この国の裏側を語るうえで、ある存在が必要不可欠となる。
日本が誇る最強の秩序維持AI『ラジアータ』。
真の平和を考える頭脳に情はいらず、秩序の維持に心の存在は贅肉でしかない。
なればその判決を下す存在が、わざわざ人間である必要はない。
だから、ソレが誕生した。
なんともまぁ、人間らしい間違いというか、綺麗に舗装された破滅への入り口に立とうとしている様に人類の業の深さを感じるとも言うべきなのか。
そうして国のあらゆるインフラと直結し、未来において発生するであろう血の香りを観測することで、その安寧を約束する平和維持機構が誕生したワケだ。
たとえ対象にどんな過去、どんな理由があろうとも関係ない。
それは僅かでも国を脅かす可能性を影から速やかに抹消し、あらゆる悪が芽吹く未来を排斥する正義の味方か。
あるいは無機質に、無感動に、『平和維持』という事態にのみ発生する抑止力の名を冠する無限の
だからこそ――DA本部の司令室が対応するこの事態はあまりにも異常だった。
「
「数は! 敷地内の通信回線はどうなっている!」
「確認中です! 少なくとも十数名!」
「『ラジアータ』は何と!?」
「――――依然、
現場は騒然としていた。
慌ただしさこそないが、そこには通常では感じ得ない混乱が見て取れる。
大型モニターが三次元に出力した学校の見取り図。そこは一斉に事態の異常を訴える信号で溢れかえり、『ラジアータ』の演算結果による事態の観測は滞りなく機能している。
そう、それらは
ハッキングされた形跡もなければ、システムによる誤作動が起きたワケでもない。この露骨な事態に対して普段通りの反応を見せているにも関わらず、国が誇る最強AIは――その結論を示さない。
だからこそ、この混乱は必然と言える。
彼らも精鋭なのだろう。その能力を見込まれ、自身が生きる世界の陽だまりから影へ、影から更なる影へと踏み込み、こうして護国の為に尽力している。
だが、それでも至らない。
AIの傀儡と成り果て、前線における知識も経験もなくただただコンピュータが観測した情報を処理するだけの木偶の坊でしかない彼らには、これらの事態に対して完璧に処理落ちしていた。
けれども。
「――状況を報告しろ。『ラジアータ』による通信が駄目なら敷地外から連絡を試せ。ドローンの数をもっと増やして、現地で起きていることをより正確に観測しろ。急げ」
「楠木司令!」
「『ラジアータ』のチェックも同時並行で進めろ。これ以上騒動を大きくして、『リリベル』が出動する事態になっても面倒だ」
「了解」
それは鶴の一声か。
瓦解しかけた現場が一気にその統制を取り戻す。
異常事態ゆえの混乱すらも、この場に赤毛の司令、楠木が登場することで一変する。
彼女は混乱が落ち着いたのを確認して――異常を訴えながらも事態が動いていないことを示す特大のモニターを見据え、司令室の座席のマイクを手に取った。
『こちらリコリコ』
「ミカ、現状はどうなっています?」
『かなり早い段階で仕込みをしていた作戦だな。少なくともあの夜の襲撃の段階から、あの子を仕留められない可能性も考慮していたとしか考えられない動きだ。なにせ学校の全ての棟で遠隔による一斉爆破だからな。それに校舎内でも複数の光源を確認できた。突入するなら、罠の確認は必須だぞ』
「連中は『ラジアータ』の観測を掻い潜った、と」
『……いや、こちらとしては別の思惑も感じなくはないが……』
「ミカ?」
『……とにかく、相手は相当できるぞ。千束にも午前中はずっと敵の罠が無いか校内中を散策させたうえでコレだ。事前調査で把握した人数もこの分ではあてに出来ない。『リリベル』も動きかねんぞ』
「外部部隊へ連絡し、迅速に周辺地域の情報統制を徹底し対応させます。千束にもそのように伝えてください。ミカは引き続き現場の観測を」
『了解した』
通信を切り、楠木は司令部の頭領を示す座席へと腰掛けた。
ひとまずは、これで良いだろう。今回は奴らの奇襲がうまく行った。こちらの対策を少数精鋭による対応力で上回ることでその奇襲を成功させた。
だが、同時に本来の目的であった
であれば、『ラジアータ』の結論を待つのみ。
殺すか、
しかし――。
「なんだ」
「いえ、それが……その」
「御託は良い。結論を言え。ラジアータはどんな判断を下した」
「それは――」
「――なんだと?」
