『手伝う』
少し前だったか。
リコリコに常連として通わせていくうちに、竜胆くんは私のことを視線で追う様になっていた。
接客の時。常連さんの手伝いをしている時。会計をしている時。千束スペシャルパフェを作っている時。それ以外にも、色んな場面を見られていた気がする。
だから、その言葉は本当に唐突だった。
『え、いいよいいよ』
『……一日中居させて貰ってるのに何もしないのは、恩知らずなタダ飯喰らいだ。だから、僕でも手伝えることを手伝わせて欲しい』
――――此処にいるだけで、僕は掛け替えのないものを貰っている。
なんて意味のわかるようでわからない事を言い出して店の手伝いをし出したのが始まりだ。なお、結果は色々察して欲しい。
今でこそ形にはなっているがその過程はまぁ、うん……この話はよそう。
――あの奇天烈なエンカウントからそれなりの日数が過ぎた。
今の竜胆くんはただの常連じゃなく、リコリコ公式の『お手伝いさん』として私たちの仕事に手を貸している。
私たちがそれを許した理由は勿論、彼を『人間』にして貰う為だ。
今でこそ空っぽな彼の中身を、ありふれたモノで満たしてあげること。
私だけじゃない。リコリコを通ううちに多くの人に関わって、彼の持つ本来の優しさを正しい在り方に出来る様にする為に。
ずぶ濡れの竜胆くんを半ば強引にリコリコに連れ込んだ時の反応はある意味で壮観だった。無論、色々とアレな意味合いで。
眉間を困り果てた様に揉む先生を見て、帰ろうとする竜胆くんだったり。
捨てた猫か捨て犬みたいに拾ってきた場所に戻そうとするミズキを見て、やっぱり帰ろうとする竜胆くんだったりと、割りと一悶着があったりした。
やいのやいのと、主にミズキとかあるいはミズキとか、あとミズキとかミズキとか。
今思えば、アレはリコリコで私がツッコミに回った最初の事件なのではなかろうか。
…………で。
本当に大変だったのは、そこからだったんだけども。
「鞄は持ってるね」
「持っている」
「ウチは喫茶店だから、お金が必要だよね」
「必要だ」
「その財布は?」
「忘れた」
「おバカ」
――なんて文明社会に生きる人間としてあるまじき指導をしてしまったり。
「千束、コイツ厨房からつまみ出しなさいよ! というか手伝ってマジで!」
「安心してください中原さん。僕の家庭科の通信簿は五です」
「裁縫分野のなっ! 腹立つくらい見事なステッチ縫ったヤツ見たけどっ!」
「よって、これよりコーヒー豆の選別に入る」
「入んなッ! アンタ料理が出来るのは賄いでわかってるから、イイわね、割るなよ、イイ!? 絶対に割るなよ!」
「ふん――あ」
「割るなぁぁあああ!」
――ほぼ強引に巻き込んだミズキが、竜胆くんの天然というには狂人な言動によって、結果として飲酒の回数が奇跡的に減ったりして。
ああ、そう。特にコレが一番困ったことで。
「……あの、あの、もしもし竜胆くん?」
「どうした」
「ここトイレ」
「厠か」
「呼び方はどっちでも良いわい! ミズキィー、ヘルプー!」
――ちっさいアヒルみたいに色んな所へ私について来る竜胆くんからセクハラ紛いの絡みをされたりなどしているうちに。
彼の抱える問題が、予想以上に深刻であるということを把握した。
件の当人たる竜胆くんは『田舎出身、らしい』とこれまた他人事な認識をしているが、とてもそれだけじゃ片付けられないものを私は感じたのだ。
信じられない話だけど――まるで、
「あ゛ばぁ――!? ダメだー! 全ッ然わかんないッ! 私たちが普段やっていることってこんなに難しかったっけ!? どうなんだ
「はっ倒すぞ」
だぁん、と店全体が揺れたような衝撃を以ておでこをカウンターに叩きつける。
日も暮れてリコリコも本日は終業。全体的にお客さんも少なく、手が空いている時間を竜胆くんとあれやこれやとやりくりする時間に充てていたワケなんだけど。
これがまぁ、手応えがないのなんの。
千束スペシャルを食べさせても駄目。先生のコーヒーを飲ませても駄目。虎の子のミズキ渾身の婚活自虐ネタを披露させてもピクリとも表情は動かない。
