Roses fall fleetingly, violets bloom vividly 作:MIA
ノバラは南部に導かれるまま、応接用のソファに腰掛ける。
その対面に南部が腰掛け、おろおろとした受付の女性は、何かに気づいたように、ぽん、と手を打った。
「会長、お嬢様。何かお淹れしましょうか?」
場違い、と考えた彼女の打開策。
それは、お茶なりコーヒーを淹れるなりして、「それでは私はこれで」と退場する気だったのだが。
「……いいよ、おねーさん。私が淹れてあげる。お爺ちゃまは、私が働いているところに来れないし、来ても私が手ずから淹れたコーヒーは飲めないし。こんな機会でもなければ、私が淹れたコーヒーなんて飲めないもんね?」
「え!? あの!? お嬢様!?」
「おねーさんも座ってて」
いひ、と意地悪く笑ったノバラの顔が物語る。「逃がさないよ、おねーさん♡」という言外の言葉。
彼女は諦めたように項垂れながら、迷った末に、南部の隣に腰を下ろした。
「……おー、パナマゲイシャ以外にもいっぱいあるね! んー……ブルーマウンテンにしようかな? あ、イエローマウンテンもあるね。こっちにしよう!」
ブルーマウンテンは言わずと知れた高級コーヒー豆で当然美味しいが、ブラジル育ちのイエローマウンテンも負けていない。ノバラ的に、ブラックで飲むおススメコーヒーでも上位に入る。
南部の部屋には一通りの器具は揃っているが、味を安定させたいならサイフォン一択だ。自分が飲むだけなら、多少失敗したところで気にしない(テンションは下がるが)が、他人に出すと言うなら話は別だ。
三人分の豆を取り、年季の入ったコーヒーミルで中挽きにして、サイフォンで丁寧に淹れていく。
「……わぁ」
(うーん……おねーさん、可愛いなぁ……)
年上のハズなのに妙に可愛らしい。ノバラの姿を、ぽぉっ、として見つめ、そして、コーヒーの芳しい香りに、うっとりとした表情をしている。
「……どうぞ」
南部と女性の前にコーヒーを置くと、ノバラも自分の分をテーブルに置いて、ソファに座り直し、コーヒーに口を付ける。
(……ん、フルーティーな香り。口当たりが柔らかくて、コーヒー独特の酸味や苦みが少ないから飲みやすくて、コーヒーそのものの香りが楽しめる)
「……ほわぁ……コーヒーってこんなに美味しいんですねぇ」
「ふむ、豆も良いものだが、淹れ方も相当熟練している……これなら、店でも出せるのではないかね?」
「あはは、ありがと。でも、さすがに本職には負けるよ。私が淹れてるのは、精々で一日平均三回くらいだもん。安定して美味しく淹れるのはなかなか……ねぇ?」
「まぁ、機械に任せてしまうのが一番楽だが、それはそれで風情に欠ける。もちろん、エスプレッソマシーンなどもそれはそれで良いものなのだがね」
部屋を見れば高級な業務用のエスプレッソマシーンがひっそりと置いてある。南部にしてみれば、その程度ははした金であろうが、わざわざ揃えている辺りが、彼のコーヒージャンキーな一面を思わせる。
……ちなみに、ノバラがたきなの部屋に居候していた際に購入したちょっとお高いエスプレッソマシーンはそのままたきなの部屋に設置されたままとなっている。
きっと二人の夜明けのモーニングコーヒーに一役買っていることだろう。くそぅ。
まぁ、それは姉二人へのご祝儀代わりだが、ノバラはノバラで、もう一機新しいものを自分の部屋に設置した。すみれが再訓練になり、楓が本部に連れて行ったため、ノバラは基本、毎日一人寂しくコーヒーを飲んでいる……ということもなく、入れ代わり立ち代わりやってくる、せりやすずな、すももといった面々のほか、ひるがおやうど、更には教え子たちと楽しくコーヒーを楽しんでいる。すみれがその様を見たら、盛大に頬を膨らませることだろう。
三人で一通りコーヒーを堪能すると、コトリ、とカップを置いた南部が切り出す。
「……さて、ノバラ? そろそろ君がここに来た理由を聞こうかな?」
ふ、と唇に笑みを浮かべる南部に対し、対面に座ったノバラは、にぃ、と唇の端を歪めるようにして獰猛な笑みを浮かべた。
「……単刀直入に言いましょう。
声に乗せられた鋭い殺気に、女性が驚いてカップを滑らせ、かちゃん、と大きな音を立てた。
「……お、お嬢様! それは!?」
要求された当の本人よりも、彼女が大きく反応してしまった。
彼女からすれば、おそらくノバラは南部の血縁の中で最も可愛がられている少女である、と認識している。
