逆転裁判 〜東方法闘録〜 小説版   作:タイホくん

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閉廷後の控室シーンは、変更の予定がないので、掲載していません。


第1話 旧法廷パート

……はあ……はあ……

 

……くそっ! 何でおれがこんな目に……

 

……つかまりたくねえ……こんなことで……

 

……誰か……誰かがやったことにするんだ……!

 

……そうだ、あいつだ……

 

……あいつがやったことにすれば……

 

 

【4月9日 午前8時35分 地方裁判所 被告人第2控室】

 ……遅い、遅すぎる。

 ここはとある裁判所。ぼくは、その一角にある控室にいた。

 部屋は全体的に白で統一されており、天井からぶら下がっているシャンデリアや、置かれている家具なども、落ち着いた雰囲気のものが選ばれており、裁判が始まる前の緊張感を和らげるように工夫されている。

 落ち着いた部屋とは対照的に、ぼくは部屋の中をウロウロして、落ち着かない雰囲気を辺りにはなっている。

 同じ部屋にいる係官さんも、ぼくの落ち着かない雰囲気にのまれてしまったのか、どうにもソワソワしていた。

 時間が気になり、壁掛け時計で時間を確認する。時刻はもうすぐ九時。ああ、早くしないとあと三十分で裁判が始まってしまうではないか!

 ますます僕の気持ちは落ち着かなくなる。それに比例するかように、足取りが速くなった。

 あの二人は何をやっているんだ……。

 なぜ、僕が裁判所にいるのか。なぜやきもきしているのか。それにはきちんと理由がある。

 まずはぼくのことについて話そう。

 

 ぼくの名前は成歩堂龍一(なるほどう りゅういち)。弁護士を初めてまだ三年の新米。

 いや、三年も経てば新米じゃなくなっているかも……。

 まあ、弁護士がぼくの職業だ。これまでぼくは弁護士として、多くの事件に出会い、裁判を通じて色々な経験を積んできた。

 今日も裁判があるから、こうして裁判所にいるわけだけど……。

 

 ……遅い、遅すぎるよ。

 いつまでたっても依頼人が来なくて、こうしてヤキモキしているわけだ。

依頼人というのは、ぼくが弁護する人のこと。ぼくは事件の犯人として疑われている人のことを弁護して、彼らの無罪を証明することを生業としている。

 いつもなら裁判が始まる前に依頼人が来て、裁判前の打ち合わせをするのだが、集合時刻を十分以上過ぎても依頼人が来ない。一体何をやっているんだろう……。

 

 どうする事も出来なくなり、とりあえずソファに腰掛ける。

 柔らかい腰掛と、背もたれの部分に置かれているクッションが、疲れたぼくの体を包み込む。

 しかし、勢いよく座ってしまったせいか、それと同時に大量に詰め込まれた綿から、たまりにたまった埃が花粉のごとく飛び散った。その埃を吸い込んで、思わずくしゃみが出る。

 静かな部屋に、ぼくのくしゃみがこだました。

 うう、なんだか気まずい。

 扉の前に立つ係官さんは、ぼくとか関わりたくないのか下を向いて視線をそらし続けている。なにもそこまでしなくてもいいのに……。

 今すぐにでもこの部屋を飛び出して微妙な空気から解放されたいが、依頼人がその間にこの部屋に来てしまえば、入れ替わりになってしまう。

 こうなれば係官さんとの根競べだ。

 

 ぼくと係官さんは気まずい雰囲気の中、お互いに距離を取り合い時間が過ぎるのをひたすらに待つ。時計の針が、カチカチとなる音が嫌にうるさい。気づけば、その長針は九の部分に差し掛かろうとしていた。

 時刻は八時四十五分。開廷まではあと十五分だ。

 ……時間がない。せめて建物の中だけでも探してみよう。

 

 重い腰を上げる。

 その様子を見た係官さん。ぼくがこの部屋から出ると察したのだろうか、下を向いているので少々見辛いものの、よく見るとその顔には安堵の表情が出ていた。

 まあ、この空気感が嫌なのは同意だけど、露骨にうれしそうな顔をされると、こちらとしては傷つくな……。

 そんな彼とは対照的に、ぼくは落胆した気持ちで扉に手をかける。

 そうして扉を開こうとしたその時だった。突然扉が勢いよく開いたのだ。

 この扉は部屋の内側から開けようとすると、扉を引かなければならない。その扉がぼくの目の前で勢いよく開いた。

 これが意味する事、そしてこの後ぼくがどうなったか。想像するのは容易い。

 勢いよく開かれたドアは、体当たりを仕掛けるサイのように、ぼくにぶつかった。

 その直後、「なるほどくん、お待たせ!」と、女の子が元気よくぼくの名前を呼んだ。

 真宵ちゃん……あんまりだよ。

 その後、床に叩き付けられたぼくを見て、その場にいた全員が腹を抱えて笑ったことは、言うまでもない。

 

 「ごめんね。まさか扉を開けたら、目の前になるほどくんがいるとは思っていなくて……」

 先程扉を開けた女の子が謝る。

 「いいよ、気にしなくて」

 落ち込む彼女をひとまず慰めた。

 彼女の名前は、綾里真宵(あやさと まよい)。ぼくの助手だ。

 二人で立ち向かった事件は数知れず、時にはピンチに陥ったこともあるが、お互いに助け合いながら三年という月日を共にした大切なパートナーだ。

 年は十九。身長は百五十ほど。

 薄い紫色の着物の上から、濃い紫の羽織を着て、赤紫色の帯を巻いており、服装は紫を基調にしていることが分かる。

 さらに首からは、勾玉をぶら下げている。色は明るい空色。真宵ちゃんが身に着けている物の中では、これだけ紫色でない。

 長く伸びた黒髪は、頭の上でお団子のように結ってある。(密かにこの髪型をちょんまげのようだと思っているのは内緒である)

 

 さて、ここで疑問に思った人もいるはず。なぜ、弁護士の助手がこんな奇妙な格好をしているのか、と。それは、真宵ちゃんのもう一つの職業が深く関わってくる。

 実は、真宵ちゃんは霊媒師でもあるのだ。

 真宵ちゃんの家は、倉院(くらいん)流霊媒道という、霊媒を生業とする由緒正しいお家。真宵ちゃんはそこの娘さんだ。

 ぼくの弁護士のお師匠さんが真宵ちゃんのお姉さんで、彼女とは弁護士になりたての時に起こったある事件で知り合った。それ以降、真宵ちゃんは霊媒師の修業の傍ら、ぼくの助手としていつもそばにいてくれている。

 

 「それにしても真宵ちゃん。どうしてこんなに来るのが遅くなったの?」

 疑問をぶつける。

 ぼくの質問に対し、真宵ちゃんは申し訳なさそうな顔で、「ごめんね、実はあの子が……」と言って扉の方を指さした。

 扉の方を見ると、女の子が立っていた。そう、彼女こそが今回、ぼくが弁護を担当する依頼人だ。

 彼女の名は、岡瑠波(おか るなみ)。この辺りにある、東深見高校という私立高校に通っている高校生。

 茶髪がかった少し癖のあるベリーショートヘアに、UFOの髪飾りを付けている。服は、東深見高校の制服だろうか。菫色を含めた、紫系統のチェックから成るベスト風の上着とブリーツスカートを履き、上着の下に白色の長そでブラウスを着ている。

 暗い顔をした彼女は先ほどの係官さんと同じように下を向いて、その場に棒立ちしていた。

 

 「だ、大丈夫?」

 心配した真宵ちゃんが、瑠波さんに声をかける。

 ぼくも声をかけてあげようと思ったが、ここは年も近い真宵ちゃんに任せる方がいいだろうと考えて、その様子を黙って見ていた。

 瑠波さんと真宵ちゃんは身長が同じくらいだからだろうか、二人で並んでいると同級生のように見えた。……真宵ちゃんの方が年上だけど。

 それはさておき、初めての裁判で被告人として出廷するんだ。瑠波さんが緊張するのも無理ない。それに、彼女が起訴された理由もその原因の一つだろうな。

 

 “殺人” 

 

 それが彼女に掛けられている容疑だ。

 瑠波さんの様子から見るに、残りの時間で裁判の方針を固める話し合いをするのは難しそうだ。ここは、裁判が始まるまでの間、彼女の側に真宵ちゃんを付けておくのが正解だろう。

 真宵ちゃんに一言声をかけると、ぼくはもう一度ソファに、今度は優しく腰掛けると机の上に置いておいた法廷記録を手に取った。

 法廷記録には、”東深見高校 殺人事件 捜査資料”と書かれている。

 それをひらいて、中にファイルされている一枚の紙を取り出した。これに、今回の事件の簡単な情報がまとめられている。

 昨日目を通しておいたが、改めて確認することにした。

 

 被告人 岡瑠波 容疑 殺人罪

 被害者 女性 (身元不明) 死因 高所から突き落とされたことによる脳挫傷。 

 事件概要 四月八日、午前十時ごろ、私立東深見高校にて「人が倒れている」と同校の警備員から一一〇番、及び一一九番通報。十分後に警察が到着。被害者の遺体を確認後、警備員に事情聴取。

その際、警備員が屋上に人影を見たと証言。その後、屋上にて一名の女子生徒を発見。女子生徒は鉄パイプを持ってその場に立ち尽くしていた。任意同行を許可したため、署にて事情聴取。

 警備員の証言と、現場に残されていた鉄パイプの指紋が女子生徒のものと一致したことが証拠となり、同日、同校の生徒、岡瑠波を逮捕、起訴した。

 被害者の女性は身元が判明しておらず、現在捜査中。また、女性の服の胸ポケットから純金のネクタイピンを発見。捜査の結果、同日現場近辺で発生した空き巣事件の盗難物と一致。女性が空き巣事件に関与している見方も含め、現在捜査中。

 

 被害者は身元不明、か……。そうなると瑠波さんとの関係性が読めなくなってくるな……。

 加害者と被害者、この二人の関係性が分からないと、加害者の犯行の動機が分からなくなってしまう。検察側がそこをどう攻めてくるかが問題だ。

 

 捜査資料を法廷記録に戻し、今度は中から一枚の写真を取り出す。被害者が発見された場所、いわゆる現場を撮影したものだ。

 事件現場は東深見高校の校舎裏。資料にもあったように、警備員の一人が第一発見者らしい。

 苔がびっしりと生えた校舎裏の一角に女性があおむけに倒れている。夜空のような黒い色をした長い髪。遺体の腕にヘアゴムが巻いてあるところを見るに、被害者は普段は上を縛っていたことが窺える。

 身長は目測だと百八十から百八十五と言ったところか。……女性にしてはずいぶん高身長だ。

 服装は白のワイシャツにジーパン。ワイシャツには、倒れた際についたと思われる土と血液が大量に付着し、ワイシャツが持つ清潔感は完全に失われている。

 ……それにしてもずいぶんと簡素な格好だ。

 女性は見た目、二十代前半と言ったところだろうか。この年齢の女性がこんな簡素な格好をしていることに、少し違和感を覚える。なんというか……やけに男っぽい格好だな。

 

 被害者の容姿などを確認し終え、次に被害者の頭部に注目した。

 きれいな黒髪に、一筋の緋色の血が垂れている。血が垂れている元をたどったが、長い髪に遮られているせいで、遺体のすぐそばで撮られた写真にも関わらず、傷は見つけられなかった。

 ひととおり確認し終えたので、写真をファイルに戻す。

 どうやら、瑠波さんも落ち着いたようだ。真宵ちゃんの明るい性格はこう言う場面でも役に立つ。

 

 「瑠波さん、気分は大丈夫ですか?」

 ぼくの質問に瑠波さんは少し力の無い表情を浮かべ、「はい、なんとか……」と答える。まだ声に力を感じられない。真宵ちゃんの力をもってしてもやはり限界がある。

 ここはどうするべきなのだろうか。あまり未成年の子の弁護を引き受けたことのないので、こういう状況になれていない。

 「なにか飲み物でも買ってきましょうか?」

 ひとまず適当に声をかけてみる。

 「い、いえ。大丈夫です……」

 しかし瑠波さんはぼくの言葉をバッサリと切り捨てる。

 うう、飲み物を買いに行っている間に、何て声をかけようか考えようとしていたのだが……こう返されてしまっては、どうすることもできない。

 「え、えっと……今日はよく晴れましたね」

 先人たちの知恵、必殺天気の話題。これで会話の糸口を……。

 …………。

 返事が無い。どうやら失敗したようだ。

 うう、さすがにまずかっただろうか。

 弁護士なのに、弁護する人のことを励ますこともできないとは……久しぶりの法廷とはいえ、若干衰えたかもしれない自分の力量に、少しばかり自己嫌悪を覚える。

 「私とは話せるんだけどな」

 瑠波さんとの会話がはずまなかったのを見た真宵ちゃんが口を開く。

 どうにも気まずい……これだったら、係官さんとの根競べの方がマシだったな……。

 

 本来なら開廷前の最後の話し合いをする時間。間の悪い空気のせいなのか、誰一人口を開こうとしない。

 時間が気になり時計を確認する。時刻は八時五十分。開廷まではあと十分だ。 

 どうする。このままだとお互い士気が高まらない状態で裁判になってしまう。ただでさえつらい裁判なのに、こんな状態では勝てる裁判も勝てない。

 ……ここは、年長者のぼくがなんとかしなければ。

 ギスギスした沈黙を破るべく、口を開こうとする。

 