最初こそ私が竜胆君の力になるんだー、って息巻いていたんだけどこの有り様。
色んな方法を試しては悩めど悩めど、一向に『これだ』と言える答えが見えてこないのは、正直応える。
結局、私のワガママに泣く泣く巻き込まれてくれた大人二人組に相談を投げかけているのが現状だ。
「さーて、案の定泣きついてきたわねー」
「ま、千束にしてはもった方じゃないか?」
「うーんこの温度差」
「だって、ねぇ?」
反対に大人組であるミズキと先生の反応は、良い意味で淡々としている。
見捨てるってワケじゃなく、見て見ぬふりをするワケでもない、問題を見据えたうえで落ち着いた態度を取っているのがわかる。
……何というか此処に来て大人の余裕の差というのを如実に感じ取れてしまう。
こうも進展が無い今となっては、正直言ってその余裕が非常に羨ましい。大人になれれば、もっと上手く彼の助けになれるのだろうか。
――――ま、それこそ私には叶わない話なんだけどさ。
「というか私まで大分被害喰ってね? オッサン、ボーナス」
「出さん」
「ファック」
「はいそこー、竜胆くんを不良債権みたいな扱いしない」
不穏なやり取りを展開する二人に私はすかさず仲裁する。発案者は私だし、巻き込んだことは申し訳ないとは思っているけども、つまりはそれだけ彼は深刻な状態であるということになる。
「きな臭くなって本格的に調べてもなーんにも出てこないんだもんねぇ……精々アイツの父親が医療関係者だってことくらい?」
「それが何かに役に立つとは思えないし……先生、本当にこれだけしか情報らしい情報は出てこなかったの?」
「精々、医学界における異端児ってことくらいだな。『DA』のデータバンクをちょろまかして調べてみたが、論文と世論以上のことは出てこない」
「マジか」
「マジだ」
というか竜胆くんに隠れて『裏』で色々やっている私たちが手に余るって、それだけで相当な事態なのではなかろーか。
「――店前の片づけ、終わりました」
そして噂をすれば、だ。
今このリコリコにおける悩みの種――竜胆要人くんが箒を手にして、リコリコの制服である紺色の着物を着て、相変わらず光の無い瞳で話し合う私たちを見据えている。
「なーに他人事みたい店の片づけしてんのよ。アンタのことよカナメ」
「僕のこと……それは、お聞きしても?」
「ミスがいちいち壮大」
「しかも遊びがないからタチが悪い」
「スマイルで子どもを泣かすな」
「………………」
「座れ、反省会だ」
「はい、店長さん」
……実に珍しいものを見た。
私とミズキで挟んで、先生の前で座ってコーヒーを静かに差し出される姿は、心なしかどこか萎んで見える。
これはアレだ、心当たりが多すぎて原因が特定できないから処理落ちしてるんだ。
「ど? その……人間になれそう?」
「……あまり」
「そっかぁ」
我ながら凄い質問をしたと思うのだが、相変わらず表情に変化は見られない。
そんな竜胆くんの反応に先生はともかく、流石のミズキも茶化す気にはなれないのか、誤魔化す様に仕事終わりの酒を注いでいる。
だけどまぁ、最初にあった時はそれすらも感じ取れなかったのだからまだマシなんだろうけど。
どうにも決定打に欠ける、というのが覆しようがない現状。もう一押しなにか、と事態が進むか退くかもわからないのが今の状態なのだ。
「せんせー、今こそイイ大人の出番じゃない?」
「むぅ……そうだなぁ……カウンセリングは専門ってわけでもないんだが」
「というかコイツの場合そもそも通常のカウンセリングが効くかって領域の話になってくるわよね。今までを見た感じ」
「ほんとそれ」
とっくりを傾けるミズキの言い分には本当に同意しかない。
「よし。いいかカナメ。お前は隙があれば千束を見てきたが……どうだ。そこで何か感じたこと、何でも良いから話せるか?」
「――疑問が、一つだけ」
「どうした」
「ただこれを言ったら、錦木さんを怒らせてしまうかもしれません」
店の雰囲気が引き締まる。忙しなく静かに稼働する厨房の冷蔵庫の音、小さなテレビから垂れ流しになっている夕方のワイドショーが、店から遠ざかった。
