『――例の銃取引の現場、制圧されたみたいだな』
「だろうなぁ」
『……最初からこうなるとわかっていたのか』
「逆に聞くが、あの戦いっぷりを見たお前はアレが頭数を揃えた程度で簡単にやられると思うかよ。なあ――ウォールナット」
東京都某所。あるいはどこでもないビルの地下、窓を覗けば遠くに電飾が施された『旧電波塔』が見えるその場所に、その『獣』の如き男は居た。
呼吸を繰り返せば埃が混じる。建物としての機能を殆んど失っているその場所は建造物全体が吹き抜けとなって、重々しく冷たい都市の夜風を肌で感じ取れる。
モニターが唯一の光源として活きるその暗闇はいっそ不気味だ。
だというのに廃棄寸前の椅子に腰掛け愛銃を
『そこまで節穴じゃない。逆に三丁の機銃掃射を避け切る奴と正面から受けきる奴の片割れに遭遇して生き残れたお前に驚いている』
「ははは、違いない。でも面白いもん見れたろ」
『期待していたものとは違ったがな。見ちゃいけない深淵を覗いた気分だ』
モニターに浮かんでいる『リス』の作りものめいた声に落胆の色は無い。ただこの国が隠しているモノの大きさに辟易し、心底面倒くさいというのを隠さない声音だ。
――
そんなリスの言い分には甚だ同意だと言わんばかりに、真島は再び笑った。
より鋭く。より危険に。狩るべき獲物を見据える血に飢えた獣が如く。
そうでなくては。
そうこなくては。
そうでなきゃ――報い切れない。
その方がやり甲斐があると、狂気を孕んだ表情を浮かべていることをウォールナットは画面越しであるというのに本能的に理解する。
『モノは確保してあるんだろう? なら、ボクはもう用済みだな』
「ああ。五〇〇は逃したとはいえそれでも一〇〇〇丁は確保できた。案外良い仕事をしてくれたな。報酬だって弾んでたろ?」
『ボクからしたらあぶく銭なうえ、ドローンがいくつかお釈迦になったがな……仮に当初の予定通り一五〇〇丁の銃を確保できた場合、何をするつもりだったんだ? 戦争でも起こしてこの国の転覆でも謀る気か』
「それは言えねぇなぁ。人間関係、何事も仲良くなってからだろ? まぁ、俺の仲間になるってなら話は別だがな」
『……』
返ってくるのは沈黙。その意味を悟った真島はけらけらと機嫌よさげに笑った。ちなみに仲間になれば教える、というのは本当のことだという事はこのハッカーが知る由もない。
もっとも、仲間として迎え入れるには好奇心が強すぎて少し扱い辛いことに加えて、これまでの行動とハッカーの気質からしてその可能性は億が一にも在り得ない。
意味の無い問いかけだ。
「ただ、仕事をしてきたよしみで教えてやるが――近々引っ越しの準備でもしておいた方が身のためかもな」
『……ボクの居場所を知っているのか』
「さて、な。こっちじゃ知る由もねぇ。お前の
『おい――』
返事を最後まで聞かずに、通信を絶つ。それだけじゃない。端末も通信に使っていた機器の回線も、全てを切る。
ウォールナットは裏の電子世界で知らない者はいないと言える程の知名度を持つ天才ハッカーだ。インターネットという概念が生まれて間もないネット黎明期にその名を轟かせたのだ。
掻い摘んで言えば、電子機器が存在する世界においてヤツは
潜伏先の一つとしてアジトだって既に危うい。今行っていた回線を切るという行為すらもせいぜい時間稼ぎになれば関の山だ。
もっとも、それこそがこの男の狙いなのだが。
「いやはや、時代はデジタルとは言えアナログもまだまだ捨てたもんじゃねぇな。アンタもそう思わないか――姐さん」
真島が送るその視線の先。猛獣と称しても差しつかえない男である真島が『姐さん』と呼んだ声の辿りつく先に、ソレは居た。
「――――」
ソレは、浮世離れした美しさに満ちている。
全身を黒い衣装で覆っているその姿に抱く印象は『夜』。纏う雰囲気は荒れた僻地に独りで佇む不気味な案山子を彷彿させる。肩口で切り揃えられた黒い髪は濡羽色で、唯一首から覗く白い肌と相まって余計に人形らしさを際立たせている。