 その瞬間だった。突如、部屋の扉が開かれた。ギスギスとした沈黙を、扉を開ける音が一気に切り裂く。

 「皆様、ご機嫌麗しゅう……」

 沈黙を破り、部屋に入ってきたのは一人の女性。白色のゆったりとした服を着て、金髪のロングヘアーをいくつかの束に分け、それぞれ縛っている。

 どこか不思議な雰囲気を放つ女性はためたらうことなくまだギスギスとした空気の部屋に入ってくる。

 瑠波さんは女性を見て一瞬あっけにとられたような顔をしていたが、何かを思い出したかのようにハッとした顔つきになると、女性に向かって「先生!」と言った。

 “先生”と呼ばれた女性は瑠波さんの元に行くと、「心配していたのよ」と彼女を抱き寄せた。

 先生、ということは東深見高校の人なのか。

 しばらくすると女性はぼくの方へ向き直り、「初めまして。弁護士先生」とスカートの橋を持ってお姫様のように深々とお辞儀をした。

 「は、初めまして」

 見慣れない挨拶の仕方に動揺しながらも、何とか返答する。

 「申し遅れました。私は、私立東深見高校の教師、八雲紫(やくも ゆかり)と申します。以後お見知りおきを」

 「え、えっと、弁護士の成歩堂龍一です。今回はその、よろしくお願いします」

 あまりこういった雰囲気の大人の女性とは話したことが無い。妖艶な声にくらっとなりそうになるのを抑え込み、自己紹介をした。

 「あら、そんなに緊張なさらなくてもいいのですよ?」

 うう、出来ればその色っぽい声を止めて欲しいのだけど……。

 紫さんの大人のオーラにたじろいているぼくとは対照的に、真宵ちゃんは目を輝かせて紫さんのことを見ていた。

 「あら、あなたは?」

 真宵ちゃんの目線に気付いた紫さんが、声をかける。

 「あ、わたしは綾里真宵と言います」

 「真宵……いい名前ね」

 「あ、ありがとうございます!」

 真宵ちゃん、なんだか嬉しそうだな。もしかして、あんな感じの人の女の人に憧れているのだろうか? ……もしも真宵ちゃんがあんなふうになってしまったらどうしよう……まあ、真宵ちゃんの性格からして、ああなるとは考えにくいけどな。

 

 ぼくが物思いにふけっている間にも、真宵ちゃんと紫さんの会話は続いている。気が付けば、瑠波さんも話の輪に入っていた。

 「まあ、霊媒師をなさっているのね」

 どうやら、霊媒の話になっているらしい。

 紫さんは、真宵ちゃんが首からかけている勾玉をまじまじと見つめている。

 「はい、なんなら見せちゃいましょうか? わたしの霊媒」

 「私、見てみたいです!」

 瑠波さんが霊媒に興味を示す。その目は爛々と輝いていた。

 「待って真宵ちゃん。もうすぐ裁判が始まる時間でしょう? だから、裁判が終わってからにしてもらえるかしら?」

 時間を配慮した紫さんの行動。さすが教師なだけはあるな。子どもの扱いが上手だ。

 それからも、紫さん達はいろいろな話をしていた。先ほどまで元気が無かった瑠波さんも談笑するうちに緊張がほぐれてきたようだ。曇り空のような顔は、いつの間にか晴れやかになっていた。

 そうして、五分ほど過ぎただろうか。時刻は間もなく九時になろうとしていた。

 

 「あら? そろそろ時間のようね」

 紫さんが話すのを止める。

 「さあ、二人とも。準備して」

 紫さんに促され、真宵ちゃんたちも会話を止め、各々の準備に入る。

 瑠波さんは服装を整え、真宵ちゃんは法廷記録の証拠品をもう一度整理し直すと、ぼくに手渡してくれた。

 「紫さん。ありがとうございました。瑠波さんの緊張を解いてくださったんですよね?」

 紫さんはきっと部屋に入った時から、この部屋のぎすぎすとした空気を読み取っていたはず。だからこそ、瑠波さん達とああやって談笑することで緊張をほぐしてあげたのだろうと、その光景を見ていたぼくは思った。

 「あら、なんのことかしら? わたしはただあの子たちとお喋りしたかっただけよ」

 紫さんはクスリ、と笑った。

 「さあ、ここからは先生の出番。瑠波のこと、よろしくお願いします」

 紫さんは、深々と頭を下げる。

 「はい」

 紫さんがこうして場の空気を和やかにし、ぼく達の士気を挙げてくれた。このお礼は言葉だけでなく、無罪判決という形で返そう。

 そう思うと、決意がみなぎった。

 「弁護人、被告人。間もなく開廷のお時間です。準備ができ次第、速やかに入廷してください!」

 あの係官さんが大きくはきはきとした声で叫んだ。彼も、紫さんのおかげだろうか、最初よりも顔がすっきりとしている。彼女の手腕はやはりすごいと改めて実感する。

 「さあ、二人とも。そろそろ行こうか」

 準備を終えた真宵ちゃんと瑠波さんに出発の合図を告げる。

 「よーし、いっちょやるよ。なるほどくん!」

 ガッツポーズを決めた後、拳を高く突き上げる真宵ちゃん。「先に行ってるね!」と言って、すぐに部屋を飛び出して行った。

 「あ、あの成歩堂さん。その……よろしくお願いします!」

 瑠波さんが深くお辞儀をする。

 「精一杯やらせていただきます」

 決意新たにぼくはそう言った。

 その後、瑠波さんは二人の女性係官に連れられ、部屋を後にした。

 「では、私もこれで……傍聴席で見ていますわ」

 紫さんも後に続いて退出した。

 部屋に一人取り残されたぼくは、深呼吸をすると部屋を出た。

 

 ぼくが廊下を歩く音だけが辺りに響く。いつも静かな裁判所ではこれが当たり前だ。いつもなら何とも思わないが、今日のぼくにはこの足音が、勇気が出るファンファーレにも感じられた。

 長い廊下を抜け、中央エントランスに出る。

 煌びやかなシャンデリアが天井からぶら下がり、その隣から大きな二つの柱がそびえたつ。柱の間にかかる幅の広い大階段を上った先に、目的の部屋があった。

 そこにあるのは、大きな木製の扉。ただの扉なのに、そこからは誰しもが怯むような気迫が感じられた。

 “地方裁判所 第二法廷”

 扉の上にかかるプレートにはそう書かれていた。それを確認したぼくは扉を開ける。気圧差のせいだろうか、扉を開けると勢いよく風がぼく目掛けて襲いかかった。

 

 怯んで一瞬目を閉じる。

 風が止み、目を開けた先に待っていたのは当然ながら法廷。傍聴席は多くの傍聴人で溢れかえっており、その奥に二つの机が並べられていた。

 向かって右側が検事席、左側が弁護席だ。

 弁護席には真宵ちゃんがすでに待機していて、開廷を待ち望んでいる。

 弁護席と検事席の手前には椅子が置かれてあり、両脇を女性係官に固められて瑠波さんが座っていた。

 ぼくは傍聴席の間をすり抜け、弁護席に立った。もうすぐ、裁判が始まる。

 ……大丈夫、きっと乗り越えられる。ぼくがすることは依頼人を信じ抜き、真実を見つけ出す。ただ、それだけだ。

 その直後、法廷中に鐘の音が鳴り響く。午前九時を付ける時報だ。

 年季を感じさせる鐘の音は、これから裁判に挑む者達に激励を送るかのように感じられた。

 

【同日 午前9時 地方裁判所 第2法廷】

 鐘の音が九回鳴り響き、そして止まる。それと同時に弁護席の奥にある扉が開かれ、裁判長が出てきた。

 裁判長は脇にある階段を上ると裁判長席に座り、辺りを見回す。そして鞄から木槌を取りだすと、高く振り上げ、そして振り下ろした。カン、と乾いた音が法廷に響く。

 

 「これより、岡瑠波の法廷を開廷します」

裁判長が開廷を宣言する。

 今回裁判長を務めるのは、ぼくがよく見かけるいつもの裁判長さんだ。知りあって三年の月日が流れたが、いまだに彼の名前は知らない。少し前に名刺をもらったが、達筆すぎて全く読めなかった。

 裁判官が身に着ける黒い服を着ており、威厳たっぷりな髭を生やしている。(その代わりに頭の方が……)

 

 「検察側、準備完了しています」 

そう言ったのは今回の事件を担当する、亜内武文(あうち たけふみ)検事だ。

 パッとしない顏に、少々さびしい頭部。これまたパッとしない灰色のスーツと、眼鏡をかけている。一言でいうなら冴えない感じの検事さんだ。今まで何度か闘ったこともある。

 どこか頼りなさげだが検事としてはかなりのベテランだ。昔は、今の彼からは想像もできないほどのテクニックで新人弁護士を次々に打ち倒し、「新人つぶしの亜内」という異名まで持っていたそうな。(もっとも、今ではどこにでもいるような普通の中年検事になってしまっているが)

 「弁護側、準備完了しています」

 いつも通りに準備完了の旨を伝える。

 「よろしい」

 裁判長は検事席と弁護席を交互に見ると、ゆっくりと頷いた。

 

 「それでは、冒頭陳述に入っていただきましょう」

 冒頭陳述は裁判が始まってから最初にすること。検察側が事件の簡単な説明をする。

 「了解しました」

 裁判長に促され、亜内検事は机の上に広げられた資料から一枚の紙を拾い上げ、冒頭陳述を始めた。

 

 「今回の事件は私立東深見高校で起こりました。容疑者は同校に通う女子生徒、岡瑠波さんです。現在、彼女には殺人の容疑が掛けられています」

 殺人、という単語が出た瞬間、傍聴席から少しどよめきが聞き終えた。

 女子高生が殺人を犯したかもしれないのだ。無理もない。

 「被害者は身元不明の女性。死因は高所から落下したことによる脳挫傷。いわゆる転落死というやつです。遺体の損傷具合から見て、校舎の屋上から突き落とされたものと思われます」

 「はて。身元不明とのことですが……被害者は身分証明書を持っていなかったのですか?」

 「そのとおりです。被害者の持ち物には免許証はおろか、保険証さえありませんでした」

 「ほ、保険証すら持っていないのですか……」

 驚いた声色で話す裁判長。

 「被害者の死亡推定時刻は、事件当日の午前十時から十時半ごろです。また、被害者の遺体には落下した際についた打撲痕などとは別に、頭部を鉄パイプのようなもので殴られた形跡がありました」

 頭からの出血は鉄パイプで殴られたからだったのか……。

 「被害者の解剖記録を提出させていただきます」

 「受理します」

 裁判長の許可が下り、亜内検事が解剖記録を提出する。ぼくの元にも解剖記録の複製が手渡された。中身をざっと見ておくか。

 

 被害者 女性(身元不明)

 死因 高所からの転落による脳挫傷

 追記 頭部に鉄パイプのようなもので殴られた形跡を発見。一度だけ殴られた模様。

 

 「これで冒頭陳述は終わりですかな?」

 裁判長が亜内検事に聞く。

 「お待ちください、まだあと少し……」

 「分かりました」

 冒頭陳述は続く。

 

 「先ほど、被害者は身分証明書を持っていないと話しましたが、それとは別に一つだけ奇妙な持ち物がありました」

 「一体なんですかな?」

 「このネクタイピンです」

 亜内検事は透明なビニール袋に入ったネクタイピンを取り出した。

 「こ、これは……見事な逸品ですなぁ」

 取り出されたネクタイピンはおそらく純金製だろう。法廷内の照明が当たると光を反射して辺りに煌びやかな光を放つ。中央にはルビーと思われる大きな赤色の宝石が付いている。いかにもお金持ちが持っていそうな逸品だ。

 「これを被害者が持っていたのですかな?」

 「その通りです」

 「しかし、そのネクタイピンどこかで見たような……年ですかな」

 裁判長がしかめっ面をした。

 「……実はこのネクタイピン、盗まれた物なのです」

 「ぬ、盗まれた物……ですか?」

 「はい。このネクタイピンは今回の殺人事件が起きた同日、現場近くで発生した空き巣事件の盗難物なのです」

 「空き巣……ああ、そういえば新聞でとりあげられていましたね。何でもこれで七件連続だとか。……では、その女性が件の空き巣事件の犯人なのでしょうか?」

 「我々もそのように考え捜査を進めました。しかし、空き巣事件の目撃者は全員口をそろえて“犯人は男だった”と証言しているのです。

 「ふむ……奇妙な話ですな」

 「現在、この女性が空き巣事件に関与している見方も含め捜査中です。事件とは関係なさそうですが、念のためお話しさせていただきました」

 「いえいえ、情報は多い方がいいです。亜内検事、ありがとうございます」

 裁判長は深々とお辞儀をした。

 「念のためこちらのネクタイピンも証拠品として提出させていただきます」

 「受理します」

 亜内検事は弁護席と検事席の間にある大きな机の上にネクタイピンを置いた。書類とは違い複製することが出来ない証拠品はここに置かれることになっている。

 

 「あともう一点だけよろしいでしょうか?」

 「かまいません。一体なんですかな?」

 「こちらも事件とは関係なさそうですが……高校の裏門の側にこんなものが落ちていました」

 亜内検事は再びビニール袋を出す。その中には、金色に輝く星型の紋章が入っていた。ところどころはがれているのを見る限り、どうやら金メッキの様だ。

 「それは?」

 「残念ながら、我々には分かりません。ただ、同じ校内に落ちていた物なので、何か事件に関係あると思い提出させていただきました」

 「分かりました。そちらの証拠品を受理します」

 亜内検事は謎の紋章をテーブルの上に置き、検事席に戻った。

 「以上で冒頭陳述を終わります」

 「はい。ありがとうございました」

 裁判長は頷くと再び木槌を振り下ろした。カン、という音が響く。

 

 「それでは最初の証人に入廷していただきましょう」

 裁判長が証人の入廷を促す。

「では、事件捜査の指揮を執った糸鋸刑事を入廷させてください」

 亜内検事の指示で最初の証人が召喚された。

 

 数分後、法廷の扉が開き証人が入ってきた。証人は、被告席の少し奥にある証言台に立つ。

 「証人、名前と職業をお願いします」

 亜内検事がまず身分確認を行う。証人の刑事はハキハキとした声で喋りはじめた。

 「自分の名前は、糸鋸敬介(いとのこぎり けいすけ)ッス。所轄署の殺人事件の初動捜査担当の刑事ッス!」

 お馴染み、イトノコ刑事。

 刑事としての苦労を感じさせるモスグリーンのトレンチコートの下にワイシャツを着て赤いネクタイを締めている。裁判でよく証人として証言台に立っているせいか、彼との交流は深い。

 がたいのいい見た目に反して、少し怖がりでおっちょこちょいだが、やる時はやる正義感の強い刑事さん。手先が意外に器用で、以前壊れた機械を修理してくれたこともある。

 語尾に“ッス”と付けるのが口癖。

 おっちょこちょいが故に、ポカをやらかしては減給され、毎日そうめんというひもじい生活を送っている。

 

 「あ、あんた久しぶりッスね!」

 ぼくのことを見つけたイトノコ刑事が話しかけてきた。……確かにここ数か月ほど顔を見ていなかったな。

 よく見るとコートの薄汚れがまた増えている。イトノコ刑事も苦労しているんだろうなぁ。

 「証人には、被告人の逮捕の決め手となった証拠について証言していただきます。よろしいですね?」

 「もちろんッス! 昨日徹夜で練習してきたから問題なしッス!」

 徹夜で証言の練習って……努力家、なのだろうか?

