「A point of view : Chisato Nishikigi ①」
アレは、いつの話だっただろう。
たしか春の明け空と夏の快晴が恋しくなる、梅雨の頃だったかもしれない。
ぶ厚い灰色の雲が空を覆って、コンクリートが弾く無数の雨粒が打ち付けられる音がやたら寂しく感じる、『裏』の仕事で休日出勤に駆り出されていた日のことだ。
傘を忘れてあんちきしょー、とか。
先生迎えに来てよー、とか。
休日出勤なんか楠木さん絶許、とか。
そんな割りとしょーもない文句を胸の中で零しながら、名前がなくなったボロボロの建物の下で雨宿りをしていた所に――その人はいたんだ。
「――傘は?」
「いや、キミがどうしたし。というか、え、ずぶ濡れ? それ傘、え?」
「必要か?」
「えぇ……」
一言でいうなら、変な人だった。
多分自分と同じくらいの学生なのだろう、ずぶ濡れのワイシャツに少し癖のある黒い髪がいっそ惨く感じるくらいには雨水が滴っている。
一見しておとなしく特に問題の無い人となりをしていながら、この妙なシチュエーションの所為で手当たり次第に全てが台無しになっている。
「というかキミが使わんの? 壊れてるわけじゃないでしょその傘」
「壊れているわけじゃない。ただ、こんな雨の中で傘を持たずに歩いている人間がいればそれこそ不自然だから持っているだけで」
「この雨で傘持っているのに傘ささない方がおかしいと思うですがね?」
「そういうものなのか」
「そういうものなのです」
ただ、本当に不思議なヒトだった。
何というか――枯れ木みたいな第一印象を抱くくらいには中身がなく空っぽだった。
朽ちかけの木がどうにか離れまいと根を張って地面にしがみ付いている。
それは生きているかと言えば生きているが、死んでいないかと言われれば死んでいた。
砂浜に辿り着いた流木がかろうじてその木としての原形を保っている様な、曖昧ながらもどこか確信めいているイメージ。
……ああ、それと忘れちゃいけないのが。
黒縁の眼鏡の奥で自分を見据える――光が宿っていない、星が消えた夜の様な瞳だった。
「っていうかすっごくない? 和傘だよ和傘。地味に初めて見れて感激。え、いつもコレ使って学校いってんの? 洒落てんねぇ」
「洒落てるのか」
「あり? もしかして自分で選んだワケじゃないカンジ?」
「君がそう言うのならそうなんじゃないか」
「噛み合わないなぁ……う~ん……どこで間違えたのかな……これ?」
少なくとも今の回答が会話において間違っているという点は間違いない。
いやにしたって、んー、難しいぞ。どうしてこうなった。
リコリコに来店する客の中でもあまり見ないタイプの人である。話が通じている様で通じていない。何というか、宇宙人と話している様な気分になる。なまじ言葉が伝わってしまう分、こっちが終始困惑してしまう。
おかしい、人を振り回すのは私の専売特許なハズなんですが、それは。
……なんて、こっちが深く考え込んでいるのをまたこの子はどの様に解釈したのか。
手にした和傘をその場において、雨の中でも構わず立ち去ろうとしているではないか。
「失礼する。それは捨てても良いから。風邪に気をつけて」
「ちょーちょちょちょーい、なんでそうなるっ」
既にびしょ濡れになったシャツを掴んで、半ば強引に雨を凌げる軒下へと引き込む。
初対面の、しかも顔も知らない異性に対してちょっとやり過ぎかなって思わなくもなかったが――それでも、その瞳に光が宿ることはない。
ここまでやって関心も情動もないソレは少し怖いくらいだ。
もっと笑ったり、もっと困ったりしたって全然構わないのに、そんな人間らしい素振りを微塵たりとも見せない。
だけど反面――それを凄く辛そうだなんて身勝手なことを考えてしまって。
まるで『救世主さん』に会う前の自分を見ている様で、放っておけなかったんだ。
「それだと君が濡れちゃうでしょ。風邪ひくでしょ。というか君も雨宿りしていきなさいよ。せめて傘さしなさいホントに」
「問題ない」
「大ありだから。いやあんね、私の気持ち的にはすごーく。良くないの。だからいったんこっちにこよ。なんかもう滅茶苦茶雨に濡れたい人みたいになっちゃってるから」
「それもそうか」
「うおい」
それこそ根っこでも生えてんじゃないかというくらい頑なに動かなかった、名前も知らない彼はそんな様子を一切感じさせずに簡単に屋根に引き込めた。
き、起伏が酷い……静かな人の癖に下手に騒がしいのより疲れる……。
