山育ちの竜胆と不殺の彼岸花   作:トウチ亀

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8話

 

 

 

 

 重々しい響きとともに、舞い上がった大粒の水飛沫と僅かな爆風がはたはたと顔を撫でる。

 周囲に敵の気配はない。戦闘がひと段落したのを感じて字の如く火事場入りしていた体の緊張を一瞬だけ解き、辺りを見渡した。

 そこには少し不格好に受け身を取っている千束に、スーツケースを片手に周囲を警戒しているたきな。僅かに煤でまみれているが、どこか傷を負った様子もない。

 

 だから取り敢えず、僕の『番』はここまでで良いだろう。

 被り物の位置を整える様にして二回、リス頭の耳部分を叩き『合図』を送ると――あまりにも露骨な溜息が耳に届いた。

 

『――お前たちはいつもこうなのか』

「カナメさんが絡む時は、大体はこんな感じかと」

「大抵モノが壊れるもんねー」

『先が思いやられるな……これ空港に辿り着く頃には人間の形をしてないんじゃないかボク。さっきの走行中だって何度人生を振り返ったことか』

「いや、ハッカさんも中々の活躍だったけどね」

 

 戦闘がひと段落し、小休止と言わんばかりに何やら周囲の人間が好き放題言ってくる。

 違うんだクルミさん。僕を襲ってくる連中が追い詰められるとどいつもこいつもなに振り構わず爆薬を使ってくるだけで。

 そんな状況にげんなりとしながら、着ぐるみ越しにぶくぶくと沈んでいく車の姿を見やる。 

 

 実際、クルミさんの言う通りそれなりに危ない状況ではあったのも事実だ。

 

 臨機応変と言えば聞こえは良いが、言ってしまえば此方の手段が(ことごと)く読まれているということに他ならない。店長の仕込みやミズキさんの工作、クルミさんのアイデアが無ければ今頃どうなっていたことやら。

 とりわけ、今日の様に僕が出動する段階ではそれがどうにも顕著である。

 ……マズイぞ、楠木さんやフキさんの『破壊神』呼ばわりやたきなの『爆弾魔』呼ばわりが僕の尊厳に関わるレベルで否定できない段階にまで来ている気がする。

 

「いやー、にしてもたきなも大活躍だったねー。あそこで撃ち落としてくれなきゃ私もハッカさんもただじゃ済まなかったかも」

「カナメさんの仕込みのお陰ですね……ここ一ヶ月の(しご)きが無ければ、私はどうにも出来なかったかと。それくらいの練度が相手にはありました」

『リコリスは皆あんな動きが出来るのか?』

「んえ? あー……私の知り合いに一人と、カナメくんが一時指導していた子ならワンチャンあるかも?」

『またしてもアイツが関わってるのか……こう言っちゃアレだが、アイツの交友関係って割りと節操がないんじゃないか? 聞く限りそいつら全員女だろ』

「…………ほーんと……なんでだろね。いや、割りとマジで。やっぱ改めて問い詰めるか、うん。エリカちゃん辺りとか既にリーチかかってるとみた」

「千束さん。カナメさんの命だけはその、保証して頂けると助かります」

 

 あの、その感じだと僕が死にかけるのは確定路線なんですが、それは。千束も悩ましい顔をするんじゃない。

 というか仮にも僕が居ないこの状況で流れる様に僕の折檻と尋問の予定を組むとは、一体全体どれだけ千束からの負債というかデスカウントを積み上げているのだろうか。出来れば聞かずに永遠に封印しておきたい事態だ。

 

『それで、この後の動きはどうする。なんであれ狙い通り脚を奪われたワケだが』

(やっこ)さんの動き次第かも。さっきみたいにカーチェイスするならあの人たちの車を借りれば何とかなるだろうし、このまま銃撃戦するなら迎え撃つし。けど――」

「敵の兵力が未知数、ですね」

「それ」

 

 ……その未知数の部分がどうも引っ掛かるが、千束とたきなの予想に関しては僕も同意だ。

 今回の依頼の厄介な点は『見えない敵』が居ることだろう。

 ハッカーと歩兵、そこに作戦を指揮するブレーンとなる存在がいる。しかも予測不可能な状況すら段取りに入れてリアルタイムで状況に対応する優秀な指揮官が。

 それだけ優秀なら、僕達が車を放棄するタイミングも周知していることだろう。

 

 

