『良い名前を、思いついたんだ』
――――それは自分以外の、
自分のものではない、僕が見たものではない。いつかのどこかで、誰かが大事にしていたものを、僕は見ている。
そんな確信があったのは、その声の主が聞いたことのない女の声だったから。
その光景が、昔の自分じゃ生み出せやしないと知っていたからに他ならない。
穏やかな語り口は、どこか荒んでいた胸の内がみるみるうちに染み渡る。
ここじゃないどこか、綺麗で届かないからこそ感じる憧憬を肌で感じ取った。
落ち着きを持つソレが放つ言葉を一字一句見逃さんと言わんばかりに、理由もわからず聞き入っている。
――自分が何をしたのか、考えもせずに。
「
「――――、!」
――そして夢と現実が反転する。
重い目蓋から僅かに開けた視界が光を拾う。
顰めるまでもなく、鬱陶しくもなく。薄く白に眩くその場所が――もはや何度世話になったかわからない病室であると理解した。
「……」
清浄さ以外を取り除いたかのような白の殺風景に、計器が自分の身体の状態を規則的に観測している音だけが無機質に響き渡った。
体にはいくつも点滴が刺さっていて、右腕はあろうことかギプスによってぎちぎちに固められている。とてもじゃないが手のひらの調子を確かめることなんて出来そうにない。
おおよそ人の気配が排斥されたその場所を。
まるで隔離された檻のようだなと、漠然と感じ取った。
「なん、……だ」
言葉を出そうとして、それが上手く紡げないことに言葉を発してから気づかされた。
おそらく眠っていたのだろう。だがどれくらい眠っていたのか、どうにも体に上手く力が入らない。
というより、こうして覚醒していると言うのに意識さえ希薄だ。
寝起きのソレとは違う。怪我によるものかと言われればそれもまた否。
「本部……か……?」
……駄目だ。自意識が曖昧だからか他の感覚すら上手く機能していない。
それになんというか、酷く疲れている。
このままもう一度深い眠りに落ちてしまいたいくらいに、肉体の疲れに脳がどうしようもないほど追いつかなくなってしまっている。
それこそ、このまま眠いっていれば良かったんじゃないかと思うくらいには。
「……いや」
――だが、それを。
――――心のどこかで絶対に許さないと言う自分がいた。
「……、えっ、と……虎杖司令が、執務室にいて、それで――」
たきなを、助けようとしたんだ。
反芻する記憶はどこもかしこも虫食いだらけ。穴が空いてるから、思い浮かべたところで頭の中に留まる筈もない。
だから……そこから先の出来事が、どうしても
覚えてない。
覚えがない。
覚えてる筈がない。
ただ、虎杖司令が見せてきた『剣』に酷く魅入られて。
そこから、
だから。
『DA』の本部内を滅茶苦茶にした『悪夢』も、全部夢で――。
「ゆ、め……?」
自身が口にしたことの、あまりもの現実感の無さにそんな言葉が零れた。
……否、そんな筈はない。
あの血の匂いが。あの感覚が夢である筈がないのだ。
だけどそんなこと、あってはならない。
あの剣だ、あの剣を握った時から、自分の中の全てが狂ってしまった。
あの剣に蓄積された技術、経験。その全てが僕の中にあったもの全てを引っ繰り返した。
意識の表層に辛うじて張られていた竜胆要人としての価値観、外殻さえも引き裂いて。
ただひたすらに、目の前のものを壊さなきゃって思って、それで。
僕は――自分の大事なヒトを貫いたんだ。
「――千束、は」
ベッドからおりてひたりと、冷ややかなタイルの上を素足で歩く。体に触れる点滴も計器もぶちぶちと全部抜き取って、ただ出口を目指す。
行先なんて知らない。
ただ、ここではない場所へ。
千束が、居るところへ。
未だに霞み朧げな意識が彷徨う先は、唯一の温もり。
自分にとっての救い。
けれども、此処にいるのは自分だけ。
誰もいないこの場所に、救いなんてあるわけがない。