黒いバイザーで覆った目にはおよそ、人間らしい情緒や感慨をまるで感じない。
美しいのに、近寄り難い。
触れてみたくなる魔性があるのに、コレはそれを拒絶している。
綺麗な筈のソレには確かに、人の存在を拒絶する『畏れ』があった。
だがその中でもっとも異様なのは――鞘を杖の様に地面に突き立てている刀の存在だろう。
「なんだよ、寝てんのか?」
「――会話とは常に建設的であるべきだ。その点、お前は戦闘においても無駄な会話が多すぎる。雑音こそお前の天敵じゃないのか、真島」
「見解の相違だなぁ。これは単純なバランスの問題だぜ? この場合、姐さんが喋らないから俺が喋っているだけだな」
「お前のそれはただの性分だろう」
心の振幅を感じさせない感情らしい弾みを切り捨てた声は、いっそ真島への関心も感傷もないというのがありありと伝わってくる。
もっとも、真島は最初からまともな返事らしい返事など端から期待していない。
この女はそういう人だ。組んでそれなりの年月が経過しているが、彼女がこういったスタンスを崩したことなど絶無に等しい。賭けてやってもいいくらいだ。
では何故そんな人と組んでいるのか。
これも簡単な話だ。
力によって保たれている均衡を崩すには、絶対的な力がいるだけのこと。
そしてバランスを崩す圧倒的な『個』を、彼女が持っていたからに他ならない。
「だが妙な話も聞こえた……真島、お前ハッカーを釣ったな?」
だが聞いていた内容自体は耳に入っていたのか。案山子に徹底した黒い剣士はその人形めいた見えない双眸を此方へと向ける。
「やけに食いつきが良かったからな。ほら、これも建設的な会話ってやつだ。今頃
「雑音混じりなのは変わりないがな」
違いない、とまたケラケラと笑う真島の姿に黒い剣士は呆れた様子を隠さない。
腰の重いリスを釣り上げる種は既にまいてある。たとえあの赤と黒の暗殺者が同時にしかけてこようとも、自分と彼女がいればどうとでもなる。
食いついた種が毒だったと気づいたリスは、恐らく黒と赤の二人組に助けを求めるだろう、と。
少なくとも真島にはそんな確信めいたものがあった。
「それでな、姐さん」
凶笑が深まる。
彼を中心に発生する圧に空間が軋む。重々しい空気は更に圧し掛かり、通常の重力と引力に縛られない重さがそこには存在している。
それは男の思想、その破壊的な性質から無意識に滲み出たモノ。
バランスは常に公平に、常に水平でなくてはならない。あらゆる天秤は均衡を保ってこそその価値を見出す。
そのために秩序を壊す。そのために混沌をもたらす。そのために、障害となり得るそのことごとくを破壊し尽くすと
だからこそ。
この真島という男が、
「俺コイツと知り合いなんだけどよ」
「どれだ」
「あ、この赤いのな。少しばかりコイツとは因縁があってな。なんでよ――ちょっかい掛けても良いか」
ドローンから遠隔で抽出した画像には黒と赤の暗殺者の蹂躙が映り込んでいる。
そのうちの一人、真島は赤い方を剣士に示し、圧をかけながら問いかける。
しかし、この目の前の剣士は――それを歯牙にもかけなかった。
「――駄目だ。少なくとも私が許可を出すまでは、な」
「……へぇ、そりゃまたどうして?」
「お前もよく知ってる連中が私たちの周囲を嗅ぎ回っている。しばらく派手な動きは出来ん。動くなら連中の動きを捕捉してからだ」
「『アラン機関』か……邪魔くせぇ。やっぱアイツら潰すか」
「いずれ、な。だがまずはこの国の獲物からだ――そのあとは好きにすると良い」
その言葉を待っていたと言わんばかりに真島はその喜悦を隠さない。
だから真島は単純な疑問を持って剣士たる彼女へ問いかけた。
理由は一つ。自身と対峙し追い詰めた黒い暗殺者の男の動き、その技術。
その全てが――目の前の剣士の動きと酷似していたからだ。
「姐さん的にはどうよ?
