逆転裁判 〜東方法闘録〜 小説版   作:タイホくん

5 / 5
序盤の控室シーンは、変更の予定がないので、そのまま掲載します。


第3話 旧法廷パート 2日目(2022年10月16日時点最新パートまで)

 【同日 午前10時 裁判所 第2法廷】

 「これより、メディスン・メランコリーの法廷を開廷するわ」

 木槌の音と共に開廷が宣言された。

 

 「弁護側、準備完了しています」

 「検察側……万事滞りなく」

 弁護側、検察側共に準備完了の旨を伝えた。いつも通りの光景である。

 

 「さて、昨日の審理では、弁護側から新たな可能性が提示されたわね」

 「ええ。確か、現場に毒の入っていたお猪口が存在していた……でしたかね? 弁護人」

 四季検事が目を閉じ、腕を組んだままたずねてきた。どこか小ばかにするような感じを含んでいる気がする。

 

 「ええ。その通りです。昨日の証人である茨木華扇さん。元鬼族である彼女がお猪口から酒を飲んだ結果吐き気を感じた。そして、鬼殺の秘薬の効果の一つとして、吐き気があげられる。可能性を担保する情報としては十分だと思います」

 「ふん……。確かにその通りです」

 これまた小ばかにしたような印象を受ける。なんなのだ、一体。

 

 「河城刑事から聞きました。昨日はお猪口の情報集めに奔走したそうですね?」

 「その通りです」

 「しかし、何も情報を得られなかった。そうでしょう?」

 「……その通りです」

 “全部あなたの情報統制のせいなんですけどね”と言ってやりたい気分だが、ここは堪える。明らかにこちらを挑発している。乗っかったら負けだ。

 

 「現時点において、この裁判のカギを握っているのは間違いなくお猪口です。しかし、その情報について弁護側がそれを全く把握していないというのは、決して平等とは言えない。そこで……。係官、あれを!」

 四季検事は法廷の奥のほうに向かって声をかける。見計らったように出入り口が開くと、白い大きな布に覆われたお盆をもって、小町さんが入廷してきた。四季検事の指示で、お盆は大机の上に置かれる。

 

 「……法廷で相対する者に対し、平等な状況を作らないというのは私の本意に反します。係官、御覧にいれて差し上げなさい」

 昨日の裁判は決して平等な状況ではなかったぞ、と心の中で突っ込む。

 四季検事が小町さんに命令すると、それに従った彼女は、布を取り払った。

 

 「こ、これは……お猪口?」

 お盆の上に置かれていたのはお猪口だった。全部で九個。被害者が使っていたもの以外のお猪口が揃っているようだ。

 

 取り払った布を折りたたみ、それを机の上に置いた小町さんは、続けてこちらにやってくると、紙を何枚か手渡してきた。それなりの枚数がある。ざっと流し読みしてみると、どうやら個々のお猪口に関する情報のようだ。

 四季検事は、紙がぼくに渡されたことを確認すると続ける。

 

 「審理に入る前に約束いたしましょう。今回、検察側はお猪口に関する全ての情報、及びそれに関する証言を包み隠すことなく、この瞬間、全て公開することとします!」

 「な、なんですって!?」

 意外な展開だった。無罪判決にこぎつけるとなると、最終的に全ての証拠品を精査することになるのだろうが、それを開廷直後に入手することになるとは……。

 

……何か裏があると相手の腹を探らずにはいられない。前回の裁判では、検察側は切り札となる証拠品を最後まで手元に残していた。

ところがどうか。今回は全てを最初から開示するというのだ。

切り札に足りうる証拠がなかったのか? いや、それならばあんなに余裕そうな態度はとれないはずだ。一体何を考えている?

 

 「そして、同時に宣言しましょう。……弁護人。あなたは決してこの私に勝つことはない! 例え、こうして全ての情報が開示されていたとしても……ね」

 「な、何を根拠にそんな発言を!」

 「……それは、審理を通し、身をもって体感することです。閉廷の木槌が打ち鳴らされる頃には、嫌でも理解していることでしょう」

 悔悟の棒をこちらにつきつけ、不敵な笑みを検事席から飛ばしてくる。

 

 勝つことはない……? 随分と自信満々だ。先ほどまでの小ばかにしたような態度は、ここから来ていたのか、と今更理解する。

 これは……ハッタリなのか。それとも本当なのだろうか。頭を悩ませても、答えが出る気配は一向になかった。

 

 「証明できないと決めるのはまだ早いですね。もしかしたら、こちら側にある情報を使えば解けるかもしれませんよ?」

 「さて……どうだか」

 胸を張って四季検事にささやかな抵抗をする。もちろんハッタリだ。そんな有用な証拠、手元にあるかどうかなんて知るはずもない。

“ハッタリにはハッタリをぶつける”の精神、という事にしておこう。……彼女の発言がまだそれと決まったわけではないけれど。

 

 なんにせよ、今は審理を前に進めるしかない。四季検事の発言の真意は、一旦脇に置いておくことにしよう。彼女の言う通り、審理を通すことでしかそれを知る術はないのだから。

 さて、この大量の紙を法廷記録にしまうとするか。一気に証拠品が増えてしまった。管理が少し大変になりそうだな。

 

―証拠品「風の柄のお猪口①」の情報を法廷記録にファイルした―

・風の柄のお猪口①

宴会の場で使われていたお猪口。雲と風の絵が描かれている。

成分分析の結果、強いアルコール成分を検出。

 

―証拠品「風の柄のお猪口②」の情報を法廷記録にファイルした―

・風の柄のお猪口②

宴会の場で使われていたお猪口。雲と風の絵が描かれている。

飲み口の部分が少し欠けているようだ。

成分分析の結果、強いアルコール成分を検出。

 

―証拠品「華の柄のお猪口①」の情報を法廷記録にファイルした―

・華の柄のお猪口

宴会の場で使われていたお猪口。彼岸花と川の絵が描かれている。

成分分析の結果、極微弱なアルコール成分を検出。

 

―証拠品「華の柄のお猪口②」の情報を法廷記録にファイルした―

・華の柄のお猪口②

宴会の場で使われていたお猪口。彼岸花と川の絵が描かれている。

成分分析の結果、極めて強いアルコール成分を検出。

鬼道酒華と茨木華扇の指紋を検出。

 

―証拠品「雪の柄のお猪口①」の情報を法廷記録にファイルした―

・雪の柄のお猪口①

宴会の場で使われていたお猪口。雪の絵と月の絵が描かれている。

成分分析の結果、微弱なアルコール成分を検出。

メディスン・メランコリーの指紋を検出。

 

―証拠品「雪の柄のお猪口②」の情報を法廷記録にファイルした―

・雪の柄のお猪口②

宴会の場で使われていたお猪口。雪の絵と月の絵が描かれている。

成分分析の結果、極めて強いアルコール成分を検出。

伊吹萃香の指紋を検出。

 

―証拠品「月の柄のお猪口①」の情報を法廷記録にファイルした―

・月の柄のお猪口①

宴会の場で使われていたお猪口。月の絵とすっぽんの絵が描かれている。

成分分析の結果、微弱なアルコール成分を検出。

 

―証拠品「月の柄のお猪口②」の情報を法廷記録にファイルした―

・月の柄のお猪口②

宴会の場で使われていたお猪口。月の絵とすっぽんの絵が描かれている。

成分分析の結果、極めて強いアルコール成分を検出。

星熊勇儀の指紋を検出。

 

―証拠品「鳥の柄のお猪口」の情報を法廷記録にファイルした―

・鳥の柄のお猪口

宴会の場で使われていたお猪口。鶯色の鳥の絵と、赤い花の絵が描かれている。

成分分析の結果、微弱なアルコール成分を検出。

 

 ……すごい量だ。ファイルするのに少し苦戦してしまった。……果たしてぼくは、この量の証拠品を捌ききることができるのだろうか。

 ……む。よく見ると、指紋がついているお猪口と、そうでないお猪口があるようだな。この違いは何だろう。聞いてみるとするか。

 

 「四季検事。一ついいでしょうか」

 「なんでしょう?」

 「今頂いた、このお猪口に関する情報……半分近いお猪口から指紋が検出されていないようですが、これはどういうことなのでしょう?」

 「取り調べで聞いた話ですが……被害者が倒れた後、宴会場は混乱に陥ったようです。そんな中、一部の参加者たちは不安になって、自らが使っていたお猪口を水で、それも念入りに洗い流してしまったそうです。……偶然にも、今回の法廷で証言する者達が、その人物に該当しています」

 「なるほど……。つまり、指紋がついているお猪口については、その指紋の持ち主が使用していたという解釈をして良いという事ですね?」

 「そうなります」

 ふむ……。ということは、これで九つあるお猪口のうち、四つのお猪口の使用者が判明したことになる。これはアドバンテージと言えるだろう。特定する人物が少なくなって助かる。

 指紋が二人分ついている華の柄のお猪口については、被害者と華扇さんとの間でお猪口が移動したときについたということにしておくか。

 

 「さて、情報開示も終わったことだし……ここからは、弁護側、検察側、どちらの主張が正しいのか。それを知るために審理を進めるとしましょう。最初の証人を入廷させて頂戴!」

 木槌を打ち鳴らすとともに、紫さんが裁判を進行する。

 「では、宴会参加者の一人である、東雲璃月さんをこちらへ」

 四季検事の合図とほぼ同時に、法廷の扉が開かれた。二本の角が生えた大柄のシルエットが現れた。東雲さんはそのまま証人席に着く。

 

 「それでは証人。名前と職業、種族を」

 身分確認を四季検事が行う。それを受けた東雲さんは、何を思ったのか頭に斜め掛けにしていたトノサマン……いや、トノサマン・ゼロだったか。ともかく、お面を顔に装着すると、懐から日の丸の描かれた扇子を取り出した。この後、彼が何をするか想像するのはたやすい。……そして、その後四季検事がとる行動もまた、容易に想像できてしまう。

 

 「疼く……改造手術の古傷が」

 「……はい?」

 早くも四季検事の目が吊り始める。こうなってしまってはもう遅い。名乗りを上げている当の本人も、すっかり自分に酔ってしまっているようだ。

 

 「大江戸ノヴァシティのからっ風と共に、悪いやつらの息の根止める! ……そう、我こそはっ!」

 続けて東雲さんは扇子をパッと開くと、トノサマンの決めポーズを取り、そして仰々しい声と共に、こう言い放つ。

 

 「大江戸戦士! トノサマン・ゼロッ!」

 「ひゅー! かっこいー!」

 お面で隠れているから見えないが、きっとあの下で東雲さんは今頃したり顔でも浮かべているのだろう。どこかからか、桜吹雪風に仕立てた桃色の紙がひらひらと舞っている。どうやってるんだ、あれ。

 隣の真宵ちゃんは、完全にヒーローショーではしゃぐ子供と化してしまっている。なんどか彼女に連れられてショーを見に行っているが、いつもよりもテンションが高い気がする。幻のトノサマンの名乗りだからだろうか。

 

 「…………」

 一方の四季検事。怒りが頂点に達したのか、目を閉じて肩をワナワナとさせている。次の瞬間、何が起こるか、もう考えるまでもない。

 

 「……えー、ではトノサマン・ゼロさん。宴会の場で使われていたお猪口について……」

 「ちょちょちょ、四季検事! なんでそのまま進めちゃうんですか!」

てっきりお説教が来ると身構えていたものだから、肩透かしを食らってしまった。いや、怒られる立場にないぼくが身構える必要は、まったくないのだが。

 どことなく腑抜けた顔に、適当そうな喋り方。四季検事はすっかり諦めモードに入ってしまったようだ。

 

 「……昨日の審理で学びました。鬼の言動にいちいち構っていては身が持たない、と」

 「いやいや! せめて身分確認ぐらいはちゃんとやりましょうよ!」

 「……嫌です。どうしても必要ならば、あなたがしてください」

 「ええ……」

 心底嫌そうな顔でそっぽを向かれてしまった。珍しくわがままを言う四季検事の姿は、年相応の女の子、といった印象を受ける。

 

 「あのー、証人……。あなたがトノサマン好きなのは分かったので、そろそろ身分確認のほうを……」

 「ん? おお、あんたは昨日居酒屋で会った! なんでこんなところにいるんッスか?」

 お面を取った東雲さんは屈託のない笑みを浮かべてこちらに疑問を飛ばす。

 「なんで……そりゃ、ぼくが弁護士だからですよ」

 「べんごし? そういえば、瑠夏のやつがそんな単語を言っていたような……」

 東雲さんは本気で分かっていないようだ。頭を抱えて唸り始めた。

 

 「大雑把に言うなら事件の話を聞く人って感じです……」

 「ん? それって刑事さんと何も変わらないんじゃ……」

 東雲さんはさらに頭を抱える。だめだ、このままだときりがない。さっさと身分確認を終えて証言に移ってもらわないと。

 

 「と、とにかく東雲さん。名前と職業と種族を言っていただけますか?」

 「分かったッス。自分、東雲璃月と申します! 種族は鬼、職業はトノサマンファンッス!」

 ……この際、職業の点については追及しないことにしよう。

 「では、事件当時に目撃したお猪口に関する情報について証言を」

 さらりと復活した四季検事が、証言を促す。東雲さんは、一瞬何をすればいいのか要領を得ない顔をしたが、四季検事が「取り調べで話したことを、もう一度」と小声で言うと、合点がいったのか、「了解したッス!」と元気よく返事をして証言を始めた。

 

 

 

―証言開始— ~宴会で使われていたお猪口について①~

 

「えーっと、宴会の時の話ッスね。自分は確か、窓側の席の一番右端に座っていたはずッス。ええと、次にお猪口の柄ッスけど……自分が分かるのは……。瑠夏は鳥のお猪口は使っていないッス。後、鈴は欠けていた風のお猪口を使っていないッス。……これぐらいッスかね?」

 

 

 

 「なんというか……ずいぶんとザックリとした証言ですね」

 「取り調べで話したことをもう一度と言われたから、それを再現したまでッス!」

 「できれば、もう少し詳細に話していただければ……」

 「それを聞き出すために尋問という場があるのです。つべこべ言っている暇があるならば、さっさと尋問するのですね、弁護人」

 ……もっともだ。東雲さんに任せきるのではなく、自分自身で聞いていかないと。

 

 「では弁護人。尋問をお願いするわ」

 「分かりました」

 ひとまず、なぜその人物が、特定の柄のお猪口を使っていないと断言できるか。それを中心に尋問していくとしよう。

 

今は忘れているだけで、尋問中に新たなお猪口の情報が出る可能性もあるが……取り調べで話したこととまるっきり同じ内容を証言しているなら、そのパターンはあまり期待しないほうがよさそうだ。

 

事件の記憶が比較的残っている取り調べ中に思い出せないのに、今になってポンと出てくるのは、少し考えにくいからな。

 

この尋問では、現時点で提示されている情報を精査していくことに集中するんだ!