元より救いとは他者によって行われるもの。己の救いとは、
自分勝手、独りよがりの自己満足に過ぎないソレは、己には過ぎたるものだ。
だから――少しでも、千束の為になりたかったのに。
それを、そんな彼女を僕は――。
「、……たきな、は」
浮かび上がった最悪を否定するように、その名を口にする。
それはもはや親に縋る子どものような戯言。不安でどうしようもなくて、追い詰められた末に絞り出した安堵の言葉。
だが手を伸ばした所で、ここには誰もいない。
誰もいるワケがない。
誰も、いつ爆発するかわからない危険物になど近寄りたがる筈もない。
それがこの本部で何が起きたのかを如実に証明していて、そろそろ事実を見据えないのも苦しくなってきてしまった。
途端――色々なものが流れてきた。
「う、」
――虎杖司令を斬り刻む自分。
――リリベルと名乗った少年兵を斬った自分。
――――たきなの首を握り絞め殺しかけた自分。
「うゔ――」
――立ちはだかるリリベルの部隊に斬り込む自分。
――僕を止めようとするリコリス達に剣を向ける自分。
そして最後――千束を刺し貫いた自分。
「ううう、ゔゔゔゔぅぅ――」
自分が傷つけた人間の中には、血に濡れていない人なんて誰一人いなくて。
その中には、千束もたきなもいた。
今まで、覚悟していなかったわけじゃない。
これまで相手にしてきた敵は全員、致命傷には至らない傷を与え行動不能にしてきた。
それが敵対することの意味だという、覚悟もしていた。
自分が救けた誰かが自分を殺すことになったとしても、千束の『誓い』の為だったらそれでも良いと思った。
時々一人だった時もあったけど。
それでも僕には多くの人が傍に居てくれた。
独りじゃないって思えたから、戦い続けることが出来たのだ。
その結果が、コレか。
「僕、は――」
あり得ない。
あり得ない。あり得ない。
あり得ない。あり得ない。あり得ない。
あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。
「僕、は――」
体のどこにも力が入らない。ぐわんぐわんと、三半規管が捩じれて視ている世界が平衡感覚を失う。立つのも億劫だった体はやがて膝をついて、手はまるで許しを請う様にタイルに爪を突き立てた。
こんなの、あってはならない。
だけど現実だ。どれだけ現実逃避を重ねようと逃れられることはない。
逃れることは許されない、現実なんだ。
「――人を、殺したのか」
それは『不殺』を尊べば尊ぶほど重く圧し掛かる罪の在り処。
己の唯一の救いを――その手で傷つけたという事実は。
「ご――ぼ――」
瞬間、ソレを認識した体は胃液を逆流させる。
胃の中のものを残らず吐いた。
空っぽな胃袋が吐き出した吐瀉物は、真っ赤に染まっている。
内臓の全てを引きずりだされたかのように痛い。
白いタイルが血みどろにまみれ、掃除が大変だなんて現実逃避を脳が強制した。
「おぇ――」
息が出来ない。喉を焼く胃酸が、食道を含めた内臓を熔解させたような痛み。
あまりもの嘔吐感に眩暈すら感じる。チカチカと明滅を繰り返す視界と共に、眼球を内側から押し出すかのような鮮烈な頭痛が、意識を白と黒へと乱雑に反復した。
起きてしまったこと。
犯してしまったこと。
その全てを噛み締めろと言わんばかりに、どうしようもない嘔吐感が全身を襲っている。
「ぁ――――ぁ」
――死ね。
死ね。死ね。死ね。死ね。
千束を殺したくらいなら、お前が死ね。
たきなを傷つけたというのなら、お前が死んで贖え。
残酷に。無意味に。無価値に。
救いなんて微塵も存在しない、惨たらしい最期を迎えて。
――死ねよ、独りで。
「――目が覚めたようだな」
「……」
声がする方向へ顔を向ける。
余程周囲を気にする余裕がなかったのか、あるいは『鎮静剤』が良く効いているのか。どうやら索敵もままならないまで身体の調子を落としているらしい。
