こんなことばかり考えているから、諭吉には縁が無いのかもしれません。
※同一HNでPIXIVにも投稿済みです。

1 / 1
武蔵が「学問のすゝめ」を「奨めない」話

その日、私・黒鉄清霜は「間宮」のテーブルで学問に励んでた。

気合いを入れて、姿勢を正して本を読んでいたら…。

 

「よう、清霜。」

「あ…武蔵さん。」

 

武蔵さんが私に声をかけてくれた。

「読書か。」

「はい、この季節になりましたし、学問を始めてみようかと思ったんです。」

「そうか…しかし、その眼鏡は何なんだ?」

 

この時私は眼鏡を…ぐるぐる眼鏡を掛けていた。

「まずは形から入ろうと思ったんです。眼鏡を掛けてる人って、何だか賢そうに見えませんか?」

「…私も眼鏡を掛けているが…お前には私が賢く見えるのか?」

「え?武蔵さんだって賢いじゃないですか。」

「……ふふ、そうか…まあ、賢いと言われて、悪い気はしないな。」

そう言いながら、武蔵さんは私の前に座ってくれた。

 

武蔵さんは私が読んでいた本を見て、言った。

「『学問のすゝめ』か…。」

「はい、学問を始める前に、どうして自分は学問をするのか、心構えをシッカリしておこうと思ったんです。」

 

「なるほどな…。」

「…だが『学問のすゝめ』を読んで学問を志す、というのは、私からはあまりお奨めできないな。」

 

私はちょっと驚いちゃった。

「学問のすゝめ」と言えば、私たちが艦だった頃からよく知られた名著だ。

そんな名著を読んで、学問をやろうと思って、本当に学問を始めた人も多いと思う。

でも武蔵さんは、この本を読んで学問をやるのはおすすめできないと言った…。

 

「え?なんでですか?」

私は武蔵さんに聞いてみた。

 

「簡単に言えば、この本が学問そのものを勧めているようには思えないからだ、な。」

 

…伊良湖さんが武蔵さんの前に緑茶を置いた。

武蔵さんはそのお茶を一口してから、お話を続けた。

 

「『学問のすゝめ』で、読者に対して学問を勧めている部分は『初編』だ。」

「そしてその『初編』の冒頭部に、あまりにも有名な…」

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり。」

「…という一文がある。」

「それで、この後にはどんな話が続いたか?」

 

「えっと…天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと言っても、周りを見渡せば…」

「頭の良い人もいれば頭の悪い人も居て、お金持ちもいれば貧乏人も居て、立派な人も居ればダメな人も居る…って話でした。」

 

「その頭の良い人と頭の悪い人、お金持ちと貧乏人、立派な人とダメな人の違いは、何によって生じた?」

 

「ちゃんと勉強したかどうか…学問を修めたかどうかだって、書いてましたね。」

 

「そう、それで学問を修め、『むずかしき仕事』に携わる人を『身分重き人』と呼び…。」

「そして、学問を修めず、『やすき仕事』に携わる人を『身分軽き人』と呼ぶ、のだったな。」

「天は人の上にも下にも人を作らなかったが、人自身が学問を修めたかどうかによって、上と下に分かれてしまうと言うわけだ。」

「だから、人は学問を修め、むずかしき仕事に携わり、身分重き人となることを目指すべきだ…という話になる。」

 

「だが『学問のすゝめ』が勧めるように、全ての人が学問を修め、むずかしき仕事に携わり、身分重き人になったとして」

「身分重き人ばかりから成る社会は、本当に社会として成り立つだろうか。」

「『むずかしき仕事』とか『やすき仕事』とか言うが」

「難しかろうが易かろうが、現に世に在る仕事は全て社会から必要とされている。」

「『むずかしき仕事』も『やすき仕事』も、絶対に欠けてはならない仕事なのだ。」

 

「そもそも『やすき仕事』など、この世のどこにも存在しない。」

「この世に在るのは『何とかなる仕事』だけだ。」

「福翁は『手足を用うる力役はやすし』などと書いていたが」

「そう思われるのなら、手足を用うる力役を四時間…二時間だけでもなさってはどうかと問い糾したいところだ。」

 

