山育ちの竜胆と不殺の彼岸花   作:トウチ亀

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6話

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――朦朧とする意識の中、私は確かにそれを見た。

 

 優しくほのかに香るコーヒーの匂い。

喧嘩染みたやり取りはあまりにも軽快で、陽だまりみたい。

 血と硝煙の気配が支配する世界に生きてきた自分にはあまりにも遠くて、いつしか望む事すらやめていた光景。

 

 その中心に。

 可愛らしく憤る女の子と、頼もしさの欠片も無く困り果てる男の子の姿を――。

 

「なに一人だけ眠ろうとしてんだガキ……ッ! どこから嗅ぎ付けやがった――なぁ、オイッ!」

 

「……ッ!」

 

 だが、それも長くは続かない。もう少し、なんて願いが当然届く筈が無い。

 息が詰まる。太い脚によって繰り出される蹴りは丸太の突撃じみている。

 鈍痛が鋭くお腹の中心を捉え、遠のきかけていた意識を痛覚が即座に上書きした。

 

「げほっ、こほっ」

 

 せり上がって来る胃液の感触が喉を伝う。乱された呼吸と異物を認識した気道が、それを吐き出さんと不規則な動きを繰り返す。

反射的に患部を押さえようとして――そこで自分の手が縛られている事に気づいた。

 

「……」

 

 異常があったのは腕だけじゃない。武装や制服に仕掛けた細工を含めた装備の全ては取り上げられ、口と側頭部は何かと打ち付けたか、小さな動きを繰り返す度に鋭利な痛みを肌の下から表面まで訴えている。

 

 そして――自分が『人質』という重すぎる足枷になっているという事を理解する。

特に明確な原因があったわけではない。本当によくある、戦闘における些細な失敗と悪運が重なっただけのこと。

 大詰めも大詰めで待ち構えていた標的を捉え、そのまま戦闘になって。

 

 前に出過ぎていた蛇ノ目さんを乱戦で庇って、そのまま――。

 

「JKの殺し屋なんて舐めた真似しやがって……さてはお前らだろ! 俺たちの取引相手を双方全滅させたってのも!」

 

「……」

 

 灰色の熊みたいな男が銃を突きつけながら、倒れ伏す自分を見据えている。

 その様子はどう見ても普通じゃない。

 明らかに動転し、気の迷いでも何でもなく事故で今その手に持っている銃の引き鉄を誤って引いてしまいかねない危うさを感じ取る。

 

 故に、痛みが全身を走り回っている現状とは裏腹に、冷徹に今の客観的な状況をこれまでの経験から理解する。

 

 少なくとも今すぐには、標的は自分を殺すことは出来ない。

 敵の数も正体も不明、そして先日の出来事が彼らの持つ不安に更なる拍車をかける。そんな現状における貴重な情報源、もとい人質をこの手の連中が簡単に殺すとは思えない。

 

 殺害しようとするならば、もっと効果的かつ然るべき場面で利用する筈だ。

 ……案の定、標的は銃を構えたまま傍らで彼を護る部下たちに矛先を変えていた。

 

「チィ……ッ! オイ、上の階と下の階の連中はどうした! 護衛は、監視は!?」

 

「そ、それが先ほどから連絡が取れず、通信が異常を示した様子もなく。信じられないことに誰とも全く繋がらないんですよ」

 

「まさか全滅したってのか!? この短時間で!?」

 

 銃口が突き付けられたまま驚嘆を含んだ怒号が飛ぶ。

 自ら提案した作戦通り、別行動で作戦を遂行していた眼鏡の彼――竜胆さんは上手く立ち回った様である。

 今でこそこんな状況を許してはいるが、彼の提案はまぁ、決して悪くないものだったと思う。膠着した戦況における陽動作戦だ。単独で二桁の歩兵を引きつけ、そのうえ誰も殺していないというのだから、その難易度は計り知れない。

 

 故に確信する。

 

