更衣室における対面は偶然だった。
「お」
「げ」
重なる声はほぼ同時。
更衣室という決して広くない場所におけるソレは、一瞬で部屋中に伝播する。
たった一文字に込められた吐露は如実に、両者の感情を言葉以上に物語っていた。
「しっかりもののフキさんがライセンス更新最終日とは珍しー」
「忙しかったんだよ。ここのところは特に働きづめだったんだ。暇なお前と一緒にすんな」
「暇じゃないですぅー。今日だって定休日なのに態々こんな山奥にまで来てますから」
「そりゃお前のズボラが原因だろうが」
ふん、と顔を逸らすフキに千束もそれ以上の言及はせず、慣れた手つきで着替えを進めていく。
錦木千束と春川フキ。
この両者の関係性は、複雑と言う他ないだろう。元ルームメイトという括りこそ存在するが、その実態は決して外野で推し量れるものじゃない。
互いに友人でもあり、ライバルでもあり、同僚でもあり。
同時に――リコリスとして組んだ最初のパートナーでもある。
「つーか会ってノータイムで『げ』とはなにさ『げ』とは。ひっさりぶりに会った元ルームメイトに対する言い草かそれが。あー千束さんさびしーなー」
「一生寂しがってろ……それにお前から『DA』に出ていったんだろうが。寂しいもクソもあるかよ」
「それはほんとそう」
「その軽い反応もそれはそれで腹立つな」
「どうしろつーんじゃ」
……そして千束の『DA』における現状が、その全てを物語っていると言える。
しかし敢えて両者の関係性を一言で表すなら――腐れ縁という言葉が相応しいだろう。
片やルールに縛られない自由人。片やルールが最優先の軍人気質。無論、相容れる筈もなく会話の始まりは大抵が憎まれ口だ。
それを証明せんばかりに、基本的に親しんだ相手にはわりとフラットな千束はいわずもがな、後者のフキは彼女の出現を確認して間もなく、露骨に面倒くさそうに表情と声音を顰めてる。
女子としては少々強面かつ堅物の部類に入るフキ自身の言動も相まって、その心情は察するに余りある。
それが『DA』にリコリスとして所属した幼少の頃からのことなら尚のこと。
そして普通なら怯むであろうそれに怖気付く様な千束であれば、フキもこんな反応はしなかったことだろう。
「ってか先生がいるんだから寂しいわけないだろうが」
「加えてカナメくんもたきなもいるからねー。というかカナメくんから無料券そこそこの頻度で貰ってるんだから来れば良いのに。ちなみにソレ、無期限なんだぜ?」
「べ、別にいいだろ……私は私のペースで会いに行くんだ。お前とあのバカの色狂いとは違うんだよ」
「あーこれは理由つけて会いに行かないけど会いたいときに会いに行けないやーつ」
「あーもううっせぇ! 早く行くぞ!」
「はいはい」
もっとも、その声音から察するにこのやり取りすらも、彼女たちにとっては予定調和であったのだろうということは目に見えてわかる。
自由人と言ってもきちんと空気を読める千束と、堅物と言っても情への理解はあるフキ。
水と油ではあるが、それを理解したうえで付き合える互いの度量の深さ。
その関係性は相容れずとも、通じ合えるものが確かにあった。
幼少期より蓄積された年月の重みによって至った腐れ縁という関係性。
――――世においてそれらは『幼馴染』と呼ぶのだ。
「ほれほれ~頑張れ頑張れ、あともうひと踏ん張り~」
「マジでっ、うるせぇなコイツっ……性格と能力の不一致は、どうにかなんねぇのかよホント! というかこっち見てんじゃねぇ! 気が散るだろうが!」
「えぇー、カナメくんだったらこれくらい平然としてるんだけどな~。まだ戦い始めて半年なのに。半年なのに!」
「クッソウザいなこのリコリス……!」
体力、反射、瞬発力の測定と、ライセンス更新に必要な工程を二人は手を抜くことなく一つ一つこなしていく。