 「では、証言をお願いします」

 「了解したッス!」

 亜内検事に促され、イトノコ刑事は証言を始めた。

 

「被告人の逮捕の決め手となったのはこの鉄パイプッス」

 イトノコ刑事はそう言うと、ビニール袋に入った長さ五十センチほどの鉄パイプを取り出した。

 「鉄パイプからは被害者の血液と被告人の指紋が検出されたッス。まず、被告人はこの鉄パイプで被害者を殴り気絶させたッス。その後、気絶した被害者を屋上から突き落として殺害した。これが我々の考えッス」

 

 証言を聞き終えた裁判長は少し悩むような表情を浮かべたが、すぐに普通の顔に戻った。

 「なるほど。良く分かりました」

 「この鉄パイプを証拠品として提出するッス」

 「受理します」

 イトノコ刑事によって鉄パイプが机の上に置かれた。

 「裁判長!」

 ぼくは裁判長に声をかける。

 「なんですかな、弁護人?」

 「ただ今提出された鉄パイプを調べさせてもらえないでしょうか?」

 「ふむ。確か弁護人はまだ実物を調べていませんでしたな。亜内検事、どうされますか?」

 「我々はすでに調べてありますので。どうぞご自由に」

 「ありがとうございます」

 許可が下りたのを確認した上で、机の上から鉄パイプをビニール袋ごと持って弁護席に運ぶ。

 机の上に鉄パイプを置いた後、あらかじめ持参しておいた白手袋をはめて、袋からパイプを取り出した。こうすることで、指紋が付かないようにする。

 

 鉄パイプは目測五十センチほどの長さがある。

 片方の先端が少し曲がっている。恐らく、被害者を殴打した際に曲がってしまったのだろう。曲がった先を見ると、一部が青白く光っていた。これはきっとルミノール試薬の跡だろう。

 ルミノール試薬とは、血液を検出するための特殊な化学薬品のこと。これを吹きかけると、たとえどれだけ血をきれいに拭い取ったとしても、血が付いた部分が青白く光り血液があった場所が分かるという優れものだ。

 

 他に怪しいところはないかと、いろいろな方向から観察してみる。

 曲がっていない方の先端にはこの鉄パイプと同じくらいの大きさの穴が開いた四角いでっぱりがある。……他の鉄パイプとつなぐためのものだろうか?

 他にも手がかりがあると思い、さらによく観察する。

 ……おや。ルミノール試薬以外にも何かついているな。

 パイプをよく見ていると、白い粉が付いているのを見つけた。たぶん、瑠波さんの指紋だろう。粉の正体は指紋を採る時に使うアルミの粉だな。

 粉は鉄パイプの先端、ルミノール試薬のある部分に重なるようにして着いていた。

 ……妙だな。なぜ被害者が殴られた部分に指紋が付着しているのだろうか?

 

 その後も何かないかと探してみたが、これ以上の手がかりは得られなかった。

 調べ終わったパイプを袋にしまって、元の机の上に置き、白手袋をはずして弁護席に戻った。

 

 「弁護人、もう大丈夫なのですか?」

 裁判長がぼくに聞いてくる。

 「大丈夫です。ありがとうございました」

 それを聞いた裁判長は頷く。

 「さて、弁護人も証拠品を十分に調べられたことですし、そろそろ……」

 「あ、ちょっと待って欲しいッス」

 口を開いたのはイトノコ刑事だった。

 「まだ何かあるのですか?」

 話をさえぎられた裁判長が、少し驚いた様子で聞いた。

 「あまり関係ないかもしれないッスが……実は今、東深見高校では工事を行っているそうッス」

 「工事、ですか?」

 「そうッス。ただ、何の工事だったか忘れてしまって……」

 「あ、それなら私、分かります」

 被告席から声が上がった。瑠波さんだ。

 「ふむ、そういえば被告人は東深見高校の生徒でしたな」

 裁判長は何度か頷く。

 「それで、一体何の工事を行っているんですか?」

 前のめりの姿勢で裁判長が問う。

 「耐震化工事です」

 「耐震化、ですか……」

 「うちの学校、校舎が古くて地震が来たら危ないからって、先生が言っていました」

 「なるほど。日本は地震大国ですからな。“備えあれば憂いなし”というやつですね」

 裁判長は感心したような顔をする。

 「それで、糸鋸刑事。その工事がどうかしたのですかな? わざわざ発言したということは、何か重要な意味があるのでしょう?」

 「重要かどうかまでは分からないッスが……実は、工事現場の足場が被告人が発見された屋上にまで通じていて、もしかしたら何か関係があるのかもと思って……だから、念のために伝えておこうかと、思ったッス」

 「なるほど……。確かに重要なことかもしれません。話してくださってありがとうございました」

 裁判長の反応にホッとしたのか、イトノコ刑事は安堵の表情を浮かべる。

 「一応、その工事現場の写真を撮っておいたッス。ただ、危険だと言われたから足場の外側と、屋上からしか撮らせてもらえなかったッス」

 「分かりました。では、その写真を証拠品として受理しましょう」

 工事現場の写真が証拠品として受理される。すぐに複製されたものが検事席と弁護席に配られた。

 

 一枚目は地上から撮られた写真。足場を覆うように向こう側の見えない白色の幕が張られている。一見するとなんてことの無いただの工事現場だ。

 二枚目は屋上から撮られた写真。こちらもただ足場が写されているだけである。……あれ。二枚目の写真の足場、一か所だけ鉄パイプが抜けている。安全第一が聞いてあきれるな。

 正直、事件に関係あるとは思えなかったが、念のため法廷記録にファイルした。

 

 「さて、それでは今度こそ次のステップに進むことにしましょう」

 裁判長が場の空気を整えるためにそう言った後、木槌を一回鳴らした。

 「では、弁護側に尋問をしていただきます」

 ついに来た。尋問の時間が。

 尋問とは、証人が証言した後、弁護側が証人に質問することを指す。

 ぼく達弁護士はここで情報を引き出す作業をする。そして、その情報と手元にある証拠品を照らし合わせて、証言に“ムジュン”が無いか探す。

 証人の中には嘘を吐いたり、勘違いで証言をしたりする人がいる。

 そんな証言に証拠品を“つきつける”ことで裁判は新たな展開を見せていく。

 尋問は裁判の肝ともいえる時間。さあ、気を引き締めてかからねば!

 「では弁護人、尋問をお願いします」

 「はい!」

 ぼくは尋問を開始した。

 

 さて、なにから聞こうか。気になっていることは……鉄パイプの入手経路かな。さっきの話を聞いていれば大方の予想は付くけれど、念のために聞いておこう。

イトノコ刑事に質問を投げかけてみた。

 

 「この鉄パイプはどこから持ってこられたものなのでしょうか?」

 「そりゃあ、さっき話した工事現場から持ってきたと考えるのが自然ッス。工事現場に行けばいくらでもあるし、凶器にするにはお手軽ッス」

 やはり、この鉄パイプは工事現場から持ってこられたものなのか。まあ、普通に考えればそうなるよな。

 

 さて、次に聞いておきたいことは……鉄パイプの指紋と、血液が本当に被告人と被害者のものなのか確認しておこう。

 そそっかしいイトノコ刑事のことだ。何か勘違いしている可能性があるからな。

イトノコ刑事に質問を投げかける。

 

 「鉄パイプに付着した指紋と血液は、本当に被告人と被害者のものだったんですか?」

 「勿論っす。我々の科学力を舐めないで欲しいッス!」

 妙に自信満々のイトノコ刑事。科学調査をしているのは彼ではないはずだが……気にしたら負けだな。

 「ちなみに、一つ補足しておくッスが、この鉄パイプと被害者の頭の傷は、完全に一致しているッス。被害者は間違いなくこの鉄パイプによって殴られたッス」

 他の鉄パイプで殴られたわけではない、と……。別のもので殴られた可能性を示せればいいと考えていたけれど……道をふさがれてしまったな。

 

 さて、次の質問は……殴られた被害者のことについて聞いてみよう。何か分かるかもしれない。

 イトノコ刑事に聞いてみる。

 

 「被害者が頭を殴られた回数は一度だけだった。間違いないですね?」

 「間違いないッス。解剖記録にもそう書いてあるはずッスよ」  ……確かにそう書かれている。聞くだけ無駄だったかな。

 ……でも、この話、まだ掘り下げられるかもしれない。もう少し、この路線で攻めてみるか。

 殴られた被害者に関する情報……何かないだろうか?

 

 「悩んでいるみたいだね、なるほどくん」

 心配した真宵ちゃんがぼくに話しかけてきた。

 「うん。殴られた被害者のことについて聞いていこうと思うんだけど……なにを聞いたらいいのか思い浮かばなくて」

 「そっか……」

 真宵ちゃんも真剣に考えてくれているのか、しばらくの間俯いて何かを考えていた。ぼくも、法廷記録のデータをもう一度洗い直しながら、一緒に考える。

 しばらくして何か思いついたのか、「ひらめいた!」と大きな声を真宵ちゃんが上げた。

 「何か思いついたの?」

 「うん。なるほどくんが見直していたデータを見て思ったんだけど、今までに提出された資料には、“被害者は頭部を殴られた”ということしか書かれていないなって」

 確かに……“頭部を殴られた”としか資料には書かれておらず、その他の具体的な情報は記載されていない。

 「……ありがとう、真宵ちゃん。おかげで何とかなるかもしれない」

 「ほんと? 役に立てたのなら何よりだよ」 嬉しかったのか、真宵ちゃんはその場で小躍りをする。

 さて、早速イトノコ刑事に聞いてみるか。

 

 「解剖記録に“頭部を殴られた”と記載されていますが、具体的には頭のどの辺りを殴られたのでしょうか?」

 質問を聞いたイトノコ刑事は、一瞬頭の上に疑問符が浮かんだような顔をした。が、すぐに何かを思い出すと、資料が入ったカバンを取り出した。

 「そ、そういえば、監察医の人がどこを殴られたかきちんと話してくれたはずッス!」

 イトノコ刑事は彼の物と思われるコートと同じ色の小さな手帳をページが破れそうな勢いで捲り始めた。

 しばらくして、「あったッス!」と言うと、そのページに書かれている内容を読み上げた。

 「えーっと……被害者が殴られたのは頭頂だと言っていたッス」

 頭頂……要は頭のてっぺんというわけか。これは新しい情報だ。解剖記録に書き加えておこう。

 

 追記 頭頂部に、鉄パイプのようなもので殴られた形跡を発見。一度だけ殴られた模様。

 

 さて、聞きたいことはおおかた聞くことが出来たし、次は情報をまとめることにしよう。

 「真宵ちゃん、今までの情報をまとめたいから、メモを取ってくれるかな?」

 「了解!」

 真宵ちゃんはサッとメモ帳を取り出した。

 「よし、いつでもいいよ!」

 「じゃあ言っていくよ。まず、被害者は鉄パイプで殴られた。次に、殴られた回数は一回。さらに、証拠品の鉄パイプと被害者の頭の傷は一致している。そして、被害者は頭頂部を殴られた」

 「なるほどなるほど……他に書いておくことはある?」

 「そうだね……そうだ、鉄パイプの長さを書いておいて」

 「了解! これで全部?」

 「とりあえずはそうかな」

 「よーしちょっと待ってね」

 真宵ちゃんがは素早くペンを走らせ、一分と掛からずにメモは出来上がった。

 「はい、どうぞ!」

 「ありがとう、真宵ちゃん」

 走り書きで書いた割には、真宵ちゃんの書いた字は丁寧でとても読みやすかった。

 さて、今書いてもらったメモから分かることを考えてみよう。

 

 証言から分かったこと

・被害者は鉄パイプで一度頭を殴られた。

・殴られた回数は一回

・証拠品の鉄パイプと、被害者の頭の傷は一致。

・被害者が殴られた正確な場所は頭頂部。

・鉄パイプの長さは約五十センチ。

 

 「これが分かっている情報か」

 「何か気づいたことはある?」

 真宵ちゃんが尋ねてくる。

 「まだ憶測に過ぎないけれど……鉄パイプの長さと、被害者が殴られた場所、この二つが引っかかるんだよな……」

 「確かに、何か引っかかるよね」

 頭頂部を殴られた被害者……長さ五十センチの鉄パイプ……あと一ピース、あと一ピースあれば……。

 何か手がかりはないかと法廷記録を開く。その時、真っ先に目に入ってきた証拠品があった。

 「現場写真……」

 事件現場が写された写真。なぜかこの写真に目が留まった。

 ……そういえば、控室でこの写真を見た時、ぼくは確かこんなことを考えていたはず。

 かすかに残る記憶をたどる。どこかで……どこかで必ず……。

 その時、頭の中で何かがはまるような感じがした。そうだ、思い出したぞ!

 あの時僕が考えていたこと、それは……

 

 ―身長は、目測だと百八十から百八十五といったところか―

 

 バラバラだった二つのピースを一つの記憶がつなぎとめた。そうだ、被害者は女性にしては身長が高かったんだ!

