レッドアイを討伐してから数日。目の前の驚異がなくなっただけで、何か根本的に解決したわけではない。だからこそ次の行動を移すべきだとは理解していた。
「今日も籠もってるんだ〜」
階段を降りながらあくびをしつつ、ミュルが呟く。それはギャラルのことである。あの一件から、部屋に籠もったまま全く出てこないのだ。
カイムは少し苛立っていた。挫けそうになることが何度あっても立ち直り、ここまで着いてきた……いや、引っ張ってきたギャラルがああなってしまっていることに、納得がいっていなかった。
「もうご飯もずっと食べていません……」
ロジェは一応、毎食分ギャラルの分も作ってはいるのだが、食べた形跡はない。一口も。
「どのような傷を負ってるかも知らずに治療するのは、医者でも無理だろうな」
「……そう、ですよね」
今誰もギャラルに手を差し伸べられない最大の理由は、肝心のギャラルが理由を話そうとしないからだ。いや、伸ばそうとはしているのに振り払われているような感覚まである。
アンヘルが聞こうとしても答えなかったのだから、他に誰が聞いても仕方ないのだろう。
「あ〜あ、嫌なことなんてカステラ食べればどっか行っちゃうけどな〜」
「それはお主だけであろう」
「いや、アンヘルも食べてみなよ。ふわふわで甘くて、口に含んだだけで幸せになれるあの感覚……!」
それはもうただの危険な薬の類ではないのか。カイムは思わずツッコミたくなるが、当然それを言うことはできない。
確かにカステラは手に入ったのだ。"街を救った英雄達"へのささやかな贈り物として、ミュルがカステラ食べたいと言ったら用意してくれたのだ。でもそのカステラを一人で食べておいてこの言い草なのがたちが悪い。
「ただ、想像は出来るな。レギオンは人間なのだろう?ならば、彼女の知人だった可能性はある」
「でもでも、レギオンになった瞬間を見たならともかく、あの状態で分かるものとは思えません」
「斬った瞬間に見えたのだろう。案外、頭部は元の人間の姿だったとかな」
憶測の域は出ないが、一番現実的なのはそこだろう。最初から知っていたのなら、そもそも戦おうとしなかった可能性が高い。むしろ積極的にまで見えたまである。
『知人か。そんなにつらいものか?』
「イウヴァルトに剣を向けた時のこと、忘れた訳ではあるまい」
イウヴァルト。帝国に墜ちて両親の仇と契約し、狂気の中に消えていった、かつての親友。
彼がどうなったのかは知らないが、何度か剣を向け合うことになったその時の戸惑いと怒りは、確かに印象深いものだった。幼い頃に出来た亀裂が、こうも捻れてしまう、そういう運命だったと諦め受け入れた自分と、そんな運命を呪った自分がいた。
「イウ……?誰それ」
「この無口で無愛想で戦いに自身を置いてきたような男にも、親友と呼べる者がいたということだ」
随分な言い草だが、そこはお互い様。アンヘルと契約して長い間、遠回しに罵り合ってきた関係だし、今のアンヘルの言葉に悪意がないというのも十分分かる。何より、そういう男だということは自分が一番理解しているつもりだ。
「お主はそれでも剣を向けることを選択したが、あのギャラルがそう割り切れるものか?しかも、仮に殺す瞬間に知ったのであれば、時間の猶予もなかった」
『……』
「……その、カイムさんはそのイウヴァルトという方と戦ったのですか?」
少し前に語った旅の内容だが、流石にこと細やかに説明した訳ではない。親友と戦ったという話は初めて聞いたし、少しだけ興味が惹かれる。あまり深く聞くことではないと分かっていたけれど、ロジェは聞いてしまう。
「我と共に、ヤツの黒いドラゴンと戦ったわ」
しかし、トドメは刺さなかった。カイムがイウヴァルトにトドメを刺すことに対する迷いを感じたからこそ、敢えて逃した。