「――考えるまでもない」
鈍い輝きを放つ新月。りぃん、と雅な音を人を斬るモノが美しく奏で耳を撫でる。銀閃は夜のネオンライトの余韻に混じって、認識する間もなく景色に溶けてゆく。
冷や汗が額を伝った。穂先は、真島の首の皮一枚を見事に切り捨てていた。
抜刀の瞬間は真島を以てしても視認できない。速いワケでもなく、かと言って視認できないほどでもない。ひたすらに巧く抜かれた得物は
その刃の先には――血の一滴も残らない。
「どんな相手であれ殺すだけだ――あの『山』から出てきたモノなら尚更な」
「あとな、姐さん」
「なんだ」
「ハーゲンダッツは、日本食じゃねぇんだわ」
「……なん……だと……?」
◇
「――本当に良いんだな?」
「……はい。
「そうか……なら、私に止める理由は無い――だが務めは果たせ」
◇
「ご来店ありがとうございました」
「またのおこしー」
客足が一人、また一人と扉から正午の喧騒へと紛れていく。店内を満たし続けていた珈琲の香りも小休止を迎え、肌に染みた賑わいも今はそのなりを潜めていた。
色々とどたばたした銃取引の依頼の完了から数日が経過した。つまり『DA』の中核をなすAIの復帰から二十四時間以上が経ったワケだが。
幸いとも言うべきか、いくつかの現場で混乱が見られたものの死傷者などの被害は比較的に少なく、今はその制御を取り戻して正常に活動を再開した。
――肝心な『ラジアータ』をハッキングしたハッカーを捕捉出来ないという深刻な爪痕を残して。
とある事情から千束は一時的に席を外しているものの、それ以外はいつも通りの『喫茶リコリコ』ののんびりとした雰囲気が戻ってきた事を実感している。
ただまぁ、唯一変化……というより異常と言うべきか。
隣に立って僕と一緒に客の見送りをして、立て札を『Close』に裏返して店内を見渡せば、少なくともこれまでの接客中には見かけたことが皆無なレベルの笑顔を浮かべているミズキさんの姿があった。
「……あの」
「お、どしたどしたー」
やっぱ偽物では? 僕は訝しんだ。
「……いえ、珍しいなと。ミズキさんが午後休憩まで酒抜きで接客するなんて」
「あ、わかるー? 教えて欲しい? なんでだ、なんでだー」
端的に言って不気味だった。
失礼を承知で言うが、中原ミズキという女性は基本的にダウナー気質の飲んだくれである。制服である着物の着付けはだらしなく、加えて求める理想は高いという典型的なダメ女の素質を全て兼ね備えている。なまじ要領が良いのでサボるとこでサボって真面目にやる時は真面目にやる。つまりは暇さえあれば酒を飲んでいるってことなのだが。
「……」
それが今やどうだろうか、地獄に仏の蜘蛛の糸、現世にこそ天国が存在するのだと言わんばかりの光の華が咲いた笑顔でお客様を送り出していると来た。
これほど不気味なことは存在しないだろう。
「店長はこんな時に限っていないし」
絶対にコレを見たうえでの行動だろうというのは想像に難くない。
いい加減、いつのまにか暗黙の了解になっていたミズキさんのお世話担当である自身の現状を店長や千束に問い詰めるべきだろうか。
ひとまず、壊れた古い電化製品の要領で口撃による軽いジャブを決めてみる。
「ミズキさんは酒が入っている方がまともですね」
「普通に口悪いぞコイツ」
「うお、急に戻った」
直後、恐ろしく速いアイアンクローを決めてくるミズキさんの姿が。千束でなきゃ見逃している。
めこめこと、眼鏡を押し上げ頭蓋から発生してはいけない音を出しながら青筋を立てるその姿を見るに、叩けば埃が出るミズキさんが消えたワケではないらしい。
