「モルカー?」
『リスだ』
「あぁ……」
雲混じる晴れ模様の下、延々と続く道路を車がなぞっている。
ハンドルを握り締めて、アクセルを踏む。窓から覗く景色がゆったりと流れている中、違法運転とか法令順守とか色んな何かが音を立てながら崩壊していくのがわかる。
だが、それも諫める人間はいないだろう。
何せ今の僕は紛れもないモルカー――じゃない、『リス』にしか見えないのだから。
『此方ミカ。カナメ、状況は?』
「とても、暑いです」
『ぶっはははははっ!』
『ミズキ……』
「…………」
暑苦しい。そして暗い。
呼吸を繰り返すほどそれらは度合いを増していき、同時に頭からつま先にまで及んでいる液体的な重量感はそれだけで億劫になる。
かつてない閉塞感を感じている今、出てきた感想のなんと拙いことか。生憎と僕のそんな言葉を聞き届けてくれる人間が皆無なのが悲しい現実である。
これも全てウォールナットってやつの仕業なんだ。
『最終チェックだ。ミズキ発案の特注品、通信と音声に問題はないな?』
「弁護士を呼んでください。僕はいつか必ずミズキさんを訴えます。あと店長も」
『よしっ、問題ないな』
「聞けよ」
ぶつっと一方的に切られる通信。
僕の静かな心の叫びもどこ吹く風。責任転嫁もなんのその。無論、こちらに対する配慮とかそういうのは一切ない。強いて言うなら丈夫な家電なら、多少雑に扱っても良いかという類のモノだろうか。
で、我ながら珍しくぶーぶー文句を言っている理由はどうしてかと言うとだ。
「追手から逃げ切るには死を偽装するのが一番手っ取り早い。それはわかる」
『死んだと判断されればそれ以上マークはされないからな』
「だとしても――何で着ぐるみ?」
『知らん。ボクの立てた作戦じゃないからな』
そう。今の僕は、某テーマパークの演者もよろしくの着ぐるみ姿なのである。
暑苦しいのは首から下を覆っている着ぐるみと同じく、頭もリスを模した人形で覆っているから。
しかも今回想定される強度任務にも対応が可能なように、数々の細工を施した特殊仕様に魔改造済み。この通信機能もその改造による賜物である。
もっとも、その実態はどう取り繕っても不細工な人型のリスでしかないのだが。
胴体は中ほどにかけて膨れてきて細いドラム缶みたい。頭部は胴体が僕の体格に寸法を合わせている所為で妙に頭でっかちな印象を与える。某ネズミの国でももう少し温情だ。
まぁ有り体に言って、滅茶苦茶ダサかった。
「……これで千束たちの前に行けと?」
目下懸念事項を、目の前の元凶に問いかけた。
金髪美少女のクルミさん……ではなく、銃撃戦を想定し、彼女を護る分厚い強化プラスチックで構成してあるミズキさん特注のスーツケース。
黄色のスーツケースは何も語らず、着ぐるみに仕込んだマイクに直接語りかけたが、答える気配はない。
黙殺か、黙殺なのか。
『――今後の動きについてだが』
黙殺だった。
「…………僕の話を聞いてください」
『断る』
「クルミさぁん……ッ!」
どうか、どうかナイフを持った男子高校生の繊細な男女問題にもうちょっとこう、手心というか良心みたいなのを働かせてくれると助かるのですがっ……。
なんて風に嘆きを口にしようとした直後――弾丸が窓の横を掠めた。
「げ」
『もう追って来たか……うまく振り切れよ。アレ多分、それなりの練度の兵士だぞ』
「あーもう……! なんか僕こういうのばっかだなぁー!」
襲撃に備えるのは良い。作戦の人選にも文句はない。
……ただ納得できないのが。
「この姿で千束と一緒に仕事を!? やり直し、やり直しを要求する!」
『あ、どうせなら曲かけてくれ』
「カーチェイス中の僕への配慮ッ! タイトルは!?」
『浮世道中』
◇
「あー、これも美味しぃー」
うまいうまい、と千束はいつものセーフハウスで舌鼓を打っている。
流しっぱなしな朝のニュース番組に時折箸を止め、珈琲の芳醇な香りが朝特有の靄のかかった思考を辿っていた。
その姿は既にリコリスとしての恰好に整えており、いつもの錦木千束の姿が。
「でもなー……なーんか物足りない」
ただ、本人はそうはいかないらしい。
物足りないとは、何も朝に用意した料理の話ではない。
まだ電源の入りきらない頭の中に思い浮かべるのは、現在千束が口にしている作り置きを用意した一人の少年。先日、初めてと言って良い我が家への来訪者の姿だった。
