泣く泣く展開を削る作業ゆえ、少し遅くなりました。
「ウソでしょ」
朝の六時半ば。人も学生もまだ少ない時間帯、本格的な衣替えを迎えてしばらくの十一月に入りかけているこの時期の起きがけというのは、少々肌寒い。
先日の銃撃事件。
普通に生きていればまず体験する事はないであろう事態に巻き込まれようとも、僕が学生であることは変わりない。
こうして学ランに袖を通せば肩の傷は隠れるし、携帯端末の画面を覗けば――先日の事件はまるで
だからまぁ、何というか。いつも通り過ぎて正直なところ拍子抜けしていたのだ。
風に火薬の匂いが混じる事も無ければ、物騒な銃声が耳に響き渡ることも無い。穴が空いて血まみれだった制服もすっかり元通りで、ぼんやり今日の授業と昼飯の弁当をどのおかずから食べるか考える。
そんな普段通り、いつものありふれた人気と光景がそこにはあった。
……そう、その見慣れた光景に『ソレ』はいたのだ。
「あ、おっはよー!」
――厳密には、そこには制服の天使がいた。
今日もその明るさに元気が装填されるが、何より重要なのは『服装』だ。
その装いは見慣れた赤い着物でもなければ、先日戦闘を繰り広げた赤い制服でもない。
金髪よりの白い髪はその装いと合わせたのか、つむじが見える程度に一束で纏められており、いつもとは違う印象とその容姿の可憐さをいっそう引き立てていた。
それは言うなれば、錦木千束・JKスタイル。
銃を持たず戦わず。物騒な武器や世界とは無縁な、ただの女の子として過ごしていれば、きっとこんな姿を日常的に拝んでいたことだろう。
「お――おっふ」
「?」
ずがん、とまるで重機でどつかれた様な感覚が奇妙な断末魔となって出力する。
まさしく脳が痺れるが如き景色にしばし彼女が学校の憧れの的として学生生活を謳歌する存在しない記憶が流れ――――反動が表に出る前に目を逸らして来た道を戻った。
端的に言うと、似合いすぎて僕の脳が破壊された。
「うぉーい、なんで帰ったー? どうして目を逸らしたー! 千束さんが制服を着てるんだけど! すこれ、すこれー!」
「ちが、すこる、じゃなくて! 錦木さん、僕の脳を護る為だ。悪く思わないで。錦木さんの制服姿を処理するのにこの脳は最適じゃないんだ」
「え、もしかして私、本当に似合ってない、かな…………そっか」
……む。これはよくない。
こっちが照れくさいだけで彼女が傷つくのは頂けない。
何をやってるんだ、僕は。
女の子が明らかにいつもと違う雰囲気と服装で自分を待っていたというのなら、まず言うべきことがあるだろう。
無遠慮と思いつつも、ずかずかと不安げにその赤い瞳を揺らす錦木さんの下へ詰め寄り、畏れ多いが彼女の肩に手を置いて向き直った。
それは奇しくも、いつぞやの夜の光景と酷似していた。
「似合ってる。超似合ってる。今のはこう、見慣れなくてめちゃめちゃ照れくさかっただけなんだ。髪も制服に合わせて一つに纏めてるのも凄く似合ってるし、ぶっちゃけ見ているだけで僕は幸せ――」
「えぅ、す、ステイ、情報量で圧殺するのはやめろー。千束さん、ちょっとおかしくなりそうだから」
「わかるまで言うよ、僕は」
「わかった、わかったから……その、周りの人見てるよ竜胆くん」
「………………ウス」
そして、お互いに硬直した。
気づかぬうちに声でも大きくなっていたのか、周囲にはなんだなんだと言わんばかりに幼稚園児やら親御さんやら、学生やら会社員やらが僕たちを遠目に視線を送っていた。一部からは黄色い声も聞こえる。
多分、僕の顔は真っ赤になっているに違いない。目の前の錦木さんも同様である。
取り合えずこのままというワケも行かないので、俯いて赤くして袖を引っ張る錦木さんのなすがままに、学校を目指した。
――と思ったら、僕の耳へ顔を寄せてきて。
「――――嬉しかった、ありがとう」
「――――」
――マズイ、落ちるぞ。
息遣いすら拾えるその距離で、そんな男にとっては特大の爆弾を声に乗せてきた。
流し目で錦木さんを視界の隅に捉えるが、真っ赤にしたむき出しの耳しか見えずその表情は伺い知れない。
…………ホント、いやホントに! マジでそういうところだからな君ィ……!
