山育ちの竜胆と不殺の彼岸花   作:トウチ亀

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4話

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食はつつがなく終わった――というわけにはいかないのが、錦木千束って子が秘める底知れない謎のポテンシャルの所以であった。

 

「いやー、美味しかったねぇー」

「……」

 

 人口密度を感じさせる賑わいを見せ、時間経過と共に自然と活気づいたテナントの中へ歩を進めていく

 僕としては珍しい、外出先で朝食を摂るというイベントを経てしばらく。

 この前に観たとかいう映画の感想とか最近のラインナップを聞いてたりしていたら、時間の経過なんてあっという間だ。

 その甲斐もあってか、隣にいる千束と言えばエネルギー充填完了と言わんばかりにうっきうきで、今にでも踊り出しそうなくらい楽し気だった。

 

 ……隣でイベント開始早々、見事なまでにグロッキーへ陥っている僕を除いて。

 

「と、糖質……炭水化物……胃が甘い……アレが、朝食……?」

 

 んなアホな、という言葉を呑み込む。

 忘れてた。最近どっちかの家に二人で居ることが多かったし、千束の体調を考えて色々とご飯の内容とかも考えていたりしてたから、千束の取り扱いに当たって必要なノウハウがどうにも死んでしまっていたらしい。

 加えて、千束とこういった形で二人っきりになれると思っていた謎のテンションで浮かれていた所為で、完っっ全に失念してた。

 

 千束の偏食っぷりを。

 

「ねーねーどうだった? 千束さんおすすめの朝食フルコース!」

「糖質、持て余す」

「ヨシっ、問題ない」

「ヨシっ、じゃねぇ……」

 

 遠回しに文句言ってもこんな調子である。相変わらず面の皮が厚いと言うか、流石にあの『DA』に喫茶店やりたいなんて要望を認可させた張本人は一味違う。そしておそらく腹の作りも余人とはまた異なるのだろう。

 だが当の千束と言えばそんな僕のもの言いたげな態度に対して何やら不服そうだった。

 

「えぇ~、いいじゃんかよー。朝からなんちゃってスイパラ。ある意味深夜カップラーメンより贅沢なんですが? これを機にスイーツ開発を進めるべきだよカナメくんは」

「そもそも朝食でフルコースなんて発想が意味わからんから……よくもまぁ、そんな食生活でミズキさんのこととやかく言えたものだな」

「食べれる時に食べたいも食べられるのが、若さの特権なんですぅー」

 

 いや、だとしてもアレはない。なにぶん、やろうと思えばそんなこともせっせと熟せてしまう子なのだからなおのこと質が悪い。

 映画を観ていたりする時も、リコリコで勤務中の時も、リコリスとしての仕事で移動中とかも、暇さえあればお菓子お菓子お菓子お菓子――まごうことなき糖質の嵐だ。

 これで肌荒れを気にしたりとか、山岸先生の健康診断にもなーんにも引っ掛からないというのだから驚きである。

 お互いに朝を抜いたところでへばる様な身体づくりはしていないが、それはいずれも銃撃戦などを想定した非日常の話。レーションやゼリーで済ませられる様な食事など平時では言語道断だ。ましてや菓子まみれなど以ての外だ。『DA』が許しても僕が許せない。

 だから千束の偏食っぷりもどうにかこうにか改善しようと試みてるんのだが……結果はご覧の通りである。

 

「普段の仕事で賄いきれなくなっても知らんぞ」

「その分動くから問題ありませ~ん」

「店長の気苦労が知れるよ」

 

「その分カナメくんが栄養調整してくれるので問題ないですぅ~。私カナメくんのご飯好きー」

 

「…………店長の気苦労が知れるよ」

 

 不意打ち気味に放たれた言葉に、ごうんと小さくも強力な衝撃が僕の中へ迸る。

 ぐわんぐわんと、酩酊したように千束の無邪気に口にされた言葉が頭の中で反響している。

 千束のことだ、昔からこんな感じだったのは容易に想像がついた。

それを僕よりも長く付き合ってしっかり店長は『親』をやってるんだなーなんて感慨感慨と共に。

 

 『好き』なんて一言でこんなに振り回されてるのだから我ながら単純である。

 

 ……とまぁ、そういうわけだから。

 