そのまま何があったんです、と問いかければらしくなくデレデレとした様子で返答する。その様子は、やっぱり酒が入っている方がまともに見えた。
「いやーあのさ、今日アタシが買い出しいったら声掛けられたんだけどね? 高校生くらいのガキが何の用だーって思ったんだけど……話してみたらなんかこう、全然アリだなって」
「あー……」
成る程、と今日一日のミズキさんの稀に見る上機嫌っぷりに納得する。
どうやら学校で流した噂が功を奏した様だ。まぁ流したと言っても、ただミズキさんの魅力というのをクラスメイトに聞かせただけのモノなのだが。
だから別に、感慨はない。第一ミズキさんは自分の強みを履き違えてるのがそもそもの話だ。時として男とは、取り繕わない美しさというモノに惹かれるのである。
こうして彼女の魅力が正しく伝わればこうなるという、わかり切った話なのだから。
「それウチの学校の生徒ですね、きっと」
「お前の差し金かよっ……いや、モテ期が来たんだから寧ろ感謝すべきか?」
「なんか駄目そーな感じがそそるらしいです」
「ざっけんなよッ!」
「あ、やっぱりいつものミズキさんだ」
ふんがーと憤るミズキさんを宥めながら、カウンターにて僕は『DA』から支給される端末を開いた。
業務中に溜めていたメールを確認するが、今回の任務で失った装備の補給やら備品やら提出した報告への返信などの雑務ばかりで、目新しい情報は今のところない。
そこで画面を過去の方へとスクロールして行けば――竜胆要人の謹慎処分という通達があった。
「『DA』も馬鹿ばっかよねぇ。今回の仕事の成功はウチのカナメの活躍があってこそだってのに。今回の現場の混乱をアンタに押し付けちゃってまぁ」
「まぁまぁ。ぶっちゃけ僕もフキさんの待機命令を無視しての行動ですので。結果的に誰も死んでないから本当に良かった」
「結果主義が謳い文句ならカナメの出した結果で評価しろってのッ! 腹立つ! カナメ、一杯!」
「はいはい」
ミズキさんにお酌をしながら、傍らで僕のメールを覗いていたミズキさんの言い分につい苦笑いを浮かべる。備えておいた肝臓に良いツマミを出す事も忘れない。
「しかも結局一〇〇〇丁の銃も何処かに行くし、偽の取引情報は掴ませられるし。加えて『ラジアータ』のハッキングでしょ? 失態も良い所だっての」
「……そこに関しては僕も引っ掛かる所はありますけどね」
そう。
あの後、千束やフキさんと一緒に探索を行ったが、一〇〇〇丁の銃は既にその姿を消した後だったのだ。
一〇〇〇丁、一〇〇〇丁だ。この狭い国で戦争だった引き起こせる物量だというのにそれが忽然と姿を消したとなれば、事実上の『DA』の任務失敗を意味する。
「……あれからあのブロッコリー頭の音沙汰が無いのも気になるのですが」
「あー、報告にもあったわね。取り敢えずリコリスは当面の間は警戒するらしいわよ?」
「じゃあしばらく出てこないか」
「そりゃそうよねー」
任務の失敗は『ラジアータ』の混乱も大きかった。そして上層部としては要となる難攻不落のAIが突破されたというのはどうにも都合が悪い。しばらくの間は、少なくともリコリスの活動は活発化するだろう。
だがそれでも拭いきれないのが今回の失敗。
そこで白羽の矢が立ったのが僕だったということだ。
「命令違反、作戦無視、騒ぎは大きくしましたし。そこに標的を逃がしたってなればよく謹慎処分だけで済んだと僕は思いますけどね」
「利用する算段と口実に決まってんでしょうが。アンタこれからいちゃもん付けられるわよー? うるさいからな本当にアイツら」