 ―尋問開始— ~宴会で使われていたお猪口について①~

 

 「宴会での座り順についてですが……この位置で間違いないですね?」

 座り順については、今回は正直些細な問題だ。

 だが、証言した以上は念のため確認しておきたい。彼の証人としての能力があるかどうか、テストするのも兼ねている。

 

 上面図片手に、証言台の前まで移動したぼくは、東雲さんに尋ねた。

 「間違いないッス。自分と瑠夏、あと鈴が横並びに座っていたのも覚えているッス。残りの面々については……そこまで覚えていないッス」

「なるほど」

 迷うことなく断言できるという事は、記憶力に関しては問題なさそうだ。流石は鬼。アルコールが入っても、頭の回転は鈍らないようだ。

 

 「弁護人……。せっかくこうしてお猪口に関する情報を渡してあげているのです。そんな些末な問題など放っておいて、さっさとお猪口に関して尋問するのです」

 四季検事は、ぼくに尋問を促してくる。

 ……色々と根掘り葉掘りされるのは、向こうにとっては嫌な事のはずだ。なんか今日の四季検事、様子がおかしいんだよな……。

 

 だが、彼女の言っていることは正しい。本題に入るとしよう。

 

 「では、お猪口のことについて聞いていきます。まず一つ目。瑠夏さんが鳥のお猪口を使っていないと言える根拠は何でしょう?」

 「……正直、記憶があやふやなんッスけど……。少なくとも、鳥の絵が描かれたお猪口を使っていなかったはずなんすよ、瑠夏」

 「なるほど……」

 「トノサマンファンとして、鳥は見逃すことができない存在ッスからね」

 「……トノサマン?」

 「そうッス。アクダイカーンの秘蔵っ子、怪鳥イーグルファルコン。鷹と鷲がごちゃ混ぜになってできた、全身緑色の毒々しい色の鳥ッス。確か、あのお猪口に描かれていた鳥も緑色ッスよね?」

 「え、ええ。そうです」

 「なら間違いないッス。緑色の鳥には人一倍敏感な自分が見間違えるはずないッス」

 「な、なるほど……?」

 根拠として認めていいのか、定かではないが……ひとまずよしという事にしておこう。

 

 「えー、では二つ目。鈴くんが欠けている風のお猪口を使っていなかった根拠は何でしょう?」

 「そりゃもちろん、あいつが使っていたお猪口が欠けていなかったからッス。お猪口が一つ欠けていたというのは、取り調べの時に初めて知ったんッスけど、宴会中に見た限りでは、鈴のお猪口は欠けていなかったッス」

 「そうですか……。しかし、瑠夏さんが間に挟まっているのに、よく鈴くんのお猪口が欠けていないと分かりましたね?」

 「ああ。それは、瑠夏と鈴の二人がちっこいからッスね。自分、あの二人より背が高いから、多少距離があっても割と見えるんッスよ」

 「確かにそうでしたね」

 居酒屋で会った時、三人の中で東雲さんだけが突出して背が高かったと記憶している。座っても同じことが言えるのだろう。この点については問題なさそうだな。

 

 「ちなみに、鈴くんが使っていたお猪口に描かれていた絵について覚えていたりは……?」

 「申し訳ないッス。そこは覚えてないッスね」

 うーむ。そううまく事は運ばないか。残念。

 

 「えー、では最後に。他に何か、お猪口について覚えていることはありませんか?」

 「ほ、他ッスか……。申し訳ないッスけど、他には思いつかないッスね。宴会場、そこそこ暗かったのもあって、意識しない限りはお猪口に何て注目しないッス。瑠夏と鈴の二人は、宴会中よく喋っていたから何とか覚えているッスけど……。他の人については、正直」

 東雲さんは申し訳なさそうに首を横に振った。

 

 うむむ……参ったな。これ以上覚えていない……もう少し引き出せると思ったのだが。宴会場が暗かったのなら仕方ないか。

 それに、これも一応新しい情報だ。収穫が決してないわけではない。

 

 さて、他に聞くおくべき証言は……証言……証、言……し、しょう、げん……。

 

 「だ、大丈夫、なるほどくん? “証言、証言”って呟いたかと思ったら固まっちゃって」

 「………………あ、ああ。ごめん。他に何か聞けることはないかと思って」

 いつの間にかフリーズしてしまっていたようだ。見かねた真宵ちゃんの声で、我に返る。

 「他に聞けることね……。確かに、もうこれ以上聞けそうにないかも」

 「それらしいムジュンも見つからないし……。どうしよう。これじゃあどうしようもできない」

 せっかくの尋問の場なのに、ムジュンが見つからないのはかなり困る。これじゃあ先に進めない……。

 

 「じゃあさ、なるほどくん。せめて今の証言の情報だけでもまとめておこうよ」

 「まとめる? どうやって?」

 「ふふん。有能な助手の真宵ちゃんは、なるほどくんの尋問中にこんなものを用意したのです!」

 真宵ちゃんはそう言って、着物と同じ紫色の表紙をした手帳を取り出す。開いているページには、5×5の表が書かれていた。

 

 「これは?」

 「名付けて、お猪口使用者早見表! 例えば今の証言なら、瑠夏さんが鳥のお猪口を使っていなかったって話でしょう? そこで、瑠夏さんの行と鳥のお猪口の行が重なるところにバツ印を書く。ただ聞いただけじゃあ、他の証言を聞くうちにこんがらがっちゃうでしょう? 一度証言を聞くたびに、この表にこまめにメモすれば、間違わずに済むってわけ!」

 「……凄いね、真宵ちゃん。ぼく、そっちの方まで頭が回らなかったよ」

 「ふふん。もっと褒めてくれていいんだよ!」

 真宵ちゃんは思いっきり胸を張る。

 実に便利なものを作ってくれた。これを活用しない手はない。証言のたびに、真宵ちゃんに記録をとってもらうように頼むことにした。

 

 さて、話を戻すが……。うーむ。やはり、この証言からはこれ以上何も出てきそうにない。弱ったな……。

 

 「ふふ……。滑稽ですね、弁護人」

 「な、なんですか、いきなり」

 唐突に検事席から静かな笑い声と共に罵声が飛んできた。焦っていたのもあって、すこしムキになりながら言葉を返す。

 

 「ムジュンが見つからないからどうしようもできない……。あなたが一つの戦術にしか固執できない頭の固い人だとは。残念ですね」

 「何が言いたいんですか?」

 四季検事は、悔悟の棒を片手にやれやれと手ぶりを交えてこちらを煽る。

 

 「いいですか。昨日の法廷でもお話ししましたが……成歩堂弁護士、あなたは少しムジュンを探そうと躍起になりすぎている。尋問した結果ムジュンがない? 大いに結構なことではありませんか。証人の発言が正しい……そこに何の問題があると言うのですか?」

 「う、うぐぐ……」

 正論だ。長年この方法で戦ってきたというのもあって、無意識のうちに、証言の中に必ずムジュンが潜んでいるという体で、尋問をしていたかもしれない。

 

 「話を聞く箇所が見つからないぐらい尋問しても、ムジュンがないならばそれで良しとして、次に進むべきです。それに、今回私は、あなたに全面的に協力すると言っているのですよ? その証拠に、まだ彼の後ろに四人も証人が控えているのです。時には引き際も大事ですよ」

 四季検事に諭されてしまった。

 

 「……わ、分かりました。裁判長。弁護側からは以上です」

 今回は四季検事の言うことが正しいと判断し、引くことにした。

 

 ……事実として、東雲さんの証言からはムジュンは見受けられなかった。

 そもそも、今回の証言はお猪口の柄に関するものだ。ムジュンを指摘すること自体が難しい。

 

 昨日の法廷みたいに、あからさまに色が違う、だとかそういったものならば分かりやすいのだが、東雲さんの場合はそうではない。

 ここで粘っても仕方ないし、大人しく次に行くことにしよう。

 

 「分かったわ。では、これをもって、東雲璃月への尋問を終了するわ」

 ぼくの言葉を受け、紫さんが尋問の終了を宣言した。続けて木槌が打ち鳴らされる。

 

 「では、検事。次の証人を呼んで頂戴」

 「かしこまりました。では、名琴為人さんを入廷させてください!」

 四季検事の言葉と同時に、出入り口の扉が開かれた。東雲さんは証言台から降り、法廷の端のほうに移動する。

 

 “名琴為人”という名前と、彼のシルエットが見えた瞬間、ぼくの体に何とも言えない悪寒が走った。ダメだ、完全にトラウマになっている。

 

 名琴さんは、昨日と同じ格好をしていた。扉が開かれた後、キョロキョロと法廷全体を見渡す。やがて、視線がこちらのほうへ向けられ、そしてついにぼくと目が合ってしまった。……怖い!

 

 次の瞬間、ぼくは真宵ちゃんを盾にして……と二度も同じことをするのは少々あれなので、しゃがむことで、目を合わせまいと細やかな抵抗を試みることにした。

 一方の彼は、こちらの様子をみてケタケタと笑いつつ、こちらに向かって手を振る。

 

 「やだなぁ、弁護士さんったら。嫌われちゃったかな、ぼく」

 名琴さんは笑ったまま、証言席に着いた。両手にそれぞれ手帳と万年筆を持っている。

 

 「弁護人……。何かあったのですか?」

 突然挙動がおかしくなったぼくを見て奇妙に思ったのか、四季検事が嫌味も何も混ざっていない、純粋な疑問を飛ばす。

 

 「い、いえ、ちょっと色々ありまして……」

 言葉を濁して、検事の疑問をやり過ごす。

 理由を言いたくない気持ち半分、この恐怖をどのように言葉にすればいいのかが分からないのが半分といった感じだ。

 

 「まあ、話したくないのならばいいですが……。それでは、証人。名前と職業、種族を」

 何かを察してくれたのか、そうでないのかは分からないが、四季検事は質問を撤回してくれた。そのまま身分確認へと入る。

 今回は証人が鬼じゃないので、四季検事もやりやすそうだ。……ぼくはむしろやりにくいのだけれど。

 

 「名琴為人。種族は人間。……しがない物書きってやつです」

 名琴さんは、なにやらメモを取りながら身分を名乗る。四季検事も、彼の手元に目が言いている。メモのことが気になっているようだな。

 

 名琴さんは、すぐに双方からの視線に気づいたのか、顔を上げると「ああ」と言うと続けて、「申し訳ない。職業柄、すぐに覚書をする癖があって……。マズいですかねぇ?」と言った。

 

 「問題ありません。飲酒以外の行動は、基本的に問題ないこととしています」

 四季検事は、飲酒の部分をやや語気を強めて話す。……相当昨日の法廷で堪えたようだ。

 

 「ああ。助かります。法廷なんて始めてくるものでぇ」

 名琴さんはメモを取ったままやや生返事気味に応答した。

 

 「では証人。事件当時、あなたが目撃したお猪口について証言を」

 「……ああ、はいはい。分かりましたよぉ」

 これまたメモを取ったまま生返事を返す名琴さん。キリがよくなったのか、あるタイミングで手帳を閉じると、証言を始めた。

 

 

 

 ―証言開始— ~宴会で使われていたお猪口について②~

 

 「宴会があった時、ぼくは玄関側、右から二番目の位置に座っていたよぉ。具体的に言うなら、華扇っていう桃色髪の仙人の横だねぇ。宴会場は少し薄暗かったから、確認できたお猪口は少ないのだけれど……。僕が覚えているのは……東雲君は少なくとも華の柄のお猪口は使っていないねぇ。後は……鬼灯ってちっちゃい鬼は風を使っていなかった。……少なくて申し訳ないけれど、こんなものかなぁ?」

 

 

 

 「ま、またザックリとした証言なのか……」

 先ほどの東雲さんの証言と同様、名琴さんから提示されたお猪口に関する情報は

たったの二つだ。少なすぎる。

 

 「ごめんねぇ、弁護士さん。なにせ、宴会場がうるさかったもんだから、酒の味を感じることすら難しい状況で……。これが精いっぱいなんだよぉ」

 名琴さんは手帳を再び取り出すと、メモを取りながらこちらに申し訳程度の謝辞の意を述べる。

 これは……またムジュンが見つからないパターンなのか? 個人的にはそれは避けたいのだけれど……。

 

 「では弁護人。尋問をお願いするわ」

 「わ、分かりました」

 ひとまず、さっきと同じように、提示された証言を精査していくとしよう。大丈夫。まだ彼の他にも証人は三人いる。焦る必要はないんだ。

 自分にそう言い聞かせつつ、尋問へと突入した。

 

 「あ。今の証言、メモを取っておいたから、もしよければ活用してね!」

 —尋問開始— ~宴会で使われていたお猪口について②~

 

「宴会で座っていた席、あなたが証言した通りの場所で間違いありませんね?」

 弁護席から上面図を片手に、名琴さんに確認する。

 「んー、あっていると思うけど……上面図が遠くてよく見えないなぁ。弁護士さん、こっちに来てくれるぅ?」

 名琴さんは、目をしかめて首を伸ばしながら上面図を凝視する。……本音を言うと彼になるべく近づきたくないのだが、本当に見えづらい可能性もある。

妥協したぼくは、上面図を持って証言席のほうへと向かった。

 

「うーん。そうだね、ここであっているよぉ」

眼前につきつけられた上面図をまじまじと眺めて数秒、名琴さんは問題ない、と頷いた。

上面図を見ている間、数回こちらに視線を飛ばされた気がするが、気のせいという事にしておこう。

……この人はぼくの何を気に入っているのだ。恐怖が一線を越えて疑問へと変わっていく感じがした。

 

弁護席へと戻ったぼくは、次に東雲さんの証言の時から気になっていたことについて質問する。

 

「宴会場が薄暗いとのことですが……なぜ薄暗かったのでしょうか?」

「ああ。あの庵の家主……鬼道とかいう鬼だっけ? 彼女、貧乏らしくて、灯り用のろうそくの数が少なかったんだよねぇ。しかもあそこ、あまり月明かりが入ってこない場所っていうのもあってねぇ。そっちを使って灯りを確保する、ってこともできなかったんだよぉ」

「なるほど……」

確かに、調査で庵を訪れた時、やけに光が差し込みにくい場所であると感じていた。夜ならば尚更暗くなるだろう。

 

「ろうそくだけで灯りをとるなんて、まるで誕生日パーティみたいだね」

横から真宵ちゃんが率直な感想を述べる。

「ああ、なるほど……。ろうそくだけで灯りをとるって、ちょっとイメージが湧きづらいけど、あんな感じになるって考えればいいのか」

 子供の頃、誕生日に毎年見ていた、あの光景が脳裏に浮かぶ。

ふむ……確かに暗いな。数によるだろうが、本数が少ない場合、せいぜい自分の反対側に座っている人が見える程度だろう。距離がある相手の様子は、多分確認できない。

 ここまでの二人の証言の中で、同じような人物についてしか話されていない理由が、腑に落ちた感じがした。

 

 「私の家の対面の間みたいに、沢山ろうそくがあればしっかり明るくなるんだけどねー」

 対面の間……二年前のあの事件の現場か。そういえば、やたらにろうそくが並べてあったな、あの部屋。線香の匂いもきつかった記憶がある。

 

 さて、少し話が脱線した。尋問に戻るとしよう。

 

 「では、次にお猪口のことについて。東雲さんが華の柄のお猪口を使っていなかった根拠について教えてください」

 「根拠ねぇ。……あの時、現場にあったお猪口に描かれていた絵の中で、赤色が使われていたのは、彼岸華が描かれたお猪口だけだったんだよぉ。でも、彼のお猪口には赤色は見えなかった。赤は目立つ色だからねぇ。いくら薄暗い場所とはいえ、見たら覚えているはずさぁ。でも、ぼくの記憶にはない。じゃあ、彼は華の柄のお猪口を使っていない、ってことさぁ」

 万年筆をクルクルと高速回転させながら、名琴さんは答える。それ、どうやっているんだ?

