Roses fall fleetingly, violets bloom vividly 作:MIA
240 awakening
……夢を見ていた。
幼い頃の夢だったような気もするし、最近のことでもあったように思う。
当たり前のように彼女が何かを作って、自分がそれを食べる。
……だが、何の味も感じない。
不思議に思って首を傾げる。
まるで、自分が最初に作った失敗作のようであった。
味付けを忘れたのか、と問えば、くすり、と笑い声が聞こえる。
ふと、顔を見上げれば、それが彼女だと分かるのに、黒く塗りつぶされたように顔が見えない。
……不吉な感じ。
慌てて、彼女を守ろうとその手を引こうとするが、手を伸ばしても届かない。何度やっても自分の手が彼女のところまで届かない。
そうする間に彼女は、背を向けてゆっくり歩きだした。
声をあげて呼び止めるが、彼女はその足を止める気配がない。
……じれったくなって走り出す。
走っているハズなのに、彼女との距離が縮まらない。
……焦りが募る。
……今、あの子を離してはいけない、そう感じて必死に手を伸ばす。
ぱり、と足元がひび割れるような音。
もう一歩踏み出せば、ずぶり、と何かに沈み込む感触。
……もう、走れているかどうかすら分からない。
だが、それでも。這ってでも、彼女に近づいて手を伸ばす。
ふと、彼女が振り返り、苦笑するような気配が伝わった。
ようやく足を止め彼女の口元だけが暗闇の中で赤く弧を描く。
……彼女がしゃがみ込んで、自分に手を伸ばした。
ゆっくりと取ったその手は、まるで死人のように冷たい。
……不思議と恐怖はない。何故か悲しさを感じる。
いつの間にか泣いていたらしい。彼女の指がそっと涙を拭い、指についたその雫を真っ赤な舌で、ぺろり、と舐める。
悪戯好きの彼女らしい仕草に、どきり、とする。
(…………あれ?)
……違和感があった。
違和感があるのに、それが普通だと感じた。
そんな自分の困惑を知ってか、彼女は、にやり、と笑ったように見えた。
とびっきりの悪戯を成功させたときのドヤ顔。
……そして、彼女はもう一度自分の手を両手で包むと、頬を寄せるようにして、耳元で何かを囁いた。
『……大事にしてね』
……そう言った気がした。
……彼女が離れていく。
行かせちゃダメだ、そう思っても、体は何故か動かない。
赤黒い何かが蠢くその先へ、彼女は嬉々として歩みを進め……そして、その中に消えた。
◇◆◇
「……んっ……」
最初に感じたのは眩しさ。
光で視界が白に染まった。
目を、ぱちぱち、させながら、感覚を馴染ませていく。
ふと、鼻腔を擽る柑橘類のような香りに、千束は視線を動かす。
ぴょこ、と長い尻尾が揺れている。
「あ、おはよー、千束ちゃん!」
花瓶に花を活けていたらしいすみれが、千束の覚醒を察知して振り返る。
ふりふり、と揺れていたのは彼女のポニーテールらしい。
「……お、おはよう……?」
状況が飲み込めないものの、とりあえず、挨拶を返す。
アイサツは大事。古事記にもそう書かれている。
ずきり、とした痛みに、視線をその痛みの元へと動かす。
……どくん、と音がした。
恐る恐る、病衣を捲ると、胸のところには、ガーゼで処置されている痕がある。
……どく、どく、と聞こえる鼓動。
(…………あぁ…………)
『……大事にしてね』
彼女は確かにそう言った。
ぽたり、と涙が零れ落ちる。
……千束は顔を両手で覆った。
……今の事態を理解した。
夢の中で感じていた違和感。
自分の鼓動が聞こえる音。
全身で脈を打つ血液の流れ。
今、自分の胸の中にあるのは、ノバラの心臓だ。
不愛想で、悪戯好きで、スキンシップが激しく、愛らしい……自分の妹。
……彼女の心臓が、今、自分の中にある。
(……あぁ……あぁっ!? 何で!? どうしてこんなことを!?)
