Fairy's Cradle   作:榧師

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惑いの森編
惑いの森編①


 ぐるりと首を巡らす。さらに両手を目の横に添え、じっと何かを見つめる様は、真剣さを帯びている。やがておもむろに懐から手帳を取り出し、矯めつ眇めつしている。一連の過程を幾度となく繰り返し、ようやっと結論が出た。少女は盛大に溜息を吐いた。

 

「迷った……」

 

 有り体に言えば、諦めたのだった。

 

 今、彼女の居るのは惑いの森。その名の通り、一度入り込むと森の主の呪いに掛かり、正しい道筋を失ってしまう危険性も備えている。森に迷い込み一生を過ごさねばならなくなった旅人――その白骨死体や遺物が未だ置き去りにされているとかいないとか――、惑いの森で思考の渦に巻き込まれ寝たきりとなってしまった瞑想者、その他にも危険を正しく伝える逸話には事欠かない。そのため、近隣に位置する湖都や集落の住民たちは、滅多なことでは近づかないし、旅人への警告を欠かさず行っている。それにも関わらず、何故彼女はここに居るのか。少女は己を森に放り込んだ男を思い出し、顔を顰めた。

 

「ジオ様のばか……」

 

 アンブロージオ。湖都のアカデミアに籍を置く魔法使いである。自分の師匠である、と胸を張って言いたいところだが、如何せん当人に保留とされている。曰く、「弟子は一人でも多いくらいだ」とか。そんなわけで、現状は居候兼下働きの立ち位置であった。

 変化があったのは、今朝のことであった。

 

「ミミ、新米のお前にひとつ試練をくれてやろう」

 

大袈裟なほど仰々しく告げたアンブロージオに、少女は息を呑み次の言葉を待った。

 

「一人で惑いの森に赴き、○○草を持って来い。それができなければ、お前は仮弟子のままだ」

「それ、できれば本当の弟子にしてくれるってことですよね!? やります!」

 

 ミミは飛び上がって喜んだ。その勢いのまま惑いの森へと向かいかねなかったが、アンブロージオの弟子カルロによりそれは阻止された。師匠本人には“一人でもも多い”と認識され、今まで空気のように存在感を消していた哀れな青年である。師匠の代わりにカルロは〇〇草がどういったものか図鑑とともに説明し、惑いの森の危険性を語り、惑うのを防止する魔法コンパスを貸してくれた。

 

「〇〇草は比較的森の入口付近に自生しているし、採取する人も多いから、道も出来ているはずだ。森に入ると、トネリコの巨樹がすぐに見えるから、そこが目印だよ」

「はい」

「コンパスの使い方は分かるか? 魔力を流し呪文を唱えることで、求める場所への路を示してくれる」

「わかりました、兄様!」

「に、にいさま!?」

「ジオ様の一番弟子なんですから、あたしの兄弟子ってことですよね」

 

 何ら曇りのない瞳で断言され、カルロが絶句しているうちに、ミミは颯爽とアンブロージオの住処を出ていった。実際のところ、カルロの助言もあり、当初は順調であった。言われた通りトネリコの樹を見つけ、その周囲を探せば人の行き来の跡を見つけた。細い道を辿っていくと、固まってこんもりと生える〇〇草を探し当てることが出来た。今は腰に吊るした薬草袋に収まっている。さてあとは帰り道である。カルロに教わった呪文を辿々しくも唱えると、コンパスの文字盤がぽうっと光を放つ。やがて文字盤の中で光は一つに集約し、一本の線を形どった。その線が示す方向へ向かえば、目的地とした湖都へ帰ることができるはずであった。しかしいくら歩こうとも、一向にトネリコの巨樹が見えてこない。変わらない景色を歩くこと数刻、太陽が南に高く昇ったのを木々の隙間から確認し、漸くミミは現実と向き合った。

 

(中略)

 

 その時ふと、カルロの助言が頭をよぎった。

 

「――あと、森の魔物には気をつけてね。〇〇草はやつらの好物でもあるから、寄ってくる可能性があるんだ。まあ、奥まで迷い込まなければ、大丈夫だと思うけど……」

 

 兄弟子(仮)には予言の才能でもあるのだろうか。そして何故、こんな直前に思い出してしまったのか。己の記憶力をミミは恨んだが、その暇すらも魔物は与えてくれやしなかった。のっそのっそとゆっくりと、だが確実に躙り寄ってくる様子に、ただ後退りするしかできない。何か目をそらす方法はないだろうかと、回らない頭を必死に巡らすが、思考は動揺により纏まる前に散ってしまう。そしてその間、ミミの意識は魔物から逸れてしまっていたのだ。

 はっとしたときには、すでに太い毛むくじゃらの腕が振り下ろされる寸前であった。ミミは咄嗟に目を瞑り、衝撃に備えたが――痛みや衝撃は襲ってこなかった。代わりに、髪の毛を引っ張られる感触と浮遊感があり、恐恐と目を開ける。

 

「いやあ~~~っ!」

 

