Roses fall fleetingly, violets bloom vividly 作:MIA
午前九時、アラームの音と共に、千束は伸びをするようにしながら目を覚ました。
着ていたはずのパジャマは寝ている間に脱ぎ捨てたらしい。自分を見下ろせば純白の下着姿であった。
・・・昨日、ちょっと食べすぎたか?
千束は自分のお腹をふにふにと揉みながら思案する。
久しぶりに妹が作ってくれたスイーツ。
それをフキと張り合うように食べてしまったから明らかにカロリーオーバーであった。一日でそんなに肉がつくわけもないのだが、それはそれ。気になるお年頃なのである。
自分の部屋だからといって、いつまでも下着でいるのはまずかろうと、近くに置いてあった部屋着を着て、キッチンの方へ移動する。
とりあえず、コーヒーかな・・・。
コーヒーメーカーでもいいが、フレンチプレス、今日は君に決めた。
薬缶をコンロにかけて、お湯を沸かす。
その間に冷蔵庫を開けて、朝は何を食べようか、と考える。
そのとき、ぴんぽーんというチャイムの音に千束は相手も確認せずにドアホンに出る。
「はーい」
『千束か?』
受話器から聞こえた声に、カメラの映像を確認すると、楓が玄関前にいるようだった。
「あー、おはよう、楓さん。どしたの?」
『とりあえず、開けてくれるか?』
「ん~・・・?まぁ、いいや、ちょっと待ってて」
受話器を置いて、とてとてと玄関まで歩いていく。
ちなみに、現在余分なセーフハウスは解約したので、普通のマンションである。セキュリティがしっかりしたところにしたため、前に比べて、不埒者はそもそもマンション内にすら入り辛くなっただろう。たぶん。
それにしても朝から、楓が何の用だろう、と千束はわずかに首を傾げるものの、何の疑いもなく、玄関を開けた。
「・・・千束、任せた」
楓は千束が玄関を開けるや、すみれとスポーツバッグを中に放り投げて、ドアを閉めた。
「・・・へ?」
思わず千束は呆気にとられるが、目の前には自分より背の高いすみれが立っていて。
・・・ぼたぼたと涙をこぼしていた。
「・・・は?」
何で泣いてるの、と千束は困惑した。
「ぢざどぢゃーーーーーん!!」
千束を認めたすみれはさらにぶわっと涙を溢れ出させる。
「ぶぇぇぇぇっ!ノバラちゃんにおいてかれたぁぁぁぁ!」
天を仰ぎ、びゃーっと大号泣するすみれに千束はますます混乱する。
・・・が、何をすべきかは本能的に理解していた。
千束はすみれを安心させるようにぎゅっと抱きしめると、背中の辺りをぽんぽんと叩いてやる。
「おー、どうしたー?すみれー、泣くなー?」
千束の体温を感じて少し落ち着いたのか、すみれは大号泣から涙をちょっと流すくらいには落ち着いた。
「ひっく・・・ひっく・・・朝、起きたら、ノバラちゃんがいなかった・・・」
すみれがたどたどしくそう言うので、千束は大体の事情を察した。
昨日、ノバラは自分にすみれを頼むと言っていた。しばらく、千束のところに泊まらせ、自分はたきなのところに泊まるとも言っていた。
だが、それをすみれと打ち合わせしていたかと言うと、おそらく事前は何も言っていない。昨日帰ってから、ホテルで一方的に伝えただけであろう。
そうすればどうなるか。
当然、すみれは嫌がるであろう。ノバラはそれを口八丁で言い込めようとするだろうが、すみれは精神的に子どもだ。ノバラの理詰めに頷く訳もなく、ただただ、イヤ、と言うだけだと想像できる。
一晩中、その押し問答をしていれば、すみれは疲れ果てて、ノバラより先に寝落ちするか不貞寝する。
そうするとノバラはこれはたまらんとすみれと顔を合わせる前にさっさと逃げる。
そんなことを知らないすみれは、ノバラがまだいると思って探すが、当然ノバラは既にいない。半泣きになったところで楓にノバラは先に行ったと伝えられて、すみれは大号泣。楓が落ち着かせようとするも、泣き止まないので、すみれを泊める予定の千束のマンションまで来て、押し付けた。
こんな感じだろう。
(アイツら、人に押し付けやがった!?)