 『DA』は確実に、自分を見捨ててでも作戦の本懐を完遂するだろう。

 

「――――」

 

 そんな事を考えたからだろうか。

 『ソレ』が何であるかはてんでわからないけど――目の奥から熱いモノが零れそうになっていることはわかる。

 血なんて一滴も出ていないのに、胸に風穴が開いた気分だ。

 びゅうびゅうと、伽藍の洞になった胸の内を満たすモノが()()()()()()に、言葉に出来ないどうしようも無さを覚える。

 

 だけど、そこで思い浮かべるのは何故か。

 きっと本人すら全く自覚をしていない、優しい顔。

 自分を助けた時に見たことが無いくらいの安堵を浮かべた――少年の顔だった。

 

「う――ッ!」

 

「オイ、どうせこの会話もどこかで聞いているんだろ!? 出てこい、さもないとコイツぶっ殺すぞ!」

 

 今度は髪を持ち上げてコンクリート製の固い床に叩きつけられる。今度こそ額が切れたのか、片方の視界は真っ赤に染まってぬるりとした鮮血の感触が顔を伝っている。

 

 ――『ラジアータ』による通信網が復帰していない現状、司令部は部隊に待機を命じている筈だ。あるいは現場指揮を担うリコリスにその判断を委ねるだろう。その結果は言うまでもない。

 

 所詮は替えの利く使い捨て。それはセカンドに昇格したリコリスであっても。自分の代わりなんて他にいくらでも居るだろう。

 

 わかっていた事だ。自分がいざとなれば切り捨てられる存在であるという事は。

リコリスとして生きてきた誰もが、その事実を受け入れたうえで戦っている。

 

 今までだってそうしてきた。

 この十六年間、それを良しとして生きてきた。

 それを何もない自分が唯一持つことが出来た『使命』であると。

 殺した分の意味が、たくさんの人を護る事に繋がると信じて。

 

 その結果を、今の自分が証明している。

 

「……わ、たし……は」

 

 けれど。

 けれど、だとしたら。

 此処で死ぬだろう私は、いったい何の為に戦っていたのだろうか。

 

 護った人たちの顔を知らず。

 護った世界の事を知らず。

 護った人たちがどんな生き方をしているのか知らないまま、終わりを迎えようとしている。

 

 私はそれで、何を護ったというのだろうか。

 

 ――――キミはアイツらにくれてやって良い命じゃないからね。

 

 脳裏に言葉が過る。甘すぎると切り捨てた言葉が、こんな場面になって甦る。

 彼は言った。私は、敵に差し出される命ではないと。

 だが私にその権利はないだろう。『DA』に育てられ、銃を握った時から自分の価値というのはとうに決められている。

 

 リコリスというのはそういうものだ。

 自分が生きる世界とは、そういうものだ。

 それが、井ノ上たきなというリコリスの人生だ。

 そのために、そのために私は――。

 

 ――――気楽に行こうよ。思っている以上に人間って、自由だからさ。

 

「じ、ゆう」

 

 意識が霞んでいる。それに引っ張られて朧気に口にした言葉は何とも愚鈍で覚めない夢から出たモノ。

 ……自由、自由か。自由なんて、考えた事もない。初めから期待していないのだから、自分にとっては辞書の中だけの言葉、知識だけの空想だから無いのと同義である。

 

 それこそ――日なたから日陰に来た竜胆さんくらいしかわからないだろう。

 

 能天気で、どこか詰めが甘い人。

 他人からの苦労を苦労と思わず、そのうえどこか自分に焦点が合わないお人好し。

強い癖して、どこかで何かの拍子にふと死んでしまいそうな危うさを持っている彼。

 そのどれもが――『DA』で聞いていた情け容赦のない噂とは違っていた。

 

 だからこそ。

 

そんな彼のいる場所を見ていれば、その答えがわかる気がしたんだ。

 

「三秒だ! そこにいるのはわかっているんだ、それまでに出てこい!」

 

