「――――子どもの頃、ずっと欲しかったものがあったんだ」
――――夢を見ている。
それは今や碌に思い出すことも出来ない、ふと呟かれた言葉もしんと消えていく真冬の夜のことだった。
誰もいない伽藍洞の家。僕とたった一人がいるだけの寂れた軒下ははいっそう夜の際を引き立てる。
息もかじかみ、肺も凍るような冬空の下で僕は父と――伊之神幹也の言葉に耳を傾けていた。
「……」
「……」
「……いや、聞くだけが会話だけじゃねぇからな……こう、あるだろ。流れ的に、聞くべきことが」
「――――なにを?」
「今の聞いたうえで言ってんだよなぁコイツ……あぁ、いや、俺が悪いか……」
どこか自嘲を交えながら冗談めかして言う父の姿に僕は、不思議なくらい何も感じなかった。
……いや違うな。今にして思えば、ただただ圧倒され呆然としていたんだと思う。
子どもながらにして、今のこの状況がどれだけ異常かをどこかで理解していたのだ。
なにせ一緒に過ごして数年で――この時初めて、父から僕に話しかけてきたのだから。
冷血にして無情。冷酷にして非情。
もっと感情の無いヒトだと思っていた。
もっと無機質な、機械みたいな人だと思っていた。
冷徹で、傲慢で、いつも研究のことしか頭にない。これまであった会話だって、記号めいたものばかりで、そこに人間らしさがあったかと言われれば『否』と答えるだろう。
人間のナリをしているのなら、人間のフリくらいしてみせろ。
この言葉を今まで一度たりとも、忘れたことなどない。
そうしなければ生きていけなかった。
そうしなければ生きることが出来なかった。
だって考えれば考えるほど――自分が人間として破綻している事に気づかされるのだ。
だからそれがきっと『非人間』である自分に唯一向けられた、『親』としての忠告だった。
だからきっと、家族としての情なんて存在しない。何よりあったとしても、信じることが出来なかった。
そして向こうも恐らくは同じだろう。
あるのは形式ばった父と子という関係性と、家族という社会的な立ち位置がもたらす実感のない納得だけ。
そう、思っていたのだ。
「――――それで、欲しかったとは」
だが、それでも。
無意味だとわかっていても、その時の僕にはその人しか居なくて。
無価値だとわかっていても、自分でもわからない何かの証が欲しくて。
非人間なりに――父と呼んだ彼のことを理解しようとしたんだ。
――――どう足掻こうと彼が求めた『ナニカ』の代わりになんてなれる筈もないのに。
「――――家族だ」
――――だから、本当にそれだけ。
万感の思いを込められて告げられたソレに何と答えたのか、今の僕では思い出すことも叶わない。
突き放したのか、理解できなかったのか、あるいは何かを言ったのか。
なんにせよ、独りになった僕にその真意を確かめる手段はどこにも存在しない。
あるのは諦めにも似た納得と――目の奥から込み上げる様な熱だけ。
……だから僕が言えることは、たった一つだけ。
あの時、あの人に寄り添えなかった時点で僕はどうしようもない非人間で。
僕は最初から、あの人にとって同居人以外の何者でもなくて。
――――少しでも『家族』になりたいと思った僕が、愚かだったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふひひ……可愛い」
「……何をしてるんですか千束さん……」
「なにって……睡眠打破?」
「促してるじゃないですか……ここ電車のシートですよ?」
「電車の方が良く寝れるパターンってない?」
「ないです」
「いやある。私がそう判断した」
「なんなんですか……」
微睡みの中へ沈んだ意識が、その聞き慣れた笑い声によって浮上する。
心地いいの良い揺れと、きしむ車両。眠気の残滓によって暗く霞みがかった視界。
僅かに、それでいて等間隔で静かな振動を体が伝え続ける中、外からは雨が窓を打ち付ける梅雨の気配が聞こえてくる。。
傾いた視界が捉えたのは後ろへと過ぎ去っていく山、森、山、山、山。