すみれを抱きしめてあやしながらも、千束はがびーんとショックを受けた。
ノバラはいかにもノバラらしいやり口だが、楓が酷過ぎる。あんた、保護者でしょうよ。
すみれの泣き声が緩やかになるのを見計らって、千束はゆっくりと体を離すと、玄関を開けて、外を確認してみるが、楓の姿は既にない。
(に、逃げられた・・・!)
確かに楓がすみれをあやす様子はあまり想像できないが、だからと言って、千束に押し付けて逃亡するのは無責任が過ぎる。
ノバラは後で罰ゲームでもやらせるとして、楓には何をしてもらおうか。
(楓さーん!貸一つじゃすみませんよ!)
千束は後で何か仕返ししようと心に決めて、拳を握った。
「ほーら、すみれ。中に入んな。朝ご飯食べた?今から作るところだから一緒に食べよ?」
すみれの頭をぽふぽふと撫でてやると、すみれは涙を目に貯めながらも少しだけ笑って見せた。
「ちさとちゃんのごはん、たべる・・・」
きゅるる、と小さくお腹の音が鳴り、すみれは恥ずかしそうにお腹を押さえる。
(ふむ。人前でお腹を鳴らすのが恥ずかしいという気持ちはあるのか。この辺はノバラの教育の賜物かな・・・)
子どもっぽくても、乙女らしいところもあるんだなー、と千束は妙に感心した。
「すみれ、こっちおいで」
手を繋いで促してやると、すみれはのろのろと靴を脱ぎ、部屋の中に入った。
「わぁー!・・・わー・・・」
おそらくノバラや楓以外の人の部屋に入るのが初めてであろうすみれは、リビングに入る瞬間までは目を輝かせていたが、一歩入ると絶望したような顔しながら、咎めるような視線で千束を見た。
(散らかってて悪かったな!!)
まぁ、だが、これは部屋を片付けていない千束が悪い。ゴミこそ溜まっていないが、雑誌やDVD、服が乱雑に置かれている。
すみれにして見れば、千束は大好きなノバラの姉だから、憧れもあった。何せあのノバラの姉だ。すみれは勝手に完璧超人をイメージしていたし、昨日の模擬戦でもその様を見せつけられた。
・・・だが、この部屋の散らかりよう。
すみれの憧れはガラガラと音をたてて崩れた。
・・・千束ちゃん、こんなに残念だったんだ・・・。
何となくがっかりしながら、すみれは思わず可哀そうなものを見るような目で千束を見た。
その視線に千束は冷や汗を掻きながらも、とりあえず、すみれをソファに座らせる。
「ごめんごめん。後で片付けるからさー。・・・お、お湯沸いた。すみれ、あんた、コーヒー大丈夫だよねー?」
昨日、すみれは普通にブラックコーヒーで飲んでいたから、大丈夫だろう、と思いながら、コーヒーミルを取り出す。
「へーきー。・・・千束ちゃん、私、片付けようか?」
気を使ってなのか、それとも落ち着かないのか、すみれがそんなことを問いかけてきたので、千束は意外に思いながらも、コーヒーを準備する手は止めず、二人分の豆を計ると、一定の速度でミルを回す。
ゴリゴリという音とともに、コーヒーのいい香りが部屋を満たしていく。
「お?あー・・・いや、人に片されると何がどこにあるか分からなくなるし・・・」
「あ、それ、お掃除できない人の言い訳だ!」
私、知ってるよ、とすみれが手を上げた。
(ちっ、ノバラのヤツ、余計なことを!)