 ミミは宙吊り状態になっていた。

 己の髪の毛ひとつでぶら下がりの状態は、いつ振り回されるか、落とされるか。毛むくじゃらの腕は高々とミミを持ち上げていく。手足をバタバタと動かし抵抗するが、魔物は小煩そうに唸り声を上げるだけで、何の効果も与えていないようだ。魔物は顔を上向け、かぱりと大口を開いた。獲物を丸呑みにせんといわんばかりに、口の真上にとミミをぶら下げた。唾液にぬらぬらと光る舌やら鋭い牙が見え、背中がぞぞっと泡立ち、口元が引きつったままだ。このまま口の中へ落とされるのか。

 

 しかし、ミミの悲壮な予想に反して、魔物の動きがはたと止まった。さらには口を閉じ、ミミを目線の高さにまで持ってきた。自然、ミミは魔物と目を合わせる形になる。その巨体に対し、魔物の目は小さく、丸みを帯びていた。黒々と底なしの闇を湛えるそれは、さながら磨き上げた黒真珠を思わせる。一時恐怖を忘れ、ミミはその双眸に見入った。まるで、何かを訴えかけているかのように感じられ、応えようと口を開いた。

 ――その不可思議な一時の均衡は脆くも崩壊した。

 不意に飛んできた玉のようなものが魔物にあたる。

 

「目を閉じろッ!」間隙もなく放たれた鋭い声に、咄嗟に従った直後、音もなく光が散った。瞼越しにも分かるほどに強い光は、魔物にはひとたまりもないだろう。目を庇おうとしたのだろう、魔物の腕がミミの身体を離した。空中で身体を拘束するものがなくなり、一瞬の浮遊感と臓腑が持ち上がるような気持ち悪さ、重力に従い落下するはずの身体は、するりと腰に巻き付いた何かによって宙に縫い留められる。その何かは勢い任せにミミの身体を引っ張り、どさりと草地へ投げ出した。あのまま落下するよりも遥かにマシな衝撃だろうが、それでも強かに尻やら脚を打ち付け、ミミは呻いた。

 

「愚図愚図するな。早く立つんだ」

 

 低く硬い声に、ミミは顔を上げた。一人の少年が魔物を睨みつけ、構えている。その手には閃光弾とロープらしきものが一つずつ。先程ミミを助けてくれたのは、彼で間違いないようだ。

 

「手を出せ。転移する」

 

 有無を言わさぬ様子に、すっと片手を伸ばすと、ロープが自動的にしゅるりと巻き付いた。ロープ伝いに少年とミミと繋がったことを確認すると、少年はさっと呪文を唱えた。視界がくらりと歪み、ぐるぐると回る。正常に戻ったとき、目の前に魔物の姿はなく、場所も開けた場所へと変わっていた。

 改めて、ミミは少年に向き直った。

 

 年頃は十代半ば、ミミと同じくらいだろうか。青みがかった銀髪に湖面を思わせる青目は、どことなく浮き世離れした雰囲気を作り上げている。線の細い端正な顔立ちは、一見すると少女めいているが、頬の輪郭や首筋など節々は骨ばっており、ゆくゆくは青年へと成長することを示唆しているかのよう。濃紺の長衣を纏い、胸元には守護具を身に着け、腰元には薬草袋や短杖を吊り下げている。典型的な魔法使いの格好である。

 

「助けてくれたんだよね? ありがとう」

「別に、ノームくらいたいしたことないだろ。君も惑いの森に来るのなら、それぐらい対処できるようにしてからにすべきだ」

 

 真っ当な指摘に何も言えることがない。現に彼がいなかったら、今頃どうなっていたことか。

 

「うう、ごめんなさい……あたし、ここに来たばっかりで何も知らなくって……」

 

 条件を満たせば弟子にしてもらえる、とその点ばかり意識しすぎていたと内省する。魔法使いたるもの、より広い視野を持ち、常に冷静たらねばいけないのだ。あの人もそう言っていた。

 

「言い忘れていたね。あたし、ミミっていうの。きみは?」

「……ロフェ」

「ロフェは魔法使い、だよね?」

「そう言う君はどうなんだ。一応魔法具は持っているようだけど」

 

 言外にとても魔法使いには見えない、と言いたげである。幸か不幸か、ミミはそれに気づかなかった。

 

「それはもちろん、あたしも魔法使い! ……になる予定です。ねえ、ひょっとして信じてない?」

「一応ここにいる魔法使いは全員把握している。君は見たことも聞いたこともない」

「それはまあ、予定が決まったの今日のことだし……」

 

 ミミが口籠った時、魔物の鳴き声が遠く響いた。突風の只中で聞く風切音のような、あるいは莫大な水量にまかせ流れ落ちる滝を思わせる轟音。それは二人に、未だに惑いの森の中にいることを再認識させた。

 

「ここで立ち話なんてすべきじゃないな」独りごちると、ロフェはさっと身を翻した。そのまま去ってしまうものと思われたが、数歩進んだ所で振り返った。「何してる。早くしろ」

「え? ……ついていってもいいの?」

「君みたいな無知のやつ、ここで分かれたら野垂れ死ぬよ。そうしたら僕の目覚めが悪くなる」

 

 つまり、肯定ということではないか。ミミの目がぱっと輝く。

 この少年がひどく光り輝いているように錯覚しそうだ。嫌味を多分に含んだ物言いなど、何のオブラート(建前)にもなりやしない。

 

「か、かみさま……」

「は?」

「神様がここにいる……!」

「っおいやめろ引っ付くんじゃ――」

 

 少年の悲鳴が森の中に響き渡った。

 

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