いあ!いあ!まぐ=めぬえく!【完】   作:ringosuki

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第9話 飲酢枡(いんすます)を覆う影 来訪する旅人

 僕こと尾部(おべ) 升夫(ますお)は大学の夏季休業を利用して自分の成人を祝した旅行に出かけていた。

 

 主な目的は観光、地方の古美術鑑賞、郷土史・系図調査などである。親や親戚から聞いた自分の先祖がいたと思われる地方一帯を列車や路面電車、バス、時には数時間にわたる徒歩、カプセルホテルやマンガ喫茶を利用した涙ぐましい節約旅行で回っていた。

 

 そしてこのひと夏の成人旅行の後半の8月中盤、ネットで妙な噂を見かけた飲酢枡(いんすます)という町に数時間ほどバスに揺られてやってきた。

 

 何でもその町は漁業と少ないながらも毎年一定量採れる砂金を用いた金細工産業でそこそこ栄えているらしいが、それにはある悍ましい秘密があるのだという。

 

 もともと飲酢枡町は寂れた小さな村だったが、数十年以上前に「陀金(だごん)様」とかいう妙ちくりんな神さまを信仰している新興宗教団体が移住してきたらしい。彼らはそれなりの資産を持っていた上に村の開発に積極的で、初めは胡散臭がっていた元の村の住民たちも最終的には打ち解けて一緒に村を発展させていこうとなったようだ。

 

 移住者の資産をもとに新型の漁船を買い、漁港を整備し、新しい家を建てた。その新興宗教団体にはなぜか漁師の家系のものが多く、魚の動きを読むことと泳ぎに関しては村の漁師顔負けのものが何名もいた。漁獲量は徐々に上昇し、村の発展の原動力となった。

 

 飲酢枡発展の第2の柱である金細工産業に関しては、新形態の漁業が軌道に乗り始めたころ増油(ましゆ) 雄辺斗(おべと)という名の移住者の血筋の若者が付近の川で戯れに砂金採りの真似事をしたところ、思った以上に採れたことが始まりと伝えられている。

 

 砂金採りは村人の中でブームとなり、二桁の人数のグループとなったが付近に有名な金山があるわけでもないのに不思議と採取量は数か月、数年経っても減少することがなかった。だが砂金採りグループのリーダーとなっていた増油は、年間産出量は世界の鉱山と比べるとたかが知れており採れた砂金をただ売るだけでは面白くないと考えた。

 そこで増油は金細工職人を招聘して村で金細工職人を育成し、川で採れた砂金をもとにジュエリーなどの金細工を売ることを計画した。結果この金細工産業は町を支える柱の一つとなり、インスマスブランドのジュエリーはそこそこ名が知られている。

 

 町の美術館には増油が招聘した金細工職人に手ほどきを受けて作った純金の陀金様ミニオブジェと、当時の村から誕生した金細工職人第1号が手掛けた精巧だが奇妙な意匠の冠が飲酢枡町の金細工産業発展のシンボルとして展示されている。

 

 ここまでは飲酢枡町公式サイトの「いんすますの歴史」に新興宗教団体のことはややぼかしつつも書いてあるし、何ならその移住してきた新興宗教団体の「陀金秘密結社」公式サイトの「陀金秘密結社の歩み」ページには飲酢枡町発展への貢献が証拠を添えてデカデカと掲載されている。

 

 これらの話はやや胡散臭さはありつつも美談だが、ネットのオカルト好きや陰謀論好きの間ではこの街に関してまことしやかに語られている噂がある。新興宗教団体「陀金秘密結社」の母体は外国の邪神崇拝の教団であるそうだ。その母体の教団は崇拝する邪神と契約して栄え、その眷属の血を取り入れたものが取り仕切っているらしい。

 

 一説では陀金秘密結社はその教団の追放者たちのグループが祖で、力をつけて母体の教団より邪神の寵愛を得るか、別の邪神に鞍替えして追放した教団に復讐しようとしているのだとか。他の説では追放などではなく宣教師としての派遣で、遠い外国の地で教えを広めて一旗揚げて故郷に錦を飾るのが目的とされている。

 

 いずれにせよ、彼らには人ならざる者の血が混じっており、町の発展も勢力圏の拡大が目的と結論付けられている。だが、母体の宗教団体の存在やとんとん拍子の町の発展のきな臭さはまだしも、それ以降の邪神云々や混血云々はただの与太話として扱われている。信憑性としては「前方後円墳=ガイアパワーを解き放つための鍵穴」というオモシロ起源説とどっこいどっこいである。

