Roses fall fleetingly, violets bloom vividly 作:MIA
「……おめでとう、と言ってもいいのかしら」
「……盛大な皮肉だな。まぁ、あなたに他意はないのだろうし、素直に受け取っておくとしよう」
カエデとハジメが共同生活を始めて四か月。
……最初にいたしたときから三度目。
「……体調に変化はあるかしら?」
「来てない以外はいつもどおりだ。……私より、アイツの方が問題だろう。責任ばかり感じているようだし」
「そ。まぁ、いざとなったら、女の方が肝が据わっているものよ。嫌でも母になるという自覚が出るだろうし」
「……母親、か」
お腹が大きくなった訳でもないので、カエデには未だ実感がない。
胎内で子供が育っているのであろうことは頭では理解しているが、どうにも自分が母親になるという実感に乏しい。
リコリスのほとんどに言えることではあるが、彼女たちは、母親と過ごした記憶がない。あえて呼ぶのだとすれば、幼児期の世話役だろうが、彼女たちの記憶は朧気だ。むしろ、良く構ってくれた分、同室の年長者の方をこそ、母親と認識した気がする。……まぁ、せいぜいで五歳上くらいなので、どっちにしても子どもなのだが。
「……私がなれるのかな?」
「さて……それはあなた次第じゃないかしら? どちらにしろ、あなたたちの新婚生活はこれでお終い。あなたは訓練棟の方で匿うことになっているわ。……悪いけど、これは決定事項よ」
ふぅ、とカエデは息をはいていた。
彼女としては、予想していたことではあるが、ハジメはどうだろうか、と考える。
……おそらくは、どうやって責任を取ろうか、ということや、どうやって落とし前つけてやろうか、というところにばかり考えていて、そういうことになることまでは考えが至っていないであろうと予測する。
「……そうだろうな。上層部としては、少なくとも私が産むまでは管理したいのだろうし。……このこと、ハジメには?」
「あなたが妊娠したから解放されることは伝えざるを得ないけど。以降、あなたたちが接触できる機会があるのは、早くても、その子が産まれてからになるでしょうね」
……思ったよりも厳しめの対応に、カエデは難しい顔をする。
カエデ本人はまだいいが……。
「……大丈夫か? たぶん荒れるぞ?」
「上にはそうでしょう。でも、あの子は私にまで当たるほど、直情的ではないんじゃないかしら?」
「……あなたが一医師でしかないことは、私もハジメも理解している。だが、進んで協力している、と見做されれば、どうなるか保証はできんぞ? 特に、アイツ目線で考えれば、私とこの子が人質のように見えるだろうし」
くす、と女性は笑った。
自分の身に危険が及ぶかもしれない話なのに、まるで怯えた様子がない。大した肝の据わりようである。
「……実際そうでしょう? 上層部からすれば、あの子は優秀な駒。思い通りに動かすためなら、人質も取るし、脅しもする。あなたと、その子の命を盾にすることもあるでしょうしね。……とは言え、それは上層部側の話。仮にあの子が私を害したとして。得られるものは何もない。むしろ、その事実から、あなたたちは処分する、と言って、余計に首は締まるわ。理性的であればあるほど、頭が良ければ良いほど、その結果は目に見える。あなたの愛した男はそれほど愚かなの?」
「まさか。アイツのことだ……最終的には憎しみすら上手く隠すさ。犬のように従順に振る舞いもする。最後に喉笛を噛み千切るためにな」
臥薪嘗胆。ハジメは目的のためならば、如何なる苦行であろうとも耐え抜くであろうことに、カエデには疑いがない。
「なら、そう悪いことにはならないでしょう。あなたは私の心配より、自分の心配をしなさいな」
「……訓練棟、ということは今後もあなたが診てくれるのか?」
「なぁに? 寂しいのかしら……って、冗談だから睨まないで」
ふふ、と女性が揶揄うように笑うので、カエデは、ジロリ、と女性を睨みつける。
……まぁ、ここ四か月。ハジメ以外で話せる人間がこの人しかいない、ということも理由の一つだが、変に誤魔化しをしないこの先輩をカエデは結構気に入っているので、会えなくなるのは、寂しいという想いがないわけでもない。
「正直な話、この案件は結構な機密事項よ。リコリスにとっても、リリベルにとっても。仮に大っぴらになったとしたら……どうなると思う?」
「……それなりの数が反旗を翻すんじゃないか?」
軽く想像してみれば、リコリス連中では、ブチ切れそうな連中が何人か心当たりがあるし、まともな司令官連中で激怒する者もいるだろう。
「ああ、それもあるわね」
「……他に何が……?」
だが、女性の懸念は別のところにあるらしい。
すぐに思いつかなかったカエデが首を捻ると、女性は、おかしそうに口の端を吊り上げた。
「風紀の乱れ」
ああ、とカエデも納得した。