 現に今も、僕達のこの状況を観測している兵士が存在しているのだから。

 

 

「ほら、言ってるそばから」

「あれは……」

『敵は随分慎重だな。まだ別動隊が控えていたのか』

「んー……もしかしたら私達か此処には居ないカナメくんにビビってるんじゃない? 狙撃が無いから、アレで最後なのかもしれないけど」

 

 視線を感じたので振り向いてみれば、遠くでワゴン車が此方を見つめているのがわかった。

 それこそ無防備に近い僕達の視線に気づかないワケもなく、そそくさとワゴン車の中へ足を運んで撤収していく。

 

 

 無論、僕達も()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 少なくとも今回の戦闘はもしかしなくとも一筋縄じゃいかないことは確かだが、敵の動きが予想通りなのは此方も同じなのだ。

 

 

 

「――――……?」

 

 

 

「千束さん、敵が駆けつける前に」

「……おっけー。取り敢えず場所を変えよう。落ち着いてから先生と連絡ね」

 

 端末が示す、身を潜めるのに絶好な廃墟へと三人で足を運んでいく。

 

 

 

 

 ――――その中で千束だけが、あるビルの一点を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先の意図しない爆破現場から少し離れた廃墟のスーパー。

 古びたガラスにはじわじわと曇りが広がり、剥き出しになった天井の配線と埃を被った蛍光灯はそれこそ都心の一部だとはとても思えない。

 閑古鳥さえ聞こえない無機質なそこは、二人の少女と不細工なリス一匹が身を潜めるには十分過ぎる場所と言えるだろう。

 

「千束さん、敵の動きは?」

「一〇人くらい居るね。七、三で二手に別れたみたい」

『敵の動きがスムーズ過ぎるな。多分だがロボ太が近くで状況を観測している。脱出ルートは既に確保されていると見て良いぞ』

「となると正面突破か弾幕が薄い方を早めに攻略した方がいっかー……たきな、先生はなんて?」

「もう少し待ってください」

 

 しかしながら敵の兵力は未知数。一個大隊とまでは言わないが、先の襲撃に投入した戦力を考えれば認識している戦力が全てとも考えにくい。

 そしてこの場所もそうだ。潜伏場所に向いているとは言っても、それは『戦場』に最適であるのと同義である。

 

 だがそれは『喫茶リコリコ』側も同じ。

 

 つまるところこの戦いは――いかにしてお互いの『手札』を隠しきれるかという点にある。

 

『確認するが、放棄されたスーパーの跡地に居るんだな?』

「はい、そのスーパーに避難しています」

『わかった。『仕込み』が終わり次第、カナメもそちらの援護に向かわせる。気を付けて行動してくれ。伏兵には十分気を付ける様に』

 

 了解と呟き、たきなは通信を切った。

 

「カナメさんも此方に向かってるとのことです」

「了解、それで大分楽になるね。じゃあハッカさん、着いてきて」

『悪いがスーツケースは僕が持つぞ。盾にでもされたら堪らないからな』

「そんなことしないよー。ね、たきな」

「…………」

『だから何か言えよ……』

「たきなは図星を突かれると黙る癖があるよね、ウン」

「ど、どういう意味ですかそれ」

 

 曖昧な表情で沈黙したたきな。その隠す気が皆無のあからさまな肯定を示す反応に、たった二人しかいない聴衆からは各々のツッコミが入る。

 此処に来た頃より随分素直になったなぁ、なんて感慨深そうに千束は微笑んだ。

 

 

 その瞬間、かちりと、和みの静寂を破る重々しくも軽い物音が三人の耳を打つ。

 

 

 それはリコリスの二人にしてみれば余りにも聞き慣れた戦闘開始の合図。

 たきなの振る舞いによってほんの一瞬だけ緩んだ空気は――敵の気配によって一気に戦場のソレへと引っ繰り返した。

 

「敵――!」

 

 直後、連なって弾ける花火のような軽い音を立てながら弾倉が回転する。

 響き渡る金属を穿つ音。廃棄されバリケードと化した商品棚の残骸は、放たれる無数の弾丸の前では何とも心許ない。精々視界を塞ぐ遮蔽物程度の効果しか発揮しない。

 

「三人発見! 銃を持ってる!」

「速いぞこいつら――!」

 