 だがそれすら許されない。

 ぎりぎりと、顔が靴底で地面に押し付けられる。殴られた顔と切れた額がコンクリートに押し付けられて、じくじくと痛みを訴えている。

 もう少しで答えがわかりそうだったのに。否、触れていたのに。死を迫る現実はそれらを許容しない。

 

 ……だから自由なんて考えなかったのかもしれない。

 だって本当に自由なら――自分はもっと違う生き方があったかもしれないから。

 

「『三』ッ!」

 

 死が迫る。自分が今までやって来た事が、今度は自分の番になってやってくる。

だから考える。考え続けている。

 あのおかしな喫茶店で目にしたあの二人だけが生み出す、温かな夢を。

 

 信頼している。

 信用している。

 祝福している。

 そして間違いなく――愛し合っている二人を。

 

「『二』ぃッ!」

 

 撃鉄が下りて、どくりと心臓が脈打つ。銃口が押さえつけられた頭を捉えて、軽くもどこか重い響きを持つ銃器のあらゆる音が、やたら大きく聞こえてきた。

 

 一秒後の死を受け入れる。

 終わる確信を抱きながら。もう助からないと知りながら、それでも考える。

 独りにしたくないって思ってくれる人に想われて、自分にしか向けられることの無い唯一無二の感情を受け入れているのを見て。

 お互いに無償の善意と愛情を全力で示し合う彼らを思い出して。

 

 思って、しまった。

 

 まだ、終わりたくないって。

 

「『一』ッ――」

 

 

 

 

 笑い合う二人を見て――いいなぁ、って。

 

 

 

 

「――それは困るぞ。なんてったってその子には爆破の貸しを返せてないからな」

 

 

 

 

「…………え?」

 

「なッ――!?」

 

 けれどもその殺害の予兆は、あまりにも楽観的な呟きで。

 場違いとも言える気安さと穏やかさを持った声によって阻まれた。

 

「へ、へっ、ようやく出てきやがったか。一瞬マジで見捨てるのかと思ったぜ……見たところコイツと同じだろお前。何者だ?」

 

「……」

 

 だが、楽観的だったのはどちらだったのかを、この場に居た私は思い知らされる。

 ゆったりと姿を現した少年――竜胆さんは標的の言い分に答える様子はない。

 

 見据えるのは一点。

 彼の特徴の一つと言える眼鏡越しの瞳には、血を流した自分の姿が映っている。

 今の彼は確かに普通だ。

しかしその『異変』を、標的は知る術を持たない。

 たった二日。されど二日。その過ごした僅かな時間の違いが、彼の決定的な変化を見過ごすことを許さなかった。

 

 能面の様に感情を読ませないその表情に隠れた――憤怒の顔を。

 

「オイッ! 聞いてんのか!」

 

「……ああ、先に帰って貰ったよ。こんな状況だしね。ただなぁ……アンタも組織の一端を率いてるヤツだってんならもう少しどっしり構えてればいいのに。デカいのは見かけだけか」

 

「うるせぇ! こんなにやりやがって……! おい眼鏡野郎。コイツ殺されたくなかったら、武器を置け! そしてウチで取引する筈だった銃の居所を――」

 

「――それと」

 

 ずん、と空気が凍り付いた。

 竜胆さんの姿ははっきり言って戦闘が可能な状態とは思えない。右手にナイフ、左手にハンドガンという少し変わったスタイルを取る彼の姿は、敵前だと言うのに拍子抜けするほど自然体だ。

 

 だけど誰も近づけない。今この場で呼吸を許されているのは、私を除けば竜胆さんだけだろう。

 作戦前のふざけ合っていた彼とは比べ物にならない圧が、見事なまでに標的のみを襲っていた。

 

「足、どけてくれ」

 

「……ッ……――」

 

 顔から靴底の感触が無くなると同時に、放たれていた鬼気が僅かに収まる。

 