リコリスとして今後も働けるか否か。ライセンス更新とはそういった意味合いもあり、当然体力を奪うものであるというのは共通認識だ。
……そんな中、平時と変わらないペースで話しかけられもすればまぁ、フキの反応もわからないものではないだろう。相手が千束となればなおさらだ。
というかなんなら今にも銃を抜きかねんと言わんばかりに憤慨しているフキに対し、全く消耗した素振りを見せずに煽る千束の姿は流石と言うべきか。色んな意味で。
……そしてそれこそフキが千束に複雑な感情を向ける一つの要因でもあるのだが、それを当事者たる千束は知る由もない。
「フキも思い切って『DA』の外を見てみれば良いのに。気になったりしないの? 自分がリコリス以外だったら~とかそういうの」
「あぁ? しないわ全然。なんなら現状に対して不満もねぇ」
わっかんねぇなぁ、と困った様に唸る千束に、フキは呆れた溜息を零すしかない。
実際、リコリスの中では千束が間違いなく異端なのだが、彼女にとってはフキを筆頭としたリコリス達のその反応が本当にわからない。
名前も居場所も得て、ようやく生きられるようになったのならば。
その義務と役割の先にあるのは、その人生はその人のものである筈なのに。
「私達孤児は『DA』に救われて、ここで育てられた。
「……それって本当にやりたいことなのかな?」
「私達の気持ちは関係ない。貰ったから返す、それだけのことじゃねぇか」
だというのにコレである。
取り付く島もないとはこのことだろうと千束は内心辟易してしまう。
……千束からすればその点が致命的に噛み合ってないのでは、と思わなくもない。
感謝もある。古巣ゆえの愛着もある。だからこそ進んで協力する。
それがたとえ誰にも知られることのない、人の命を奪うことだったとしても。
どこで生まれ、何のために生まれたのかわからない自分に、
だからこそ――千束はたきなの現状を憂いたのだ。
「ふぅーん……たきなはリコリコに来てから変わったんだけどなぁ、すっごく」
「変わったって、あの状況次第じゃ味方が居ても機銃掃射しそうなやつが?」
「あ、それと似たようなことはやります」
「やるのかよ……」
たはーっと気楽に告げる千束に、フキは元々吹っ飛んでいた頭のネジが更に外れたか、と勘潜る。
もっとも、機銃掃射を真正面から回避しそうなリコリスなど未来永劫、彼女一人だけだろうが。
「ま、元気そうなら何よりだ。アイツが一緒に本部へ来た時はてっきり、お前やあのバカと一緒にいるのが嫌になって本部復帰を望んでいるのかと思ったわ」
「……それは……ええと…………ソンナコトナイヨ?」
「……オイ待てコラ。ひょっとしなくともお前、たきなに関して何かやらかした後だな?」
「撤収!」
「あ、逃げんなコラ!」
脱兎の如き疾走を披露する。そこには検査の疲れなど微塵も感じない。
びゅんと飛ぶ様に次の検査項目を実施する場所へと移動した千束の表情にはやっべ、といった内心がありありと浮かんでいる。
そして伊達にファーストリコリスとして名を馳せていないフキが、そんな彼女の変化を見逃す筈もなかった。
「はぁっ、はぁっ……結、局、検査全部終わるまで頑なに話さなかったなお前っ……」
「そういうフキは滅茶苦茶食い付いて来たねぇ。こっちが疲れた」
「だったら息の一つくらい上げろよ……それでどうなんだ、たきなとはうまくやれてんのかよ?」
「あー……うーん、どうだろ……やれてんのか、そうじゃないような」
そしてその勢いのまま全ての検査を終え、場所は休憩スペースへ。
肩で息をしながら気丈に振る舞うフキと、消耗など知らんとばかりに平然としながら、どこか煮え切らない態度で千束は話を切り出した。
「店でもリコリスとしての仕事でもさー、カナメくんだったり私の役割を率先してやってくれるんだけど……最近では特にそれが目立ってる気がする」
「やりたいこととやらを優先した結果なんだろ。ばっちりお前の影響受けてるじゃねぇか」
