降りしきる雨が霞となって覆う山々を、黒いワンボックスカーが超えていく。
人の気配を廃した森の香り。
目に留まることなく淡々と過ぎ去っていく緑の群衆は、なんとも風情がない。
雨水に晒され黒く光るアスファルトに舗装された道は、ひとたび道を外れればいとも容易く山の一部へと還ることだろう。
隠すためだけの場所と、そのためだけの道。
多くのリコリスが求め、憧れ、そのためだけに命を費やす場所。
それをどこか冷めた気持ちで見ていれば、ここ半年ですっかり見慣れた『DA』本部がすぐ向こう側に顔を覗かせている。
……そして左隣から聞こえてくる、カチャカチャと聞き覚えのある物騒な音。
それに溜息をつきそうになると――不意に柔らかな指の感触が頬を突いた。
「……なんだ千束。言っておくが、飴玉は健康診断が終わってからだからな。店長からの小言は御免こうむる」
「おいこら、憂鬱そうにしてるカナメくんを見兼ねた千束さんの気遣いをどうしてくれる」
「自分でどうにかしてくれ……そういう千束はどうなんだよ。言っておくが、確実に楠木さんと鉢合わせるぞ?」
「あー、私はカナメくんと違ってあの人のあしらい方は知ってるしぃ? カナメくんみたいに子どもっぽくどもり散らしたりしないからねー」
と、さっき監視カメラに向かって『あっかんべー』してた人間がなんか言ってる。とてもあしらい方を知っている人間の振る舞いとは思えない立ち回りだろう。
……千束のことだ、きっと監視カメラのセキュリティ機能発動による映像が切り取る瞬間、ワンフレームを狙って舌を出してきたに違いない。相変わらず凄腕技術の無駄使い、子どもっぽいのはどっちだって話だ。
「これ以上はよそう、戦うしかなくなる……それで、本当のところはどうなの? エリカちゃんと会うのに割りと頻繁に本部にいってるのに、どうして今日に限って?」
「あー……敢えて言うなら、落差?」
もっと言うなら花見に行ったら葉桜だったとか、海に行ってはしゃいでたらウニを踏んだとか、そういう類のアレだ。
……会話内容はともかく、状況はまず間違いなく桃源郷でしたと胸を張って言える。
…………そう、胸を。
「…………あ、やば。思い出したらちょっと」
「思い出すってな……に……え? え″っ? ちょい待て、ひょっとしてさっき――」
「そ、それよりもさ、たきな――……何、してるんだ?」
思わず口から零れ出た言葉のお陰で火照りかけた顔を沈める様に、隣の千束から視線を外して、隣のたきなへと移した。
そこでは明らかに銃を整備しているとしか思えない彼女の姿があった。
「……何を、とは?」
「いや何をっていうか……なんで?」
「見ての通り武装の点検ですが、なにか?」
「うん、それは見ればわかるんだが……何故に今になって?」
「……何故でしょう?」
「いや僕が聞いてるんだが……」
ぼんやりと答えるたきなだが、銃の手入れをする様は淀みなく手際が良い。
かちゃかちゃ、ちゃきりと。
僅かに揺れる車内の慣性をものともせず弾丸を込めていくそれらの動作は、彼女にとって慣れ親しんだものなのだということを否が応でも理解させられる。
久々の『DA』というたきなにとっての古巣への帰還だというのに、そこに感傷じみた人間臭い振る舞いを見せることはない。
さも
それがますます僕を困惑させた。たきな、もしかしなくとも楠木さんを撃ち抜こうとしているのではなかろうか。
「たっきな~、そんな物騒なことしてないでカナメくんと一緒に駄弁ろうぜ」
「いや駄弁るて」
「結構です。カナメさんも、司令と会うのでしょう? 何を言われるか、
……相も変わらずにべもなしと言ったつんけんとした物言いだが、何を言われるかわからないっていう点には全面的に同意しかない。
勧誘ならあの人はもう少し周りくどい。本音など言える立場にないから。
『DA』直通の任務によるやらかしが起因しているというのなら、いつもの棘のある皮肉を口にすれば良いだけのこと。