「…………いや、ほんとに……なんでさ。なんでなのさ楠木さん」
――――あの銃撃の夜。
まぁつまりは先日の出来事なワケなんだけど、そこで錦木さんの『上司』に会ったのだ。
そこで僕もそりゃあ、怪我やら未知の事態やら。てんやわんやになった一般人の頭なんかとっくにキャパシティを超えていたことが理由なのか。
僕もどこか……ノリが可笑しかったのは覚えている。
で、色々あって執行されたのが。
「僕を囮に陽動作戦ってことで詳細を聞かなかったらコレって……まさか学校にまでついて来るなんてなぁ……」
本当に何を考えているのだろうかあの女性は。
赤い髪と冷ややかな視線が浮びあがってきて、錦木さんの唐突にこの頭はその原因となった出来事を記憶から探っていた。
具体的には、くだんの夜における事件の後始末の為に『DA』の本部で尋問を受けたことから、この世にも奇妙な事態は始まっていたのだ――。
◇
あの後の展開は迅速だったが、同時に異様でもあった。
何って、車に乗った錦木さんと同じ様な服装をした女子高生があの現場に駆け付けてきたのだから。無論、錦木さんの様子を見るに彼女らもまた普通ではないのだろう。
そして錦木さんと駆けつけた人たちと紆余曲折あった。一般人がどうだとか、尋問だとか物騒な内容が飛び交いながら。
そして現在――僕は東京の山中付近にある社長室っぽい場所へと連れ込まれていた。
「――以上が我々『DA』、ひいては実働部隊『リコリス』の活動方針です」
「ええと、ありがとうございました。すみません、治療までして貰って」
「それも我々の仕事ですので」
秘書っぽい美人な女性が僕の目の前に展開された資料と同じものをぱたんと閉じて、沈黙する。
この日、僕は自分の故郷に隠された多くの事実を知った。
リコリス、DA――ここ十年近くで取り沙汰されている日本の犯罪抑止力を証明するその正体を目の当たりにしたのだ。
そのために、リコリスという戸籍を持たない孤児を利用している事も。
そのために、女も子どもも関係なく率先して前線に立たせる存在である事も。
そのために、錦木さんが身分を偽って銃を握らざるを得ない状況があった事も。
そして――――そんな世界で僕は能天気に過ごしていたという自分の現状も。
……まぁ、今はそこに関しては別に良い。そのお陰で、僕の命は未だに奪われずにいる。
そこに文句をつければ、命を張って助けてくれた錦木さんへの侮辱になってしまう。
そしてそれよりも今は。いや、それも凄く大事なことだけど、今はそうじゃない。
「質問いいですか」
「なんでしょう」
「被害者って言えばそうなんですけど……どうして僕に此処まで詳細を?」
「それは――」
「――それは私から説明しよう、竜胆要人」
そして件の女性が、黒い長髪女子学生――リコリスと一緒にやって来た。リコリコに帰ろうとした僕と錦木さんを呼び止めた、白いコートの女性である。
その姿は何というか、傷んだ刃を彷彿させる人だった。
赤が混じる茶髪に男とも女とも取れる全体として中性的な容姿。その飾りっけの無さは、とてもあの錦木さんの上司とは思えない。
半目で此方を覗いてる黒い瞳は此方に意図を読み込ませず――同時にそれ以上踏み込ませない妙な圧を感じさせる。
やがて秘書が立ち上がって一礼をして退くと、今度は彼女が僕の目の前の白いソファに腰掛けた。