 控室で写真を見ている時に何気なく思ったこと、それが今になって活きてきた。

 ……そういえば、もう一つ、脳裏にある場面が蘇る。あれも確か、控室で……そうだ、あの時だ!

 落ち込んでいる瑠波さんを真宵ちゃんが慰めている時。あの時何気なく思ったこと、それは……!

 

 ―瑠波さんと真宵ちゃんは身長が同じくらいだからだろうか、二人で並んでいると同級生のように見えた―

 

 そうだ、あの時気付いたはずだ。瑠波さんは、真宵ちゃんと同じくらいの身長だと。

 ぼくの考えが当たっていれば、さっきの三つのピースにこのピースを当てはめることで、全てが解ける!

 「真宵ちゃん!」

 「う、うわぁ! いきなりどうしたの?」

 突然大声を上げたせいか、真宵ちゃんは驚いて飛び上がった。

 「真宵ちゃんって身長何センチだったけ?」

 「私? だいたい百五十センチだけど……それがどうかしたの?」

 「ありがとう。これで何とかなりそうだよ」

 「そ、そう……」

 さあ、ここまで来たらすることはあと一つだ。

 「糸鋸刑事」

 「どうかしたッス?」

 「殴られた被害者のことについて、もう一度証言してください」

 「わ、分かったッス」

 ぼくに言われるがまま、イトノコ刑事は証言する。

 

 「えーっと、被害者は鉄パイプで頭を殴られたッス。殴られた場所を正確に言うと、被告人は被害者に頭頂部を殴った―」

 ムジュンしている証言。それはここだ!

 ぼくは、イトノコ刑事の証言をさえぎるように、人差し指を突きつける。そしてこう叫んだ。

 

 「異議あり!」

 「異議あり!」

 ぼくの声が、静かな法廷中に響く。

 ―さあ、反撃開始だ!

 

 「糸鋸刑事、あなたは今“被告人は被害者の頭頂部を殴った”と証言しました」

 「そ、それがどうかしたッス?」

 「被告人が被害者の頭頂部を殴る……それはどう考えても不可能なのです」

 「ど、どういうことですか?」

 裁判長も驚きを隠しきれないようだ。法廷中の視線がぼくに向けられる。

 「まず、この証拠品を見て下さい」 そう言って、現場写真を取り出す。

 「これは……ただの現場写真ですな」

 「その通りです。今回注目していただきたいのは、そこに移っている被害者の“身長”です」

 「し、身長ッスか……」

 「目測ではありますが、この写真を見る限り被害者の身長は、百八十から百八十五はあるでしょう」

 「確かに。女性にしてはやけに身長が高いですな。しかし、これがどうしたというのですか?」

 「では次に、ある人物に注目していただきます」

 「い、一体誰ッス?」

 「それは被告人、岡瑠波さんです」

 「わ、私ですか?」

 法廷中の視線が、今度は瑠波さんに向けられる。

 「被告人、あなたの身長を教えていただけませんか?」

 「私ですか? えっと……確か百五十センチくらいでしょうか」

 「被告人の身長は百五十センチ。被害者の身長は百八十センチ。その差はおよそ三十センチです」

 「さ、三十センチも……」

 話をずっと黙って聞いていた亜内検事が思わず言葉を漏らした。その顔には、徐々に焦りの色が見え始める。

 ぼくは気合を入れ直すために机を両手で勢いよく叩くと、そのままの勢いで人差し指を突きつける。

 「三十センチもの身長差がある以上、被告人が被害者の頭頂部を殴ることは不可能なのです!」

 「み、見おとしていたッス!」 イトノコ刑事が頭を抱えながら大声を上げる。傍聴席からは少しざわめきが起こった。

 なんとか突破できた。が、油断はできない。検察側から反論が飛び出してくるかもしれないからな……。

 

 「異議ありィ!」

 そう思ったのもつかの間、案の定検察側から異議が唱えらえた。

 「弁護側のただいまの立証……ムジュンがあると私は考えます!」

 「む、ムジュンですか。具体的には?」

 裁判長が聞いた。

 「弁護側は身長差の影響で、被告人が被害者を殴ることが出来ないと主張しました。しかし! 例えば被害者がしゃがんでいたらどうでしょう?」

 「しゃ、しゃがんでいた時?」

 「その通りです。例えどんなに身長差があろうとも、被害者がしゃがんでしまう。もしくは、被告人が被害者よりも高い位置にいたとしたら、身長差などまったくの無意味になるのです!」

 ……痛いところを突かれた。確かに、被害者がしゃがんでしまえば、身長差は関係なくなってしまう。……すぐに考えればわかる話なのに……盲点だった。

 「さらに付け加えると、鉄パイプには被告人の指紋が残っていました。この指紋がある限り、被告人が被害者を殴ったという事実は揺るぎないものとなるのです!」

 うう……完全に逃げ道をふさがれてしまった。せっかく突破できたと思ったのだが……どうやら、振出しに戻ってしまったようだ。

 

 「……どうやら、弁護側からの反論は無いようですな」

 裁判長が、何も言わないぼくを見てそう言った。うう、出来る事ならば反論したい。けれど、何も思い浮かばない。下手に責めない方が今は良いだろう。

 「ふふふ……この反論に手も足も出ないようですな。亜内武文、久々にいっぱい食らわせてやりましたぞ! ふふふ……」

 嬉しそうに、そして皮肉たっぷりに、亜内検事が大きな独り言をつぶやく。

 ……大丈夫、まだどうにかなるはずだ。気持ちを落とさないで行こう。

 

 しばしの間喜びに浸っていた亜内検事だったが、すぐに元に戻ると「それでは、次の証人を呼ばせていただきます」と言った。

 「え! 自分の出番、もう終わりッスか?」

 「はい、下がってもらって結構です」

 「そ、そんな。昨日あれだけ練習した意味がなくなるッスよ……」

 肩をガックリと落し、イトノコ刑事は法廷を後にした。……お気の毒に。

 「それで、次の証人は誰ですかな?」

 裁判長が聞く。

 「今回の事件の通報者兼、遺体の第一発見者です」

 「なるほど」

 第一発見者……確か警備員さんだったよな。恐らく、この裁判の山となるのはこの証人だ。より一層気を引き締めよう。

 「では、証人の管椎名さんを入廷させてください」

 

 亜内検事がそう言った直後、法廷の扉が大きな音をたてて開いた。後ろの方に座っていた傍聴人たちが驚く様子が見える。

 入ってきたのは大柄な男だった。身長は百八十代ぐらいだろうか。年齢は二十代後半くらいで、アスリートのような顔つきをしている、やや暑苦しそうな雰囲気の男性だ。

 体つきが良いせいか、警備服のボタンが今にもはじけ飛びそうになっている。頭には、紺色の警備員用の帽子をかぶっている。

 ……なぜだろう。この帽子、何かが足りないような気がするけど……まあ、気のせいか。

 証言台に男が立つと、「証人、名前と職業を」と亜内検事が身分確認を行う。名前を聞かれた証人は「ハッ!」と大きな声で言いながら敬礼した。……なんだか軍人さんみたいな人だな。

 「自分は、管椎名(かん しいな)と申します!」 敬礼したまま自己紹介をする。

 「職業は……そう、東深見高校でアルバイトの警備員を務めさせていただいております!

 一瞬、管さんは言葉を詰まらせたが、すぐに職業を答えた。

 「椎名、ですか。少し女性っぽい名前ですな」

 裁判長が言った。

 「ハッ! よく言われます!」 敬礼をして答える。

 「それにしても、ずいぶんと板についた敬礼ですね。警備員歴はどのくらいになるのでしょう?」

 完全に興味本位だろう。裁判長が聞いた。

 「ハッ! 実を申しますと、自分つい昨日警備員として着任したばかりなのであります! そのせいで、まだ警備会社の名簿に名前すら載っていないのであります!」

 「そ、そうなのですか……」

 何かを期待していたのだろうか、裁判長はやや落胆したような雰囲気になった。別に、そんなことどうでもいいと思うんだけどな……

 しかし、あの敬礼毎回するのか? 見ていて疲れるんだけど……。

 身分確認を得た亜内検事は、「証人は事件当日被害者の遺体を校舎裏で目撃した……間違いないですね?」と確認する。

 「ハッ! この目でしっかりと!」

 「では、その時のことについて証言をお願いします」

 「了解いたしました!」

 亜内検事に促され、証言が始まった。

 「あの日私は、警備をしていました! 校舎の周りを見回っていた時、誰かが校舎裏で倒れているのを見つけたのです! 離れた場所から声をかけてみましたが、返事は返って来ませんでした! 怪しいと思ってよく見てみたら、頭に殴られた跡があったのです! それを見て怖くなってしまって……慌ててその場から離れて、警察と救急を呼んだのであります!」

 

 「証人、ありがとうございました」 亜内検事が言った。

 「ハッ! わたしに出来ることがあれば何でも!」

 「では弁護人、尋問をお願いします」

 「分かりました」

 早速尋問に入った。

 

 さて、最初に聞いておくべきことは……倒れていた被害者の様子だな。もしかしたら、管さんしか知らない情報が有るかもしれない。

 「倒れていた被害者の様子はどうでしたか?」

 「ハッ! ぐったりとした状態で倒れていました! 今思えば、少し血のような臭いがしたような気もしなくもないです!」

 ……血の臭いがしたのか、していないのか、はっきりさせてくれ……。

 「私はすぐに倒れている人を介抱しようとしました! しかし、その時私の頭の中にある一つの可能性が浮かんだのです!」

 可能性か。興味を引かれる響きだな。もう少し掘り下げてみることにしよう。

 「その可能性とは一体?」

 「ハッ! わたしは倒れている人を見た時、こう思ったのです! “実はこの人……倒れているふりをした不審者なのでは?”と!」

 ……へ?

 「倒れているふりをして油断を誘い、その隙を狙う不届き物ではないかと、私の警備員としての勘が働いたのです!」

 ……聞くだけ時間の無駄だったな。

 

 さて、気を取り直して次の質問を考えよう。次に聞くことは……被害者の頭の傷のことにしよう。見間違いをしているかもしれないからな。

 「被害者の頭に傷があった。間違いないですね?」

 「ハッ! 確かにこの両の眼で見ました。もう、それは、穴が開くほどに!」

 大げさだな……。

 「ちなみに、傷はどんな感じでしたか?」

 念のために聞いておこう。この話、何か引っかかる気もするし。

 「ハッ! 頭頂部に一発何かで殴られたような跡を発見いたしました!」

 間違いない。解剖記録通りの証言だ。……だけど、なにかが引っかかる。彼は解剖記録通りの証言をしているのに。この違和感、覚えておいた方がよさそうだな。

 

 「調子はどう? なるほどくん」

 真宵ちゃんが話しかけてきた。

 「証言自体は単純だから、あまり聞くことは無かったかな」

 「そっか。じゃあ、そろそろ情報をまとめる?」

 「いや、今回はすでに違和感がある部分があるから大丈夫。ありがと」

 「分かった! 何かあったら声をかけてね。私はなるほどくんの助手だから!」

 真宵ちゃんはメモをしまうとニカッ、と笑った。

 

 さて、ここからは証拠品と証言を照らし合わせる時間だ。

 今回の証言で違和感があったのは、管さんが傷を目撃したと話した部分だ。

 たしかに彼の証言は間違っていない。遺体の頭頂部に小さな傷が一つ。証拠品とムジュンしている点は何一つない。なのに……一体何なんだ、この違和感は。

 違和感の正体を探る。

 

 ……そもそも管さんは、頭の傷を見ることが出来たのだろうか?管さんは頭頂部にある傷を見たと証言している。それ自体がおかしいのではないか?

 ぼくは、法廷記録を開き中から現場写真を取り出す。

 この写真は遺体にかなり近い位置から撮影されている。しかし、被害者の頭をいくら見ても血が垂れていることしか分からず、傷を見つけることが出来ない。

 頭から垂れた血を見て傷がある、と証言したのかもしれない。しかし、仮にそうだとしても、傷が一つしかなかったということがそう簡単に分かるのだろうか? 現にこの写真を控室で見た時、ぼくは傷を見つけることが出来なかった。

 がんじがらめになった違和感の鎖が、徐々にほどけていく。……そういえば、尋問中には触れなかったけど、よくよく考えると彼はおかしなことを口走っている。

 管さんが言ったおかしなこと、それは……。

 

 ―離れた場所から声をかけてみましたが、返事は返って来ませんでした―

 

 そうだ、管さんは離れた場所から被害者に声をかけたと主張している。つまり、遺体には“近づいていない”ということだ。こんなに近くで撮られた写真でさえ傷が見えないのに、離れた場所から傷を見たという証言はおかしい!

 ……どうやら見つけたようだ。違和感の正体を。がんじがらめになった違和感の鎖は完全に外れた。

 

 ―管さんはウソの証言をしている!

 

 よし、これで何とかなりそうだ。

 「証人。被害者を見つけた時のあなた自身の行動について、もう一度話していただけませんか?」

 「了解しました!」

 

 「私が見回りをしていると、人が倒れていました! 怪しい人物だと思い離れた場所から声をかけてみましたが、返事はありませんでした! おかしいと思ってその場から目を凝らしてみてみると、頭に傷があるではないですか!」

 ムジュンがあるのはここだ!