 故に二人は疾走する。

 千束はウォールナットを連れて右へ、たきなは左側から側面に。

 敵の狙いは分断だろう。護衛たる少女を確実に処理し、確実にハッカーを仕留める。足を止めることを許されないこの状況を作り上げることこそが、襲撃者たちの意図であった。

 

 もっとも、それは悪手だ。

 

 二人からしてみれば――視認できる射手が放つ弾丸など、脅威のうちに入らない。

 

「千束さんは右を!」

「おっけー、殺しちゃだめだよー!」

「保障しかねますけどっ!」

 

 商品棚を蹴り、赤い少女は跳躍し軽やかに舞う。

 レジの残骸を盾に、青い少女は弾幕を遮りながら力強く駆け抜ける。

 廃墟をつんざく銃声は重く、連なり放射状に広がる銃撃は人外染みた速度で襲撃者たちの両脇を位置取った二人の少女を弾一つとて捉えることは叶わない。

 少女の二つの銃口が揃うのは、ほぼ同時だった。

 

「よっと!」

「――ッ!」

 

 着弾し赤い粉塵が花となって咲く。一つの銀光が弾群の中を縫って襲撃者の肩口から鮮血を散らす。非殺傷弾は赤く弾けて兵装で身を固めた兵士を容易に怯ませ、実弾を用いた銃撃は容易に襲撃者の一人に戦闘を放棄させた。

 絶え間なく聞こえてくる銃撃の気配の中に紛れて一際強く聞こえる銃声に、あれだけ轟音をまき散らしていた機銃の気配が停止した。

 

 呼吸が如き空白が生じる。張り詰めた空気は時間の遅延を錯覚させ、それらは『隙』として際限なく広がっていく。

 

 そして、それらは二人のリコリスに更なる加速をもたらした。

 

「ぐっ……!?」

「もういい、下がれお前ら! 仕留めるのはハッカーだけで良いんだ!」

「はい遅い」

 

 その明確な隙を二人は見逃さない。殺す気が無い敵と殺す気しかない敵、その差は歴然だがこの二騎のリコリスと彼らとでは文字通り兵士としての力量があまりにも違い過ぎた。

 千束は射線の外である商品棚の上を走り、襲撃者の一人に組み付いてゼロ距離で非殺傷弾を撃ち込み、組み付いたはずみで襲撃者の肩で踊る様に回し蹴りを打ち込んで意識を飛ばす。

 

 残るは二つ。

 

 一気に間合いを詰める影。音も無く気配すらも消して認識を置いてけぼりにするたきなの機動力に翻弄され、襲撃者たちは成す術がない。

 銃を構えた所で既に遅い。

 この間合い。敵との距離。銃撃の間合いですらない今の段階でたきなを殺すには、それこそ自爆覚悟での攻撃しか彼女に届き得ないだろう。

 

「があっ!?」

「ぶふっ!?」

 

 弾丸が来ると回避行動を取っていた二人に放たれる肘撃ちと拳銃のグリップによる打撃。

 殺す気の無い一撃。されど少女の肉体からは到底想像は叶わない重い一撃に、二名の襲撃者は容易にその意識を刈り取られくぐもった声と共に沈黙する。

 

「これで全員ですか?」

「いや、あと三人はいた筈だよ」

 

 そう口にしながら、たきなは千束を見やる。

 視線を移せばそこには、敵の首元に手を当てて脈を確認する彼女の姿があった。

 

「……」

 

 いつもの光景だ。

 『命大事に』。それは自分の命は勿論、敵の命すら千束の場合は含まれる。

 

 それを、どうしてか。

 

 誰かを助ける、いつもの彼女のハズなのに。たきなにはどうしようもなく。

 

 ――――痛ましいと、感じてしまったのだ。

 

「ってあれ?」

 

 はたと千束が何か重大なことを見落としていることに気づく。

 たきなもそれらに倣って辺りを見渡せば――人型のリスがどこにも居ないではないか。

 

「……千束さん、ウォールナットはどこに……?」

「や、やっべー! そりゃあれだけ銃弾飛んでたら普通は同じ部屋には居ないよね、うん! 千束、反省!」

「やっべーじゃありません! 反省してください……! どこに向かえば!?」

「脱出ルートに繋がる出口だからこっち!」

 

 慌てふためく、とまでは言わないがまさか視界から外れるとは思ってはいなかったらしく、ぎょっとした様子で千束は脱出ルートに該当するであろう通路にたきなと一緒に向かう。