 

 僕はそういった噂と歴史や美術品に興味を持ち、飲酢枡町に寄ることを決めたのだ。

 

 交通ルートに関してバスセンターの窓口の職員と話したのだが、彼女は飲酢枡という町にどこか畏怖の感情を抱いているらしかった。見どころや穴場の情報を聞きたかったのだが、素晴らしい町ですよ自分の目で確かめてみてください以上の情報が出てこなかった。

 その会話を耳にしたギョロ目が印象的だったバス待ちの乗客が、親切にも美術館などの見どころのある施設、採れたての魚を食べさせてくれる居酒屋、絶景スポットなどを教えてくれた。

 

 そうしてバスを待っていると飲酢枡行きのバスが到着した。運転手は無愛想な男で、車内前方に掲げられていた運転手氏名の「佐前戸(さぜんと) (じょう)」が変わった苗字だったので覚えてしまった。

 

 バスに乗車して数時間揺られて山を抜け、うっそうとした林を抜けて視界が開けて街並みと海が見えたとき、何とも言えない郷愁のようなものを覚えた。まるで幼いころに通っていた幼稚園や保育園を見かけたときのような、鮮明な記憶はないものの何となく様々な体験の断片が蘇ってきて懐かしくなった時のようだった。

 

 僕が奇妙なノスタルジーに浸っている間にバスは町役場前の停留所に停まった。僕は運転手の佐前戸氏に会釈をし降車する。

 

「ありがとうございました」

「どうも。この町を満喫してくれ」

 

 彼は僕の他にもいた乗客の挨拶や質問に対して一切の感情を見せなかったので、愛想の無さは変わらないものの歓迎するような言葉に驚いた。

 

 僕の発した言葉は無視されるか、返答が返ってきても「うん」とか「ああ」くらいだと思っていたので会釈しつつ降車口から降りていこうとしていたのだが、思わず立ち止まってしまった。

 

 幸い僕の後ろに降り待ちの他の乗客はいなかったが、気まずくなった僕は「ありがとうございます」ともにょもにょ口の中で言いながら再度前よりしっかりめにお辞儀をする。

 その時彼のハンドルにかけていた手がやけに水かきの発達(退化?)している手なのが目に入った。

 

 降車した僕は町役場で地図付きの観光客向けパンフレットを1冊取り、教えてもらった情報をもとに町巡りを始めた。

 

 まずは一番心惹かれていた美術館へ足を向ける。パンフレットによるとこの飲酢枡町唯一の美術館である飲酢枡美術館は歴史資料館も兼任しているらしく、美術館の入場料分で美術と歴史どちらも見られるようだ。

 

 美術館に入ると職員らしき人たちが数名ほど出てきて僕へと向かってくる。何事かと身構えるとそのうちの1人がニコニコとしながらりんごくらいのサイズのくす玉を掲げて紐を差し出してくる。僕が恐る恐る紐を引くと、くす玉がパカっと割れて「祝!来場100万人」と書かれた垂れ幕が落ちてきた。皆が拍手を始めたことにより、僕は安堵し何が起きているのかを理解した。

 

 この美術館の職員たちが詳細を語ったことによると、飲酢枡美術館がこの夏に合計来場者数100万人を達成しそうだったのでこの企画を計画したらしい。

 なんでも、記念すべき100万人目の来場者として写真を撮り、ちょっとした取材を受けて地方紙や町の広報誌に掲載されることを許可すれば、美術館の入館料無料並びにこの町評判の旅館「儀流満家(ぎるまんけ)」の宿泊券とこの町で使える商品券5000円分をもらえるらしい。

 

 そこで僕はもし自分が宣伝に使えそうにないトイレ目当ての人間だったり、100万人目が観光客などではなく暇つぶしで来た地元の人だったらどうするのかと意地悪な質問をしたが、その場合はノーカウントにしてちょうどいい人を100万人目にしますとあっさり言われた。ちなみに本当は僕は100万9人目らしい。「なかったこと」にした人が二桁に突入しなくてよかったですなどと言われてしまった。

 

 今日の寝床が確保でき、商品券でこの町でちょっとした贅沢をできると考えた僕は断る理由もないので提案を受け入れた。くす玉を掲げて写真を撮影したのち、僕の軽い素性やこの町に来た理由、楽しみにしていることなどのインタビューを受けた。これから観る美術館や他の施設や名所の感想も送ってほしいと言われ連絡先を交換する。

 