「・・・分かった。じゃあ、お願いしようかな?」
不器用そうなすみれに若干の不安を覚えなくもないが、ノバラが躾けているなら、大丈夫そうだ、という思いと、すみれは何かしてないと落ち着かなさそうだな、という思いとで、千束は思い切ってすみれに任せることにした。
「はーい!」
すみれの元気のいい声を聞きながら、ガラスポットにお湯を注いで温めてから、一旦中身を捨て、中挽き程度に引いた粉を入れてから適量のお湯を注ぐ。軽くマドラーで混ぜて全体を馴染ませてから、フタを閉める。
冷蔵庫の中を見れば、チーズ、トマト、玉ねぎが目に入る。ごはんは炊いていなかったので、必然、ストックしている食パンになる。自分だけで食べるなら、ただ焼いてバターでも塗るだけだが、すみれが食べるとなれば、それでは芸がない。
・・・また、可哀そうな目で見られるのも嫌だし。
予め温めていたホットサンドメーカーのプレートに、八枚切りの食パンにバターを塗り、その面をプレート側に向けて一枚載せると、スライスチーズ、薄目にカットしたトマトと玉ねぎ、バジルソース、スライスチーズの順で重ねると、最後にもう一枚食パンを重ねて挟み込むんで、加熱時間をセットした。
コーヒーの方も四分程度たって、丁度よい頃合いだった。プランジャーをゆっくり押し込み、自分のマグカップと客用のを、と思って取り出そうとしたら、以前にノバラが置いて行ったマグカップが目に入ったので、それを使うことにする。半分こになるようにコーヒーを注ぐと、ダイニングテーブルにモノトーンのチェック柄のランチョンマットを敷いて、その上に、カップを置いた。
すみれの様子は、と見やれば、リビングテーブルの上やソファの上にあった雑誌はテーブル下の収納スペースへまとめており、今は、DVDのケースを開いてパッケージと中身が合っているか確認しながら、テレビラックに片付けていた。
(・・・さすがに、中身は合わせて仕舞ってるんだけど。信用ないなぁ・・・)
まさか、すみれにそこまでズボラと思われているとは、と千束は泣きたい気分になった。
「・・・すみれー、コーヒー淹れたから飲みなー」
「はーい」
最後の一枚、とDVDを片付け終わり、すみれはダイニングテーブルに付いた。
「もうちょいでホットサンド焼けるから、ちょっと待ってねー」
「はーい」
すみれはふぅふぅと少し覚ますと、マグカップを持って一口飲んだ。ぽわっという感じでほっとした様子が可愛らしい。
性格や言動は子供っぽいのに、コーヒーはブラック。でも、何か食べているときは、割とぽろぽろ零したり、口の周りを汚したりと子供っぽい。味覚はノバラと似てきているのかもしれないが、マナーとかそういった面が追い付いていない感じだろうか。昨日のノバラの話とすみれの昨日の食べ方や今のコーヒーの飲み方を見て、千束はそのように感じていた。
千束も自分のコーヒーを少し飲むと、ホットサンドがもうそろそろかな、とキッチンに移動し、残ったトマトと冷蔵庫から取り出したレタスを何枚か千切って、サラダボウルに入れると、オニオンドレッシングと合わせる。
チンと言う音がホットサンドメーカーから鳴り、フタを開けると、焼け目もいい感じにできていた。
出来上がったホットサンドをまな板に置くと、斜め方向に半分に切る。サクッという小気味良い音がして、パンの間からはとろりとチーズが顔をのぞかせる。
それを皿に載せるとカウンター越しにすみれに差し出す。
「ほい、すみれ」
「わーい。ありがとー、千束ちゃん!」
ぱぁっと笑顔になったすみれに千束はちょっとほっとする。
「あと、サラダとフォーク、取り分け用の皿な。並べておいてくれる?」
「はーい」
素直にお手伝いをする様子から、普段のノバラとすみれの生活が垣間見える。
いつも、こんなやり取りをしているのだろう、と推測ができた。
(ふーん・・・ノバラも一丁前にお姉ちゃんしてるんだねぇ)
昔は自分が世話を焼くばかりだったのに、今は他の子の世話を焼いていると思うと、中々微笑ましい。
千束は自分のホットサンドを載せた皿を持ちながら、席に座る。
「そんじゃ、いただきます」
「いただきまーす!」
声とともに、すみれがホットサンドにかぶり付き、トマトで口の周りを汚しながら、幸せそうな笑みを浮かべている。
(最悪な朝、と思ったけど・・・まぁ、悪くないな)