 それに追随するたきなは、この人の周囲の人間はどうしてこう、スイッチが入ってる時と入ってない時での落差が激しいんだろう、と思わず呆れる。その点で言えばこの場にはいない眼鏡の男も同様だ。

 

 だが同時にたきなは疑問であった。

 

 恰好こそふざけているものの、車のジャックすら冷静に対処して見せたリス男が、護衛の視界から外れる様なことをするのかと。

 

 それこそ()()()()()()()()()()彼がそんな短絡的な行動に出るとは思えず――。

 

「ッ――手榴弾!」

 

 たきなのその疑問を遮る様に、空気に爆発の気配が乗る。肌を迸る灼熱の熾りは否が応でも千束とたきなへ回避行動を促し、衝撃は壊れかけの古びた扉など容易に吹き飛ばした。

 

 だが立ち込める火薬臭い煙の中から出てきたのは、敵などでは無かった。

 

 スーツケースを抱えてずっこけるリスの着ぐるみだったのだ。

 

『あっぶないな……!』

「ってハッカさんかい!」

「ウォールナット! 私たちの視界から外れるようなことはやめてください! 護衛対象たる貴方に死なれては元も子もないんですよ!」

『いや、ちょっと野暮用でな……でも、一仕事はしたぞ。ほら』

 

 そう言ってウォールナットは着ぐるみで包まれた人差し指を煙の立ち込める扉の向こう側を指さした。

 

「これは……」

 

 たきなと千束が視界に収めたのは、爆破による衝撃によって苦悶の声を上げる襲撃者たちの姿があった。

 見たところ、外傷らしい外傷は見当たらない。火傷を負った様子もなく、本当に爆弾の余波にのみ中てられただけの様であった。

 千束はこれは貴方が? という意を込めた視線を隣の着ぐるみ姿のハッカーに視線を送る。

 

『言っておくが、断じて戦闘なんてしてないぞ。本当に咄嗟に蹴ったんだ……心臓が飛び出るかと思ったぞ』

「へー……やるじゃん」

「なんて危なっかしいことを……ハッカーというのは皆そのようなことが出来る人間なのですか?」

『そもそもハッカーはこんな風に表立って出てこないんだぞ。決してな』

 

 戦闘の気配がなくなり、煙が晴れて視界が明瞭になっていく。

 徐々に薄まって言った埃の中では――倒れた仲間を庇う様に、片手でライフルを構える肩を負傷した襲撃者の姿が確認できた。

 たきなが咄嗟に拳銃を構えるのを千束は制止し、いっそ無防備と言えるほど軽やかに銃を構える襲撃者へと近づいていく。

 

「く……ッ!」

「そのまま。手当てするから」

「……どういう、つもりだ」

「なにって、応急処置だよ応急処置」

 

 だが、その反応も当然だろう。血が出てるでしょ、なんて呑気な事を口にしているが、今の今まで切った張ったをしていた敵を助けるなど正気の沙汰ではない。

 ましてやリコリス。殺人を肯定され存在価値に直結する環境に身を置いてなお、その選択が出来る理由は、まだ千束と行動を共にして日が浅いたきなに知るべくもなかった。

 

 非効率である。

 

 非合理的である。

 

 仲間を危険に晒す行為であると、たきなは思う。

 

 だが、それでも。

 

 ――それを『強さ』であると断じ。

 

 ――『綺麗』だと感じた矛盾であり。

 

 ――――カナメが護ろうとした『答え』の一つだと、たきなは思わずには居られなかった。

 

「……千束さん」

「あー、少し待ってね」

 

 血まみれになった襲撃者のプロテクターを外し、鞄からはワセリンやら、テープやらを持ち出した辺りで、少なくとも血が止まるまでは付き合うことになるだろうと確信する。

 

「彼らも、助けるんですよね」

「そ。誰も死なせないってことは、そういうことでしょ。たきなはハッカさんと一緒に外に出る準備しておいて。私も直ぐ追いつくから」

「……」

 

 理解していたことだ。

 この人が、そんな器用な選択を出来る様な人じゃないと。

 まさしくゼロか一〇〇の選択だ。妥協するということを、千束という人間はしないのだとたきなは『喫茶リコリコ』に居ついてから、カナメと鍛錬を重ねるうちに気づけたことだ。

 

 しかし、だからこそ。

 『答え』を探し迷い続けているたきなだからこそ。

 

 あの車の中で放ったハッカーの言葉が、たきなの中で残響していた。

 

