裕があった。
とはいえ自分の中の生存本能は警鐘をこれでもかと打ち鳴らしていたので、モモンガはアルベドから微妙に距離を取る。
アルベドはすっかりアラネアの演技を信じ込んでしまっていた。
「アラネア様! このアルベド決してお二人の仲を引き裂こうなどと滅相もございません。もし疑いが晴れぬとおっしゃるのであれば今ここで腹を掻っ捌いて自害致します!」
唐突なバイオレンス展開に慌てたのはモモンガだ。これはモモンガとアラネアのごっこ遊びにすぎない。アルベドは小刀を手にし、覚悟完了している。飛び立つどころか臓物をぶちまける五秒前だ。
「アルベド待て! 待つのだ。ステイだ、ステイ。よーしよし、いい子だ。いい子だからその物騒なものを仕舞いなさい。一旦冷静に話し合おうじゃないか」
理由はよく分からないがアルベドの忠誠心は本物だ。
「アルベド。その言葉…信じていいのよね」
俯くアラネアの言葉は重力に引かれ、地を這うようだ。
「勿論で御座います。このアルベド大恩あるアラネア様にたいし二言はありません」
アルベドの涙が頬を伝う。
アラネアは無言でアルベドを見下ろしていた。それをモモンガは固唾を飲んで見守る。骨なのに固唾を飲むなんて以下ry。
ふっと張り詰めた空気が弛緩したのが分かった。
やおらアラネアはアルベドに歩み寄り、その頬に手を添える。
「ごめんなさいアルベド。あなたがモモンガと密通するかもしなれいと疑うなんてどうかしてたわ」
「そんな…至高の御方が
アラネアはさりげなく小刀を奪い、アルベトをやさしく抱きしめた。アルベドの翼が今まで以上に羽ばたく。モモンガから見えるアルベドの顔は恍惚としていた。アラネアの疑念も晴れ安堵したにしては違う成分も混じっているように見える。まるでご褒美を貰ったワンコを彷彿とさせた。
「いいえ。これは私の不甲斐なさ。嫉妬にかられ、あなたのような忠義者を疑った私を許してちょうだい」
「アラネアさまぁ」
アラネアはアルベドをより一層深く抱き締め、アルベドもおずおずと抱き返して翼もアラネアを
一見眩しいくらいの光景だが、俺は何を見させられているのだろうかという思いでいっぱいなモモンガだった。
頃合いを見計らい、モモンガは大きな咳払いをする。効果なし。彼女らがモモンガに気づくまで四回は咳き込んだ。四回目など二人の側をうろうろして、人間なら吃逆が始まるくらいの勢いで盛大に咳き込んでみた。そこでアラネアがモモンガにようやっと気づかないフリを止め、愛と忠義の劇場は一旦幕を下ろした。
その後、モモンガは何ともいえぬ気分で各守護者たちを六階層のアンフィテアトルムに集めるようアルベドに下知した。
恍惚状態を引きずるアルベドは、アラネアをちらちらと気にしつつ名残惜しげに立ち去った。
これで本当に玉座の間に二人きり。
後ろを向いているアラネアにモモンガが近づくと、声をかける前にアラネアが振り向く。
「モモくんもごめんなさいね。あなたを疑ってしまって。あなたが私以外を愛するなんて絶対あるわけないのに」
え、まだ続いてたの。
アラネアはいっそ眩しいくらいの笑顔だったが、目のハイライトが壮絶に死んでいた。いっちゃってるよ、アラネアさん。モモンガは半歩さがるだけでなんとか堪えたが、これっていつものお遊びだよね。
「これは疑ったお詫び」
アラネアはモモンガの肋骨に手を添え、背伸びをした。骸骨になる前はあったはずの唇のあたり、今は歯と歯茎しか残っていないそこへアラネアの唇が触れた。
「へ」
最初は何をされたのか解らないモモンガだったが柔らかい感触の意味を理解した途端、瞬時に感情の沈静化がおこる。彼女とキスをしていたのはどれ位の時間だったのか。感情が翻弄され、浮かびは沈んだ。モモンガは興奮しては感情の沈静化の繰り返しでよくわからなくなってしまった。
瞼を閉じて少し赤く染まったアラネアの美しい顔。それが全てだ。
キスが終わりアラネアはそのままモモンガの豪奢なローブで顔を隠しその表情は窺い知れない。こんな時、気の利いた台詞でも出ればよかったのだが、生憎モモンガはそんな人生を送ってこなかった。
「これってそういうことですよね。アラネアさん」
「あなたじゃなきゃ駄目なの」
モモンガは壊れものを扱うように華奢なアラネアを抱きしめた。
この一連の自分の言動でモモンガがBADENDを華麗にスルーしたと分かったのは随分後のこと。そう、モモンガが自分らを取り巻く状況を一応理解し、アラネアの異常に気づいたずっと後のことだった。
感想を頂きました。有難う御座います。返信は出来れば返したいのですが自分は遅筆の為、当面は執筆を優先させていただきたいと思います。
感想は必ず目を通しますので頂ければ大変励みになります。
ちなみに作者は原作は14巻まで。アニメは映画以外は視聴しています。