Roses fall fleetingly, violets bloom vividly 作:MIA
『ウォールナットを頂戴♡』と言ったノバラの真意は分からない。
……しかし、クルミを混乱させるのには十分だった。
「……ボクを座らせる気か……?」
ノバラの言葉の意味をそのまま受け取るのなら、そうとも取れる。
だが、そんなわけなかろう、とも思う。
ノバラ自身が面倒だ、と言っているのに、それをクルミに強制させるとも思えない。
『まっさかぁ! ……え、座りたいの……? クルミなら座らせてあげてもいいけど……』
確認するようなノバラの声に、クルミも苦笑を返す。
「胃が痛くなりそうだからゴメンだ」
『だよねぇ? 私もゴメンだもの。だから、胃が痛くならない存在に座ってもらわなきゃ』
「……そんな都合のいいヤツがいるか?」
『いないなら作ればいいでしょ?』
(……
「それでどうして、『ウォールナットを頂戴♡』になるんだ?」
『うふふん♡ そこはそれ、悪だくみよ♡』
にひひ、とも、くひひ、ともつかない笑い声が聞こえる。きっと悪い顔をしてるんだろうな、と想像が付いた。
「……聞かせろ。理由と条件次第では了承する」
『だからクルミって好きよ♡』
ちゅ、と受話器越しのキスの音にクルミは嫌そうな顔をした。
『……まずはクルミにラジアータをハックしてもらい、それと同時に私たちが介入する』
「……介入?」
『……全支部同時に、全てのAIを掌握する。あ、仙台支部は元々私たちの手の内だから、ちょっと違うかも?』
あが、とクルミは開いた口が塞がらなかった。
国内最高峰のセキュリティで守られている場所を同時攻略するのだ、と言う。正直、正気か、と疑う計画ではあるが……。
「……そうか。デイジーを使うのか……なるほど、それならあるいは可能か」
『可能なんじゃなくて
「……外側じゃなく内側からだからな。お前のことだ。昨日今日の計画ではないだろう?」
『うん! 計画自体はずっと前に作ったものだよ? それこそ、私がデイジーを育てているときにね。何時かやるかもしれない……だったら、当然何か仕掛けるでしょ?』
「同感だな。事前準備ができるならやるべきだ」
『だから、あとは私の掛け声一つ。でも、表立ってデイジーがやったことになるのはマズい』
痕跡は上手く誤魔化せるかもしれないが、内部犯だ、と当たりを付けられて調べられれば、どこかで露見するかもしれない。
だからこそ、疑いの目は外に向けなければならない。
「……だからこその『ウォールナット』の名、か。それで偽装できるのか?」
『過去に二度の実績。ウォールナットなら、どれだけ常識外れだったとしてもあり得ないなんてことはあり得ない』
「……ふむ」
……確かに、そうするメリットはあるように思える。
だが、『ウォールナット』の名はそれほどお安くはない。
承諾するか、拒否するかをクルミは逡巡する。
しかし……。
『もちろん、クルミにも利益があるよ? これが成功すれば、延空木事件も含め、ウォールナットが生きていた、と言うより、代替わりした、と印象付けられる。そして、そのウォールナットは実体のないデイジー。人としては絶対に補足されることはない。つまり?』
「……疑いの目がボクに向けられることはなくなる、と。なるほどな」
ノバラの交渉の巧さにクルミは舌を巻いた。
自己の要求に対する相手側への利益調整のバランス感覚。
それは自分の好奇心を優先しがちなクルミに欠けているものだ。
(……ますます欲しいな! ちっ! リコリスじゃなければなぁ……あ、いや? リコリスじゃなくなるかもしれないのか! 真剣にリクルートを考えなければ!)
