Roses fall fleetingly, violets bloom vividly 作:MIA
部屋の隅っこでハジメは壁に向かって涙を流していた。
気を失うほどに荒れ狂っていた時間が嘘のように、心は異様なまでに凍てついている。
……ハジメが気が付いたとき、同時に目を覚ましたらしいカエデは、ベッドの上の惨状に気づくと、ため息をつきながら、ハジメを床に転がした。
血と、汗と、精液と、愛液その他諸々でぐちゃぐちゃになったシーツやらを引っぺがし、ずるずる、と重い足を引き擦るようにしながら、部屋を出ていき、程なくして、洗濯機の音とシャワーの音が聞こえた。
……カエデが歩いて行った跡を見れば、ぽたぽた、と血の混じった白い液体が床を汚している。
昨夜の行為を思い出し、ハジメは自己嫌悪に陥った。
(………俺は、最低のクソヤローだ……)
薬を打たれていたとは言え、我慢できなかった。
……いや、我慢などしたくなかったのだ、と気づく。
いつも無防備なカエデを押し倒してしまいたい。
悪戯っぽく微笑むその綺麗な顔をだらしなく歪めてみたい。
そんな欲望を一度として考えたことがないとは言えない。
……この一月。
一人きりになることも難しいこの生活。
何処にいても彼女の甘い少女の香りが漂って、常に彼女を意識せざるを得ない。
それでも理性的に対応できていたのは、カエデを大事に思っていたからだ。
……そして、その想いを自らの行いで台無しにした。
カエデを抱いたことに後悔はない。それは彼女に失礼だろうから。
……ただ、悲しいだけだ。
愛を囁いてやることもできず、快楽を求めて、彼女の体を、無理矢理に、強引に貪って、己の欲望のままに犯し尽くし、凌辱し尽くしたことが。
本当なら、自分を殺してしまいたい。消えてなくなってしまいたい。
……だが、それは許されない。
ハジメには責任がある。それから目を背けて逃げることはできない。
……だからこそ。
(……殺してやる。壊してやる、全てを。……俺を、俺たちの尊厳を奪ったもの全部!)
憎悪の火が灯る。
……ギラギラとした瞳からは一滴。血の涙が滴り落ちた。
◇◆◇
その日から、約一月。
二人の間に、会話らしい会話はない。
……互いに何を話せばいいか分からないからだ。
それでも変わらないものもある。
カエデが栄養を考えて料理を作り、それを食べ、二人は訓練を欠かさない。
「……ふっ!」
「はぁっ!」
ハジメの鋭い突きを掻い潜り、カエデの爪先がハジメの鳩尾にめり込む。
……二月にわたる共同生活。その訓練の中で初めてハジメに当てた、完璧と言っても差し支えのないカエデ渾身の一撃である。
頑丈過ぎるハジメには正直それほどのダメージはない。
……しかし、常人が相手であれば、悶絶は必至。あるいは、命に届くほどの威力。
カエデは、この短い期間で格段に強くなっている。
さす、とハジメが蹴られた場所を軽く摩ると、カエデが以前のように、にやり、と楽しそうな笑みを浮かべる。
……どくん、と胸が高鳴った。
互いに何かを言い掛け……電話のベルが邪魔をした。
ちっ、とカエデが舌打ちをしながら、電話に出て、何度か、はい、とだけ返答し、投げつけるようにして受話器を置いた。
「……どうした?」
「……検査だとさ」
ふん、と不機嫌そうにカエデが鼻を鳴らした。
『検査』。それの意味するところをカエデは理解している。
……しかし、それでも逆らえない。
「行くな!!」
ハジメは泣きそうになりながら、カエデを抱き締める。
「……行かないでくれ……!」
懇願にも似たハジメの抱擁をカエデはやんわりと解く。
「……離せ、ハジメ。どうせ私たちには選択権がない。行くしかない」
ぎろ、とカエデがハジメを睨む。
その瞳には、かつてのように悪戯めいた輝きはなく、昏く澱んでいた。
「分かっている! だが……」
なおも言い募るハジメの手をカエデは振り払って、背を向ける。
「……アイツらが何を考えているのかは大体分かっている。だから行くのさ。
「……お前……!?」
カエデの言葉にハジメは呆然とした。
カエデが狂ってしまったのではないか、と思うほどの割り切りよう。
確かに彼女は効率性を重んじる部分があったのは確かではあるが、共に過ごしてきたハジメは、彼女が情緒面を無視しているわけではないことを知っている。
「……生憎だがな、ハジメ。私は正気だ。なに、一度はやったことだ。二度目も三度目も然したる違いはないだろう? ……だから、アンタも気に病む必要はない」
ふふふ、と笑ってはカエデが部屋の外に向かう。
「……………………私は、その程度の女だ」
……本当は自分が気を遣うべきであったのに。
ハジメは自分が気を遣われていることを知り、それ以上引き止めることができなかった。
……ぱたん、と閉じたドアの向こう側。
カエデは、ぼろぼろ、と涙を零している。
……無論、割り切ってなどいない。
これ以上、ハジメに苦しんで欲しくないだけだ。
「……ごめん……ごめん、ねぇ……ハジメぇ」
涙で頬を濡らした少女の言葉は聞こえない。
……その慟哭も。
……その怒りも。
涙を拭い、宙を睨む。
悲しみは憎悪で上書きする。
(……誰が言い始めたのかは知らないが)
ぴゅ、とカエデの拳が空気を切り裂いた。
(後悔させてやるよ……こんなことを考えたことを。私とアイツを選んだことを。アイツの誇りを汚したことを。私の純潔を散らしたことを)
握った拳が、ぎり、と音をたて、拳を振り下ろしたときには、ぽたり、と血が滴り落ちる。
(惨たらしく叩いて潰して刻んで挽いてばら撒いて……)
「……お前ら、全員、豚のエサにしてやる」