風を切っている。
だがそれは当然の事象であった。
赤い制服を纏いスクールバックを背負う白い髪の少女――錦木千束は愛用する原付バイクを、
それも懐に拳銃を携え、スクールバックに予備の弾倉を一杯にした状態でだ。
今の錦木千束は喫茶店リコリコの看板娘でもない。
なんなら女子高生としての制服を纏いながらも、彼女は女子高生ではない。
――その正体の名を『リコリス』。
この日本において『原因』となるものを事前に排除し、治安のシミとなる存在そのものを
それこそが、ここ十年における日本の犯罪率低下の正体だった。
しかも千束は赤服のリコリス――即ち彼女たちリコリスの元締めである『
そんな彼女が迫真の表情、知古であれば切羽詰まっていると判断されるであろう形相を浮かべながら、魔改造を施した愛車のエンジンが悲鳴を挙げていても速度が微塵も落とされることはない。
無論そこには、普段の笑みは存在しない。
「――先生、今どんな感じ?」
『千束。今回の相手は手練れだ、下手に突入すればいくらお前でもマズイ。お前に何かあれば――カナメだって本当に無事じゃすまない』
「――――……っ!」
『だから落ち着くんだ』
ぎりっ、と無意識に歯を食いしばる音が風と交わる。
そこで千束はようやく、自分がかつて無いほど『焦り』を感じていることを知覚する。
だが当の千束からすれば、あまりにも突然過ぎた出来事だった。
カナメと『約束』をしてから別れてリコリコに帰ってきて、いつもの『仕事』だと思って聞いてみれば――同僚のカナメの身に危険が迫っているとミカの口から聞かされた。
そこからは言うまでもない。
自分の時間を誰かの為に命を張れる女の子がすることなんて、決まっている。
玄関を蹴破る様にリコリコを飛びだして、完全武装の彼女は気づけば原付を飛ばしていた。
そして――こんな時に限って、事態というのは情け容赦なく進行していくのだ。
『――銃撃が始まったわよ。数は四名。カナメのバカがどこに逃げても良い様に逃げ道を囲んでいる。手練れって触れ込みはまず間違いないわね。随分と
「――――」
ミズキの言葉に胸に穴が開く様な感覚が迸る。
そしてその風穴を埋める様に――覚えのない激情に思わずアクセルを握る手が強ばった。
だがその眼球が飛び出しそうな、それでいて覚えのない激情が千束を却って冷静にさせた。
なにせ今回の仕事の不自然な点は、挙げればキリがない。
一般人であるカナメに対するこのやり過ぎなまでの用意周到さ。
手練れを派遣できるような組織力を持った黒幕が、カナメを襲撃することの意味と背景に噛み合わないのである。
だがそれよりも――カナメとの今後が、千束には気がかりだった。
「先生」
『なんだ』
「竜胆くんはさ――私の今の姿を知ったら、どう思うかな」
『――』
隠し事をしていたから、嫌われるだろうか。
銃を持ってこんな事をしているから、軽蔑するだろうか。
よしんばこの事態から助けられたとしても、今の関係が変わってしまうのは目に見えている。
いずれこうなることも、わかっていた筈だった。
リコリコで働くという事の意味を、知っていた筈なのに。
だけど。
――――それでも距離を置かれるのは、辛いなぁ。
それが歴戦のリコリスである彼女が平静を欠くに足り得る、真の理由。
暗殺者でもない。リコリスでもない。
ただの喫茶リコリコの看板娘としての錦木千束が気に掛ける、本当の理由。
健気で年相応の女の子の証明であり――切実で、儚い願いだった。
『なぁーにらしくない心配してんのよ』
そんな千束の暗い思考を、場違いなほど気の抜けたミズキの声が阻んだ。
『アイツが困ってるんならアンタは全力で助けてやんなさい――いつもの事でしょ。駄目そうなら助けてやるから』
それは励ましだった。
不器用ながらも千束を奮い立たせることを心得た、ミズキらしい直球な励まし。
そんな彼女の様子を感じて――胸いっぱいの親愛を込めて、千束は笑う。
「――男の前でもそんな風にしていれば、もっとモテるのにねぇ?」
『あ、アンタ言っちゃいけないことをっ! というかカナメもちゃんと連れて帰りなさいよ! 今回の件で私の婚活をイジったことを全力で後悔させてやる……!』
それこそいよいよカナメが命名した婚活妖怪の名が迫真を帯びてくると思ったが、色々と面白そうなので千束は指摘せずに放置することにした。
