Roses fall fleetingly, violets bloom vividly 作:MIA
「……お呼びですか? 楠木補佐」
楠木に呼ばれて、カエデの目の前にやってきたノバラという少女は、先の印象よりも更に幼く見えた。
……おそらく、同年代でも一回り小さい。
小柄で、華奢で、触れれば、壊れてしまいそうな危うさがあるというのに。
……彼女の放っている気配はそれとは真逆だ。
大型、とは言わないまでも、まるで狂暴な肉食獣を目の前にしているような気さえした。
「……ご苦労、ノバラ。こちらが、今回の臨時講師、元ファーストのカエデだ。最終訓練課程の首席として、今後の饗応をお前に任せたい」
「……承知しました。……それでは、カエデ先生、現在の最終訓練課程で確認したいことはございますか?」
楠木の目をじっと見ながら、その言葉を聞き終えたノバラは、カエデに軽く目礼すると、目線すら合わせずにそう問う。
「そうだな……」
これからリコリスになろうとしている者が、元とは言え、ファーストである自分に全く興味を示さない、というのが、カエデにはどうにも気に入らなかった。
だから、一訓練生では答えられないことを聞いてやろう、と意地悪をすることにした。
「……訓練状況の進捗は?」
(……ま、自分たちがやり終わったことを話すのが関の山だろうが……)
だが、カエデの質問の意図はそうではない。訓練生には知らせていないカリキュラムの進徳状況を聞いているのだ。
最終訓練課程は定められた期間がある訳ではない。リコリスとなるための最低限の技術の確認以外は、リコリスになれるか否かを問うのが主目的だ。よって訓練生を観察し、その心根を読み、あるいは揺さ振り、その対応状況を問う。そして、最終的にはまだ人を殺したことがない者には初体験をさせる、という目的もある。
故に、普通なら、カエデの質問に的を得た回答をすることは不可能であるはずだった。
「……過去の最終訓練課程に照らせば、座学や必要技術の取得は修了していますので、目下、7割程度かと。残るのは、元ファーストによる講義、実戦訓練、対人模擬戦闘、集団戦闘訓練……あと、まだの者は初体験、と言ったところでしょうか。今回の訓練参加者は過去に比して、レベルは高いので、あと二週間もあれば、最終訓練課程はパスできるのでは?」
ふむ、と少し考えた様子を見せたノバラだったが、実に淡々と、カエデの意図に沿った回答をした。そして、それは、カエデが見た現状とも一致していた。
(……このガキ……)
「……本訓練生の懸念点はなんだ?」
「……サードになる、という視点で見れば、特段問題ないと思われますが、訓練生番号2番は、もう少し体力をつけるべきでしょう。サードでは問題なくとも、セカンドとなるには不足です。同じく3番は、連携に不安が残ります。個人の能力に比して前に出すぎです。4番は射撃センスは良いものがありますが、近接戦が練習不足です」
カエデの問いにノバラは、すらすらと、まるで立て板に水を流すかのように、同期の訓練生の評価を口にして見せた。
「待て待て……そのまま全員の評価を言うつもりか?」
「……お手元の資料を確認していただければ、より一層ご理解いただけるかと思いますが」
くり、と動いたその真っ黒な瞳とカエデは初めて目が合った。
……ぞく、と背筋に寒気が走る。
「……ざっと見て、私もお前の意見に異論はねーよ? ……で、肝心の一番さんはどうなんだ?」
強いか、弱いか。
それは見れば大体分かる。
彼女たちは良くも悪くも普通の訓練生だ。それなりに才能がある者もいるが、それでもおそらく終着点はセカンド止まり。
及第点を与えるのは別に構いやしないが、カエデの興味を引くものではない。
……目の前の、この一際幼い少女以外は。
「……さて? 私に不足があるとは思えませんが」
「……客観的に評価しろ。スタミナはともかく、
年齢的な問題、体格、筋力、経験。
それらを踏まえれば、ノバラが彼女たちに劣るのは当たり前。
だが、それでもなお、カエデはノバラの方が強いだろうと確信はしている。
華奢な体、幼い容姿。
溢れ出るような才能の煌めきがあるわけでもない。
仮に才能を数値化できるのだとしたら、並以下なことは間違いない。
どれだけ努力を重ね続けたところで秀才未満の凡才にしかなれないであろう。
……この悍ましいまでの捕食者のような気配がなければ。
「否定はしません。ですが、私が彼女たちに負けることはあり得ません」
自尊心があるわけでもない。自らを誇っているのでもなければ、彼女たちを貶める意図があるわけでもない。
それは、彼女にとっては単なる事実でしかない。
漫然と訓練をしてきた者と何かを追い求め鍛錬を続けてきた者の違い。
ほとんど表情を変えることもなく、感情の波さえ感じることのできないこの目の前の少女こそが、この場の誰よりも強い想いを持っている。
優秀な姉二人に対する憧憬と……彼女たちを除いたこの世界のあらゆるものに対する憎悪。
カエデはノバラの瞳の奥に見えるそれを見たような気がした。
「……大した自信だ。お前は後で私が直々に揉んでやる」
かち、とカエデは伊達メガネの弦を押し上げながら、にぃ、と口の端を歪めながら、ノバラを見下ろした。
「……それは楽しみです。……楠木補佐、それでは私は訓練に戻ります」
ふ、とノバラは笑みのようなものをカエデに向けた後、楠木に、ぺこり、と一礼した。
「ああ……励めよ」
「はい」
二人のやりとりをカエデは、おや、と思いながら、見つめていた。
「……もしかして、楠木補佐、懐かれてます?」
カエデの言葉に楠木は思わず苦笑した。
「……まぁ、あの子にとって、私は唯一ウソを言わなかった大人だそうだ。立場上、カウンセリングをする必要もあるからな……問題児と言っただろう? 問題児はその分カウンセリングの機会が多くなる。本来、カウンセリングは相手が言いたいことを聞くべきなのだろうが……あの子に普通に話題を振っても定型文しか返ってこないからな。私なりに工夫したんだよ」
「……工夫、ですか?」
「……こう言っては何だが、あの子は、千束たちと生活していたときでさえ、腫物扱いだ。あれでも、最初の頃よりはマシなんだがな……まぁ、それは置いておくとしても。あの子に関わる大人のほとんどは、あの子の機嫌を損なわないように、と無駄に気を使っていたんだ」
本当に無駄なことだ、と楠木は考えていた。
「ノバラは感情が欠落している。故に基本的に何を言われようが、気分を害することもないし、逆に言えば、気を良くすることもない。だが、ほとんどの大人はあの子の気配に飲まれて、あの子の気分を害さないように振舞った」
ノバラは感情が欠落している分、理屈で動く。その性質を考えれば、下手なウソをつくよりは、真正面から言いたいことを言ってしまった方がまだマシだ。
「……あの子は聡い。中身のない言葉やウソをついていることはすぐに分かる。だから、ほとんどの大人はあの子からの信頼を失った」
聞くに値しない、と彼女が判断してしまえば、以降、どれだけまともなことを言おうが、彼女にとっては聞く価値のない無駄なことと判断され、完全に没交渉となる。むしろ、彼女の鍛錬の時間を奪ってしまうことになり、より彼女を頑なにすることだろう。
多くの者は、この時点で間違ってしまったが故に、ノバラに言葉が届くことがなくなった。
「……だから、初めてカウンセリングをしたとき、私は千束たちと引き離されて、不貞腐れたような態度を取っていたあの子にこう言ってやった。『姉に甘えるのも大概にしろ』とな」