「『DA』はカナメさんを邪魔だと思っているという点は……不満ではありますが、客観的に見て理解はしています」

「……たきな?」

「千束さんの選択なら、私は尊重します。今は理解は出来ずとも、それは綺麗なことなんだと私はあの日感じました。けど……」

 

 

 

「――――あなたはあの人が死ぬことになっても、同じ選択が出来ますか」

 

 

 

「――――」

「――――」

 

 二人の間で初めて、沈黙が流れる。

 たきなもどうしてこんな所でこんな事を聞いたかはわからない。

 ただ、敵であっても助けようとする千束のその生き方を。

 綺麗であると。矛盾しながらも美しい在り方であると感じたとしても。

 

 彼の前ではずっと、彼女は笑っていた。幸せそうだった。

 だというのに。

 護るべき人がいて、護るべき場所があって。

 それでもなお『敵』を助け、戦い続けるその在り方を。

 

 ――――痛々しいと、思ってしまったのだ。

 

『脱出ルートはまだマークされていない。今ならまだ囲まれる前に突破できるぞ』

 

 痛い沈黙を破ったのは無遠慮なハッカーの声だ。

 だがたきなにとって、それは僥倖であった。

 

「……では千束さん。急いでください。依頼人が傷つくのは、千束さんも本望じゃないでしょう」

「おっけー。すぐに向かう。ハッカさんをよろしくね」

 

 ――そして、その場にいるのは千束と襲撃者のみになった。

 ひたひたと、応急処置が順調に進んでいくだけの時間が流れる。

 ワセリンが入った容器は何度も使い込まれた形跡があり、これまで同じことを彼女が繰り返してきたことが伝わってくる。

 

 そして先のやり取り。

 それを聞いていた襲撃者たる彼は、何を思ったのか。

 止血テープを伸ばし傷を塞ごうとしたところで、他の誰でも無い襲撃者本人から、彼女は思わぬ忠告を受けることになった。

 

「……大事なやつが、いるのか」

「――うん」

 

 一瞬戸惑う様に停止して、捻り出した答え。

 明朗快活な千束らしからぬ仕草の理由は一つ。

 

 竜胆要人が死んで。

 その光景を、思い浮かべて。

 冷たくなっていく彼を見る現実があるかもしれないと思ったら――ソレが自分が思っている以上に、痛かったからだ。 

 

「俺にも、家族がいる」

「……」

「こんな世界だ。そして俺はそれを理解したうえで進んで選んだ人間なんだよ。もし大事な人間がいるのなら、ソイツの為にも俺たちを――」

「――殺しておけって?」

 

 こくり、と頷く襲撃者の彼。 

 

「でないと、いつか取り返しのつかないことになって、その痛みは一生お前を蝕むぞ」

 

 それは銃を握って生きてきた人間ほど感じ取れる、戦場という血生臭い場所では決して耳に出来ない優しい忠告。

 銃を握った責任も。それを使って誰かを殺した責任も、全ては自分で生み出したものだ。

 

 だからやめておけと。

 

 その優しさは敵を助けても、いずれ本当に大事なものすら選べなくなると、そう告げたのだ。

 

「どーだろ……最近は私もわかんなくなってきたんだよね」

「……?」

「私の大事なヒトはさ、私のこういうやり方を護りたくてこっち側に来てくれたんだって」

 

 その人は危険を承知で、それでも護りたいと叫び続ける人だった。

 何度も何度も、遠ざけようとして。だけどそれでも、彼女自身が本当は手放したくなくって。

 それでも。

 それでも。

 

 苦しんだ分は幸せになるべきだと思ったから、最初は彼女自ら遠ざけようとしたのだ。

 

 

「馬鹿って、最初は思ったけど」

 

 だがそれでも駄目だった。

 馬鹿は馬鹿でも、大馬鹿の類だ。

 戦いになんて程遠い場所にいたのに、忘れようと思えばいつだって忘れることが出来た筈なのに。自分から首を突っ込んで。

 挙句の果てには本当に死にかけた。

 

 それでも誰かを助けたいと思う彼女を。

 

 本気で助けたいと思う大馬鹿がいたのだ。

 

「全部全部、本気だったんだよ。それこそ、自分の命がどうでも良いんじゃないかってくらい」

 

 だからこそ、錦木千束はこれまで独りで戦っていた。

 理解者はおらず。共に並び立つモノもおらずに、たった独りで。

 