「……今日は、久々に千束の家でご飯作ろうか」

「え、マジ!? それなら私チャレンジしたい料理あるんだけど!」

「ケニア料理作ろうとして北京ダックになったりしたら嫌だからな」

「ならんわっ! アレは相手が悪かった! 今度はちゃんと材料揃えて上手くやるよ!」

「そう言って盛大に狂ったのが北京ダックの件なんだけどなぁ……まぁ店長からも言われてるし、千束みたいな子だったらそれこそ僕も一生責任持つくらいの覚悟がなきゃな」

「そうそうそう、私の身体はカナメくんが責任を持って――…………え?」

 

 ってなると今の千束の家にある冷蔵庫事情がわからない以上、買い物は必須か。

 いや、よく一緒に食べるってんで食材の共有もしていたりとかもあったから、千束の家に行くとなった以上食材の調達はなんにせよ必要だろう。

 

 よし、これならば問題ない。

 

「それで千束、これはどこに向かってるんだ?」

 

 今晩の夕飯作成手順をざっと組み立てたら切り替えて、先程から気になってはいたが会話に埋もれて聞くに聞けなかっを話題を切り出す。

 たきなとの集合時間までまだまだ時間がある。集合してからそれなりの時間が経過していたが、それでもまだ余裕がある。

 だから、千束のやりたい様にやらせていたのだが、これがまたわからない。

 下見がどうだとか言っていたが、この道行を見る限りは断定できない。

 

 先程からいくつもアパレルブランドを掲げるテナントを通り過ぎているので、何やら服飾関連のものであるということは何となく理解出来るのだが。

 

 ……っていうか、あれ? 

なんか、返事が聞こえないような……。

 

「……」

「……千束、どうしたんだそっぽ向いて」

 

 何やら唐突に会話の流れが途切れてしまったことを不自然に感じたので、視線を未だに謎な進行方向から隣の千束に視線を戻すが、これまた不自然なことに千束もまたそっぽを向いてしまっている。

 声掛けても反応がない。

 

 ただ俯いて、その特徴的な白い髪を手で梳いたり毛先を弄ったりしている。

 目線は未だにかち合うことはない。

 

「どうかした?」

 

 ひょいっと。

 さり気なく反対側に回り込んで強制的に視界に入ろうとしたが、再度反対方向に顔を向けられてしまう。

 ならばと屈んで目線を合わせようとすれば、それも逸らされてしまう。

 

 以後、その繰り返しである。

 ……なんなんだろうか、一体。

 

「――……よしっ……よし……私だって、やるぞ。やってやるぞ」

「……千束?」

 

 そして知らぬ間に何やら重大な決断をしていたようで、小声で俯きながら呪文みたいに何かを唱えている。

 えっと、これは……僕が気にして良いヤツなんだろうか。

まぁ、女の子だって色々あるだろうし、猫みたいに気ままな千束の気質を鑑みれば、急に気分が変わったなんてことは大いにあり得る。

 

 そう判断して、しばらく口を閉ざそうと前に向き直ろうとしたところで――千束が声を張り上げた。

 

「ね、ねぇ、か、カナメくんってさ」

「う、うん」

 

「ど、どんな色が好き、とかある?」

 

 ……?

 色、と来たか。どうしよう、全然話が見えてこない。いや、テナントにいくつものアパレルブランドが立ち並んでいるから、もしかしたらいつぞやの日みたいに服を選ぶか、自分の服を選ぼうとしているのかしれない。

 以前も同じ流れがあった。

 任務の帰りにクレープか何かを食べようとか言い出して、その流れでどういうわけか服を購入したりさせられたりしたことがあったのだ。

 だからまぁ、此処は無難に答えておくのが吉だろう。

 

「赤と白とか、かな?」

「いや、身に着けてないじゃん」

 

 確かにその通りだ。

 今、僕の装いと言えば至ってシンプルなもの。白いカットソーに黒スキニーパンツと、どうしても千束の様にオシャレな組み合わせというのが思いつかないからこうして無難な構成に最終的に纏まっている。

 僕だって伊達に千束に振り回されているわけではないのだ。彼女はこんなんではあるが、ファッションセンスに関しては本物だ。人の似合う色と合わない色というのを人目で理解することが可能だ。

だから今僕が言った好きな色というのも、マジで好きな色というだけでである。

 

より厳密に言えば――気になる人の色ということになるわけだ。

 

