Roses fall fleetingly, violets bloom vividly 作:MIA
「「ふぃ~~~・・・」」
湯舟に浸かると、千束とノバラはおっさん臭く心地良さ気な息をついた。
隣り合って横に座るのでもなく、対面同士に座るでもなく、千束の足の間にノバラが入り、千束の胸を枕代わりにしている。
普段なら千束が怒りそうなものだが、かつて、ノバラが湯舟で溺れないように千束がそうやって抱きながら、お湯に浸かっていた頃の名残だ。互いに自然過ぎて、この体勢に違和感すら抱かなかった。
(ん?そう言えば、ノバラと二人きりって、今回初めてじゃね?)
千束の側には基本たきながいるし、ノバラの側にはすみれがいる。ここでノバラが千束の所へ泊っているならまだしも、たきなの所に泊まっている。
すみれの研修が第一目的にあるとは言え、千束と二人っきりになるのを避けているようにも思えた。
お風呂のお湯加減に気持ち良さそうに目を細めているこの妹は、まるで何も考えていなさそうに見えるが、姉として控え目に言っても相当なくせ者であると言えた。
千束がキュッとノバラの腰を抱いて引き寄せると、ノバラはくすぐったそうにしながら、ぐりんと頭を反らして、千束の顔を見た。
「・・・それで?何を企んでるの?」
千束がそう言うと、ノバラは困ったような顔を一瞬すると、頭を戻して、しばし口元までお湯につかり、ぷくぷくとお湯の中で息をはいた。そして、再びお湯から顔を出すと、半ば後頭部を千束の胸に押し付けるようにしてポジショニングする。
「千束はさぁ・・・たきなが大事?」
「おい。今、そんな話は・・・」
関係ないだろう、と千束が言おうとした言葉をノバラは遮る。
「私はすみれが大事」
ノバラのその言葉は真剣なものだった。知らず、千束はごくりと喉を鳴らした。
「ちょっと前まではさ、千束をどうやって助けようか、ってそんなことしか考えてなかったんだ。・・・まぁ、でも、その役目はたきなと先生に盗られちゃったし?」
冗談めかしたノバラの様子に、そんなことを考えていたのか、と千束はさらに腕に力を入れた。
「だけど、それって最近の話だろ?」
「まーね。すみれと会う前は、どーせ、私なんて、長生きできないだろうか、綺麗に死んで、千束に心臓を移植してもらおうなんて考えてた訳だけど」
「・・・そんなことされて、嬉しいわけないでしょ」
千束は泣きたくなった。
ノバラがそこまで自分のことを想っていたことは嬉しい。
だが、やはり、ノバラの生に頓着しない習性を矯正するには至っていなかったのだ、と改めて認識させられたからだ。
千束は自分の無力さが悔しかった。
「だよね。フキからもそう言われてた。でも、もし万が一のときは使って貰えるように検査と登録はしてたんだよ。運が良いことに、適合することも分かってたし」
「アンタ、私に内緒でそんな!」
千束は思っていた以上に話を進めていたことに、思わずカッとなるが、ノバラはそれすらおかしいことであるかのように、くすくすと笑い声を上げる。
「内緒じゃなきゃできないでしょ?そして、それはちょっと前までの話だよ。私も簡単に死ぬことはできなくなっちゃったから」
「・・・それが、すみれか」
千束はそう思ったが、ノバラの答えは少し違った。
「人としてはすみれかな。すみれは私の妹だけど、デイジーっていう娘もいるんだよ?・・・千束、その年でおばさんだね」
茶化すようなノバラの言葉に、千束はすぐに声を上げた。
「おばさん言うな!デイジーって、例のAIか。アンタ、そっちも噛んでるのか」
頭の出来もリコリスとしては極平凡な割に、努力を積み重ねることで、何でも器用にこなすノバラは情報工学の方もかじっているようであり、千束は手を広げすぎのノバラに苦笑する。
「楓司令とも長い付き合いだからねー。デイジーの人格形成は私の感情獲得プロセスを模倣しているから、間接的には千束とフキも関わってるんだけど」