竜胆くんの抱える疑問。それはきっとあの雨の日の様な、当たり前でありふれているけど、彼にとっては理解のし難いものに違いない。
だからこそ、先生は質問者たる先生は私に視線で問いかけている。
その返事は、言うまでもないだろう。
「いいのいいの。竜胆くんはちょぉーっと真面目過ぎるからねぇ……経験上ね、少しくらい誰かに迷惑かけたって、なんやかんや許してくれるもんだよ? ね、ミズキ」
「許さん」
「許せよ」
「やめなさい二人とも……ま、そういうワケだ。だから何でも話せ。あくまで私見にはなるがな、今のお前に必要なのは何でも楽しんでやるって言う気概だな」
「何でも、楽しむ」
茫然とした呟き。
竜胆くんを間に挟んでミズキと睨み合っている私を一瞬だけ見て――。
「…………」
――まるで手の届かない星を見る様に遠い目をして、少しだけ俯いた。
私じゃ、相変わらず竜胆くんが考えていることはわからない。少なくとも今は、彼の事を理解し切ることが出来ない。
けれど一瞬。
ほんの一瞬だけだけど、その瞳にはこれまで見ることが出来なかった『竜胆要人』っていう一人の人間を、見れた様な気がする。
「――その」
だから、意を決して放たれた次の言葉は本当の本当に。
嫌われるかもしれない。此処に居られなくなるかもしれない。
そんなありふれた恐怖を押し殺すだけのありったけの勇気と、切実な想いが込められていたんだと、今なら思える。
「此処に来る人と、働いている皆は――何が楽しくて生きているんでしょうか」
……あー、そこからかぁ。
竜胆くんは笑わない。
私自慢のパフェを食べても、ミズキ渾身の婚活失敗談を聞かされても、先生のおはぎやコーヒーを飲んでも、その表情は一ミリも変化することはなかった。
しいて言うなら、そういう『作り』になっていないんだ。
喜べる原理が無い。
怒れる機能が無い。
哀しむ構造が無い。
楽しむ道理が無い。
そういう普通に生きていたら備わっている筈のソレが碌に機能していないから、彼はこんなことになっている。
寧ろここまで来ると、竜胆くんの今の在り方を見ていると根本的に『普通』ってことがどれだけ奇跡的かってことを思い知らされるくらい。
「僕の親は以前こう言いました――人間のナリをしているのなら、人間のフリくらいして見せろと」
――知らずと、拳に力が入る。
わかっている。竜胆くんには何の悪気もないことくらい。だから彼は平気そうな顔で、そんなことを顔色一つ変えずに口にしている。
だけどあんまりじゃないか。
親と慕う子になんてことを言うんだ。本当に血が通っているのか、と一発引っ叩きたくなる。親ならもっとこう、言うべきことがあるだろうに。
そして酷いのは、当の本人がそれを当然のことだと受け入れていること。
その果てに、数年もの期間を独りぼっちの世界で生きていたんだから。
「その時に思いました――人は、いつだって死ぬのを我慢して生きていると」
だから助け合おうとする。意味がなくても、生きなければならないから。
だから群がろうとする。価値がなくても、生きなければならないから。
だから、名前も知らない誰かを助けることが出来る。
――人の形をして生きなければ、死ぬことを我慢できないから。
故に『
故に『
そんな息をしているだけでも苦しいと思える様な自分の所感を、こともなげに竜胆くんは口にする。
けれども僅かに、その視線を隣で座る私に向けて。
それをほんの少しだけど否定するかのように、その光を宿さない瞳が揺れた。
「でも此処では、色んな人が笑っている」
「幸せな要素が何一つないのに、誰かが笑っているのを見て笑っている」
「名前も素性も知りもしないのに、楽しそうに笑っている」
「代価の無い幸せを、誰かと分かち合っている」
誰かを笑顔に出来るこの場所で生きている人達が、あまりにも幸せそうだったから。
――――僕も誰かを、笑わせることは出来ないのか。
……それが、竜胆くんの持つ疑問であり決定的な『歪み』。
今はちょっと、後悔している。
彼の話を聞いて感じたのは怒りでも、悲しみでもない。