そしてそれを加味したうえで、断言できる。

 

「いや、それでも赤と白が好きだぞ。もっと言えば赤が好きだ」

「…………じゃあ、身に着けたりとかはしないの?」

「身に着けてる色が好きな色とは限らないだろ。千束みたいに赤が本当に似合っているような子だったらともかくさ。とにもかくにも、僕は赤が一番好きなんだよ」

 

 自分の出来と趣味趣向は別物ということなのだ。

 だってきっと、僕って赤が絶望的に……とまでは言わないが絶対に似合わないだろうし。千束みたいに着こなせるレベルにまで持って行けるかと言われればそれこそ無理な話だ。

 ……ってどこに向かっているかを聞いただけなのに、なんでこんな話になっているのだろう。

 

「っていうかさ千束、いい加減説明して欲しいんだが、これってどこに向かって……?」

「――――いっ、しょう

「あの、千束さん……?」

「――――あかがいちばん、すき

 

 ……急に黙り込んでどうしたんだろうか。

 何やら僕でも聞き取れないくらいに小さな声でぶつぶつ言っている。賑やかになってきた周囲の状況も相まって、正確な音声が拾いきれない。

 あ、よく見てみれば顔も赤くなってきている。頬は当然、耳はおろか首筋まで鉄を熱したみたいに真っ赤だ。

 

「――――」

「何か気になるものでも見つけたのか?」

「――え、あ、あー、……いやぁ……別に……?」

「別にってそれはそれで問題なんだが……たきなとの約束もあるし、疲れたのならベンチで休んでも良いよ?」

 

 どうやらただ事ではなさそうで、そんな提案をしてみる。正直急すぎて何が何だかわからんので、僕自身も少し落ち着いて事態を見つめたいということの意も込めて。

 なんだか、千束がぼうっとしている。どことなくほっぺが赤いし、何より視線がどことなく熱っぽい。

しいて言うならば、見ているモノに熱を乗せているというかそういう感じ。

これが普通の人であれば、本人がこう口にする以上踏み込まないのが吉だが、千束に限って言えばそうはいかない。

 

 裏表がないように見えて、千束も何かと秘密主義だ。

 嘘は言わないが事実を口にしない。あるいははぐらかして本質に触れないのが上手い、とも言うのだろう。

 

 それは特殊な『心臓』を持つ彼女なりの処世術なのか。

 あるいは相手の時間を奪いたくないっていう信条から来る、誰かの重荷や枷になりたくないっていう振る舞いから来るものなのかもししれない。

 現に『心臓』の事だって今まで僕に全く悟らせなかったし、男としては恥ずかしい限りだが、ああして普段から元気溌剌に振る舞える子がそんなわけないって決めつけてた。

 ……まぁ、そう思わせるだけのバイタリティがあったのもまた事実だけど。

 

 何より少し前の療養中のこともある。

 情けないことに、あれだけ近くに居たというのに、ああして倒れるまで気づくことが出来なかった。

 あの時に感じた最初の小さな、本当に小さな違和感を見逃していたらあの時どうなっていたかわからない。

 

 

 もし――今回もそうだとしたら。

 

 

「――千束、ちょっとこっち」

「へ? ちょ、ちょっと――」

 

 ひやりと鳩尾からこめかみを奔る言いようのない不安感に従うように、千束の手を引く。

 目指すはテナントの各所に設けられているであろう最寄りのベンチを探して歩きだす。

 握った掌は汗こそかいていないが、物凄く熱い。心なしか僕の手を握る力もどこか余所余所しく、僕がしっかり握っていないとたちまち離れてしまいそう。

 それに気づけなかった自分を恥じるが、そんな反省など今は後回しだ。千束の命に別条がないか『触診』モドキで確かめる必要がある。

 

「ベンチが近くにないな……千束、悪いけどたちっぱでも良い?」

「え、別にいいけど……待って待って、たちっぱってやっぱどういう――」

「ちょっと失礼っ」

 

 有無を言わさず、程よく人気が無い場所に千束を連れ込む。

 弁舌では叶わない。丸め込まれるのは目に見えている。千束だったら尚更だ。ソースは現在、リコリコの面子でレスバトルにて白星しか刻んだことがなく、ミズキさんと絶賛引き分け中の僕である。

 非常口の記載があって、従業員用の出入り口が記載されているような、そんな特別な理由が無ければ近づかないような、そんな場所。

 