背筋が綺麗ですね、などと場違いながら思ってしまう。
「改めて、楠木だ。リコリスたちの司令を務めている」
「はい、竜胆です。姿勢が凄く綺麗ですね……じゃなかった、すいません」
「……気を楽にしろ。それとも傷がまだ痛むか?」
「いえ、痛み止めが効いていてこの通り――すいません普通に痛いです。あ、座る姿勢が綺麗なのは本当です」
「…………本題に移るぞ」
あ、今ちょっと調子崩れたな。
少し面白くなってしまったので会話を続行しようとしたが――側近に仕える黒い長髪のリコリスの子が武装しながら殺気立ったのを見て、大人しくしている事にする。
「端的に言おう、お前は狙われたのだ。それもそれなりに腕の立つ傭兵たちにな」
……それなりなんてレベルだっただろうか、アレは。どちらかと言うとどっかで因縁を作って、相当な事をしなければ頼めない様な雰囲気だったと思う。少なくとも僕からしてみれば。まぁ、僕自身が業界未経験なのだから何とも言えないだろうが。
なので、僕自身が理由ではない。
となればその他に狙われる理由と言えば――。
「やっぱり、父が理由でしょうか」
「それは此方でも目下調査中だ。だが高い確率でお前の父の研究成果を狙ったモノだろう。名は確か――
――
何を隠そう、僕の父の名前である。別姓の理由は……なんでなんだろうなコレ。
ただまぁ、知る人ぞ知るというべきか。
曰く、生物学会の変わり者――とかボロクソに言われていた。医療やら生物学やら、正直言って何を専攻にしている学者なんだと言わんばかりに手広くやっていたとは思う。証拠の論文も書籍もネットに回っているが、それ以上の事は伺い知れない。
ただまぁ、
「……お前の父親に関しては気になる謎がいくつもあるが……今回の問題はそこではない。護送中の下手人の身柄に関して、少しマズイことになった」
「……まさか逃げたとかではないですよね?」
だとしたら、相当ヤバいのではないか。
何より僕が生きているということが確認されている事になる。
嫌な予感がしつつも聞いてみるが、返ってきたのは無情な首肯だった。
「そのまさかだ。別動隊だな、今回の手合いはどうにも慎重だったらしい。千束が撃った獲物と――ああ、お前が殴り倒した獲物を回収しに、クリーナーが襲撃された」
……それって大丈夫なのか。
錦木さんの組織への信用は、無いわけじゃない。
だが今回の襲撃の規模から考えて……ハッキリと言えた事じゃないが、あの男たちは任務であれば何が何でも達成してきそうな、そんな仕事人としてのプライドがある人たちだと感じたのだが。
――それが、少なくとも錦木さんやその周囲で危険を振りまこうとしている。
「――まさか」
「話が早いな。竜胆要人」
「それは、アレだけの目に遭いましたから」
感心する様に一言添えると、楠木さんは広げていた資料を一瞥して。
何となく、室内の空気が緊張する。
それが僕によるものなのか、あるいは目の前の女性から発せられるものなのか。まるで、いや間違いなく此方を値踏みする様な視線を送って。
何気なく、その言葉を放つ。
「ことは簡単だ――お前には、我らの作戦の囮になって貰う」
それはつまり――僕の居場所の全てが戦場へと転ずる可能性と同義だった。
「――だぁーッ! 駄目に決まっているでしょ楠木さん!」
で。