「井ノ上さんが助かったから別に。首を切りたきゃ勝手に、ってのが正直なとこです」
もっとも、フキさんやら蛇ノ目さんらが自ら責任を取ろうとした時の説得には本当に苦労したのだが。それをミズキさん的に言えば、僕という外部の存在を上手く活用する為だろう。
だけど結果はどうであれ、僕としては誰も死んでないならそれで良い。結局のところ僕の願いはそこに行きついてしまう。
なんてったって、生きていれば大概のことは何とかなるのだから。
「む」
なんて思考に耽っていると、端末には騒がしい文面でいっぱいになったメッセージが届く。まごうことなき千束のアドレスによる発信であった。
「ミズキさん、そろそろ着くって千束が」
「オマケに変なのくっ着けてくるし」
「同感です」
「これに関しては九割九分お前の所為だからなカナメ」
「なんでさ……いや、だって言っても聞かないから」
ただまぁ堅苦しい話は此処まで。
元々店を早めに午後休憩にしたのも全てはこれらの一大イベントが理由だ。
なんてったって左遷支部と称されたこの『喫茶リコリコ』に新たなメンバーが加わるのだから。
「よし、いつでもこい」
「……何してんのアンタ」
「花吹雪入りのクラッカーです。今朝テキトーに作りました。ミズキさんもホラ」
「つ、作った? っていうかお前が一番浮かれてんじゃねーか」
「抜かりはありません。カメラも完備してあります」
「褒めてねーよ」
呆れた様子を隠さずに自作のクラッカーを受け取るミズキさん。そんな様子に僕は首を傾げるばかりである。
だってその方が『あの子』も喜ぶだろう。それに千束だって喜ぶし、やるに越したことは無い。門出というのは華やかで、楽しくあるべきだと思う。
加えて、あの子にとっては『DA』とは違う初めての居場所となるだろうから。
じり、と待っていると騒がしい気配が扉の外から聞こえてくる。勢いよく開いた玄関からは見慣れた、しかし見てるといつでも元気になれる赤い姿が見えた。
「お待たせー! 遅くなってごめんねー、着付けに意外と時間かかっちゃってさ」
「全然。それよりほら千束。クラッカー」
「お、カナメくんわかってるねぇ」
「コイツら本当に……」
リコリコの着物姿である千束にクラッカーを渡すと、既に玄関のガラスには青いシルエットが浮かび上がっている。並々ならぬ雰囲気を店内から感じ取ったのか、はたまた緊張でもしたのか、扉越しの人物は戸惑う様に扉に手を掛けたまま動かない。
頑張れ、と心の中で元気づける。
大丈夫、と隣の千束も慈しみを含んだ瞳で扉の向こう側を見つめている。
そしてそんな僕達の言葉が届いたのか。
意を決して再び、扉が開かれた。
「――おお」
おずおずと開かれた扉の向こう側の絶景に、不覚にも反応が遅れた。
大海を彷彿させる深い青と差しの黄の生地で彩られ、素朴ながらも『和』の基調を乱さないその造形は間違いなく『喫茶リコリコ』のモノ。
濡羽色の黒い髪は青い髪留めで二つに結わいて整えられており、真っ直ぐ伸びた髪しか見てこなかった此方としては冷静沈着な井ノ上さんの雰囲気がここまで愛らしく変化するのかと、改めて千束のプロデュース力に関心する。
「なーに見惚れてるの! クラッカークラッカー!」
「ご、ごめん」
視認できない速度で僕の顔を抓ってきた事で一点に集中していた意識が一気に引き戻される。普通に痛い。
ちゃんとカメラが起動している事を確認して、クラッカーの紐を改めて握り直した。
「井ノ上さん」
「たきな!」
各々で名前を呼ぶ。
歓迎ムードの僕達を認識した井ノ上さんはぎこちなく此方を見つめている。