傲慢で残酷な、私の行動への後悔。
彼には一体、私がどんな風に見えていたんだろう。
今までと違う場所に連れてきてしまって、『人間』を知るって言う聞こえが良い文句を謳って、結果として彼と他人の違いを見せつけた。
――彼を独りぼっちにしていたのは他でも無い、私かもしれない。
「だから、教えて欲しいんだ――錦木さん」
「うぇ……私?」
「そうでもしないと――僕は錦木さんに一生懸けても報い切れない」
「――――」
一生。
いっしょう。
今、一生って言った。
「……錦木さん?」
「ち、違うの。ちょっと待ってね……別に竜胆くんが悪いとかじゃなから……」
「ならどうして顔を逸らしているんだ」
「んぅ―ッ……! それを説明するのは流石の私でも難易度が……!」
「おいオッサン、私たちは何を見せつけられてるん? え、これは新手の無差別爆破テロなのでは? 千束が満更でもないのが一番腹立つんだけど。処す? 処す?」
「千束……お前もそういう年頃か……歳は取りたくないものだ」
「くっそどいつもこいつも……ッ!」
……………………ちょっと待って。
今なにか、とんでもない告白を聞いた気がするんだけど。え、この場合私ってどうすれば良いワケ。
だからまぁ、取り敢えずだ。
「――竜胆くん、今のもう一回言って?」
「……ごめん、自分でも正直、何を言っているかわからない」
「んいぃぃぃー! 恥ずかしいぃぃぃい! けど何このカンジ!?」
「クソがッ、おま、性の喜びをおま、結局おめーも男かよカナメぇ! 節度を護れ節度を! 公序良俗、時代は公序良俗じゃあー!」
「ミズキ今だけは本当にうるさい! そんなんだからミズキなんだよこのミズキィ!」
「なんだとコラっ! アタシのミズキクオリティ舐めんな! こうなったからには全員行き遅れにしてやるからな!」
「自分で言ってて悲しくないのか、ソレ」
「ツライ! アタシも今すぐ外に行って男を拾ってくるぅ~!」
「やめとけ、猥褻だ」
「言葉には気をつけろよオッサン!」
気づけば、リコリコは重苦しい空気から何となくいつものコミカルな雰囲気に舞い戻っていた。
というか結局、竜胆くんの疑問には答えられていなんだけど。
……どうしよう、さっきとは違う意味で竜胆くん探しが難航しそう。
具体的には今は顔を見られたら困るとかそういう意味で。こういう時にミズキの面の皮の厚さが羨ましく感じる。
「ぬぐぐぐ……くっそぉ、何か色々してやられた……覚えてろよ竜胆くん」
「矛先がおかしい」
ぜんぜんおかしくない。
「それで、どうするんだ千束。カナメはお前の判断を所望しているみたいだが」
「どうしよっかなぁ……」
「あー、ならアタシから提案あるんだけど」
「……ホントだよね?」
「流石に茶化したりはしないっつの」
そういいつつミズキはとっくりを傾けて、酒気の強まった吐息を一気に吐き出す。
「……フゥ―……オッサン、明日のコイツの仕事って飛び入り参加ってアウトだったっけ?」
「いや、そんな話は聞いていないが……」
「ヨシ、なら問題ない」
そしてミズキは、先程の暴れっぷりが嘘の様にこの上ない最適解を口にした。
「ま、簡単な話よ。楽しむことがわからないなら、一緒に楽しんでみれば良いのよ。いい、カナメ」
「はい」
「――――明日は一日中、千束の『外』の仕事を手伝ってみなさい」
今回はここまで。
なんかギルがワイン嗜みながら愉悦研究してきそう今回の話。
予定変更して三話構成で、次回投稿したらアニメ本編の内容に入る予定。
※現在公開できる情報
カナメの父はかつて『心』を生み出そうとした学者。
やがて絶望し医療における禁忌に手を伸ばすことになる、とかなんとか。真相は誰も知らない。
感想は気軽に送ってくれればよき。ただし展開予想はワイが死ぬ。実際、前書いていたヤツでも死んだ。あいつは良いヤツだったよ……。
次回、カナメが幼稚園児の舎弟になる。
型月タグの追加に関して
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