 

 「異議あり!」

 ぼくは管さんの言葉をかき消さんばかりの大声で、異議を申し立てた。

 「被害者の頭に傷があるのを離れた場所から目撃した……その証言は、明らかにムジュンしています!」

 「わ、私の証言にムジュンですって!」

 「現場写真に写っている被害者の頭の傷に注目してください!」

 裁判長と亜内検事が現場写真を取り出し確認する。

 「ふむ……注目してください、と言われましても……私にはなにも見えません」

 「そのとおりです。被害者の頭の傷は彼女自身の髪によって隠れており、遺体のすぐそばで撮影された写真でも、その傷を確認することが出来ません。さて、ここから浮かび上がる疑問が一つあります」

 「何ですかな?」

 裁判長が聞いた。

 「近くで撮影された写真ですら頭の傷を確認できないのに、肉眼で、それも離れた場所から傷を確認することが出来たのでしょうか?」

 「あ!」

 亜内検事が思わず声を上げる。

 「た、確かに不自然です」

 裁判長が目を丸くする。

 「証人、本当に傷を目撃したのですか?」

 裁判長が強めの口調で管さんに聞く。

 「そ、そそそ、それは……」

 明らかに動揺した態度をとる管さん。かなり怪しい。

 「……答えられないのであれば構いません。あなたには黙秘権があります」

 裁判長が疑いのまなざしで管さんを見つめながら言う。

 管さんは、先程までの元気な様子が完全に失せてしまい、膝をふるわせて動揺している。

 ぼくは机を両手で叩く。管さんがその音に驚いて身を跳ね上げた。

 「確かにあなたが証言した内容は証拠品とムジュンしていません。事実、被害者は頭頂部を一発殴られています。しかし、あなたがそれを目撃することはほぼ不可能だったはずです」

 彼の体の震えが徐々に大きくなっていく。そんなことは気にせず、ぼくは話を続ける。

 「では、なぜあなたがこんなに正確な証言をすることが出来たのか。考えられる可能性は一つしかありません」

 もう一度机を両手で叩き、証人席に人差し指をつきつける。

 「証人、あなたが被害者を殴った。そう考えれば正確な証言の謎も解けるのです!」

 「な、なんですってぇ!」 亜内検事が大声を上げる。

 それと同時に、傍聴席が一気に騒がしくなる。裁判長はすぐに木槌を慣らし、静かにするように促す。

 「静粛に! 私語を慎んでください! 従わないものには退廷を命じますよ!」 騒ぎはすぐには収まらなかった。

 

 数分ほど経ち、法廷に静けさが戻ったことを確認したぼくは、話を続ける。

 「先ほど裁判長が仰っていたように、あなたには黙秘権があります。あなたに取って話すことが不利であるのならば黙っていても構いません。……しかし、あなたが沈黙を貫き通す以上、ぼく達はあなたを疑いのまなざしで見続けます。それでもいいのなら黙秘してくださって結構です」

 あとは彼次第。なにが飛び出てこようと、ドンと構えておこう。

 

 しばらく、何も言わないで頑なに口を閉ざしていた管さん。やがて、ため息を一つ吐くと、ゆっくりと口を開いた。

 「……お見それいたしました。弁護士さん」

 先ほどまでのはきはきとした声とは対照的な声色で管さんが話し始めた。その声色からは、ぼくに対する苛立ちの感情が混じっているように思えた。

 「確かに、私が離れた場所から傷を目撃することは不可能かもしれません」 管さんは帽子をかぶり直し、続ける。

 「しかし、私が被害者の頭に傷があると知っているのには、きちんとした理由があるのです」

 「そ、その理由とは?」

 裁判長が聞く。

 「……目撃したんですよ。鉄パイプを持って、工事現場の足場から屋上に逃げて行く女子生徒を」

 ……! それってまさか!

 「そう、私は目撃したのです。被告席の女の子が鉄パイプを持っている姿を!」

 「な、なんだって!」

 傍聴席が再び騒がしくなる。裁判長は木槌を何度もならして静かにするように伝える。

 「どうやら、その記憶が混ざって傷を見たと証言してしまったようです。ご迷惑をおかけいたしました!」

 ぼくの動揺する姿を見たせいか、管さんは先ほどまでの元気を取り戻していた。

 「証人、それは本当なんですね?」

 裁判長が管さんに聞く。

 「ええ、もちろんですとも!」 お得意の敬礼ポーズをとる。

 「よければ、証言いたしましょう。そうすれば、私の信頼も回復して一石二鳥です!」

 「ふむ……それもそうですね」

 裁判長は木槌を振り下ろして、カン、と音を響かせた。

 「では、その時のことについて証言してください!」

 「了解いたしました!」

 すっかり調子を取り戻した管さんは、敬礼をして証言を始めた。

 

 「あれは被害者の方を発見する少し前のことでした! 工事現場の周辺を見張っていると、幕の内側に女の子の姿が見えました! 女の子をよく見てみると、なんと鉄パイプを持っているではありませんか! 彼女はそのまま工事現場の足場を使って屋上に上がって行ったのです!」

 

 「……状況は分かりました」

 証言を聞いた裁判長はしかめっ面をした。まだ管さんへの疑念は完全には晴れていないようだ。

 もしもこの証言が事実なら管さんの発言の裏付けだけでなく、瑠波さんへの疑いがさらに強くなる恐れがある。今回の尋問、気が抜けそうにない。

 「では弁護人、尋問をお願いします」

 「分かりました」

 尋問を開始した。

 

 さて、最初に聞いておくべきことは……瑠波さんを見つけた時間だな。前後関係を明らかにしておいた方が有利になるかもしれない。

 

 「被告人を目撃したのはいつのことですか?」

 「ハッ! 被害者を目撃する五分ほど前だったと思います! 物音が聞こえたので見回りのついでに見に行ったときに発見しました!」

 瑠波さんを見かけたのは被害者の発見の五分前、か。覚えておこう。

 さて、次の質問は……瑠波さんの様子について聞いてみよう。綻びがあるかもしれない。

 

 「その時の被告人の様子はどうでしたか?」

 「ものすごく慌てていました! 鉄パイプを片手にものすごい勢いで足場を駆け上がっていました! ええ、それはもう! 勢いが良すぎて転びそうなほどに!」

 瑠波さんがあわてて足場を駆け上がった、か。もっともらしい話だけど、何か違和感が……。

 

 ……今得られる情報はこれくらいかな。よし、証言と証拠品を照らし合わせてみよう。

 まず、今回の証言で重要になって来るのは、当然瑠波さんだ。管さんは、工事現場の足場を登って行く瑠波さんを見たと証言している。きっとここにムジュンがあるはずだ。

 法廷記録を開き、イトノコ刑事が提出した工事現場の写真を取りだした。きっと、この写真が謎を解くヒントになるはず。良く調べてみよう。

 ぼくは写真をくまなく調べてみた。工事現場の足場、それを覆うようにして掛けられた幕、その他諸々……しかし、何も思い浮かばなかった。

 ……どうしよう、こういう時に限ってなにも出てこない。ムジュンがあるのは明らかなのに……。

 

 「大丈夫? 写真を見たっきり黙りこんじゃっているけど……」 見かねた真宵ちゃんが話しかけてきた。

 「いや、ムジュンを解くカギがこの写真にあると思うんだけど、どうにも思いつかなくて」

 「そっか……私にも見せてくれる?」

 真宵ちゃんに写真を渡す。彼女は写真をじっと見つめ、一瞬顔をしかめた後すぐに写真を返してきた。

 

 「え、もういいの?」

 「うん。よく見たらすぐわかったよ」

 真宵ちゃんはそう言って、写真のある部分を指さした。

 「ほら、この幕。良くみてみて。中が見えないようになっているでしょう?」

 ……本当だ。よく見てみると、工事現場に張られている幕は内側が見えないようになっていた。

 「さっき管さんは“工事現場の足場を登っている瑠波さんを見た”って言ってたでしょう? でも実際は工事現場の幕のせいで、足場の様子は見られなかったんだよ。これって、ムジュンだよね?」

 「きっとそれだ。ありがとう真宵ちゃん」

 彼女のおかげでムジュンが解けた。一気に反撃するぞ!

 「証人。被告人を見つけた時のことを、もう一度話していただけますか?」

 「ハッ! あれは被害者の方を発見する少し前のことでした! 工事現場の周辺を見回っていると、幕の内側に女の子の姿が見えました!」

 ムジュンしているのはここだ!

 

 「異議あり!」

 叫んだ僕はそのまま説明に入る。

 「工事現場の幕の内側に被告人の姿を見た……そんなことは絶対にありえない!」

 「どういうことですかな?」

 裁判長が言った。

 「糸鋸刑事が提出した写真を見て下さい」

 裁判長が写真を取りだす。

 「この写真は工事現場を写したものです。では、この写真の幕の部分に注目してください」

 「幕……と言いますと、この足場のところにかかっている布のことですか? しかしこれが……あ!」

 「お気付きになられたようですね。……証人、あなたは“幕の内側に被告人の姿を見た”と証言しました。しかし! 実際には幕は向こう側が見えないようになっていたのです。これでは、幕の向こう側に誰かがいても分かるはずがないのです!」

 ぼくの言葉に管さんは焦りの表情を見せる。

 「しかし、あなたははっきりと“足場を登る被告人を見た”と証言している。これは明らかなムジュンです!」

 管さんに人差し指を勢いよくつきつけてやる。すると彼は“ヒィ!”と小さな悲鳴を上げた。

 

 ……攻め込むなら今がチャンスのはずだ。危険な賭けになる可能性もあるが……引いてもダメなら押してみるしかない。

 成歩堂龍一、推して参る!

 「……度重なる証言の偽証。極めて怪しいと言わざるを得ません。さらに、あなたは本来犯人しか知れないハズの被害者の頭の傷のことについてしっかりと証言しています」

 机を両手で、強めに叩いて言葉を続ける。

 「以上のことから、弁護側は告発します。管椎名さん、あなたをこの事件の真犯人として!」

 「な、何ですと!」

 裁判長を含めた法廷中の人間から一斉にどよめきが上がる。管さんは怒っているのか、証言台に拳を打ち付けた。

 

 「ふ、ふざけるな……」

 管さんは憎しみの表情をあらわにしている。入廷してきたときの快活さはもうどこにも無かった。

 「ふざけるな!」 管さんが苛立って帽子を床に打ち付けた。

 「なんでそんなことぐらいで俺が犯人にされなくちゃならないんだ! でたらめも大概にしろ!」 息を荒くし、証言台を何度もたたく。

 「大体! 俺が犯人だと決めつけるのはまだ早い!」

 「どういう事でしょう?」

 「さっきの話を聞く限りでは、あんたは“俺が被害者を殴った”と考えたうえで俺を告発したんだろう?」

 「その通りです。被害者を殴った人物。すなわち犯人のことになるかと」

 「甘い! あんたの推理には欠けている点がある!」

 「な、なんでしょう?」

 

 「いいか。被害者は頭を殴られただけでなく、屋上から突き落とされている。屋上に行くには校舎の中に入らないといけないようになっている。だが、俺は事件のあった日一度も校舎には入っていない!」

 先ほどとは打って変わった乱暴な口調で証人席から怒号が飛ぶ。

 「異議あり!」

 その発言に対して異議を挟んだ。管さんの今の発言には裏付けとなる証拠がない。そこを攻め込めば抑えられるはずだ!

 「では証人。あなたが校舎に一度も入っていないという証拠はあるんですか?」

 「あるさ」

 

 ……え? 予想外の返答に思わずのけぞりそうになる。い、一体どういう事だ?

 「東深見高校には、校舎には居る事の出来るすべての出入り口に監視カメラが設置されている。その監視カメラの映像を調べれば、俺が校舎に入っていないと分かるはずだ」

 そう言って、管さんは亜内検事の方を向いた。

 「おい、オッサン。あんた検事なんだろう? 警察に監視カメラの映像を調べるように伝えろ! それで万事解決だ!」

 荒々しい態度で亜内検事に詰め寄る管さん。とてもものを頼むような態度ではない。

 押しに弱い亜内検事は慌てて警察に映像を確認するように依頼した。

 

 数分後、警察からの返答があった。全てのカメラをチェックしたそうだが、管さんが校舎に入って行く様子は映っていなかったそうだ。また、校舎周辺の見回りをしている管さん以外の人物の姿は見受けられなかったそうだ。

 「どうだ、俺の言った通りだ。これで証明されたよな? 俺は一度も校舎に入っていない。つまり、被害者を殺すことは俺にはできないのさ!」

 「くっ……」

 法廷中のぼくに向けられる視線が痛い。傍聴席からはぼくを非難するような声も聞こえる。

 (確実な証拠もないのに、告発ってどうかしているよな……) (証人の人がかわいそうよね……)

 ま、まずい。周りのぼくに対する心証が悪くなってきている。この状況は危険だぞ……。

 

 裁判というものは、周りからの心証も重要になってくる。傍聴人たちのぼくに対する印象が悪くなってしまうと、判決を下す裁判長も少なからずそれに影響されてしまう。

 裁判長のぼくへの心証が悪くなると、尋問などを打ち切られてしまうこともあり、最悪の場合審理が終わってしまうこともある。

 つまり、今この状況は弁護側にとってはかなり厳しい状況なのだ。どうにかして心証を回復しなければ、あとに響いてしまう!

 「どうだ、反論できないんだろう? やっぱりお前の推理は外れていたんだ!」

 どうする……ここで何か言い返さないと、こちらが不利なままだ。考えるんだ……監視カメラに見つかることなく、校舎内に侵入することが出来るルートを!

 ぼくは法廷記録から東深見高校の見取り図を取り出した。見取り図には学校の敷地内にあるものが書かれている。また、監視カメラの設置されている場所も書き込まれていた。

 ……これを参考に監視カメラに見つからないで移動できるルートを探すんだ!