 

 「では、風のお猪口を使っていなかった、という点についての根拠は?」

 「ああ。彼の使っていたお猪口に風が吹いている絵が描かれていなかった。ただそれだけの話だよぉ」

 名琴さんは至極当然、と言いたげな感じで答える。こうはっきりと言い切られてしまうと、こちらはこれ以上何も言えない。つっこもうにも切り口が見つからないので、ここは断念した。

 

 「……そういえば、一つ思い出したのですが。名琴さん。あなたと鈴くんは、宴会の準備に参加して、お猪口を並べる役割を担当していたと聞きました」

 ぼくがそう言うと、名琴さんはその糸のように細い目をほんの少しだけ見開いた。

 

 「……うん。そうだよぉ」

 「その時、どこにどの柄のお猪口を置いたか、というのは覚えていますか?」

 「うーん……。申し訳ないけど、覚えていないねぇ。適当に置いたものだからぁ」

 「そうですか……」

 ううむ……お猪口を置いた人なら、何か覚えているかと思ったのだが……。考えが甘かったようだ。後で鈴くんにも聞いてみるとしよう。

 

 ……ダメだ。これ以上何も浮かばない。

 先ほどの質問をして数十秒後。ぼくの頭には一切質問が思い浮かんでこなかった。

 またしてもムジュンが見つからない。今までも、ムジュンが見つからないケースはあったが、連続して遭遇したことは、そうそうなかった。あまり経験した事がないのも相まって、違和感を覚えまくる。

 

 「……弁護人。またムジュンがないと悩んでいるようですね」

 すると、また諭すような声色で四季検事が話し始める。

 「先ほど言ったでしょう。ムジュンがあると先入観を持って尋問するのはいけない。今、あなたは提示されている情報について聞きつくした。その結果、またムジュンはなかった。ならば、その結果を受け入れるのがいいでしょう」

 ……どうにも違和感を覚える。先ほどは、彼女の言葉は正論だと思い、それに従った。

 しかし、今改めて同じような話を聞くと……まるで、四季検事に裁判の流れを誘導させられているように感じられる。

 

 「どうしました、弁護人。眉間にしわが寄っていますが」

 四季検事は冷静な口ぶりを保っている。彼女の裏側に隠れた真意が読めない。

 どうする……ここは乗っかるべきなのか? それとも無視して尋問を続けるべきなのか?

 考えても答えは出ない。四季検事が仕掛けてくるなら、恐らく全ての証言が終わった後のはずだ。そしてこれまでに証言した証人は五人中の二人。まだ半分のポイントに差し掛かっていない。

 

 ここは……ひとまず乗っかることにしよう。次の三人目。もし三人目の証人を尋問した結果、またムジュンが見つからなかった場合は、四季検事が打ち切りを提案してきたとしても、無視して尋問を続けよう。

その結果、ムジュンが出たら今までの証言にも問題があるかもしれないと主張して、再度東雲さんと名琴さんに尋問すればいい。もし自分が納得のいくまで尋問しても、ムジュンが出なければその時はスルーする……この方針で行こう。まだこれが罠だと認定するのは時期尚早な感じがする。

 

「分かりました。これ以上ゆさぶっても何も出てきそうにないようです。裁判長。弁護側からは以上です」

ぼくの言葉を聞いた紫さんは、驚いた表情を見せる。

 

「あら。二回連続でこんなにあっさりと終わるなんて。あなたらしくないわね? 今日はまだ“異議あり”を一度も聞いていないわ」

「……何も出てこないので仕方がありません」

 「まあ、あなた自身が言うのならばいいでしょう。では、これをもって名琴為人への尋問を終了するわ」

 木槌の音と共に、尋問が打ち切られた。

……そういえば、紫さんの言う通り、まだ今日は一度も“異議あり”と叫んでいない。二人目の証人への尋問が終了した時点で叫んでいないというのは、今まで一度もなかったはずだ。ううむ、意識すると腹の底がムズムズとしてきたぞ。

 

 「さて……。では、次の証人を呼びましょう。水橋パルスィさんをこちらへ」

 名琴さんが東雲さんの隣に移動したのと共に、出入り口が開かれた。姿を現したパルスィさんは、右手の親指の爪を噛んだまま、証人席に着く。うわあ……どうやら、少しご機嫌斜めのようだ。

 

 「では証人。名前と職業、種族を」

 「…………やっぱり妬ましいわね。あなた」

 四季検事の身分確認に無視を決め込んだパルスィさんは、なぜかぼくの方に恨めし気な視線を送る。

 

 「え、えっとパルスィさん……妬ましいとはどういう……」

 「妬ましいわ。その独特のギザギザ頭……」

 「ぎ、ギザギザ頭?」

 意外な方向からの攻撃だ。てっきり、また勇儀さん関係で何か来ると思っていたのだが……。

 

 「な、なによ……! その目立つ髪で、法廷中から注目を浴びようっていうわけ!? ああ妬ましい! 日影者として疎まれている私への当てつけってわけ? 堂々と見せびらかしてくれちゃって! ああ、妬ましい……妬ましい……」

 ……やはり、どうやら面倒な人に目をつけられてしまったようだ。

 

 「よくよく考えたら、昨日の勇儀の発言だって信用できないわ。勇儀は優しいから、きっとあなたのことをかばっているのよ! あなた、私の勇儀に何かしたのでしょう!? 妬ましい……!」

 ……意外なほうから来たと思ったら、やっぱり正面からも突き刺してきた。だから、何もしてないのに……。あんなに頼りないと思っていた勇儀さんの存在が、今は喉から手が出るほど欲しい。だれかこの人の妬みから来る怒りを鎮めてくれえ……。

 

 「だいたい、私はこんなところに呼ばれる筋合いなんてないわ! そもそも……」

 「……証人ッ!」

 「ひっ!」

 パルスィさんの捲し立てるような文句を、悔悟の棒を叩きつけた四季検事が、ものすごい剣幕で押し黙らせた。

 

 「……それ以上妬み嫉みを口にするようならば……この悔悟の棒が物を言いますよ」

 再び悔悟の棒を叩きつけた四季検事が、パルスィさんを睨む。

 

 「ぐ……そ、それは遠慮させてもらうわ」

 「なら、大人しく私の言うことを聞きなさい。それがあなたの積める善行です」

 「ぐうう……妬ましい……! あなたの全てを制圧するその力が……!」

 「…………」

 「むぅ……。わ、分かったわよ! 大人しくするわ。大人しくすればいいんでしょう?」

 「よろしい」

 懲りずにパルスィさんは、妬み節を発動しようとしたが、四季検事の無言の圧力の前に、ついに屈した。勇儀さん以外にあの勢いを押しつぶすことができる人がいたとは。

 四季検事……恐ろしい人。

 

 「では改めて。証人、名前と職業、種族を述べるように」

 「……水橋パルスィ。橋姫。普段は旧地獄の橋にいるわ」

 観念したパルスィさんは、しぶしぶ四季検事の言葉に従う。

 

「では証人。あなたが宴会中に目撃したお猪口のことについて証言を。……くれぐれも、話を脱線させないように」

 「い、言われなくても分かってるわよ!」

 釘を刺されたパルスィさんは、親指を噛んだまま証言に入る。

 ……彼女の勢いに押されて忘れていたが、この証言が、今後の弁護側の方針のターニングポイントとなる。さて、どんな証言が飛び出てくるのやら。

 

 

 

―証言開始― ~宴会で使われていたお猪口について③~

 

 「宴会があった時、私は玄関側から見て手前の列の一番右端に座っていたわ。……よりによって、勇儀と正反対の場所よ! まったく席を決めたやつは一体何を……」

 「証人……?」

 「ぐっ……。わ、悪かったわね」

 証言が危うく脱線しかけたパルスィさんを、四季検事が無理やり元のほうへと引き戻す。なんだか彼女のことが少し頼もしく思えてきた。

 

 「お、お猪口について話せばいいのね? 勇儀の隣に座れなくて、周りの奴らばかり見ていたから、それなりに目撃しているわ。まず、東雲って奴は鳥のお猪口は使っていなかったわ。次に、鬼灯ってちっちゃい鬼は月のお猪口を使っていたわ。そして最後。陽皐って奴は風のお猪口を使っていた。……私が覚えているのは、こんなものかしらね」

 

 

 

 「つ、月と風のお猪口を使っているのを見た……それって本当ですか!」

 ここにきて、ついに特定のお猪口を“使っていた”という証言が出た。これはかなり大きい。

 「ええ。見たわ。勇儀と話せない間、周りばっかり見ていたから」

 よし。ムジュンではないものの、一気に五人中、二人のお猪口が判明した。三人目の証人にしてようやく裁判が進みそうだ。

 

 「では弁護人。尋問を」

 「分かりました!」

 やや高揚した気分のまま、尋問へと入った。

 ―尋問開始— ~宴会で使われていたお猪口について③~

 

 「では最初に。あなたが宴会中に座っていた場所についてですが……この場所で間違いありませ……」

 「何度も言わせないでちょうだい! さっきも話したでしょう! お願いだから思い出させないで……ほんの一瞬でも勇儀のそばを離れたって認めたくないのよ……」

 高ぶる気持ちを押さえつつ、堅実に座っていた席を聞こうと思ったら、いきなりこのザマだ。パルスィさんの琴線に触れてしまったのか、彼女は頭を抱えてもがき始めた。

 

 「みんな和気あいあいと宴会を楽しんじゃって! 私だけよ? 会話の輪に入れなかったの。あーもう……勇儀以外全員酔いつぶれてぶっ倒れればよかったのに……みんななんであんなに酒に強いのよ……」

 パルスィさんは頭をかきむしる。……ちょっと怖い。

 

 「……弁護人。今までの彼女の言動をあなたは見ていなかったのですか? 彼女に、あの鬼についての話題は禁句です。もっと周りをよく見なさい」

 「ご……ごめんなさい」

 怒られてしまった。

 

 「え、ええと。ではお猪口のことについて聞いていきます。まず、東雲さんが鳥のお猪口を使っていなかった根拠を教えてください」

 「そりゃもちろん、彼の使っていたお猪口に鳥の絵が描かれていなかったからよ。それ以外に理由なんてないわ」

 ふむ……問題なさそうだな。あの場にあったお猪口の中で、鳥の絵が描かれているお猪口は一種類しかない。見間違いをしていない限りは問題ないが……。

 

 「では次に。鬼灯鈴くんが月のお猪口を使っていた根拠は?」

 「お猪口にすっぽんが描いてあった、だから月のお猪口。至極当然の事ね。あんな趣味の悪い柄、見間違えるはずがないわ」

 「……同感です」

 やはり、お猪口にあの絵を描こうと思った作り手のセンスを疑ってしまう。なんですっぽんなんだよ……。ともかく、こちらの証言も信用できそうだな。鳥の絵よりも目立つ分、こちらの方が信ぴょう性が高いかもしれない。

 

 「では最後。瑠夏さんが風のお猪口を使っていた根拠は何でしょう」

 「これが一番自信がないのだけれど……。彼女の使っていたお猪口、青色の線がうねっているような絵が描かれていたのよね。あれは多分風だと思うわ」

 やや歯切れの悪い言い方だ。……確かに、風の絵に使われている色は青色だ。問題ない……のか? 

 彼女のやや悩んだような口ぶりが引っかかる。これは……ムジュンの片鱗なのだろうか。

 

 「いやー。ようやく早見表に丸印が書けたよ。それも二つも!」

 真宵ちゃんはVサインと共に、丸印が二つ書かれた手帳を見せる。

 「……うん。これで何とかなる気がしてきたよ」

 「……どうしたの、なるほどくん。なんだか少し引っ掛かっているみたいだけど」

 「うーん……瑠夏さんが風のお猪口を使っていたって話なんだけど……少し妙なんだよな」

 「それって、お猪口に描かれた絵の事?」

 「それもそうなんだけど……。他にも何か引っかかるんだよな」

 「引っかかる点ねえ……ごめん、私今回はなにも思い浮かばないや」

 意外なところでひらめきが強い真宵ちゃんだが、今回はお手上げのようだ。自分で考えるしかない。

 よし、とりあえず法廷記録を見直してみるか。……尋問中のパルスィさんの話や、調査で得た話も役に立つかもしれない。

この証言、どこかにムジュンがあるとぼくの勘が告げている。見逃すわけにはいかないぞ……!

 

 「異議あり!」

 腹の底から大声で、人差し指をつきつけて叫ぶこの感覚。体の奥底にたまっていた、形容しがたいモヤモヤが一気に晴れたような気がした。やはり、ぼくにはこのセリフが一番あっている。

 

 「瑠夏さんが風のお猪口を使っていた……弁護側としては、この上なくありがたい情報でした。……しかし、この証言にはムジュンが一つあるのです!」

 「む、ムジュン? 柄の話を聞いている限りだと、問題ないように思えるけれど」

 紫さんが言った。

 

 「……確かに、柄についての証言は問題ないと言えるでしょう。しかし、本当の問題点は別のところに潜んでいる」

 個人的には、柄の話についてもいささか問題があるように思えるが、ひとまず今はスルーする。もっと明確にムジュンしているポイントがあるのだ。

 

 「これは、開廷時に検察側から渡された資料です。全ての資料にはそれぞれ、お猪口に描かれている絵、付着している指紋の持ち主、そして……お猪口内のアルコール成分について書かれています。今回問題になるのは、アルコール成分のところです」

 「ふむ……。興味深いですね。弁護人、聞かせていただけますか?」

 四季検事が尋ねてくる。その声色は冷静そのものだ。ムジュンを指摘されているのに、焦っている様子がないのが少し変に思えるが、今は無視することにする。

 

 「証人の話によると、瑠夏さんは風の柄のお猪口を使っていたとのことでした。では、それを踏まえたうえで、風の柄のお猪口の情報を見てみると……欠けているものとそうでないものから、共に“強い”アルコール成分を検出、と書かれているのが分かります」

 「そのようね。でも、これが問題足りえるのかしら? 今までの証言を聞く限りだと、お猪口の特定において重要とされるのは、お猪口に描かれた絵のようだけれど」

 「ところが、今回はそうはいきません」

 ぼくはそう言うと、法廷記録からメモを取り出す。

 

 「実は……件の瑠夏さんなのですが、酒に強い鬼族でありながら、ものすごく酒に弱い体質なのです。ですよね、東雲さん?」

 「え、ええ、そうッス。あいつ、全然飲めないくせに、俺たちと飲むってしつこくて……いつも手を焼いているッス。ちょっとでも強い酒が入ったら、すぐにバタンキューっスからね。酔い止めを持参することもあるけれど、効果はほぼ皆無ッス」

 法廷の端で待機していた東雲さんが答える。ここに残ってくれていてよかった。

 

 「鬼族なのに酒に弱い……確かに珍しいわね」

 紫さんは驚きの声を上げる。

 

 「そして、今回の尋問の中で、パルスィさんは“勇儀以外全員酔いつぶれてぶっ倒れればよかったのに……みんななんであんなに酒に強いのよ……”という発言をしました。これは、宴会中誰一人酔いつぶれることがなかった、という事を意味しています」

 ぼくは机を叩くと、続ける。

 

 「さて、ここで瑠夏さんが風の柄のお猪口を使っていた、という前提に立ち返ってみましょう。ここまでの情報を総合すれば……この前提にムジュンがあるということは明確です。もし、パルスィさんの証言が正しいとしたならば、強いアルコール成分を含む酒を飲んだ瑠夏さんが酔いつぶれていないのはおかしい。……つまり! 瑠夏さんは風の柄のお猪口を使っていなかったのです!」

 人差し指をつきつけるとともに、ぼくは叫んだ。久々のムジュン指摘に、傍聴席が少し騒がしくなる。

 

 「静粛に! 今のところ、主張に問題は見受けられないようね。検察側から、何か反論はあるかしら?」

木槌を打ち鳴らした紫さんは、続けて四季検事に問う。張本人である彼女は、どこ吹く風、といった感じでまったく動揺していなかった。

 

「折角のお言葉ですが……。裁判長。検察側から反論は“一切”ありません」

「い、一切、ですか?」

 「ええ」

 思わず聞き返したら、涼しい顔で言い切られてしまった。てっきり、即座に異議が飛んでくると思っていたのに……。

やはり、今日の四季検事は何かがおかしい。まるで、こうなることを予測していた……というよりも、こうなることを“望んでいる”ように見える。

 

 「お猪口の分析は、信頼足りうる者たちによってなされたものです。情報にケチをつけるつもりはありません。また、弁護側の只今の証明も、筋が通ったものです。反論の余地は、無いと考えます」

 きっぱりと言い切る四季検事。眉一つ動いていない。演技ではなく、心の底からの発言のようだ。

 

 「あら、こちらも珍しいわね。なんだか、今日の法廷は色々とイレギュラーな要素が多いようね」

 紫さんはまたも目を丸くして驚いていた。

 

 ……結果的には、お猪口を“使っていた”という情報を一つ失ってしまうこととなったが、今回の証言にはムジュンがあった。どうやら、今までの証言にムジュンがなかったのは、検察側の工作でもなんでもなかったようだ。

 

 ……でも、まだどこかに罠が仕掛けられている気がしてならない。証言の穴をつかれたにもかかわらず、動揺することのない四季検事……ムジュンを指摘した結果、こちら側の首が若干締まったからと考えるのが自然だが……あの余裕は、もっと別のところからきているような気がする。

 四季検事……一体何を考えている?