 

 そんな場所で僕は――千束の頬に右手を添え、左手は彼女が下手に動かない様に壁へ叩きつけた。

 

 

「…………ぁ……」

「動かない」

「……、……っ……」

 

 こくこくと、無言の肯定。どことなく流されている感が否めないが、なんにせよ動かないということであればこれほど都合が良いことはない。

 意識を集中して『触診』を始める。

 何故この行為を行う時に患部ではなく頭部を触れるのか、と言われれば理由は様々だ。

 まずはイメージの問題。人体における情報伝達のイメージが僕だと頭から、()()()()()()()()()()()()()()()()()という感覚的な部分が大いにある。

 

 何より不完全とはいえ、僕の『示幻』によって与えてしまった傷だ。

 内臓がそれこそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言って良い程にことごとく傷をつけられていたと言えば、千束の傷が如何に重傷か、一時的にではあるとは言え歩いたり平気なフリを出来ていた千束の異常性が理解できるだろう。

 『心臓』が機械だったから難を逃れたものの、これが生身だったらどうなっているかなど想像に難くない。

 

 だから全身を満遍なく、『触診』とは名ばかりであるこの解析行為は頭からやった方がイメージしやすい。

 だがしかし、それでも解析自体は間接的なもの。直接傷に触れるか触れないかでは流入する情報の質には天と地ほどの差がある。

 

 

 よって、顔や頭から触れるより千束の不調の原因だった患部へ()()()()()()が診断は容易だ。

 

 

「っっっっ!!!!??? ふ、ぇえぇぇえ……っ!!?? ど、どぅ、どこ触って――」

「失礼と言った」

「言ってねーしっ!!!? ってか言ったからってそ、んな――ひっ」

 

 僕が傷つけ突き刺した箇所――腹部に手に添える。

 不躾を承知で、黒いシャツの下に隠された白い素肌に掌を押し付ければ、ただの視覚情報や蓄えた知識だけじゃ判別はおろか認識すら出来ないものも、より主観的で経験とさえ言って良いレベルで鮮度のある情報が僕の中に入り込んでくる。

 脳にはいくつもの内臓のイメージ。

 戦闘中にナイフや銃火器に対して行う無機質に対する共感とはわけが違う。アレは自身を有機から無機へと作り替えるものだから、その明確な違い故に己の中でしっかりと割り切れば共感において非常にわかりやすい。

 

 だが、それが有機から有機への共感。普段とはまた違ったアプローチをかける必要性が出てくるのだ。

 

 だから、今度は傷のあった場所から派生して千束の身体のほぼ中心――お臍を意識して触れてみる。

 

「……んんっ……、ぃ……か、かなめ、くん……」

 

 触れる僕の指先に反応してか、びくっと腹部周辺が反応したりして時折ノイズの様なものも奔るが、それも矢継ぎ早に流入する情報によって次々と上書きされてく。

 

 ……患部共に出血は、ない。内臓も以前のような半ば機能不全を起こしかけたかのような痕跡も兆候も感じ取れない。この分だと僕が考えていたような最悪な事態が起きてるわけではなさそうだ。

 

 でも、依然として顔は赤い。

 否、むしろ先程より赤みが酷くなっているような気さえ感じている。

 ……『心臓』さえ認識できればもっとわかりやすいものを、生憎と千束の特殊な心臓は脈拍を感じさせない。

 大丈夫ならそれで良いのだ。僕が大袈裟で馬鹿を見るだけで済む。それだけで、笑い話に出来る。

 

 でも彼女だけは、彼女がそんなことになるなんてことは、やっぱり微塵も認める気なんて起きなかった。

 

「――――」

「…………っ」

 

 ――これで最後。

千束を正面から見据えてじっとその赤い瞳を見つめると、彼女はいよいよ言葉はおろか小さな声すら出なくなって息を呑んだ。

 小さな両肩を痛くないように掴んで、それでいて言い逃れは逃がさないという意を込めていたって真剣に、極めて真剣に見つめ続ける。

 千束の表情にその心意が映ることはない。

 声色とか接する時の態度とかも、たとえ自分が堪えるような出来事があったとしても、それを隠せてしまう。

 それは僕の未熟ゆえに見抜けないだけなのかもしれない。店長やミズキさんだったら、千束が悟らせまいと振る舞っていること、悟られたくないと思っていることを言い当てられるのかもしれない。