人の気配が無かったと思ったこの部屋には、あろうことか護衛の一人も傍に付けずにこの『DA』の現状における前線の司令――楠木さんの姿があった。
「居たん、ですか」
「居たさ。ずっとな」
そう呆れるように溜息を零す楠木さんの態度はあまりにもいつも通り。
己を殺しかけ、己の部下に手を掛けた偶々人のカタチをしているだけの不発弾に向けるようなものとは思えない。
……だが生憎と、今は虫の居所が悪いのだ。
とてもじゃないが、まともな回答なんて出来そうにない。
きっと楠木さんが求めているようなものなど、今の僕では持ち合わせがない。
……だというのに、楠木さんはまるでこんな僕の返答を待ち侘びるように、温度を感じない視線を僕に送っている。
それにどういう反応をしていいかわからなくて、つい口を開いてしまう。
「……どうして楠木さんが、此処に。護衛も着けないで」
のろのろと鈍い足取りは、ベッドへ向かう。
ろくな問答なんて出来ない癖に、それでも何か話していないとやっていられなくて、精一杯の疑問を言葉に捻りだす。
「このご時世だ。執務室でリモート面談というのも良かったが……生憎と私の仕事部屋が部屋として機能していない。どこかの誰かの所為でな」
「………………」
くらりと、眩暈がする。
凹凸を繰り返す吐き気に酩酊した。
楠木さんはあくまでいつもと変わらず、淡々とそう口にした言葉が静かに、まるで薬から転じた毒のように沁みる。
彼女の振る舞いがどうしようもなく、自分のしたことの現実感を帯びてきていて、言葉にならない。
ますます、どう振る舞って良いのかわからない。
こうして意識があることすら間違いなんじゃないかって思えてくる。
「……言い過ぎたな。安心しろ、見ての通り私自身に実害はない。それよりもお前は自分の心配をしろ」
「……そんなことは、」
「なら、その今にも死にそうなツラをどうにか引っ込めるんだな」
……そう言われてしまえば僕からは何も言えない。
何より、今の僕は罪人だ。本来ならば、こうして楠木さんと話す権利も持たない。いつも『DA』の手口を考えれば、意識を失った自分を人知れず殺して終わりだろう。
それをせず、こうして治療を施され生き永らえている。
僕には恩赦を与えてくれたことは明白だ。
だが、それでも。
わかっていても、口にしなきゃならない。
「楠木さん」
「何だ」
「僕を――殺してください」
それを口にした楠木さんは今度こそ、口を結んだ。
許しは請わない。許されるなんて思っていない。
今ここで死ぬことが『逃げ』であることなんて、僕が一番わかっている。
だが、それが間違った贖罪であるとわかっていてもなお。
現状で行える最大の罰を、『DA』の最高権力者であり一人の大人である彼女に裁いて欲しかった。
そうしなきゃ、僕が手に掛けた人達が誰も浮かばれない。
「残念ながら、それは出来ない」
「……、なん、で――」
「上層部より通達が来た――竜胆要人の秘匿死刑の取り消しだとな」
「……!」
「これにより我々はお前を始末する大義名分を失った……というより、上層部が牙を引っ込めた形だ。お前の暴れっぷりが余程応えたらしい」
……楠木さんの言葉が頭に入ってこない。
くらくらする。意識が飛びそうだ。酸素が上手く吸えなくて、行き場の無い感情を孕んだ頭がどうしようもなく重く感じる。
今回の一件で僕に利用価値を見出したのか、それとも自身にその刃が及ぶことを恐れたのか。
そんなこと、心底どうでも良い。
己の処遇など知ったことではない。
今はただ、生存を望まない体と理性が、死亡を許さないこの状況を許容できない。
許して、くれないんだ。
「……やはり、私だけが居て正解だったか。仮にリコリスが居れば、お前は間違いなく自死を選んでいただろう」
「……僕に渡せるものなんて、もう何も残っていないですよ」