普段でさえ無意識で目を追う彼――竜胆要人の痕跡がこの部屋に残っている。
そのまごうことなき事実を、どう解釈すれば良いのか。
楽しかった夜が過ぎて、気づけば此処に居ない筈の彼の気配を辿っている。だが台所にも、リビングにもいない。
それが今は、どうにも寂しく感じていた。
「んー……」
何となしに、千束は端末を弄繰り回す。
行儀が悪いとは思いつつもそうしてしまうのは、お腹を満たしても満たされないものがあったからだろう。
一枚一枚と、切り取った思い出を振り返っていく。
カナメに指導を受けるたきなの写真。
ミズキと取っ組み合うカナメの写真。
ミカに怒られながらしょんぼりしているカナメの写真。
「……ふひひ、なあにこれ」
写真の中の彼の様子に、千束も思わず笑みが零れる。
最近収めた大半の写真にカナメが映り込んでいることに、何やってんだろーなーって言う自身に対する呆れとも取れなくもない笑顔。
だがそれよりなにより。
出会った頃とは比べるべくもない、楽しそうに『喫茶リコリコ』で過ごす彼の姿が――本当に嬉しかった。
そして。
「――――あ」
スライドさせた指はデータ最後尾に到達し。
千束は先日カナメに送信した結構攻めたというか、挑戦的な姿になった自分を見つめることとなった。
半ば反射的に、彼女はリビングのソファへ飛び込んだ。
「~~~~ッッ……あー、うー……」
羞恥を擦り付ける様に、顔をクッションへ沈ませる。
思い出すのはつい先日の自分の行動。まるでその時の焼き直しの様に、脳裏の熱がそのまま体全体に浮上する。せめて日本語を話せ、という自身に対するツッコミすら今は虚しい。
何というか、あの時はちょっと自分でもどうかしていたと今は自省している。寂しかったというよりはギャップに耐えられなかったというか。
ぶっちゃけて言えば彼女自身、彼が居る空間の居心地の良さを侮っていたのである。
「……でも……ちゃんと『綺麗』って言ってくれた」
チャットアプリを開けばそのほかにも『可愛い』『めんこい』『短文ですまない』みたいなゲシュタルト崩壊寸前のレスが一秒で一〇件ほど送られてきていて、カナメの心境がありありと伝わってくる。
そんな彼の姿を想像するだけで、千束は胸の内から叫び出したくなる様な感覚に襲われるのだ。
……同時に、どこか生存確認じみた側面があるというのも事実なのだが。
「危なっかしいからなぁ、カナメくん」
先日の彼の様子なんかは特に酷かった。顔色はかつて見ないほど悪いし、今にも泣きそうなのに
加えて、こうと決めたら余程のことが無い限り止まらないのだからタチが悪い。
いつか取返しのつかない戦場に自分から飛び込んで、目を付けていないとどこかに消えてしまいそうで。
だから、何も隠さないで欲しかった。
苦しくて隠していることなら、誰かに話した方がまだ良い。誰にでもとはいかなくても、身近な誰かに話してくれればそれで。
そうすれば――独りで背負わせる様なことは絶対にさせないから。
「……」
相変わらず何も聞こえない心臓に、千束は手を当てる。
もっとも、隠しているのは自分も同じだと千束は顔に出さずに自嘲する。
――――『救世主さん』がくれた人工心臓。
先天的な心臓疾患を持った錦木千束の今を保つモノで、錦木千束をこれまで支えてきたモノ。
だが所詮は機械だ。
故に、彼女は長くない。いつか必ず、彼を再び独りにしてしまう時が来る。
死ぬのは、怖くない。
仮初の心臓が無ければとっくに死んでいる身であることなど、千束が一番わかっている。生きながらえた時から、覚悟していたことだった。
だけど今は。
いつまで一緒に居られない事実がどうしようもなく――辛かった。
「――って時間ヤバッ!?」
なんて思考をしていたのが悪かったのか。時計を見ればすっかり出勤時間ギリギリの時間帯へと突入していた。
「えーと、これとこれと……っ! あ、あとこれっ!」
汚れものを高速で片付け、『DA』特注の戦術鞄だけじゃない。
たきなに勧める映画のセレクション。
そして――リコリコでカナメと披露予定のカレーの材料の入った袋を持って、千束はセーフハウスを後にした。
「おや」
「あや」
息を切らして『喫茶リコリコ』到着した千束が耳にしたのは、店への入退を知らせる軽快なベルの音だった。