だというのに、あちらから直接会えという指令が下された。
勘ぐるな、知らぬが仏がモットーな楠木さんのことだ。何もないと考えるのは早計というか、多少どころではない無理があった。
「大丈夫だよカナメくん。楠木さんもたぶん……一応……それとなく……悪いヒトじゃないんだからさ」
「何が大丈夫なのか微塵も理解出来ないんだが」
「安心してください。カナメさんは私が護ります」
「だから何されるんだ僕は……」
そんな慰めにもならない二人の言葉にげんなりしながら――黒い車が停止した。
普段よりいくぶんか重めの足取りで荷物検査と入行許可を済ませ、セキュリティーゲートをくぐる。
そしてすぐ手前のエントランスへと足を踏み入れれば、そこには往来するリコリス達の姿が見える。
「ん……?」
「なんだー……?」
だがそのいつも通りな場所に、妙なものを感じ取った。
普通だったら気づけないだろうソレに、半年もの間で繰り返して戦闘経験はその変化を否が応でも認識する。
何と言うか――視線が多い。
どことなくひりついた空気。
外の天気は相変わらずの雨模様で、この時期においては珍しいくらい太陽の要素を排斥していて、やや薄暗い。
必然的に明かりが宿るこの本部が明るく見えるわけだが、それがどうにも寒々しい。
浮いているのではなく浮かされている。
群衆に紛れきれず、白い風景の中心に一つ浮かび上がる黒が如き異物感。
理由もなく、幕を開けた暗中の舞台でぽつんと照らされる役者を想像した。
「――――カナメさん」
「っと、どうしたたきな」
「……いえ、なにも」
「――――」
「千束もどうしたんだ……?」
「――ううん、私も何でもない」
それを偶然か否か、それらをずいっと身を乗り出す様に遮ったたきな。
千束もどこか曖昧に濁しながら、色の無い表情で周囲を見つめている。
視線はもう、消えていた。
「錦木さんは体力測定ですので、隣の医療棟へ。竜胆さんは、司令の執務室へお向かいください」
淡々と要件を告げる受付にも変化はない。
それが無知ゆえか、命じられたからなのか。今の僕には判別が出来ない。
……自分の想像に嫌気が差す。
きっと、嫌に荒事に慣れ過ぎた影響だ。浮かんだ厭な予感を振り払って、なるべくいつも通りの様相で受付に問いかけた。
「……あの、楠木さんは何か言っていましたか?」
「私からは何も。ただ、言伝を預かっております――『寄り道したら撃ち抜く』と」
「…………」
「頑張ってくださいね」
「何をですか……」
随分と朗らかに告げるじゃないか、と半ば呆れる。
この様子だと本当になんも知らなさそうだ。
「んー……私はこのまま医療棟に行くけど、たきなはどうする?」
「このまま、カナメさんについていきます」
「いや楠木さんのことだし、追い出されたりしないか?」
「その可能性も考慮して、執務室の前で待ってます」
「……僕が言うのもアレだが、今日は妙にべったりじゃないか?」
「気のせいです――行きましょう。すぐに行きましょう」
「ぐぇ」
んなわけあるか、と反論しようとする前に、僕よりも張り切ってずかずかと執務室の方角へ歩を進めるたきなの姿。それに襟を引っ張られながらつんのめる僕には、残念ながら威厳の欠片もありやしない。
「じ、じゃあ千束も、気を付けて」
「――――カナメくんも、気を付けてね」
手を振れば千束もソレに応えて手を振り返してくれる。
遠ざかっていく彼女の姿を見て、今度は未だに戦車が如き勢いで引っ張り続けているたきなへ流石に文句の一つでも言おうとして、踏みとどまった。
「――――」
リコリス達がが、僕を見ている。引っ張られている僕に関心があるのか、どこか談笑染みた和やかな様子であった。
それが、どうにも不釣り合いに見えて。
断片的にしか聞こえてこないそれに――つい聞き耳を立ててしまう。
「ねぇ、アレそうじゃない?」
「うわホントだ……なんか、言うほど強そうには見えなくない?」