「いやいや、私だけじゃないから。どっちかってーとカナメくんの方が強烈に焼き付いちゃった結果というか――いつの間にか無理して真似するようになっちゃった」
――――たきなは、たきななのに。
軽く、それでいて平坦に。変わらぬ調子で最後に呟かれたその一言が重く、疲れを押しのけてフキに圧し掛かる。
二人きりの休憩スペース。飄々と、何も悟らせない彼女の赤い瞳は、相変わらずどこを見ているのかわからない。
しかし、フキも伊達に彼女の一〇年以上腐れ縁をやっているわけじゃない。
錦木千束は本音を言わない。
素直なようでいてそうじゃない。夢を見て、理想を追っているようで、誰よりも現実の理不尽さと残酷さを理解している。
もっと言うなれば、リコリスの中で誰よりも
加えてそれが自分以外の誰かに降りかかるくらいなら、自分が我慢できてしまう生粋のお人好し。
だからフキには、この目の前の少女がどれだけの想いで『DA』から飛び出したのかも、納得は出来ずとも理解していた。
そして、だからこそ――。
「……憧れ、とかか?」
「そんな単純かなぁ……楠木さんも他のリコリスの皆もカナメくんを持ち上げてばっかだから、だーれもカナメくんの危なっかしさに気づかない。私からすればカナメくんは無防備過ぎて見ててハラハラするんだけどな」
「そりゃお前から見れば誰だって危なっかしいだろ」
――フキは少し、戸惑った。
閃光みたく一瞬だけ光って消えてしまいそうな少女が、自分が生きる理由以外に執着するその姿に。
閃光とは瞬きの間に消えるモノ。
そこに考える暇などない。眩く光ったと思えば、その光源は網膜へ鮮明に焼き付いた残像としてしかこの世に残らない。
それはきっと――十年前のあの日、自分の目の前から消えた時と同じ。
誰も掴めず、掴ませることもない。
説明もなければ別れの言葉もない。後悔なんて足を止めるようなことなど以ての他。
そしてそれを本人は全く嘆いていないのだから、なんとも可愛げのない。
そんな大馬鹿を人間として真っ当に接することが出来るのはそれこそ――ソレに並ぶ大馬鹿にしか出来ない。
「……なんだそれ。お前らしくもねぇ。あのバカもいるのに何がそうさせんだよ」
「さっきから思ってたけどカナメくんのことバカって言うのやめない?」
「察してる時点でお前もアイツがバカって認めてるようなものだからな?」
あ、やんのかコラ。そっちこそやんのかコラ。
そんな感じのやり取りが一時的に展開されるが、それもこれも話題に上がった男の普段の振る舞いが九割がた悪い。
特に千束からすれば、死にかけた癖してケロッとしながら死体同然の状態で治ったフリをするような男である。この評価も仕方のないことと言えよう。
――そして何よりもその点こそ、フキがその男を『不気味』と思う理由でもある。
「ま、お前が二人を預かるって決めたんだ。責任もって面倒みろよ。どんな形であれ、お前ら二人を慕っての行動なんだかろうからよ」
「カナメくんどころか、たきなを持て余してた人がなんか言ってる」
「お前こそ現在進行形で持て余し気味だろうが……! 言っておくが、責任ってのはそれだけの意味じゃねぇぞ」
フキもなにもこんなことをお節介で口にしているわけじゃない。
フキだって情に厚いリコリスだ。折角できた『同僚』へ、暗い感情を率先して向けたいとはとてもじゃないが思えない。
だが、それでも考えてしまうのだ。
「ふーん……と言うと?」
「たまたまアイツのカルテを見る機会があったんだが……とても一ヶ月で復帰出来る様な怪我じゃねぇ。たとえアイツの父親の遺した技術提供があったとしても――不自然だ。その技術も、アイツ自身も」
フキから見ても
人格的な意味でなく、なすことの大半を善い方向へと持っていくタイプの人間んだ。
だがそれは『異常』だ。
彼の姿勢は『組織』としては褒められるべきことである。