 他にも現在企画中の街を挙げたプロジェクトがあり、商品券を使いきれなかったりこの町が気に入ったらぜひまた来て欲しいと言われた。

 

 その後歴史資料館と美術館を観て回った。そのどちらも陀金秘密結社寄贈のものが数多く存在している。

 歴史資料館は寂れた村時代のものは少なく、陀金秘密結社が移住してきて町に発展するまでと町になってからの資料が圧倒的に多かった。大昔のものは漁に使っていた船、漁具や大災害の資料がある程度であった。20~21世紀のものは川で採取された砂金のサンプル、旧式の精錬所模型、金細工に用いる加工道具、初代飲酢枡町町長の像、漁業の発展や村から町への成長を記した年表や写真、当時の新聞記事などが展示されていた。

 

 美術館の展示はこの町の産業の柱の一つ金細工産業由来の仏像、だるまや七福神などの縁起のいい置物、りんや独鈷杵といった仏具、大判小判、食器、指輪やネックレスやブローチなどのジュエリーが約4割を占めていた。商魂たくましいことに展示場の出口にこの町の金細工工房のパンフレットがずらりと目立つように並べられており、黄金の輝きに目が眩んだ者をそちらへ呼び寄せようとしていた。

 

 他には陀金秘密結社由来の宗教芸術らしきものが約4割ほどある。宗教画らしきものが数多くあり、港町ゆえか舟や海、海洋生物が数多く登場している。海に浮かぶ貝殻の上に立つ海神らしき御本尊が描かれた、ボッティチェリ本人が見たら怒りそうな絵画があったりした。なぜ御本尊かわかったかというと、漆箔像や彫刻、何らかの記念で作られた特別金貨などに繰り返し登場していたからである。

 

 残りはこの町に来てインスピレーションを受けた芸術家や建築家が作成したとされる絵画や彫刻、建築物の模型が展示されていた。何故かこの町はそういった感受性の高い人間の感性に触れるらしく、結構な人数がこの町に来て何らかの天啓を受けて帰るらしい。ご丁寧に作品の解説文に作者の制作のきっかけについてのコメントが載っていた。

 展示作品は深海にて何かが蠢くさまを描いた幻想的かつ畏れを抱かせる絵画、触腕の吸盤ひとつひとつまで丁寧に彫られた架空の海洋生物の彫刻、不法侵入した空き巣がそのあまりの複雑さと奇怪さに惑わされて脱出できずに衰弱したところを家人に発見され逮捕された屋敷の模型などある種の凄みを感じさせる。

 

 展示の目玉として、この町初の金細工職人の初作品である金の冠と飲酢枡町金細工産業創始者である増油(ましゆ) 雄辺斗(おべと)が手掛けた純金の陀金様ミニオブジェが展示場の中央に飾られている。

 単純に目立つところに飾られており、金のまばゆさとその素材の金銭的価値から非常に目を惹く。だが、それだけでは説明がつかないほどの人を惹き付け魅了する何かがあった。

 

 陀金様ミニオブジェの方は言うなればアマチュアの彫り物を素材の価値と制作者の器用さとモデルへの溢れんばかりの情熱で価値ある芸術品まで押し上げたという感じだ。どちらかといえば金細工産業の象徴として歴史資料館のほうにあるのが相応しいのかもしれない。

 

 だがクッション上に鎮座する金の冠は、たとえこれがステンレス製だったとしても一級の芸術品であったであろうと思わせるだけのものを感じる。その冠は周縁部が非常に長く楕円形で、人間以外がかぶることを想定している気がする。そう、冠の隣の魚人に見えなくもない神様の陀金様のような。

 その意匠は非常に独特で、日本や西洋の装飾品の文脈の流れを感じさせない。主な素材は金であるはずだがどこかぬめぬめとした輝きを放っており、展示ケースの中は最適な温度と湿度に保たれているにも関わらず何かしらの液体がしたたり落ちてくるような気がする。それによって丁寧に彫り込まれた海洋生物らしき飾り部分がまるで生きているかのような存在感を放っている。

 人によってはその不気味さに目をそらしてしまうかもしれないが、魅せられた僕は10分間ほどその冠を凝視していた。

 

 大変満足した僕は、そのうち送る感想を楽しみにしてほしいと告げて美術館から退館した。

 

 その後教えてもらった漁港を一望できる絶景スポットや個人でやっている海産物標本館などを巡った。その道中陀金秘密結社を見かけたが、なかなかに立派な建物であった。

 

 本日はこの結社の合唱部の練習があるようで何やら歌とも祝詞とも呪文ともつかないものが耳に入ってきた。

 