 誰かを助けようとした女の子はただの一度も、自分を助けようとはしてこなかったのだ。

 

「私を信じてくれる人の為にも――『不殺(コレ)』を私から裏切るワケには、いかないでしょ」

「そうか――なら、簡単に引き鉄は引けないだろう」

「そ。だからあなたにも生きて貰う。じゃないと私はきっと、私が選んだことで死んじゃいそうな気がするから」

「……忠告はした。ほら、行けよ早く……こういうのもアレだろうが、死ぬなよ」

 

 

 

「……わかった。じゃあちゃんと鉄分とれ――」

 

 

 

 だが、彼女が去ろうとした、その瞬間。

 ――――ザワリと、全身が(めく)れ返る様な悪寒がした。

 

「――――ッ!」

 

 ワケもわからず、ただ脊髄が絞り出す無味無臭の『危険』という信号に全力で身を任せて、脇道へ飛んだ。

 

「――おっと!」

 

 『攻撃』はそれだけじゃ終わらない。

 黒い影が銀の閃きを奔らせる。

 千束の視界。刹那という神速の世界すら人界の領域へと落とし込める絶対的な『眼』がもたらす視覚を以てしても、その『刃』が辿る残像しか捉えることは叶わない。

 だというのに。

 

「ほう」

 

 それを防いだ。

 遅れて聞こえる銃声。放たれた弾丸は()()()()()()()()その軌道を僅かにズラすことに成功する。

 重厚な金属音と、鉄を撃つ音が聞こえる。

 一合、一射。二合に二射。銃撃と剣戟は余人の感覚を置き去りに、黒と銀の鋼は火花と金切り音を上げて『戦闘』を成立させていた。

 

 だが、それはあり得ない。

 

 否、在り得てはならない。

 

 女の剣技は神速。人でありながら人の理を無視したそれは、人の領域である千束の命を奪えなければならない。

 

 だというのにそれらを防げたということはつまり――。

 

「中々良い動きをするな、お前」

「……おねーさんも、どういうことかな。『ソレ』」

 

 

 ――――その動きを()()()()()()()に他ならない。

 

 

 ひたすら黒い女性は、あらゆるモノが只人では到底及ばないものばかり、その身一つに収める怪人であった。

 

 そして何より驚愕すべきは。

 呼吸も、筋肉の動きも、刃の取り扱いも、その全てが『彼』のモノと酷似していた。

 否、()()()()()()()()()()()()と言えるだろうその肉体に込められた術理に、千束は不敵な笑みを浮かべながらもその疑問を反芻し続けるしかなかった。

 

「さてな。アレは本来外に流れるモノじゃないが……何かの手違いか、存外にしぶとく仕上がっていたみたいだ」

()()()()()()()()()()。あなたの狙いはどっち? ハッカーさん?」

 

 ……あるいは。

 

「眼鏡をかけた、彼だったりしない?」

 

 根拠のない確信。身に余る警笛は震える体を抑え込んで、千束は一つの事実を確信する。

 

 

 彼――カナメとこの人を遭遇させちゃいけない、と。

 

 

「――どちらでもない」

「――――ッッ!?」

 

 猛烈な死の予感。物質化し命を得た『死』は弾丸の雨の抜け穴を見抜く眼を掻い潜って脳の認識を置き去りにし、反応を反射へとめくり返す。

文字通り火花を散らす勢いで、千束の首元に添えられる鋭利な冷鉄を銃身で殴りつけた。

 

 

 

「私はただ、そこに在るだけだ」

 

 

 

「不完全な刃を、()()()()()()を処理するだけの存在に過ぎない」

 

 

 

「――――死ね」

 

 

 

 

 

 

 

「させるか――ッ!」

 

 

 

 

 

 ――――そんな彼女を、リスの着ぐるみが渾身の力を込めて蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回はここまで。

千束の中には「救世主に助けられた」という事実が根を張っている。
だから彼女はヒーローとしての在り方をアニメ本編において終始崩さなかった。

だからこそ、彼女を本当の意味で人間にしてやれるのは。

本当の意味で自分の為に生きることが出来る様になるには。

救世主を裏切らせる必要があると、ワイは思うんです。

毎話感想送ってくれる人はあざます。誤字報告も毎回丁寧にやってくれて本当に助かっています。
まだ感想を送ったことが無いって人はどんどん送ってくれると嬉しい。

それでは。

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