司令室職員の口から聞かされた言葉は楠木の常に薄く開かれている瞳に驚愕を覚えさせるのには十分過ぎた。それだけ開示された事実は、ある意味現実離れしたことだったからだ。
だってそれは余りにも前例が無い、異常事態と言えることだったのだから。
「――
◇
――慣れ親しんだ校舎は惨い非日常へと変貌していた。
轟音と黒煙を屋上から確認してすぐ、静止する錦木さんに構わず駆けだした際に目にした光景に全身が強張っている。
火の手が回り、充満しようとしている炎の気配。
窓から覗く灼熱を思わせる弱くも赤い光源を放ち立ち上る黒い煙。
そして――教室から強く立ち込める
異常事態なのは、目に見えて明らかだった。
だというのに、何もない。
鳴らない火災報知機。昼休みも過ぎ、時間帯はとっくに授業に突入しているだろう。
しかし、何もない。
悲鳴も。足音も。そこに本来はあってしかるべき反応がまるでない。
ボヤ騒ぎ特有の喧噪を感じさせない不気味な沈黙を続けている校舎は、都市のインフラとして備えるべき機能が軒並み停止していることを伺わせる。
「――――ッ」
その事実に、はからず思考が沸騰した。冷ややかな理性すら喰らい尽くさんと言わんばかりの激情に、体の至る所が熱くなる。
僕のクラスメイトを含んだ色んな人が動けない状況にあるか、あるいはもう
考えうる限り最悪の状況に――想起した地獄を振り払う様にして、遅れてやって来た錦木さんへ視線を向けた。
「錦木さん、コレって」
「あちゃー、多分コレ昏睡する系のガスだね。仕掛けがまだ残ってたか……ま、見られたからにはあの人たちも必死になるか。あと竜胆くん、取り敢えず落ち着いて。ほら、これで口を抑えておいてねー」
「……ごめん」
だが、あくまで錦木さんは冷静だ。
口調も、態度もいつも通り。今でもハンカチを口に当てながらリコリスとして現場の確認を行っている。
……今でも頭の中の熱を排さない僕とは大違いだ。
だけど、それがあまりにもいつも通り過ぎてわかってしまう。
まるで何かを抑え込んでいるかのように、矢継ぎ早に状況を把握しようしているみたいで。任務という厚ぼったい仮面すらも貫通する感情が、その表情に見え隠れしている。
動揺しているのは、明らかだった。
「あー、やめとき」
だから、ほとんど無意識の行動だった。
彼女の様子にならば僕が、と。
最寄りの教室の扉に伸びようとした手を、錦木さんの手が阻んだ。
この先に待ち受けているであろう凄惨な光景を僕に見せないが為に、自分の感情なんて知ったことかと言わんばかりの本当に優しい顔と声で、僕の手を握ってくれた。
「大丈夫だよ、皆生きている。誰も死んでいないし、誰も死なせない……けど竜胆くんは、『こっち』は見ない方が良いかな」
――――錦木さんは、僕以上に辛い筈なのに。
「……竜胆くん。つまりはさ、こういうことなんだよね。それに多分、竜胆くんは『こっち』に向いてないと思う」
「……どうして?」
「うん。だって竜胆くん優しいもん」
……それはこっちの台詞だ。
だってこんな状況だというのに、彼女は僕を優しく説得してくれている。
任務に徹するなら、僕の様な『囮』など見捨ててしまえば良い。死んだとして、それはきっと美談になるし、仕事の一部として割り切る方が気楽でいい。
だけど、錦木さんはどんな状況でも僕を見てくれていた。
だから僕が優しいと思えるのは、キミがいたからだ。
キミがこうして優しくしてくれてるから、僕もそれに報いたいんじゃないか。
「……だから、リコリコを辞めろと」
「そ。ゼーッタイ巻き込まれるから」
いーっ、と顔を顰める様子はいかにも錦木さんらしい表現方法だ。
だが同時にそれは、きっと彼女なりに伝えられる真実なのだろう。
だからこそ――僕はソレを容認できない。
「だから――ここでさよなら。じゃあね、お弁当美味しかったよ」
そういって駆けだそうとした錦木さんの制服の裾を、校舎に入るギリギリで掴んだ。
「……竜胆くん、もしかしてどっか悪い?」
「――――っ」
でも――止めてどうするんだ。
戦うのをやめて欲しいのか。巻き込んだことを謝って欲しいのか。
否だ、錦木さんは止まらない。止まる事をよしとしない。よしんば止まれても、彼女の周囲がソレを許すことはない。
だから、これはただの我が儘。
止まって欲しかったから、なんていう子ども染みた論理も理屈もあったものじゃない勝手極まりない言い分。
今もこうしている間に『敵』は校舎で徘徊しているし、この爆発で死傷者だって出ているかもしれない。