不安はある。怖さもある。
それでも――勇気は貰った。
ならばあとは、いつも通り。
「絶対助けるから――死んだりしちゃ駄目だよ、竜胆くん」
――――たとえその先で、君が居なくなっていったとしても。
◇
「おっかしぃなぁー……リコリコを出るまではいつも通りだったのに……」
――身を切る様な寒気がする。
変なおじさんと遭遇して十数分。大人しく帰路へ戻ったが、先ほどから妙な悪寒が止まらない。体調を悪くした様子もないというのに、その気配はますます湧いてくる一方であった。
それもこれも全部、先ほどエンカウントしたあの変なおじさんの所為だろう。多分。
――――
しかし、自分の父のことを知っていた。
此方には心当たりがないが、消息不明の親の片割れと親しそうに振る舞っている。
加えて、まるで僕の存在を事前に知っていたかの様な。
…………考えてみたらあの人の振る舞いの一から十まで不審者にしか見えなかった事に気づいた。
あの人、僕の家の近所で一体全体何をしていたのだろうか。
「しょうがない。明日のシフトの時に店長に相談しよう」
うんうん、と頷きながらうちのバイト先一番の強面の形相を思い浮かべ、思わず震えた。
大変失礼と思いながらも、リコリコでバイトを始めた頃に錦木さんと一緒になってやらかした『ガングロ萌え燃えきゅん事件』を思い出す。
結果として厨房は爆発しミズキさんは婚期がまた遠のいたが、だからと言ってあんなに怒ることはないと思うんだよ僕は。
そんな好き勝手バカをやっていた当時のことを思い出して、なんやかんやあったが今日も楽しい日だったと振り返る。
明日も、明後日も。
こんな日が続くのなら、我ながら人生捨てたもんじゃないと言えるだろう。
「……っとと」
思い出に浸る思考を横に追いやって、体が自然と脇道にそれた。
車だ。しかも想像にふける僕が邪魔だったのだろうか、クリープ現象で黒塗りの車体が横切ろうとしている。
……にしたって、やたらゆっくり走っているその車の様子が気になったので。
ふと、その座席に目を見やる――。
「え――」
そんな。
頭を全力で殴りつける
――――――
「ぃ――――ッ!」
――飛んだ。
一瞬白んだ視界を光源が支配すると同時に、引っ叩かれた様な衝撃が全身を打ち付ける。
それが『爆発』の類であると、理解するのにそう時間はいらない。
だけど、僕は生きている。
この法事国家でこんなテロ染みた行為が許されるのかとか、住宅街はマズイんじゃないかという、その他もろもろの疑問を置き去りにして自分が生きている事を自覚する。
――いや、にしてもこの高さは異常だ。
鞄を盾に、後はわけもわからず咄嗟に全力で方向なんて考えずに跳躍した。
結果、この一瞬で僕は
「ぐっ――――ッ!?」
だがそんな事はお構いなしで、受け身なんか取れずに尻もちをついて無様な着地を晒す。
体は……打撲っぽい痛みが全身にあるだけで無事。フレームが曲がりかけているが、一応眼鏡も無事。
目先には燃え上がる車両が黒い煙を放ち、夕餉の雰囲気に包まれた住宅街は喧騒と混乱で雰囲気が一変している。
そんな中。
「――生きているだと?」
そして夕焼けの様な陽炎に呑まれる住宅街の片隅で。
明らかに僕を指して言葉を投げかける存在を、認識した。
「――――ッ!」
直後――能天気な自分に叱咤する様に鳴り続ける警笛にしたがって、僕は全力で走り出した。
寒気は痙攣に、痙攣は逃走への足踏みへと刹那的に入れ替わる。
漏れ出しそうな悲鳴を懸命に呑み込んで、少しでも早く此処から逃げ出せる様にと全力で踏み出す。
すると出るわ出るわ、色んな所からいくつかの気配。数なんてわかるわけないが、少なくとも自分の身なんていくつあっても足りないレベルのナニカが複数存在している。
間違いなく、僕を狙って。
此処に来てようやく、何やら唐突に始まった自身を取り巻く異常事態を自覚した。
「くそっ、冗談じゃない……っ! こんなのは映画の中だけにしてくれよ――っ!」
悪態を一つついたその瞬間――動揺に振り回される僕を嘲笑うが如く、針を刺す様な音と共に音速の火花が視界を横切った。
走行する視界が捉えたのは、俗に言う『銃痕』と称すべきもの。住宅街のコンクリートの壁は僅かにひび割れ、そこから見える穴には物理的にやたら先鋭的な物体が顔を覗かせている。