自覚がないであろう千束をちらりと見て、ノバラはクスリと笑う。
ノバラがDAに拾われた当時、ノバラのあらゆる感情は死んでいると同義であり、それを日常生活ができるほどに復旧させた。その根本を為した千束は当時のDA研究開発部では奇跡の存在とさえ言われていたようだ。
「デイジーは目的をくれた。あの子はAIだけど、私の、私と楓司令の娘でもある。娘が立派に成長するように、あの子が日の目を浴びるようにって、結構必死になったよ」
他人にさほど興味のないノバラ自身が本当は一番不思議だった。機械あるいはプログラムでしかないデイジーの成長に何故そこまで入れ込んでしまったのか。
未だ通り一辺倒の応答しかしない、感情の欠片もない当時のデイジーに、ノバラは過去の自分を思い描いた。それに思ったのは、当時の千束やフキはどう自分のことをどう思っていたのか、自分もやってみれば分かるのではないか、というちょっとずれた好奇心が始まりだった。
千束やフキが自分にやってくれていたことを思い出しながら。AI分野の分からないことを楓に聞いて勉強しながら。
少しずつ、反応が変わってくるデイジーに心と言うものを感じた頃、ノバラはデイジーを愛しく思い、そして、同時に千束とフキをより一層愛しく思ったのだ。
だからこそ、千束のためとは言え、簡単に命を投げ出すのは良くないのではないかという疑問を抱いた。
「デイジーの試験運用が始まって、私も厄介な仕事が回されるようになったけど。それはそれで、嬉しくもあったんだ。デイジーがちゃんと成長してるって実感もあったし。そんな中で、すみれと出会ったんだよ」
ノバラは両手を胸の中心に組むようにした。そこに大事な物がしまってあるように。
「デイジーで経験済みで、そして何よりすみれは目の前にいる子どもだったからね。より一層、守らなきゃいけないって気持ちが強くなった」
疑問を持ち始めていたが故に、ノバラの心境が変わるのは早かった。日に日に人間らしさを取り戻し、屈託なく笑うすみれはノバラにとってかけがえのないものになった。
千束とフキは大事だ。しかし、それ以上にすみれが大事になってしまった。
恋愛感情ではない。あえて言うなら母性であろう。
しかし、ノバラはすみれが大事だというその想いを自覚しているからこそ、すみれを守るために手段を選ぶつもりはない。
「私はすみれが大事だよ。たきなより、フキより、千束より。すみれのためなら何でもできる。・・・それが仮に千束を撃つことになっても」
千束は顔を見ることができないノバラの言葉の裏の覚悟に息を飲んだ。
本気だ、と悟った。
そして、今、ノバラが東京に来た理由、すみれを延命するというその目的、その行動にそれだけの覚悟を持って臨んでいることを認識した。
「・・・千束は、たきなが大事?」
ポツリとノバラが問いかける。
そして、千束は自問する。
たきなは大事だ。恩人でもある。千束が今を素直に生きることができるのは、隣にたきながいるからだ。故に、千束にとって、たきな以上に大事な人はいない。それは手塩に育てた妹であるノバラとて例外ではない。
「・・・たきなのために、私を撃てる?」
だから、ノバラのその質問への答えは決まっている。
「・・・撃てるさ。私もたきなが大事だからな」
答えながら、千束はノバラの小さな体を強く抱きしめた。その腕にそっとノバラが手を添える。そこから感じる体温が温かい。
ノバラは本音を語り、千束も本音で答えた。
だが、ノバラは言えない何かを未だ内に秘めており、千束はそれを理解していた。承知の上で、それ以上聞かなかった。聞けなかった。
(ちくしょう!!)
あまりの悔しさに千束は奥歯を噛み締める。
勇気のない自分に。無力な自分に。
・・・最後の最後。決して甘えてくれない強情な妹に。その覚悟に。その心底優しい心根に。
千束の頬には熱いものが流れていた。
遠くない未来。
そうなることを予感して。