 夕食はおすすめされた地元の漁師ご用達の居酒屋へ足を運んだ。完全に常連間の中で店の空気が出来上がっているのではないかと警戒していたが、常連らしき客と見慣れぬ観光客らしき自分とで店員の対応に差はなかった。

 

 メニューとにらめっこして悩んでいた最中に見かねておすすめを教えてくれた常連さんによると、金細工や海産物目当てでこの街に来る観光客は結構いるらしい。それに一見すると怪しげな集団を受け入れることで発展した歴史があるので、排他的な態度はご法度だと教えてくれた。

 

 教えてくれたおすすめメニューは「ビギナーセット」なるもので、漬け物・焼き物・揚げ物・お造り・寿司・海藻の酢の物・とろろ昆布のみそ汁など海のものがこれ一つでこれでもかと味わえるようになっている。値段を抑えるためそれぞれの品の量は少なく、刺し身などは1種類につき2枚しかなかったりしたがそれでも値段に対して十分なボリュームであった。

 

 このメニューを教えてくれた親切な常連と軽く話しながら箸を進めていたのだが、急に第三者に話しかけられた。

 

「おや、増油(ましゆ)の若旦那。ここでお会いするとは珍しいですな」

「え?あ、いや、僕は……」

 

 話しかけてきたのは腰の曲がった老人であった。おそらく人違いだと思うが、そのあまりに僕を「増油の若旦那」と疑っていない態度といかにも嬉しそうなニコニコとした表情に目を白黒させていた僕に救いの手が入った。

 

「いらっしゃい、座徳(ざとく)さん。今日は一人かい?」

「ああ、今日は―――」

 

 座徳なるお爺さんと店員さんがしゃべっている中、さっきまで話していた常連さんが小声で耳打ちしてくる。

 

「増油ってのはこの町の有力者の家だ、悪いが適当に話を合わせてやってくれ。別に後々問題になったりはしねえはずだ」 

「は、はい」

 

 店員さんとの会話を切り上げた座徳さんがこちらを向いてニコニコと語りかけてくる。

 

「ご母堂さまにお酒を控えるように釘を差されていなさるのに大丈夫ですかい?」

「いやあ、今日はここの料理が無性に食べたくなりましてね。母には内緒でお願いします」

「はあ、よござんすが……」

 

 そういうと座徳さんはこちらの顔をじっと見つめてくる。僕の演技が見抜かれて面倒なことになりはしないかと冷や汗をかいていると、彼は口を開いた。

 

「いやあ、実にたくましくなられた。若いころのご当主そっくりですな」

「そ、そうですかね」

 

 僕があいまいに答えると座徳さんは角ばって水かきの目立つ大きめの手で僕の手を取り、その大きな目をうるませて答える。

 

「ええ、この町を率いていく者の覇気が顔に現れております。これならば古の盟約を果たすのもぐっと近づ―――」

「すいません座徳さん。座徳さんの席はこちらです。申し訳ありません片すのにちょっと時間かかっちゃって」

 

 話が長くなりそうなところに、いいタイミングで店員さんがインターラプトしてきてくれた。

 

「ああ、そうかい。増油(ましゆ)の若旦那、ご当主によろしく」

 

 そう言って座徳なる老人は店員に案内されていった。

 

 わたしは席に着き、気を落ち着かせるために飲み物を口にする。

 

「悪かったな」

「いえ、驚きましたが大丈夫です。ですが、あれは……」

「ああ、何もわからないままだと気持ち悪いもんな。説明させてくれ。あと名演技のギャラとして一品奢ってやる」

 

 彼の語るところによると、座徳さんなる老人はインスマスブランドのジュエリーが今よりずっと小規模だったころからこの飲酢枡町の金細工産業発展に尽力した人らしい。

 砂金掘り師や細工職人など決まった役職があったわけではないが、その代わり宣伝、販売交渉、展示会の企画、宝石鑑定資格の取得、若手職人の採用、採掘作業のピンチヒッターなど何でもこなしたとのことだ。

 

 僕に言った「増油の若旦那」というのは、飲酢枡町金細工産業の祖である増油雄辺斗(ましゆおべと)の一族である増油家のことである。その増油家の先代当主が座徳さんの上司兼兄貴分のような存在で、その長男の面倒を見ることが多々あったらしい。

 だが、増油の若旦那つまり長男もとっくに成人し、増油家の現当主である。というのも座徳さんは体は元気で日常生活に問題はないものの、過去の体験に基づくエピソード記憶が急に出てきて現実の状況を塗りつぶすことがあるらしい。あのとき店員さんがいいタイミングで入ってきたのもこの町の人がなるべく注意しているからだそうだ。