本日は『仕事』の関係で午前は臨時休業。客はおろか従業員すら出払った喫茶から聞こえてくる何時もの喧騒も今は聞こえない。
少し寂し気な伽藍洞を店内で作り上げていると想像していた彼女。
だが、扉から出てきた顔馴染みを目にして、千束はこの喫茶の主が店を開けていた理由をおのずと理解する。
「おー、ヨシさんいらっしゃーい。ひと月ぶりじゃないですかー?」
そこには少し前から『喫茶リコリコ』の顔馴染みとなったお客――吉松シンジの姿があった。
ちょうど一ヶ月前に喫茶店を跨いだ、店主たるミカと旧知の間柄で、それ以来こうしてお茶を飲みに来る。
浮ついていながら地に足をつけて存在している。そんな摩訶不思議な雰囲気を纏う伊達男は、千束を認識すると薄く笑みを浮かべた。
「覚えててくれたんだね」
「そりゃお客さん少ないお店だしー……じゃなくて、たきなの最初のお客さんだからね。忘れませんよ」
開きっぱなしになったドアの向こう側には、既にリコリスとしての装備に換装済みのたきなが小さく手を振っている。
もう片方の手になにやら『でんでん』っぽい太鼓の玩具も一緒に振っている光景に、無駄にツボる千束だった。
「というかヨシさんもう帰っちゃうんです? 先生と知り合いならもう少しゆっくりしていっても……」
「ははは、ありがとう。そうしたい所は山々なんだが、生憎と予想外の出来事が起きて仕事が滞っていてね。その仕事が終わるまでは私もおちおち珈琲を飲むことも出来ない」
「ヨシさんが手間取る仕事ってどんな仕事……?」
「しいて言うなら、森の中のリスを探す様なモノさ」
「なぁにそれ」
茶目っ気たっぷりに笑みを零すと、吉松は店内にいるたきなを見やった。
店内では何やら吉松から貰ったお土産を何かの道具と勘違いしたのか、近くにあったミカの顔を引っ叩いていた。今度こそ千束は吹き出した。
そんな光景をじっ、と関心や感慨と言った人間らしい色素を感じさせない瞳でどこか遠くを見る様に、彼女を見ていた。
無機質で、どこか人間味を感じない視線だった。
「彼女は、此処に来てどのくらいなのかな?」
「……? えーっと、ヨシさんと同じくらいの時期から……だったかな? あれ、もしかしてヨシさんってたきなとリコリコ以外で会ったことある?」
そう言えばたきなと会ってからどんくらいだろう、と唸る千束に吉松は再び苦笑いを浮かべた。
「いや、そういうワケじゃないさ――単なる
あまりに似ていたから、つい目に留まってしまったと。そんな言葉に千束は何を思ったのか、何やら目を爛々と輝かせながら扉の向こうのたきなと吉松を見比べている。
「たきなに似ているって相当美人な方では……? はっ、もしかして失恋!?」
「おっと、心は硝子だぞ……さて、千束ちゃんも店の準備があるんだろう? 急がなくて良いのかい? なにやら、ミカの奴が待ち侘びていたみたいだが」
「あ、やば……それじゃヨシさんまたよしなに~」
「よしなに。また頼むよ」
その言葉を最後にからんからんと、リコリコの扉が閉まる。
「――千束」
「はいはーい」
軽やかな声に遅刻による気負いは皆無だ。
だが、それを指摘する声はない。いつもはいの一番に注意が入る筈の行為にそれがないとなれば、そのくらい『急ぎ』の案件なのだと千束は理解する。
吉松の退店と一緒に立て札を『Clause』と引っ繰り返せば――それが仕事の始まる合図となる。
「たきな、仕事の話は聞いてる?」
「はい。一通りは。あとは千束さん待ちですね」
「あ~も~、そういうこと言わなーい。ちょーっと遅れたことは謝るから」
「だったら普通に店に来てください……それを見越して、装備の方も整備しておきましたので。最終チェックをお願いします」
「お、たきな気が利くぅー」
――今回の仕事は依頼主の護衛だ。
しかもただの護衛任務ではない。
報酬が相場の三倍。しかも一括前払いでコレなのだ。それだけ金を積まれれば依頼主の依頼内容がどれだけ切羽づまった案件であるかわかるというもの。
それに、依頼主を標的としている敵はプロ寄りのアマとしての練度を持ち、頭数は五人から十人程度と揃えてきている。武装もライフルも確認しており、まずもって戦闘力が無い人間からしてみれば叶う相手ではない。
実際、多少なりとも緊張感をもって任務に当たるのが最適なのだろうが――。
「――ねぇたきな。その『ウォールナット』っていうハッカさんと合流した後、どうやって羽田に行くの?」