「いや、そうでもない。まだお前にはやることが残っている」
「……! そんなのあるわけが――」
「今、リリベルがその機能の大半を失おうとしていても、か?」
その言葉に、今度こそ息を呑んだ。
未だ生存を望まない理性は残酷に感じるほど冷静に、その事実の因果を把握する。
僕が、リリベル達の頭を殺したからだ。
「なん、で――」
「具体的には、リリベルという存在が抑え込んでいたモノの皺寄せが我々にやってきた。リリベルは元々上層部と懇意にしていたんだ。一時的に挿げ替えた頭が
『DA』は一〇〇年以上の歴史を積み上げて今も存在している組織だ。蓄積した年月は決して伊達で積み重ねられるものじゃない。そのノウハウは組織の末端から一角まで根を張っている筈だ。
その指揮系統とバックアップは潤沢だろう。
だが、上層部はそうはいかない。
「良くも悪くも組織に忠実な人間が多いことが裏目に出たな。現場レベルならまだ対処が可能な事態だが、この混乱が波及するというのなら話は別だ」
「……」
「司令の不在は指揮官の混乱に繋がる。指揮官の混乱は、やがてソイツが率いる部隊全体に行き渡るだろう。少数精鋭のリコリスなら問題はないだろうが、集団による制圧戦法を主とするリリベルなら、どうだ」
「……つまり、僕は」
「今は少しでも戦力がいる。お前は、戦い続けなければならない『義務』がある」
……そして今回の一件で十分理解した。
『DA』の現状は、まさしく薄氷を踏むが如き局面である、と。
僕がまみえたのはリコリスとリリベルの対立だけだろうが、楠木さんほどの立場と権力を持てば、その権力争いはその限りではない。
この騒動とて氷山の一角に過ぎず、その危うい現状が表面化しただけなのだ。
水面下で続けていた静かな権力の取り合い合戦。それが表面化したことが、今回の騒動に繋がっている。
「――、……」
どうであれ空いた穴は誰かが、何かが埋めなければならない。
それが組織というもの。
集まり、統率し、そうして繁栄を繰り返してきた善悪を問わない人間の変わらぬ真理。
……その結果が同士討ちなんて馬鹿げた話だが、その渦中にいるのは紛れもなく僕だ。
そして生じた穴は、それを引き起こした人間が埋めるべきというのも違えてはならない道理の一つ。
「……でも」
……だけど無理だ。
今の僕には戦う理由がない。リコリス達の為に戦う為の権利がない。
仮に戦線に復帰したとしても僕は正真正銘、まごうことなき『味方殺し』だ。
必要なら、何度だって頭を下げる。どんな償いだって、出来るのなら何でもやる。
だが、そんなムシの良い話があっていい筈がない。
たとえそれが
この身体で剣を握り、誰かを殺した以上その罪の在り処は間違いなく僕自身にある。
敵も味方も。リリベルもリコリスも関係なく、自分が護りたいと思ったものすら、そのことごとくを殺し尽くした。
そんなの許されて良い筈がないんだ。
たとえそれを、誰かが許すと言ってくれたとしても。
……何より、此処にはもう千束が――。
「――死んでいない」
「……え?」
「だから、誰も死んでいないと言っている」
――その言葉に、思考も言葉も真っ白になる。
罪悪感も後悔も、今その言葉を聞いた時だけはまっさらになった。
えっと、つまり……どいうことだろうか。
だってそれは在り得ない。在り得ざることだ。
剣を握った感覚を、未だに覚えている。あの感触は忘れられない。忘れる筈がない。あの感覚を、違える筈がない。
だってリリベルの虎杖司令はあんなに、血まみれになって――
「――、――」
思い出したその感覚に、音が遠くなる。視界が真っ赤に歪む。
身を委ねた追憶は鮮明に。五感はその時の感覚を忠実に再現し、その度に吐き気を催す。
耳鳴りが世界を呑み込んで、力の入らない体ごと現実と知覚から剥離していく。
だって――千束は、僕が、この手で。
「落ち着け。ゆっくり息をしろ」