「『喫茶リコリコ』メンバー入り」
「おめでとぉーう!」
「おめでとー」
「……」
ぱかんぱかんぱかん、と。
仕込んだ紙吹雪が火薬の勢いに乗って、ひらひらと井ノ上さんの頭やら新調した着物やらに被さっていく。
彼女は相変わらず無表情だけど、着物から覗く襟元や頬は気恥ずかしさからか、僅かに紅潮している。
そしてそこにはやっぱり呆れ顔のミズキさんが。
「いや、新規のバンドかっての」
「そ、その……どうも」
「お~う、たきなもミズキもテンション低いぞ~?」
「い、いえ、別に無下にするつもりでは。こういった事には、慣れていなくて」
「千束の言う通りだぞ。凄く似合ってるんだから井ノ上さん。もっと誇るべきだ」
「本当にテンション高いなコイツ」
これこそが千束や店長が席を外していた理由。『喫茶リコリコ』で井ノ上さんが働くにあたって、着物を発注している呉服屋で見繕っていたのだ。
可愛いと連呼して頬を擦り付けるその姿から、呉服屋でもきっとあんな感じで詰め寄られたんだろうということは容易に想像できた。
そしてその歓迎ムードを見計らった様に、肌の黒い大男が姿を現した。
「その辺にしておきなさい千束。呉服屋でも散々構い倒した後だろう」
「もぉ、そんなこと言わないで先生。リコリコに来て改めて実感するじゃん? 新たな風ってやつ」
「どんな風だ。ほら千束、いい加減井ノ上さんから離れろ。大分困ってるぞ」
「カナメ、お前も取り敢えずカメラを仕舞え」
「……ウス」
店長が井ノ上さんに纏わり着く僕と千束を引っぺがした。
そして視線は自然とミズキさんへ。
「……よし、元に戻ってるな」
「その件に関しては遠慮なく恨みますね店長」
「世話役が板について来たのが悪いハハッ」
「なに笑ってるんですか」
呵々笑いをする店長に此方は冗談じゃない、と言わんばかりに視線を送る。
だが、今は井ノ上さん優先である。
何せ此処に来た理由が千束という例外を除いて、本来のリコリスであれば考えられないことなのだから。
「井ノ上さん、改めて確認するけど」
「はい」
「本当なのか――自分から『喫茶リコリコ』へ転属を希望したって」
「はい。本当です」
「言わされたとか、そういう形式にされたとかでもなく?」
「はい。楠木司令にもそういった確認が取れるかと」
「……そうか」
それを聞いて千束は目を輝かせて、ミズキさんは呆れた様に、店長は驚いたと言わんばかりに各々表情を変化させた。
ただ僕としては、複雑ではある。言っておくが、僕としては『DA』のリコリスの扱いに関しては非常に思う所があるのは確かなのだ。
「カナメくんはたきなが来て嬉しくない?」
「いや、嬉しいぞ。嬉しいけど……やり方はどうであれリコリスにとっては本部って言うのは『家』じゃないか。僕が離れる切っ掛けを作ったと思うとどうにもな……」
だからこそ、あくまで部外者の僕が確認したのだ。
初めてナイフを握ったあの日、情けなくも千束に縋り付いてしまったあの日。それでも居場所になってくれると千束が教えてくれたから、今でも僕は此処にいる。
今まで居た場所から遠ざかるというのは、思いの外応えるものだ。
最終的に行きつくのは――本当に独りで居ることなのだから。
「……確かに、思う所はあります。本部は優秀なリコリスが居る場所とも言われるくらいなので」
「だったら――」
「だけど、『DA』じゃ気づけなかったことが此処にはありました」
いつも通りの冷然とした口調で綴られてる言葉。だがそこには今までにない、彼女の芯が宿ったモノがあった。真に迫るモノが確かにあった。
だから皆黙って聞いている。