「もう一度言うが、『むずかしき仕事』も『やすき仕事』も、社会には絶対に必要な仕事だ。」

「だからその意味で、身分重き人も身分軽き人も、社会には絶対に必要なのだ。」

「だから身分重き人も身分軽き人も、共に社会を支える者として、互いに敬意を以て接するのが道理というものだ。」

「対して福翁は、身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざる…などと書いていた。」

「そして、身分重き人と身分軽き人の違いは、雲と泥との相違あるに似たる…とも書いていた。」

「この言い草には、身分軽き人に対する敬意が、共に社会を支える人に対する敬意が感じられない。」

「雲に対する泥などと言われて、どうして共に社会を支えようなどと思えるだろうか。」

 

「秋雲が所蔵している漫画に、こんな場面があった。」

「(描かれた当時から見て)近未来の小学校。校長とおぼしき男が、子供たちにこう言い放った。」

「今!世の中は管理する側と管理される側にはっきり二分されている!君たちはどっちを選ぶ!?…と。」

「そして子供たちは、答えてこう言った。」

「ハイ!管理する側です!…と。」

 

漫画の中の話とは言え、何だか嫌な学校だなと思った。

 

「何だか嫌な学校ですね。」

「だろう。作者もそういう風に描いている。」

 

「だが、むずかしき仕事に就き、身分重き人となるために…管理する側に立つために、皆が勉学に励む社会というのは、結局こういう社会なのではないか。」

「皆が福翁の奨めに従ってしまったら、結局世の中はこんな…嫌な世の中になってしまうのではないか。」

「どうも私にはそう思えるのだ。」

 

「それじゃ、人はどうして学問をするんでしょうか?」

私がこう聞いてみると、武蔵さんは満面の笑みを湛えて答えてくれた。

 

「それは学問それ自体が興味深くて、面白いからさ。」

「何の役に立つのか分からないとしても、何の役にも立たないとしても、学問それ自体に触れる意義はある。」

「そうでなければ、人類は何千年も学問を続けてこられるわけがない。」

 

 

「以前提督から、こういう話を聞いたことがある。」

「提督が高校生の頃の話だ。」

「漢文で漢詩をを扱うとき、大体どこの学校でも韻の踏み方…押韻について教わるそうだが。」

「提督たちの漢文を担当した先生は、この押韻については『そういうものがある』という話だけをして、詳しい話は一切しなかった。」

「その先生はこのことについて、こう言っていたそうだ。」

「実際に漢詩を作るわけでもない君たちがこんなことを知ってもしょうがない。」

「それよりこれら漢詩の作者…李白が、杜甫が、白居易が…一体どんな時代を生き、どんな境遇にあって、何を感じ、何を思い、どうしてその詩を記したのかを知る方が遙かに有意義だし…」

「…何よりその方が断然面白い、と。」

「そしてそんな先生の授業は生徒に大変好評だったそうだ。」

 

「提督は高校生の時、本当に数学が苦手で、定期考査の度に赤点ばかり取っていたそうだ。」

「え?でも、司令官って、結構数学好きですよね?」

 

「そうだ、提督は数学が苦手で、実を言うとそれは今も変わらない。」

「だがお前も言った通り、提督は数学が好きだ。」

「これも提督の、高校時代の体験に依っているそうだ。」

 

「提督が修学旅行で北海道に行ったときのことだ。」

「修学旅行には数学の先生も引率として同行されていたのだが。」

「提督は札幌の書店で、その先生の姿を見かけた。」

「そこでその先生は、何か数学の本を手に取っておられた。」

「それを見て提督は、この先生は本当に数学がお好きなんだな、数学は本当に面白い学問なんだな…と思ったそうだ。」

「実際その先生の授業もとてもわかりやすい授業で、生徒からも好評だったらしい。」

「…にもかかわらず、提督は定期考査で赤点ばかり取っていたのだが。」

「結局提督は数学が苦手なまま高校を卒業し、受験科目に数学がない大学(法学部)に進んだ。」

「提督は大学に進んでから、初めから…それこそ1+1=2の、その以前の段階から数学を勉強し直したそうだ。」

「特に数学を勉強しなければならない理由があったわけではない。」

「数学は興味深くて面白い学問だ。ただそれだけの理由で、提督は数学を勉強し直したのだ。」

 

 