 

 「さて、ムジュンが一つ見つかったところで、尋問に戻ってもらう……と行きたいところだけど、一応弁護側に聞いておくわ。まだ尋問を続けるかしら?」

 「……いえ。今のところ、これ以上ムジュンは見つからないようです。打ち切っていただいて構いません」

 「分かったわ。では、これをもって水橋パルスィへの尋問を終了するわ」

 木槌が打ち鳴らされ、尋問が終わる。

 

 「うう……せっかく丸印が二つ付いたと思ったのに。一つに減っちゃったよ」

 隣では、真宵ちゃんが消しゴムで丸印を消して、代わりにバツ印を書いている。

 「ま、まあ、まだ証人は二人いるし、どうにかなるだろう」

 真宵ちゃんにそう言ったが、自分の声が震えているのが分かる。なんだか、少し嫌な予感がしないでもない。

 

 「では、次の証人を入廷させていただきましょう。鬼灯鈴さんをここへ!」

 四季検事の声にやや遅れる形で、ゆっくりと扉が開く。

小さなシルエットは少し自信なさげな様子で、おずおずと傍聴席を突っ切って、証言台につく。歩幅が小さいというのもあって、席に着くまで少し時間がかかっていた。

 

 「では、証人。名前と職業、種族を述べて下さい」

 「…………」

 四季検事が、慣例通り身分確認を行う。が、鈴くんはそれに答えない。例の人見知りが発動してしまっているようだ。小さな体をさらに小さく縮こまらせて、すっかり委縮してしまっている。頭に生えた二本の短い角も、どこか元気がないように見えた。

 

 「……証人。焦る必要はありません。ゆっくりでいいので……」

 四季検事の声色が柔らかく、優しいものになった。昨日の大ちゃんへの態度といい、彼女は子供が相手になると、途端に柔和な姿勢をとるようだ。子供好きなのだろう。

 

 「わ、わわわ私は、ほほほほほ鬼灯鈴でしゅ! ……です」

 鈴くんは四季検事の言葉が終わると同時に、慌てて名前を名乗った。慌てすぎて、語尾を噛んでしまっている。恥ずかしいのか、頬が紅潮していた。

 

 「……この際、他の事柄はいいでしょう。重要なのは証言です」

 やはり四季検事は子供に甘い。名前しか述べていないが、問題なしと片付けて裁判を進行させる。

 

 「では、証人。宴会中に見たお猪口について話してくれますか?」

 「…………」

 鈴くんは再び縮こまって黙ってしまう。こりゃ相当重症だな。

 

 「これも焦って喋らなくていいのです。落ち着いて……」

 「わわわ、分かりました! 話しますっ!」

 「え、ええ……お願いします」

 鈴くんはどうも緊張が高まりすぎて、行動が空回りしているようだ。突然鈴くんが叫んだことで、四季検事は面食らったような顔で驚いている。彼女のこんな顔を見たのは初めてかもしれない。

 鈴くんは、頬を真っ赤に染めながら証言へと入った。

 —証言開始— ~宴会で使われていたお猪口について④~

 

 「ええっと、あの日私は璃月と瑠夏ちゃんが先に宴会場に行って、私は後から行ったの。緊張していて周りをよく見ていなかったのだけど……名琴っていう人間が、風の柄のお猪口? を使っていたよ。ええっとええっと……私、瑠夏ちゃんの代わりに強いお酒、たくさん飲んだりしたの!」

 

 「……ありがとうございました、証人」

 証言を聞き終えた四季検事が、鈴くんに深々とお辞儀をした。鈴くんはやや緊張がほぐれたのか、顔を上げている。が、まだ肩で息をしているのを見るに、完全には解き切れていないようだ。

 

 ……しかし参った。お猪口を“使っていた”という証言こそ出てきたものの、情報がそれ一つというのは少し痛い。いや、確実な情報が手に入ったのにそれを言うのは贅沢という物なのだろうか。……それに、関係ない情報まで喋っている。緊張してつい、ということだろう。

 

「では弁護人。尋問をお願いするわ」

 「分かりました」

 鈴くんはかなり緊張している。昨日の大ちゃんの時みたいに、何も考えずいつもの調子で突っ込んでいったら、四季検事に怒られかねない。気を付けなければ。

 

 

 

 —尋問開始— ~宴会で使われていたお猪口について④~

 

 さて、これまで三人の証人については、最初に座っていた席について聞いていたが……今回、鈴くんはそれについて証言していない。

聞いておくべきかどうかと言われると……優先度は比較的低めだし、今回はスルーしよう。

確か、東雲さんの隣に座っていたらしいし、そのあたりから絞っていけば自ずとわかる。もっとも、そもそも上面図に書かれているから、問題ないのだけれど。

 

 「ええっと……ちっちゃいのに、強いお酒が飲めるなんて、すごいね」

 お猪口の下りとは全く関係ないが、緊張をほぐすという意味を込めて、変化球を投げてみる。

 「…………」

 が、鈴くんは黙ったままだ。あまり意味がなかったか?

 

 「す、すごくなんてないよ。……ふん」

 やや胸を張りながらも、少しぶっきらぼうな言い方で返答が返ってきた。

 ……会話のとっかかりが作れていない気がする。

 

 「もう。なるほどくんは子供の扱いがなってないなあ。こういう時は、私に任せて!」

 隣の真宵ちゃんが、見かねたようにそう言うと、机から身を乗り出して鈴くんに話しかける。

 

 「鈴くん、鈴くん。私、綾里真宵。覚えてる?」

 「…………」

 真宵ちゃんの問いかけに、鈴くんは無言のまま首を振った。

 「そっか……まあ、あの時は東雲さんとトノサマン談議で盛り上がってたもんなー。じゃあ、改めて、私の事を覚えてくれると嬉しいな!」

 「…………」

 鈴くんは硬く縮こまらせていた体を、ほんの少し緩めた。さすが真宵ちゃんだ。この年になってもまだ子供っぽいだけのことはある

 

 「……なるほどくん、今すごく失礼なこと考えなかった?」

 「い、いやいや。とんでもない」

 ……時々この子、ぼくの心を読んでくるんだよな。霊媒師だからだろうか。

 

 「鈴くん、宴会は楽しかった?」

 「……ううん」

 「え? 楽しくなかったの?」

 「うん。私の隣に、瑠夏ちゃんが座ったんだけど……ずっと私に構わず一人で飲んでたの。

瑠夏ちゃんったら、一人だけ楽しそうにしちゃって……私だって、私だって……」

 「ああ……ご、ごめんね。嫌な事を聞いちゃったみたい……」

 真宵ちゃんは焦りだす。

 

 瑠夏さんが宴会中鈴くんのことを構わなかった……? 少し妙な気もするが……そういう気分じゃなかったのだろうか。

 

 「え、ええと。それじゃあ、この裁判が終わったら、私と一緒に瑠夏さんにジカタンパンしに行こう!」

 ……ジカタンパンってなんだ。新手の短パンか?

 

 「え、ええと。私は……」

 「大丈夫! 話せばきっと分かってくれるって。……もしかして嫌だったかな?」

 「う、ううん……」

 鈴くんは上目遣いで真宵ちゃんの方を見た。

 「……なるほどくん。かわいいね、この子。瑠夏さんの気持ちが、今少しわかった気がしたよ」

 真宵ちゃんは、やや興奮気味に話す。

 

 「さて、それはさておき。今から、このトゲトゲの人がいくつか質問するからよろしくね? さ、なるほどくん。場、温めといたよ」

 肩をポンと叩かれた。……温まったかどうかはちょっと疑問だけれど……鈴くんの緊張も、ある程度はほぐれたようだし、よしとしよう。

 

 

 「えーっと、じゃあ鈴くん。なんで名琴さんが、風の柄のお猪口を使っていたって思ったのかな?」

 「……わたあめ」

 「わ……わたあめ?」

 「その人の使っていたお猪口に、わたあめみたいな絵が描いてあったの。だから」

 鈴くんはややそっぽを向きながら答える。まだぼくには心を開いてくれないようだ。

 わたあめ……きっと雲の事だろう。……確かに、雲の絵は風の柄のお猪口にしか描かれていない絵だ。問題はなさそうかな?

 

 あ、そうだ。そういえば、鈴くんも名琴さんと同様、宴会の準備でお猪口を並べていたんだったな。何か覚えていないか聞いておくか。

 

 「じゃあ次に……鈴くんはいつも東雲さんと瑠夏さんの三人で行動しているんだよね? 宴会当日はなんで一人だけ遅れて行ったのかな?」

 「そ、それは……よ、用事があったの!」

 用事、ときたか……。

 

 「あれ、でもちょっとおかしいね。君は確か宴会場に先に行って、名琴さんとお猪口を並べる手伝いをしていたはずだ。先に宴会場に行っていたのはむしろ鈴くんの方なんじゃないかな?」

 「! そ、それは……」

 鈴くんは体をびくりと跳ねさせると、縮こまって口をもごもごとさせた。

 

 「あ、弁護士さん。そのことなんだけどねぇ」

 「今のは……な、名琴さん」

 法廷の端にいた名琴さんが、今の質問に反応した。

 

 「実は、さっき話しそびれたんだけどぉ。お猪口の準備、確かに僕とそこの子が任されたんだけど、実際は並べるの全部僕がやったんだよぉ」

 「そ、そうだったんですか」

 「うん。彼、今みたいに縮こまって動かないもんだから。仕方なく、僕一人でねぇ。そうしたら彼、部屋を出ていっちゃんたんだよぉ。それからしばらくして、例の残り二人の鬼がやってきて、彼はその後にやってきたってわけ。証言で話していたのは、たぶんそのことなんじゃないかなぁ?」

 これは初耳だった。メディスンさんは、確か木の箱からお猪口を取り出すところこそ見ていたが、一部始終は見ていないと話していた。取り出す作業は手伝ったけれど、並べたのは名琴さんだけだった、ということだろう。

 

 ……と、なると鈴くんにお猪口の柄について尋ねても意味がなさそうだな……並べてないなら知っているわけもない。質問しようと思っていたけれど……やったところでどのみち無駄骨だったようだ。

 

 ならば、これ以上このことについて鈴くんに尋ねる必要はない。「あ、やっぱり大丈夫、ありがとう」と伝えると、鈴くんはコクリと頷いた。

 

 「……ムジュンがない、って顔をしているね?」

 「……うん。また見つからないパターンだ。そもそも、証言から得られる情報自体が少ないからね」

 「うーん……でも、こうして丸印がまた一つ増えたんだし、よしとしようよ」

 真宵ちゃんは丸印の付いた手帳を見せてくる。

 

 ……裁判冒頭の四季検事の言葉を信じるなら、これ以上何か包み隠された情報はないのだろう。そして、今までの証言を尋問してきた限り、ムジュンがないことが即ち、検察側の工作だと断定することはできない。

 ……ここは、引き下がったほうが無難かもしれない。鈴くんにあまり負担をかけると、本人にも悪いし、なにより四季検事に何を言われるか分かったものじゃない。

 

 一つ懸念する点があるとするならば、残る証人があと一人だという事だ。四季検事は、弁護側は鳥の柄のお猪口を使っていた人物を特定できない、と話していたが、これはそもそも情報が少ないから特定することができない、という意味のように思えてきた。

 現時点で使用者が判明しているお猪口は二つ。まだ確定していない人たちは、残る三つのお猪口を使っていることになるわけだ。

 しかし……あと一回の証言で特定できるはずが……。あれ、でも待てよ?

 

 視界の端にちらりと映った真宵ちゃんの手帳を見て、少し感じるものがあった。これ……もしかして。

 

 「真宵ちゃん、ちょっとその手帳貸して」

 「え? いいけど……」

 受け取った手帳に書かれた表をまじまじと見つめる。……やっぱりそうだ。でも、これって……。

 

 「どうしたの、なるほどくん? 何か気づいたことでもあった?」

 「……確定できるんだよ。鳥のお猪口を使っていた人物が」

 「え、ええ!?」

 「今までの証言で、鈴くんが月、名琴さんが風のお猪口を使っていたことが確定した。これは即ち、他の人物がこのお猪口を使っていないことを意味する。つまり、誰かが“使っていた”は、間接的に誰かが“使っていない”という事を表すのに等しいんだ。そして……今までに出てきた情報をかき集めると、この時点で東雲さんが欠けている風の柄のお猪口を使っていたことが確定する」

 ぼくは手帳にバツ印を書き込んでいく。すると、東雲さんの行には四つのバツ印が書かれた。これで、何も印がついていない欠けた風の柄のお猪口が、彼の使っていたものだと分かる。

 

 「そして、東雲さんの使っていたお猪口が特定できたことにより、瑠夏さんのお猪口候補が、華の柄のお猪口一つに絞られるんだ」

 再びバツ印を書き込む。瑠夏さんの行も、先程と同様にバツ印が四つになった。これで使用していたのが、華の柄のお猪口だと確定される。

 

 「最後に、四つのお猪口の使用者が判明したことで、消去法的に最後の一つ……鳥の柄のお猪口の使用者が分かる。でも……」

 「その人物は……パルスィさんってことになるよね」

 「そうなんだ」

 5×5の表。その最後の空欄の一マスはパルスィさんと、鳥の柄のお猪口の行が交わっているところだった。何度も確認したから間違いないはずだ。

 

 ……個人的な話になるが、パルスィさんが真犯人だとは考えにくい。けれども、事実は彼女が鳥の柄のお猪口の使用者だと指し示している。どこかで、道を間違えたとでもいうのか?