 

 それで何度後悔したかわからない。

 

 だから、今度こそは見逃さないよう、未だに紅潮し続ける彼女の顔を見つめ続ける。

 

 

――――やがて千束は、きゅっと口を閉じて目を閉ざした。

 

 

「……」

「………」

「…………」

「…………………」

「…………………よかっ、たぁ……」

「…………………え?」

 

 安堵が声になって、発した言葉に溶け込んでいくように全身から力が抜けていく。

 どこにも、傷による影響は見られない。

 どうやら僕の懸念とは杞憂、行き過ぎた心配だったようである。

 よかった。

 いや、本当によかった。

 何やら惚けたみたいな声を出してきょとんとしている千束を見て、真実はわからないが少なくとも僕が見抜いたものは少なからず事実であろうことが保証されたみたいで、余計に脱力する。

 

「…………えっと……カナメくん?」

「いや、また傷が開いたのかと思って本気で焦っちゃって……ごめんっ、お腹とか触っちゃって」

「……それだけ?」

「それだけって……結構おおごとだろ。怪我の具合が具合だし、しかも医療行為の一環とはいえお腹まで触っちゃったんだぞ」

 

 でも本当に何もなかったみたいで安心した。

 現に、今となっては真っ赤だった顔もナリを潜めているし、先程まではぐわんぐわんと変幻を繰り返していて彩り豊かだった表情もまるで能面みたいに……。

 

 ……って、あれ?

 能面? 能面? 千束が? あのいっそ喧しいくらい表情が多彩な千束が、能面だと?

 …………これって。

 

「へー――本っっ当に、それだけだったんだ」

 

 もしかしなくとも千束さん、物凄く怒っていらっしゃる……?

 

「あの、何だか聞いたことの無いくらい低い声を出していられますが……?」

「今ふざけるとこじゃないでしょ?」

「え、えっと」

「カナメくん」

「ウス……」

 

 先程とは完全に立場が逆転している。

 今は無色透明な女性特有の憤怒を纏って僕に詰め寄る千束と、壁にめり込まんばかりに後退し鏡があったら恐らく蒼褪めているに違いない僕の姿が見られることだろう。立場はおろか色まで反転させるなんて聞いていない。

 

「……いや、僕必死で……それ以外、考えてなかったんだけど……」

「……もう知らない。たきなのところ行こ」

「え? でも気になるものがあったんじゃ、下見とやらはどうするんだ?」

い・け・る・かっ! この流れでそんな場所に行ったら私がやる気満々みたいになっちゃうじゃんっ! 色々台無しだよ!」

「だからその行先も目的も皆目見当がつかないから僕も困惑してるんだよ……」

 

 というかその口ぶりだと本当にどこに行くつもりだったんだ、お主は。この流れってどんな流れだ。今に至る経緯で向かったらマズイところって、この東京都の都心も都心なこんな場所にあるのだろうかと興味が尽きない。

 関心を示したらその瞬間、今度こそシメられそうな確信があるので絶対に言わないが。

 

「そもそも、何が台無しなんだ? 何か言えないようなことでも?」

「~~~~~~っっ!!! ししし、知るか、ばーか、ばーか! 変態! 女の敵! むっつり眼鏡! 一回くらい痛い目みろコノヤロー!!!」

「ちょっ、いたっ!? いたいっ!? ぺたぺた触ったのは謝るから!? ね!?」

「だっ、……そ、そういう意味じゃなくて、乙女心的な私のアレを、アレを――!」

「だからアレってなんだよ!」

 

 ぽこぽこと申し訳程度の打撃を加えてくる千束は、言葉ほど怒っているわけじゃなさそうだが、それはそれとして不満が爆発した様子である。

 だがまぁ……僕としてはいたって元気そうで何より。

 けれども、それだと未だ僕とは目が合わせようとしないのだから余計に謎が深まった。迷宮入りである。

 また新手の悪戯かと思ったが、今の様子からして千束にそんな余裕があるとは思えない。

 じゃあ、どういう理由だあろうかと考えて……これがてんで思いつかなかいから困ったものである。

 

 

 

 

 けれど、本当に。

 

 

 元気で、良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回はここまで。

感想、お気に入り登録、誤字報告ありがとうございます。

それでは。
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