私の苦労返せ、と一言申した自分は決して悪くないと思う。きっと今頃リコリコで待機しているミズキでも同じ事を言ったことだろう。何なら私より酷いかもしれない。
当の本人がそれを聞いて不思議そうな顔をしているのが、ちょっとムカっと来る。
……というかこの子、体を拭く気配もないのだけれど。どうやったらそれだけ自分に関心が持てなくなるんだろう。
「急いでいるんじゃないかと思った僕なりの気づかいだったんだが……迷惑だったのなら謝罪する」
「そこまでくると律儀というかクソ真面目というか……そんなんじゃ親御さん心配するでしょ? 自分の子がこんな雨でびしょ濡れになって帰ってきたりしたらさ」
「親…………」
「?」
なんでそんな所で疑問を持つのだろうか。
だが一瞬だけ視線が泳いだかと思えば、まるで合点がいったかのようにさも正しい認識みたいに誤った認識を口にした。
「ああ、未成年の社会的身分を保証し保護する立場のことか」
「んんんん? ちょっと難しいことわかんないなぁ……」
親という単語を聞いてそんな法律の教科書みたいなこと思い浮かべるのか普通。
……もしかして闇が深い系のご家庭だったりするのかな。
ただまぁ、そんなに珍しい話でもないんだろうけど。
私自身、生まれが普通じゃない自覚はあるし、もしかしたらマジもんで法律関係のお仕事をしている人が両親なのかもしれない。
――だけど。
彼の口から聞けた言葉は、私が思い浮かべた気楽なものはどこにも無くて。
「安心して欲しい、親なら気づいたら居なくなっていたんだ」
「え」
だから君が気にすることは何一つないと。
そんなどこにも安心できないことを、さも普通のことのように口にしていた。
「……それって、いつからそうなの」
「何年か前だったか。普段からなにかと家を留守にしがちな人だったから、消える時もこんなものじゃないのか」
「……でさ、なんで君はそんな感じなの?」
「戸籍上でも既に故人扱いになってたから。追跡もままならなかった」
「――――だから、そうじゃなくてね」
なんてことない風に口にするその様子を見ていられなくて、少し強めに彼の言葉を遮ってしまう。
沸々と湧き上がってきたムカムカする感覚にされるがまま、気づけば私の両手は彼の冷たい手を取って、彼を正面から見据えていた。
他人でしかない私が踏み込んで良い領域じゃないって言うのは言われずともわかってる。
だけどこれは駄目だ。これだけは容認しちゃいけない。
一体誰なんだろう――この子の心をこんなにしてしまったのは。
ここまで『自分』が無いのは、はっきり言って異常だ。
会話も出来る。知識もある。
だけどあまりにも空っぽだ。色んな行動の中に『自分』が入っていないから、致命的なまでに誰かとのやり取りが噛み合わない。
せめて、たったの一言でも良かったんだ。少なくとも、この子のナニカは間違いなく変わることが出来ていた。
この子を近くで見ている誰かが、この子の抱えているものを理解できる身近な人が、こうなってしまう前に止めるべきだったのだ。
そして何よりも――今はこの子に何もしてやれない自分の不甲斐なさに一番腹が立つ。
「怒って、いるのか」
そこで、そんな私を見た彼はまるで困惑する子どもみたいに。
初めて、感情らしい仕草を見せた。
「うん、わりと」
「……すまない。どうにも僕は、こういう事が多いみたいだ」
「あー違う違う。他の人はどうか知らないけど、少なくとも私は違うよ――ただ、そんな風になったままのキミを置いていったその人に対して、ちょっと怒っちゃっただけ、かな」
「だとしてもだ――キミみたいな綺麗な女の人が暗い顔をしていたら、それは良くないことなんだと思う」
…………………まぁ、うん。
多分、いやコレ絶対本人は何とも思ってないヤツなんだろうけど。というかそっちのほうがタチが悪い。
この子、どの女の子に対してもソレを口にしているとなれば、だいぶ問題があると思う。
具体的には女の敵になるという意味で。
これまで生きてきて覚えのない熱が顔を巡る。
今ならこの雨の中を全力疾走しても全く気にならない確信がある。
「凄いなキミは。知らないことをたくさん知っている。実際僕と此処まで長く喋ってくれたのはキミぐらいだ」
「うーん……この流れでその褒め方は少々複雑かなぁ」
「もっと誇って欲しい――名前も知らない誰かの為に怒れるのは、本当に綺麗だと僕は思う」
「なぁにそれ」
相も変わらずの無表情。仏頂面というには穏やかだけど、どこか物足りない。
けれど口にしたその言葉は、まるで羨ましいと感じているようで――どこかどうしようもない諦めみたいなのが込められている。