 

「つまり、昔世話になった人の坊ちゃんが成人したころの姿にあんたががあまりにも似ていたからだな」

「それで自分やその現当主さんの今の年齢とかもすっ飛ばして当時の状況と現在を混同したと」

「ああ。でも今金細工関係で飯食っている奴らの中であの人に1ミリも世話にならなかったって奴はいないからな。みんな気にかけてるのさ」

 

 僕は座徳さんが口にした「古の盟約」について気にかかっていたが、今まで見聞きした情報をもとに考えるとおそらく陀金秘密結社関係であり、藪蛇になることを恐れて口に出せなかった。

 

「それにしても増油家のご当主さん?に僕はそんなに似てるんですかね」

「ああ。似てるな。あの人の20代のころの顔と今風の大学生の顔を9:1でブレンドしたらちょうどあんたの顔だ」

 

 常連さんにおごってもらったイカリングフライも食べ終わったので、お礼と挨拶をして会計を済ませる。気になって座徳さんの席の方を向くと、こちらへ向かってグラスを軽く掲げる姿が見えたので軽く会釈をしてそのまま店を出た。

 

 そして宿泊券をもらった旅館「儀流満家(ぎるまんけ)」へ軽い酔歩で向かう。運よく宿泊券をもらったはいいものの当日に宿泊できるか不安だったが、もらった美術館で電話をかけて聞いてみたところ幸運にも空室があって止まることができた。

 

 少しばかり歩いて目的地付近へ到着する。そこには古風な日本建築があった。チェックインを済ませて部屋へと荷物を運ぶ。

 

 うっすらと潮の香りがする温泉に浸かり、疲れを洗い落としたあと自室である(ぶり)の間へ戻る。もう既に良い時間だったので布団を敷いて横になるも、疲れているはずなのになぜ釜が冴えて眠れない。

 

 ふと、居酒屋で座徳さんというご老人が発した「古の盟約」という言葉が浮かんで来る。陰謀論全開で考えるならそれは陀金秘密結社の信仰対象の邪神との契約であり、増油家はその主導者といったところだろうか。

増油家が金細工産業を発展させてきたことを考えるに、採取量の変化のない砂金は契約の対価とではないか。

 

 そこで僕はさらに妄想を膨らませて、その砂金は一見金に見えるが実際は全く違う邪神製の金属なのではと仮説を立てる。その邪金属とでも言うべきものを全国にばらまき、時機が来たらそれから毒電波を発して人々を洗脳するかもしれない。

 

 そんなことを考えてだんだん脳が睡眠モードに入っているのを感じながら天井を見ていると、廊下から足音がする。まるで忍んでいるような抑えた音で、どうにもスリッパや靴下、素足から出せる音ではない気がする。もっと湿り気や粘り気を感じさせる音に背筋が寒くなる。

 

 そしてその足音は僕の部屋の間で止まると、何やら鍵穴をカチャカチャやり始めた。それを僕は寝ぼけていたのと直前の思考から陀金秘密結社の手のものではないかと思ってしまった。

 

 意を決した僕は電気をつけないまま静かに寝床を這い出て、備え付けの大きくて頑丈そうな懐中電灯を手に取る。

 

 そろそろと音を立てないように扉の前へ立つ。そろりそろりと歩く数メートルはこの旅でのどんな移動時間よりも長く感じた。

 

 単なる部屋間違いならそのうち去るだろうし、鍵を開けて侵入してくるようなら相手が鍵を開けた瞬間に懐中電灯で照らして怯ませ、その顔を見てやるつもりだ。周囲に他の客も泊っているので、いきなり刃物で心臓をグサリということでもなければ懐中電灯を振り回して助けを呼べば何とかなるだろう。

 

 緊張で手に持つ懐中電灯がぬるぬるし、滑り落としたら困るので慌てて浴衣の袖で手の汗をぬぐう。

 

 はたしてマスターキーのようなものかピッキング技術でもあるのか、カチャリと鍵が開く音がする。

 

 その瞬間思いっきり扉を引き、懐中電灯で扉の前にいた存在に光を当てる。

 

 うすぼんやりとした明かりの廊下で懐中電灯の光に照らされていたのは。

 

 ―――単眼のメンダコのような奇怪な生物だった。




座徳(ざとく)→ザドック・アレン
佐前戸譲(さぜんとじょう)→ジョー・サージェント
です。
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