光も弱い雨空のちょっとした電車旅は、離れていく都心の放つ煩わしい人工の光を微塵も感じさせないそこは、人気の無いその場所のみを目指している。
そしてようやく、自分が『DA』の本部を目指して移動中であったことを思い出した。
「千束さん、カナメさんが起きてしまいますので、笑い声は控えてください」
「えー、いーじゃん。カナメくんの寝顔見れるのって珍しいんだぜー?」
「病院で散々見てたじゃないですか」
「アレはノーカン。傷だらけなのはナシなんだぜたきな」
「そういうものですか?」
「そういうものなのです」
……そして一瞬冷静になった頭は再び疑問の渦中へと放り投げられた。
ひとまず寝たふりを続行した方が良いと叫ぶ、なぜ働いたかわからない小動物的危険本能と、状況を俯瞰しろと罵る本能と共同戦線を張った理性にも訳も分からず従う。
まぁ、寝てしまったことは取り敢えず仕方ない。それに心当たりもないわけじゃない。
言い方は悪いが、きっとクルミさんの所為だろう。
より具体的に言うなら、クルミさんの口から出てきた『母』と『父』の繋がりの示唆。
僕の戸籍登録には不自然な点があって、そして僕の情報の痕跡をどうにか出来る人間なんて、ましてや『DA』と関わる前ときたらそれこそ限られてくる。
だからあんな、どうして思い出したかもわからない数少ない思い出を夢で見てしまった。
思い出さずに胸にしまっておけばいいのに、僕ときたら。
……大概、こういう時にあんな感じの夢を見ると決まって碌なことが起きない気がしてならないのだが、見てしまったことは仕方がない。
どうあっても切り離せず向き合わなきゃならないことを肝に銘じとくべきなのだろう。
……だがそれも百歩譲って別にいい。
目下の問題は――横になった僕の頭を撫でる千束との状況にある。
「――――」
――――『乳の影』が見える。
九十度横になった視界が暗くなっているのは、なにも外の梅雨空だけが理由じゃない。
こめかみから布越しへ伝わってくる柔らかく温かな感触と、後頭部の温もり。
女性らしい香りと、わしゃわしゃと髪を撫でて、彼女の指が頬や目元をなぞる感触がなんとも言えない込み上げるモノがある。
つまり僕が今しがた頭を置いているココは――千束のお膝元ということになる。
「――――……」
ひえぇぇ、と喉元からせり上がってきそうなのをどうにか堪えた。えらいこっちゃーって、いきり立って走り出しそうな衝動だけが、頭の中という小さな敷地内を爆走してる。
あれだけ停滞し滞留していた眠気はどこにいったのやら、今では『僕は眠っている』という自己暗示を戦闘でも潜入でもない、このクッソ下らない状況でこの状態を堪能するために全力で行使するという意味わからん事態に陥っている。
恥ずかしいのに、赤くもならない。起きてるのに、寝息も不自然なことにならない。
だというのに、羞恥心だけが自分の意識と身体の上で俯瞰している。
……しかもコレ、千束が僕が起きたことに気づけないのはつまり、彼女の豊満で富に溢れた立派なモノをお持ちになって視界が遮られているからであって――その真下に僕は頭を置いているワケだ。
「………………」
梅干しをひとくちで二桁放り込んだ様な渋い顔つきになりそうなのをどうにか堪える。
同時に、ひゃっほうと叫びだしたくなる浮ついた気持ちもどうにか呑み込む。
余裕なんてあったもんじゃない。
このタイミングで起きようものなら素直に感想を口走ってしまいそうだ。
なんやかんや僕も男子高校生ということだろう。
そんな状況なのに考えついた事がこの状況を堪能するという思考へシフトする辺り、その単純さというか……駄目だ
「……それ、楽しいんですか?」
「……カナメくんみたいな子が無防備なとこ見せてるのって、なんか安心するよね」
「そうでしょうか……もっとしっかりしてくださいと感じるのが正直な感想です」
「あー……たきなはそういう感じかー」
さらさら、すりすりと柔らかな指が感触を堪能する様に、ゆっくりと肌や髪を這う。
目元を親指が静かになぞった。
かと思えば耳たぶを愛でるように転がし。
手の甲と手のひらで髪と顔を撫でる手つきは、銃を握り荒事に身を乗り出しているとはとても思えない。