戦場における生存のアベレージの全体的な向上。サードを含んだリコリスへ教授できる戦闘技術の一部継承。それらの結果を僅か半年で生み出す『此方側』への適正の高さ。
結果を出し、組織に貢献し、それらは上層部に限らず他の人員にすら影響を与えた。
それはどこかの
そして誰も思うまい。
否、誰が思うだろうか。
その行動の全てが――ただただ錦木千束のためだけに行われていることなど。
「今でこそ、アイツは『DA』に尽くしている。あの善人がどうであれ殺人に関与する組織へ手を貸すのは、お前がいるからに他ならない――あとは、言わなくたってわかるだろ」
「――フキの意見はどうなの?」
ひしりと眼前の圧が強まる。
フキの隣に陣取る千束は、その飄々とした態度を崩していない。
どこまでいっても掴み所のない。いっそどこか笑ってすら見えるその表情は、真っ直ぐにフキを見据えている。
「決まってる――お前の『終わり』が来る前に、アイツとの関係にはケリをつけておけ。このままだとアイツは関わんなくていい世界に関わり続けることになる」
「それで『責任』か――それが、本部全体が殺気立ってる理由だったりする?」
「――――っ」
平然と抉り出された『核心』に、フキは思わず息を呑んだ。
見えない圧が重力となって彼女に圧し掛かる。
しまった、と思った頃にはもう遅い。
千束の放った言葉から否が応にでも感じ取れる確信。二人きり、味方がいない状態で対峙する『最強』の片割れが隣にいるという状況は、否が応でも緊張が迸る。
「だいたい、まだ質問に答えて貰ってないんだけど?」
「……言っただろ、私はお前にアイツを拾った責任を――」
「それはリコリスとして、私に対してフキがやるべきと思ったことでしょ。私が聞きたいのは、
「――――んなこと、言われても」
だがそれでも、此方を慮る千束の振る舞いに、いよいよフキは言葉を失う。
「昔っからフキは変わってない。同じ戦場で立っている仲間はほっとけない、でしょ」
「……」
「そこに、カナメくんは入ってないんだ。薄情だなぁフキは」
「ッお前――!」
いきり立つフキに連なって白熱する空気。
それをまるで面白いものを見るかのように、僅かに微笑み染みた表情さえ浮かべる千束に、フキはいよいよ掴みかからんとして――。
「――――久しぶりだな、千束」
――そしてそんな空気は。
「楠木さーん、こっちこそ久しぶり。えーっと、カナメくんの切腹以来かな?」
現在の『DA』の元締めたる楠木の登場によって打ち破られた。
「リコリスとしての務めは果たさないのに、ライセンスの特権は欲しいんだな」
「『DA』からの仕事もそれなりに請け負ってるじゃないですか」
「竜胆がお前の代わりにな。お前よりどこまでいっても部外者でしかないアイツの方が我々に尽くしているとは、嘆かわしいことだ。少しは責任とやらを感じたらどうだ?」
「カナメくんを見つけたのは私なんだし、カナメくんの実績も半分私の実績ってことにはならない?」
「――っおい、やめろ千束! 司令の前だぞ!」
先程の空気にあてられてどうにか復帰したフキは、千束の隠す意図がまるでない慇懃無礼さを見て止めにかかる。
だがそんな彼女へお構いなしに千束はずかずかと楠木へ詰め寄り――。
「――――そうだな、眠っていたアイツを
――その言葉に、流石の千束を歩を止めて聞き入った。
「……どういう意味です?」
「そのままの意味だ。アイツは一般人などではない。いや、正確に言えば何らかの形で
「……カナメくんが『リリベル』、ってこと?」
「いや――奴の出自に関わる存在は我々より遥か前に存在していた」
それが指し示す事実はつまり――。
「知りたければついてこい――竜胆要人は、十年前あの『旧電波塔事件』と関わっている」
――――竜胆要人と錦木千束はもっと以前から接触していた可能性であった。
今回はここまで。
感想、誤字報告ともにあざます!
次回「反転」