つまりは何だ。とどのつまり、僕は今まさに銃撃されていて。
何も知らされないまま、知らないナニカに殺されようとしている。
――――夜道には気をつける様に。
不意に線と線が朧気に結ばれる。
だけど、そんなことがあり得るのだろうか。
だが一人っきりのあの場所で、あの状況で放たれたその言葉の意味が、此処に来て意味を伴って、妙な確信へと繋がっていく。
一瞬、あの男から放たれた言葉が頭の中をよぎって――猛烈な吐き気が自分を襲った。
まるで、それ以上の事を認識することを拒否するかのように――。
「っ――――左ぃッ!」
ゾクリと背筋を走った悪寒に従って、全力で路地へ飛ぶ。
すると今度は、間髪入れずに防音処理が施された先ほどの射撃が何発も繰り返され、背後のコンクリートに着弾したのを確認する。
あと一秒でも長くあそこにいたら、というバカみたいな妄想が現実として明確になっていく生々しい死の予感を拭う様に、路地の奥へ奥へと進んでいく。
そして込み上げる荒れた呼吸を何とか抑えながら、その会話に聞き耳を立てた。
「……普通、一般人って弾を避けられないよな?」
「機転が利くんだろうよ。ただの的かと思ったが、どうにも違うらしい。次は当てるぞ。幸い、派手にやる許可は得ている」
「にしたってメンドクセェなぁ……そもそも何を考えているんだろうな、依頼人は。
『自宅に入る前に仕留めろ』なんて。袋のネズミにした方が幾分か仕留めやすいだろうに」
「……曰く、忍者屋敷だそうだ。別に追っても構わんが、命の保証はしかねるぞ」
「……だっっる。あんな爆発に巻き込まれたんだからちゃんと死んどけよ」
「依頼人の要望だ。悪く思うな」
……何なんださっきから。
まるでこんな仕事には慣れていると言わんばかりに、能天気に人を殺す算段を立ててる。
あんな殺意しか感じないことを、慣れているの一言で済ませる気なのか、アイツらは。
善き人たちがたくさんいる、この街で。
少なくともあの子が近くに住んでるであろう、この場所で。
「ふっざけろっ……死んでも死んでたまるもんか……っ!」
こうなったら何がなんでも理由を問いただしてやる。
自分が何故こんなことになっているかなんてのは、この場を切り抜けて助かってからだ。
それに――。
――――ッしゃあ! じゃ今度観に行こう! 映画! 約束!
約束したんだ。
一緒に映画を、観に行こうって。
「――死んで」
勇気を貰った心に喝を入れて、駆けだす。
こんな状況でも手放さなかった鞄にはそれなりの重量が搭載されている事を確認しながら、奴らの独壇場へと向かう。
無謀だろうが、何だろうが。そんなものは全く以て関係ない。
生きたいから、どんな可能性にも賭けて、抗うんだ。
「――――っ」
飛び出した体が捉えた視界を覗いて、一気に肝が冷える。
驚いた様に目を見開いて装備に身を固めた処刑人の手に握られているそれは――いわば『機関銃』と言われるモノ。
俗称としてアサルトライフル。一発で人を殺せる様な弾丸を、息をつく間もない連射によって制圧射撃を可能とした、そんな云々かんぬんな武器。
そんな基本撃てば勝ちみたいな兵器が、此方を向いているという事実に対して、恐怖に竦む体は意外なほど冴え渡った結論を出した。
「――――たまるかああああぁああああ―――っ!」
ごう、と。慣性。重量。力学。
あらゆる視点で観測したって明らかに在り得ない音を出しながら我武者羅に、あらん限りの力を振り絞って鞄を投擲したソレは、襲撃者の一人の顔面を捉えた。
そして連続して十字の火が煌めいたと思ったその時に、銃口が思いもよらぬ方向に向けられ、そこに勝機を見出す。
「な――ぐぶっ――ッ!?」
一瞬で目を見開く襲撃者。
無論、喧嘩などの物騒なものとは無縁だ。
だが肉体は銃の間合いに対して一瞬で詰め寄り、抉り込み吸い込まれる様にして、此方の拳はその中心を捉え、返事は束の間の断末魔としてその大きな体から漏れ出す。
強く握り締めた指の骨が軋んだ。まるで分厚い鉄板でも殴りつけている様な感覚で、殴りつける右腕全体がひしゃげたかの様に、鋭く重い痛覚が神経を迸る。
そして――。
「……や、やった……?」
た、倒せた。途中から必死だったもんで、もう何が何だかわからないが、とにかく倒すことが出来たのだ。
……ボディーブローで人って三メートルも吹っ飛ぶものなのか?