 

 「ふふふ……」

 その時、検察側から不敵な笑みが聞こえた。見ると、四季検事が笑顔を浮かべている。その表情は、愉悦に浸っているようだ。

 

 「ついにたどり着きましたか、弁護人。……まさか、ここまでうまくいくとは」

 四季検事は、なおも笑い続ける。

 

 「鳥の柄のお猪口の使用者が確定したのでしょう? 何をそんなに困った顔をしているのですか」

 四季検事は、鳥の柄のお猪口の使用者……即ち真犯人候補になりうる存在が登場したのにもかかわらず、余裕しゃくしゃくと言った感じだ。

おかしい。どう考えても、真犯人候補の登場は、検察側にとって不利にしか働かないはずだ。それなのになぜ笑っていられる?

今日の法廷、彼女は散々おかしな態度をとり続けてきたが、今回のそれは、今までの比でない。何か裏にない限り、こんな態度はとれないはずだ。

 

どうする……どうすればいい? てっきり、検察側が仕掛けてくるとするならば、最後の証言が終わったタイミングだと思っていたものだから、油断してしまっていた。

目の前にある事実を素直に受け止めるならば、残る証人……瑠夏さんの証言は必要ない。

けれど……本当にパルスィさんが真犯人なのか? 嫉妬深い性格は、なにかしらの動機を生む可能性を秘めていると言えるが……。

 

しかし、彼女を真犯人だと仮定した場合、お猪口の移動の説明が難しくなる。もしも、真犯人として告発した場合、そこの証明ができる自信がない。

それを回避するために次の証言を聞く手もある。けれど……そちらにも罠が待ち構えている気がする。

 

気づけば、すっかり四面楚歌な状況に追い込まれていた。切り上げても突破は難しく、前に突っ切ろうものなら罠にはまる可能性がある。どちらを選んでも、待っている結果は恐らく……負け。

どっちだ……うう、どっちも正解じゃない気がする。第三の選択肢でもあればいいのだが、そんなものは思いつかない。そもそも、あるかどうかも分からない。

 

「ふふ……悩みなさい。大いに悩みなさい、弁護人」

四季検事は薄ら笑いを浮かべながら、悔悟の棒をペチペチと手のひらに打ち付ける。

 

……よし、決めた。前に進もう。考えるべきは、この後の展開に対応するための手札集めだ。

もしかしたら、瑠夏さんの証言に、この状況を打開しうる大きな情報が眠っているかもしれない。罠に警戒して引いてしまった場合、その情報を得ることができずにパルスィさんを告発することになる。

 

“法廷でモノを言うのは証拠品のみ”。その原則に従うならば、少しでも情報をかき集めたい。いつだってぼくは道なき道を無理やり切り開いて戦ってきたんだ。罠におびえて引き下がるなんて、ぼくらしくないじゃないか!

 

ぼくは覚悟を決めた。その意を表すように、机を思いっきり叩いた。

 

「裁判長。鬼灯鈴くんに対する、弁護側からの尋問は、これで以上です。そして…………残る最後の証人、陽皐瑠夏さんの証言を求めます!」

 ぼくの叫び声が響き渡り切ると、法廷には水を打ったような静寂が訪れた。が、すぐにその静寂は、笑い声によって破られる。

 

 「ふ……ふふふ……はっはっは!」

 絵に描いたような高笑いを四季検事は上げる。

 

 「ふ……まさかここまで……ここまで想像通りに動いてくれるとは、予想外でした」

 あまりにおかしいのか、四季検事は目の端にうっすらと涙を浮かべていた。指先でそれをぬぐった彼女は続ける。

 

 「時には引き際も肝心……東雲璃月氏への尋問中に、親切に教えを説いてあげたにもかかわらず、あなたは愚かにも前に進む……。その無謀ともいえる判断を下したのが、あなたの運の尽きです」

 四季検事は、悔悟の棒ごと机を叩きつけ、そう言った。

 

 「今この瞬間、勝負は決した。成歩堂弁護士……やはりあなたは、この私に勝つことができない!」

 続けて悔悟の棒を四季検事はこちらにつきつけながら、勝利宣言を高らかに四季検事は叫ぶ。

 

 「異議あり! 確かに、この判断は無謀かもしれません。しかし、愚かな行いかどうかはまだ分からない!」

 「ふん。“異議あり”と叫ぶことさえバカバカしく思える理論です。……もし、この時点で引き下がっていたならば……ほんの、ほんのわずかではありますが、あなたにはまだ勝ち筋が残っていた。もっとも、その勝ち筋は辿れるか……いえ、そもそも存在しているかすら分からない代物ですが。しかし、前に進む道を選んだあなたには、そのわずかな勝ち筋さえ残されていない! ……約束しましょう。最後の尋問が終わったその瞬間、あなたはこの選択を後悔することになると、ね」

 四季検事は再び机を叩いた。

 

 「では、弁護人のお望み通り……最後の証人を入廷させるとしましょう。陽皐瑠夏さんをここへ!」

 

 四季検事の言葉が終わるのと同時に、まるで図ったようなタイミングで扉が開いた。最後の証人、瑠夏さんが入廷し、証人席に着く。手には、なぜかオレンジ色の風車を持っていた。

 

 瑠夏さんは法廷の端に待機していた鈴くんを見つけると、口角を上げ、手を振る。鈴くんはプイとそっぽを向いてそれを無視した。そして、なぜか東雲さんが手を振って応じている。

 「あんたじゃないよ」と、小声で返事をした瑠夏さんがため息をつくと、持っていた風車が少しだけクルクルと回った。

 

 「では証人。名前と職業、種族を」

 「陽皐瑠夏。種族は鬼。今は定職にはついていない。無職って奴さね」

 風車をカラカラと回しながら瑠夏さんが答える。

 

 「……ところで証人。一つ気になったのですが、なぜ風車を?」

 素直に疑問に思ったことを聞いた。

 

 「ん? 別に深い意味はないさね。強いて言うなら、私、クルクルしたものに目がないんさね。ナルトとか、ペロペロキャンディーとか、この風車とか。渦を描いたり、回転した物なら何でもいいんさね。ないと落ち着かないのよ」

 ナルトにペロペロキャンディー……確かに、両方とも渦を巻いている食べ物だな。昨日居酒屋で会った時、両方とも食べていたっけ。なるほど。そういう事だったのか。

 

 「では証人。宴会中に目撃したお猪口について証言を」

 「りょーかい」

 瑠夏さんは風車をいじりながら返事をすると、証言を始めた。

 

 

 

 —証言開始— ~宴会で使われていたお猪口について⑤~

 

 「しかし……宴会ねえ~。正直、ずっと隣にいた鈴の事しか見ていなかったから、ほとんど覚えていなかったさね。強いて言うなら……パルスィ、って私の左斜め前に座っていた奴は、欠けた風のお猪口を使っていなかったさね。あとあのアホ……璃月は月を使っていなかった。……そんなものさね」

 

 

 

 「最後の最後で、またザックリとした証言か……」

 どんな証言が来るのかと身構えていたが、蓋を開けてみれば実に情報の乏しい証言だった。

……それに、パルスィさんが欠けた風のお猪口を使っていないとのことだが、別にそれは問題ない。なぜなら、今までの証言から、彼女が使っていたお猪口は鳥のお猪口だと決定できるからだ。欠けた風のお猪口を使っていないことは、自明の理である。

璃月さんが月を使っていなかったという事も同じことが言える。彼が使っていたのは風のお猪口だと既に確定済みだ。今更月を使っていなかった、という証言が出てきたことに、何ら問題はない。

 

 「……ふふ。安心しているようですね、弁護人」

 またまた四季検事だ。相変わらず余裕そうな態度で笑っている。

 

 「ですが……そうしていられるのも今のうちです。尋問の場において、その安心は必ず崩れ去るでしょう。その時が、あなたが敗北を認める瞬間なのです」

 もうすっかり勝ち誇った気でいるようだ。物理的に見下されているわけでもないのに、そうされているような感じがする。

 

 ……この先に、何が待ち構えているのか分からない。でも、進むと決めたからには、それを押し通すしかない。まだ、勝負はついていないぞ!

 

 「では弁護人。尋問を」

 

 

 

 —尋問開始— ~宴会で使われていたお猪口について⑤~

 

 「ええと……宴会では、鈴くんの事ばかり見ていて、他はあまり覚えていないとのことですが……今、思い出せることはありますか?」

 「…………。……ないさね」

 きっぱりと言い切られてしまった。

 

 「人見知りの鈴が、私たち以外の奴らがいる宴会に参加したってだけで珍しいんだ、観察する以外の選択肢がないさね。むしろ、二つも覚えているなんて、奇跡さね」

 「そ……そうですか」

 至極当然と言いたげな話ぶりだ。嘘をついている様子はない。弱ったな……情報収集のつもりで彼女を呼んだのに、これじゃあ意味がない。

 

 「わ、分かりました。では、次にお猪口の事を……」

 さて、問題のお猪口だ。せめて、こちらで何かしらの情報を掴めればいいのだが。

 

 「東雲さんが月の柄のお猪口を使っていない根拠は何でしょう?」

 「趣味の悪いすっぽんの絵が描かれていなかったからさね」

 「なるほど」

 やはり、あの絵は一度見たものに強烈な印象を与えるようだ。月のお猪口に関する話では、毎回出てきている。

 

 「では、パルスィさんが欠けていた風のお猪口を使っていない、とのことですが。その根拠は?」

 「……正直なところ、柄は覚えていないさね」

 「では、なぜ分かったのでしょう?」

 「あんな欠けたお猪口で酒を飲んだら、口ん中怪我するさね。でも、彼女は特段痛そうにしていた様子はなかった。だから、使っていないんだろうな、って思ったさね」

 「なるほど。追加で聞きたいのですが……宴会中にふるまわれた料理の中に、口の中を傷つけてしまいそうな料理はありませんでしたか?」

 「口の中を傷つけそうな料理? どんなのさね」

 「例えば……天ぷらとかの揚げ物でしょうか」

 「あー、そういうことさね。うーん……いや、ないさね。あの場にあったのは、全部柔らかい料理ばっかだったさね。あれを食べて怪我をするってのは……考えにくいさね」

 「……ありがとうございます」

 

 彼女から聞き出せる情報は、これくらいだろう。そして……早くも、この証言にはムジュンが潜んでいることが分かった。けれど、このムジュンは……。

 

 「……ついにたどり着いてしまいましたね、弁護人」

 「…………」

 検事席から声が飛んできたが、返すべき言葉が思いつかなかった。

 

 「見つけたのでしょう? お得意の“ムジュン”を。指摘すればよいではないですか」

 「…………」

 「……しかし、今のあなたはそれを指摘するのをためらっているようです。当然です。なぜなら、これを指摘した瞬間……あなたの負けが確定するのですから」

 「…………」

 

 どうする……どうすればいい? 尋問した結果、目の前にムジュンが現れた。普段のぼくなら、迷うことなくそれを指摘する。でも……今回ばかりはそう簡単に指摘できない。ここでムジュンを指摘してしまえば最後……そのムジュンは、こちらにとって致命的なムジュンを呼び込むことになる。

つまり、四季検事の言う通り、このムジュンを認めた瞬間……弁護側は敗北を喫することになってしまう!

 

 「今ならば……今ならば、この証言・尋問をなかったことにしてあげても構いません。そうすれば、あなたはわずかに残った勝ち筋にまた追いすがることができる……。どうでしょうか、悪くないと思います」

 悔悟の棒をこちらにつきつけられた。最後の最後に、情けをかけているつもりのようだ。

 

 だがしかし、その情けを受けた先に待つのも、恐らく敗北。現状、手元にある証拠だけでパルスィさんが真犯人だと証明し切るのは、不可能に等しい。

 

 ……なら、もう残された道は一つしかないのではないか? ムジュンを指摘した結果、新たにムジュンが生まれる。よく考えれば、今までだってそうだったじゃないか。そして、ぼくは何度もその窮地を脱している。新たに表れたそれを突き崩すことで。

 そうだ、何も恐れる必要はない。今はただ目の前の、見過ごすことのできない決定的なムジュンを指摘するんだ。

後の事は、その時考える。怖気づいて退いてしまえば、その先にあるチャンスを掴み取れない。前に進むんだ! 引き下がることは、もう許されない!

 

 「……弁護人。諦めなさい。この提案に乗ることこそが、あなたが進むべき……」

 「異議あり!」

 勝ち誇る四季検事の鼻先めがけて、指をつきつける。

 

 「四季検事。何を言っても、もうぼくの耳には届きません。一度前に進むと決めた以上、ぼくはもう逃げない。弁護側は、只今の証言にムジュンがあると主張します!」

 「……愚かな。なぜ前に進もうとするのです? ……理解に、苦しみますね」

 四季検事は、眉をひそめて解せぬと言いたげだ。どう思われようが関係ない。これが、ぼくのやり方だ!

 

 「瑠夏さん。あなたは、パルスィさんが口内を怪我していなかったことを理由に、彼女が欠けた風のお猪口を使っていなかったと証言しました」

 「そうさね。私が見た限りだと、そうだったと思うさね」

 「……ところが。その発言は、ムジュンしているのですよ」

 ぼくは法廷記録からメモ用紙を取り出すと、それを見ながら続ける。

 

 「そもそもの話になりますが……あの日パルスィさんは、唇に怪我を負っていたのです」

 「え。私が見た限りだと、特に痛そうにしてなかったさね」

 「ですが、本人の証言があります。なんなら、本人に直接確認しましょう」

 パルスィさんのほうに目線を送った。それを感じた彼女は、一瞬びくりと体を跳ね上げた後、こちらを少しにらんできた。またなにか癪に障ることをしたのかもしれない。

 

 「な、なによ。……確かに怪我はしたわ。気が付いたら、お猪口のふちに血がついていると思ったら、少し切っていたの。傷が口の内側にあったから、それで見えなかったのね」

 「……とのことです。そして瑠夏さん。あなたの証言によると、宴会でふるまわれた料理の中には、口の中を傷つけてしまいそうなものはない、とのことでした。つまり……」

 

 ……言葉が喉の奥でつっかえるような感じがする。

この証言にムジュンがあると主張した瞬間、即ち新たな事実を弁護側が認めると発言したその時……この裁判は一気に有罪判決へと傾く。

……でも、もう止まるわけにはいかない!

 

 改めて机を叩くと、その先の言葉をぼくは紡ぐ。

 「……つまり! パルスィさんは欠けたお猪口を使っていた! よって、あなたの証言はムジュンしているのです!」

 再び訪れる、水を打ったような静寂。そして、その静寂を破るのも先ほどと同様に、四季検事なのであった。

 

 「……ついに。ついに、それを認めてしまいましたね。成歩堂弁護士」

 「…………」

 「……裁判長」

 「はい、何かしら?」

 「……今この瞬間、当法廷は一つの結論に達しました。その結論とは即ち、検察側の……」

 

 嫌味そうに話す四季検事であったが、ここで一度言葉を止めると、ニヤリと笑うと、続けて、「……いえ、弁護側のゆるぎなき“敗北”です!」とわざわざ言い直したのだ。

……いやな奴!