 

 

 ―見取り図とにらめっこすること数分。ぼくはある場所を見つけた。

 監視カメラに見つからないようなルートを探してたどり着いた先に“食品輸送用エレベーター”と書かれていた。

 エレベーターは、裏門のすぐそばに位置しその周辺には監視カメラは無い。どうやら、このエレベーターは学食用に配達された食品を校舎内に運び込むために使われているようだ。小学校にあった牛乳用のエレベーターみたいなものだろう。エレベーターが行きつく先をたどってみると、校舎内にある調理室にも同じ名前の設備があった。つまり、このエレベーターの終着地点は校舎内ということになる。管さんはこの設備を使って校舎内に侵入したのかもしれない。……掛けてみる可能性はある。

 「どうした? 本当に何も言えなくなったか?」捲し立てる口調で管さんが煽ってくる。

 

 「異議あり! 残念ですが証人。一か所だけ……一か所だけ校舎内に侵入することが出来る抜け穴が存在したのです!」

 「な、なんだと……?」

 「東深見高校の見取り図をご覧ください。先ほど証人は“校舎に入るための入り口全てに監視カメラが設置されている”と話していました」

 「そうだ。監視カメラに映らずにはいることが出来る場所なんて存在しない!」

 「ところが、この見取り図にもう一か所、侵入できる場所が書かれています。見取り図の左上の方に“食品輸送用エレベーター“と書かれた場所があるはずです!」

 裁判長と亜内検事が見取り図をくまなく調べる。

 「……ありました。たしかにそのような設備があるようですな」

 「このエレベーターは校舎内にある調理室に繋がっています。このエレベーターならば監視カメラに映ることなく、校舎に入ることが出来たのです!」

 「なんだとぉ!」 管さんが後ろにのけぞる。よし、これで何とか……。

 「異議あり!」証人席から異議が飛んだ。

 「なら、俺がそのエレベーターを使ったことを示す誰もが納得する証拠を出せ!」

 まだ食い下がるつもりなのか。……ここは、決定的な証拠を突きつけてやるべきだな。

 

 「分かりました。提出させていただきます」

 管さんは、証拠品を提出できないと思っていたのか、ぼくの返答に対してやや狼狽したような表情を見せた。

 裁判長が木槌を鳴らした。

 「では、弁護側に証拠の提出を求めます。この証人がエレベータを使ったことを示す証拠品を!」

 突きつけるべき証拠品。それは……これだ!

 

つきつけるべき証拠品。それは……これだ!

ぼくは、弁護席を離れると、証拠品が置かれているテーブルの上から、一つの証拠品を取り上げた。

 「これが、その証拠品です!」

 証拠品を管さんの鼻先につきつける。

 それを見た彼の顔が引きつる。どうやら気づいたようだ。

 

 最初にこれが提出された時はなんとも思っていなかった、正体不明の謎の証拠品。コイツはきっと、この時のために、ここに存在したのだろう。

 ぼくが突きつけたのは、冒頭陳述の時に亜内検事が提出した証拠品の一つ。“謎の紋章”だ。

 「この証拠品は裏門の近くに落ちていたそうです。この謎の紋章……管さん、あなたはこれに見覚えがあるはずです!」

 「ぐっ……!」

 管さんは突きつけられた紋章に怯んで帽子を握りしめた。

 

 「……人という生き物は正直です。無意識のうちに、自分の弱点を守りたがります。そう、今あなたが握りしめている帽子。それこそがあなたの弱点です!」

 「ど、どういう事ですか?」

 裁判長が尋ねてくる。

 「管さん、その帽子を貸してください」

 「そ、それは……」

 管さんは帽子を手渡すことを渋る。

 その様子を見かねた裁判長が木槌を慣らし、「証人、帽子を弁護人に渡すように」と言ってくれた。

 

 管さんは仕方なくぼくに帽子を差し出す。

 乱暴に差し出された帽子を受け取ると、ぼくはその帽子を裁判長のほうへ掲げた。

 「裁判長、この帽子を見て、何か違和感を覚えませんか?」

 「ふむ……よく見ると、帽子の真ん中の辺りがなんだか寂しいような気がしますね」

 裁判長が目を細め、帽子を凝視しながら答る。

 「そのとおりです。この帽子の真ん中には、何かをはめられるようなくぼみがあります。

さて、このくぼみに、これをはめ込むとどうなるでしょう?」

 ぼくは白手袋を着け、ビニール袋の中から紋章を取出し、帽子のくぼみに近づけた。

 すると、紋章は帽子のくぼみにぴったりとはまった。それを確認したぼくは、もう一度帽子を掲げる。

 「ご覧のとおり、この紋章は帽子にぴったりとはまりました!」

 「ぐぐぐ……」

 管さんが、苦渋の表情を浮かべる。

 「このことから、この紋章は、帽子の部品だったことが分かりました」

 ぼくはそういうと、帽子を管さんに返して、弁護席に戻る。

 

 「先ほど言った通り、この紋章は学校の裏門から発見されました。それを踏まえた上で、学校の見取り図を見てください。この紋章は裏門に落ちていました。そして、この裏門から少し離れた場所に、食品輸送用エレベーターがあります」

 「た、確かにそうです」

 裁判長が言う。

 「そして、食品輸送用エレベーターに行くためのルートは一つしか存在しません。その道の途中に裏門があるのです。ここまで言えば、もうお分かりですね?」

 「証人がエレベーターに向かった時に、この紋章が落ちたということですか…?」

 ずっと黙っていた亜内検事が口を開いた。

 「その通りです」

 ぼくは、両手で、机を勢いよく叩く。

 「この紋章こそが、管椎名さん。あなたがエレベーターに向かったことを示す、何よりの証拠品なのです!」

 「ぐはぁっ!」

 まるで、ナイフで刺されたかのような声を上げ、管さんが後ろに思いっきりのけ反る。

 

 傍聴席からどよめきが聞こえる。

 (すげーよ、あの弁護士!ピンチだったのに、一気に反撃しやがった!)

 (やっぱり、あの人が犯人なのかしら?)

 傍聴人たちの話を聞く限りでは、こちらの心証は回復したようだ。良かった、何とか態勢を整えることが出来た。

 

 「違う、俺は犯人ではない!」

 管さんはまた証言台に拳を打ち付けると、荒々しく反論する。

 (あの人、まだ抵抗するつもりなの?)

 (さっさと罪を認めちゃえばいいのに……)

 傍聴席から、管さんに対する非難の声が上がる。

 「うるさいぞ、おまえら! 寄ってたかって人を犯人呼ばわりしやがって!」

 管さんは、今にも傍聴人たちに跳びかかりそうな勢いで怒鳴る。その声に圧倒されたのか、傍聴人たちが一斉に静まった。

 「最初からそうやって黙っておけ!」

 管さんは、首元のネクタイを緩める。

 「……まだ食い下がるつもりですか?」

 「当たり前だ! お前の推理は、まだ完璧とは言えない!」

 証言台を荒々しく叩き、管さんは続ける。

 

 「二つだ。お前の推理には、欠けている点が二つ残っている。一つは、俺の犯行への動機。そしてもう一つは、“指紋”だ!」

 「し、指紋ですか…?」

 「ああ、被害者を殴った鉄パイプに、ベッタリと付いた、そこの女の指紋のことだ!」

 管さんが、被告人席の瑠波さんの方を指さす。

 

  そうだ。いくら彼が怪しく見えても、瑠波さんに不利な事実を潰していかないといけないんだ…管さんを追い詰めることばかり考えて、盲目的になってしまっていた。

 「どうですかな、弁護人。今現在解き明かされていない、二つの事実。あなたに答えられますか?」

 裁判長が、少し心配した眼差しでぼくを見ながら、問い掛けてきた。

 ……ここが、本当の正念場。管さんが提示してきた、解明されていない二つの事実。これを解かなければ、瑠波さんの無罪に繋がらない。

 「どうせ立証できるわけがない、聞くだけ無駄だ!」

 ネクタイを緩めて、だらしない格好になった管さんが、吐き捨てるように言った。

 

 ……“立証なんてできない?” そんなことは問題じゃない。“立証する”それしかないじゃないか。

  ―それがぼくのやり方なのだから!

 「いつまでたっても答えはなし、か。その沈黙がお前の返答ということだな!」

 「異議あり!」

 精一杯の“異議あり”をぶつける。

 「ぼくが、立証できない。……それは違います」

 ぼくは机を、目いっぱい叩いた。

 「……立証してみせましょう。一つも欠けていない、完璧な立証を!」

 法廷中が一気にざわつく。

 「上等だ、聞かせてもらおう。お前の立証とやらを!」

 管さんが、見下すような声で言う。

 きっとぼくが立証できるわけがないと思っているんだ。思い通りにはさせない。立証してやるんだ。なにがなんでも!

 

 よし、早速、情報の整理に入ろう。

 「真宵ちゃん!」

 再び、真宵ちゃんに協力を仰ぐ。

 「はい、出番だね!」

 真宵ちゃんは、メモ帳を取り出した。

 「それで、何についてまとめるの?」

 「今回は、鉄パイプの情報についてまとめて欲しいんだ」

 「了解! じゃあ、情報を言って、メモするから」

 「えーっと……鉄パイプには、被害者の血液と、瑠波さんの指紋だけが付着していた」

 「はいはい」

 「鉄パイプの先は、殴られた衝撃で曲がっている」

 「ほうほう」

 「曲がっていない方には、四角いでっぱりがあって、他の鉄パイプをつなぎ合わせられるようになっている」

 「ふむふむ」

 「鉄パイプは、工事現場から、持ちだされた可能性がある」

 「なるほどなるほど。これで全部かな?」

 真宵ちゃんの問いに、ぼくは頷く。

 「オッケー。少しだけ待ってね」

 真宵ちゃんは、すらすらと情報をメモに書き、書き終わったものを破って、ぼくに差し出した。

 

 鉄パイプに関する情報

 ・鉄パイプには、被害者の血液と、瑠波さんの指紋のみが付着。

 ・鉄パイプの先は、殴られた衝撃で曲がっている。

 ・曲がっていない方には、鉄パイプをつなぎ合わせられそうな四角いでっぱりがある。

 ・鉄パイプは、工事現場から持ちだされた可能性がある。

 

 ……これが今、分かっている情報か。

 「どう? 何か分かりそう?」

 「そうだね……最初と最後の情報、この二つがどうにも引っ掛かるな」

 「最初と最後ってことは……指紋の情報と、工事現場から持ちだされたってところ?」

 「そうなんだ……あと少しで出てきそうなんだけど……」

 「うーん。私も考えてみるね」

 「ありがとう」

 さて、どうしたものか……瑠波さんの指紋に工事現場から持ちだされた鉄パイプ……。

 

 ……まてよ“工事現場”?

 工事現場……そこでは、多くの人が働いているはずだ。当然、資材である鉄パイプにも触れるはず……。

 頭の中でひらめきのスイッチが、カチリと音を立てる。

 そうだ、この鉄パイプは工事現場から持ちだされた物なんだ。なのに付着している指紋は瑠波さんの物のみ……。

 これは、ムジュンになるんじゃないか。

 ムジュン……すなわち、指紋の謎を解くための答え。これでこの謎は解けたはず。

 よし、一気に攻め込むぞ!

 

 ぼくは、咳払いをすると、説明を始めた。

 「では、最初に、鉄パイプの指紋についてお話ししましょう」

 一息おいて続ける。

 「この鉄パイプは、工事現場から持ちだされたものだと推察されています。またこの鉄パイプには被告人の指紋のみが付着しています」

 「それは、鉄パイプに関する記録にも書かれていましたな」

 裁判長が頷く。

 「ここで、一つ疑問が生じます。なぜ、この鉄パイプには被告人の指紋しか付着していないのでしょう?」

 「被告人が殴ったんだから、そいつの指紋だけが残っている。至極簡単な話だ」

 「ところが、そうもいかないのです。この鉄パイプは、工事現場から持ちだされたと、たった今話したはずです」

 ぼくは裁判長の方を向くと、再び口を開いた。

 「裁判長。工事現場と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?」

 裁判長は腕を組み考える。

 「そうですね……人がたくさん働いているイメージがあります」

 「そのとおりです。工事現場では、多くの人たちが働いています」

 そう言うとぼくは、テーブルの前に移動し、鉄パイプを手に取って、掲げた。

 「この鉄パイプは、恐らく資材として使われていたのでしょう」

 ぼくは鉄パイプを机の上に置き直し、口を開く。

 「多くの人が働く工事現場、資材として使われていた鉄パイプ。ここまで言えばもうお分かりでしょう」

 ぼくは、机を叩く。

 「多くの人が触れているはずの鉄パイプに、被告人の指紋しか付着していない。これは、明らかなムジュンです!」

 

 「異議あり!」

 管さんが異議を唱える。

 「ちょっと待ちな。確かに、あんたの推理はスジが通っている。だが、その鉄パイプが工事現場から持ってこられたかどうかまでは分かっていないよな?」

 「確かにその通りですな。鉄パイプが、工事現場の物だったというのは、弁護人の憶測に過ぎません。これでは推理は成立しませんな」

 裁判長が管さんの意見に頷きながらそう言う。

 「待った! では、証明してみせましょう。この鉄パイプが、工事現場の資材から持ちだされたという証拠を!」

 その声を聞いた裁判長が、木槌を鳴らす。

 「では、弁護側に問います。この鉄パイプが工事現場から持ちだされたことが分かる証拠を提出してください!」

 

 「その証拠品は、糸鋸刑事が提出した写真です!」

 ぼくは、屋上から撮られた写真を突きつけた。

 「この写真は、屋上から撮られた足場の写真です。何本もの鉄パイプで足場が組まれていることが分かります。では、この写真の真ん中あたりに注目してください」

 「……一か所だけ、抜けている部分がありますな」

 「そのとおりです。この鉄パイプは、その抜けているところから取られたものだと、弁護側は主張します!」

 ぼくはそういうと、亜内検事の方を向く。

 「亜内検事、現場に警察関係者はいますか?」

 ぼくの問いかけに亜内検事は、力の抜けた声で「はい、現場に数人ほど……」と言った。

 裁判長が木槌を打ち鳴らした。

 「係官、この鉄パイプを現場に! すぐに調べて来てください!」

 裁判長に促され係官さんは、鉄パイプを手に取ると、慌ただしく法廷を後にした。

 法廷から東深見高校までは、十分もかからない。すぐに結果が返ってくるはずだ。

 

 ―数十分後

 法廷の扉が開き鉄パイプを持っていた係官とは別の人が、裁判長の元に現れた。

 「どうやら、結果が出たようです」

 裁判長は係官さんから、結果が書かれた紙を手渡された。

 「調査の結果……鉄パイプは、抜けていた場所に、ピッタリとはまったそうです!」

 「なあ!」

 管さんが絶叫する。

 「これで証明されました。鉄パイプはやはり工事現場から取られたものだったのです。このことからこの鉄パイプには、被告人以外の第三者も触れていたことが分かります。しかし、鉄パイプには被告人の指紋しか付着していなかった。これは大きなムジュンです!」

 

 「待った!」

 管さんが、負けじと反論する。

 「その鉄パイプが工事現場の物だったことは認める。だが、被告人の指紋が鉄パイプについていることには変わりない。その前提が残っている以上、俺が犯人だとは言い切れないはずだ!」

 いや、違う。今分かったことを踏まえて考えると、鉄パイプに瑠波さんの指紋だけが付いているのはおかしい!