「なぜそんな状態で私に作戦確認なんて出来たのですか……?」
「朝ごはんが美味しくて……」
「馬鹿にしてます?」
特急の電車に揺られてしばらくの、東京都の某所。
たきなを筆頭とする千束らの道中は、これから起こるであろう戦闘の気配など微塵もない。およそ真面目な雰囲気など皆無に等しいだろう。
だが、さもありなん。
目の前にいるのは錦木千束。敵襲による緊張感などクソ喰らえと言わんばかりの言動は、目の前のたきなをもってしてもその内心を量ることは敵わない。当然、無軌道という意味ではあるが。
「……本当に、戦闘の時と差が酷いですよね」
「んぇー? あー、まーメリハリだよねメリハリ」
「……早くカナメさんが帰ってきて欲しいです」
主に千束の抑え役として。
……だが、時に気苦労が二倍になるかもしれない可能性を考慮して、やはりたきなは我慢することを決めた。
「私もあいたーい。作り置きも今日で無くなっちゃったしねー」
「どれだけ食べたんですか……え、カナメさんのことだからそれなりの量を作ってくれたのでは……?」
「朝ごはん用はもう切らしちゃった……およよ、カナメくんにダメ人間にされるー」
もう既にダメ人間では? という言葉という言葉をたきなは呑み込んだ。
本当にこの人は、とたきなは最早呆れを隠さない。そして困り果てるたきなを見て、また楽しそうに千束は笑う。
ただ、まぁ。そんな様子を見れば彼女も怒るものも怒れない。だからこそ別の方法で納得することにした。
この言動すらも、いわゆる千束の『やりたいこと』なのだろうな、と。
「それでたきな、どうやってハッカさん逃がすの?」
「……店長がこの先の駐車場に車を手配してくれているようです。逃走手段はそれで」
「マジ!? はいはーい私が運転しま――」
「――いえ、私が運転します」
「食い気味!?」
「当たり前です……だって、見てください」
きっぱりと言い切るたきなに、千束は余計衝撃を隠せなかった。
だがそれも仕方のないことだろう。なにせ目的の駐車場には、千束のこれまでの習性を考慮すればまず間違いなく何かを引き起こすに決まっているからだ。
リコリコや『DA』でも破壊王として名高いカナメでさえも、きっと同じ反応をしたことだろうとたきなは確信している。
「――――アレを見て興奮しない千束さんは、千束さんではありません」
「うぉおおお!? スーパーカーじゃーん! すっげーすっげー! たきな! やっぱり私が運転するー! 良いでしょ!? ね! ね!?」
「ほら……」
ばばーんと誇らしげにパーキング内で鎮座する赤い車。とてもこっそり追手からの追跡を振り切ろうという気概があるのかどうかすら疑わしい。
だが千束が大はしゃぎしているあの名車は何を隠そう、車に通なモノなら誰もが知っているであろう純日本製の文字通りスーパーカー。これを選ぶのは相当の日本車好きというか、選定した人間の趣味趣向が見て取れる。
そして千束のパーソナルカラーを車色に選ぶ辺り、ミカの親馬鹿っぷりがこのうえなく発揮されていた。
「だいじょーぶ、全然痛くないし痛くしないから……だから、ね、ちょーこっとだけ、ちょこっとだけやらせて! おねがーい! カナメくんみたいに壊したりしないから!」
「駄目です、カナメさんの様に爆発までとは言いませんが、千束さんも大概なんですから……! あ、こら、どこに手を掛けてるんですか……!」
本人が居ないからって酷い言われようである。
そんな感じに二人で乳繰り合っていると――。
「……なんか、エンジン音聞こえない?」
「近づいていますね」
そんな言葉を口にした直後――茂みの中から一つの車が動力源を唸らせながら、増殖した林の中から突っ込んできた。
千束たちの前でドリフトしながら停止したソレは、駐車場にある赤いスーパーカーとは似ても似つかない古臭い印象を与えるものだった。
『――ウォール』
「――ナット」
「え、ダサい」
そして車の中からひょっこりと出てきた着ぐるみ。
ソレは紛れもない――リスの恰好をしていた。
というわけで今回はここまで。
千束を書くのが楽しい、の巻。
感想、誤字報告ありががとうございます。毎話送ってくれてるユーザーには感謝しかないしすごく嬉しい。あざます。あざまる。ありがとう。
これからもよろしければサイワイ。
それでは。