「学問は、それ自体興味深く、面白いものだ。」

「そして学問の面白さを人から人に伝え、受け継がせることは、確かにできる。」

「だが福翁は、人に学問を奨めるにあたって」

「学問に励み、むずかしき仕事に就き、身分重き人となるべし…という奨め方をした。」

「…だがこれは、本当に学問を、学問そのものを奨めていると言えるのだろうか?」

「どうも私には、福翁は学問そのものを奨めているのではなく」

「単に立身出世を…身分重き人になることを、管理する側に立つことを奨めているに過ぎないように思える。」

「これは私が悪く解釈しすぎなのかもしれないが」

「こうしてむずかしき仕事をする身分重き人になり、管理する側に立つことで」

「やすき仕事をする身分軽き人を、管理される側に立つ人々を見下し、侮蔑することを奨めているようにも思えるのだ。」

 

「…まあこれが、私が『学問のすゝめ』を奨めない理由だな。」

 

確かに誰かにマウントを取るために学問に励むっていうのは、何か間違ってると思った。

でも学問への一歩として、「学問のすゝめ」が奨められないとすると…。

「じゃあ、学問を始めようと思ったら、一体何から始めたら良いのかなぁ?」

 

私がこう言うと、武蔵さんは答えてくれた。

「とりあえず数学から始めてみるのが良いんじゃないか。」

「数学、ですか?」

 

「うむ、これも秋雲が所蔵している漫画に出てきた人物のセリフなのだが。」

「本当に人生に役立つ学問は、数学だけである。」

「…というセリフがあった。」

 

人生に役立つ学問は数学だけ、って…。

正直言って、これだけで炎上してしまいそうなセリフだと思った。

「人生に役立つ学問は、数学だけ…ですか?それは…。」

「いや、私もこの言い方は極論だと思う。だが、的を外しているわけでもない。」

 

「実のところ、数学という学問は人間が、我々が知性を以て考えること全てが対象になっているのだ。」

「だからMathematicsを『数学』と訳すのは、実は不適切なんじゃないかと思う。」

「『数学』という訳では数や量、せいぜい図形(の長さや面積、体積)しか扱わないという印象を与えてしまう。」

 

「繰り返しになるが、数学は知性を以て考えること、考えられること全てがその対象になっている。」

「これも極端な話だが、考えること即ち数学することだと言っても良いかもしれない。」

「数学を通して、考えることの威力、面白さを体得すれば」

「数学以外のことについても、理解し、考えることの面白さが…意義が見えてくる。」

「福翁は、古文や和歌、漢詩・漢文を実無き学問などと言って軽んじたが」

「数学を通して本当に事物を理解し、考える力を備えられれば」

「古文や漢文などは実無き学問だ、などというセリフは出てこないはずだ。」

 

武蔵さんはここで緑茶を一口して、続けた。

「…と、ここで一つ課題を出してやろう。」

「え、か、課題ですか?」

課題…何だろう?

私は襟を正して、武蔵さんからの課題を待った。

 

「数学で考えることと、数学的に考えることの違いを説明しなさい。」

 

数学で考えることと、数学的に考えることの…違い…?

「え、ええと…数学的に考えるって言ったら…例えば…。」

「やっぱりデータに基づいて、敵の行動とか、経済の動向とかを予測したり、とか…。」

私は考えもまとまらないまま、こう答えたけれど…。

 

「うむ、そうして何かを予測する…と言うのは、どちらかというと数学で考える、ということだな。」

「それでは、数学的に考えるとは、どういうことなのか…?」

 

え…違うの?

でも、数学的に考えるって言ったら、やっぱり色々なことを計算して…予測して…と、思うんだけど…。

 

「うーん…ちょっと難しすぎます。」

「そうか…ちょっと難しすぎた、か。」

 

「まあこの課題は、私の自信作でもある。」

「あまりあっさり正解されてしまうのも、な…。」

 

武蔵さんは、この課題については、時々考えてくれれば良いと言ってくれた。

それから、まずは実際に数学に触れてみることから始めようと言って、何冊か数学書を紹介してくれた。

 

アンドレ・ヴェイユ「初学者のための整数論」

高木貞治「数の概念」

矢野健太郎 石原繁「基礎解析学」

科学新興社 モノグラフ23巻「平面図形」

 

…正直なところ「平面図形」以外は私には難しすぎたけど、武蔵さんは本の内容について、易しく説明してくれた。

 

そういうわけで今年のこの季節は、私にとって本当に学問の季節になった。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。