「足引っ張ったって子も一緒にいるじゃん……あの子も?」
「いや、流石に無いでしょ。意味わかんないもん」
「でもようは共犯でしょ? なんか一緒に居るし、対象じゃないの?」
「命令通りにしておけばよかったのに……何がしたいんだろうね、あのリコリスモドキも」
「ま、関係ないでしょ――」
次に語られる言葉に耐性をつけておく。
「――――どうせ今日、殺すんだし」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――――『喫茶リコリコ』からの三名が到着する数刻前の話だ。
「全員集まっているな」
有無を言わせない重圧の中、淡々と告げられた冷徹なその声は執務室の空気を見事なまでに二分していた。
赤、青、白。春川フキ、蛇ノ目エリカを筆頭にした一部の三階級のリコリス一同。
楠木が放つそのただならぬ緊張感に、白服ことサードのリコリスはやや困惑を覚えながらも、固唾を呑み込んで動向を見守るしか出来ない。
加えて、前者の二人が深刻そうに表情を歪めていることも、それらの状況に拍車をかけていた。
「竜胆と千束の到着まであとどのくらいだ?」
「移送中の車へ乗車したことは確認済みですので、間もなくかと……お繋ぎしますか?」
「……いや、そのままで良い。あいつら、取り分け竜胆はこういった事態には機転が利く。我々としても奴が『DA』への不信からリコリスの不信へと繋がるような事態は避けたい」
「……あくまで正当防衛の体裁を整える、と」
「他の案件に眼がいって組織内の動きを察知できなかった。私の失態だな……もっとも、余計なものまでついてきてしまっているみたいだが」
そしてそんな彼女らのことなど知るかと言わんばかりに、説明もなくたて続けに放たれる楠木の言葉は、リコリス達はますます困惑の色を深めていく。
まぁ、無理もない話だ。
なにせ彼女たちは
しかし、その事態の内容を知り得る人間からしてみれば、今の足踏みした状況はとても耐えられるものでは無かった。
「……あの、……司令」
「なんだ」
「今回呼び出されたのはリコリスによるせんぱ――竜胆要人の粛清実行の件でしょうか」
ついに耐えられなくなったエリカがその内容を口にした。
竜胆、と聞いてその部屋のほとんどのリコリスが色めき立つ。
竜胆要人。僅か半年前に突如としてリコリスの協力者として名を上げ始めた、おそらくは『DA』の歴史上初であろうリコリスとしての活動が認められた男。
訓練などで度々『DA』の本部に足を運んでいるが故に、その姿を実際に目撃したリコリスも少なからずこの部屋にも存在している。
特に直近の出来事である『銃取引の事件』の失敗もあって良くも悪くも有名な話だ。
そして現在――『DA』全体で要注意人物として抹殺命令が出ている人物でもある。
そのことに、事実どのリコリスも顔を顰めていた。
「そうだ――そしてその命令を私は撤回する気はない」
「……っ、一体どんな理由が? 先輩は確かに色々なものを壊しますし滅茶苦茶ですけど……だとしても死なせる理由には――」
「『DA』の上層部の意向だ。少なくとも我々リコリスの意思ではないということは保障しよう……今から説明してやるから焦るな」
どこに安心できる要素があるのだろう、とフキの隣に立つエリカは思わざるを得なかったが、口に出すことはない。
「今日お前達を呼んだのは他でも無い、竜胆と大なり小なり関わりのあるお前達に全力であのバカを仕留めるように改めて命じるためだ」
「そんな……! どうして先輩が! 先輩は、あんなに強いのに、態々殺す理由がないっ!」
「そうだ、アイツは一人の兵士として見れば確かに強い……事実、その技術の継承によってエリカを含めた一部リコリスの成果は目に見えるほど上昇している。加えて、
「なら――!」
「だがなエリカ、アイツは目立ち過ぎた」
爆弾魔。切り裂き魔。破壊神。