僕がこうしている間に、誰かの時間が終わろうとしている。
それを、敵まで絶対に殺さなかった錦木さんに強いるんだ。
…………僕はもう、何が正しくて何て言葉をかけてやれば良いかわからない。
間違いなく彼女は正しい。
けれど、それは。
彼女自身が誰よりも望んでいた『錦木千束』かと言われれば――それは違う気がした。
だから。
「――――僕は、何にも知らない。というか、何にもない」
僕の思うがままを、正直に口にする。
いつもの彼女の様に、やりたい事に命を懸けている錦木さんの様に。
僕は無知で、無力で、空っぽだ。
錦木さんがどんな苦労をしてきたのかも知らないし、銃弾から香る火薬の匂いも。
人を殺すことがどんなことかすらも。その覚悟や重みも僕は知らない。
空っぽの僕の全ては、何も響かないかもしれない。
――――だがそれでも。
「今までの錦木さんを見てきたから、わかることだってある」
「――――今までの、私」
今の錦木さんの正しさを肯定することは、
押し付けがましいだろう。息苦しいだろう。煩わしいだろう。
でもその全ては彼女が望んだ、誰よりも切望した在り方なんだ。
それを今、僕の存在が捻じ曲げようとしている。
誰かに幸福であって欲しいと、良い人は報われるべきだという誓いを以て戦う彼女が、一番救われない結末に向けて足を踏み入れようとしている。
他ならない、彼女の生き方によってだ。
そんな矛盾だけは、絶対に嫌だ。
「僕はずっと嬉しかった。命を救ってくれて。こうして学校にまでついてきてくれて。弁当を美味しいって言ってくれて」
「でも、きっかけを作っちゃったよ。
「ならきっと――今度は錦木さんが報われる番なんだ」
――錦木さんの銃を握る手を掴んだ。
与えてばかりのこの手は、人の命を奪う筈の銃を用いながらも決してその命を穿つことは無かった。この細くて、柔らかい手で僕を含めた多くの命を助けてきてくれたのだろう。
とても強くて、凄く綺麗な手だ。
なら、誰かが彼女の錦木さんの傍にいないと。
この銃を握る手を握ってくれる誰かが。
彼女がこれからも、笑って誰かを護れるように。胸を張って、その銃を握れるように。
その
だから――。
「キミはいつも、不平等に誰かを助けるからね」
「……それが私だよ。それは変わらない。これからも」
そうだ。
そんな彼女だから僕は――こうして生きて彼女の傍にいることが出来ている。
与えてばかりじゃ、人は生きていけない。
金貨と同じで、使えば他人の手に渡ってしまう。そこで自分へ報いらなければ、いつかは壊れてしまうのが道理なのだから。
それは、どうにもバランスが悪い。
「だから僕は不平等に――君を助け続けるよ」
錦木さんが無数の誰かを助けるというのなら。
僕は死力を尽くして――彼女の脅威となるものを叩き伏せよう。
「――ふー……ここまでガンコだとは思わなかった……竜胆くんのバーカ。いや、ほんとにバカ」
「酷い語彙力だな……えっと、僕そんなに呆れられる様なことしたかな」
「したした。それはもうね、凄く。まさか私が根負けするなんてさ……でも、あそこまで言われちゃあね」
「それは、確かに凄いね」
「凄い他人事じゃん……まぁ、竜胆くんらしいっちゃらしいよね。それに――」
そうして彼岸花の少女は華やかに楽し気に、どこか妖艶に微笑んで――。
「――――もう決めちゃった。竜胆くんには、私の『最期』まで付き合って貰うから」
――――その言葉がどれだけ彼女にとって重いものだったのか。
この時の僕はまだ、知る由もない。
「でもどうするの? どうにかするって言っても相手は銃を持ってるワケだし」
「そこは気にしなくて良い――僕が何者なのかなんてのは、僕が一番気になっているところだけど」
あの刃物を手にした時の感覚を思い出す。
どう考えても普通じゃないナイフ捌き。
今だって、普通だったら寝込んでいる筈の重傷が学ランの下に潜んでいる筈なのに、こうしてぴんぴんしている。
だからまぁ、そういうことなんだと思う。
恐怖はある。
自分が自分じゃなくなる様な、一度そこに至れば戻れない確信は今でもなお僕の中で渦巻いている。自分じゃない自分が中に潜んでいるみたいで、気分が悪い。
どうしようもなく気持ち悪くはあるけど――それでも心配はしていない自分がいる。
なんたって。
「――錦木さんと居るなら、たぶん今とそう変わらないでしょ」
「なぁにそれ」
