アドニスがこの世界に少女として転生し、13年の月日が流れていた。前世の記憶は薄れ、今世の生活にはすっかり慣れていた。
伸ばせば美しいであろう艶のある烏の濡れ羽色のような黒髪を、動きやすいからという理由で何の惜しげもなく短髪にしており、
性別は変わっているものの、まるで前世での美貌を引き継いだかのような容姿の美しい少女へと成長していた。
そんな彼女は今年の春に中学校に入学したばかり。
これからの希望に満ち期待に胸を膨らませるような年頃の筈なのだが顔を曇らせ一人で、ある不満を抱えていた。
「どうしてサッカーやらせてくれないんだろう…。」
ため息をつきながら、そう呟く。
彼女が悩んでいるのは入部した部活__サッカー部での事だった。
彼女が入学した中学校はギリシャ神話をモチーフにした学校で、その名は世宇子中。神話の主神から名前が取られていた。
白い大理石で出来た壁に、数々の古代ギリシャ式の柱が天井を支えている巨大な校舎は厳かで華やかな、名前の通りの雰囲気が漂っている。
まるで本当に神々が実在しそうなその空間は、普通の者が見れば緊張する場所かもしれないが、アドニスにとっては前にいた世界と似ている為、この学園は落ち着く場所だった。
それは入学式の時の事_____
「ねえ、キミ。サッカーに興味は無いかい?」
突然声を掛けられ、驚きながらも振り向くとそこには長い絹のような金髪を靡かせた美しい少年がこちらを見つめていた。陶器の様な白い肌に整った中性的な顔立ち。長い睫毛にまるで宝石のような紅い瞳。一見すると女神と見紛いそうな…見た誰もを魅了させてしまうような容貌。
男女問わず、彼からこうして声を掛けられれば思わず見惚れてしまうだろう。
だがアドニスは少し違った。
この雰囲気は誰かと似ているような…?
アドニスは彼を見た途端、何かを思い出すような感覚にとらわれる。どこかで見た事のあるような。何だろう?と考えながらも、サッカーという言葉が出て来たので今はとりあえず話を聞く事にした。
彼は2年生でサッカー部のキャプテン、亜風炉照美。皆からはアフロディと呼ばれているようで、今はこうして新入生に誘いの声を掛けているとの事。
さすがサッカー部のキャプテン!私がサッカーがやりたいと一目見ただけで分かって、わざわざ声を掛けてくれたのか。
アドニスはそう感心し、今までサッカーをやって来た事、お世辞にも強いとは言い切れないが、これからもやっていきたい、という事を伝えたのだった。
それを、一見ニコニコと聞いているアフロディだったが。
______この子を、この美しい子を出来る限り自分の傍に置いておきたい。
これは、彼自身がアフロディという美の女神の名前を持つ運命なのだろうか。
退屈な入学式。数多い新入生達の中から彼女を見つけてしまった。
アドニスを一目見た途端、彼の中に、まるでキューピッドの金の矢にでも打たれたかのような熱く嬉しいような苦しいような感情が芽生え、ドキドキと胸が高鳴り気持ちが高ぶっていく。
周りの色彩が、更に鮮やかさを増し彩りに溢れて見える。退屈で見慣れた景色でさえもキラキラと光り輝き出す。
何とか彼女の気をこちらへと引きたい。
こんな感情は初めてで思わず声を掛けずにはいられなかったのだ。
式が終わり、歩き去ってゆく彼女にどうやって声を掛けようか考え、自分が所属しているサッカー部の事をきっかけにした。部活の勧誘で新入生に声を掛けているというのは噓で彼女に声を掛けるための口実だった。
学年が違う子と共通の何かを持つには同じ部活に入部させるのが一番手っ取り早い方法だ。話を聞くと幸運な事に、彼女もサッカーが好きなようでサッカー部があれば入部したいと思っていたとの事だ。
しかしアフロディはアドニスにサッカーをさせるつもりなど無かった。
「サッカー部に入部…してくれるかい?」
もはや返答は分かり切っているが確認する。
「はい!」
アドニスは目を輝かせながら嬉しそうに速答し、それを聞いたアフロディは優麗に微笑みながら彼女に手を差し出す。彼女も、その手を握り返し互いに握手をする。
彼女の手は何て小さくて柔らかい手なんだろう。これは、ますます怪我をさせる訳には、危険な目に遭わせる訳にはいかない。
「ふふ、これからよろしくね。」
思わず、その熱を帯びた紅い瞳と唇を歓喜に歪ませる。
_____手に入った。と。
彼がそう考えている事も露知らずにアドニスは、
これから、どんな活躍が出来るだろうか。どんな相手と勝負をする事になるのだろうか。まだ必殺技も使えないので、これから覚えていきたい。
小学校の頃とは違う、もっと迫力のあるサッカーが出来たら良いな。そう想像を膨らませていたのだった。
こうして世宇子中サッカー部に入部したアドニスだったが、いつまで経っても簡単なパスの練習のみや、マネージャーがやるような雑用の仕事ばかりをさせられ、サッカーをさせて貰えていないのだった。ユニフォームすら貰っていない。
1年生ならこんなものなのかな、とも考えたが一緒に入部した同じ1年は既にレギュラーになっている者もおり、ほとんどが必殺技を習得していた。
「私だって…サッカーをやりたいのに。」
私も思い切り動き回りたい。ボールを追いかけてゴールを決めたい。
「ディバインアロー!!」
「リフレクトバスター!!」
超次元サッカー。
次々と繰り出される迫力のある必殺技。それは憧れの光景だった。
古代ギリシャを思わせる白い世宇子中のユニフォームを着用し、サッカーの練習をしている部員達を見つめながら、また一人呟くアドニス。
彼女の不満も限界が来ていた。
アドニス
1年。分かりやすいよう名前もこのまま。黒髪ショート。前世の神話の世界では少年だったが今世では少女。いわゆるTS転生。前世の事はまるで遠い夢を見ていたという感じ。ほとんど覚えていない。運動神経は中々良い。
趣味だった狩りの代わりにサッカーにハマる。楽しい。
必殺技はまだ持っていない。
アフロディ
2年。ご存じ世宇子中学サッカー部キャプテン。
女神アフロディーテの転生…という訳では無いが、アドニスを一目見て気に入ってしまう。
サッカー部に入部させるものの彼女にサッカーをさせない。危険な目に遭わせたくないから。マネージャーにすればいい。