それがどれだけ小さな進歩であったとしても、一人の少女が殻を破って自分が『選んだ』その心を見逃さないために、誰もが耳を傾けている。
「私じゃ、二人には及ばないかもしれません。未だに答えが見つけられていない私はきっと、今回の選択を後悔するかもしれません」
巣から放たれた鳥がすぐに天敵に喰われる様にこの世界は残酷だ。
選んだ自由が地獄かもしれないし。地獄だとわかって進もうとする自分はきっと愚かで悍ましい選択をしたことだろう。
――ただ、それでも。
――美しいと思えるモノが、此処にはあったのだ。
「私は知りたい。千束さんや竜胆さん――カナメさんが護ろうとしたモノのことを」
僕を呼ぶ名が変わる。
それは単に記号が変わっただけ。それをしたからって強くなるわけでもなく、何かが劇的に変わることなんてあるわけもない。
その歩みは少しづつ。
誰かにそうしろと言われたことでもなく。環境にもよらない、彼女の自由への変革。
冷たい彼岸花は確かに、人間としての歩みを始めたのだ。
「――そっか」
それでも後悔はある。
人間になるというのは簡単なようで、難しいことをよく知っている。苦節の果てに、誰にでも出来る小さな一歩を踏み出すだけなのだから。
だけど此処には答えがある。手が届く小さな場所での歩みが誇らしいと感じることが出来るまで、僕は彼女を助け続けよう。
その始まりを特別に出来るのも、きっと僕だけだ。
なにせ門出は派手に、楽しくならなきゃならないのだから。
「じゃよろしく、たきな」
「……ッ!」
「よかったー! よろしくねたきな!」
「もぉーどうなるかと思ったわ……」
「どっかの誰かとは大違いだな」
歩みが賑わいへと消えていく。
その歩みは孤独を蹴散らして。
きっと――影の中だって歩いて行けるだろう。
「あ、そう言えばカナメくん」
「ん?」
「どーしてたきなに対してはそんな距離感なのかなー?」
「距離感ってなにが」
「名前呼び。私なんて一年以上かかったのに、ズルい」
「あー……」
歓迎会が終わってしばらく。
常連さんへの顔見せも出来て、ようやく閉店と言った所で千束がそのようなことを言い出した。
まぁ、今更恥ずかしがることでもないので普通に告げる。
訂正、やっぱり少し恥ずかしい。
「何ていうのかな……僕にとってはキミの名前呼びが特別だったってだけだよ」
「……名前呼びが?」
「……千束の名前だったから、特別だったんだよ」
「そっか」
納得がいったのか、いってないのか。その言葉遣いはどこか曖昧だ。
「そう、なんだ」
だが自然と、座敷へ腰掛ける僕にすり寄ってくる。
すり寄って隠れた左手は――僕の右手を握っていた。
「納得した?」
「んー……駄目。簡単に納得してあげない」
「……困ったな。どうすれば良い」
「……ん」
「……」
「ハグ、もう一回してくれたら許してあげる」
「…………わかった」
「コイツ等のスゴイ所って普通に私達の存在を忘れるとこだよな」
「片付けを手伝ってくれとは言いにくいな……」
「いえ、カナメさんはああしてた方が本来の性能を発揮出来る様なので、これからも順調にああして頂ければ良いかなと」
「そういう問題でもねーんだよたきな」
というわけで今回はここまで。
たきなが機銃掃射によって仕方なくでなく、自分で『選んだ』うえで此処に来た。
それは機械から、人間へと歩み。
このあと幕間やって、それでクルミ編ですね。
感想、評価、お気に入りともどもありがとうございます。今後も色々と送っていただければサイワイ。良き作品は良き燃料から生まれる。
次回、山育ち弁当を忘れる。