そんな雰囲気をぶっ壊してドアが壊れるんじゃないかと言わんばかりの勢いと感情をむき出しにして突入してきた錦木さん。だが生憎と、ずかずかと楠木さんに詰め寄るその様は、リコリコで見るいつもの錦木さんの姿と相違ない。
……正直なところ、錦木さんが割って入ってきてくれて本当に助かった。
今になって理解させられる。
楠木さんはいざとなれば僕を犠牲にしてでも今回の仕事を完遂するつもりであり、詰め将棋の様に僕を利用できる口実を作るために着々と外堀を埋めに来ていたのだと。
もう少し話が進んでいたらどうなっていたことか。危うく二つ返事で了承する所だった。
……僕を利用しようとしていることは、この際別に良い。
滅茶苦茶怖いし、何か別の意図を感じたりしなくもないがそれも今は特段問題ではない。
だが問題は、どう行きついても僕は一般人だ。それを囮にするとなれば、それだけ巻き込まれる無関係の人が増えるって事だ。
だけどそれを楠木さんは、あまり問題視していない様に見えた。
「竜胆くんは普通に護衛対象でしょっ! というかお得意の『ラジアータ』はどうしたのさ!」
「千束、待機していろと命じた筈だが」
「ざ~んねん。彼を助けたのは私ですぅー。なので私には彼の安否を最後まで確認する義務があるっ! なんで勝手に作戦に組み込んでるんですか楠木さん! 彼、純正の、一般ピープル!」
「命令違反に加えて盗み聞きとはな。そもそもだ」
錦木さんの言い分に、楠木さんが耳を貸す様子を見せない。
それどころか心なしか錦木さんを責める様な視線が込められていて。冷ややかな声には、先ほどまであった人間味が希薄だ。
まるで――思い通りに動かせない機械を無理やり動かそうとしているみたいに。
「お前が彼を巻き込んだという事を理解しているのか」
「うん。だから、私が責任を持って護衛を務める」
「そうか。で? それはいつまでだ。そも、此処まで巻き込まれてこの一般人は果たして普通の生活を送れるか?」
「いやぁ、今回は随分と痛い所を突くねぇ。楠木さん、私のファンじゃなかったけ?」
「茶化すな」
そして――この人の狙いを理解する。
要は僕をダシにして、どういうワケかリコリスとしての立場が宙ぶらりんな錦木さんを自身の手元に引き戻そうとしているのだ。
なるほど、これは確かに僕たちにはない『大人』な発想だ。
だが……それにしてもやけに錦木さんに冷たいな、この人。
というかそこはまず、僕がどう思っているかを聞くべきだろうに。
「今回の件でお前を『DA』の本部に戻すべきだという意向が強まっている。僅かとは言え『ラジアータ』の介入を掻い潜り、我らリコリスの追手を振り切る手練れを取り逃がした。だがそれは、お前が『DA』に居れば防げた筈の事態だった」
「えー、それはこじ付けが過ぎるでしょ。それをもっと前倒しして防ぐのが楠木さん達の仕事じゃん。ぜーんぶAIに頼ってるからそんな事になったんじゃないのー?」
「ではどうして彼は、肩を撃ち抜かれ死にかけた?」
――おい。
楠木さんの言い分に思わずそんな無礼極まりない声が出そうになって、震える喉を歯を食いしばって抑え込んだ。
錦木さんの上司というのなら、それくらいわかる筈だろう。
少なくとも、日本を護るリコリスという少女たちを統括する者なら、わからなきゃおかしいだろう。
彼女が軽口を放つたびに、錦木さんが辛そうにしていることくらい。
「九年も経った。もう頃合いだろう――いい加減
――――は?