「あ、あれ? そうだ、アイツは。もう一人のアイツはどこに――」
「こっちだ。今のは割りと驚かされた」
――あ、マズイ。
油断した油断した油断した油断した油断した油断したっ!
ゾっとするほど底冷えしたその声に振り返る――直後、肩の一つの傷口から灼熱が奔った。
「―――が、っああぁああぁあ……ッ!?」
それは痛みであると。自分に空けられた肩の穴から生じたものであると。
腕から全身へ痛みを訴えるその感覚から、ようやく自分がその手に持つ銃で初めて撃たれた事に気が付いて、傷口を抑えて小さくのたうち回った。
「……なんだ坊主。ウチの稼ぎ頭をパンチ一発で沈める動きが出来て、銃弾を喰らうのは初めてか。手こずらせてくれた割りにはバランスの取れない戦闘力だな」
チカチカと、視界が点滅する。銃を持った何かが喋っていることも、肩から流れて止まらない生温い鉄の香りも、その痛覚を前に五感が全く機能していない。
だから『気配』を頼りに刹那に捉えた、十字の閃光を見て――全力で体を捩じらせた。
「チッ、なるほどな。一般人を襲うってのに金払いが良かったから最初は何だと思ったが……このしぶとさと得体の知れなさなら納得だ」
「ぐっ!?」
流血を伴った肩の痛覚が、ごつごつした靴底の感触を捉える。
それは次は逃がさんと語るが如く、仰向けになっている僕の傷口を足で踏みつけて見えない拘束具として機能させた。
「……なんで、こんなことを……っ!?」
「何って、仕事さ。坊主が簡単に死んでくれないもんで、ついついボヤ騒ぎになったがな」
「勝手なことを……っ!」
本当に、勝手な事を言ってくれる。
だがボヤ騒ぎなら誰か来てくれるかもしれないと思って得意に憎まれ口を利用しようとして――ゴトリと鈍重な鉄の凶器の穂先が額を捉えて、閉口した。
「お前も運が無い。金払いの良い依頼人と、うちらのターゲットになったんだからな――ま、なんにせよここから先なんてないんだが」
ふざけるな……!
それが人間に掛ける言葉か。
腹が立つ。どうしようもなく腹が立つ。
僕は、何も返してやれてない。
店長にも、ミズキさんにも、常連さんにも、僕に温かくて色んなものを教えてくれた人たちに、何も返してやれてないんだ。
何より――錦木さんとの約束を果たせていない。
「納得なんてしてやるもんか――!」
引き鉄に指が奔る。
やたらバカでかく聞こえる心臓の音に、数秒先の『死』を否が応でも認識させられる。
だが、納得なんかしてやらない。
抗うって、戦うって一度決めたのだから。
「そんな家畜みたいに人を平気で殺して、金の事なんかを考えられる――」
「――――お前みたいな奴に!」
そして『ソレ』は本当に唐突に――。
「――カナメくん!」
――――慣れ親しんだ声を伴って、突然現れた。
置き去りに聞こえる銃声を前にして、僕を踏みつけていた男はあっさりと、虚を突かれた様な形相だけを残して、その場に倒れ伏す。
「――――良かった、間に合って」
自分だけ時間が止まった様に、その姿を視界に収める。
見慣れた赤い制服。見慣れた金色混じりの白い髪。
ただその手には、如何にも不釣り合いな拳銃が握られている。
だけど。
先程まで感じていた死の恐怖なんて払いのけて。
自分を害したモノと同じ凶器を持った彼女は、どこまでも美しい戦場の華としてあの男を迎え撃った。
僕には、何一つわからない。
わかるのは――あんなに優しい彼女が、目の前で倒れ伏した男と同じ世界で生きているということだけ。
その名前は、
「――――錦木、さん?」
「はーい、あなたの千束さんですよー?」
竜胆要人という男はその日。
身近な女の子の正体を知った。
刺すような銃創と、むせ返る血の香りを添えて。
映画の約束した時のやり取り
「じゃあゆくゆくは鑑賞会もやりたいね」
「あ、じゃあサブスク共有する?」
「良いの?」
「うん。パスワードは『〇一〇一』ね」
「ネットリテラシー皆無じゃん」
※ 結局カナメのアプリから共有することにした。
型月タグの追加に関して
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賛成
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反対
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どっちでも良い