今しがた変な『夢』を見ていた所為か、どこかで荒んでいた胸の奥は静かに、暖かにその平穏を取り戻していく。
「……」
そして、たきながそんな僕と千束を見つめているのがわかった。
生憎と千束の姿は見ることが叶わないが、向かいのシートに座るたきなはかろうじてその姿を確認することが出来る。
「あの」
「ん~?」
なんて風に千束の手を堪能していると、何やらたきながどこか言葉に詰まった様子で千束に尋ね、当の千束は凄く気の抜けた様子でたきなに応答した。
……寝ている僕の頭を撫でる手は止めないまま。
「千束さんは、いつもそうですよね」
「え、なにが?」
「カナメさんとです。なんて言うかこう、不思議な距離感と言いますか……くっつきそうなのにくっつきそうにないというか……」
「えー、もしかしてたきな羨ましいのカナ~?」
「いつもその調子ならカナメさんがこうして寝てしまうのも無理はないとは思うんですが」
「おいこら。私がカナメくんを振り回していると言いたげだな?」
「そこは一端おいておきましょう」
「おくな」
抗議の声を上げる千束。
その様子に再び話が脱線しかける気配を察したのか、そうでなくとたきなは一言でさえぎった。
その声は、どことなく真剣みを帯びている。
「どうしてカナメさんと――
…………それは。
「…………えー。言わなくちゃ駄目?」
「私は真剣です。真剣にお二人の仲のことを考えています」
「お、おおう。そ、そーれは…………ドウモ」
言いどもる千束。ぐいぐいと勢いづいてるたきなにたじろいでいるのが視認せずともわかってしまう。
「お二人は、大変仲が良いかと思われます」
「……そりゃ、そうね」
「そこそこな頻度で、二人で出かけてることも知ってます」
「い、いやぁ、アレはたきなが言ってた通り私が連れ回してるのが大きい、カナ~……?」
「カナメさんも満更でもない、というか心底嬉しそうにしてるので問題ありません」
「………………ウン」
「なら、どこに遠慮する必要があるのですか」
「え、遠慮って、ちょっとたきな、いやたきなサン……?」
「ぶっちゃけて言います――千束さんがもっと踏み込めば、カナメさんも無茶をすることはなくなるかと思うんです」
……あー、うん、最初からそれが狙いだなキミ?
「……そこはカナメくんからやってくるとは考えないんだ」
「二人の攻勢状況を鑑みた結果、千束さんからカナメさんを囲った方が早く後腐れが無いと感じました。合理的配慮です」
「合理的て……」
本当に合理的なのかそれは……と千束と感想を同じくする僕。起きていれば確実に呆れの表情を隠せなかったことは我ながら目に見えていた。
でもたきなの言い分について考えてみる。
考える。
考えてみる。
千束と『そういうこと』になった時のことを、思い浮かべてみる。
だが考えても考えても考えても――僕の考えは変わらなかった。
「――――」
きゅ、と千束が僕の髪を握る。
そこに、堪えるような哀しさは感じない。
なら、どんな顔をしているのだろうか。
泣いているのだろうか。悲しんでいるのだろうか。怒っているのだろうか。楽しそうにしているのだろうか。
否、多分そのどれでもない。
そこにはきっと――どこか諦めたような、掴めない夢を見る笑顔が浮かんでいる。
「うん――思っても、言わない」
「……どうしてですか?」
「大事だから――言わない」
――――知っている。
何か千束が僕に隠していることを。だが、それを聞く資格は僕にはないだろう。
千束の時間は千束のもの。今の僕と千束の関係を彼女本人が一番望んでいるのであれば、僕にそれを拒否する権利は存在しない。
何せ僕の命は、千束のものなのだから。
……ああ、でも。
それでも一つだけ、気になることがある。
僕を大事と言ってくれるが――僕は千束にとって、どんな存在なのだろうか。
そんなたった一つのことを聞けないまま――『DA』本部に到着した。
今回はここまで。
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