その後再開することはなかったし、帝都もあんなことになったのだから何処かで死んだのだろうとは想像出来るが。
「帝国兵を一人とて逃さず皆殺しにしてきた血も涙もない大馬鹿者だが、こやつとて人の子よ。親友を手に掛けることは出来なかったな」
「皆殺しって、ひゃ〜怖い。……まあうちらもあんま他人のこと言える立場じゃないけどさ」
小馬鹿にするように煽ったミュルだが、言っておいて小馬鹿にできる立場でもないことを思い出す。忘れていたわけではないが、前の世界のことを引き摺って生きる必要はないだろうと強く意識することもなかったが、今だけはつい考えてしまった。
「あの時のロジェも怖かったよね〜。他人の不幸が美味しいみたいな」
「そ、それは……その、あまり言わないでください。それにミュルグレスさんだって!」
「いや〜ミュルはカステラのためなら戦っちゃうよ?」
「……キル姫とは、また面倒なものだな」
多分、ギャラルが言っていたように彼女らにも過去があるのだ。ギャラルの過去とは当然違うものなのだろうが、少し聞いているだけでも碌なものではなかったことは容易に想像出来る。
人が人の為に生み出した兵器、キル姫。兵器でありながら人の心も持っている彼女らは、兵器としては不完全なのだろう。だからこそ悩みや苦しみもあるだろうが……
ニヤニヤ笑いながらロジェにちょっかいをかけるミュルと、恥ずかしそうにしたり怒ったりするロジェの楽しそうな表情を見ていれば、それで良かったのだろうとは思う。
そんな和気藹々……?として空間に、一人入ってくる。イチイバルが帰宅したのだ。
「ただいま。イチイバルさんのご帰宅だよ〜……なんか随分楽しそうだね。なんか面白い話でもあったかい?」
「イチイバルの戦術で、たくさんの奏官とキル姫を殺してきたよね〜って話」
ミュルの返事にイチイバルが停止する。全く持って楽しい話でもなければ、あまり思い出したいことでもない。
先程までの笑顔のまま硬直しているイチイバルの姿を、呆れた表情でカイムが見つめていた。
それから少しして。
「ギャラルはどうだい?」
「相変わらずだ。そちらの収穫はあったか?」
お互いの状況を改めて確認する。対白塩化症候群もそうだが、やはり根本の原因を取り除きたいと考えている。そこは変わってはいない。
「進展はないかな。ただ一つ分かったことは、白塩化症候群はレギオンに襲われた人間にも感染するみたいだね。レギオンの今までの襲撃は単なる殺戮ではなく、あわよくばレギオンを増やそうとしていたと考えられる」
「しかしレッドアイを失い統率の乱れたレギオンが、そこまでの知性を持った行動は取れなくなったであろう。……何をするつもりだ?」
あの神は執念深いことは知っている。その神に生み出され、人類の殺戮を本能に組み込まれたドラゴンであるからこそ、それは強く理解させられている。
再生の卵、ドラゴン、そしてあの"敵"。人間を滅ぼすための手段をあれだけ講じていた神が、レッドアイによる襲撃だけしか考えていないというのは難しいだろう。
もちろん、ここは異世界である以上あちらの世界ほど強く干渉ができずに、苦肉の策としてレッドアイを送り込んだ可能性もなくはないが、それは楽観的すぎるだろう。
「なーんでその神ってやつは、そこまで人間を滅ぼそうとするんだか。自分の世界でやってればいいでしょ」
ミュルの呟きに、返事できる者はいない。……その言葉にイチイバルは一つの可能性を思い浮かべるが、あまりに突拍子もない考えだったので口には出さず飲み込んだ。
緩やかに滅びに向かっているが、それでも少しだけ日常と呼べる時間はある。
中々進展のなく過ぎていく日の中、ミュルは近くの街で雪かきならぬ塩かきのバイトをしていた。
「ん?」
何か違和感。ふと空を見上げると……
「何よアレ!?」
あまりの光景に驚きの声を上げたのだった。