 

 「弁護側の敗北……?」

 紫さんはややわざとらし気に小首をかしげる。

 

 「今回の法廷における論点は、“鳥のお猪口を使っていた真犯人は誰か?”というものでした。そしてこちらが用意した証拠品を元に、弁護側はその人物の特定に成功しています」

 「あら。それなら問題ないじゃない」

 「ええ。その通りです。四人目の証人への尋問が終了していた時点で、既に鳥のお猪口の使用者は判明していました。しかし、愚かな弁護人はさらに先に進み、無用な尋問を行いました。そして……その結果、弁護側にとって致命的なムジュンが生じたのです」

 四季検事は続けて、「係官!」と声を上げる。すぐに待機していた小町さんが大きな模造紙と共に現れた。紙には5×5の表が書かれている。

 

 「あれって……私が作ったのと、おんなじものだ!」

 横にいた真宵ちゃんが叫んだ。どうやら向こうもまったく同じものを作っていたようだ。

 

 四季検事は悔悟の棒で紙を指しながら説明を続ける。

 「先ほど申し上げた通り、四人目の尋問が終了した時点で、鳥のお猪口の使用者は確定していました。表を見れば一目瞭然です。鳥のお猪口を使っていたのは水橋パルスィさんだったのです!」

 名前を呼ばれたパルスィさんは、また驚いて身を跳ね上げると涙目になって、「ち、違う。私は犯人じゃない!」と弁明した。

 

 弁明を受けた四季検事は、ニコリとパルスィさんの方に微笑むと、「ご安心ください。あなたは犯人ではありません」と言って、再び早見表の方を指す。

 

 「弁護側が陽皐瑠夏氏に尋問した結果、水橋パルスィさんは欠けた風のお猪口を使用していたとも判明しました。鳥のお猪口を使っていたはずの人物が、同時に別の柄のお猪口を使っていた……あの宴会の場において、お猪口は参加者の人数分しか用意されていません。つまり、一人が二つのお猪口を使っていたという状況は発生しえない。また、持ち物検査によって、お猪口の代わりとなりえるものを彼女が持っていなかったことも判明しています」

うう……真綿で首を絞められながら、じわりじわりと滝つぼに追い詰められている心地だ。

 

 「そして、この事実を認めたのは他でもない弁護人自身です。彼は自らの手で致命的なムジュンを……鳥のお猪口の使用者の存在を否定するそれを生み出してしまった」

 四季検事は、おしまいとばかりに机をぶち叩く。

 

 「冒頭でもお話しした通り、検察側はお猪口に関する全ての証拠、証言について既に提出済みです。それでもなお、弁護側は鳥のお猪口の使用者の特定……言い換えれば、真犯人の存在の証明に“失敗した”のです。真犯人が存在しない……つまり、被害者に毒を盛ることができた人物はただ一人。……被告人、メディスン・メランコリー。この事件の犯人は、彼女以外にありえない!」

 四季検事は今日一番の大声を張り上げた。

 

 「裁判長! 検察側は以上のことから、改めて被告人の有罪判決を求めます!」

その言葉と共に、傍聴席は大騒ぎとなった。紫さんが木槌を打ち鳴らして、制止しようとするが、中々収まらない。

 

 「ど、どうするの、なるほどくん!? このままじゃ負けちゃうよ!」

 「大丈夫。何とかする」

 「な、なるほどくん……」

 落ち着け……慌てたら向こうの思うつぼだ。冷静になるんだ。

 

一旦、今の状況を整理しよう。現状、五人の証人からお猪口に関する話を聞いた結果、特定できたはずの鳥のお猪口の使用者を否定するような情報が飛び出してきた。……これは何を意味する?

 単純に考えるならば、瑠夏さんの証言が間違っている、ということになるだろう。

しかし、彼女の元の証言にはムジュンが存在していた。つまり、ムジュンを指摘してもしなくても、どこかに決定的な食い違いが発生することになる。……一体何が起こっているんだ?

 

うう……ダメだ。冷静になろうと努めているのに、頭を動かしているうちにどうしてもオーバーヒートしてしまう。マズいぞ、これは……。

 

「けけけ。弁護士さん、大分参ってるみたいさね?」

 「る、瑠夏さん……」

 法廷のざわめきがまだ収まらない中、瑠夏さんはいたって冷静だ。頭を抱えるぼくの姿が目に留まったのか、風車をクルクルと回しながら、ケタケタと笑う。

 

 「どうやら、今の弁護士さんはいわゆる“ループ”って奴に陥っているみたいさね。さながら、メビウスの輪」

 「め、メビウスの輪?」

 「そ。表を辿っていたはずが、いつの間にか裏に行き、裏を辿っていたと思ったら、表に戻ってきてしまう。グルグルと一生抜け出すことのできないループさね」

 表に出たと思ったら裏に出て、裏に出たと思ったら表に出るメビウスの輪……。言いえて妙だ。今のぼくは、決して抜け出すことのできない、メビウスの輪の中にいる。

 そしてぼくはそのメビウスの輪を壊し、そこから抜け出さないと……待てよ。……そうか、これだ!

 

 「……ありがとうございます。瑠夏さん。おかげで、突破口が見えました」

 「ふぇ? なんかよく分かんないけれど……まあ、どういたしまして……さね?」

 

 今のぼくは、瑠夏さんの言う通り、メビウスの輪の中に閉じ込められている。

では、そこから抜け出すには……メビウスの輪を壊すためにはどうすればいいのか。

 

やり方は簡単だ。メビウスの輪にある、決して会うことのない表と裏が重なった、まさしく“ムジュン”と言えるポイントを切り離す。

そうすれば、表と裏が同時に存在するというムジュンは解消され、一本の線が出来上がる。

 

この難所を突破するには、五人全員の証言が、一つの大きな証言を形成していると捉えなければならない。証言一つ一つを、個々の物と捉えているから、本当に大事なものが見えなくなっているんだ。

 

そして現状、この大きな証言はどこかで捻じれて、メビウスの輪を形作っている。

このメビウスの輪を一つの線に戻した時……つまり、ムジュンを解消することができれば……この窮地を脱することができる!

 

五人の証言によって形成される大きな証言の中に、ムジュンがある。これが何を意味するか? 答えは一つ。……今までの証人の中に、まだ“嘘をついている”人物がいる。それ以外考えられない!

瑠夏さんの些細な一言で、一気に解決策が思い浮かんだ。……まだ勝負は終わっていない!

 

「静粛に! 静粛に!」

先ほどまでの騒めきではないものの、まだひそひそと話す傍聴人たちの声が聞こえる。紫さんが再度木槌を鳴らすと、今度こそ話し声が止んだ。

 

「さて……検察側から、有罪判決の要請が出たわ。話を聞く限りだと、検事の発言は筋が通っている。鳥のお猪口の使用者を否定する情報が出てきた以上、弁護側の証明は失敗に終わったと言えるわ」

「その通りです。もはや大勢は決した。ここが諦めどころです、弁護人。もう、あなたには勝ち筋など欠片も残っては……」

「異議あり!」

 嫌味な顔をかき消さんとばかりに指をつきつけてやった。面食らった四季検事は、抵抗に辟易としているのか、眉をひくつかせる。

 

 「裁判長! 弁護側の証明は、まだ終わっていません!」

 「異議あり! 無駄な抵抗はよしなさい。これ以上足掻いても、あなたが惨めな思いをするだけですよ!」

 「異議あり! これは無駄な抵抗などではありません! 弁護側は、これまでの証言の中に、まだムジュンが潜んでいると主張します!」

 「ムジュン……確かに残っています。鳥のお猪口を使っていたはずの者が、同時に別のお猪口を使っていた、というあなたにとって致命的なそれが、ね。しかし、それがどうしたというのですか? 陽皐瑠夏氏の証言にムジュンがあると主張し、新たな事実を認めたのはあなた自身です。今更それを否定しようとは……あなたは、自分の行動に責任を持たないというのですか!」

 「異議あり! 四季検事。弁護側が主張するムジュンはそんな小さなものではありません!」

 「小さなもの……? 意味が分かりませんね」

 「これまでの五人の証言を、一つの大きな証言だと考えるのです。現在問題となっているムジュンは、大きな証言の中にあるムジュンが影響して発生したと考えられます。……つまり! 五人の証人の中にはまだ嘘つき……いえ、天邪鬼が潜んでいる! これが弁護側の主張です!」

 

 「しょ、証人の中に……」

 「天邪鬼、ですって!?」

 紫さんと四季検事がほぼ同時に声を上げた。傍聴席からは再びざわめきが起こる。

 

本当は、嘘つきだけでも事足りるのだろうが、つい幻想郷的な単語が口をついてしまった。

……だが、もしかしたら、嘘の証言をしているのは本当に天邪鬼なかもしれない、と一人思う。

 

 「異議あり! 証人たちの中に、天邪鬼……冗談もたいがいにしなさい! 証人たちに尋問をし、それを問題なしと片付けたのは他でもないあなたです! 今更そんなことを言うなど、厚顔無恥も甚だしい!」

「異議あり! しかし、既に状況は変わっています! あるムジュンを解いた結果、新たなムジュンが発生した。これは、どこか違うところに別のムジュンが存在していないと起きえない現象なのです! 検察側は、ムジュンを残したまま判決に移ってもいいと言うのですか!」

「ぬうう……屁理屈を……!」

 四季検事は、頭を抱えて苛立ち始めた。余裕を失いつつある。よし、いいぞ!

 

 「……ここで、私の意見を述べるわ」

 木槌を打ち鳴らし、法廷が静粛を取り戻したところで、紫さんが発言する。

 「検察側の主張を聞く限りでは、確かに弁護側は証明に失敗したと思っていたわ。けれど……今の弁護側の主張も、一理ある。思えば、今回の法廷は、尋問がいつもよりも短かったように思えるわ。弁護側の主張する大きな証言に潜んだムジュン……存在しているかどうか、検討する余地があると判断するわ!」

 「ぐううっ……!」

 四季検事が唸り声をあげた。思いもよらない角度からの攻撃に怯んでいる。体勢を立て直される前に、ここで押し返す!

 

 「ただし! 一応とはいえ、弁護人は全ての証人に尋問を行っているわ。そして、検察側の言う通り、それを問題なしとして尋問を打ち切ったのも弁護人自身。それを今更ひっくり返して、まだムジュンがあると言うのは、少し問題があると言えるわ。よって、検討の結果、新たなムジュンが発見できなかった場合、本法廷は議論を尽くしたものとして判決へ移ることにするわ」

 ……どうやら、あまり悠長にはしていられなさそうだ。だが、せっかく手に入れたチャンスだ。ここで無駄にするわけにはいかない!

 

 紫さんは、改めて木槌を鳴らす。

 「では、弁護側に問うわ。証人たちの中に潜む天邪鬼……それは一体誰なのかしら?」

 

 ここは重要なポイントだ。

 考え方は単純。誰かが嘘つきだと仮定し、再度全ての証言を検討する。

 そうすればいずれ、ムジュンが発生しないで、かつ五人の使っているお猪口がきれいに特定できるパターンが現れるはずだ。

 きっとどこかにあるはず。探すんだ、何が何でも!

 

 「証人たちの中に潜む天邪鬼……それは」

 五人全員を嘘つきと仮定し、一人一人パズルのようにムジュンが発生しないよう検討していった結果……一人だけ綺麗にお猪口の使用者が被ることなく特定できるパターンを見つけることができた。天邪鬼は……あの人物で間違いない!

 

 「四人目の証人である、鬼灯鈴くん。彼こそが天邪鬼だったのです!」

 「え、えええええええッス!」

 隅の方で待機していた東雲さんの叫び声を皮切りに、傍聴席が再び騒めき始めた。当人である鈴くんは、ポカンと小さな口をあけっぱなしにしている。

 

 「静粛に! 静粛に! 弁護人、根拠を聞かせてもらえるかしら?」

 「証人の中に一人天邪鬼……つまり、嘘の事しか話さない人物がいると仮定し、再度証言を辿っていく……至極単純なやり方です。そして、その結果彼が嘘つきだと仮定した場合のみ、ムジュンが発生しませんでした。他の人物の場合、使用者が被ったり、そもそも使っていたお猪口が特定できないパターンが現れました。以上のことから、鬼灯鈴くんが天邪鬼だと主張します!」

 ぼくは、真宵ちゃんから借りたノートに書きこんだ新しい早見表を示しながら話す。

 

 思えば、今日の法廷での彼の言動は、緊張から来ているものだと思っていたが、天邪鬼だとわかった今、改めて振り返ってみると、天邪鬼的な考えに基づいているなと思った。

 彼は、四季検事の、「焦って喋る必要は“ない”」という言葉をひっくり返して読み取って、あんなに慌てて証言していたのだろう。気づくポイントは、要所要所に転がっていたのだ。

 

 「……そして、参加者全員の使用していたお猪口が特定できた以上、同時に真犯人の正体も分かるという事になります」

 ……実を言うと、真犯人の正体は、概ね予想通りだった。ぼくの中にある野生的な勘はどうやら間違っていなかったようだ。

 

 「……ああ! もったいぶらずにさっさと言いなさい、弁護人!」

 ペースを乱された四季検事は、苛立たし気に言い放つ。彼女はきっと、天邪鬼の正体に気づいていなかったのだろう。

 

 「鳥のお猪口の使用者……即ち、真犯人の正体。それは……名琴為人さん、あなたです!」

 

 ぼくの言葉に続けて、法廷がまた騒がしくなり始める。

 

 「……ふぅーん」

 一方、真犯人として告発された名琴さんは、これまた法廷のざわめきとは裏腹に、落ち着き払っている。まだ余裕がある様子だ。

 

 「静粛に! 静粛に! ……弁護人。今の発言は、告発と受け取って問題ないわね?」

 「ええ。その通りです。彼の座っていた位置から考えても、華扇さんとお猪口を交換するのが最も容易だった人物は彼です。一番、真犯人足りえる人物だと判断します」

 

 「……証人、今の告発を受けて、なにかあるかしら?」

 やや怪訝そうな表情のまま、紫さんは名琴さんのほうを見る。

 

 「……僕はやっていない、とだけ言っておこうかなぁ」

 名琴さんは、ハンチング帽を深くかぶる。その奥に宿る瞳が、じっとこちらを見つめてきているような錯覚を感じ、少し身の毛がよだつ。

 

 「分かったわ」

 紫さんは、そう言うと木槌を振り下ろし、一旦場の空気をリセットする。

 

 「さて、弁護側の告発によって、審理は一気に違う展開を見せたわ。こうなってしまった以上、審理を打ち切るわけにはいかない。……これより、十五分間の休憩をとるわ。弁護側、検察側共に現在の状況を整理して頂戴。名琴為人氏に対する尋問等は、その後行うものとするわ」

 

 「弁護側、異存ありません」

 「……検察側も同じく」

 「では、一時閉廷とするわ」

 木槌が打ち鳴らされ、審理が中断された。

 

 【同日 午前11時23分 裁判所 被告人第2控室】

 

 「ついに捉えたわね……真犯人の尻尾を」

 「ええ。……なんというか、概ね予想通りだった感じもしますが」

 「そうね。あの場に一人だけぽつんと人間がいるのも、今思えばおかしな状況だったわ。……この先、何とかなりそうなの?」

 「出たとこ勝負、といったところですかね。現時点で証明することができたのは、あくまで彼が鳥のお猪口を使っていたという事だけです。ここからは、彼がどのようにして、被害者の元まで毒入りのお猪口を運んだかを証明しないといけないのですが……」

 「弾数が少ない、と」

 「面目ない……」

 難所を一つ乗り越えたと思ったら、また新たな壁が立ちふさがっている。さすがに、これが最後の壁だと思いたいが……。

 

 「……ん? なんか、今そこで音がしたような……」

 ぼくが物思いにふけっていると、真宵ちゃんが出入り口の扉の方に反応した。その声に反応したかのように、扉がガタッと小さく揺れる。

 

 「あのー。……誰かそこにいるんですか?」

 真宵ちゃんは恐る恐る声をかける。数秒後、緑色の帽子がヒョコリと姿を現した。

 

 「に、にとりさん。どうしてここに」

 「ん、いやあ~。ちょっと裁判を聞いていて思うことがあってね」

 奥歯に物が詰まったような話し方だ。どことなく後ろめたいものを彼女から感じる。

 