「……っく……うっ……うあぁぁぁぁ!」
それを答える相手はいない。
彼女が、何を考え、何を思い、何故そうしたのか、もはや聞く術がない。
……彼女の成した結果だけが、ここにある。
その事実に悲しさがこみ上げ、涙は止めどなく溢れ出た。
ぽふぽふ、と誰かが頭を撫でる感触がした。
涙を拭いながら、顔を上げれば、すみれが優しい顔をしながら、千束の頭を撫でている。
「……千束ちゃん。泣いてもいいけど、悲しくなっちゃダメだよ?」
よしよし、と子どもあやすように、すみれが優しく千束の髪を撫でる。
……普段と逆だ。
そのシチュエーションが千束の羞恥心を呼び覚ます。
「……ば、ばかたれ……私を慰めるなんて、アンタには十年早いよ……」
強がってそう答える。
その言葉を聞いて、すみれは、えへ、と笑った。
すみれの心情を慮れば、本来、千束よりも辛いのはすみれだろう。
最愛の母。最愛の姉。最愛の女性。
……それを失ったのだ。
いつものすみれならもっと泣きじゃくっていてもおかしくない。
だと言うのに、すみれは笑顔を見せるだけでなく、こちらを気遣うことさえしている。
(……大人っぽくなった?)
彼女の場合、精神年齢が幼い分、表情や仕草が子どもっぽいだけで、容姿だけを見るなら、十分大人である。
だが、今のすみれは、まだあどけなさこそ抜けていないものの、ぐっと大人っぽく見える。
「……すみれ、私はどれくらい眠ってた?」
「んー? 十日くらいかなー? 一時期はちょっと危なかったんだよ? 手術は成功していたはずなのに、体が心臓の動かし方を忘れちゃってたみたいだねぇ……たきなちゃんが泣き喚いて大変だった。この件は、ノバラちゃんも誤算だったのかな?」
うーむ、とすみれが考える表情をする。
ノバラのことを口に出したのに悲壮感がない。
……自分が眠っている間に、心の整理を付けているのだろう。
「…………ノバラは……?」
「……うん。千束ちゃんの手術が終わった翌日かなー……ちゃんと送ってあげたよ。……って言っても、楠木さんの手配で遺体が引き取られていっただけなんだけどさ。本部で……他の亡くなったリコリスたちと一緒に眠ってるって。……千束ちゃんも落ち着いたら行ってあげてね?」
「……そっかぁ……」
分かっていたことではある。
ノバラの心臓がここにあるということは、彼女は生きてはいない。
……それでも、平然と顔を出しそうな感じはするが。
「あ、たきなちゃんに連絡しとかないと! えーっとぉ、『ちさとちゃんおきたよー』。えい、送信! ……あ、でも、たきなちゃん、仕事中かな? スマホはロッカーかも? ……んー……あ、クルミちゃんなら絶対見るよね! えい!」
「……たきなはリコリコ?」
「うん。昨日はたきなちゃんが一日中看ててくれたんだよ? ……残念だったね、千束ちゃん。昨日だったら良かったのに……」
にひ、とすみれがからかうような笑みを浮かべる。
……千束も、どうして、たきなじゃなかったんだ、と一瞬思ったが……。
「ばか。からかうなよ。……それに、さすがに……たきなとすぐ顔を合わせるのは恥ずかしいかなー……お風呂も入ってないし」
乙女の尊厳的にはちょっとどころじゃなく恥ずかしい。
お風呂入ってないから臭うだろうし! 何ならカテーテルが入りっ放しだから、尿とか見られちゃうし!
「あ、でも、私的には丁度良かったかも?
「……帰るのか、仙台に? 楓さんは……」
「……
しょぼん、とすみれが悲しそうな顔をした。