「それともなにか。お前のごっこ遊びに、何も知らない一般人の命を天秤にかけるつもりなのか、お前は」
――――あ、駄目だコレ。
燻っていた感情が、今の楠木さんの一言によって一気に火が付いた。胸の辺りで見えない熱が頭に到達し、やがて弾ける様に僕の感情を真っ赤に染め上げてくる。
端的に言うと、その言い分が凄く頭にきた。それもかつてない程に。
確かに組織としての行動において錦木さんは間違っているのだろう。
荒事において、何事においても殺す方が容易い。生きているという何よりも代えがたい証明を消し去り、辻褄を適当に合わせる。
それが『DA』のやり方だった。それが何も知らない、何も得る事を許されなかった女の子が自分の『居場所』を得る、唯一の方法だったんだ。
けど――だからこそ、なぜ錦木さんがそんな扱いを受けている事を受け入れられない。
殺しの技術を教えられて。それが生きる術だと叩き込まれて。
それ以外の選択を出来るということが、どれだけ難しいことか。
命が紙幣や硬貨より軽いこの世界で、誰かの命を大事に出来る存在がどれだけ周囲の人を助けているのか。
お前たちは、少しでも知っているのか。
「――楠木さん、発言いいですか」
「……なんだ、竜胆要人。私は今お前の今後の扱いをこいつと――」
「いえ、確認したいことが。貴女は僕を口実に錦木さんを此処に連れ戻そうとしている」
「ほう……何もわかっていないようで要点は抑えているか。意外に冷静じゃないか」
「それはつまり、錦木さんがリコリコから居なくなると」
「ちょ、竜胆くん――」
「そうだ」
ということはつまり。
「――錦木さんが、殺人をすると」
「――そうだが、お前に何の関係がある?」
そうか。
いや、十分だ。
錦木さんが命を懸けて僕を助けたんだ。それがたとえ彼女にとって日常茶飯事だったとしても、それに相応しい返礼は僕が用意しよう。
故に僕の答えは、決まっている。
「――――」
――――机の下に仕込んであったナイフを引き抜いた。
部屋に仕込まれた武装。
このソファーも。楠木さんのコートの裏も。あの社長イスやデスクにも。
そしてそれは当然――この机の下にすらも。
きっと、この部屋における戦闘を想定したものなのだろう、手入れが行き届いた鋭利な刃物が表情の消えた僕の顔を鮮明に映しこんでいた。
正直な所、怖くてたまらない。
しかし不思議と、こんな風に刃物を使うなんて初めてだというのにナイフを握る手は酷く馴染んでいる。あの弾を回避できた錦木さんなら、僕のことを取り押さえられた筈なのに、誰もこの空間において僕の動きに反応できずにいる。
それこそ手慣れたペンを持つ様な身軽さで、穂先を『自身』へ向ける。
そのまま僕はそのナイフを――。
「え――?」
――
「がッ…………あぁぐ――――――ッ!」
――――痛い。
焼くような熱が初めての痛覚となって、その冷徹な金属の穂先を伝ってくる。余程うまくいったのだろうか、刃は柄に至る部分まで綺麗に肋骨の隙間を貫いていていた。
銃で撃ち抜かれた時とはまた別の痛みが、鋭敏になった神経を焼いている。
うん、我ながら狂っている。
そんな僕の凶行からすぐに復帰したのは――見た事ないくらい顔を引き攣らせている錦木さんであった。
「う、ううん、そうじゃなくて血、竜胆くん血がそんなに出て、治療したのに何で……!」
「ああ、痛い。とんでもなく痛い」
「痛いじゃないでしょっ!? ホントにバカ、早く医務室へ――」
「錦木さん」
実際、これまでのダメージの蓄積の所為で今にも倒れそうになっている。
――どうでも良い。
煮え滾る激情が、幸いして痛覚を鈍らせている。
今、この人は、楠木さんは。
――――錦木さんの人生を冒涜したんだ。
「錦木さん、大丈夫」
有無を言わせず羽を押す様に錦木さんを押しのけ、黒髪のリコリスが護る楠木さんを、腹にナイフを押し付けたまま真正面から見据えた。
心なしか、赤く染まる視界が捉えるその姿が今はどこか小さく見える。
「――――楠木司令」
自分でも驚くぐらい低い声が出て、少し驚愕する。
こんなに怒っているというのにどこか冷酷な響きを孕んだソレは、我が事ながらどこか不気味だった。
「……それがお前の本性か」
「いえ、さっきも今もどっちも本当の僕です――取引しましょう」
――――更に激痛が奔った。
自分が思っているよりもヤバい所でも刺したのか、おおかた腹の大きな血管でも切れたのか。血はどんどん学ランに血染めを広げていき、弱めの噴水みたいな出血を繰り返している。こうなるんだったら、もう少し考えて刺せば良かったか。