「……いいだろう。ただ、そうすると、ボクは、今後、ウォールナットを名乗れないだろう。……
『……と言うと?』
「『
くふふ、とクルミは笑う。
少なくとも前半は通る。後半は考えてくれるだけでも御の字だ。
『あら、熱烈なラブコール。クルミってば、そんなに私のことちゅきだったの?』
くすくす、とノバラが茶化すように笑うが、クルミは大真面目だ。
「……ああ、大好きだとも。ボクたちは良い相棒になれる……そう思わないか?」
『んふ……考えといてあげる。『
「……なら、交渉成立だ。ボクは何時仕掛ければいい?」
『こっちの画像は見れてる?』
「もちろん。可愛いお前のわる~い顔もばっちりだ」
『褒めても、これからやるエンターテイメントの特等席しか用意できないわよ?』
「……十分過ぎる」
『……そ? まぁ、悪いことにはならないから、クルミは自分の仕事が終わったら、高みの見物をしているといいわ。……タイミングは、そうね……千束たちもリリベルの応急処置も終わったようだし、良い頃合いね。お願いするわ、
「……任されたよ、二代目!」
タン、とクルミはENTERキーを叩いて、プログラムを走らせた。
◇◆◇
(……順調だな)
未だ慌ただしい司令室ではあるが、既に楠木には、秘書の淹れた紅茶をゆっくりと味わう余裕すらできていた。
サクラとフキが早々に秋葉原にあったテロリストのアジトを殲滅し、他の進捗状況を見ながら、必要に応じ指示を出しているから、楠木に判断を求められることすらない。
東京近郊にあるテロリストのアジトへの一斉襲撃。
入念に計画されていたその作戦にはイレギュラーが入り込む余地すらない。
随時、戦況の情報共有を行っているオペレーターたちの業務はまだ進行中であるが、この作戦以外には大きな案件もなく、むしろ、いつもより平和なくらいであった。
「……順調ですね」
「こちらはな。サクラも意外に頭を使ってくれた。毎回、こんな方法を執られるのは少々困るが、今回に限って言えば、その柔軟性は十分評価に値する」
楠木としては、フキに戦況を確認させつつ、サクラが適宜判断を行うだろうと想像していたが、どうやらサクラはそんな器用なことはできないと判断したのか、一気に自分の仕事を終わらせる選択をしたようである。
離れた場所の戦況を確認しつつ、自らも作戦に従事するという特殊な作戦状況であることも鑑みれば、身の丈にあった選択をしたとも言えよう。
「……問題はノバラたちか」
そう口にするものの、楠木はノバラたちとテロリストの戦闘に関して言えば何の心配もしていない。
書類上、データ上のノバラたちしか知らない者であれば、戦力比も考えると、無謀とも言える作戦だと思われてもおかしくない。
しかし、楠木はノバラの、ノバラたちの実力を正確に把握している。
(……ノバラ一人であったとしても蹴散らせるレベル。これにすみれ。更には、成長株のせり。練度の高いすずな。安定した実力のすもも。……負ける要素がない)
紅茶を一口啜って、ふぅ、と息をはく。
表向きの作戦はテロリスト撃退までで、それ以降の対リリベル戦があることを知る者は楠木以外にいない。
……そして、楠木もそれ以降の計画は承知していない。
本当の問題はそこから先である。
「……ノバラの方は終わったようですよ? 大崎の身柄も確保しています……達磨にされているようですが」
「やり過ぎだ、あのバカめ……回収はどうなっている?」
ちっ、と楠木は舌打ちする。
ノバラからすれば、自分とすみれの実験を裏で操っていた人物だ。ノバラは自分のことだけならともかく、すみれのことも加わればまるで容赦がない。
その心情を考えれば、生きていただけノバラは理性的であったと楠木にも理解できる。
……しかし、それはそれ。楠木は司令官としての仕事を全うしなければならないのであるから、頭が痛い。
「合流まで三〇〇秒です」
「急がせろ。あの豚の頭の中身にはまだ用がある」
「……豚……」
楠木の秘書は、ちょっと呆気にとられた表情をする。
「……何だ?」
「いえ、司令がそんなことを言うのは珍しいな、と」
「……言いたくもなる。……真島に渡った武器の流れを見たか?」
「……あれはアラン機関が……」
「だが、アラン機関が作って売った訳ではあるまい。あれだけの量を確保し、供給できるところはそうない。出所を探れば、行き着くのは、あの豚のところだ。そういう意味でも、確保は絶対に必要だ」