だが、それは、彼女が南部の後継者と認められることとイコールではない。
無論、彼女としては、ノバラがそうなることに否やはない……ないが、それが単純にそういくものではないことは分かる。
三日月義肢研究所。
研究所とは名ばかりの営利企業である。国際的な義肢の製造メーカーであると同時、産業ロボット開発、再生医療、製薬、エネルギー開発とその所掌分野は多岐に渡る。
更に海外では軍需産業も手掛けており、その企業資産は世界屈指である。
南部はその企業の黎明期に辣腕を振るった伝説的企業人でもあるのだ。彼が保有する三日月義肢研究所の株式は、個人で二割を超えている。今の彼は会長職という云わば名誉職に甘んじており、経営にこそ直接携わっていないが、彼の一声は今の経営陣にすら大きな影響を及ぼす。
……つまりは迂闊なことを言うことはできない。
例え、本当に血縁であったとしても、客観的に見れば何処の馬の骨とも分からない少女に彼の権力を譲る、などと公言することは、口が裂けても言える立場ではないのだ。
「お嬢様、当社への入社、という意味であれば、お断りする理由はありませんし、その程度の口添えなら如何様にでもいたします! しかし、その言いようはあまりにも……!」
……彼女は理解している。
最上ノバラが口にした言葉は文字通りのもので、今、彼女が口にしたようなことを望んでいるわけではないことを。
そして、南部義藤が形はどうあれ、どれだけ最上ノバラという少女を愛しているかを。
「……おねーさん、私は南部義藤と話をしているの」
ノバラの瞳は彼女を見ずに、言外に、「黙っていろ」と言った。
ノバラの真黒く、昏い目には、何故か血の色を連想した。
その瞳を見て、彼女はまるで自らが死神がそこに座っているかのような感覚に背筋を凍らせ、少しだけ意識が遠のくような感覚を受けた。
……そっと南部が彼女の肩を優しく抱き留める。
「あまり彼女を虐めるものではないよ」
無礼、と言っても過言でもないノバラの言葉に、南部はむしろ、くすくす、と笑みを浮かべた。
「……返答は如何に?」
「ノーに決まっているだろう? 私は君を愛しているがね? だからと言って盲目であるわけではない。君は私の可愛い可愛い孫娘ではあるが……今、私の目の前にいる君は、所詮、一人の小娘に過ぎない。その事実をどうするのかね?」
南部は言う。
最上ノバラはリコリスとしては確かに有用な人物ではある。
だが、それだけでは、彼の地位を受け継ぐには不足している。
偽りの血縁以外に、自らを後継者たるものはあるのか。その資格はあるのか。その覚悟はあるのか。
……
その問いにノバラは不敵な笑みを浮かべる。
「……実績があればいいのでしょう? 私は三日月義肢研究所に対して、新しいビジネスプランを提案するわ」
「……ほう?」
こと戦闘に関して言えば、最上ノバラが何をしてきもて南部は驚きはしないが、彼女がまさか、ビジネスの話を真っ向からしてくるとは思わなかった。
……ノバラが狙っていることは分からなくはない。
南部の有しているDA常任理事としての地位。
これをノバラが得ることで、彼女はDA内で不動の地位に至る。
何せ、三席ある内の二つを彼女が持つことになるのだから。
……もっとも、彼女のことだ。
今、アラン機関代表代行が座っているもう一つの席もどうにかして得るなり、潰すなりして、DA内の決定権全てを手中に収めるだろう。
カウントダウンの始まったDA潰しをより効率良く行うために。
だからこそ、彼女が南部に自らの地位を譲り渡せと言ってくることは想定の範囲内ではあった。
だが、それが何の考えもなしに要求してきたものだとしたら、残念なことに彼女の足跡はここで途絶えることとなっただろう。
南部はノバラを愛して止まないが、それは彼の個人的感情に過ぎず、公人としての彼は不利益が予想されることには、極めて非情かつ残忍である。
しかし、彼女は南部のそういった考えすら読んで、『新たなビジネスプラン』という手を打ってきた。
南部の知る限り、ノバラがビジネスに関しての専門知識を有しているという情報はない。彼女が努力家であることは承知しているし、戦闘技能以外にも、語学力や情報工学分野にもその努力を費やしていること知っている。だが、これはこれまで彼女にはなかった引き出しだ。
……非常に興味をそそられる。
「……拝聴しよう」
……無視することもできた。
だが、この少女がどんな悪戯をしてくるのか楽しみで仕方ない!
南部は童心に還ったよう笑みを浮かべ、ノバラの提案を聞く姿勢をとった。