それを感じ取れるくらいに、その声音はここまでの会話の中で一番穏やかだった。
「――もしもの話だけど」
「うん?」
「もし、自分が動かなかったことで、誰か傷つく未来があったとして」
「うん」
「それが名前も知らない誰かが傷つくことに繋がるのは、悪いことなのか?」
その問いの意味を、私は知る由もない。
ほんの僅かの間だけ同じ軒下にいただけの間柄の人だ。そんな関係で図れるものなんて、たかが知れている。
だから私は、素直に答えよう。
何故かは知らないけど――私に傘を差しだそうとした時から、この人はずっと何か変わろうと必死に足掻いていることが、さっきのやり取りでわかったから。
「――少なくとも、私は嫌だな。正しい正しくないは置いておいてね」
「――そうか」
――――それは本当に一瞬だけ。
その光も影も含まない表情にほんの少しだけ滲んだ、安堵の顔だった。
「ねぇ、なんで傘を私に貸そうとしてくれたの?」
「僕の意思は必要ない。ただ、そうするべきだからだ。僕の事情も権利も、そこにおいては関係がない」
「そっか――私は違うと思うな」
「どうして」
「だって――君はちゃんと優しい人だから」
綺麗なものをちゃんと綺麗だと言える。
それは誰もが持っていて、いつかは忘れてしまうこと。
彼のそれはまるで自分が含まれていなくて歪だけど、綺麗な在り方なんだと私は思う。
だからそんな当たり前を――私は彼に知って貰いたい。
「屈んで」
「なぜ」
「いいから」
「……わかった」
スクールバックからタオルを取り出して、びしょ濡れになった彼の頭をくしゃくしゃと拭いてあげる。
それこそ、まるで撫でる様に。
よく頑張ったねって。彼がこれから少しでも自分を大事にしてくれるよう、今できる精一杯の祈りを込めて。
ほんの少しの短いやり取りだけど確信したことがある。
この子はどういうワケか、何も知らないんだ。
誰かに心配されることも。
誰かに優しくすることも、優しくされることも。
「――錦木千束」
「ん?」
「ほら、名前」
「名前?」
「そ、自分の悩みを打ち明けたら、私たちぐらいの年の子はみんな友達なんだよ? だから私がキミの名誉ある友達一号! ちなみに異論は認めないっ!」
「……なんだそれは」
「お、ちょっと調子崩れたね?」
そんなのは、少なくとも自分は認めてやらない。認めてやるもんか。
そんな機械みたいな生き方、道具みたいな生き方は、錦木千束っていう人生を懸けて否定してやるんだ。
いつか死ぬときに――笑って最期を迎えられるように。
「ね、甘いものに興味ない?」
「……それなりには」
「ようし、じゃあ話は早いねー。ホラ、傘広げて傘」
「……?」
「失礼しまーす」
言われるがままに傘を広げて、私はそこに一緒に入り込んだ。
所謂――相合傘という状態。
「錦木さん、顔が赤いぞ」
「ハイそこ指摘しないっ……! 今びみょーに私もやり過ぎたかなーって思ってる! これはキミの傘だから――これは全部キミの所為みたいなもん!」
「滅茶苦茶だぞ」
「構いませーん。それよりもほら、キミの名前も教えてよ、えーと」
「……僕は――」
――――それが、竜胆要人っていう男の子との出会い。
映画みたいなロマンスもムードもへったくれもない。
友達が出来たというにはツギハギだらけで勢い任せなやり取りで。それこそ迷子の案内に近い自己満足なソレ。
「じゃ改めてようこそー、我が城の喫茶リコリコへ~」
「……定休日と書いてあったが……とんだご無礼を。すぐに引き取りさせていただきます」
「あー違う違う、今日はいーの。ね、みんな」
「帰らせろ」
「違うみたいだが」
「ミズキィ! そういうところだぞミズキィ!」
「うっさい! リア充は爆発しろ!」
だけど、それで彼が変わるきっかけを少しでも作ることが出来るというのなら。
喜んで、私は自分の時間を差し出そう。
「っていうか、ソイツ誰よ」
「え、ウチの新しい常連さん」
「え」
「本人初耳じゃねぇか」
――――雨は、まだやまない。
今回はここまで。
竜胆要人に「間桐桜」の要素を採用したっていう部分を描写した回。
これまでの人間らしい言動は、割りと最近に獲得、あるいは『戻ってきた』感情だったりしなかったり。
当初の構成から変えて二話に分けて投稿予定。次回はコレの続き。
感想・評価ありがとうございました。
型月タグの追加に関して
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