まぁ、国内の流通ルートのほとんどは、ノバラの手によって調査済み、大規模なところは処理済みではある。
だが、大崎の頭の中には、それ以外の伝手や方法が詰まっている。可能な限り絞りつくす必要がある。情報さえ引き出せれば、頭がぱーになっていたところで関係ない。多少強引であっても、情報を抜くまでの間、生きてさえいれば、べつに構わない。終わったら……わざわざ取っておく必要もないので、屠殺場に豚の死体に混ぜて、産廃処理行きである。汚豚にふさわしい末路と言える。
「サクラ隊、全箇所での処理完了です!」
オペレーターの一人からそう声が上がり、安堵の声が広がる。
「最後まで気を抜くな! 散歩に行っていただけの人員が戻って不意を打たれる可能性もある。撤収を急がせろ」
(……そう、多少バタつきはしたが、予定通りだ、こちらは……さぁ、どうする楓? ……そして、ノバラ)
◇◆◇
「千束とたきなにノバラたちが合流しましたが……リリベルが戦闘態勢に入っています!」
ノバラたちがテロリストを撃退し、千束たちとの合流を果たした後、予定になかったリリベルの動きを知り、オペレーターが慌てている。
楠木は、はぁ、とため息をついた。
「……そちらは、我々の管轄ではない。モニタリングだけしておけ」
「しかし、リリベルですよ? 殺しては不味いのでは……?」
「だから、千束とたきなが出ているだろう? あの二人ならまず殺さん」
「なるほど……司令、もしや予想されていましたか?」
「護送対象は元リリベルだ。何かしら落とし前をつけに来る可能性は当然あるだろう」
残りは御形ハジメの護送だけであり、楠木の所管の仕事は終わった形ではある。だが、これから起こることを考えれば、司令室を離れる訳にも行くまい。
結末がどうなるにしろ、大騒ぎになることは間違い。
あの
(さて……一体何を仕掛けてくるのか)
しばし、楠木は考える。
楓がDAを、少なくとも上層部を面白く思っていないのは、明らかだ。
加えて、ノバラもすみれも、上層部に振り回された。すみれはともかく、ノバラはこれを理解している。
……これらの状況を考えるに。
(やはり、DAを内から壊す、か。ノバラがいれば、確かにそれは可能かもしれないが……失敗すれば、生き残れまい。だが、それだけの覚悟をもってやるということ。今更引き下がりはしないだろう。私にできることは精々邪魔をしないようにする程度か……)
「千束、たきながリリベルの撃退を完了しました。負傷のあるリリベルは応急処置済みです」
「……リリベルが完全に撤収したら、千束とたきなの回収に迎え」
……と、そんな指示を出していた際、DA本部全体の電源が落ちた。
(……またか!? 技術開発部め!! 適当な仕事をやりやがって!!)
「早く予備に切り替えろっ!」
楠木の怒声を聞くまでもなく、オペレーターは緊急マニュアルに従って、予備の電源、予備のシステムへの切り替えを始めている。
程なくして、予備で作動している赤に近い色の非常電灯が点灯し、普段よりも遅い予備のシステムが立ち上がった。
「切り替え完了しました、すぐにラジアータの再起動を……」
本来の手順であれば再起動が正しい。
……だが、楠木はそれを制止する。
「……再起動は止めておけ。明確な敵対意志を持った相手に再起動をする意味はない。各支部との連携が取れるまでは現状把握を徹底しろ」
実際、本気で仕掛けられているのだとしたら、システムを再起動したところで、再び乗っ取られるのがオチだ。
……楠木の判断は決して私情によるものではない。
「はい! ……え、でも、これ!? 何で!? あ、あぁ!? ウソ、ウソよ、こんなの……!?」
予備であっても、最低限DA本部のシステムは作動している。
ラジアータの本体が動かないとしても、直近二日程度の犯罪発生予測は保存されており、本復旧までの間の業務に支障はない。
また、緊急時用に他の支部に配備されているAIとのリンクも確保されており、非常時においてはそちらも使用できるようになっている……はず、であった。
「どうした!?」
楠木の声に、オペレーターは端末を操作して、各支部との連携状態をメインモニターで共有する。
……本来、グリーンで表示されるはずの各支部とのリンク状況は、イエロー。
即ち、機能が限定されている、ということである。
「…………ぜ、全支部のシステムが、ダウン、しました」
呆然とした様子でオペレーターが楠木の方に向かって振り返る。
「……識別、ウォールナット、です」
メインモニターには、