 

 「それは違います。鉄パイプが、工事現場から持ちだされたと分かった以上、被告人の指紋のみが鉄パイプについているのはおかしいのです。なぜ被告人の指紋のみが付着していたか、その理由は一つです。被告人が鉄パイプに触れるよりも前に、鉄パイプの指紋を拭ったからです。被告人が鉄パイプに触れるよりも前、つまり真犯人は犯行後に鉄パイプの指紋を拭いました。この時に、工事現場の人たちの指紋も一緒に拭われたのです。その後、被告人が鉄パイプに触ることによって、被告人の指紋のみが鉄パイプに付着したのです!」

 管さんが顔をしかめた。

 

 「まだだ、まだ甘い!」

 が、負けじと食い下がってくる。

 「お前の言い分はわかった。でも待て、現場は工事現場だったんだぞ?

工事現場にいる人間なら、怪我をしないように手袋をつけるはずだ。これなら指紋はつかないはずだ!」

 菅さんは、証言台を叩きながら叫ぶ。

 「しかし工事現場にいた人間が手袋をつけていたという証拠はどこにもない!」

 「ぐうう……!」

 法廷が少しざわめく。すると裁判長が木槌を鳴らし、それを制止する。

 「静粛に! ……ここで私の考えを述べます。確かに証人の言う通り工事現場で働いている人は安全上の観点から手袋を身に着けていたでしょう。しかし、それだから鉄パイプに工事現場の人の指紋がついていなかったと言われると……私としては少し疑問が残ります。鉄パイプが製造された工場から工事現場に運び込まれ、凶器として使われるまでの間に誰一人素手でその鉄パイプを触っていなかったというのは、私には考えられません。……双方の主張にそれを裏付ける証拠品がないので絶対にこうだと断言することはできません。しかし……こんなことを言っては裁判長としていけないのかもしれませんが、私個人の主観としては、弁護人の言うことが正しいと思います」

 「ぐ……ぐそう!」

 裁判長の言葉を聞き、菅さんは思わず突っ伏せる。

 

 

 「……これでやや不十分ではありますが、指紋の謎は解けたといえるでしょう。では、次に動機について説明します」

 ぼくがそういうと、裁判長は、顔を少し歪めた。

 「しかし……被害者と証人の間には、接点はないはずですが?」

 「確かに、この二人には何の接点もありません。しかし、証人には被害者を殺害しなければならない理由があったのです。弁護側は、それを証明する証拠品を提示します」

 その言葉に頷いた裁判長は、木槌を何度か鳴らす。

 「では、弁護人に証拠を提出していただきましょう。証人が被害者を殺害しなければならなかった理由……それを示す証拠を!」

「では、弁護人に証拠を提出していただきましょう。証人が被害者を殺害しなければならなかった理由……それを示す証拠を!」

 「分かりました」

 ぼくはそう言うと、証拠品テーブルの前に移動する。机の上から金色に輝く証拠品を手に取り、高々と掲げた。

 

 「その証拠品はこれです!」

 ぼくが提出したのは、ネクタイピンだ。

 「この証拠品は、事件現場近くで発生した空き巣事件の盗難物です」

 ぼくの言葉に、裁判長は目を丸くした。

 「つ、つまり弁護人は、証人が空き巣だったと言いたいのですか?」

 その言葉にぼくは頷く。

 「そう考えれば辻褄が会います。空き巣であった証人は盗みを働いた後学校に逃げ込みました。その際運悪く被害者に見つかり殺害してしまった……つまり、この殺人は、計画的ではなく、衝動的な犯行だったのです!」

 

 「異議ありィ!」

 ずっと黙っていた亜内検事が口を開いた。

 「このネクタイピンは、被害者の服から発見されたのです。仮に証人が空き巣だとしても、なぜ被害者が彼の盗んだものを持っているのですか?」

 言われてみればそうだ。このネクタイピンは被害者の胸ポケットから発見されている。わざわざ盗んだものを他人に渡すような間抜けな空き巣はいない。

 なら、一体なぜ、被害者がネクタイピンを持っているんだろう……。

 ……まてよ、共犯という可能性はないだろうか? ぶつけてみる価値はあるかもしれない。一度攻め込んでみるか。

 

 「被害者が共犯者だった可能性はあり得るのではないでしょうか? 盗品の取り分けで起こったいざこざなら、あり得ない話ではないかと」

 「異議ありィ!」

 亜内検事が再び異議をはさむ。

 「空き巣事件の犯人は、現場に指紋が一つしか残っていないことから単独犯説が濃厚です。目撃証言からも、そのことは証明されています」

 「そ、そうですか……」

 空き巣同士の仲間割れ説、結構いい線行っていると思ったが……どうやら違うようだ。

 

 「さらに、弁護人は、もう一つ大きな見落としをしていますぞ!」

 亜内検事が手のひらを頭に当て、ペチペチとする決めポーズをしながら続ける。

 「な、なんでしょう?」

 「返り血ですよ」

 「返り血?」

 「その通りです。証人の服をご覧なさい」

 改めて、管さんの服をまじまじと見つめてみる。服にはどこにも血がついておらず、ワイシャツの清潔な白色しか目には入って来なかった。

 「どうですか? 返り血なんてこれっぽっちも飛んでいないでしょう?」

 管さんの服に返り血は跳んでいない。確かにこれは事実だ。だかしかし、まだ抜け道はある!

 

 亜内検事に、意見をぶつけてみる。

 「証人が、犯行後服を着替えたという可能性はないでしょうか? 証人は警備員ですし、詰所にある他の警備服に着替えれば、返り血の偽装も可能なはずです」

 「あり得ませんな」

 亜内検事に真っ向から否定された。

 「詰所を調べましたが、警備服は証人の服を除いて全てクリーニングに出されていました。さらに、この証人は警察が現場に到着してからずっと、我々の監視下にいました。そして、こうして法廷にやって来るまでの間、一度も服を着替えていないのです。弁護側の主張は、残念ながら通りませんぞ!」

 「そ、そんな!」

 動機に加えて、返り血の謎まで解かなければならなくなってしまうなんて……。

 

 ……こういう時こそ、あれをするべきなのかもしれない。

 追いつめられて、もうどうしようもない状況に立たされた時、ぼくはどうするか。

 普通に考えても乗り切れない状況まで追い詰められたのなら、“発想を逆転”すればいい。

 ぼくは、法廷記録から、現場写真を取り出し、遺体の服に注目する。遺体の服には、土と血が付着していた。

 ……そう、“管さんの服に返り血がついていない理由”ではなく、“被害者の服にだけ血がついている理由”を探すんだ。そうすればおのずと答えは見えてくる! ここが最後の踏ん張りどころだ。ここを抜ければ、勝利は目前だ!

 

 さて、そうと決まれば早速行動開始だ。 

 ぼくは改めて、被害者の服に注目する。女性にしては大柄な被害者は、サイズの大きいワイシャツを着て、ジーパンをはいている。何度も見た通り、服には血が飛んでいる。

 次に、管さんの服に注目する。

 管さんも被害者と同じくらい背が高く、警備員の帽子と、ワイシャツを着ていた。

 ……二人の服が、たまたまワイシャツなのは、偶然なのだろうか?

 二人の服を交互に見比べながら考えてみる。途中、何度か管さんと目が合ってガンを飛ばされたりもしたが、気にせず観察を続ける。

 

 ……さっぱり分からない。

 何度も写真を睨み付けたが、突破口が見つかることは無かった。

 「大丈夫、なるほどくん? 汗でびっしょりだよ?」

 真宵ちゃんが、汗だくのぼくを見てそういった。

 考えるあまり汗が噴き出てしまったようだ。言われてみると、ワイシャツが汗で服にぺたりと張り付いているのが分かる。うう、気持ち悪い。上着を脱いだ方がいいな。

 暑さと汗の湿気を逃がすために、ぼくは上着を脱いだ。脱いだ瞬間、溜まっていた湿気が一気に外に逃げて行く。脱いだら脱いだで、案外寒いな……まあ、後で上着を着れば問題ないか。

 

 改めて、観察を続ける。しかし、やはり何も出てこない。

 ……うう、八方塞がりだ。一体どうすれば。

 思わず机に突っ伏す。

 机に置いてある紙と、自分のワイシャツの白色だけが目に入り、視界が真っ白になる。……はは、今のぼくの頭もこれと同じで真っ白だな。

 そんなふうに考えている時だった。真っ白なぼくの視界にも白以外のものがあることに気づいた。

 

 一つは、資料の文字。プリンターで印刷された文字が寸分の狂いもなくきれいに印刷されているのが目に映る。

 白以外のものは、もう一つあった。

 

 それは、ぼくのワイシャツの“ボタン”だった。なぜだかは分からないが、そのボタンの存在が頭に引っ掛かった。

 ……なんだ、この違和感。ボタンがたまたま視界に映っただけなのに、何かひらめいたような気がする。

 この違和感の正体……もしかしたら!

 

 そう思い、もう一度遺体に注目する。今度は服ではなく、さらに細かい部分。そう、ワイシャツのボタンに。遺体の服のボタンは、左が上になっていた。

 次に、自分のワイシャツを確認する。ぼくのワイシャツのボタンも遺体と同様に左が上になっていた。

 ……なんだ、この違和感。

 情報が、頭の中を血のごとく回り続ける。一度情報をまとめるべきかもしれない。

 胸ポケットから手帳を取出し、白紙のページを開く。とりあえず、今分かったことを書き出そう。

 

 ボタンがある位置

 ぼく  左側

 被害者 左側

 管さん 右側

 

 管さんのボタンだけ付いている位置が違うな。これは何か理由があるのだろうか?  

 他の人のボタンも見て見れば、何か分かるかも。

 ぼくは、亜内検事の背広をじっと見る。ぼくの視線に気づいたのか、亜内検事は少し怯えた顔をした。彼のボタンは、左側に付いている。

 そのことを、メモに書き加える。

 さてと、あとは……。

 

 ぼくが次に注目したのは、裁判長……ではなく、真宵ちゃんだ。彼女の着物にはボタンは付いていないが、着物以外の服も一着くらいは持っているはず。もしもぼくの考えがあっていれば、真宵ちゃんの服のボタンの位置は恐らく……。

 予想を立てながら、話しかける。

 「真宵ちゃんって、着物以外の普通の服って持っている?」

 「着物以外の服? 持っているけど、それがどうしたの?」

 「その服のボタンって、右か左、どっちについていた?」

 「えっと、確か……」

 

 真宵ちゃんが質問に答える。その答えは、ぼくの予想した通りの答えだった。二人のボタンの情報をメモに書き込み、もう一度見直す。

 ……これで分かった。なぜ、被害者の服のみに返り血が飛んでいたのかが。これで、全てに決着がつくはずだ。

 

 そう思った直後、裁判長が口を開いた。

 「……どうやら、弁護側からの新たな発言はないようですね」

 残念そうな顔をしながら、裁判長が木槌を手に取り振り下ろそうとする。

 管さんはそれを見て、冷笑している。きっと、ぼくがもう反論できないと思っているのだろう。

 だけど違う。ぼくはまだ諦めてなどいない。

 木槌が振り下ろされる刹那。ぼくは、管さんの方を見た。

 そして、笑い顔を浮かべた。彼の冷笑をかき消さんばかりの、ふてぶてしい笑いを。

 ぼくの辞書の中に、こんな言葉がある。

 

 “弁護士はピンチの時ほどふてぶてしく笑う”

 

 追いつめられた時こそ、笑いを浮かべる。そうして何度も窮地を乗り越えてきた。今回だって乗り越えられるはず。……ここで一気に片づける!

 

 ―異議あり!

 ―異議あり!

 木槌が振り下ろされるよりも早く、異議を叩き付ける。裁判長は我に返って、持っていた木槌を落としてしまった。

 「ど、どうしたのですか? 弁護人。いきなり大声を出して」

 「まだです、弁護側の立証はまだ終わっていません!」

 「どうせハッタリだ、今すぐ発言を止めさせろ!」

 管さんが、証人席から怒声を放つ。

 「ハッタリなどではありません。弁護側は、先ほど検察側の主張について、反論の準備があります!」

 「反論ですか…面白い。弁護側の要請を受け入れましょう」

 裁判長は、落とした木槌を手に取ると、それ打ち鳴らした。

 

 「それでは、弁護側に証拠の提示を求めます。検察側の主張に対する反論の証拠を!」

 何を突きつければいいかは決まっている。

 法廷記録から穴が開くほど見た現場写真を取出し、思いっきり突き出した。

 「その証拠品はこの現場写真です。この写真の被害者の服のボタンに注目してください」

 裁判長がまじまじと写真を見る。それを確認してぼくは説明を続ける。

 「被害者が着ている服のボタンは左側にあります」

 裁判長は、それを見て頷いた。

 「では、裁判長。次に、ご自身のボタンを見てください」

 裁判長は、自分の服についているボタンを確認しようとする。年のせいなのだろうか、下を向くのに、少々苦労しているように見えた。

 「私のボタンは……被害者と同じように、左側についていますね」

 「では、最後に証人のボタンを見てください」

 裁判長は、目を細めながら管さんの服をじっくりと見つめる。こちらも年のせいなのか、少し見辛そうだ。……今度、眼鏡でもプレゼントするか。

 「証人のボタンは……どうやら右側についているみたいですな」

 「そのとおりです。ここで情報をまとめてみましょう。男性の裁判長のボタンは左側に、同じく男性である証人のボタンは、右側に。そして、女性である被害者は、ボタンが左側についていました」

 「ふむ。同じ男性である私と証人のボタンの場所が違うことが少々疑問ですね」

 「そのとおりです、裁判長と、証人のボタンの位置は違っているのに、なぜか女性である被害者は、裁判長と同じ左側でした。ここが、今回のポイントとなってくるのです」

 「はあ……」

 

 「裁判長は、服についているボタンに、法則性があることをご存知ですか?」

 「はて、どのような法則でしょうか?」

 「男性用の服のボタンは、左側に。女性用の服のボタンは、右側に付くようになっているのです」

 「なるほど。しかし、そうなると妙ですな。証人の着ている服と、被害者の服のボタンは、二人とも本来つくべき位置の反対側にボタンが付いています」

 「そのとおりです。では、なぜこの二人のボタンはそれぞれ逆の位置に付いているのか。その理由は一つだけです」

 息を吸い、机を叩き付け、人差し指を思いっきり突きつけながらぼくは続けた。

 「被害者の服と、証人の服が入れ替わっている。それ以外に考えられません!」

 「な、なんですと!」

 「ぐふぉっ!」

 裁判長は目を見開きながら驚き、管さんは銃弾で体を貫かれたような呻き声を上げた。傍聴席から、どよめきが聞こえる。

 

 「静粛に!」

 裁判長が木槌を慣らし、傍聴人を黙らせる。

 「そ、そんな奇天烈な発想が認められるか!」

 管さんが、喉も張り裂けんばかりの怒声で反論する。額には脂汗が浮き、目が血走っている。どうやら、彼ももう限界が近いようだ。畳み掛けるなら今、このまま手を緩めずに行くしかない!