「っ――――」
言われて、息が出来ていなかったことに気づかされる。肩に置かれる手に、混乱極まって錯乱しかけてた胸の内をどうにか落ち着かせた。
己が人を害したという、正気でいれば居るほど狂いそうになる苦痛。そしてそれを許してはならないと叫ぶ理性が、罪で軋む心とひしめぎ合っている。
どんな大怪我にも勝る、決して表面化することのないこの感覚はどうあったって慣れそうにない。
「まずリリベル側だな。虎杖司令は未だに生きているのが不思議なほどの傷の影響で現在も昏睡状態だが、命に別状はない。他のリリベルも同様だ」
「……リコリス側の被害は」
「重軽傷者多数と言ったところだな。お前が手に掛けたやつらはどれも切り口が違った。誰一人として、同じ切り口が存在しなかった」
「……どういう意味ですか」
「
「……じ、じゃあ……」
楠木さんが口にするその内容に、安堵と期待から不謹慎だとわかっていながらも声が高ぶってしまう。
人を傷つけて。味方を斬った自分が烏滸がましいとは思うけれど。
それでもつまり、誰も死んでいないということは千束もたきなも無事なのか、と口にしようとしたところで――。
「だから――お前が直接手に掛けた千束にも相応の傷が与えられている」
――そんな淡い期待はいとも簡単に打ち砕かれた。
「――…………千束は、今どこに居るんですか」
膨らんだ期待と安堵が、一気に萎んでいく。
絞り出した声の、なんて脆く薄弱なことか。
聞きたくない。今すぐにでも耳を塞いで、眼を閉ざして、何もかも投げ捨てて忘れてしまいたい。
だけども、幸いなことに。
隣で僕の背中に手を置く楠木さんの鋭い視線が、そんな甘えを取り払ってくれている。
「どうする。お前も万全ではない。聞くだけなら、後でも出来るんだぞ」
「僕が斬ったのなら、僕が聞かないと」
その言葉に楠木さんはほんの少し瞠目するが、それも数える間もない一瞬だけ。
いや、それは僕が言葉を待ち侘びている影響かもしれない。
だけど、きっとロクなものではないだろう。
ゆっくりと、楠木さんの口が開かれて――。
「――はぁーい、千束が来ましたぁーーーー!!!」
――――どばーんと活きの良い登場を見せた存在によって、全てが吹き飛ばされた。
「「……は?」」
二つの素っ頓狂な声が重なる。
思考はその回転を停止し、鈍重な呼吸はその根っこからひっくり返る。
だが、無理もない。
だって此処に居ない理由が如何にも重そうな内容であろうと予想していた当の本人が、怪我など知ったことかと言わんばかりに元気な発声を以て突入して来たのだから。
「ふふん……ギリギリセーフ、って感じカナ?」
得意げな千束の声が木霊する。
今、自分がどんな顔をしているのかわからない。
嘆きも安堵も、その衝撃を前にはまっさらにならざるを得なかった。
見慣れた赤い制服に、血の気配を感じさせない白い髪も、全ていつも通り。
怪我の気配なんてどこにも感じさせない。
僕がしたことがまるで白昼夢だったのではないかと思わせるぐらいに、いつもの錦木千束がそこには居た。
だけど――僕にはわかる。
僕がやったからわかる。
いつも見てきたから、わかる。
千束だから、わかってしまう。
「……どいうことだ千束。お前の傷は――」
「だめじゃん楠木さーん。今絶対にカナメくんが弱ってるところに変な約束取り付けようとしたでしょ。詐欺の手口っすよ詐欺」
「……」
……スゴイ。
あの楠木さんがあまりの出来事に閉口している。
それは千束の振る舞いを見てのことか。
あるいは――千束が負った怪我の程度を知ってのことなのだろうか。
「……話し合いの空気ではないな」
「……そうなん、でしょうか」
「話したところで遮られるのがオチだ……それにアイツが来た以上、お前自身話し合いどころではないだろう。違うか?」
「あ、やっぱ私に言えないことしようとしてたな楠木さん」
「お前は黙ってろ千束」