だけど自分を担保にするっていうのは、こういうことだろう。
これまで体を張っていた錦木さんや、目の前のリコリスと同じだ。
特に何の後ろ盾もない僕みたいな一般人が懸けられるモノと言えば、この命しかない。
つまるところ、これは僕がぶっ倒れて死ぬ前にこの交渉を終えられるかという自分自身との戦いだ。
「僕は、恐らくDAすら知り得ない情報を持っています」
ぶっちゃけ、痛みが酷すぎるので今のところ口から出る言葉は勢いに任せたモノだ。
だが錦木千束という組織における一大戦力にして問題児が晒した隙であり、口実である僕が割腹自殺を行うというのなら、ギリギリ交渉の材料には成り得る筈だ。
なにせ、たとえ僕が助からなくなったとしても錦木さんとDAの対立は決定的なものとなるのは間違いないのだから。
「恐らく調べはついていると、思われますが、僕の父は、評判はともかく医師としての側面が存在している――ゴホッ」
どうやら胃辺りの内臓にまで届いていたらしく、嘔吐感のまま咳き込んだ血が抑え込む手を真っ赤に染め上げた。
口内に満ちる鉄臭い香りに更なる吐き気を感じつつ、楠木さんと会話を続ける。
「かつて唾から採取できるてい、……ッどの、DNAから、父は僕だけの特効薬を作りました」
「……続けろ」
「それは擦り傷などの外傷だけでなく、内臓のダメージにも及びます――これは父の晒した研究成果の末端の末端に過ぎません」
意識が朦朧としてきた。視界が赤と白で明滅し、ただ抑え込む怒りだけがこの使い物にならなくなりそうな体を突き動かしている。
だが思考もハッキリしないその頭で――ふと、場違いながら理解した。
――――父はきっと、これらが理由となって姿を消したんだと。
感慨はない。感慨はないが……父のやったことを人の為に活かすことが出来ると知って。
この十年に、価値と意味をあったと実感できて。
ほんの少し、勇気と安堵が湧いた。
「――――あれ」
「竜胆くんッ!」
ぐちゃ、と自分で作った床の血溜まりに膝から体が沈む。
生命危機によるものか、額から滲んだ冷や汗が目に入り視界が濁った。腹部からは相変わらず尋常じゃないレベルの痛みが迸っているが、まだマシだ。
もはや涙目の錦木さんにはホントに迷惑をかけるが、それでも今は我慢して欲しい。
だって――錦木さんが生き辛くなるより、何千倍も良いから。
「い゛や、まだだッ……リコリス独自の情報として――これを出来る限り、提供します」
「……なんだと?」
「僕は一般人ゆえ、この技術と情報を活かす術を持たない――では貴女がたリコリスなら、どうです」
先の説明から『DA』が一枚岩じゃないことは明らかだ。
情報の独占。リコリスの生存率のみならず任務続行におけるあらゆる確率の上昇。
今は僕に作る技術が無いのでどうしようもないが故に宝の持ち腐れだが――どうせいつか奪われるものだというのなら、錦木さんに利がある方が何倍もマシだ。
いつか間違えるかもしれないけど、彼女なら正しく使ってくれる。
――――意識が薄れてきた。
……マズイ。これは本当にマズイ。この痛みを感じ取っている筈なのに、こうして意識が闇の中に向かおうとしているということは、本当に体が限界を迎えている証拠だ。
これ下手したら、肩の傷より深いんじゃないか。
「だから――錦木さんのDA復帰を、撤回して下さい」
それが僕の願いだ。
媚びる様な事はしない。カードは全て切った。あとは、この意識を失いかけている体くらいなもの。
あとは、楠木さんという人間を信じるしかない
「――――さ、あ。答えを、どう、ぞ」
そこから先の答えを、まだ僕は知らない。
だって――それを聞く前に意識が完全に落ちたのだから。
本来の学生服の千束みたくない? ってことで生まれた前半のシーン。
千束が割腹自殺をギリギリまで止めなかったのは、彼女なりの彼への信頼の形の一部だったり。
評価、感想ありがとうございます。
型月タグの追加に関して
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賛成
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反対
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どっちでも良い