呼び名は数あれど、その実情を詳しく知る人員は少ないのが現状である。
だがそんなある意味で不名誉なあだ名がつけられながらも彼が肩身の狭い思いをしなかったのはひとえに、その『強さ』にあったからだ。
少なく見積もっても、所属して半年で出せるような、ましてや個人で生み出す功績としては破格すぎるものであるのは事実だった。
しかし、今回はその功績がこそが事態の混迷を招いている。
「フキ、お前は例の銃取引の現場に参加していたな」
「竜胆のスタンドプレーによるミスとして処理された事件ですか」
「それだ。『DA』内の目敏い連中が、その数少ない『失敗』に目を付けた。
「……複雑ですね。同じ目的、同じ組織に所属しているのに方針だけでここまで行動が食い違ってしまうとは」
「それが権威、地位というものだ。欲しい欲しくないに関係なく、必要だからこそ必死になる」
もっとも、問題はそれだけじゃないといのが楠木の考えだ。
『八咫烏』に派生する、『君影草』『彼岸花』『花葵』。
明治、あるいはそれより以前から続く『DA』の組織体系は、権力闘争における基盤をこれ以上ないほど整えてしまっている。
結果、日々誰かの足を引っ張ることに余念がない。
今回の出来事は――その『強さ』だけが矢面に立ってしまったことが『DA』上層部による介入を巻き起こしたのだ。
「フキの言う通り、事態は複雑だ。その発端は無論竜胆自身の素行にも起因しているが……何よりも問題ななのは『DA』内で我らに介入、ひいては竜胆のことをつけ狙う隙を与えてしまったことだ」
「……どういうことですか?」
「より端的に言えば、連中は竜胆を欲しがってる。あのバカがリコリス側として存在していることに難色を示しているんだ」
つまるところ、組織内におけるパワーバランスの話だ。
一〇年前の『旧電波塔事件』の一件以降、今でこそリコリス一強の時代を迎えた。
しかし、その水面下において虎視眈々と『DA』トップを狙う派閥争いは続けられている。
『リリベル』に代行し『リコリス』へ。
その力と実績は一〇年に及ぶ治安維持への貢献として功績となり権力としての礎を築き上げた。
そしてそれらを面白いと思わない連中によって始められるのは共喰い――いわば音のしない闘争だ。
目的は同じだがその方針ゆえに相容れない。
だからこそ一〇年前に傾いてしまった天秤を覆せる機会を待っていたわけだが……。
「しかし、なぜ今になって」
「…………千束が原因なんでしょう」
「その通りだ」
その要因の一つとして大いに、錦木千束の存在が挙げられる。
「千束を抱えているだけでも奴らにとっては目の上のたんこぶだと言うのに、そこに竜胆が介入すればどうなるか……言うまでもないだろう」
当然、焦る。
均衡を保つのでさえ苦労するというのに、そこに超人染みた技能を持ち一部隊でも軽く制圧してしまう様な人間が加わるのだ。
現状の『DA』における千束の影響力を鑑みれば、抜け目のない連中はとりわけ竜胆要人というアサシンを欲しがることだろう。
「では司令、私達が此処に呼び出された理由は」
「竜胆のため、ですか」
「そうだ、だからこの場で知らしめる必要がある。これはある意味好機でもある」
一〇もの間に甘んじてきた天秤の均衡を崩してまでの介入を起こしたことに対する、灸を添える必要があるのだ。
竜胆要人という男の存在というもの逆に利用して。
「このくだらない茶番に血を流す理由もなければ命を課す理由もない。だからこそ、最短でいく。
これで面倒ごとがあらかた片付けられることを願って――楠木はその案を口にした。
「だからこそ今回の合同演習という名の処刑場で――こちらも『最強』をぶつける」
今回はここまで。
今年の夏コミも楽しかった。創作意欲が刺激される出会いもあったんで、最高です。
皆さんも興味があれば是非とも参加するべし。
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