 にとりさんはしばらくの間、どうしたものかとやや委縮していたが、やがて意を決するとぼくの方を向く。

 

 「率直に言うとだね……私、自分のやっていることが分からなくなってきたんだよ」

 「と、いうと?」

 「これまで私は、刑事として現場と実験室を行き来しては、色んな事件に携わってきたわけ。今までは、パーっとやって、気が付いたら解決、みたいなことがほとんどだったんだ。でも……盟友。君が来てからそうではなくなった」

 「ぼくが……」

 「昨日の茶屋の事件、あっただろう? あれ、今までならきっと初動捜査だけですむような事件だったんだ。でも、君はあの事件に対して……言い方としては悪いけれど、難癖をつけて法廷で四季様を相手取り、そして真実を見つけ出した。それで思ったんだよ。私が今までしてきたことって、正しかったのかなって」

 にとりさんは帽子を深くかぶる。

 

 「……私は、刑事である前に一人の科学者……いわば、真理を追い求める者なんだ。そんな私が、事件の真実を蔑ろにするようなことをしていたんじゃないかって、気づかされたよ。そう思って、今回は色々してみた。捜査の後も実験室に籠ってみたり、君たちが帰った後、現場にももう一度戻ってみたりした。でも……何の成果もあげられていないんだ」

 するとにとりさんは、こちらに一歩踏み出すとぼくの手を取る。

 そういえば、警察署に訪れた時に、何かしらの仕事をしていたのは彼女ぐらいのものだった。きっと、警察内のほとんどの河童たちが普段からああしているのだろう。にとりさんは、そんな現状を打破しようともがいているのだ。

 

 「なあ、盟友。私は、君なら真実にたどり着けると思っているんだ。私はその手助けがしたい。何か、何か私にできることはないか?」

 にとりさんの目は涙ぐんでいた。彼女も葛藤しているのだろう。

 

 「できることですか……」

 いい意味で想定外の援軍だ。この先の審理に使える新しい弾を、もしかしたら彼女が見つけてきてくれるかもしれない。しかし、何かあったかな……。

 

 にとりさんに渡すべき証拠は……そうだ、まだ情報が詳しく分かっていない証拠があるじゃないか。

 

 「……では、にとりさん。一つ調べてきてほしい証拠があるのですが」

 「……ああ! 何でも言ってくれよ!」

 にとりさんの顔が華やいだ。ぼくは、恐らくまだあの場所にあるであろう証拠品について調べてもらうようにお願いした。

 

 「なるほど、あれか……言われてみれば、持ち物検査をしたときに毒が検出されるかどうかだけを確認したっきりだな。詳細な情報については、調べていなかったはず……。少し時間はかかるかもしれないけれど、裁判中には必ず結果を持ってくるよ!」

 にとりさんは嬉しそうにすると、リュックを背負いなおして控室を後にする。

 

 「ありがとう、盟友! これで私も真実に近づく手伝いができるよ! 恩に着る!」

 にとりさんはそう言うと、走り去っていった。バタバタと走る音と共に、リュックの中身が揺れる音が聞こえる。……オウムの鳴き声がした気もした。あのロボット、まだ持っているのか?

 

 「……大丈夫かしら、彼女」

 「今は信じるしかないですね。腕は確かなようですし、きっと何か見つけてくれますよ」

 ……もしかしたら、調査を依頼した証拠品は、真犯人を追い詰めるとどめの証拠になりうるかもしれない。裁判が終わるまでに届けるとのことだが、どれほどかかるかは分からない。少しでも審理を引き延ばすのが吉だろう。

 

 

 「……そろそろ時間です。行きましょうか」

 「分かったわ」

 メディスンさんはそう言うと、廊下に出て左右をキョロキョロとみる。

 

 「……あのー! 係官の人―! そろそろ時間なんですけど!」

 しばしの沈黙。その後、小町さんが目をこすりながらノシノシと現れた。

 

 「あーごめんごめん。昼寝してたよ……」

 「もう! 被告人に呼ばれる係官ってどうなのよ! もっときちんとして頂戴! まともな“れでぃ”になれないわよ!」

 「うぃーッス。すみません……」

 これではどちらが年長者か分からない。頬を膨らますメディスンさんにヘコヘコと平謝りする小町さんを見送ったぼく達は、その足で控室を後にする。

 

 ……さて、直接対決と行こうか!

 

 「……と意気込んでいるところ、大変恐縮なのですが……」

 「うわぁっ!?」

せっかく気合を入れて法廷に向かおうとしたその時、逆さ吊りの影が目の前に飛び出てきた。

 「しゃ、射命丸さん?」

 「呼ばれてなくてもあやややや。射命丸文でごさいます。ご注文の品、焼きあがりましたよ~」

 ご注文の品……ああ、いつぞやの写真の事か。

 射命丸さんは茶封筒をカバンからサッと取り出して手渡すと、「じゃあこれで。傍聴席で見てますよ~」と言って飛び去ってしまった。

 

相変わらず嵐のような人だと思いつつ、茶封筒の中を見てみる。写真が二枚入っていた。

 どうやら宴会中の様子を撮影した物のようだ。被害者もまだ生きている。

 

 恐らく彼女はなにか事件解決の役に立つと考えてこれを持ってきてくれたのだろうが……あんまり情報はなさそうだな。……ん?

 

 やや意気消沈して写真をしまおうと思った矢先、あることに気が付く。

 あれ、このお猪口の柄……なんかおかしくないか?

 

 違和感を覚えたのは被害者が使っていたお猪口の柄。なにか少しおかしい気がするのだが……。

 

 瞬間、ぼくはとんでもないことに気が付く。こ、これは……マズいかもしれないぞ……。

 

 「おーい、どうしたの、なるほどくん! 置いてっちゃうよ!」

 真宵ちゃんの声で我に返った。慌てて後を追いかける

 しかし、キビキビと前に進む足とは裏腹に、頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

 

 ……ぼくの今までの主張、この写真で全部ひっくり返るかも……どうしよう……。

 

 【同日 午前11時35分 裁判所 第2法廷】

 「では、審理を再開するわ」

 木槌の音と共に法廷が再開された。

 先ほどまで廷内にいた証人たちは名琴さんを除いて、既に全員撤収しており、当の名琴さんは証言台につきながら、色んなところをキョロキョロと、やはり時折こちらに視線を飛ばしてはなにやらメモを取っている。告発された身の割には、結構落ち着いているように見て取れた。

 

 「さて……先ほど弁護側より、告発があったわけですが……。証人、なにかこれについて発言しておきたい旨はありますか?」

 苛立たし気な四季検事が、名琴さんに聞く。名琴さんはメモを取ったまま、一言、「さっきも言ったけど~、僕じゃないよぉ」と気だるげに返す。

 

 「異議あり! 先ほどの弁護側の証明をお忘れですか。真犯人……即ち鳥のお猪口の使用者はあなただと証明されました。自分が真犯人でないというなら、それ相応の理由を……」

 「それは、君にも言えるんじゃないかなあ? 証明をしたと君は言うけれど、そこには確固たる証拠がない。君はただ、たまたま証人の中に混ざっていた天邪鬼を見つけただけにすぎないのさぁ」

 「ぐっ……」

 「……検事さん、一つ話させてもらえるかい?」

 「構いません。何でも、好きなことを、好きなだけぶちまけてやってください」

 もう既に若干投げやり気味の四季検事は、やや食い気味に名琴さんにそう言った。

 

 「……じゃあ、検事さんの許可ももらえたし、話させてもらうねぇ」

 名琴さんの証言が始まった。

 

 —証言開始— ~名琴の弁明~

 

 「鳥のお猪口を使っていた……認めてあげなくもないよぉ。審理がそういう体で進んでいるみたいだしねぇ。でもね、そもそも僕が犯人だとして、どうやって被害者に毒を盛ったって言うのぉ? 僕はただの一度も席を立っていないし、無理なんじゃないかなぁ? 色々証明し切った気になっているようだけど、全然決め手に欠けていると思うよぉ」

 

 

 

 「では弁護人。尋問を」

 「……分かりました」

 ……正直、ゆさぶれる場所はかなり少なそうだ。弁明という形の証言でもあることから、情報を得るのは困難だと思われる。口を滑らすのに期待するしかない。

 もし何も出てこなければ……いきなり詰みかもしれない。証拠品をもう一度精査しておく必要があるかもしれないな。

 

 

 

 —尋問開始— ~名琴の弁明~

 

 「鳥のお猪口を使っていたと認める……自白と受け取ってよろしいですね?」

 「ぷっ……。何を言っているのさぁ。さっきも言ったでしょう? 君の証明にはまだ確固たる証拠がないってぇ」

 「そ、それはそうですが……」

 「そもそもの話になるけれどぉ、現場から毒物が検出されたのは、被害者の体内のみって話なんでしょぉ? 僕がどの柄のお猪口を使っていようと、その事実がある以上全くの無意味になるんだよねぇ」

 「…………」

 

 名琴さんの意見はもっともだ。毒物は確かに被害者の体内以外から検出されていない。……でも、一か所だけ抜け道があったはずだ。にとりさん、なるべく早く来てくれるといいのだけれど。

 

 「一度も席を立っていない……間違いないですね?」

 「当たり前さぁ。だから、僕に犯行は無理。隣に座っているのならともかく、間に一人挟まっているんだ。尚更無理な話だよねぇ」

 「も、もしかしたら、座ったまま被害者の元にお猪口を届ける手段があるかもしれませんよ!」

 「……ふぅん。で? その手段とやらは何なのさぁ」

 「え、えっと……」

 しまった、ついおしゃべりになってしまった。ええと、座ったまま被害者の元にお猪口を届ける方法……。

 

 「ま、まず、隣にいる華扇さんにお猪口を渡して……」

 「ふんふん。で?」

 「渡して……渡して……。…………」

 「……ね? 思いつかないでしょう?」

 「は……はい」

 うう、本気で思いつかない。一度華扇さんのもとにお猪口を渡してしまえば、それ以降彼はそれを自由に扱えなくなってしまう。お猪口がひとりでに動きでもしない限り、被害者に毒を盛ることは不可能だ!

 

 「まあ、桃色髪の仙人とお猪口を交換する、ってところについては不可能じゃないだろうけどねぇ。あの宴会所、やけに暗かったから。手元でパッと取り換えればバレないだろうしぃ。尤も……桃色髪の仙人のところから、被害者の元にお猪口を届けるのは不可能も同然なんだけどねぇ。仙人様が共犯者でもない限り、さ」

 うぬぬ……そんなことはとっくの昔に分かり切っているのに。けれど、華扇さんが共犯者だというのは、どうにも考えにくいんだよな……。

 

 「……早くも八方ふさがり、って顔だね」

 「うん……正直、なにも思い浮かばないよ」

 開廷してまだ十分と経っていないのに、早々に冷や汗が頬を伝う感覚が現れ始めた。

 頭がパンクしそうだ。一体どうやったら被害者に毒を盛ることができたんだ……。

 

 「うーん……私もよく分からないけどさ。とりあえず、華扇さんと名琴さんのお猪口が入れ替わった証拠を探せばいいんじゃないかな。そこを証明しないと始まらないわけなんだし」

 「それもそう、か……」

 言われてみればそうだ。何も一気に被害者の元にお猪口を届ける方法を考える必要はない。段階を踏んで、まずは華扇—名琴間でお猪口が移動していたことを証明すればいいのだ。

 

 真宵ちゃんに一言お礼を言うと、ぼくは思考を巡らせる。

 お猪口の移動に関する証明……手っ取り早いのはもちろん指紋なのだけれど……生憎、名琴さんの指紋はどのお猪口からも検出されていない。これで証明するのは九割九分不可能な話だ。

 ならば他は……ん?

 

 法廷記録を漁っていると、一つ引っかかる証拠品を見つけた。こいつは、確かに華扇—名琴間でお猪口が移動していたことを証明してくれる。

 けれど、これを根拠として提出するという事は……。

 

「弁護士さぁん。無駄だってぇ。いくら考えても、僕が被害者のところに毒入りお猪口を渡すことは不可能なんだってぇ。諦めなよぉ」

「異議あり!」

悩むぼくを煽ってきた名琴さんに、異議をつきつけた。……この証拠を提出したら、また混乱が起きてしまうような気がするが……他に証明する手立てはない。

つきつけた後は出たとこ勝負! 続く言葉はその場で考えるのみ!

 

「あなたの言う通り、被害者の元にお猪口を直接運ぶ方法は証明できないかもしれません。……しかし、華扇さんにお猪口を手渡したことは証明できると思います」

「……へぇ~」

 名琴さんは細い目を薄っすらと開く。狐みたいな顔だな、と思った。

 

 「これは事件当日、たまたま現場を通りかかったとある記者によって撮影された写真です。まだ事件は起こる前で、宴会の様子が、計二枚写されています」

 「写真の詳細など御託にすぎません。……弁護人、さっさと要点を……注目すべき個所について説明なさい」

 四季検事が歯ぎしりをしながらこちらを威嚇する。犬じゃないんだから……。

 

 「この写真の重要なポイント。それはもちろん、華扇さんが使っているお猪口です。一枚目の写真では、彼女のお猪口には牡丹の花の絵が描かれてあります」

 「牡丹の花、ということは……鳥のお猪口ね」

 紫さんが目を閉じて眉間にしわを寄せながら言う。思い出すのに苦労しているようだ。

 

 紫さんの発言に頷き続ける。

 「そう。一枚目の写真が撮られた時点では、華扇さんは鳥のお猪口を使っていた。では、二枚目を見てみましょう」

 「……あら。同じ赤色だから一瞬分からないけれど、牡丹が彼岸花に変わっているわね」

 「そのとおりです。同時に、証人の使っていたお猪口の柄も一枚目では彼岸花だったのに対し、二枚目では牡丹に変わっています。……つまり! この二枚の証拠品が、二人の間でお猪口の移動があったことを示しているのです!」

 

 「異議あり!」

 ぼくの説明を、目を閉じながら聞いていた四季検事は、カッと目を見開くと間髪入れずに異議を挟む。……まあ、流石に指摘されるよな。

 

 「ふっ……弁護人。あなたは何度同じ過ちを犯せば気が済むのですか?」

 「…………」

 「その沈黙は肯定と受け取っておきましょう。……今の弁護人の主張には、決定的なムジュンが存在している。検察側はそう主張します!」

 「む、ムジュン?」

 紫さんがやや狼狽した。

 

 「問題となるのはお猪口の柄です。つい先ほど弁護側は、この証人が使っていたお猪口は、鳥のお猪口だと証明しました。……しかし、今の弁護側の主張によると、証人は“彼岸花”の書かれたお猪口、つまり華のお猪口を使っていた、とのことです。……言うまでもありませんね。弁護側の只今の証明は、過去の弁護側の主張と決定的にムジュンしているのです!」

 「ぐっ……!」

 

 こうなることは分かっていた。自分の主張と主張がムジュンするという結果……しかし、事件に関係のない射命丸さんが写真を偽造するわけがない。つまり、この写真は嘘を言っていない。覆りようがないこの事実をどう捉える?

 

 「い、異議あり! だったら、証人が本当に使っていたのは華のお猪口で、彼はそこに毒を入れて……」

 「異議あり! 証人のお猪口は鳥のお猪口だと証明したのはあなた自身です! 今更、二度も証人たちの証言に問題があると言うつもりですか?」

「ううう……」

「仮に証人が使っていたお猪口が華のお猪口だとしても、交換を行った場合、席を立つまでお猪口の柄に変化はなかったという茨木華扇氏の証言とムジュンしてしまいます。つまり、どちらが正解だとしても、ムジュンが生まれてしまうのです!」

 

無駄だと分かって放った苦し紛れの言い訳は、予想通りいとも簡単に切り崩されてしまった。まずい……まずいぞ!