クスクスと、任務中だというのに錦木さんが笑って、いつもの『錦木千束』が戻ったことを確信した僕もまた、思わず口角を吊り上げてしまう。
――――今の僕には、錦木さんがいるから。
◇
今回の下手人――仮称『イギリス人』にとって、今回の任務は児戯に等しかった。
中東、湾岸、キューバ、時として米国など。長年に渡ってあらゆる紛争地帯を渡り歩き、数々のテロリストや武装組織の雇われとして生きてきた男にとって、この極東の任務など欠伸が出るほど退屈なものだった。
どいつもこいつも平和ボケした間抜け面で、武装も最低限の警戒もせずに外をほっつき歩いている。警察すらも人を殺したことも無さそうなヒヨッコが平和を護っているというのだからお笑い草だ。
現にこうして自分達の入国を許し、一般人が日常を送る学び舎に破壊工作を許すという失態まで許しているのが現状である。
噂に聞いていた『最強AI』も、こうなれば形無し。焼きが回る以前の問題だ。
それでもこんな世界の真東も真東に態々仕事に来ているのは、人の命を狩るというのは思いのほか金になるという事を知っていたからだった。それに高値で雇うと依頼主が言うのだから、受けない理由もない。
だから今回は本当に、生温いと高をくくっていたのだ。
自分が『旦那』と慕う存在を容易く倒した一人の赤い少女と。
所属する傭兵部隊で稼ぎ頭として存在する自分を拳一つで沈めた、獲物の少年を。
――こうして目前で、確認するまでは。
「すごっ……ホンモノの峰打ちだった。というか本当に動けるんだね」
「一応、ね……正直言って僕も今は驚いている。えっと、本当に死んでないよね?」
「うん、トドメは全部私が刺したし。多分ギリギリ大丈夫だよ」
「それって大丈夫なのか……」
能天気な会話が聞こえてくる現場は、そんな様子に反して酷い有り様だった。
確認する限り、それは『一撃』。
顔、首、腕。服の上から確認できるだけでもそれらが重い一撃によって為されたことが伺い知れる負傷とそれを証明するうめき声がイギリス人の耳に届いた。
地に伏している人員も仕事を共にしてきた手練れだったにも関わらずだ。
作戦で指揮官より提案された総勢にして十数名となる二つの部隊編成。
一つは意図的に発生させたわかりやすい部隊と、もう一つは獲物を確実に仕留める為の部隊。
『AI』とやらの観測の目を掻い潜るための『傘』として機能する布石を最大限に活かすための部隊運用。
間違いなく作戦は順調だった。
それが今こうして――たった二人の子どもによって自分が率いた部隊があっさりと全滅させられている。
「――――チィ、此処に来て貧乏くじだったってワケか。割りに合わねぇ」
この間抜けが、と自省と嘲弄を込めて口にする。
息を潜めてそう呟いた。隠れた所でバレるのは関の山だが、そう呟かざるを得ない。
なにせ、こんな化けの皮を被った相手に自分は油断していたのだから。
赤い少女もそうだが、気がかりなのはあの学ランを着た獲物の少年だ。
癖のある黒髪に、黒縁の眼鏡。それは以前と同様、平和ボケしたこの国の人間たちと同じ、特筆すべき点も存在しない人となりをしている。
だというのにソレが今や――ナイフを握る正体不明のバケモノにしか見えない。
「――んじゃ、時間もないし。さっさと終わらせよっか」
「――うん」
そして獲物は十数メートルは離れているであろうこの間合いにおいて。
傲慢というには厳かに、謙虚というには高らかに、開戦を宣言する。
「――――勝負だ、
そんな気障な台詞をこぼした獲物を嘲笑う。
だがそれでも、イギリス人の中で渦巻いている畏れは消えたりはしなかった。
そんな、まるで縄張りに土足で踏み入られた獣の様に。
――――フルオートの機銃掃射を見舞った。
てなわけでYAMA育ち始動。
彼のアライメントは『混沌・善』。
決して大衆受けしない善意であり、時としてそれは一方的なものになるかもしれない。
だけど、確実に一人は助けようとするその様は一つの『正義』でもある。
蛇足ですが、竜胆って太陽に向かってまっすぐ開花するらしい。
型月タグの追加に関して
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賛成
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反対
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どっちでも良い