 だけどそれだけだ。依然、銃口は向けられたまま。

 当然だろう。たった今、標的はどちらが捕食者かを理解させられたのだ。

 取捨選択の優位は竜胆さんに移って、必然的に命を護る選択を取る。そしてそれらを突破できる唯一の手立てである私の身柄を、標的が放棄する筈も無かった。

 

「――井ノ上さん」

 

 けれども次に出てきたのは先ほどの憤怒に染まったソレとは程遠いモノだった。

 失敗への叱責でも無ければ、原因の追及でもない。

 

 『DA』の教官からも聞いた事が無い優しい声で、私の名前を呼んでくれた。

 

「は、い」

 

「痛いだろうけど、少しだけ待っててくれ」

 

「……」

 

 こくん、と頷けば、そこにはいつもの穏やかな顔があった。

 

「ありがとう――此処からはリコリコ流だ」

 

 そしてあろうことか竜胆さんは――その場で武装を放棄し始めた。

 ナイフ、ハンドガン、リコリスの戦術鞄に制服の下に仕込んだナイフと弾倉すら、まさしくその場で脱ぎ捨てる様に。

 

 だがそれでも――彼は歩みを止めない。

 自分の身を護るモノが何一つないのに、まるで死の気配を感じない。

 

 ソレを感じ取った標的の取り巻きは後ずさり、取り残されたリーダー格の大男はその額に脂汗を浮かべながら、銃口だけは此方を外さない。

 

「お、おい。近づくんじゃねぇ。俺たちは本気だぞ!」

 

「なら降伏してくれ。僕の方針で、命までは取らない――アンタらが利用されたってことも既に承知済みだ。これ以上の戦いに意味はないぞ」

 

「だから何だってんだ! てめぇらに捕まったらそれこそお陀仏だろうが!」

 

「――そっか」

 

 

 

 

「ほら、ボコって良いってさ――千束」

 

 

 

 

 瞬間――太陽が煌めいた。

 

 ガラスが砕ける音と共に、朝陽の淡い光が差し込む。

 雪景色が如く陽光の全てを反射するガラスの破片。刹那の静寂を突き破る窓が割れる音が耳をつんざく。

 眩む視界の中で捉えたのは死の間際に思い浮かべた人たちの片割れ――『DA最強』の名を冠する比翼の赤い姿。

 

 煌めくガラスの粉塵の中で銃を握って飛ぶその姿は、まさしく彼岸花に宿る妖精を思わせた。

 

「――とぉーう!」

 

「ぐはッ!?」

 

 その勢いのまま私の上を陣取っていた男を両脚で蹴り抜き。

 俊足もかくやと言わんばかりの速度で、竜胆さんは私を姫抱きに回収した。

 

 

 

 

「――お待たせ、ギリギリ?」

 

「――いや、最高のタイミング」

 

 姫抱きに見る視界は絶景だった。

 

 突き破った窓から差し込む朝日は煌々と、銃弾と火薬で満ちるこの場所を照らし。

 覗く二人の目はどこまでも穏やかな黒と赤の瞳。

 時間は一瞬にして永遠となって。

 『彼岸花』を象徴するリコリスの紋章が差し込む風に揺れる。

 

 

 

 私はこの時の感情の答えを知らない。

 だから想えることはただ一つ。

 自由なんてどこにも存在しない世界で二人はなおも軽々と。

 誰かを助けるその姿は紛れもない。

 

 私にとっての――英雄(ヒーロー)だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 




今回はここまで。
リコリスの在り方をたきな視点で掘り下げてみたかったって話。

だから実は既に感情を持て余し気味だったり。主に山育ちの所為で。
たきなって、誰かに助けられたこともあまりなかったのかなって。
というより、『使命』だけしか知らないで生きてきたらああなるのも無理はない。

だから、真っ直ぐな行動や言葉は彼女の心に届く。

感想、誤字報告ありがとうございます。
これからも送っていただければもっと燃料に。ぶっちゃけ新規さんが感想の常連になってくれると本当に嬉しい。

それでは。

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