 傍聴席からは囁きが聞こえてくる。傍聴人たちも、このムジュンに困惑しているようだ。

 

 「静粛に!」

 ひとまず木槌を紫さんは鳴らす。

 

「ふふふ……ムジュンをズバリと指摘するのはこんな感覚なのですね。あなたがこのやり方に固執するのも分かる気がします」

 四季検事は完全に回復し切ったようだ。こちらを挑発するような視線を感じる。

 

 「さて、いきなり波乱の展開のようだけれど……弁護側から、何か釈明はあるかしら?」

 「……もちろんです」

 「ふん。どうせハッタリでしょう」

 「それはどうでしょうか?」

 「……まだ何かあると?」

 胸を張って対抗の意思をぼくが示すと、四季検事はそれに乗っかってきた。

 

 「只今の主張が、以前の弁護側の主張とムジュンするというのは、当然承知していました」

 「ならばなぜ……」

 「こちら側の手元に、そのムジュンを解消する手掛かりがあるのですよ」

 「ほう……。その自信、どうやらハッタリではないようですね」

「ええ、もちろん」

  ……なんて、自信満々になっているが、案の定今回もハッタリだ。内心は冷や汗が滝でもできるのかってぐらいダラダラと流れている。

 こうなれば出たとこ勝負だ。これだ、と思った証拠を法廷記録から取り出してつきつける。もうそれしかない!

 

 「では、弁護人に問うわ。このムジュンを解消する証拠品……それは?」

 

 つきつけるべき証拠……それは、たぶんこれだ。この証拠が、この法廷の様々な場所でカギとなる。自分自身の勘を信じるんだ!

 

 「その証拠は……これです!」

 「……なんですか。その妙ちくりんな板は」

 「あ、えっと……見ていただきたいのは、板の中の絵です」

 実物が手元にないため、居酒屋で撮影した写真を提示したのだが、幻想郷出身の四季検事には携帯のほうが証拠品だと思われてしまったようだ。

 

 「板の中の絵……何かの入れ物のようですね。……参加者たちの持ち物検査の際に見た覚えがあります」

 「ええ、その通りです。これは、とある新聞の購読特典として、購読者全員に配られた陶器製の水筒です。蓋にある部分が容器になる仕組みです」

 「……あら? よく見たらこの水筒……蓋の部分がお猪口みたいになっているわね」

 「そう。一つ目の重要なポイントがそれです。そして、それ以上に大事なポイントがもう一つある」

 「……なんでしょう」

 

 「それはもちろん、“蓋に書かれた絵”です。今見せているのは表面。彼岸花が描かれています」

 続けてぼくは二枚目の写真を表示させる。

 

 「そして、こちらが裏に描かれている絵です」

 「と……鳥の絵ッ!」

 黄緑色の鳥を目撃した、四季検事が叫んだ。

 

 「事件当時、証人はこの水筒に酔い止めを入れて宴会に参加していました。そうですね、証人?」

 「…………うん。そうだね」

 ややタメこそ長かったものの、名琴さんはその事実を肯定した。

 

 「……つまり! この水筒の蓋と、証人が使っていた鳥のお猪口を入れ替えたことにより、このムジュンは発生していたのです!」

 

 ぼくの言葉に法廷はざわつく。しかし、そんななか、紫さんだけは解せない、といった様子だった。

 

 「ええと……なんだか、柄の話がたくさん出てきて、混乱してきたわ。今、いったいどういう話がされていたのかしら」

 

 「……たしかに、議論が複雑になってきましたね。一度整理するとしましょう」

 紫さんの言う通りだ。情報をまとめておいた方がいいな。

 

 「そもそも、なんで鳥のお猪口が問題になったのかしら」

 「華扇さんが鳥のお猪口の中身を飲んだ結果、吐き気を催したからですね」

 「殺害に用いられた毒は、鬼族の血に反応する。元々は鬼であった茨城華扇氏にもこの毒は微弱ながら有効であり、このことから茨城華扇氏が毒を摂取したことになる、という話でしたね」

 四季検事も、一度クールダウンしたいのか、こちらの確認に乗りかかってくる。

 

 「その通りです。そして、華扇さんが席を立つ前に口にしたお猪口には、鶯色の鳥が描かれていた。このことから、鳥のお猪口に毒が仕込まれていた、と考えられるのです」

 「一方、茨城華扇氏が毒を摂取し、席を立った後、彼女の席に置かれていたお猪口は、鳥のお猪口から、華のお猪口に入れ替わっていた。つまり、被害者は元々華のお猪口を使っており……何者かが被害者が使っていた華のお猪口と、毒入りの鳥のお猪口を入れ替えた、ということになる。被害者はその後、毒入りお猪口に口をつけて死亡。このことから、鳥のお猪口を所持していた人物こそが、真犯人……というのが一日目の審理の結論でしたね」

 四季検事がまとめた。

 

 「そして、今日。鳥のお猪口を持っていたのが証人……名琴為人さんだと判明しました」

 「そこで、次に茨木華扇と、証人の間でお猪口がどのように移動したのか、ということが問題になったのね」

 「そう。けれども、あろうことか、弁護側が提示したのは……今までの議論をまるっきりひっくり返すような結論だった」

 四季検事が言う。

 

 「弁護側が、茨城華扇氏と証人との間でお猪口の入れ替わりがあった根拠として提出した写真。一枚目と二枚目で、証人と茨木華扇氏の使用しているお猪口の柄が変わっており、確かにお猪口の移動があったことは証明されました。……しかし、そこに大きな問題があった。交換前に証人が持っていたお猪口に描かれていたのは彼岸花の絵……。もし鳥のお猪口を持っていたとした場合、お猪口には牡丹の花、もしくは鶯色の鳥の絵が描かれていないといけません」

 「けれども、実際に書かれていたのは、彼岸花……つまり、証人が持っていたのは華のお猪口だったということになり、議論の前提がまたも崩れ去ったということね」

 

 「そこで登場するのが、水筒の蓋なのです。裁判長」

 ぼくは胸を張って言った。

 

 「とある新聞の購読特典の水筒の蓋……彼岸花と鳥の絵が描かれています」

 机を叩いて、ぼくは続ける。

 

 「この水筒の蓋の彼岸花の面が、写真にたまたま写りこんだ。彼岸花の面だけを見れば、証人が持っているのは華のお猪口に見えます。しかし、実際には、その裏に鳥の絵が描かれていた。つまり、水筒の蓋は、鳥のお猪口と、華のお猪口、それぞれのお猪口に描かれた絵を半分ずつ持っていると言えるのです。そして、このような特殊な蓋をを証人が用いたからこそ、この写真のムジュンが発生したのです!」

 

 「異議あり!」

 即座に検察側の異議だ。まだ向こうもへこたれたわけではない。

 

 「確かにその方法ならば辻褄は合うようです。しかし、なぜ証人はそのような面倒な真似をしたというのですか? 今までの審理から、証人が鳥のお猪口を持っていたことは判明しています。つまり、証人は普通に自分のお猪口を茨木華扇氏のものと交換することができた。しかし、実際には証人は蓋を入れ替えに使用しています。柄が変わって入れ替えがばれるかもしれない、という大きな危険を負ってまでです。なぜ、そのような不可解なことをしたのか。その説明がなされていない以上、証明は成されたとは言えませんよ!」

 四季検事はやや苦虫をかみつぶしたような顔つきだ。彼女自身、この反論が反論として意味を成していないことを理解しているのだろう。

 

 「なぜお猪口と蓋を入れ替えたのか……答えは至極単純。自分が犯人だと悟られないためです」

 「…………」

 検察側は黙りこくっている。ならば徹底的に叩き伏せる!

 

 「仮に、素直に鳥のお猪口に毒を入れ、それを華扇さん経由で被害者の元まで届け、殺害に成功したとしましょう。この時、毒の入っていたお猪口には必ず証人の指紋がついてしまうことになります。当然、そんなものが出てきてしまえば、疑われるのは必至です。回収してお猪口を洗おうものなら、さらに疑われかねない。疑いをかけられないようにするためには指紋がつくことを阻止する、もしくは指紋が付いていても問題がない状況を作り出さなければならないのです」

 「そこでお猪口によく似た蓋、というわけね」

 紫さんの発言だ。彼女はもう既に理解しているようと見て取れる。

 

 「ええ。この蓋はパッと見ただけでは普通のお猪口と何ら変わりません。この蓋に毒物を入れて殺害後に回収し、本来の鳥のお猪口と入れ替えることで、指紋こそ残るものの、お猪口からは毒が検出されないので自分には疑いがかからない。さらに、こうすることで毒物は被害者の体内以外から検出されない状況が出来上がり、捜査を攪乱させることができます。そして、幸か不幸か、現場には体を通して直接毒を盛ることができる被告人がいた。意図していたかはともかく、証人はこの手段を使うことで、被告人に罪を着せたのです!」

 「ぐぅっ……!」

 四季検事は後ろにのけ反った。傍聴席が少し騒がしくなる。

 

 「静粛に! ……まさか、ムジュンを解いた結果、被告人の逮捕理由が崩れ去るとは……」

 「異議あり!」

 検察側はまだ食い下がる。

 

 「鳥のお猪口ではなく、わざわざ水筒の蓋を使った理由は理解できました。しかし、弁護側は未だ、茨木華扇氏の元から被害者の元にお猪口……もとい蓋をどのように運んだのか証明していません! 弁護側が証明したのは証人、茨木華扇間の移動の手段にすぎません。勝ち誇るのは時期尚早と言えます!」

 「……そうね。弁護側は、まだ半分しか証明し切っていないわ。もう半分……茨木華扇と被害者の間でどのようにしてお猪口の交換がなされたのか。弁護人、なにか意見はあるかしら?」

 

 「ふん! 証明など不可能です。彼女が共犯でもない限り、被害者との交換は成立しえない。弁護側の証明は不完全なままなのです!」

 「異議あり!」

 ひとまず異議を挟む。自分でもまだ分からないままだが、ここで流れを断ち切られるわけにはいかない!

 

 「残念ですが……証明は意外と簡単なのですよ、四季検事」

 「な、何ですって……!?」

 

 複雑に考えてはいけない……単純に事件の流れを追っていくんだ。

 華扇さんの元に毒入りの蓋が届いた結果、その後何が起こる? 簡単だ。華扇さんが蓋の中身を飲む。すると次に…………。

 

 脳裏に一つの可能性が浮かんだ。……そうだ! あれを使えば、自動的に二人の間で交換が起こる! 

 

 「そ、そこまで言うのならば聞かせなさい! ……証人は、どのような手段を使って茨木華扇氏の元から被害者に毒を移動させたと言うのですか!」

 四季検事が痺れを切らして聞いてきた。……ならばお望み通り教えてあげよう!

 

 ぼくは机を叩いた。

 「証人が被害者に毒を盛った方法。それは……華扇さんのお猪口と毒入り蓋を入れ替える。ただ、それだけです!」

 「…………。……い、異議あり!」

 困惑したのか、やや遅れ気味に異議が飛んできた。

 

 「な、何を言い出すのですか、弁護人! 今のが証明だと言うつもりで? ついに脳みそが蒸発したのですか!」

 「いいえ。これが証明です」

 「わ、私もよく分からないわ……」

 裁判長席からも困惑の声が上がる。それは傍聴席も同じようで、ざわめきが上がっていた。

 

 「華扇さんの元に毒を移動させれば証人の仕事はおしまい。後は、“あるもの”が自動的に華扇さんと被害者の間で毒を移動させてくれる。これが弁護側の主張です!」

 「あ、“あるもの”……とは一体?」

 困惑しきった紫さんに変わり、四季検事が聞いてくる。

 

 「“あるもの”の正体……それは! ……被告人の“悪癖”です!」

 「あ、悪癖……? ………………あっ!」

 四季検事は、一瞬こちらの言葉が飲み込めなかったようだが、すぐに勘付き、苦渋の表情を浮かべた。恐らく、彼女も取り調べか何かでこの話を聞いていたのだろう。

 

 「悪癖……なんの事かしら」

 一方、事件関係者から話を聞いていなかったであろう紫さんの顔には、困惑が現れていた。

 

 「被害者、鬼道酒華。……彼女は酔っぱらうと、他人の酒を横取りする癖があったのです」

 「まあ。とんだ悪癖ね……」

 「彼女は、酔いつぶれて眠ったり、席を立ったりした人の酒を交換して、横取りすることが特に多かったそうです。証人は、被害者のこの悪癖をどこかから聞きつけ、利用することにした」

 紫さんの悩まし気な表情が徐々に晴れていく。気づいてくれたようだ。

 

 「まず証人は、華扇さんのお猪口と蓋を交換する。その後、華扇さんは蓋に入った鬼殺の秘薬を摂取し、腹痛を感じて席を立つ。すると、被害者は彼女がいなくなったのをいいことに、交換された蓋に口をつけるのです。……まさかその中に毒が入っているとは、微塵も思っていなかったでしょう。……つまり! 被害者は自らの悪癖によって、知らず知らずのうちに毒物を摂取させられていたのです!」

 「ぐはぁっ……!」

 四季検事が呻いた。傍聴席もそれと同時に騒めきだす。

 

 「異議あり!」

 四季検事は、みぞおちを押さえながら叫んだ。息が整っていないまま叫んでしまったせいでややむせ気味だ。

 

 「証人の隣に座っていた人物が茨木華扇氏でなければ、あなたの主張する犯行は成り立ちません! もし隣に鬼族が座っていたら、被害者よりも先にその人物が死亡してしまいます! 第一、茨城華扇氏が毒を摂取するかどうか、証人が確証を持つことは不可能に等しい! 決定打にかける主張です!」

「異議あり! しかし実際に隣に座っていたのは華扇さんだった。結果論になりますが、犯行には何ら問題はありません。さらに、華扇さんに毒を摂取させずとも、彼女に席を立たせる状況はいくらでも作り出せます!」

 

 「ぐっ……! い、異議あり!」

四季検事は一瞬怯んだがまだ引き下がらない。無駄だ。これを打ち崩すことは不可能に等しい!

 

「そもそも、弁護側の主張には決定的な証拠がありません! 被害者が、茨城華扇氏の席にあった毒物に手を付けたかどうか……あなたの推理はまだ仮定の域を出ていない!」

 「異議あり! お言葉ですが、四季検事。弁護側は、その仮定さえも打ち崩す準備があります!」

 「な、なんですって……!?」

 検察側はすっかり満身創痍だ。このまま一気に決める!

 

 「分かったわ。では、弁護側に問うわ。只今の証明を裏付ける根拠を示して頂戴」

 

 ……ここは重要なポイントだ。考えるべき点は一つ。被害者が水筒の蓋に口をつけた根拠を示すことだ。水筒の蓋は、見た目こそお猪口と変わらないが、唯一、現場にあるお猪口にはない、ある明確な”要素”がある。

 そして、その”要素”こそが、被害者が毒入りの水筒の蓋に口をつけた瞬間を示す、他ならない手掛かりになる。

 その”要素”を示したもの……それは、昨日の審理も含めた、これまでの議論の中にあるはず。証拠、証言、すべてを洗い出して探すんだ!

 

 「裁判長! 弁護側は……」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。