……楠木さんの言葉に、それはどうなんだろうと疑問を覚える。
実際、僕に彼女へ合わせる顔なんてあるとはとても思えない。
それがわからない楠木さんでは無いだろうに。
「生憎と私もあまり長居は出来ん。残りは回復したのちに話そう――
彼女の声色が変わる。
千束もそれを察したのか、静観する構えのようだ。
「先に言ったこと、忘れるなよ。お前は、戦い続けなければならない」
「…………はい」
「……あと最後に、一つだけ言っておく」
「……なんでしょう」
「――すまなかった。我々の見通しがあまりにも甘すぎた」
……驚きは、ない。
ただ、その綺麗に折り曲げられた腰と僕に頭を向けられるその光景が、ただただ疑問だった。
なんで楠木さんが謝らなければならないのか。
彼女が僕を何らかの理由で利用しようとしていたのは知っている。
だけど、それで良いと思ったのは紛れもなく竜胆要人の意思。
だから今回の騒動も全て、僕の責任なのだ。
そして楠木さんには僕を恨み、責任を押し付けるべきなのだ。
だってこれこそが、僕が選んだ結果なのだから。
「私はまだ許してないからねー楠木さん」
「……私はカナメに謝罪をしてるのだがな」
「いや、カナメくんは私のだし」
「……お前は……いや、いい」
……そしてやっぱり、千束は凄い。
話すだけで、重苦しかった空気をこんな風に払拭できるのだから。
とはいえ、その謝罪に対して僕は償うことでしか応えられない。
だから、別の疑問を楠木さんにぶつけることにした。
「僕からも、一つだけ」
「なんだ」
「――あの剣は、楠木さんにとってなんなのですか」
僕のモノじゃない記憶と、僕のものじゃない持ち物。
だというのに、不思議と驚くほどに体に馴染んだソレ。
我を忘れるほど、どうしようもなく惹かれたソレは凄く大事なものだったのだと感覚的に理解させられた。
現存のリコリスの装備に見合わない近接武装。刃という、見る人が見れば前時代的とさえ言える武器。
それをなんというか、すごく
そんな在り得ない感覚が、僕の中にあったのだ。
「――――」
かつん、と出口を目指していた足が静かに停止する。
しばし宙を迷ったように、楠木さんの視線は何もないタイルを見据えた。
その楠木さんの背中はどういうわけか。
酷く、寂し気に見えた。
「――大したことじゃない。取るに足らん、若い頃の感傷さ」
それでも、楠木という女性の本音には届かず。
そのまま彼女は病室を去って行った。
「……あんな楠木さん、初めてみた」
「……見たこと無かったのか、一回も?」
「おー、一回も。酔って持ち帰りされなかったことを嘆いたミズキくらい」
「……そっか」
その例えはイマイチ伝わるような、伝わらないような。
去って行った背中を追う様に出た言葉の次を紡ごうとして――千束を貫いた感覚を思い出した。
「……」
「……」
そして訪れる静寂。
嵐みたいな登場が過ぎ去って、再び胸の内に後ろ暗い感情が湧き上がって来る。
それを気まずい、とは感じていない。
それを感じる権利は僕にはないだろう。
だから気まずいと思ってしまう理由は、もっと他にあって。
僕を責めて、その根柢から否定する権利があるにも関わらず。
目の前にいる千束は――ほんとに、優しい顔をしていて。
それが本当に痛かった。
「ねぇ、カナメくん」
鈴の様に優しい声が、耳を痛いほど木霊する。
なんとなく、そこから先の話は聞きたくないと思った。
怖くて怖くて聞けなかったソレを、今の僕に自分から聞き出せる勇気なんてなかったから。
「私の
今回はここまで。
普通に遅れた。ごめん。そして読んでくれてありがとう。
ひとまず3話終了。どうにか来年までに4話に入りたいところ。
次回は心臓とたきな達についても聞くよ。
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それでは。