 「異議あり!」

 管さんの発言を抑え込みぼくは続ける。

 「いいえ、管さん。あなたにしか、被害者の服を着替えさせることは出来なかったのです!」

 「なぜだ、なぜそう言い切れる!」

 「事件発生当時、現場にいた人間は、全部で三人でした。被害者の女性。容疑者である岡瑠波さん。そして、目撃者である管椎名さん。この中にいる男性は、管椎名さん。あなただけなのです!」

 「ぐぐぐ……」

 

 「根拠はもう一つあります。もう一度現場写真を見てください。被害者の着ている服は、袖が余ることなく、サイズがほぼピッタリです。そして、被害者の身長は、百八十センチほどあります」

 ぼくは、管さんに視線を送る。

 「証人、あなたの身長は何センチですか?」

 その質問に対し、管さんは苦しそうな顔をした。

 「こ、断る。俺に答える義務は無い!」

 「証人、答えなさい。私からの命令です」

 裁判長が、管さんを睨みつけながら、そう言った。 

 気が立っている管さんも、裁判長の言葉にはさすがに逆らえなかったようだ。管さんは渋々と、口を開いた。

 「ひゃ、百八十三センチだ。これでいいか!」

 「証人の身長は、百八十三センチ。被害者と身長差はあまりありません。さらに、被告人の身長は、百五十センチです。もしも、被告人と被害者の間で、服の入れ替えをすると、被害者の着ている服は、袖が足らないことになってしまいます。しかし、この二人の間で、服の入れ替えがあっても、お互い服のサイズが合わないということはありえないのです。

これが、被害者と証人の服が入れ替わっていることを示す二つ目の根拠です!」

 「ぐへらぁ!」

 管さんが、何かに殴られたかのように、のけ反る。のけ反った衝撃で、ワイシャツのボタンが、一つ弾け飛んだ。

 

 「と、ということは、本当の警備員は、証人ではなく……?」

 裁判長がぼくに尋ねてくる。

 「お察しの通りです。そう、全ては“逆”だった。警備員、管椎名の正体は、証人ではなく、被害者だったのです!」

 一息おいて続ける。

 

 「ここからはぼくの推測になりますが、事件の流れを追って見ましょう。まず、証人。あなたは、現場近くの民家で空き巣を働きました。そこで何が起こったのか、ぼくには分かりません。恐らく、盗みの最中に家主が帰ってきたのでしょう。慌てたあなたはそのまま民家から逃げ去り、近くにあった東深見高校に逃げ込んだ」

 管さんが、苦しそうな顔でぼくの話を聞いている。恐らく図星だろう。

 「白昼堂々と空き巣をしているところを見られたあなたは焦ったはずです。学校に逃げ込んだあなたは、あわてて校舎の中に入ろうとしました。しかし、監視カメラの存在に気づき、あなたは校舎内に入ることが出来なかった。しかし、あなたは監視カメラの目をかいくぐるうちに、ある場所にたどり着いたのです」

 「……食品輸送用エレベーター」

 裁判長が、そうつぶやいた。

 「そのとおりです。エレベーターを見つけたあなたは、それに飛び乗ったのでしょう。

そして、校舎内に侵入した後、屋上に逃げ込み、時が過ぎ去るのを待ったのです」

 ぼくはそこまで言うと、一息ついて、また話を続ける。

 

 「しかし、そこで問題が起こってしまった。屋上に、被害者……もとい本物の管椎名さんが入って来たのです。監視カメラの映像に彼女の姿が写っていないことから考えると、恐らく、彼女は校舎内の見回りをしていたのでしょう。見つかってしまったあなたは、動揺したはずです。その時、あなたの目に、鉄パイプが映り込んだ」

 ぼくは、机の上の鉄パイプを指さした。

 「恐らく、その時から鉄パイプは足場から外れていたのでしょう。それを見つけたあなたは、すぐにそれを手に取り被害者を殴った。口封じ目的で」

 「な、なんという……」

 裁判長が絶句した。

 「あなたは焦ったはずです。衝動的とはいえ、人を殴ってしまったと。このままではいずれ捕まってしまう。そう考えたあなたは、偽装を企んだのです」

 亜内検事は何も言えずに、ぼくの方を見ている。反論されることは無そうだ。このまま話を続けよう。

 

 「まず、あなたは返り血の跳んだ服を何とかしようと考えた。その時に、自分の服と、被害者の服を入れ替えることを思いついたのです。幸か不幸か、被害者とあなたの身長差は、そこまでありませんでした。あなたは服を入れ替えることで、返り血をごまかすことにしたのです」

 「それで、被害者の服だけに、血がついていたんですな」

 裁判長が納得した表情で頷く。

 「しかし、この時あなたは一つミスを犯した。胸ポケットの中に、盗んできたネクタイピンを入れっぱなしにしていたのです。しかし、焦っていたあなたは、それに気づかずに服を交換してしまった」

 「ぐぬ……」 

 管さんが、さらに苦しそうな表情を見せる。

 

 「そして、いざ服を交換しようとしたときに、あなたはもう一つ重要なことに気づいた。被害者にまだ息があったのです。それに気づいたあなたは焦ったでしょう。もしも、被害者が目覚めてしまったら、自分のことを話してしまったら、と。その瞬間、あなたの中に再び殺意が芽生えた。屋上から突き落とし確実に殺害することで、二度と口を開けないようにしたのです」

 「なんと、むごたらしい……」

 裁判長が、度し難そうな顔をした。

 

 「そして、あなたは意識のない被害者をそのまま屋上から投げ捨てた。この瞬間、被害者は絶命しました。その後あなたは、殴った際に使用した鉄パイプの指紋を念入りに拭い取った。この時、工事現場の人達の指紋も拭い取られたのです」

 法廷中の人たちが、ぼくの話に耳を傾けていた。

 「そしてあなたは、管椎名に成りすまして、何食わぬ顔で、学校から脱出しようとした。その時です。あなたの目に、ある人物の姿が映りました。そう、被告人の岡瑠波さんです。あなたはたまたま、工事現場の足場を使って屋上へと向かう被告人を目撃したのです。その時、あなたの中に悪魔が舞い降りた。“瑠波さんを犯人に仕立て上げよう”あなたの中の悪魔はそう囁きました。そして、あなたは、その場で思いついた案を実行しました。まずあなたは、敢えて、全ての監視カメラに自分の姿を映しました。警備員が、見回りをしているように見せかけるために。そして、全てのカメラに映ったあなたは、その後警察に通報をした。“学校で倒れている人を見つけた”と、さも、自分が目撃者であるかのように見せかけて」

 「ぐぉぉ……」

 傷口をナイフでえぐられる時のような、低く今にも息が止まりそうな呻き声を上げる証人。

 

 「一方、屋上に着いた被告人は、鉄パイプを見つけたはずです。そして、思わずそれを拾い上げてしまった。この時、被告人は曲がっている方の先端。被害者が殴られた方を持ったのです。恐らく、指紋を拭きとった時に、一緒に血も拭きとられたのでしょう。元々そこに血がついていたことを知らなかった被告人は曲がっている方を触ってしまったのです」

 「なるほど……鉄パイプの指紋が付いている場所がどうにもおかしいと思っていましたが、そんな理由があったのですね」

 裁判長が頷く。

 「そして、被告人が鉄パイプを手に取った瞬間、警察が屋上に乗り込んで来た、というわけです。これがこの事件の全容。ぼくの最終結論です」

 

 ぼくがそう言い終えると、シン、となった。誰も口を開かず、あっけにとられたような顔をしている。ただ一人を除いては。

 

 管さん……いや、証人だけが、ぼくの話を聞き終えてから、一人唸り声を上げていた。頭を抱え、髪を掻き毟り、憎悪の念を辺りに放ちながら下を向いていた。

 「ま、まだだ……」

 唸り声が止み、証人が口を開いた。

 「まだ、終わっていない……」

 ゆっくりと顔を上げる証人。髪はぼさぼさになり、目は瞳孔がくっきりと見えるほど見開かれ、まるで戦場から帰って来たかのような風貌へと変化していた。

 「ま、まだ終わってはいない!」

 ゆっくりと顔を上げた証人は両手を大きく広げ、後ろにのけ反り、咆哮と呼ぶのが最も似つかわしいほどの大声を上げた。

 「まだだ……お前の推理には、穴がある!」

 「どこに穴があるというのですか?」

 なるべく冷静に答える。ここで下手に刺激したら、何をされるか分かったものではない。慎重に対応せねば。

 「被害者の女が、本物の警備員、管椎名だった証拠はない……それが無い限り、お前の推理は破綻する……!」

 もう力の無い声で証人が喋る。

 「簡単です。学校に行って、直接調べてみれば……」

 「駄目だ……」

 ぼくの言葉を証人が遮る。

 「今、ここで証明してみせろ……本当の管椎名の正体を……さもないと、俺は認めないぞ……」

 「……分かりました。今この場で証明してみせましょう」

 被害者が管椎名さんだと分かることが出来る証拠品……答えは簡単だ。被害者の身分を示すものがあればいい。そして、それは今この法廷内にある!

 

 ぼくは、弁護席を離れると、証人の元に向かう。

 徐々に近づいて来るぼくに、証人は、肉食動物に怯える小動物のような眼をして、逃げようとする。が、逃げる前に、ぼくは彼の体を抑え込んだ。

 そして、彼のワイシャツの胸ポケットから、一枚のカードを取り出した。ぼくがカードを抜き取った瞬間、証人の目が変わった、全てを失ったような光の無い目に。

 ぼくは、カードを確認する。こちらには何も書かれていない。こちらは裏面だからだ。

 ぼくはカードを裏返し、表の面を確認する。

 カードを確認し終えたぼくは、そのカードを証人の前に突き出した。

 「これが、その証拠品です。一切のムジュンもない、完璧な」

 

 ぼくが突きつけたカードには、警備員証明書と書かれており、名前の欄に“管椎名”と記載されている。

 そして、その隣に写真が貼ってある。証明写真機で撮影された、どこにでもあるような写真。

 そこに写っていたのは……被害者の女性だった。

 鼻先に被害者、管椎名さんの警備員証を突きつけられた、証人は、絶句した。

 

 「う……」

 法廷中の人が、その様子を固唾を飲んで見ていた。

 「嘘だぁ!」

 絶叫しながら、証言台に、頭を何度も叩き付ける証人。

 裁判長の指示で、係官が抑えに入るが、今の証人には効かない。

 「あああ、あああああ……!」

 何度も、何度も頭を打ち付ける。

 「ああああああああああああっ!」

 何十回も頭を打ちつけ、証人は大きく両手を広げ、咆哮した。

 勢いよく腕を広げたせいなのか、腕の先から証人の服が裂けていく。服が裂け切ると同時に、証人の咆哮も止まった。

 「あ……」

 上半身は裸で、白目を剥いたまま、証人は背中から力無く倒れた。どうやら気絶したようだ。

 法廷に静寂が戻る。事件は、今、解決したのだ。

 

 「亜内検事、証人はその後どうなりましたか?」

 数分後、係官によって搬送された証人の容体を裁判長が亜内検事に聞く。

 「き、気絶しているだけのようです。先ほど、緊急の逮捕状が作成されました。直に身柄を拘束されるかと……」

 「分かりました」

 裁判長は、その言葉に頷く。

 「どうやら、これですべてが解決したようですな。弁護人には、感謝しなければなりません。危うく、未成年の子供を、殺人犯に仕立て上げてしまうところでした。これで、心置きなく私も判決を言い渡せます」

 そう言って、裁判長は木槌を鳴らすと口を開いた。

 「それでは、被告人、岡瑠波に判決を言い渡します」

 緊張の一瞬。ぼくたち弁護士は、無罪という言葉を聞くまで、一切の油断は出来ないのだ。

 裁判長が口を開いた。

 「無罪!」

 ……勝った。勝ったんだ。

 「やったね、なるほどくん! 私たち勝ったんだよ!」

 真宵ちゃんがぼくに飛び付いて来た。

 ……良かった、本当に良かった。

 傍聴席からも、歓声が聞こえる。裁判長は、その様子を微笑ましそうな目で見ている。そして、しばらく経つと口を開いた。

 「本日はこれにて閉廷!」

 裁判長が木槌を鳴らし、裁判は幕を閉じた。

 それと同時に、午前十一時を告げる鐘の音が鳴り響く。ぼくたちを祝福するかのように、煌びやかな音色を響かせて。

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