リコリスもリリベルも異性と触れ合う機会は極端に少ない。
それがもし、今回の件を前例として均衡を崩したらどうなるか。
……多くのリコリスがお腹を抱えていて作戦に支障をきたすかもしれない。
年頃の少年少女なのだ。どれだけ厳しく律したとしても、ない、と言えない辺りがまた何とも悩ましい。
「……ま、そういう訳で、あなたは当分隔離よ。幼年組のお世話くらいはお願いするかもしれないけどね。予行演習とでも思いなさい」
「……はいよ。それで? 私はこのまま、ハジメとサヨナラか?」
「さて? でも、ここを去るに当たって、身の回りの整理くらいは普通じゃない?」
どうせ持ち込んだものなど最低限の着替えくらいしかないから、捨てたところで問題がない。本来なら、カエデはこのままここから追い出される予定だったのだ。
だが、この女性は身の回りの整理をする、という体で、見ないふりをする、と言っているのだ。
「……感謝する」
「えー? 私は何も感謝されるようなことしてないわよ? 早く準備してきなさい」
ひらひら、と女性は手を振って、指を一本だけ立てた。
(……一時間くらいは、どうにかしてくれる、ってことか)
部屋を出る際に、カエデは深々とお辞儀をした。
◇◆◇
……前回は時間差で呼び出され、二人とも投薬されて部屋に返されたが、今回はそういったこともない。
ハジメはやや緊張したように部屋で待っていた。
再び、カエデが薬を打たれて戻ってくるかもしれない。
……そう考えれば、悲しくもあり、悔しくもあり……どこかで嬉しさもある。
その感情は独占欲のようなものだろう。
愛している彼女が自分だけのものであるという実感。
……そんなちょっとした邪な想いに首を振る。
がちゃ、とドアが開き、カエデが部屋の中に入ってきた。
思わず、ハジメは、びくっ、とした。
前回は、二人は目が合った時点で我を忘れた。
玄関先だろうが、リビングだろうが、寝室だろうが、風呂だろうが、トイレだろうが関係なかったようだ。
記憶は自分が途切れ途切れなのだから、カエデもそうだったんだろうが、我に返ったときに、カエデが辺りを見渡したときの死んだような目はちょっと忘れられなかった。……おそらく自分もそんな感じだったのだろうが。
二人で無言で部屋の中全てを掃除して回ったのは、おそろしいくらいに空しく、地獄のような時間だった。
二回目のときのカエデの呆れたような視線も中々忘れがたい。
彼女は朦朧としていたのだろうが、そんな彼女の求めに応じた結果も、まぁまぁ酷かった。恥ずかしがった彼女が早々に片づけたが。
今回は大丈夫なのだろうか、と心配になってしまい、ハジメが構えてしまうのも仕方ないことではあろう。
カエデは平素と変わらないように見える。
「……今度こそできたぞ」
……言っている意味が分からず、ハジメは首を捻る。
その様子を見た、カエデが頭をガシガシと掻き、叫んだ。
「アンタとの、子どもが、できた、って言ったんだ!」
…………………………ハジメの頭は真っ白になった。
いや、理性部分でが分かっている。そうなるようにまぐわったのだから。
しかし、その現実に思考が追い付かなかった。
そんな焦れったい様子にカエデは正面からハジメに抱き着く。
「……喜んでは……くれないのか?」
そう、ポツリ、と言ったカエデをハジメは強く抱きしめる。
「……いや、嬉しい……でも、現実感がなくて……そして、悲しくて、苦しいんだ。……俺は、どうすればいい……? どうすれば、お前のための力になれる……?」
「……私のために、とか考えるな。アンタに責任はない」
「しかし!?」
「無いよ……無いんだ。責任なんて……」
互いに抱きしめ合う、カエデがそっと目を瞑って、上を向き、初めて、普通の状態でキスをねだる。
ハジメはその唇に、震えるようにしながら、口付けをする。
「……ん♡……んぅ♡」
「……ちゅ……ちゅ」
唇が触れ合うだけのキス、何度か繰り返す。
忘れないように、記憶に刻むように。
そして、ゆっくりとカエデがハジメから体を離した。
「……お別れだよ、ハジメ。私は今後当分アンタとの接触がないように、匿われることになる」
「な……んだと……!?」
「だから、さよならだ、ハジメ」
「待て! カエデ! ……俺に責任を取らせてはくれないのか……」
はぁ、とカエデはため息をついた。
ハジメは責任を取ることを美徳とでも思っているのか……いや、自分を責めているからこそ、そんな言葉が出てくるのだろう。
……カエデはそんな言葉を求めていない。
『愛している』。その言葉だけで、カエデは十分なのに。
終ぞ、ハジメの口からはそんな言葉が出ず、カエデは少し寂しそうにしながら、部屋を後にした。
(……一言。たったその一言を言ってくれれば、それだけで良かったのに)
その悲しみがいつの間にか、涙となって、カエデの頬を伝った。